中津では、このところずっと暖かい日が続いています。 2月7日の二人芝居「かもめ来るころ―松下竜一と洋子」中津公演は、中津文化会館の900席を埋め尽くす盛会となりました。私たちが想像もしなかった結果で、当の私たちが一番驚いています。
 終演後の深夜に及んだ懇親会で、私はおおよそ以下のような話をしました(そのときいい忘れたことも少し付け加えました)。洗いざらい話しましたので、笑い話になりましたが、読んでいただくことでこの間の私たちのあたふたぷりをお伝えできたらと思っています。
 松下洋子さんと健一君、高橋長英さん、斉藤とも子さんのいる前でこんなことまで話していいのかと、ちょっと気になりますが、全部話しておこうと思います。 トム・プロジェクトの代表岡田潔さんが初めて中津にこられたのは一昨年の5月でした。そのときに岡田さんは洋子さんと健一君から舞台化についての承諾をもらったのでしたが、「ぜひ、中津でも上演を」という岡田さんの思いを私は消極的にしか受けとめていませんでした。中津市とその周辺には「松下竜一アレルギー」とでも呼びたいものがあって、松下さんも孤絶を語っていましたし、その一派と見なされている私たちも少数派を自認しているからです。
 なにしろ、バラ色の夢を伴って持ち込まれた周防灘総合開発計画(遠浅の海を山口、福岡、大分の三県にまたがって水深10メートルまで埋めつくし、巨大なコンビナートを配置する)にいち早く反対の声を挙げて行動を開始し、やがて豊前火力に的を絞って裁判まで起こして反対を続けた松下竜一を(感心な豆腐屋青年だと思っていただけに)「あの野郎!」と思っている人は、年配者の中にはまだ少なからずいるようなのです。その松下夫妻の登場する芝居に観客が集まるとは到底思えなかったのです。
 岡田さんは最初、中津文化協会に話を持ちかけました。会長は私や松下さんとも親しくしてきた人ですが、 「人集めに自信がない」という理由で主催を断りました。
 新木安利さん(松下竜一研究の第一人者)と私は、芝居創りへの協力は惜しまないつもりでしたが、中津公演の主催とか勧進元を引き受けた覚えはありません。それなのに、なぜかチケット販売は「草の根の会」に丸投げされ、なんとなく主催者のようなことになってしまいました。
 トム・プロに5000枚のチラシと100枚のポスターを作ってもらい、私たちが作った2000枚のチケット(印刷代はトム・プロ負担)を用意して広範囲に配り、新聞各社にも予告記事の掲載を依頼しました。近辺の「草の根通信」元読者|こ葉書で観劇を呼びかけたりもしました。
 準備のための集まりは都合4回持ちました。最後の準備会は2月1日でしたが、前日の1月31日、私は岡田さんに「きぴし<見て400、うまくいって500。500は当方の予想を超えた数で、これで赤字となっても穴埋めのあてはないのでご承知おき願いたい」というファクスを送りました。チケットの売れ行きが大き<動いたのはそこからの一週間でした。
 2月1日の集まりで700に達したことを確認し、すぐに岡田さんに知らせました。そこから日が迫るにつれて電話予約も相次ぎ、預かってもらった方々から販売数も次々と知らされ、前日にはついに900を超えたのでした。そうなると今度は、立ち見をお願いすることになったらどう詫びればいいのか、もしかすると入り切れないのではないか、といった心配でハラハラさせられました。集まって当日の準備をしながら、電話予約のキャンセルがあるたびに「ああ、よかった」と喜び合うといった罰当たりなこともしたのでした。
 なぜ、こんなにたくさんの人が見にきてくれたのか、私たちが強く意識した「松下アレルギー」はどこに行ったのか、これからゆっくり分析しなければなりません。
 トム・プロジェクトのみなさん、まずはおめでとうございました。 
 
 二人芝居ということで、演劇などと無縁に過ごしてきた私たちは学芸会のような素朴なものを想像していて、大道具や小道具の数と裏方技能集団の人数、紗幕の効果や映像・照明といった舞台装置に圧倒されました。

 岡田さんは挨拶の中で、「この芝居を大切にして、これから1000回も2000回も続けていきたい」といっていましたし、高橋長英さんと斉藤とも子さんも同じような思いだと聞いています。
 ご心配をかけましたが、このような結果で胸をなで下ろしております。どうぞご安心下さいますように。
2009.2.14
                                    梶原得三郎