追悼 松下竜一         下の目次をクリック
    2004年8月1日 「松下竜一さんを偲ぶ集い」中津文化会館大ホール
撮影 伊藤 芳保さん

            ■松下竜一 略年譜(梶原得三郎・草の根の会作成)

一九三七

一九五六


一九六二


一九六六
一九六八
一九六九

一九七〇
一九七一

一九七二
一九七三

一九七四

一九七七

一九八二

一九八五
一九八六
一九八八

一九九一

一九九八

二〇〇四
中津市塩町に生まれる。十月頃に急性肺炎で危篤となり、右目を失明。
結核のため一年休学の後、大分県立中津北高等学校を卒業。五月に母光枝死去。進学を断念し、家業の豆腐屋を継ぐ。
短歌を作り始め、朝日歌壇に投稿。「泥のごとできそこないし豆腐投げ 怒れる夜のまだ明けざらん」で初入選。
三原洋子(十八歳)と結婚。
『豆腐屋の四季』を自費出版。
『豆腐屋の四季』講談社から刊行、緒形拳主演でテレビドラマ化される。
豆腐屋を廃業し、著述業へと転身。
別府湾の公害問題を取材し、西日本新聞に「落日の海」を連載。
中津の自然を守る会発足。筆者と出会う。
豊前火力発電所建設差止請求訴訟(環境権裁判)を同士六名とともに提訴。
明神海岸埋め立て着工阻止行動。威力業務妨害などの罪で仲間三名が逮捕される。
病気は結核ではなく、多発性肺嚢胞症であることが確定。
『ルイズ・父に貰いし名は』で第四回講談社ノンフィクション賞を受賞。
最高裁の却下により豊前環境権裁判集結。
なかつ博に非核平和館を展示。
伊方原発の出力調整実験に反対して高松行動に参加。
日出生台日米合同軍事演習反対1万人集会に参加。
『松下竜一 その仕事』全三〇巻、河出書房新社から刊行開始。(〜二〇〇二年)
多発性背嚢胞症に起因する出血性ショックにより死去。享年六七歳。

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「草の根」の生命の種が、大空にはじけ飛んだ。(2006年1月1日更新、「草の根通信」から再録)
松下竜一さんが主宰した月間ミニコミ誌「草の根通信」は、1973年4月5日に創刊され、一月も抜けることなく、2004年7月の380号で終刊しました。文字通り松下竜一さんのライフワークとなりました。松森も、1997年1月号から2002年7月号まで5年半にわたって『餓鬼者』を連載させていただきました。松下さんと身近に接し、交流することのできたこの時期は、僕の人生の宝物となりました。
 NPO法人地域循環研究所の仲村修さんと草の根の会の方たちが、草の根通信全号の総目録を作り、ダウンロードできるようにしてくださいました。
 草の根通信目次検索システムはこちら http://www.junkan.org/
   第1回竜一忌 2005年6月18日
   「しろつめ草をふまぬよう」 作詞・作曲 柳井達生(8月20日更新)
   柳井達生さんの弾き語り、聞いてください。

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