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170.「都構想」の説明会に参加しました

 

「都構想」説明会の最終回に参加しました。とても印象的な場面がありました。開始前に大阪市事務局から進め方の説明と諸注意があったのですが、その最後に「本日は多くの参加者があり、できるだけ多くの皆さんの質問を受けたいので、端的に質問していただけるようにお願いします」といいました。その時、会場から「質問時間は何分あるのですか?」との声が上がり、「15分くらいか」との答えが返りました。「短か過ぎる」「保障すべきでしょう」…などの声が続き、「うるさい」「まかせろ」などの野次もとびます。そして、「市長が言いますので…」と、うつむき加減に小さな声で壇上の司会を務める事務局が答えるのです。
 本来は主宰している大阪市の事務局が進行計画をつくり、市長もそれに従わせるべきではないでしょうか。「多くの質問を受けたい」ならば時間を取って、市長の説明を短くさせるというように。そこに市長の顔色を伺いながらしゃべらざるを得ない、自分たちで決めることができない職員の現実をまざまざとみる思いがしました。「都構想の一番のねらいは、役所の改革だ」と橋下は...切り出すのですが、自分のやっていることが職員を萎縮させ、主体性を奪い、役所の活力と創造性を奪っていることに微塵も気づかないのか、ふりをしているのか。私は大阪市・府の職員が、これまで決して他府県や市町村に負けない、いやむしろリードする仕事をしてきた数多くの実績を知っているので、目の前のうなだれた姿を見るのが残念でしかたありませんでした。
 創造的な仕事とは、自由闊達な議論が保障される雰囲気の中で生まれてくるものです。上司の目を気に掛けながら、周囲に気を使いこわごわ動かざるをえない現状の空気を換えるだけでも、大きな改革がなされると思います。増してや大阪市をなくす必要などありません。
 結局説明会は、事務局からの説明が30分、市長が1時間15分、質問が20分で、そのほとんどは4人の「端的な質問」に対する市長の長々とした返答になりました。
いったい大阪市の主役は誰なのでしょうか。「橋下市長の芝居」を興行するために下働きさせられているのが市の職員で、大阪市民は「芝居」を観るために動員された「観客」でしかないのでしょうか。そのようにしか感じられない屈辱感を私は感じました。

 


169.「都構想反対!」の新しい看板を付けました。

 
夜、帰宅した娘があわてて駆け寄ってきて「大変や、我が家の一大事かもしれん」と言います。「誰かが、都構想の看板をグチャグチャにこわしたのかも」と少し声を荒げます。妻と3人で玄関を出ると、折しもの雨が降る中、手作りの看板は二つに折れて、通したヒモに漸く引っ掛かった格好でぶら下がっていました。4月12日の夜、統一地方選の選挙速報を歯噛みしながら見ていた私の心境を象徴するような格好にも見えました。
 しかし誰かが悪意を込めて意図的にやったものではなく、強風にあおられてのものでした。思えば掲示してから10日余り、段ボールにマジックで書き、表面にビニール袋をかぶせただけの手作りの看板がよくもったものだと思います。当初落書きとか嫌がらせなども気に掛けてはいたのですが、なにせ気の小さいわが一家ですので、出勤途中の人たちや、保育所の送り迎えの途中で、散歩しながら、下校する小中学生や近所の保育園の園児たちのお散歩で、仕事帰りに…などら、家の前を行き交う人たちが、足早な人もあればのんびりと過ぎる人もあって、立ち止まりはしま...せんが視線を向けて通って行きます。けっこうみんなが見てくれているように思えます。近所の人や家に来た人たちと話すこともありました。
 そこで新しい看板に換えることにしました。今度はちょっとはずんでコーナンで、前の2倍の大きさのプラスチック製のプレートを1,000円余りで購入しました。例によって妻が一気に書き上げました。
「私は「都構想」に反対します。大阪市をなくしてはいけない。やさしい町に 私は住みたい!」
これが壊れたら、また工夫して次の看板を付け替えます。


168
.「私は大阪都構想に反対します!」の看板を我が家の玄関に張りました。
 どうも大阪都構想をめぐる論議が高まっているとは思えません。というか、自由に論議を交わすことがやりにくい雰囲気を感じています。3月に市民の会主催の集会に参加したのですが、中之島中央公会堂の大ホールをほぼうずめる1000人近い参加者がありながら、都構想への批判や反対を言いきれず、予定していた講演者も「主催者に迷惑がかかることを配慮して」出席を自粛する…など、せっかく市民が声を上げて集まり、力を出し合い、苦労しながらたどりついたのであろう集会が、何か影の力に見張られおびえているかのような印象が私には残ってしまいました。
 大阪だけのことではありません、安倍政権の政治的な圧力によって、テレビや新聞の報道が日に日に、目に見えて萎縮して行く実態を見せつけられています。メディアというものが権力からの圧力に対して、かくも弱くもろいものなのかとため息混じりに実感させられています。
 一人の市民が「なんかものが言いにくくなった」「周りの目が気になる」などと、なにかしら強い力の影に怖さを感じ始めたら...、それが隣へと伝わり、さらにその隣へと連鎖しひたひたと広がって行くのではないでしょうか。
 私は影の力を感じながら自由にしゃべれない雰囲気がきらいです。
 そこで、恥ずかしがり屋の私ではありますが、今自分の意見を表明したくなりました。妻に相談して看板を出すことに決め、いっしょに段ボールを切り、色ケント紙を両面テープで張って、その上に妻がマジックで勢いよく書いてくれました。「私は、大阪都構想に反対します!」と。気の弱い私は、通りかかる人の視線を気に掛けながら玄関の門柱に看板を括り付けたのですが、家に入ってからも近所の人たちはどう思うやろ?付き合いは変わらへんやろか?どんな顔して話したらええのか?…などとぐずぐずと考えてしまいます。権力の影におびえたくないと、ついさっき大見得を切ったところなのに、近所づきあいになるとこの有様です。情けない話です。
 2階にいる私の耳に家の前で語り合う3人とおぼしきおばあさんたちの会話が聞こえてきました。ひとしきり世間話をした後、「松森さんがんばってはんなぁ」「そうやでがんばったはるで」「私も反対やから、ここに名前でも書かせてもらおかな」との声が聞こえてきました。
 一人の市民がちょっぴり勇気を出して隣に話しかけ、その隣の人がそのまた隣に声を掛け、「何かわけのわからない口をつぐんでしまう怖さ」の連鎖を、押しとどめ追いやるようなちょっとしたキッカケが、日常生活の中で必要ではないかと思っています。
 さてこれからどんなハプニングやらが起こるでしょうか。またお知らせできればと思います。


167.障害者の高校受験も終わって(2015年4月11日)
 まず今回の高校受験の結果が報告されました。北河内連絡会に顔を出してくれた19人の人たちは、自立支援コース1名、定時制高校2名、高等支援学校5名、支援学校2名、私立高校3名、専門学校6名という進路が決まりました。青春真っ只中の高校生活が始まります。
 3月で高校を卒業した二人に会からお祝いの花束を贈呈、前に出たYさんは、いつものハニカミを満面の笑みに変えて「ありがとう」と大きな声であいさつしてくれました。新みすずさんは、娘のマチコさんと10年間高校受験をしてつかみとった高校生活が、どれほど大きな成長をマチコさんにもたらしたかを語りました。いろいろな地域で、特に若い保護者の人たちに、ぜひ新さんの話を聞いてほしいと思いました。
 廣木佳蓮さんは19歳の大学生。弟の自閉症のオウガさんとの暮らしを「おーい!おーちゃん!障がいのある弟とのハッピーディズ」と題して話してくれました。会場を笑いに包む話しぶりには驚くばかり。中学3年生の時、「お前の弟、ガイジやろ!」と言われたのをきっかけに、「障がいって何なのか?」「どうして差別はなくならないんだろう?」と深く考えるようになったといいます。
 新居真理さんから優太郎さんの受験について話した後、映画『風は生きよという』の優太郎さん「主演」の部分を鑑賞しました。
 私は話を聞きながら「FB友だち」(と言わせてください)の山下浩志さんの「障害というしがらみを生きる」という言葉を思い出しました。新さんも新居さんも、19歳の佳蓮さんもみんなしがらみを生きている、しかもしがらみを楽しんでいると私は思いました。すでに人生の達人です。娘や息子や弟と共に生きることで。
 もう一つは、「選択する」という言葉です。会場に集まった受験生や保護者の皆さんがみんな受験で悩み、とまどい、考え、話し合って考えました。そして、選択しました。一般の高校受験は点数で学校を決め、あるいは学校や塾に決められ、合格・不合格も点数がよかった、足りなかったで納得してしまいます。学校の教育内容や、雰囲気、高校生活で求めるものなど、生徒も親もほとんど考えることなく済ませているのではないでしょうか。そう思うと、障害者の高校受験の取り組みは、生き方の選択でもあると、その姿を見て何度も考えさせられました。

166.チャン・イーモウ監督『妻への家路』 
 
映画『みんなの学校』を観ようと、十三第七芸めざして家を飛び出したのですが梅田についた時点で間に合わないことが判明、各劇場案内を調べ直して梅田ステーションシネマの『妻への家路』を観ることにしました。
 監督チャン・イーモウ、主演コン・リーとチラシの文字を見ただけでぜひ見たいと思っていた作品です。かつてデビュー作の『紅いコーリャン』(1987)を観たときに、歴史というものを目を逸らさずに正面から見据える力と、歴史に翻弄されながらも懸命に生きる人・庶民を描く深い眼差しに圧倒されました。コン・リーの美しさと生命力、それを象徴するかのような赤を基調とした画面の色彩の美しさが今も蘇ってきます。私と同年齢の監督自身が文化大革命で下方され農場や紡績工場で強制労働させられた経験が、事実と向き合う微動だにしない視点と、映像に描き切る覚悟をもたらしたのだろうと推測したものでした。この監督の作品は、どんな作品でも、全て見ようと自分なりに思い決めました。その後の『活きる』『あの子を探して』『初恋の来た道』は、私が特に好きな...作品です。

 その後、ハリウッドで映画を撮ったり、北京オリンピック開会式の総監督を務めたりした時には、私のチャン・イーモウ像との齟齬を感じたりしたのですが、今も政府の検閲がある国の中で、自分の表現を守るためのしたたかで現実主義的な態度であるのかもしれないと、思ったりもしました。
 その最新作ですから見逃す訳には行きません。ストーリーは書かないことにします。是非見てください。オープニングのシーンから、エンドロールの最後まで、私の目と耳が釘付けになり心が激しく揺さぶられ続けました。チャン・イーモウの世界観と歴史観、思想はやはり健在でした。『紅いコーリャン』から27年経ったコン・リーは年齢を重ね、中国女性の歴史を背負って生きる日常を見事に演じています。また名作が誕生しました。
 残念なのは、観客が少ないこと。私と同じくらいの年恰好のご夫婦が、劇場にまばらに座っています。おそらくテレビやラジオ、新聞で、「文革、永久革命、造反有理…」などの言葉にちょっぴり胸躍らせたり、失望したりした世代で、『紅いコーリャン』に見入った人たちではないかと勝手に想像していました。私はひとりで観たのですが!?


165.障害のある生徒の高校受験
(2015年3月18日)

 223日大阪府立高校の前期入学試験が行われました。今年もたくさんの障害のある生徒が高校受験に挑戦しました。私も仲間に入れてもらっている“知的障害者を普通高校へ北河内連絡会”に参加する寝屋川市と枚方市在住の生徒だけでも17人の人が受験しました。支援学校ではなく、(普通高校に設けられた)「自立支援コース」や(高等支援学校に籍を置きながら普通高校に通学する)「共生推進コース」も含めて、一般高校への受験です。
 その中の一人にYさんがいます。人工呼吸器をつけて、全介護が必要なYさんですが、中学生から地域の学校に行きたいと願って、支援学校から公立中学校に転校しました。3年間の中学生活を送る中で、友だちや職員、校長、教頭が変わって行き、今では毎日楽しい学校生活を送っています。Yさんとの関わりの距離が近い程、また関わりの時間が長い程、お互いの理解が進み、変わって行くのだと改めて思い知ることになりました。
 そのYさんは、当たり前のように、支援学校ではなくみんなと一緒に普通の高校へ行きたいと希望しました。今は受験を希望して拒否する学校はありません。しかし一方で「どうぞ」と言いながら、「受験に合格してはいってください」ということになるわけです。
 だからこれまで20年以上にもわたって、府教委と話し合いながら一人ひとりに必要な「受験上の配慮事項」を、その都度作って対応してきました。別室で受験するとか、問題用紙の拡大、代読、代筆、問題用紙と回答用紙を分けない、時間の延長…など、様々な工夫を生み出してきました・・・
※続きは『折々の記』で

164.後藤健二さんの魂をバトンリレーする(2015年3月4日更新)
 私は「魂のバトンリレー」という言葉を使います。広島の被爆者の方や、水俣病の患者さんや、沖縄戦の体験者の方たちとお付き合いさせていただいたり、お話を伺ったり、話を交わしたりしながら、いつも思うことがありました。なぜこの方たちはこんなに激しく闘い続ける強さを持っておられるのか、そしてなぜこれほど人に対する深い優しさを持っておられるのだろうかと不思議でもありました。みなさんが、親であったり子どもやきょうだいや、親類、友だち…など、身近な人たちを数多く亡くしておられます。ひょっとしてその亡くなられた人たちの魂と共に生きておられるのではないか、共に生きる魂の数だけ人は強く、優しくなれるのではないだろうかと考えるようになりました。
 これは運動論ではなく、決してこの魂を裏切るわけには行かないという覚悟といえばよいでしょうか。それを魂のバトンリレーと呼んでいます。例えば宮城喜久子さんの魂を裏切るわけには行かない、だから私はこう発言し、こう書く、行動するんだというように。
 私も63歳になって共に生きる魂の数が少しは増えたような気がしています。3年前に生死の境を往き来した時に、こちら側の世界にとどめさせたのは、あるいは共に生きる魂の力ではなかったのかと思う時もあります。まだお前はバトンをつなぐ仕事が終わってないではないか、といわんばかりに。
 後藤健二さんが殺害されました。私は若い時のようにしなやかなフォームで右手を伸ばすことはできませんが、ぎこちない肩の痛みをこらえながら右手を後ろに伸ばし、手のひらを空に向かって一杯に広げて、ここにバトンを託してくださいと意思表示して、後藤さんの魂のバトンを受け取りたいと思っています。


163.安倍政権と軍事力は国民ではなく、国家を守ろうとしている
(2015年2月14日更新)

今回のイスラム国による人質事件を通して、安倍政権と軍事力は国民を守るものではないと痛感しています。では何を守ろうとするのか、国民ではなく国家を守ろうとしているのだと思います。報道によれば、湯川遥菜さんが拘束されたのは昨年8月で、後藤健二さんの誘拐情報も、昨年11月には政府が把握していたのは間違いありません。実家に身代金の要求も届いていたといいます。それを把握しながら、安倍首相は117日にエジプトで「イスラム国」への対応として難民支援などに2億ドルの無償資金協力を行うことを発表しました。しかも「ISIL・イスラム国」と闘う周辺国を支援すると自信に満ちた声で高らかに宣言しました。さらにイスラエルを訪問して、ネタニヤフ首相と握手し、「テロ対策で連携する」と「力強く」述べました。パレスチナの人々を虐殺している張本人と一心同体であると、「イスラム国」だけではなく広くイスラムの人たちの目に映ったのではないでしょうか。このことがすでに伝えられていたに違いない「人質の解放」に向けた交渉に不利に働くことは、誰の目にも明らかなことです。

むしろ中東を歴訪して、首脳と握手を交わしながら「欧米先進国と連携して対テロ戦争に取り組む」と世界に向かって謳いあげる姿は、自らのパフォーマンスに高揚し酔いしれていたというべきです。そこには誘拐され、いつ殺害されるかわからない恐怖におびえる日本国民と、日々不安にさいなまれているその家族がいることなど、思いも及ばなかったとしか思われません。逆に「イスラム国」からのネットの映像公開によって、いのちの危機に瀕する二人の日本国民の存在を「思い出した」のではないかと、私にはそう思われます。

沖縄戦を体験された方の話を聞くときに、「軍隊は国民を守らない」という言葉を何度も耳にしましたが、いまその意味が実感として理解できます。一方で後藤さんと湯川さんを解放するために市民の側から、世界の市民に向かって、政府に向かって、そして「イスラム国」に向かって様々な取り組みが続けられていることも、大きな手ごたえを持って感じています。いったい国、国家とは何なのか?国民とは何なのか?改めて考えてしまいます。私も小さな小さなひとりにすぎませんが、できることを取り組みたいと思っています。

162.2015年あけましておめでとうございます

心不全で緊急入院してから3年、二回目の命をゆっくりゆっくり、のんびりのんびり、じっくりじっくりと生きています。
 とめどなく格差が広がり、戦争の出来る国に向かってひた走る世の中で、自分の居場所が見えてきました。大きい人間ではなく小さい人間の立場から、する側ではなくされる側から、戦争で殺す側ではなく殺される側から、教える側ではなく学ぶ側から見つめ、声を上げて、つながり、行動するということです。鳥が全体を見下ろす視線ではなく、地面を這う虫がギロギロ目玉を動かすような、身の丈に合った思想とでもいえるでしょうか。
 小田実はこんなことを書いています。―「小さな人間」には戦争を起こす力はありませんけれども、戦争をやめさせる力は持っています。その認識と思考が私にはあります。「大きな人間」が戦争を起こそうとしても、「小さな人間」がいないと戦争はできない。これはもう古今東西の歴史に残っている事実です。いくら「大きな人間」がやっきになって戦争しろと叫んでも、「小さな人間」が動かないと結局戦争はできない。このことを忘れてはいけないと思います。つまり「小さな人間」が自分たちの力を信じて戦争に反対する限り、戦争はできない。あるいは戦争をやめさせることができる。その認識の上で、戦争をやめさせるにはどうしたらよいかという思想の自由、思考の自由がもっと求められています―
 自分もその一人である、隣通しで肩を並べ、普段言葉を交わしている「小さな人間」のことを、この1年しっかり考えていきたいと思っています。

161.衆議院選挙を終えて(2014年1月11日更新)

47回衆議院選挙が終わりました。終わってみれば、マスコミの一斉報道があった「自民党単独で300越え」も「3分の2越え」もなく、かといって「民主党の巻き返し」もなく、自公の与党が「324 → 325」に1議席増やしただけの変化でした。600億円の貴重な税金を使って、正に大山鳴動してネズミ一匹を地で行く結果であり、数字から見ても「大義なき解散総選挙」だったと言わねばなりません。
しかし安倍晋三は、政権への批判が渦巻きだした政治とカネの問題も、経済成長率の失速も、貧富と格差が生み出す悲鳴もなかったかのように、あらためて「国民の圧倒的支持を得た」と豪語しながら、アベノミクスの勝利と更なる経済政策の推進に取り組むと熱弁をふるいます。選挙中避けて触れなかった集団的自衛権など国家安全保障の問題や原発再稼働、さらに憲法改正を「十分国民の理解を得た」ので、推進すると言い放っています。つまり安倍の筋書き通りの展開が生まれたのです。

これでは権力者のつくった「選挙劇」に踊らされ操られた国民は、その多くが落胆し政治不信・政党不信に陥ってしまいます。52.66%という戦後最低の投票率ではあっても、その投票に行った者たちの中に落胆と政治不信をひろげ、投票に行かなかった47.34%の者たちと相俟って、国民の政治離れが加速するのではないでしょうか。

日本の民主主義が未成熟を通り越して、崩壊に至ろうとしているこのときに、政治家はもちろんのことだれも責任を取ろうとしないのが、いまの日本社会であるような気がして仕方ありません。

それでも私は1年間続けてきたFBへの「抗議の意思」の投稿をこれからも続けようと思います。なぜやめないのか、きっとあきらめたくないからだと思います。実際にあきらめていないのですから。ではなぜあきらめないのか、「私があきらめない理由」も、考えみたいと思っています。

160.沖縄県知事選と解散総選挙(2014年12月17日更新)

沖縄県知事選で、米軍基地辺野古移設反対の翁長さんが圧勝しました。投票率64.13%(前回知事選より3.25ポイント高い)、得票率は50%を超えていました。同時に行われた那覇市長選でも、城間さんが自民・公明推薦候補を2倍近い大差で破っています。沖縄県民の意思は明確に示されました。

それでもなお菅義偉官房長官は「国の安全保障の問題であるから、粛々と辺野古基地建設を進める」と言い放ちます。「粛々」との言い回しが奇妙なので辞書を引くと「(緊張して)静かに行動する様子だ。」(三省堂新明解国語辞典)と。つまり周りの物音に心を乱されず、耳をふさいで、無視をして、緊張しながらも既定の行動を続けると言うことでしょうか。「慰安婦問題」で朝日新聞の訂正記事が出たときには、ありとあらゆるマスメディアを使って朝日への批判攻撃をやり、従軍慰安婦の事実そのものまでを否定するかのような大宣伝を世界に向かって発信しているのに、打って変わって県民・国民からの批判の声には「シュクシュクと」無視をするというのです。
 福島が何も終わっていないのに、福島をはじめ被災地の声には耳を貸さず、原発再稼働や輸出を進める。世論の過半数の反対があり、各地でデモや集会や署名活動が続いているのに、特定秘密保護法や集団的自衛権を力づくで決定する。国家という大義のためには、国民の声を無視して、ただ粛々とことを行う、それが安倍政権の「やり方」なのだと思います。その「やり方」に「NO」を突きつけたのが、今回の沖縄県の知事選だったのではないでしょうか。
GDPが年1.6%減との速報が出されました。トヨタやユニクロなどの大企業が円安を背景に増収増益を上げ続けるなかでのこの落ち込みは、中小企業経営の厳しさを如実に示すもので、増々格差が広がろうとしています。経済の「やり方」・アベノミクスも同じです、大企業と金融・株価だけに目が行って、国民の経済活動、生活には目もくれないで「シュクシュク」と進められようとしています。
 更に国民を無視して、安倍政権の都合だけで解散総選挙が行われます。「民主主義の形が問われている」といいます、確かにその通りなのですが、もう安倍政権の「やり口」にはガマンがなりません。


159.「9条を持つ日本国民にノーベル平和賞を」の意味

久しぶりに朝日新聞の記事に元気をもらった。20141011日の「天声人語」である。前夜のノーベル平和賞発表を受けて、「憲法9条にノーベル平和賞を」の市民運動を紹介している。今年度は、パキスタンのマララ・ユスフザイ(Malala Yousafzai)さん(17)とインドのカイラシュ・サトヤルティ(Kailash Satyarthi)さんの2人が受賞した。様々な政治的な思惑も推測されるのかもしれないが、アジアからの二人の受賞をすなおに歓迎したい。

 神奈川県の主婦が始めた運動が全国に広がったのだそうだが、私はこの発想とあくまでも市民が担って広がり続ける運動が好きだ。ノーベル賞委員会から、条文や物に賞を与えることはできないとの連絡が入るや、なんと「69年間憲法を守って戦争を起こさなかった日本国民」を対象にしてほしいと提案したという。

 世界にすばらしい頭脳や、活動をして、人類の発展に寄与した特筆すべき人物はもちろんいる。同時に歴史に特筆すべき悪行をもたらした人物もいる。しかし平和な国家や豊かな社会をつくるために、あるいは差別や抑圧、貧困から解放するために活躍した政治的なリーダーや運動のリーダーがいる一方で、それを支えおし進めた名もなき無数の人々があることも事実である。その逆の国家や社会や状況を生み出し、人間の権利と尊厳を奪い尽くすリーダーがいると同時に、それを支えおし進めた名もなき無数の人々もあった。

 それを思えば、「憲法9条を持つ日本国民」にノーベル平和賞をと訴える市民運動の発想と取り組みは、尚のこと大きな意味を持つと思われる。安倍晋三政権の戦争の出来る国づくりと、弱肉強食の経済政策を力づくでおし進める横暴がきわまる中で、これまでの既存の組織や政党だけにとらわれない、「ただ黙ってやられるだけに任せるわけには行かせない」新たな知恵と力のつながりが生まれようとしているのかもしれないという希望を、私は感じている。

158. 思うように更新が進まない
 
ホームぺージの更新がなかなか思い通りに進まない。今回も1カ月半ぶりに書き始めている。といっても何もしないでいるわけではない。自分が今書きたいと思ったことは、2日に1度くらいのペースでフェイスブックに投稿している。HPに手が届かないというのが現状である。
 ではなぜHPよりもFBに先に書いてしまうのかと言えば、何といっても反応が直接に返ってくるからだと思う。しかも知らない人から質問や意見がコメントされ、その返事を書くとさらに応答があって、しばし意見の交換が続くこともある。「対話」が生まれるのだ。
 実際私も「集団的自衛権の閣議決定」や「総合学習」「障害児の高校入学」の記事において、たくさんの人たちから賛成反対、疑問などが寄せられ、深い議論が交流できた実感がある。「対話」を交わせた満足もあった。
 「友だち」や「いいね」、「シェア」「コメント」・・・などらの仕組みは、よくできてるなと感心することしきりである。大げさな言い方になるかもしれないが、世界の人々と情報交換し、対話することのできる仕組みを、私たち一人ひとりが手にすることができていると言ってもいいのではないだろうか。
またHPを更新するよりもはるかに簡単な操作で書き込める。
 いきおいHPから手が遠のいてしまうというものだ。かといってHPは私にとって、ライフワークでもあるし、自身の資料の整理棚でもある。放置したままにするわけには行かない。そこで、ひとつ妙案が浮かんだ。FBに書いた文章のいくつかをHPにも転載してみようと思う。選ぶ観点は「対話」的なものとしようと考えている。なんとか続けられると自分では踏んでいるのだが、さてどうなることやら。


157.長崎『平和宣言』『平和への誓い』と、安部晋三の「コピペ」の落差に愕然
(2014.10.4更新)
 
戦後69年目の広島、長崎の原爆忌が終わりました。特に私は長崎の「平和宣言」と被爆者代表の「平和への誓い」に感銘を受けました。平和宣言は、起草委員会で話し合い、何度も推敲し議論を重ねながら書き上げられて行くのだと聞いています。田上市長の考えや決意も込められながら。「平和への誓い」は、今年の代表の城台さんが書き起こされました。一語一語を選び、一字一句を書いては消し、消しては書くという、試行錯誤の作業を繰り返しながら文章の連なりが生まれてきたのだと思います。それは世界や日本の歴史、社会や個人の歴史を振り返り、現実を直視し、将来に向かって思いを馳せながらの営みであったにちがいありません。
 そうして出来上がった文章を、被爆して亡くなった方たちの魂に向かって、あるいは自分の家族や、広島市民に向かって、国民や世界の人た...ちに向かって、また核保有国の指導者たちに向かって、読み上げ、訴えかけていました。
 一方で安倍晋三の「首相挨拶」を、「こんなものか」と無感動に聞いていたのですが、実は昨年の「あいさつ」とほとんど違わぬ「コピペ」であったことを知り唖然としてしまいました。それを問われた広報担当官の「新しい取り組みを付け足しているので問題はない」とのコメントを見て、ヒックリカエリソウになりました。

続きの全文は「折々の記」で(ここをクリック


156.ホームページ開設10周年(2014.8.10更新)
 200477日にホームぺージ『餓鬼者』を開設して、今年で10周年になる。誰も褒めてくれそうにないので、それでは大いに自画自賛したいと思って書き始めた。

 そもそものきっかけは松下竜一さんとの出会いに逆戻る。松下さん主宰のミニコミ誌「草の根通信」に19971月号から連載を始めたのだが、当初、私は原稿用紙に書き、赤ペンで推敲したものを松下さんに送っていた。そんな書き方しかできなかった。ところがひょっとして松下さんが一字一字印刷用の原稿用紙に書き写されているのではと、咳き込みながら作業を続ける姿が浮かび冷や汗を流してしまい、以後慣れぬ手つきでワープロのキーボードを一本指で押しながら書いてきたという経験がある。ましてやパソコンは遥か離れた世界の存在であった。

 20027月号で5年半の連載を終えたのだが、学校教育をめぐる状況は、「子どもの学びを生み出しながら、子どもたちとつくる教育改革」とはかけ離れた、当時の小泉構造改革のトップダウン方式をまねるかのような制度改革の押し付けで息苦しさが充満していた。そんな中で、教師だけではなく、職業も年齢も立場も異なる様々な人たちが、子どもたちもいっしょに、気楽に私たちの側の教育改革を語り合える場がつくれないものかと考えるようになった。

 そんな声に応え、社会に発信してきたのが「草の根通信」であったのだが、2003年に松下さんが倒れられ、翌年6月に亡くなられて、廃刊となってしまった。はたと思い至ったのがインターネットのホームページである。ソフマップに足を運び「簡単ホームページ・ビルダーV8」のソフトを購入し、「超図解ホームページ・ビルダー」の手引書と首っ引きでホームページの開設に取り組んだ。われながら想像だにしなかったことだけれど、一人でも多くの人に読んでほしい、一緒に教育を語り合いたいとの思いのなせる業であったのかもしれない。よくぞこの私が、と思い返すたびに不思議な気がしてくる。・・・続きの全文は「折々の記」で(ここをクリック


155.中津・阿蘇・水俣を旅する(2014.7.28更新)
 6月7日から10日、妻と二人で大分県中津、熊本県阿蘇、水俣を旅した。私にとって思い入れのある旅であった。中津は、松下竜一さんを偲ぶ第10回?竜一忌?が、最終回として開催された。2004年に松下さんが亡くなってから欠かすことなく参加してきた?竜一忌?であった。「私の生き方をさし示してほしい」とまでは言わないが、こんな世の中・社会・状況の中を生きるにあたって、せめて「わたしの立っている位置を知るための羅針盤」として、毎年参加していたように思う。行き帰りの列車の中で、或いは?竜一忌?で交わされる全国各地の情報の交流や、生き方、暮らし方、たたかい方の話を聞きながら、「今の私の考えや言葉や行動は、はたしてこれでよいのかどうか」天国の松下さんと対話を続けるかけがえのない時間であった。
 これで最後となるのは寂しいが、確かに10回目とは、区切りの年なのかもしれない。これからは、自分の生活の場で松下さんと対話しながら、自分で判断し、決めて行くときなのであろう。時あたかも安倍自民党政権が戦争に向かってなりふり構わず突き進む状況と、いかに対峙するのか、さっそく松下さんに問われ、試されているように思われてくる。よもや引き下がることはできぬ、と覚悟を決めた。
 水俣では、30年ぶりに胎児性水俣病患者の金子雄二さんと加賀田清子さんに再会した。かつて小学4年生の子どもたちが水俣病を学習する中で「胎児性患者の人たちに会いたい」と声を上げた。一方でそれまで家に引きこもっていた胎児性患者さんたちが「自分たちの身体と声で水俣病を訴えたい」と声を上げ、市内で映画会を上映したりミニ集会に参加し始めていた。その両者がみごとに出合い、胎児性患者さんたちが大阪にやってきて、子どもたちと学習に取り組む授業が実現した。「自分の力で生きて行くのが幸せか、たすけてもらいながら生きて行くのが幸せか」という授業のテーマは、そのまま胎児性患者さんたちと、子どもたちが直面する切実な課題であった。
 学年授業は、その場にいたカネユウも子どもたちも、教師や、取材でテレビカメラを回していたスタッフも、みんなが「生きること」について深く考え合う時間となった。その時に支援者として同行してくださった浮浪雲工房の金指順平さん、宏子さん夫妻と、相思社の弘津敏男さんともお会いして、30年ぶりのメンバー5人と会うことができた。
 私が入院して半ばあきらめていた「全国のお世話になった人たちへの、お礼の行脚」であったが、3年たってようやくその一歩を歩みだすことができた。その思いもまた、私のからだを心地好い興奮となって駆け抜けてくれた。


154.美輪明宏『愛の賛歌』を観る
(2014.6.22更新)
 大阪フェスティバルホールで、美輪明宏主演・演出の『愛の賛歌・エディットピアフ物語』を観た。会場入口に張られた小さな紙片にまず目を奪われた。「上演時間 ・第1幕80分 ・第2幕50分 ・第3幕60分」と書かれてある。「観劇するのなら覚悟して観ることね!」と、最初から檄を飛ばされているようで、心地好いものではあるけれど、緊張を感じた。場内は3階席まで満席。年齢を問わず、人気を博す美輪明宏の現在を観る思いがした。
 休憩も入れて3時間40分があっという間に過ぎ去った。ひとえに美輪明宏の魅惑的な存在感と、圧倒的な歌唱力が聴衆を惹きつけてやまないのだと思う。全6曲を堪能したのだけれど、やはり圧巻だったのは、恋人のセルダンが飛行機事故で死亡した報せを受けて、悲しみと衝撃でうちひしがれる中、舞台のスポットライトの中に立ち、「今夜はマルセル・セルダンのために歌います。彼ひとりのために」と語り歌う『愛の賛歌』だった。
 「広大無辺のこの宇宙に匹敵する偉大な存在、それは、愛する心です。」こんな歯の浮くようなセリフをあたりまえに言えるのは、この人を置いてないだろう。最終場面で、若い伴侶のテオ・サラポの歌声を聞きながら、男性との出会いや交流出来事を回想する場面があるが、エディット・ピアフの歩みと重ねながら、美輪明宏自身の個人史を回想しているのではないかと思えてくる。
 フェスティバルホールを満席にした聴衆が美輪明宏の演技に酔い、歌に涙して、スタンディングオーベーションが鳴りやまなかった。被爆者であり、性的少数者や底辺労働者、社会的弱者の被差別の側に依拠して、世間的常識とたたかいながら常に前衛を走り続けてきた彼に対して、この国と国民は理解を示して来たとは思えないし、決してやさしくはなかったはずである。一方で、現在美輪明宏が若者から老人に至るまで人気を博し、支持されるようすを見て、まだ世間の健全さと寛容さはあるのだとも思った。それは日本国憲法が68年の歳月をかけて培ってきたものであるといってもよいだろう。実際、美輪明宏は憲法を守り、戦争に反対する明確なメッセージを発信していることでも知られている。

153.憲法を読む
 
5月3日の憲法記念日に、「九条の会おおさか」主宰の「憲法記念日の集い」に家族で参加した。会場となった大阪城野外音楽堂は3,000人の参加者で芝生席も通路も立錐の余地がない程にうずまっていた。安倍晋三政権が国民の声を無視して矢継ぎ早に打ち出してきた、特定秘密保護法、武器輸出3原則のなし崩し、日本版NSC(国家安全保障会議)、集団的自衛権の解釈改憲、教育制度を根幹から転換する政策、原発再稼働と原発輸出・・・、などとなりふり構わぬ強制力を発揮して国のかたちを変えようとする横暴に、危機感を募らせる風潮が広がっていることの表れでもあるだろう。「このままでは、実際に戦争が始まるかもしれない」との具体的な肌触りを感じる人も少ないくないだろう。
 改めて日本国憲法と、2012年に出された「自民党憲法改正草案」を読み比べてみた。「草案」は、憲法の唱える「平和主義、主権在民、基本的人権」を否定するものであり、戦後69年間憲法を守り、平和を享受しながら経済を成長させ、国民生活をつくり上げてきた日本人の努力を真っ向から否定している。
 世界に向かって宣言するかのような「我が国が・・・諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」とのくだりなど、傲慢で不寛容、不誠実な大国主義が顔を覗かせ、これが安倍晋三の言う「積極的平和主義」の正体なのだと見て取れる。
 日本国憲法は世界の英知と良心が日本という国で日本人の手を通して結実したものであり、世界の人々が共有すべき財産であり希望でもあると思う。「押しつけ憲法」「自虐史観」などと批判する声もあるが、それこそが卑屈な態度といわねばならない。
 日本語としてもすばらしい文章であり、「これが私たちの国の憲法です」と誇りを持って掲げ示すことのできるものだ。まず読んでみてはいかがであろうか。そして町のあちこちで、憲法の話が交わされる、そんな国に日本がなることを私は願っている。
 日本国憲法と自民党憲法改正草案を読み比べできるページを「リンク集」に付けておきます。
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152.大阪市長選が終わった
(2014.5.7更新)
 
橋下徹氏はどこまでわがままを主張し、市民を振り回すのか、私たちは振り回されるのか。
 市民にとって全く意義の見いだせない、しかも6男億円以上の税金を使った大阪市長選が終わった。結果は、投票率は史上最低の23.59%、得票橋下徹377,472票、無効票は、次点の藤島氏の24,004票を凌ぐ67,506票(13.5%)、うち白票が45,098票(9.04%)であった。つまり無効票の中の22,408票分の投票用紙には、投票者の意見や抗議の意思が記されていたと考えられる。
 ちなみに私は投票直前まで迷いに迷っていた。@棄権をするか。しかし貴重な選挙権をおいそれと放棄するわけには行かない。A白票を投じるか。しかしこの怒りを託すには物足りなさを感じてしまう。B投票用紙に抗議の意思を書くか、×を付ける。これは投票総数にカウントされるのだろうか・・・などら、なんでこんなことに気をつかい心を惑わされなければならないのかと、改めて怒りが込み上がって来たものであった。結局、期日前投票に行き、用紙に「わたしは大阪都構想に反対します。」と書いて投票した。
 さて、投票結果が出た3月23日午後9時を過ぎても橋下氏はマスコミの前に現れて会見を開かなかった。思惑通りに進まなかった腹いせをマスコミにぶつけるためか、あるいは自信のなさなのか。しかし6億円もの税金を使っていながら、市民への説明を拒否する態度は無責任も甚だしいものがある。
 翌日、一転して記者会見を行い、「都構想は住民投票で決めるべきだと明らかになった選挙だ」と強調。同時に「歴代市長より多い37万票を得た。全面的な強い信任を受けたわけではないが、選挙戦で掲げたことを進めさせてもらう」と、一定の民意を得たと平然と主張した。
 普通に考えれば、あるいはあたりまえの感覚で見れば、市民の疑問、批判、反対の意思が突き付けられたのであり、その意味で橋下徹氏は選挙戦に敗れたのである。
 橋下徹という奇をてらった政治手法を駆使した政治家の「旬」は終わろうとしているが、その根底にあったのは、議会制民主主義の否定と、「決められる」強い政治家を待望する風潮でありそれを助長してきたマスコミの報道の在り方でもあった。それは今も大阪に、いや日本の中に蔓延している。今回の選挙を通して、任せるのではなく、私たち自身が参加することの意味と必要性をもう一度考える機会になれば、せめてもの見返りを得られるということになるのかもしれない。


151.奇妙な感覚
(2014.3.25更新)

 
どうも最近奇妙な感覚に取りつかれているような気がして仕方がない。思えばインターネット上の仮想通貨「ビットコイン」について、「ビットコインの世界最大級の取引所マウントゴックス(東京)が先月末、不正アクセスで顧客のコインや現金約500億円相当を失ったとして経営破綻した」と、新聞テレビなどで連日報道が続いたことがきっかけであったかもしれない。
 そもそもビットコインの仕組みそのものが、私の生活感覚では受け付けないし、それゆえ理解できようはずもない。ただ世界のインターネット上を自由に動き回ることが可能であるらしいので、インターネットの匿名性と速度からすれば、麻薬の密売など犯罪に活用するにはうってつけのシステムではないのかと思ってしまう。
 政府や金融機関が「政府や中央銀行の信用力という後ろ盾を持たない危うさ」を指摘し、危険性を十分承知の上で自己責任で扱うようにと注意を発しているが、では一方で、実際の「通貨」そのものは、本当に「政府や中央銀行の信用力という後ろ盾」を持っているのだろうか。
 例えば日本とアメリカというGDP世界3位と1位の国が「雲をつかむような、現実感がマヒするような」巨額の国債を発行して、他の国や投資家から借金しているが、はたしてそれは「ちゃんと返してもらえる」のだろうか。「国や中央銀行が担保する」との言葉は信じられるのだろうか。世界の他の国々の通貨は本当に信用してよいのだろうか。ましてや、アジアやアフリカなどの「発展途上国」の経済や通貨は、日本のODAのように、先進大国のお金をむりやり貸し付けて循環させているものに他ならない。それは返済されるのか。
 考えてみれば、ビットコインがインターネットという仮想空間を動き回っているのだとすれば、世界の通貨は「信用」という幻想の上を危うく動き回っていると言えるのかもしれない。
 そんなことを考えていたら、「全聾の音楽家、現代のベートーベン」佐村河内守が、とんだペテン師であったことが判明した。テレビ、新聞、週刊誌、ネットが連日詳細を伝え、「例によって」妻や義母までが登場する「芸能ネタ」扱いにまでされてしまっている。
 そしていま、STAP細胞の疑惑が取りざたされる。マスコミこぞって大賞賛の報道をし、世界に誇る研究成果と激賞して、国民の誰もが拍手を送ったその研究が、「ウソ」ではないかというのだ。「えっ!」思わず、声にならない、ため息でもつぶやきともいえない、空虚な音が漏れてしまうかのような、奇妙な感覚に襲われてしまった。
 私の周囲で起こっている、否この国の全般を覆うように起こっていることはいったいなんなんだ、と思ってしまうのだ。
 共通して言えるのは、具体的事実、真実が私たちの周りから遠ざけられてしまっている、隠されてしまっているということだ。一つ一つの事実を見て、聞いて、触れて、考える、判断するのではなく、解釈され、脚色された言葉や、図・絵・写真や、音などを介して(その代表がマスコミ)認識している、理解したつもりでいるということだ。
 3.11の東日本大震災と原発事故という未曽有の大災害、これは私たち日本の国民にとって、その誰しもが直面する紛れもない事実、真実であるはずである。だがそうだろうか、今この時期に、原発を再稼働させようとしたり、他国に売り込もうとする者たちがある。3.11の事実、真実まで隠されようとしているのだろうか。

150.東京都知事選挙とパンドラの箱
(2014.3.17更新)
 
2月9日東京都知事選挙が投開票され、残念な結果に終わった。「争点がはっきりしなかったのが敗因」と指摘する新聞やテレビニュースの解説があるが、私はそうは思わない。日本の今後を左右するテーマと諸課題が明確にあったと考えている。
 それは「脱原発」「原発をゼロにする」かどうかという選択肢である。「原発問題だけが都政の課題ではない」とか、「都民の関心は多岐にわたっており脱原発への関心度は低かった」などと報じているが、「原発即時ゼロ」を明言した宇都宮健司、細川護煕二人が得票した200万票近くの数は、決して関心の薄さを表してはいない。ましてや「再稼働を容認する」世論の勝利では断じてない。
 日本にはどす黒い闇に包まれて姿かたちは判然とは見えないが、開けてはならぬ「パンドラの箱」があるのではないかと思っている。私の知る限り、2回その箱を開けようとしたことがあった。一度は、自民党の55年体制を打ち破って、民主党が政権交代を果たしたときだ。2回目は、脱原発に向けたうねりが生まれたときである。
 政、官、財、学、検察、メディアという日本の権力を握る者たちとその組織が、長い年月をかけてつくり上げてきた利権と支配の構造を揺るがされかねない危機感をバネにして、一斉に、権力と財力を背景に、かつ狡知に長けた攻撃をしてくるという具合である。
 民主党政権崩壊の原因にはそれがあるし、今回の選挙前にも、選挙中も、選挙後においても原発問題を争点から外し、都民の関心が低いと言いくるめようと躍起になるメディアを動かす背景にそれがあるのだと思う。
 その意味で、都民、国民の側にまっすぐな視点を送る宇都宮健司が先頭を切って立候補し、さらにパンドラの箱の存在を十二分に知り尽くした細川護煕と小泉純一郎の76歳と72歳の二人組が、「原発ゼロ」を正面に掲げて都知事選に打って出た姿に、私は快哉を叫んだ。惜しむらくは、候補者を一本化できていれば、「勝利」したかもしれない。もし勝利していれば、都政だけではない、日本を変える大きな歯車が、再び動き出したのではないかと、私は考えている。
 決して敗北ではない。「原発はいらない・原子力はいらない」という声を、こんなにはっきりと宣言できたのだから。日本のどす黒い闇は、どれほど巧みに変装したつもりでも、攻撃すればするほど闇は薄れてパンドラの箱の所在が明らかにされて行くだろう。箱を開くと、中から人間の罪悪のすべてが飛び出し、後には希望が残ったと、ギリシャ神話ではそう語られる。
 3.11の大震災で、多くの命が失われ、原発事故でいまだ故郷に戻れず避難生活を余儀なくされている多くの人たちがいる。その多大な犠牲を私たちは無駄にするわけには行かない。
149.NHK受信料
 
我が家がNHKの受信料を支払うようになったのは、いつの頃からだったであろうか。確か母が「国の放送局だからちゃんと払わなければ」と言っていたことを、小学生の頃だったと思うが私はうっすらと覚えている。
 なぜそのような話を想い出したかといえば、籾井勝人(もみい・かつと)NHK会長の歴史も世界の情勢も、政治や経済の動向も顧みない、無責任極まりない暴言を、終始傲慢な態度で居丈高に話し続ける姿に怒りを覚えたことに端を発している。
 現在、私は生活クラブ連合会発行の『生活と自治』という雑誌に教育コラム「魂のバトンリレー」という連載を書く機会を与えていただいている。この雑誌は、組合員が支払う100円の購読料で発行されているので、スポンサーの顔色を伺うことなく、組合員が求める情報を、自分たちの責任で書き、編集し、伝えることができる。きわめて大きな自律性と自立性を持った情報誌となっている。おかげで、藤原新也、辺見庸、美輪明宏などという、すばらしい作家、アーティストの人たちといっしょの雑誌に書くことができるという、わが目を疑うほどの稀有な経験をさせていただくことにもなっているのだが。
 そのことを思えば、子ども心にも、本人の意志も問わずに、「国の公共放送だから当たり前」と言わんばかりに受信料をとりたてて行くことに、疑問を持っていはいたのだが、すでに支払っている立場からすれば、国家から金を貰って運営しているのではない(それにしても国民の税金ではあるのだが)、私たち国民の受信料で運営しているのだから、私たち国民の意見を聞きなさいと、直截な言葉を投げつけることができるに違いない。
 あるいは、だから受信料をはらわないのだとか、そんなところに払えないから受信料を拒否するなどと、恫喝することも決して間違ってはいないのではないか。
 国民の選挙で選ばれた国会議員によって選ばれた、総理大臣が任命した、民主主義のルールに則って決まった NHKの会長や経営委員であるのだから、何の問題もないとうそぶく声が聞こえてきそうなのだが、お金をはらっている者としての発言権を行使するべきだと思うのだ。
 知らぬ間に受信料を支払わされていたと同じように、知らぬ間に国民を欺き、情報を隠し、政府の意向に沿った情報操作をする公共メディアに変質させられていたのでは、あまりに国民を馬鹿にした話である。


148.2014年 あけましておめでとうございます

新しいいのちを生きています。「病を得る」との言葉が決して強がりではないことを実感しています。「松森が死にかけている」との話が流れたようで、45歳になる初めての卒業生たちが住所を調べ、連絡を取り合い、23人も集まった同窓会を開いてくれました。
 飛び出していきたくても動き切れないもどかしさに襲われる一方で、「書く」ための時間が生まれました。与えられました。『生活と自治』(生活クラブ連合会発行)という24万部発行の情報誌に教育コラム「魂のバトンリレー」の連載を始めました。80部の学級通信を印刷していた身には驚天動地の数です。5年かけて自分の36年間の仕事をまとめられたらと考えていたのですが、1月に新しい本が出版されることになりました。人生の成り行きの不思議を思わずにおれません。
 病と付き合うことで見えてきた世界があり、出会えた人たちがあります。ますます好奇心が湧き上がり、無関心でいられなくなってきました。


147.アジアの人々にはかり知れない侮辱を与えた

1226日、安倍晋三が首相として靖国神社を参拝した。これまで国家安全保障会議(日本版NSC)の設置、集団的自衛権の行使容認に向けた布石を打ち、さらに拍車をかけるように特定秘密保護法の強行採決、自衛隊の弾薬1万発を韓国軍に無償譲渡するという武器輸出三原則の形骸化とまっしぐらに突き進んでの靖国神社参拝となった。

 この人物の折々の言葉を改めて思い出して唖然とする。オリンピック招致のプレゼンテーションで「福島第1原子力発電所事故は完ぺきにコントロール下に置かれている」とか、弾薬を譲渡した時には「韓国隊隊員および避難民の生命・身体を保護するために一刻を争う」、そして今回の談話では「御英霊に…二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです」と平然と言ってのける。

 安倍の言う「積極的平和主義」とは、ひとりよがりに決めつけた「平和主義」を押し付けて他を顧みない強弁さを言うものであるらしい。押し付ける相手は、日本国民であり、かつて日本の軍隊が侵略したアジアの国々の人々に対してである。

 安倍の姿から権力者が往々にして陥るナルシズム、ヒロイズムを私は感じる。そのヒロイズムによって、私はまたしても侮辱を受けた。しかしアジアの人々は、さらに計り知れぬほど大きな侮辱を感じたに違いない。

146.特定秘密保護法強行採決
 
12月7日「特定秘密保護法」が自民・公明両党の圧倒的多数の数の力で強行採決されてしまった。
 審議時間もほとんどとられず、法案の中身も曖昧なまま、なによりも国民の中に慎重審議を求める強い声と、不安が時間の経過とともに高まっているにもかかわらず、否むしろ国民が法案に対する関心を持ち議論を起こすことに恐怖し、それを避ける戦術であったかのように、異常な早さで採決が強行された。
 8日のサンデーモーニングで、田中秀征は、「政府が国民を信じているかどうかが背景にある。信じていないからこんな法律が出されてくる。信じていれば、もっと多くの情報を提供して国民が考えやすくするはずだ」と言っていたが、同時に政権・与党の政治家たちは「国民は時間が経てば忘れるものだ」と高をくくっているように思われてならない。
 さてこのような状況下で私たちは何をどうすればよいのだろうか?さしずめ私は「この日」を忘れず、抗議の意思を表明し、自分の考えを確認するために、「7」のつく日にフェイスブックに以下の文を投稿しつづけようと思う。次の衆議院・参議院選挙の日まで。

 
私は「特定秘密保護法」に反対します。2013年12月7日、安倍晋三政権と自民党、公明党が、国民の声を無視して強行採決を行い、国民とその一人である私を侮辱したことを忘れません。
 私はまずここから始めようと思う。


145. ホームページが移動しました
 
これまでOCNのページONというプロバイダーを使ってHPを作成していた。10M迄無料のページを使って始めたのだが、続ける内に容量制限を超えることになり、5M超過するたびに超過料金を支払いながら運営管理を続けてきた。しかし9年も続ければついに35Mを超えることとなり、そのくり返しの手間もめんどくさくなってしまい、「10G1400円」コースのプロバイダに乗り変えることにした。
 そこからが大変で、なにせ「超図解ホームページビルダー8」と首っ引きでなんとかかんとか立ち上げたほどの知識と技量しかない者が、今度は「できるホームページビルダー16」を傍らに置きながら悪戦苦闘を繰り返すことになった。
 1か月かけてようやくスタートできそうなまでには復旧したが、まだ訪問者のアクセスカウンタの不備やら、前のHPの処理やらで多くの時間を費やす羽目に陥っている。
 しかし人間とはよくできたもので、悪戦苦闘、試行錯誤を繰り返せば繰り返すほどに、私のような初心者にもHPの仕組みの内部が垣間見えてきたり、操作が何とはなしに分かってくるから不思議である。FTP転送ツールのサーバー側に数多く並ぶファイルの文字列を見たら、9年間HPに書き続けてきた自分なりの問題意識の推移、歴史が思い起こされてくるような気がしてくる。
 このホームページは私にとって、考えをめぐらせ、まとめ、整理する場であり、資料倉庫でもある。また、他者に向かって発信し、他者と交流する場ともなっている。いつの間にかかけがえのないツールとなっていた。
 新しいサイトまでみなさんに足を運んでもらえるのかどうか分からないが、これからも細々とゆっくりゆっくりと書き続けて行きたいと、改めて心に決めているところである。


144.戦争を語り継ぐ覚悟
(2013年10月27日更新)
 87日から9日、長崎原水爆禁止世界大会に家族で参加した。特に二十歳を過ぎた娘たちに、私なりに伝えたいことがあったから。各自が分かれた分科会後の昼食時や、夕食のテーブル、移動中、宿舎の部屋でなど、戦争や核兵器、原発、政治、差別…等々、家族の話題は尽きることなく続いた。
 平和宣言で田上市長は「若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか」と問いかけ、「あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です」と訴えた。被爆者代表の「平和への誓い」でも、大会中の様々な場でも、核兵器廃絶に向けた高校生
1万人署名・平和大使の活動が紹介され、次世代につなぐ希望にもなっていた。 被爆体験、戦争体験の継承は、唯一の戦争被爆国として私たちの国民的課題であり、政府の責務である。8月6日、9日、15日を境とする前後にはヒロシマ・ナガサキ、終戦を伝えるすべてのメディアもそう報道していた。
 一方で、継承の最も具体的な場であるべき学校教育において逆行する事態が生まれていた。松江市教育委員会は、『はだしのゲン』を、子どもたちの目に届かぬように学校図書館から閉架するよう「お願い」(実質的な強制力を持った指示)を出し、また市内全ての学校がそれを受けて本を「隠して」しまった。
 しかしこれは松江市だけのことではない、私が在職した寝屋川市でも市教委の「要望」による圧力を受けて、小学校の修学旅行先を広島以外に変更させられてしまった(「折々の記」参照)。
 これが唯一の戦争被爆国として戦争体験・被爆体験の継承を国民的課題と誓う、我が国の現実であると言わねばならない。
 寺脇研さんプロデュースの映画『戦争と一人の女』を観た。寺脇さんの
若い人たちに戦争を語り継ぐ覚悟と、本気さと、勇気が私の身体をストレートに貫いた。FaceBookでその旨を書いたところ、すぐに返事をいただいた、「松森さんや私の世代は、戦争を知る大人たちの間で育ちました。それを次世代へ伝える責任があると思っています」と。
 「戦争を語り継ぐ」という掛け声だけではなく、覚悟と勇気が今問われているのだと思う。そう思いながら、映画『少年H』と、『風立ちぬ』を観たら、違ったものに見えてきた。

143.参議院選挙が終わって(2013年8月28日更新)
 
予想通り自民党の圧倒的な一人勝ちで終わった参議院選挙であった。1955年以後09年の政権交代まで続いた歴代自民党政権でも、これほど対抗勢力のない(数の上での)安定政権は初めてのことではないだろうか。
 一方で、リベラル派の政党が各種選挙のたびに議席を減らし、ついに解党に至った政党やその危機に瀕する政党がいくつもある。一つ一つの事態が、国民の投票行動、或いは非投票行動によって出現していることには違いない。だから「民主主義のルールにのっとって自民党の安定多数政権が選択された」との自画自賛の言い回しが躍ることになる。
 これまで何度か小欄でも指摘してきたことだけれど、かつてナチスを政権党に押し上げ、圧倒的多数の議席を与え、ヒトラーを頂点に立たせたのも、国民の投票行動、非投票行動によった。そして、世界大戦に突き進み、ユダヤ人大虐殺・ホロコーストへとつながったことは周知のことである。
・・・と、ここまで書いていたところに今朝の朝刊に「麻生副大臣・ある日気づいたらナチス憲法に。手口に学んだら」との記事が載っていた。
 選挙からたったの10日しか経たない内に、安定多数の座に胡坐をかいた右翼思想の独善主義が跋扈(ばっこ)している。中国や韓国の反応を一人よがり、過剰反応と呼び、危機感を演出しながら、被害者の側の受け止め方に思いを馳せる想像力を、生ぬるいと一笑に付すほどの傲慢さを隠さない。
 日本の現状を差して「戦前の影が忍び寄る」との言葉をよく目にするようになったが、或いは今この現実そのものがすでに「戦前」であるのかもしれない。実際に日中戦争・太平洋戦争へと突き進んだ「戦前」を経験した人が少ない中、「戦争を知らない世代」である私たちが、「まだ大丈夫」と思っているだけであるのかもしれない。


142.コラムの連載が始まります
(2013年8月1日更新)
「生活と自治」という生活クラブ連合会が発行する情報誌がある。「言いたいことを言うために」コマーシャルをとらず会費で運営し、しかも
24万部を発行するというのだから感嘆する。なんと7月号から私が教育のコラムを担当させていただくことになった。
 私の『餓鬼者がきもん』を読んでくださった方から推薦があったようで、学級通信を80部印刷して配布していた身からすれば、24万部という驚天動地の数に怖気づいてしまったが、引き受けさせていただくことにした。
 主な理由は大阪の仲間たちと、当時の橋下府知事の能力主義の教育改革に反対して「共に学び共に生きる教育・日本一の大阪に」を主張して行動を起こした時に、「新聞記者ですら、『共に学び・・・』との言葉を知らなかった」ことに愕然とした経験があった。
 私たちの側では当たり前の言葉でも、一般的には通用しない、市民権を得ていない言葉なのかと思い知らされた。閉鎖的な社会・組織が閉鎖的な言葉を生むことがあるが、閉鎖的な言葉が閉鎖的な組織や社会をつくってしまうこともある。「共に」というだけで通用してしまい、お互い中身を吟味することも忘れてしまったり、批判が生まれなくなってしまうといった具合に。
 今回のコラム連載を通して、内容はとても自信がないけれど、せめて「共に学び、共に生きる」という言葉を広めることに少しはお役に立てるのではないかと思った次第だ。全国色々なところで、「共に…!うん?どこかで聞いたことあるぞ」というつぶやきが漏れるようにならないかと空想も広がる。
 例えば紹介欄に書かれる「障害のある子もない子も地域の普通学校でともに学ぶ教育(インクルーシブ教育)の実践」「共に学び共に生きる子どもたち」の文字が(小さな文字だが)、毎回読者の目に入ることを期待している。『魂のバトンリレー』と題したコラム、「生活と自治」を手に取られた時にでも、目を通していただければ幸いである。


141.橋下氏会見を拒否される
(2013年7月10日)
 5月24日、橋下徹氏は元慰安婦と支援団体から会見を拒否された。その理由は、「終わらない被害者の胸痛む現実と歴史を、橋下市長の謝罪パフォーマンスと引き換えにすることはできません」と説明、「心から私たちに申し訳ないと感じ反省するならば、自身の口から出た犯罪に等しい妄言を撤回し、公式謝罪しなければならない」と主張している。(朝日新聞 5月24日夕刊)
 おそらく橋下氏(側)は、様々な側近、ブレインと打ち合わせをし、全身全霊をかけて起死回生のパフォーマンスを準備していたことは間違いない。慰安婦お二人の前で土下座してみせるシナリオがあったという話も聞こえている。
 正直なところ私も興味津々のていで会見の成り行きを注視していた一人である。一方で、橋下氏の一世一代の政治ショーが会場を埋める内外メディアによって、内容の賛否は別にしても大々的に報道されることに大きな危惧を感じてもいた。
 たとえ批判されようとも、世界中のメディアに取り上げられ、時の寵児となることが橋下氏の狙いであったであろうから。
 橋下氏の政治的な戦略・目論見(それが彼のすべてである)は、みごとに肩透かしを食うかのように、いともたやすく足をすくわれてしまった。どれほど歯ぎしりしたことであろうかと推測される。
 橋下氏の心に去来するすべてを支配する政治的思惑とは反対に、おそらく金福童さんと吉元玉さんの心にあったのは、戦後68年を経ても尚続く人間としての苦悩ではなかっただろうか。
 ―2人は来日後、橋下氏との面談について「発言を撤回しない人に会うのはいやだ」などと話し、最近では「どう対応していいのかわからない。苦しくて夜も眠れない」と訴えていたという。(朝日新聞 同上)
 当日朝に会見を拒否することは想像を絶する困惑と混乱を当事者の間にもたらしたことと思う。その勇断を下せたのは、政治的戦術的な思わくを越えた、人としての生き方・思想が根底にあったのだと、私は考えている。
 同時に私のように、元慰安婦の方の言動によって橋下批判を期待し、頼っていた者に向かって、これはあなたたち日本人の問題なのだ、日本人として発言し行動すべきなのだと、私たち一人ひとりに厳しく指摘されているように思われるのだ。

詳しくは左のアイコンから「折々の記」をご覧ください。

140.橋下徹氏の妄言
(2013年5月27日)
 
私はこれまで、公のメディアを通して、これほどまでに人間の尊厳を蹂躙する言葉を聞いたことがない。驚くべきことに、本人は一向にそのことに気づく様子はない。人間の痛みを共感することに、これほどまでに無感覚な人物に会ったこともない。
 だから5月13日の発言の後も平然と、手のひらを返したように自分が人権に対していかに敏感な考え方を持っており、沖縄の現状を問題視して変えようとしているなどと言い放つことができてしまう。
 しかししゃべればしゃべるほどに、屋上屋を架して、相手の傷口に塩を塗り込むがごとく痛めつけ、同時に橋下徹という人物の人としての貧弱さをますます露呈することになる。

 唾棄すべき言葉ではあるけれど、私は忘れたくはない、否この国の政党の代表者であり、大阪市長の言葉として忘れるべきではないと思う。言葉を大事にするところから、政治は営まれるべきだと考えるから。
 そこで、この間に私が出合った橋下氏の妄言の対極にある4人の人たちの言葉を順に紹介してみようと思う。
 まず最初は辻本清美さんが、超党派の女性国会議員の会見で発言した「大阪人の恥や!」である。端的な言葉の中に言い得て妙である。
 或いは橋下氏は、他のどの言葉よりも内面に動揺を覚えたのではないだろうか。
詳しくは左のアイコンから
「折々の記」をご覧ください。


139.HANKOTSU!?
(2013年5月20日)
 堀智晴さんと久しぶりにゆっくりとお話しする機会を得、居酒屋での談議となった。私は「教材づくり、授業づくり」の研究会を立ち上げたいとの話をした。昨年度何度も頭の中を去来して離れなかったことである。
 今、人が集まる場が必要だとの話から始まって、二人で大いに盛り上がった。・ごちゃごちゃ集まって話し合う ・月1回の定例会を設ける ・教材や授業の話をしながら、教室のできごと、悩みなど、日常の教育活動を自由に話せる場に ・若い人たちに集まってほしい ・年よりばかりが集まってもかまわない、楽しく教育を語り合おう・・・等々、酒の力も加わって話はどんどん広がり膨らんで行く。
 その中で「ハンコツセイシンが支柱になる」という話になった。なるほどと、私も大きくうなずいて合点したのだが、さて研究会への参加を促したい若い人たちに「反骨精神」はどう響くのだろうかと想像した。
 音と漢字が結び付くのか、つながったとして意味は通じるのか、通じたとして拒否反応は生まれないのか、或いは音のつながりだけでも案外「ナウイ」受け方をされるかもしれない、?HANKOTSU”と横文字で表記するのもおもしろいかもなどとにぎやかにしゃべり合った。
 若い人たちも年よりも顔を見せ、ゴチャゴチャ集まって、教育について話し合う、そこで生まれた教材や授業案は、データベース化して全国どこからでも、だれでもインターネットを通してダウンロードできる、そんな研究会をぜひとも立ち上げたいと考えている。そこには目標に掲げるまでもなく、自然に「HANKOTSU」の雰囲気が立ち上っているに違いない。


138.希望を語る こと
(2013年4月19日)
  爛漫の桜も散り春の陽光が照る。今日は多くの小・中・高等学校で始業式を迎える。それぞれの教室で、子ども同士の、或いは教師と子どもたちの数限りない新たな出会いが生まれている。
 新年度の出発にあたって、ルイ・アラゴンの有名な詩の一節が思い浮かぶ。
「教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと」(『フランスの起床ラッパ』より「ストラスブール大学の歌」)
 以前水俣の友人が私に言ったことがある、「松森さん、日本の教師のいったい何人が希望を語ることができるだろうか」と。それから四半世紀が経って、日本の教育は展望が開けるどころか、ますます困難を極める状況にある。
 子どもも、教師も、保護者も、能力主義、競争主義、成果主義の制度とシステムの中で、お互いがお互いを管理する側、管理される側、マネジメントの対象とされてしまい、教育・学校の主役から、いつの間にやら降ろされてしまった。  
 なんと行政の首長が教育の主役だというのだから本末転倒も甚だしい。始まりは「改革」「再生」などの巧妙な装いの言葉に操られ、マスコミの世論作りも手伝って、気がつくと、条例・制度の強引な力に押し切られて、身動き取れない堅牢な枠組みに押し込められてしまった。
 主役を降ろされた者、主体性を奪われた者に希望は語れない。しかしナチスドイツの占領と虐殺、大学解体に抗して人々が立ち上がった時、この「希望」の歌は歌われた。
 本来子ども、教師、保護者が向かい合い、時に切り結び、時に話し合い、力を重ねながら関わりつづける中で教育は営まれていく。競争と管理からは教育の営みは生まれない。
 教育を任せてしまってはいけないのだ。一人ひとりが「私の求める教育」について、大きな声でなくてもいいから、しかし近くの者には聞こえるくらいの声で、職員室で、家庭の団欒で、或いは立ち話で、友だちとの会話で、「私はこんな教育・授業をしてみたい」「こんな教育を求めている」「こんな学校がいいな」・・・と語り始めるとき、その一言一言に希望が託されていく、私はそう考えている。


137.大先達の行動力
(2013年4月8日)
 豊中市教職員組合の人達でつくる劇団金太郎飴の公演『ほんとうは 僕 殺したんじゃねえもの』を観た。1979年に千葉県野田市で起きた小学1年生女児殺害事件の犯人として、知的障害者の青山正さんを逮捕した、障害者差別に基づく冤罪事件「野田事件」を題材にしたものであった。
 青山さんは無実を訴えて最高裁まで争ったが、93年12月に有罪が確定、94年に14年間の獄中生活を経て満期出所した。現在大阪で暮らしながら、「青山正さんを救援する関西市民の会」を中心に再審請求の準備を進めている。
 正直なところ私の記憶からも薄れていて、今回の劇を通して改めて差別と冤罪事件の恐ろしさを痛感した。同時に年月を経て尚、支援を続け、さらに司法に挑みかかろうとする人間の良心と不屈の精神の強靱さに感動してしまう。
 劇が終了して出口に向かったところで、何と大先達の北村小夜さんにお会いした。この芝居を観るために東京から日帰りで来阪されたとのこと。しばしコーヒーを飲みながらお話をすることができたのだが、青山さんの再審請求の闘いをどう支援できるかと考えを巡らせておられた。
 87歳の行動力と精神力、そして状況と対峙して一歩も退かぬ良心と出会い、ここでもまた人間の持つ力の大きさをまざまざと感じさせられたものであった。信じるに足る人たちが多くおられるのだと。
※「野田事件」については「関西市民の会」のホームページなどを見てください

136. 若い作家の寄って立つ思想、仕事観とは(2013年3月4日)
 先日、同志社女子大学情報メディア学科10周年記念イベントに参加する機会を得た。学生スタッフの皆さんが、自分たちの考えた企画をプロデュースするために時間と労力をかけて取り組んできた努力と、成功を目指した真摯な気持ちが伝わってくる、手作り感のすがすがしいイベントであった。
 出演したのは、大宮エリーさんと、パフォーマンス集団のenra、当日発表されたサプライズゲストのKポップのF.cuzであった。
 大宮さんは、舞台上のイスに座り会場の学生たちと会話するように、自分の人生の選択について軽妙な語り口で話す。enrsは、強烈なリズムを刻むテクノポップの音楽に乗って、めまぐるしく変化する背景の映像を使いながら、身体のパフォーマンスを披露する。若い人たちの良質な表現活動を体験することができた。
 enraを主催する映像作家が登場して、これまでつくってきた作品の解説をした。その中で、「生々しい話ですが」と前置きした上で、「原発が安全であることを説明する映像作品もつくっていた」と話した。そのことを自分はどう考えているのかは触れなかったが、一瞬会場の空気が変わったと感じた。
 そして次の瞬間には、「ももいろクローバーZの武道館公演のオープニング映像もつくりました」と話し、映し出されると、羨望ともとれるため息や大きな歓声が上がり、また空気が変化した。
 その若い映像作家が原発を推進するための仕事をしたことに自己批判を込めたのかどうかは全く分からない。ただ、これからの日本の思想や文化を形づくって行くに違いない若い作家たちが、自分の仕事と思想や、状況、政治といったものとの関わり方をどう考えているのか知りたいと思った。
 CGやレーザー光線を使い東京駅やスカイツリー、神社や寺院など建造物を使った映像作品、ポップカルチャーと連携した作品作りなどを思うと、規模が大きい分資金もかかる。当然スポンサーがつくことにもなってくる。スポンサーの意向も色濃く入ってくるに違いない。そんなことを思うと、若い作家たちの寄って立つ倫理観、道徳観、思想、仕事観をぜひ聞いてみたいと思った。


135.「出直し市長選を考えていた」なんて
(2013年2月17日)
 1月26日付朝日新聞朝刊に、「橋下氏は、中止しなければ入試関連予算を執行しないと明言した。教育への政治介入との批判も予想されるため、予算停止の是非を争点に出直し選挙で民意を問おうと考えたようだ」との記事が載った。
 やっぱり桜宮高校の生徒たち、受験生、その家族、教職員の発言や、思いや考えなどには微塵も目を向けていなかったのだ。最高権力者と自負するプライドをまもるために、何が何でも自説を通さねばならない、わがままなまでの強引さが浮かんでくる。
 何たることだろうか、自分の意見を通すために、莫大な税金を使い、市民をコマのように使って投票に行かせ、賛成票の「数」によって自分の正当性を証明するための道具に使おうとしたのだ。
 この人には話し合って問題を解決していくために熟議を重ねるというルールが全く通用しない。そもそも自身の生き方の中にそうした「共につくり上げる」という流儀が毛の先ほどもないのだろう。
 教育委員も周りの役所官僚も結局脅しに負けて市長の言いなりの結論を出してしまった。まるで「裸の王様」ではないか。
 高校生たちは勇気を奮い起こして、「王様は裸だ」と大人たち、社会に向かって発言している。私は高校生たちの行動を支持する。一人ひとりの市民がもっともっと自分の考えを表明すべきではないのだろうか。
 「大阪人はシャベリ」との定説を、面白おかしくメディアは喧伝する。そのシャベリの大阪人が最も必要な時に上品に「寡黙」を決め込んでしまってはシャレにもならない。「シャベリ」の本質は批判である。大阪人は今こそボケとツッコミ取り混ぜて、シャベリの本領を発揮すべきである。

134.橋下市長の「入試中止」発言(2013年1月27日)
 大阪市立桜ノ宮高校での体罰による自殺を受けて、橋下市長は同校体育科の高校入試をやめるべきだと発言し、首長としてのリーダーシップでやめさせようとの強硬姿勢を見せている。
 いつも橋下氏の発言を聞くたびに直観的に感じるのだが、この人の発言にはハートが全く感じられない。身内が震えるようなうそら寒さを感じてしまう。
 府知事時代に「教育条例案」を提示した時は、むしろ体罰をするくらいの気概を教育関係者に求め、条例案にも子どもを罰する内容を盛り込んでいたにもかかわらず、今回は手のひらを返すかの如く「体罰は絶対に許されない。これは暴行事件である。市長として徹底的に解明する」と発言してはばからない。
 大津市の越市長の言動が世論の支持を得たことを計算に入れて、「自分ならもっと徹底的に指導し解決してみせる強さ」を市民に(政党の維新の会としては、国民に)アピールする政治的な意図を感じてしまう。
 「今の体育科には子どもを守り育てる環境も、教育の体制もできていない」と発言することが、桜ノ宮高校の在学生たちに「あなたたちの学校と教師たちはどれほどひどいものであるのか、人の命を奪う犯罪者ですらあるのだ」「とても新しい生徒を迎えられる環境ではない」と、生徒たちの送ってきた、そして今も過ごしている高校生活を否定しているのだ。
 果たしてそうだろうか。生徒たちが笑ったり、涙を流したり、ケンカしたり、議論したり、勉強したり、青春をおくってきた高校生活は頭ごなしに否定されてよいのだろうか。その高校生活に共に寄り添ってきた教職員の姿を一刀両断に断ち切るように否定していいものなのなのだろうか。
 橋下氏の発言にハートを感じないのは、生徒たち、子ども達に寄り添い、子どもたちの立場に立って考えてみようという感性を微塵も感じられないからだ。生徒たちの過ごしてきた桜ノ宮高校での個人史があり、思いがあり、今それぞれの考え、意見があるに違いない。
 その生徒たちの声に耳を貸すべきである。生徒たちにはぜひ自分が思っていること、感じていること、意見、考えを主張してほしい。
 それを無視する「強いリーダー性」とは、生徒たち・当事者にとって、「精神的な体罰」でもある。


133.2013年 あけましておめでとうございます
(2013年1月17日)
 
昨年は、生きることと、死ぬることの意味を直接に向かい合いながら実感し、考え続けた年となりました。「二度生まれ」という言葉を知りました。「再びこの世に戻ってきて、覚悟を決めて生きる」、私にはとても真似ができそうにありませんが、神様に与えられた今の時間を36年間の自分の仕事をふり返り、教育というものをもう一度見つめ直す作業にあてています。
 念願であった料理教室に通い始めました。教室と家での実習・復習(?)を積み、少しは腕前を上げたつもりです。試しに私の料理を食べに来て下さい。
 日本がますますキナ臭くなっています。若い人たちと、いろんな世代の人たちと語り合いたい、立ち話でもいいから、政治や経済、文化、原発、憲法、家族、料理・・・、話すべきこと、話さねばならないことは山ほどあるはずです。
         
2013年 元旦

132.選挙が終わって
(12月31日)
今の気分を走り書きしてみたくなった。@まるでゲーム感覚で▼オセロゲームで、盤面の色が一気にひっくり返った気がする。▼国取りゲームが終了したようでもある。▼このノリで、今度は世界に向かって国取りゲームを始めるのではないだろうか。さしずめはじまりは東アジアの国に向けて、ということにでもなるのか。
Aなぜ原発問題が争点から外れたのか▼3.11は、日本の再出発の原点である、否原点にしなければならない。事実と向き合うことで、その先に希望も見いだせるはずだから。▼脱原発の声が、投票行動に結びつかなかった。なぜ?
B戦後最低の投票率になってしまった。最低の投票率で「政権交代」が起こったということ。やはりゲームなのか。
Cさて、私たちは、なかんずく団塊世代とそれに少し遅れた私たちは、今何をすべきだろうか。諦め、静観、発言、発信、行動、まだ少しだけ体力もあり、知力・知恵もあり、少しはお金もあり、大学闘争のような政治状況をただなかにいたか、傍観したか、反対したかはあっても経験した者として、なにより圧倒的多数の人口を擁する世代として、何を考えるのか、何をするのか。
D若者たちはどう考える?聞きたいものだ。話し合いたいものだ。
 続きは「走り書き」ではなく時間を掛けて書かねばならない。

130.政権交代の意味と意義
(12月17日)
 今回の衆議院選挙で民主党の惨敗が各種世論調査などから予想されている。民主党政権はマスコミがこぞってこき下ろすように、そんなに「ひどい」ものだったのだろうか。政権交代の意義は全くなかったのだろうか。私はそう思わない。
 「コンクリートから人へ」の理念を政治の舞台に掲げたこと、戦後の大きな課題であったアジアの国々との政治・経済・文化を共生の思想からつなぐ東アジア共同体の構想、、「小さな政府」論だけに偏らずに、「大きな政府」になっても福祉国家をめざす構想、フェミニズムの視点…などら、確かに理念倒れの誹りは免れないが、国のあり方の根幹を考える重大な提起であった。
 障害者権利条約批准に向けた、法改正と整理のために内閣府に設置された「障がい者制度改革推進会議」の委員の過半数が障害当事者で構成されたことなど、自民党政権では考えられないことであった。また、再生可能な自然エネルギーの買い取りを電気事業者に義務付けた再生可能エネルギー特別措置法の成立や、総理大臣が「脱原発」を主張することも、民主党政権だからこそ生まれたことでもある。
 「やっぱり政権交代って大変なことなんだ」、今振り返って私はそう思う。55年間自民党が政権を続けて来て、違う党が政権につくことはいわば「パンドラの箱を開ける」ごときものでもあったのだと。国の背後で操る力、原子力ムラもその一つである複雑怪奇な利害関係とその集団等々。
 3年半で「裏切られた」「もうおしまい」と言い放ってしまうだけでは、政権交代の意味や意義について、その問題点も課題も何も見えてこないのではないだろうか。時間をかけてじっくりと考える必要があると思うのだが。
 なんだか誰もがみんな、前のめりにつんのめってセコセコと歩き続けている、歩かされている。ちょっと頭をねじって右を見たり、左に目をやったりしながら、時にはからだを後ろに向けて眺めてみる、そんな余裕を忘れてしまっているように思う。政治や民主主義について考えることは本来時間のかかることなのだ。イヤ、時間を掛けなければいけないことなのだ。社会のせわしなさが私たちからそれを奪っている。
 そんなことを考えているときに朝日夕刊に、こんな記事が載っていた。
「折々の記」ご一読を!

129.未来の党
(12月13日)
 11を超える多党乱立の選挙戦のさ中である。嘉田由紀子滋賀県知事が11月27日「日本未来の党」の結成を表明した。その結成宣言とも読める「びわこ宣言」には、「3.11後初の国政選挙であるにもかかわらず、『原発のない社会』に向けての議論は不透明のまま。・・・福島の事故は、放射性廃棄物を大気や水中に広げることで地球を汚した。この重い責任を感じることなく、経済性だけで原子力政策を推進することは、国家としての品格を失い、地球倫理上も許されないことである」と記されている。
 小沢一郎の暗躍を国民に印象付ける狙いを持たせたマスコミや党首討論の質問に、「今まで自分たちのために小沢さんを利用してきた人たちが、一番恐れている。小沢さんを使いこなせなくて、どうして日本の官僚を使いこなすことができるでしょうか」と、切り返した。
 各党首や政治家を「さん」付けで呼ぶ話しぶりといい、根底に確固とした女性の思想を私は感じる。(多くの優れた女性議員はいるが)その成り立ちから女性の思想に基づいて生まれる政党は、日本の政治史の中でも稀有のできごとではないかと思う。
 ドイツをはじめ、ヨーロッパ先進国で政治的位置と影響力をもつ「緑の党」のような存在に今後なれるかどうか、日本の民主主義をはかる物差しとしても興味と期待を抱いている。
 12月2日投開票があった三重県桑名市長選で嘉田知事の未来政治塾出身の伊藤なるたかさんが、自民・公明・民主・維新推薦の現職を破り当選した。「なぜか」全くと言っていいほど報道されなかった。「隠蔽工作」を指摘する声も聞こえてくる。
 雰囲気に流された投票行動で、気づけば自民と維新の連携で、国家主義的な思想と新自由主義の競争原理に貫かれた経済政策の再来という、国民生活を破壊し、戦争すら起こしかねない危険極まりない政権誕生のシナリオが空想される。 国民・市民の一人ひとりが日常的に政治参加できる土壌が必要なんだと、またまた選挙を控えた今になって思ってしまう。誰もが自由に普段の暮らしの中で政治について語り、論議する生活スタイルが大切なんだけど。暮らしの中で歴史を考えたり、政治を考えたりするのがニガテなんだなぁ、日本人は。まぎれもない、私もその一人である。


128.衆議院選挙
(11月29日)
 1116日ついに衆議院が解散され、1216日投開票の選挙日程が示された。思えば3年余り前、55年体制を打ち破って初の政権交代が実現し、その後の政治改革、国の変化に期待を持つと同時に、国民の手で歴史を動かすことができる実感に高揚したことを覚えている。それだけに、現在の政局、経済、社会生活の混乱に尚のこと困惑を禁じ得ない。今回、自分はどういう投票行動をとるのか。
 机上の「書き抜き帳」をめくっていて、こんな記事を再読した。「…何かと『決められる政治』が注目を集め、〈熟議〉の意味は忘れられがちだ。〈熟議〉なき社会の果てが、『市場が我々の代わりに答えを出すだけ』というのが、サンデル氏の診断だ…」。
 まさに今、〈熟議〉なき社会が出現していると思う。▼強いリーダー▼強い国家▼マスコミへの突出度▼威勢のいい空論▼外交での危機意識のあおり…等々、観念的、感情的、雰囲気的な流れに巻き込まれてはならない。さしずめ私は、・憲法を守る・原発反対(遅くとも30年代に脱原発)・能力主義・競争主義ではなく共に生きる社会をめざす・少し右肩下がりの経済を受け入れながら社会福祉の充実をめざすの4点を「私の判断基準」として各政党と候補者の意見を吟味したいと考えている。
 〈熟議〉を放棄すれば、暴走すればだれにも止められない「グローバルな市場」と、得体の知れぬ国家主義に答えを預けてしまうことになる。

127.しんぺいくんがやってきた!(11月18日)
もし拙著『餓鬼者(がきもん)』を読んでくださった方があれば、もうお分かりのことだと思うが、巻頭に載せたあの「しんぺいくん」が
16年ぶりに我が家に来てくれ、24歳の青年の姿を見せてくれた。「友だちといっしょに行きます」とか「ちなみに友だちはとってもいい人ですよ」などと、思い入れのある書き方をしてくるので、「うん、これ…ねぇ」「うん、彼女とちがうか?」「いやきっとそうやで」と、しばし我が家の話題にもなっていた。
 そして当日、何とすがすがしい笑顔を湛えた若い女性が車いすを押して登場するではないか。「あたりぃ」と一人合点して迎えたのだが、ちょっと違っていた。2年生を終えて高槻市の小学校に転校してからの日々を、時に口角泡を飛ばすかの勢いで話すしんぺいくんの語り口調は、話すほどに調子を上げ熱を帯びてくる。
 特に小学校から「ずーっと一緒だった4人組の友だちの話になると増々舌は滑らかさを増すようで、「どんなにすばらしい友達であるか、友情でつながれているか」を伝えたくて熱がこもるかのように感じられた。もちろん今も続いているという。
 クライマックスは中学卒業後の進路。これまでにも増して喉元を大きく膨らませて語り始める。残念ながら現在日本の障害生徒の誰もが出合わねばならない高校入学の大きな壁に、しんぺいくんはどう立ち向かったのか?

詳しくは「折々の記」

126.若い人たちに希望をつなぐ
“中野坂上デーモンズの憂鬱”の旗揚げ公演を観た。場所は新宿ゴールデン街劇場。ゴールデン街と言えば、歌舞伎町の入口、或いははずれにあって、40年近く前からおどろおどろしい雰囲気とともに、人間の本姓の坩堝と現代芸術のエネルギーが混在する解放区とのイメージが伝わってくるところでもあった。
 そのゴールデン街のど真ん中にある40人が定員の小さな劇場だった。(「ハコ」と呼ぶらしいが、その雰囲気がぴったりだ)

『深海の庭』と題した劇は、4人の男女の役者が1時間半を演じる芝居である。テーマは「生きること」「人間とは」「存在の意味」を問い続けることと、私には感じられた。分ける、分析する、専門化の流れと、それと表裏一体となった能力主義、競争主義、評価主義と自己責任論が顕著となっている現代の風潮に対して、いかにも人間の根拠、原理原則に立ち返ろうとする作風に驚いてしまった。

 それはややもすると無防備で、観念的で、生まれ出た赤ん坊の如く傷つきやすいテーマであるに違いない。だから現代人はシニカルに笑ってみたり、無視したり、世間知らずと罵ってみたり、人それぞれの狡猾な言い回しや態度でもって慎重に距離を置いて日常を過ごすことになる。特に若い人たちは「生きること」「存在の意味」などに距離を置くどころか、頭に浮かべることもないのではないかと思っていた。ところが、
続きは「折々の記」

125.右肩下がりの社会を受け入れる(10月18日)
 10年ぶりにもなるだろうか、水俣の相思社に勤める友人が拙宅を訪ねてくれた。水俣病の申請のこと、認定の動向、水俣市の様々な取り組みと変化について、6月11日に亡くなられた原田正純さんのこと等々、深夜にまで話は及び尽きることがない。
 その中で「私達はもう少し右肩下がりの社会を受け入れることができなければいけないんじゃないか」という話になった。
 1951年の朝鮮戦争の特需以来、ひたすら右肩上がりの高度経済成長をひた走ってきた日本である。その恩恵を享受して、便利さにどっぷりと浸り、それを「豊かさ」と思い込み、今では当たり前と考えている私達である。
 しかし3.11の東日本大震災と福島第1原発の大事故を受けて、改めて「豊かさとはなんなのか」が問われることとなった。
原発の「安全神話」の崩壊と言われるが、「能力主義神話」「豊かさ神話」・・・などら、いつの間にか支配する側にいる者たちの狡猾な情報操作やマスコミの一方的な報道などによって、事実に基づかない「神話」を、何の疑いをはさむこともなく、信じ込んで安穏な暮らしを過ごしてきたのではなかっただろうか。その神話がことごとく目の前でくずおれていく。
 節電も、グローバルな地球温暖化などの環境問題も、失業、格差社会、年金、生活保護、教育、いじめ問題(それも同根だと私は考えている)・・・等々、現実が一斉に誰もが見える眼前に露出してきている。
 「少しだけ右肩下がりの経済と社会のありよう」を私たちは、国民として受け入れなければならないのだと思う。「べんりなゆたかさ」にどっぷり首までつかってきた私達には、困難であるに違いないのだけれど。
 それをやるのが政治である。しかし、政治・政局が混迷する中、更なる経済発展を威勢よく並べ立てたり、国家の強さを声高に叫んだりと、威勢の良い話をするのが政治家だと思い込んでいるようだ。
 「少しだけ右肩下がりの経済と社会を享受してほしい。そして誰もが安心して暮らせるほんものの豊かさを持った国をいっしょに作っていきましょう」と静かな口調で国民に語りかける政治家は出てこないものだろうか。


(追伸)前回お知らせした『たね蒔きジャーナル』は残念ながら9月28日で放送が打ち切られました。最終放送後の「集まり」の動画や、その後の計画などが掲載されているので、
「すきすきたねまきの会」をご覧ください。

124.MBSラジオ『たね蒔きジャーナル』存続を
(10月8日)
ご存知の方も多いと思うが、知人からこんなメールが届いた。―
 
MBSラジオ番組で毎晩9時から放送されている「たね蒔きジャーナル」という
大変良心的な「ジャーナリズム」を感じさせる番組があります。 昨年の震災後の原発事故で、放射能汚染が深刻になりましたが、連夜、真実を求めて、多くの市民がラジオにかじりつき京大原子炉実験所小出助教をはじめとする解説を必死に聴きました。
 その番組が消えようとしています。残された日はあとわずかで惜しむ声が寄せられています。
このMLで8月20日に存続賛同のお願いを紹介しましたが、多くの市民から番組存続協賛金が1000万円も集まったそうです。
 今日19日9時からの放送で水野晶子キャスターから番組打ち切りの挨拶があるとのこと(プロ野球放送により開始時刻が遅れるかもしれません)。
 最終日の28日9時には、ラジオをもってMBS前に集まり存続を望む気持ちを伝えようと呼びかけが寄せられました。
 くわしくは「すきすきたねまきの会」サイトをごらんください。

―折しも今日自民党総裁選があり、安倍晋三が選出され、テレビを通して、拳を何度も中空に振り上げながら「愛国心」を声高に鼓舞し続けた。増々政局が混乱し、政治がマヒして、世界の緊張が高まる時代だからこそ、『たね蒔きジャーナル』のような現場主義を実践する報道が必要なのだと、思わずにはいられない。

123.「世界をめぐる洋上で日本について考える」
(9月26日)
 今夏に頂いた暑中見舞いの中に、友人からの「(ピースボートで世界一周の船旅に出かけ)遠い海の上で日本について考えてみる機会にもなりました。」との便りがあった。彼女の行動力と、ロマンに満ちた書きっぷりに、「うらやましいですね」と返事に書いていたのだが、脇にいた妻が「あなたは病院のベッドで考えたのではないですか」と口をはさんだ。
 心の中にズシンと大きく重く響くものがあった。シチュエイションは全く異なるのだが、確かに私は病院のベッドの上で1か月余りの間「死というものについて、生きるということについて、自分について、家族のこと、仲間について、人と人の関係について、教育や授業や学校のこと、政治、暮らし、日本という国のこと・・・」について、考え続けた。
 姜尚中は、『続・悩む力』の中で、ウィリアム・ジェイムズの「二度生まれ」という言葉を引用して、「人は生死の境をさまようほど心を病み抜いたときに、はじめてそれを突き抜けた境涯に達し、世界の新しい価値とか、それまでとは異なる人生の意味といったものをつかむことができるというものです。」と書いている。
 私がそのような「突き抜けた境涯に達し」たとは、もちろんとても言えないのだけれど、病院の小さなベッドの上でこれまで経験したこともないような思考を繰り返したことは事実であった。


122.親・生徒が 教員を「査定」する!(9月9日) 
 「大阪府教育委員会は24日、全公立学校の保護者や生徒に授業アンケートを行い、授業を受ける側から見た『授業力』を教員評価に反映させることを決めた。授業アンケートを教員の評価に直結させるのは、全国で初めてという。」(8月24日朝日新聞夕刊)
 大阪府・市で維新の会が強引に成立させた教育行政基本条例、府立学校条例を受けたものである。すでに数年前から府内の公立学校では、教職員評価制度や学校診断アンケートが実施されているが、それでは「生ぬるい」とでも言いたげである。
 続いて「大阪市教育委員会は28日に会議を開き、保護者の意見を元に不適格教員を校長に申し立てるなど強い権限を持つ『学校協議会』を、市立学校約520校全校に今年度中に設置することを決めた。7月に成立した市立学校活性化条例に基づくもので、保護者が直接不適格教員の排除に関わる制度は全国初。」(8月28日朝日新聞デジタル)
 今度は学校協議会の設立である。しかし上記と同様に、すでに各校には地域教育協議会、学校評議員制度が実施されて数年が経っている。またぞろ「生ぬるい」と言うのだろうか。
 いったいどこまで学校制度への不信感を募らせれば気が済むのだろうか。ひっきょう戦後民主主義教育への不信感、あるいは嫌悪感という以外ない。

(「教育論ノート」に詳細を掲載中、読んでみてください。)

121.贅沢(ぜいたく)品
(9月1日)
 トピックスというにはあまりに個人的なことになってしまうのだけれど、この半年ほど万年筆が欲しくて、ことあるごとに思い出してはカタログを繰ったり、大きな書店の文具コーナーを覗いたりすることが続いていた。
 現在2本の万年筆を使っている。1本は28年前に職場に来た外商の人から購入したセイラーの太字のペンで、もう1本は11年前に『もの申す〜27人の子どもたちとおっさん先生のぶつかり合い〜』(エイデル研究所)を出版した時、元子どもたちが開いてくれた記念会でプレゼントされたパイロットのペンである。前者は太字でブラックのインクを使い、後者は中字でブルーブラックインクを使っている。
 どちらも直書きの学級通信や、ノートや原稿を書くのに大変重宝してきた私にとってなくてはならないツールである。どうしてももう1本細書きのペンが欲しくなっていた。しかも狙っていたものがあった。ペリカンのスーベレーンM600緑縞であった。
 定価は39,900円、インターネットで27,350円を見つけていた。妻にこれまでも物欲しげな目線を送りながらカタログを見せたり、ネット価格でここまで下がると驚きの表情を作りながら説明したりしたのだが、「いいじゃない」と妻も返事をくれるのだけれど、私には過ぎた贅沢に思えて中々決断がつかなかった。
 先日、ようやく「退職した自分へのご褒美」と理由を付けて、もちろんネット販売を通して注文したのだった。現在、ロイヤルブルーのインクを充填して、はがきや手紙、ノートに書き込みながらそのペン先の滑り具合を楽しんでいる。

120.馬頭琴の調べ(8月14日)
 ボウヤンさんから電話があった。毎年年賀状は欠かすことなく頂いていたのだが、3年ぶりに聞く声は、単語の一つ一つをていねいに発語する語り口調と相俟って、これまでもそうであったように聞く者に安心感を与える。現在29歳のボウヤンさんは内モンゴル出身で、北京の高校を卒業後9年前に来日、2年間日本語の専門学校に通い、その後和歌山大学に学んで、日本の企業に就職されていた。

8年前に友人に紹介され、ちょうど3年生の国語科でモンゴルを舞台にした『スーホの白い馬』の授業もあったので、小学校の児童集会に来てもらい全校生を対象に、モンゴルの紹介と馬頭琴の演奏会をしていただいた。時折会って話したり、我が家でホームコンサートを開き、馬頭琴を演奏していただいたこともある。和歌山に移られてからはお会いする機会を失したままになっていた。

そんな折、私が心不全で緊急入院したことを知り、体調を案じて電話をくださったのだった。京橋の居酒屋で私の家族とともに会食しながら久しぶりの再会を果たした。今年の年賀状に「いつかまた、あなたの馬頭琴を聞いてみたいものです」と添え書きした言葉を覚えていてくれて、馬頭琴を持参してくれた。居酒屋で俄か作りの演奏会を開くことになった。モンゴル民謡、スーホの白い馬など5曲を演奏してくれたのだが、馬頭琴が奏でる調べを聞きながら、朴訥でそれでいて心を揺さぶる強さを持つ音色に、わざわざ私の身を案じて訪ねてくれた青年の無類の誠実さと優しさを思い、胸に何度も熱い感情がこみ上げてきた。

新妻が日本の暮らしに慣れないとのことで、8月に故郷に戻って再出発を期するという。いつか今度はモンゴルの地で、ボウヤンさんの馬頭琴を聞ける日が来ることを約束して別れた。

119.三池崇史『愛と誠』(2012年8月3日)
 三池崇史監督『愛と誠』を観た。ストーリーは「ご存知の通り」の単純極まりない純愛ものだが、134分の長丁場を飽きることなく痛快に走り抜けたという感想がある。この監督のどの作品を見ても期待を裏切らないエンターテインメントの才能には舌を巻いてしまう。
 特に私の脳裏から離れないシーンがあった。クライマックスの格闘を終えて、ひとり早乙女愛の待つ病室(らしき所)に向かう太賀誠の背後から、レインコートで顔を隠した怪しい人物が近づいたと思うや、いきなり長い刃渡りのナイフで背中を突き刺した。振り返る誠が相手のフードをとると、それは金持ちの子弟が通う優秀な受験校青葉学園の教師であった。
 全編暴力シーンが続く映画であるが、中でも誠が不良の巣窟である花園実業高校に転校して以後は暴力が暴力を呼び起こす、いわば暴力の連鎖とでもいうべき展開となるのだが、共通しているのは、どれほど激しい暴力のぶつかり合いもお互いの拳と拳、からだとからだが激突する喧嘩であるということだ。唯一裏番長の女生徒が手裏剣を投げるのだが、明らかに急所を外して投げている。
 ところがこの教師だけは、殺意をもって、相手を殺傷するための凶器・刃物を使って、しかも正体を隠し、背後から突き刺すのだ。この卑劣極まりない行為はそれまでの暴力と一線を画している。これこそが大人、社会、資本、権力というものだと暗示しているのではないか。
 この監督の子ども・若者への絶対的な信頼感と、大人、あるいは「大人」という言葉が象徴する社会や資本や権力というものに対する絶対的な不信感を象徴的に表現しているように私には思われた。 この時に重なるものがあった。大津市立中学校2年生の当時13歳の男子生徒の自殺を巡る、学校、市教委、警察の態度である。

詳しくは「折々の記」で

118.ホームページ8周年
(2012年7月7日))

 外出先から戻った娘が玄関の戸を勢いよく開けるや、「父さん、母さんきれいな虹が出てるで」と大きな声を響かせた。門を出て見上げた東の空に、大きな虹が鮮やかな色合いを見せて掛かっていた。何やら浮かれ調子でにぎやかにしゃべり続ける私たち3人を見て、通りがかりの人たちも、怪訝な表情を浮かべ、その後視線を上げてにっこりほほ笑んで過ぎていく人たちもあった。

 松下竜一さんの『虹の通信』という美しい文章を思い出していた。(「潮風の街」所収)
 虹を「私の生活の中の美しい核」と思える松下さんの感性と、突拍子もない提案に嬉々として応じる大人たちの交流に、心洗われる気がしたものだった。
(詳しくは「折々の記」に)

 家族3人で虹を見上げながら、原発事故や、政治の混迷と不信、不安定な経済状況、いじめと子どもの自殺、さらに子どもたちを追い詰める競争主義の教育改革…等々、考えれば考えるほどに色濃く取り巻かれてしまう暗澹たる思いから、しばし解放された刹那であった。振り返った西の空には、鮮やかな夕日が私たちを照らしていた。
 今日でホームページ『餓鬼者』を立ち上げてから8周年になる。よくもまあ続けたものだと我ながら感心もし、驚いてもいる。
 もっとも私が恐怖したのは、書けば書くほど自分が裸になっていくということだった。私の生活、思想、行動の流儀などといったものが見ず知らずの人たちにまであからさまに披瀝されていく。確かにそのことで、自分が今どこに立っているのか、そんな自分というものを見つめなおすきっかけにもしてきたのではあったのだけれど。
 さて8年間でアクセス数が2万件足らず、この数をどう見ればいいのだろうか。アイドルのホームページやブログでは、1日で越える数に違いない。
 ときどきなんで書き続けているのだろうと自問するときもある。これからも、これまでと同じように戸惑いながら更新していくことになるのだろうと漠然と考えている。願わくば、もう少し多くのアクセスと、反応があればと、勝手な期待を寄せてもいるのだけれど。読者の皆さん、これからもお付き合いください。ちょっと宣伝もしていただければありがたいのですが。


117. 二人三脚の旅(2012年7月1日)
 6月15日・16日と二泊三日の旅に出た。私の敬愛する作家松下竜一さんの第8回“竜一忌”に参加するために、広島県尾道を経由して大分県中津に向かった。
 これまで一人で参加していたのだが、退職後は妻といっしょに行きたいとかねがね考えてもいた。「苦労を掛けた連れ合いに感謝する二人旅」とのドラマ仕立ての想像力も働かせたりしたものだった。
 ところが緊急入院と相成ってしまってからは、治療とリハビリに専念する目標に竜一忌を掲げることになってしまった。
 退院から39日目の旅立ちは、怖がりで、弱虫の私にとって不安な表情を浮かべ、妻に泣き言を漏らし続ける結果になった。
 二日目の朝など、福山駅の新幹線待合室で、「断念して大阪に帰りたい」と訴え、今度は清算窓口に並んでいる妻の下にすり寄って、「やっぱり行こうか?」とぐずるようなことまでしてしまった。
 「反原発」をテーマにした第8回竜一忌は素晴らしいものであった。小出裕章さんの講演も、全国各地からの参加者の発言が続いた交流会も、いつものことながら一生懸命に生き、暮らし、たたかっている人たちの言葉に出会って、多くを学び、考えることが出来た。
 妻の労をねぎらうどころか、二人三脚でもなく、妻に尻を叩かれたり、まるでおんぶされかねないほどの苦労を掛けてようやく大阪に帰り着いた旅であった。
 妻を竜一忌に参加させたことと、草の根の会の皆さんに紹介できたことで、なんとか私にもポイントを付けて「二人三脚の旅」と考えている。
 “竜一忌”については、「追悼 松下竜一」のページに詳しく紹介する予定です。


116.いわゆる<第2の人生の出発>のはずが(2012年6月15日)
 3月31日の土曜日午後5時、学校の裏門を開けて近くのコンビニで職場の片づけを済ませて梱包した自宅宛の3個の段ボール箱を預けて、私の教職生活最後の仕事を終えた。
 定年退職後最初の4月1日に東京で家族が再会した。そして翌日4月2日に体調不良で診察を受けた医師から「心不全」を宣告され都内の病院に緊急入院することとなった。
 5月7日退院、5月21日に帰阪するまで51日間の東京滞在を余儀なくされてしまった。
 見知らぬ土地での入院生活だったが、たまたま家族全員が揃っていたこと、急患を受け入れてくれた病院が妻の実家に近かったこと、そしてその病院が日本でも有数の優れた最先端医療を提供してくれたこと等々、偶然の積み重なりが私の命を救ってくれたのだとつくづく考えている。
 東京の友人たちが、まともに返事もできぬ私を何度も見舞ってくれたり、大阪の友人たちがメーリングリストや手紙でたくさんの便りを届けてくれた。わざわざ大阪から見舞いに来て下さった人たちもあった。それらの応援がなければおそらく今の私はなかったに違いない。
 「奇跡」という言葉を医師は使わないけれど、十分にその雰囲気を伝える治療経過の説明を受けた。
 あるいは神様の「もう少し生かしてみよう」という裁量が働いたのかもしれない。
 ホームページの更新が長期間止まってしまったり、連絡がとれなくてご心配やご不便をかけてしまった方たちも多々あったことと思う。簡単ながらこの間の事情を報告させていただいた。
 現在は、食事制限を受けながら、ゆっくりゆっくりのんびりのんびりと、これまで経験したことのない1日1日を過ごしている。お会いして話のできる日を心待ちに。


115.もう一つの高校受験
 今年も高校入試の時期がやってきた。橋下市長・元知事の定員割れ高校の統廃合や、学校間競争を煽る発言などから、将来展望の見えない不安定な受験制度の中の入試となった。 地域の小・中学校で友だちといっしょに学び合い、過ごしてきた障害生徒たち、中でも知的障害生徒にとって、厳しい壁が立ちはだかっている。
 ある父親の言葉から―
やはり上の子の受験のときとは全然違い、障がいのある息子の受験については一言ではいい表せない様々な想いがあります。
「ムリウケ」と言われることがわかっていながらも、そのことを決断したのには先々のことを考え抜いた末の決断なのですが、その決断をするまでには家族の間ではそれぞれに様々な葛藤がありました。
そして受験をすることが決まった後でも、そのことに関する周囲の発言から、障害児の置かれている立場に対する無理解を痛切に感じるようなこともありました。
それは、もしかしたら相手からすれば何気ない一言のつもりだったのかもしれませんが、家族の立場としては深く傷つくこともあり、日本は障がい者への理解がまだまだ低いのだなぁ…と思うこともありました。
しかし、息子の成長を通してこれまでに得られた発見や感動の体験に救われたことのほうが多く、そうした出来事を含めて息子の高校受験について、関わって下さっている中学校の先生方が理解して下さったおかげで、こうして受験まで、たどり着くことができたのだと改めて思いながら、喫茶店でしみじみとコーヒーを飲んでいました。

詳しくはご本人のブログを見てください。
http://blogs.yahoo.co.jp/michinokokoro/35766173.html

114. ファシズムって何!? 
 橋下・維新の会の言動が毎日報道されている。教育基本条例、職員基本条例の話を聞いていると、橋下さんは、周囲から様々に指摘されているように、それらが多くの点で法律に違反していることを承知で提案しているのではないかと聞こえてくる。
 法律違反であろうがなかろうが自分の主義・意見を押し通して、その反応、特に市民・府民や、マスコミ反応を見ながら修正したり、ごり押ししたりしているように思う。
 なにせ、どこに行っても20人を下らぬ「ぶらさがり」の記者が体を寄せ合い、手を伸ばしてマイクを押し付けるようにして付いてくるのだから、記事やテレビの報道を自在に操作できると高をくくっての振る舞いだと思われる。
 そして、法律に反するならば、「法律を変えればいい」と豪語することになる。全国から若者を集め「維新塾」を作り、総選挙に打って出る筋道を立てることになる。既成政党に賛同か否かの踏み絵を差し出しながら。
 さて、最近よく「ファシズム」なる言葉を見聞きするようになった、私も使うようになった。しかし周りのだれも戦前・戦中のあの日本帝国主義のファシズムを経験した者はいない。自分が本で読んだり、話を聞いたり、様々な活動に取り組む中で出会い、考えてきた言葉である。
 ひょっとして今、私の目の前の生活圏で起こっていることどもの一つ一つが、実は私が経験したことのない、あのファシズムの過程であるのかもしれない。


113.新しい年が、よき1年でありますように

3月に定年退職を迎えます。何一つ自慢できることはありませんが、(普通の当たり前のことなのですが)36年間現場の教師として働き続けられたことに、小さな自負を感じています。 未曽有の大震災、世界中に放射能汚染を広げヒバクをもたらし続ける原発事故、維新の会・ハシズムの独裁政治と能力主義・評価主義の猛威…等々、目を逸らすわけには行きません。無関心でいないための勇気を持ち続けたいと思います。

奇特な出版社があり、新しい本が出ることになりました。

『餓鬼者 がきもん〜共に学び、共に生きる子どもたち〜』

(生活書院 2月末刊行予定)

112.
大阪W選挙終わる

 11月27日投開票の大阪市長選、府知事選のダブル選挙が終わった。特に終わり方は実に「あっけなかった」。それこそ「えっ」と目を瞬いている内に終止符を打たれてしまった感が否めない。読売テレビはなんと締め切り前に「誤って流して」しまったらしい。そのあとは橋下のあの挑発的で居丈高な発言がどのチャンネルを回しても、深夜にまで延々と続いた。またぞろマスコミの側であらかじめ用意されていたシナリオ通りの展開が繰り広げられた感がある。
 私も今回の選挙は特段に重要なものになると周りにも言い続けてきたし、府内の障害者団体を中心に123団体が賛同して作った“共に学び共に生きる教育・日本一の大阪にネットワーク”として橋下と知事3候補に宛てて公開質問状を出し、その回答を公開するなどの取り組みをしてきただけに、何とも気が抜けてしまう「選挙速報」であった。それぞれに選挙に注目し考え続けたり、あるいは候補者の応援活動や、選挙にかかわる運動をしてきた者ほどその感が強いのではなかっただろうか。選挙のオープニングも、そして幕を下ろすのもマスコミがやりますよと言わんばかりの傲慢さを私は感じてしまう。
 ハシモト・トオルとは、マスコミがつくりあげたモンスターだと改めて実感している。


111. ツールに振り回される
 7年間愛用してきたVaioだが、いよいよフリーズしたり、トラブルが頻発したり、なによりも目に見えて速度が落ちてきた。デジタルの世界の日進月歩の進展で、7年前と比べて圧倒的な大きさのファイルが行き来するようになったことが原因かと、勝手に理解しているところである。
 そこで思い切ってWindows7の新機種を購入することにした。インテルCore i7のCPUでカッカッカっと画面を展開しながらパソコンを操る自分の雄姿を思い描いていたのだが、メールは届かないわ、メーリングリストに迷惑をかけるわ、ホームページ「餓鬼者」も9月17日で止まってしまうわ・・・と、散々な辛苦をなめることとなってしまった。
 今更ながら「機器(特にデジタル)に弱い」との定評を自覚することになった。
 ようやく復旧がかなったようだ。
 
その最初に掲載するのは、「共に学び、共に生きる教育・日本一の大阪に!」ネットワーク(府内123団体で構成)が、橋下徹氏に提出した「公開質問状」と、それに対するご本人からの「回答」(後援会事務所から届けられた)である。
 回答に対する私たちのコメントは改めて掲載する。
 いよいよ11月27日(日)投開票(予定)の、大阪市長選・府知事選の重要な選挙が始まる。大阪の今後、大阪の教育のこれからを占う大切な選挙となることはまちがいない。

110.若い力は風を起こす! 
 9月10日、寝屋川アルカスホールで、“東日本大震災復興支援チャリティコンサート〜てをつなごう〜”を開催した。
 事の成り行きはこんな具合だ。3月の組合執行部の合宿で、今年度の教研集会を考えているとき、若い人たちが中心になって企画運営する全体集会を作れないだろうかと意見が出た。居合わせた青年部長が、河島英五さんとその子ども達あみる、翔馬、アナムさんたちと知り合いで、チャリティコンサートにもスタッフとして関わって来たという話を出してくれた。
 さっそくわが組合青年部が企画を始め、北河内7市の教職員組合に提案して7市の青年部共同行事として取り組むこととなった。
 そしてコンサート当日、手作りのロゴマークを胸に印刷した揃いのTシャツを身につけた30人を越える若いスタッフが、機材の搬入から、チケット販売、ケータリング、グッズ販売、案内、ガードマン・・・まで、フットワークも軽く大活躍を見せ、見事に300人を集める大コンサートを成功させた。
 やっぱり若い力が動くと風が巻き起こる、そして新しい風が吹く。若者達が語り合い、力を合わせながら、颯爽と動く姿を見ながら、たくましくもあり、うらやましくも感じた。一方で忙しく立ち働いている若者達の背中に向って、腹の奥底の方で、「老人力もあなどれんぞ」と一人ごちていた。  
チラシはこちら

109.
原水爆禁止世界大会
 今年は、8月6日に広島に入り、翌7日から長崎の原水禁大会に参加した。広島でも長崎でも、東日本大震災に触れ、特に東京電力福島第1原子力発電所事故について全体会でも分科会でも話されていた。
 しかし今後の原発のあり方をめぐる言い回しに奇妙な違和感を覚えることになった。
 広島の平和宣言で松井市長は、「脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。」と、客観的な解説を述べるだけだった。長崎の田上市長は、「より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。」と、現在ある原発をどうするかには触れなかった。原水禁大会開会の挨拶に立った連合の古賀会長は原発問題に触れず、会場からの批判の声を浴びた。
 「奇妙」だと私が感じたのは、被爆地の平和宣言や、原水禁大会の声明よりも、菅直人首相の挨拶の方が脱原発を目指す意欲と意志を強く感じられたからだ。いわく「わが国のエネルギー政策についても、白紙からの見直しを進めています。…原発への依存度を引き下げ、『原発に依存しない社会』を目指していきます。」
 被爆地の市長でも、運動側でも明確に言い切ることができない中で、これほどはっきりと首相の立場で明言することがなぜ評価されずに、むしろマスコミで揶揄されることになってしまうのか。なんとも奇妙な国である。しかし「違和感」で済ませてはならないその原因をこそ究明する必要があるのだと思う。

108.政治の世界のパンドラの箱

 政治の世界に二つのパンドラの箱があったのかと、今思っている。ひとつは、自民党以外の政党によって政権交代をすること。つまり民主党による政権交替の実現は、パンドラの箱を開けてしまったことになる。
 自民党一党支配による55年に渡る政権運営は、政・官・財・学・マスコミ・・・等々、国の隅々に至るまで「利権」の構造を作り出してしまった。
 政権交代は意図するか否かに関わらず既存の利権構造を揺るがし、機能を麻痺させ、あるいは公の面前にさらけ出すことになった。当然必死の抵抗が露になされたり、水面下でもくろまれたりする。
 例えば(これまでにも何度も書いてきたが)マスコミと地検特捜部による小沢一郎に対する異常ともいえる捜査の仕方と特捜部と一体になったマスコミ報道のあり方にも見て取れる。
 もうひとつのパンドラの箱は、原子力発電である。菅総理が「脱原発」に向けて舵を切ることを宣言するや否や、政・官・財・学・マスコミから、これまでの「菅降ろし」を凌ぐ攻撃が、おそらく水面下ではさらに強力に、行われている。いのちの問題や、住民の安全を度外視した「原発」を巡る巨大な利権構造が営々と引き継がれてきたのだ。
 テレビも新聞も、ラジオ、雑誌も、菅直人に対してあらん限りの(決して批判ではなく)そしりのことばや悪態を並べ立てている。こんなに人をけなす言葉があるものかと、時には奇態な造語にも驚きながら眺めている。いつか時を経たときに、マスコミ報道のあり方に対する辛らつな反省が求めらる日が来るのではないか。
 菅総理が好きかきらいかではなく、いま総理としてやろうとしていることが必要なことなのか否かを冷静に見なければならないと思うのだ。その意味で、「再生可能エネルギー特別措置法」と、脱原発を目指す菅総理を私は応援している。

107.大阪府「君が代起立」条例
 大阪府議会で6月3日、教職員に「君が代」斉唱時の起立を義務付ける条例が成立した。「大阪維新の会」が他党の抵抗を押し切り、わずか2日の審議で可決させた。条例案は、維新の会府議団の議員提案として提出されたが、事実上は橋下知事の発案によるものという。知事は9月議会で、公務員の処分基準を定める条例案を提出し、不起立を繰り返す教員には免職処分まで盛り込む方針を示している。
 私は「日の丸」を国旗とし、「君が代」を国歌とすることには反対するが、他の人や子どもが家庭で祝日に「日の丸」を掲揚し、「君が代」を歌うことに反対はしない。お互いの考え方を大切にしながら話し合うこともしたいと考えている。
 たとえば、「いつも日の丸を掲げ、ときどき『君が代』を家族でいっしょに歌いますねん」と言う父親が、「そやけどな学校で無理やり子どもらに歌わせたり、先生らに起立せな処分する言うのはおかしいと思いますねん。」そういう声と連帯したいと思っている。
 様々な考えを学び合う学校には、いかなる強制もなじまない。ましてや「一つの価値観」を暴力と政治の力で押し付けることは、教育の営みを破壊することでしかない。
 いつも思うことなのだけれど、どうして日本という国では「国を愛する」という問題が、暴力と恐怖、政治を背景にして語られるのだろうか。「愛する」とは、暴力や政治の最も対極にある「やさしさ」の実践であるはずなのに。
「折々の記」にも関連の文章が

106.重度の障害生徒も府立高校へ入学
 
2011年度の高校入学試験が終った。今年も府内各地で、障害のある生徒の高校入試の挑戦があった。
 大阪では、「重度」の障害・知的障害があっても支援学校ではなく、友だちといっしょに公立高校へ入学する取り組みが続いている。大阪府が制度化した「知的障害生徒の自立支援コース」「共生推進教室」だけではなく、「普通の高校」に入学する生徒も現れ、その取り組みは増々広がりを見せている。
 今年の入試の特徴は、後期選抜で41校が定員割れを起こしたことだ。理由ははっきりしている、橋下知事の肝いりで決まった、私学高校授業料の無償化によって、受験生が大きく流動化して中学校の進路指導も対応できなかったことによる。
 そもそも橋下知事のねらいは、府内の公立・私立を問わずすべての高校を混ぜこぜにして、改めて1番から「ベベタ」までの高校の順位をつけることだと私は考えている。(いったい最下位の学校とはどこなのだろうか。支援学校?支援学校はその枠内にも入れてもらえないのか??)そう考える知事にとってみれば、「定員割れ」は想定内のことであった。能力主義、競争主義、評価主義、成果主義が教育の内容だけではなく学校運営そのものの根幹に適用されているのだ。
 ところがその一方で、「能力主義・競争主義」の対極にある「共に学び、共に生きる教育」を目指す重度障害・知的障害のある生徒が、定員割れのあった高校に(私の知る範囲では)4名が入学した。入学式を終えて、これから高校生活が始まる。通学に始まって、授業・学習はどうするのか、クラブは、友だちとの付き合いは、単位の取得は・・・、受け入れた高校側にとって身近に生起する一つひとつのことが初めてのことであり、試行錯誤の連続になるかもしれない。しかしその試行錯誤の深さと大きさが高校教育の新たな視界と内容を創造することにつながるのだと期待している。
 詳しくは『折々の記』を読んで下さい


105.東日本大震災発生
 3月11日、パソコン室で4年生の5時限目の授業をしていたとき揺れが来た。子ども達も何か不思議な感覚に互いの顔を見合っているとき、大きな横揺れがあった。すぐにテーブルの下に隠れるよう指示をして、校内放送を待った。避難訓練ではない実際の地震に、泣き出す人も出た。そして運動場に避難。
 16年前の阪神淡路大震災が頭を過ぎり、私のからだに刻み込まれているかのような「あのときの揺れ」が蘇り、今回の揺れとシンクロナイズして、激しく増幅する感覚に襲われた。
 ところが教頭の第1報の説明では、東北地方に震源を持つ地震だったと言う。大阪の私たちがこれだけの揺れと恐怖を感じたのだから、被災地では途方もない災害が発生したのだと直感した。
 
帰宅途中の駅前で受け取った号外から始まって、それ以降テレビ、新聞、ラジオ、インターネットから地震、引き続く津波、火災等々、被災地の惨状が、途切れることなく毎日流されることになった。そして福島原子力発電所の大事故が追い討ちをかけるように報道された。
 
いったいこれから日本という国の中で、私たちの住む社会の中で、何が変わり、何が起こっていくのだろうか、私は何をしていかねばならないのだろうか、とにかく目をそむけずに、向かい合って行くしかない。何よりもまず考え続けたいと思っている。
※「折々の記」に続く

104.民衆が蜂起する
 チュニジアに引き続き、エジプトでも民衆の蜂起が大統領を辞任に追い込み政権を倒した。独裁体制に抗議の声を上げる民衆蜂起の波は、さらに燎原の火のごとく中東の国々に広がっている。
 これまでの革命や政変、クーデターのようにカリスマ的な人物や、政党・組織がその中核にあって、戦略的に指導する運動ではない。
 一人ひとりの市民がインターネット・フェースブックや、口コミで情報を交換しつながりあって行動を起こし、戦いの輪を広げていったという。
 私たちが歴史的に未経験な革命であるといっても過言ではない。それだけにこれからの国づくりがいったいどのように進められるのか、目が離せない。
 名古屋市長選挙、愛知県知事選挙でも、結果を受けて「市民が立ち上がった」「民衆が蜂起した」と喧伝する人たちがある。テレビに映し出された、頭からバケツの水を浴びながら万歳を繰り返す河村市長の姿は象徴的でもあった。
 はたしてチュニジアやエジプトの民衆の蜂起と、愛知県と名古屋市の選挙結果は同じ市民・民衆の立ち上がりなのだろうか。中東の国々の人たちは、独裁体制を倒し議会制民主主義を求めている。「中京都構想」を掲げる河村市長達は何を求めるのだろうか。
 わたしたちの国において「議会制民主主義」の政治体制は、たかだか60年余りの歴史しか持ちえていない。それ以前は独裁体制の帝国主義国家であった。決して他国の政治体制を物知り顔に批判できる政治的経験を国民として持っているとはとても言えるわけがない。
 市議会や県議会を十把一絡げに守旧派の悪者に仕立て上げ、派手なパフォーマンスでマスコミをひきつけて、大衆の拍手喝さいを呼び込みながら批判、攻撃する劇場型の政治手法は「議会制民主主義」を否定するものでしかない。
 むしろ今私たちは、議会制民主主義を成熟させていかねばならないのだと思う。パフォーマンスばかりの橋下知事の言動や、混迷する民主党政権の現状を考えるほどにその思いが強くなる。

103.餓死者を生む国とは
 1月10日付毎日新聞の記事にはこう書かれてあった―
 大阪府豊中市のマンションで姉妹とみられる女性2人の変死体が見つかった事件で、2人は昨年12月22日ごろ相次いで死亡していたことが、府警豊中署の司法解剖で分かった。姉の死因は心疾患とみられ、妹の死因は不詳とされたが、栄養失調状態で体重が約30キロしかなく、餓死の可能性がある。
 室内を調べた結果、室内や冷蔵庫に食料はなく、財布に90円しかなかった。妹名義の銀行通帳は昨年6月以降、0円だった。―
 これまで何件かの「餓死」を伝える報道があったのだけれど、戦争中や戦後の混乱期ではなく、もちろん江戸時代の○○大飢饉ではない、現代にあって「餓死」が起こるとはどういうことなのだろうか。昨年9月にガスと電気が止められ、死亡したとされる12月末には胃の中には何も残っていなかったという、そして1月9日に発見される。
 日本国憲法第25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とある。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を有しているはずの60歳代の姉妹が、餓死をして、たまたま訪ねた役所の職員(であったと思うが)に発見されたという現実は何を物語っているのだろうか。
 1997年から急増した自殺者は、その後ずっと毎年3万人を越えている。その内約8,000人は、生活苦が原因だと言われている。世界的にも異例な数の自殺者を出し続けている国に、わたしたちの国はなっている。
 多数の自殺者を出し続け、ついには餓死者まで生み出してしまうわたしたちの国の現実を、真剣に考えねばならない。平和とは、豊かさとはなんなのかと。

102.2011年 あけましておめでとうございます。
 あと1年で定年、35年間の教職を終えることになります。ますます教育という仕事がおもしろくなってきました。ひとつ日本の頑迷なる能力主義神話とガップリ四つに組んだガチンコ勝負を挑みたいものです。キーワードは、「インクルーシヴ」「共に学び、共に生きる」「学び合う」。
 政治も経済、文化、芸術、暮らしや人々のおしゃべり、つぶやきすらも、何でも見てやろう、聞いてやろうと、いささか破廉恥なほどに興味のアンテナが回転しています。 無関心でいないための勇気を続ちけたいと思います。


昨年末訪ねた沖縄渡嘉敷島で写す

101.「今、次世代へ伝えたいこと」 宮城喜久子さん講演会
 ひめゆり平和祈念資料館副官長の宮城喜久子さんの講演会が、リバティおおさか『ひめゆり平和への祈り』展で行われた。家族で参加した。会場に入りきれない人が出る中、ホールを埋めた300人余りが、宮城さんの一言一言に身を乗り出すようにして聞き入った。
 まるで学友の名前を一人また一人と呼ぶごとに、友の魂と交信し、会話しながら、聞くものに語りかけるような話し振りであった。小柄な宮城さんの物静かな声が、聞く者の心も身体もをわしづかみにする圧倒的な強さがあった。

 「戦後40年間戦跡の残る地には足を向けなかった。教師をしながら子ども達に戦争を語ることはなかった。そんな自分の行為が、沖縄戦を風化させてきたことに気づいて、証言することになった。」「私が次の世代に伝えたいことは、真実を知ることの大切さです。」「私はおぎゃあと生まれたときから戦争があった。今戦後65年たっても生きているのはなぜか、戦争がないからです。平和だからです。そのことの意味をみんな忘れかけているのではないでしょうか。」・・・。
 「今、次世代に伝えたいこと」という講演テーマは、宮城さん自身が希望されたものだと紹介があった。これまで何度か聞く機会を得ているお話であるが、今回特に「伝える」ということを意識されたのではないかと感じられた。私は「魂のバトンリレー」と呼んでいる。それぞれが友人を誘って参加した娘達だが、宮城さんからどんな「魂のバトン」を受け取ったのかいつか聞いてみたいと思っている。
「ひめゆり 平和への祈り」展は、12月26日まで。チラシは「イヴェント情報」に掲載しています。

100.自由を奪う〈恐怖〉
 堤未果『アメリカから〈自由〉が消える』の「まえがき」にこんな記述がある。―「彼らから自由に生きる選択肢を奪うのは、いつでも同じ、たった一つの力なんだ。」「それはなんですか?」「〈恐怖〉だよ。人は〈恐怖〉にのまれ、声をあげなくなり、選択肢を失うんだ。…為政者達はいつだってそのことを知っている。自由を奪う最も効果的なツールが、〈恐怖〉であることをね」―そして、「9.11同時多発テロ」以後、国民の中にある〈恐怖〉を煽りながら「テロとの戦い」の名の下に、アメリカ社会から自由が奪われていく過程を詳細な取材を通して克明に描いていく。
 今わが国の中にも一つならぬ〈恐怖〉が取りざたされ、マスメディアを通してますます広がりを見せている。韓国・北朝鮮の戦争勃発か、尖閣諸島を巡る中国との武力衝突の危険性、北方領土の占有権を巡るロシアとの軋轢等々、きな臭い〈恐怖〉が日常性の中にまで漂うようになってきた。
 国内政治のゆきづまりともあいまって、弱腰、毅然とした態度、強いリーダーシップ等の言葉が飛び交い、「強さ」を求める雰囲気が増長し始めているようにも思えてくる。
 先に引いた「まえがき」は、次のように結ばれている―「敵は、次々につくり出される〈恐怖〉そのもではなく、〈恐怖〉に気をとられているうちに〈言論の自由〉が消えてしまうことのほうだからだ」―

99.希望を奪う進路指導
 “第5回「障害」のある子どもの高校進学を考える学習会”を終えた後、階段で出会った参加者の母親と立ち話をした。その話し振りから、逡巡しながらも「求めている」熱意が初対面の私にも伝わってくる。
 中学3年生の息子の担任から「支援学校へ進学するように」言われたそうだ。「支援学校しか行けない」と言われているように母親には聞こえた。「そのために療育手帳を取得するように」とも付け加えたという。 小学校、中学校と地域の普通校でみんなといっしょにあたりまえに過ごしてきた母と子どもにとって、それはあまりにも唐突な話であった。
 息子は「支援学校には行きたくない」と言い、「高校になっても野球を続けよう」と話し合っていた友だちからも「なんで支援学校やねん」という言葉がかけられる。それ以来、今までは何点か取ってきたテストも、毎回「0点」を取るようになったという。白紙で提出することもあるらしい。
 それは自分の将来に向けた選択肢と、希望を一方的に奪い取ろうとする学校に対する彼の怒りの表現であり、抗議だと私には思える。
 担任は高校受験の制度そのものをまったく理解していないし、まちがっている。教師の誤解や無知が子どもや母親を絶望の淵にまで追い込んでしまうことに言い知れぬ怖さを感じてしまう。担任の目には、自分のことばで不安に翻弄されている親子の姿は全く映らないのだろう。
 一枚の学習会の案内ビラを頼りに、北河内以外の市から、一人で参加して、手をあげて声を震わせながら府教委に質問していたその母親の姿は、孤立感だけではなく、これから学校に向って足を運ぶだろう強さを感じさせられるものであった。

98.同時多発的に「共に学び、共に生きる教育」学習会
 いやはや大変なことになりました。11月6日(土)の午後に、何と4箇所で一斉に学習会が開催されることになりました。
▼豊中市すてっぷほーる 14:00〜16:00 映画『はながゆく』上映会
▼東大阪市立総合福祉センター 13:30〜17:00
障害のある・なしで子どもを分けないインクルーシヴ教育へ
▼大阪ドーンセンター 13:00〜16:00
障害学生進路相談イベント2010
▼寝屋川市民会館 13:30〜17:00 第5回障害のある子どもの高校進学を考える学習会
 さて、皆さんはどの学習会に参加されますか。
私は主催者である“知的障害者を普通高校へ北河内連絡会”の事務局として、寝屋川市民会館への参加をぜひとも呼びかけたいのですが、こう重なっていてはこれまでのように他地域の仲間の皆さんの応援をお願いするわけには行きません。
 でも、考えてみれば、同じ日の、同じ時刻に、大阪府内の4市で、一斉に、「共に学び、共に生きる教育」をテーマに、障害者と保護者、市民が集まって学習会を取り組むということは、なんだかちょっとすごいことなんではないでしょうか。ムクムクと立ち上がり、地面にモコモコとうねりをもたらすような動きが出始めているような。
 新に東大阪市に広がったように、府内の南の地域に一つまた一つと学習会が広がっていけば、これは面白いですよ。能力主義・競争主義・成果主義の画一的な価値観にがんじがらめに縛られてしまった教育・学校の世界に、さらにモコッモコッと地面を揺るがせる「共に学び、共に生きる教育」の胎動が生まれてくるように思えてしまいます。
学習会の案内は、イヴェント情報の頁を参照


97.反の反、あるいは語るに落ちる
 地検特捜部前副部長とその弁護人が、取調べの「全面可視化」
を求めている。―

 大阪地検特捜部の主任検事による証拠改ざんを隠したとして犯人隠避容疑で逮捕された前副部長・佐賀元明容疑者(49)の弁護人が、取り調べの全過程を録音・録画するよう求めていたのに対し、最高検は応じない方針を決めた。「この事件で録音・録画の予定はまったくない。これまでは取り調べる側にいた検事が、最初の適用例になるのもおかしい」としている。(10月6日朝日)
 「これまで取り調べる側にいた検事が」と、さらりと言ってしまう最高検の弁もおもしろいが、なんといっても「これまで取り調べる側にいた、その当事者本人の意向を踏まえた」言葉は、正鵠を射ると言わねばならない。いわく―
 佐賀前副部長の弁護人は4日、「密室での違法・不当な取り調べによる虚偽の自白で、多くの冤罪が生み出されてきた」として、最高検に「全面可視化」を求めていた。申し入れは佐賀前副部長の意向も踏まえたという。
(同上)
 二つの思いが浮かんだ。これまで多くの冤罪を生み出してきた、検察というものの法的、組織的な問題が根本から解明されることを願いたい。あまたの犠牲者の悔しさが想像される。また、生活や事実と無縁な職場環境からは「特殊な仕事」が生まれてくる。特殊な仕事に従事するものは、労働者ではなくなってくる。前回も言ったが、その一変種をエリートという。

  『折々の記』2月7日、2月14日に関連記事

96.やっぱり出てきた、恐るべき特捜の実態
 郵便割引制度をめぐる偽の証明書発行事件で、村木厚子さんに対する大阪地検特捜部の捜査と、マスメディアの対応について、何度かその批判を書いてきた。
 9月10日に漸く大阪地裁の無罪判決が下された矢先、地検特捜部主任検事による、証拠のFD書き換えという衝撃の事実が暴露された。
 戦前、戦中の憲兵隊や特高と見まがうほどに、自分達の作ったストーリーに合わせて供述調書を作成し、被疑者を取り調べ、はては証拠の隠滅、デッチ上げまでしてしまう実態が明らかとなった。戦後民主主義を守る完全無欠の「正義」を振りかざした組織の、これが現実であった。
 今回「書き換え」の事実は、朝日新聞の取材によるスクープであったのだが、これまで記者クラブや番記者を通して、地検が流す情報を社会に無批判に垂れ流してきた責任は重い。
 何度も書き続けてきたことだけれど、地検特捜部とマスコミが双方のメリットを補完し合うために、結果として、いや時には意図的にタッグを組むことによって、一人の人間の仕事も、家族も、暮らしも、命すらも一握りに潰すことはたやすい。政治家の政治生命を葬ることも、政権を倒すことも、あるいは思うがままの政権を作ることも可能である。正義の冠をかぶって世の中を操る神のごとき絶対的な権力を身内に感じる傲慢さが、はたして両者になかっただろうか。
 現在の地検特捜部とマスコミに共通していることは、特捜部内や、マスコミ同士で、相互批判が制度としても、現実的にも行われないこと。もう一つは、徹底して事実を掘り起こし追及する捜査と、取材が行われなくなっていることである。「事実」が持つ重み、生活というものの実感が、その仕事に取り組む環境の中にあまりにも希薄になっているのかもしれない。「特殊な仕事」になってきたということか。その一変種をエリートとも言うのだが。
 小沢一郎の資金管理団体「陸山会」をめぐる東京地検特捜部とマスコミの動きに、同様の大きな危惧を持っている。小沢一郎という政治家の好き・嫌い、政党支持の問題とは全く別に、私たちの国の仕組み、社会の問題としてこれからも目が離せないと私は考えている。

95.政治が社会や暮らしを変えるという実感
 民主党代表選挙が終った。代理戦争ではなく、菅と小沢両巨頭の直接対決となったこと、実質的な総理大臣を決める選挙でもあったことが、党内選挙にもかかわらず広く耳目を集めることになった。
 55年間変わることのなかった政権が、わたしたちの手で、民主的な手続きのもとで変えることができたという実感が、国民にとっての何よりの意義であったと私は考えているのだが、改めて今回の代表選挙は政治を考える機会となった。
 例えば技術職として20年間勤務していた人が突如退職させられたとか、退職後悠々自適のライフステージを夢見ていたのに、退職金が大幅に減り、年金が減額、さらにローンの利率が一方的に上げられて、就職活動に奔走しなければならなくなったとか、気がつけばホームレスになっていた等々、「自分には何の責任もないのに」いつの間にか貧困層になっていた、こんな起こりえないと思っていたことが、政治が変われば、実際に起こりえるのだということを知った。
 日本が追随するアメリカの現実はそれを示している。堤未果の『貧困大国アメリカ』などの一連の著作、映画監督マイケルムーアの『シッコ』『キャピタリズム』等にそれは詳しい。
 「チェンジ」と叫び、「イエス、ウイ・キャン」と呼応しあったアメリカ大統領選挙から1年余り、「何も変わらない」不満を背景に、オバマの支持率は89.7%から49%にまで低下した。今アメリカではあきらめや失望の言葉が噴出する中、新たなスローガンが市民の中から生まれてきたと言う。“Move Obama”(オバマを動かせ)と。
 やっぱり政治家に丸投げするのではなく、私たちが政治に関心を持ち、発言し、行動することが社会・国をつくることなのだと何べんも繰り返してきた言葉をまた改めて自分に言い聞かせている。

94.8月14日に、
 映画『キャタピラー』を観た。

 終戦記念日の前日、若松幸二監督『キャタピラー』を観た。「キャタピラー」という語から、前に存在する障害物、強固な壁や建物も、銃を構える敵兵も、民家も、田や畑も、人も全てをなぎ倒し、粉々に踏み潰し突進していく、侵略の象徴のごとき戦車を思い浮かべた。
 一方で「いも虫」の意味があるらしい。最強の軍事兵器で踏み潰された大地に生きていた「いも虫にも五分の魂」があり、「いも虫の生活」があり、「いも虫の家族」がある。世界を相手に国家が戦争するとき、国民は総動員され、村も、家族も、きょうだい、夫婦も一切合財全てが戦争に駆り出され、協力する。いも虫が戦車に轢き殺されたことなど誰の意識に上るものか、ましてやいも虫の家族の暮らしなど。
 逆に轢き殺されたいも虫の側から戦争を見返してみたらいったいどんなものに映るのだろうか。『キャタピラー』の題名から、かってに想像を広げてみたりもした。
 鶴彬(つるあきら)の川柳を思いだした。「万歳とあげた手を大陸にのこしてきた」「手と足をもいだ丸太にしてかえし」。鶴彬は1938年(昭和13年)に29歳で獄死している。
 映画『キャタピラー』も、この川柳も日本人の表現としては稀有な、「反戦」の構造を持っている。


93.被爆65周年 原水爆禁止世界大会
 
今年は3年ぶりに広島の記念式典に参加した。前回とは比較にならぬほどの参加者が平和公園の会場を埋め尽くし、入りきれぬ人たちが、公園内のあちらこちらに設置されたモニターの周りに集まり進行を見届けた。
 2009年4月「核兵器を使用した唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任がある。」と宣言したオバマ大統領のプラハ演説から、逡巡と回り道を繰り返しながらも世界の核兵器廃絶を求める声は広がりを続けているのだと実感した。
 二人の挨拶が印象に残った。国連事務総長として初の参加となった潘基文(バンキムン)さんは、「核兵器が存在する限り、私たちは核の影におびえながら暮らすことになる。核兵器の廃絶以外に世界をより安全にするための道はありません。」と、直截な言葉を使って、核兵器禁止条約を訴えた。
 秋葉忠利広島市長は、平和市長会議への参加都市が4000を超えたことの報告と同時に、2020年までに核廃絶を実現する目標を世界に訴えた。そして「核廃絶の実現を世界の人々が共に喜び、祝うために」(と私には聞こえた)「2020年に平和の祭典オリンピックを広島に招致する」計画を力強く述べられた。
 潘基文事務総長も、秋葉市長も、その言葉のまっすぐな表現から、核廃絶に向けた不退転の決意を誰もが聞き取ったにちがいない。世界の指導者達、世界の人々に届いてほしいと願わずにおれない。

92.参議院選挙とマスコミ

 「はじめからおわりまですじみちのとおった思想を、私は好きではない。くらしにうらうちされた思想ならどこかにほころびがあってあたりまえで、そのほころびがどこにあるかを自覚しようとしているなら、そこのところが好きだ。」(鶴見俊輔『ちいさな理想』2010年)
 私は鶴見俊輔さんの文章が好きだ。どうしてこんな名文が書けるのだろうか。思想が言葉化されている、言葉が思想化されている、暮らしと思想と言葉が一体化しているとでも表現すればいいだろうか。
 その対極にあったのが今回の参議院選挙の顛末である。菅総理が記者会見で、「財政の再建、健全化をめざし、そのために消費税も含めた税制論議を野党の皆さんと起こして行きたい」と発言し、おそらく「消費税率はいくらを考えているのか」という記者の質問に答えたのだろう、「自民党が出している10%も参考にして考えたい」と発言を補足した。
 この最後の部分の「消費税10%」だけを切り取り、取り上げて、新聞、テレビ、ラジオ、インターネットを通じて報道各社が一斉に流した。
 「消費税10%」の文字や音だけが全国を駆け回り、全ての政党がその抽象的なコトバを振り回すだけの選挙戦になってしまった。米軍基地をどうするのか、安保は、経済再建の筋道は、脱官僚主導の方途は、教育・福祉の充実はどうなる、派遣労働者の問題、若い人たちの雇用問題・・・などら、私たちはどんな社会を求め、どんな国の仕組みをつくろうとするのかという問題が、一切論議されずに終ってしまった。
  政党も、私たち国民も、日本の国のみんながマスコミに翻弄され、踊らされてしまった。暮らしも思想も持たない、「形と音」だけの抽象的なコトバの象徴である。そのコトバに日本中が翻弄され、そして私たちの命や暮らし、国の将来を託する国会議員が選ばれることになってしまった。
 今のマスコミは、言葉尻を捉え、揚げ足を掬うような取材しかできないのだろうか。時間と足を使って徹底的に事実を追及するような取材が困難な時代になってしまったのだろうか。
 自分が住んでいる現代というものを、またまた腕組みして考え込んでしまった。


91.なぜ私は“竜一忌”に行くのか

 6月12日、今年も大分県中津市で開催された“第6回竜一忌”に参加した。今回のテーマは、「伊藤ルイと松下竜一」。作家の鎌田慧さんの講演と、会場からのリレートークで進行する。第2部は、食事をしながら、全国から集まった人たちの交流の場となった。内容については、「追悼松下竜一」の頁で書きたいと思っている。
 翌日は、松下家に伺い仏壇に参らせていただいた後、竜一さんが洋子夫人と毎日散歩した山国川の土手を歩く。もう私の恒例のコースとなっている。
 今年は梶原得三郎さんの新居にお邪魔して、奥さんと娘さん、居合わせた「環境権裁判」をたたかった7人の侍の恒藤さんのご子息も交えて談笑した。
 その後草の根の会の交流拠点とも思しき「大地」を訪ねる。
 須賀るみこさんが「どうしてわざわざ全国の遠いところから来ていただけるのか不思議に思うことがあるんですよ」と言われる。確かに“竜一忌”は、回を重ねるごとに縮小するどころか参加者が増えていく傾向にある。今回も160人が参加したのではなかっただろうか。

 私にとって松下竜一とは、人生の進み方を指し示してほしいとまでは言わないが、自分が今立っている位置を確かめるための羅針盤であると思っている。
 私の今のものの見方・考え方、発言、行動ははたしてこれでよいのだろうか、どうあるべきなのだろうか、1年に1度は松下さんと二人きりで対話しながら自分というものを振り返り確かめる機会となっている。
 今年は2泊3日、往きの新幹線の座席に座ってから、復路の列車が新大阪駅に到着するまで、私と松下竜一さんの対話は延々と続く。
 誰に遮られることもなく、自分ひとりの重さを実感しながら(俵万智)過ごす旅でもある。私にとって、“竜一忌”に参加するかけがえのない意味が、そこにある。

90.在籍の一元化に向けて
 
 5月25日付朝日新聞が「障害者差別の新法制定、政府会議が基本方針素案」の見出しで報じた。
―障害者の当事者も参加する政府の「障がい者制度改革推進会議」は24日、制度改革の基本方針素案をまとめた。2011年の通常国会で障害者基本法の抜本改正を目指す。障害者差別禁止法(仮称)の制定も検討していく。関係省庁と調整した後、6月中にも基本方針を閣議決定する予定だ。
 今回の素案は、今年1月に始まった同会議で障害者らが出した意見をまとめた。障害者基本法の改正時期を明記するほか、障害者団体などが強く求めている差別禁止法は、制定に向けて検討し、12年度末までに結論を出す。
 障害児は現在、特別支援学校に通っているが、障害の有無にかかわらず、すべての子どもが地域の小中学校の通常学級に通うことを原則とする。文部科学省が慎重な姿勢を示しているが、年内をめどに結論を得る。・・・―
 国連「障害者の権利条約」批准に当たって、国内法の整備に伴い、インクルーシブ教育が求められている。現行の特別支援教育をインクルーシブ教育だと言いくるめて、変革に後ろ向きな文科省に対して、全国の障害者を中心にした団体や支援の人たちから批判や抗議の声が上がっていた。
 インクルーシブ教育に転換する、その最も初発の出発点が在籍の一元化である。障害のある人もない人もみんなが地域の普通学校に在籍する。その上で、希望があれば支援学校に通うことになる。
 ようやく「共に学び、共に生きる教育」に向けた制度作りの第一歩が、政府会議の基本方針「素案」としてマスコミ発表されるまでにいたったという感がある。
 しかし、政治をめぐる状況は混迷の極にある。障害者の側の要求と、政治力学との関係は予想だにしない展開をもたらすのではとの不安を禁じえない。沖縄の人たちの願いと思いが政治によって翻弄されているように。片時も息を抜けないと身を引き締めている。


89. 水俣病 首相が直接謝罪

 5月2日新聞各紙1面に見出しが躍った。水俣病の公式確認から54年となる1日、水俣市で開かれた犠牲者慰霊式で鳩山首相が謝罪し、「償いを全うする」と決意を語った。被害者にも直接語りかける場面もあったと言う。
 紙面に掲載された写真の中に、懐かしい胎児性患者さんの顔を見つけた。25年前に寝屋川市の小学校に来ていただき、子ども達と取り組んだ授業のことなどが思い出されてくる。髪には白いものが混じっている。まさに幾星霜を経た実感が湧き出てくる。
 4月16日「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法の救済措置の方針」が閣議決定されたとの報道がされたとき、水俣病センター相思社には、連日患者の方からの「うちらはどげんなっとじゃろか?」との問い合わせが相次いだという。
 半世紀以上にわたって、原因企業のチッソ、国、県に翻弄され続けてきた患者さんたち、地域住民の人たちは、現在も体調や病状の変化、生活の問題、心情など、揺れ続ける日々を送っている。チッソ本社と直接交渉をした70年代、水俣病患者数は百数十人の時代、今や被害者は「数千」をはるかに超えて、「数万」に及ぼうとしている。
 「幕引き」などしてはいけないし、そもそもできるものではないのだ。日本という国家が担い続けなければならない原罪であり、高度経済成長と、その結果としての豊かさを享受している国民の私たち一人ひとりが引き受けなければならない原罪であるのだと思う。
 引き受けるとは、水俣病の現実を知ること、忘れないこと、自分の暮らしを見つめ続けることだと、私は考えている。

88.マチコさん入学式
 10回目の高校受験で、大手前高校定時制に(定員割れで)合格したマチコさんのお母さんから便りが届きました。―
 今日大手前高校の入学式 おえました。10年ぶりの学校生活スタートです。
 クラスには、多種多様と言いますか?高年齢から中学出たてのほやほやな生徒、又これでもかと言うぐらい多くのピアス、勿論耳だけではありません。とても興味深い人たちが一杯おられます。
 式の間は、大人しい娘ですが、教室に戻ると緊張がほぐれたのか、大声で泣き叫び先生の声は聞き取れません。
 でも面白いもので、先生も娘に負けじと、大声で話されておられました。この様子を見て、引く親子もいましたが。面白そうに 見ている人‥‥これから色々なことが起こり楽しそうです。
 因みに娘は、飽きてきて大きな声で「お終い」といったので他のクラスより早く終わりました。***ヾ(≧∇≦)ノ"***―

 障害者(特に知的障害者)の高校入学に関する課題が山積する一方で、マチコさんのこれからの高校生活に興味津々の底で思いを馳せてしまいます。定時制高校に、おそらく一般校と比べて多種多様な個人史を引っさげて集まったであろう生徒たちと、高校受験歴10年という誰にも負けぬ経歴と、圧倒的な個性を持ったマチコさんが、共にこれからどんな青春時代をすごすのか、期待感で目を離すことができません。
 第1日目からしてその予兆は十分に現れているようです。
 
マチコさんの受験時の様子など、お母さんの手で記録されています。「共に学び、共に生きる」のページへ
87.マチコさん高校合格!
 
 大阪府立長尾高校を受験したマチコさんだったが、3月23日の発表では不合格となった。引き続き2次募集で、大手前高校定時制に願書を提出した。募集人員21名中、応募は18名。定員割れとなった。
 8年前に定員割れにもかかわらず不合格とした門前払いを二度とさせてはならないと、お母さんや多くの支援者が府教委に要望書を送ったり、直接の話し合いを繰り返した。
 そして3月26日見事合格した。まさに10年をかけて勝ち取った高校入学であった。
 10年の“たたかい”がこれで終るのではない、これから新たな“たたかい”が始まるのだ。
マチコさんが入学することで、否応なく高校の教育が問われてくる。インクルーシヴな教育とはどんなものなのか、学校はどうあるべきなのか、高校側も私達も、考え、実践することが求められることになる。
 私がいつも気にしている言葉で言えば、「日本の頑迷なる能力主義神話」を如何に崩していくか、越えていくかということにもなる。
 さあ、マチコさんを先頭にいったいどんな「たたかい」の歴史が生まれるのかワクワクしてくるというものだ。

86.高校受験発表の日
 
3月23日は大阪府立高校後期受験の発表の日だ。以前小欄でも紹介したが、新マチコさんが10回目の長尾高校受験に挑戦している。
 「あたりまえに生きたい、あたりまえにみんなといっしょに過ごしたい、それが私たち親子のスタンスです。」「あきらめないことが周りや仕組みを変えていく。引き下がることで、どんどん住みにくい社会になっていくのではないでしょうか。」お母さんの言葉が端的に表しているように、それは新さん親子の10年の“たたかい”の歴史である。
 一方で、大阪府教育委員会にも10年の歴史があったはずである。特に、マチコさんを定員内不合格とした2002年以降、知的障害者の高校入学について、府教委がどのように考え方を変え、制度改革の努力をしてきたのか、今問われている。
 マチコさん以外にも二人の障害生徒が定員割れの高校を受験している。多くの障害者団体始め、支援者達が合格発表の結果を注目している。

85.マスメディアはこれでいいのか?
 本誌“折々の記”(2月7日付け)で「小沢一郎不起訴の報道に接して、 地検特捜部と巨大マスコミが二人三脚で、脚本・構成・演出を担当した劇場型ドラマにされつつあるのではないかとさえ、この間の両者の動きは思われてくるのだ。」と書いた。
(続きは読んでいただければと思う)
 以下のこんな問題も、現在のマスコミに対する疑問、不信感を募らせるものだ。
 2月8日付朝日夕刊の社会面に、厚生労働省の元局長村木被告に対する裁判で、元上司が捜査段階の証言を翻し、「マスコミの報道によって思いこみをしていたように思う」「一定の大きなストーリーの中で私の立場が位置づけられたように思う。壮大な虚構ではないかと思い始めている。」と語っているとの記事があった。小沢問題に対する検察特捜部とマスコミという同じ構図が見て取れる。
 今ひとつは、亀田兄弟がいつの間にやら、気さくで心優しい若者として、テレビの画面にひっきりなしに登場してくることである。そして2月7日のWBA世界フライ級タイトルマッチで亀田大毅が見事に新チャンピオンになる。
 もうマスコミ(この場合はMBS)の思い通りの筋書きが作られ、人物像が創作されて、それがテレビに出ることで、マスコミの思うがままの受け取りを視聴者・国民はしてしまっている。たった1年半の間に180度異なった人物像を目の前に出されて、何の疑いも挟まぬままに受け入れているのである。
 もういい加減私たちは、マスメディアが一方的に送りつけてくる映像や言葉を鵜呑みにしない批判精神を身につけてもよいのではないだろうか。

84.障害者が過半数の改革推進会議 政府内に発足
 DPI(障害者インターナショナル)機関紙『我ら自身の声』から引用する。―12月15日に障がい者制度改革推進本部が発足した。鳩山総理を本部長、福島大臣などを副本部長とし、全閣僚で構成される。特に、その目的に、「障害者権利条約の締結に必要な国内法の整備」が掲げられており、障害者差別禁止法や虐待防止法、モニタリング機関、インクルーシブ教育への転換などが大きな課題となる。言うまでもなく、「自立支援法」に代わる「総合福祉法」の検討も喫緊の課題である。・・・1月12日には、障がい者制度改革推進会議の第1回会合が開催される予定である。障害者団体、学識経験者、経済界、労働組合、自治体等からの委員で構成されるが、特筆すべきは、その過半数が障害者等で占められることだ。これまでの官僚主導の検討会とは違う、当事者参画による政策決定の舞台とならなければならない。・・・―
 「障がい者制度改革推進会議」の委員の過半数が障害当事者となることは、「あたりまえ」といえばそうに違いないのだが、これまでの日本政府の姿勢、歴史から言えば、画期的なことである。政権交代の意味が様々なところにじわりじわりと顔を出し、そして実現し始めている。同時に、ザワザワと抵抗も広がり出している。
 政権交代を実現させた国民の側が、「私達はどんな社会の仕組み、国のあり方を求めるのか」を不断に問いながら、声を出し、行動を起こしていかなければならない。私達の力で政治や国が変わる、変えられるという実感(ほんのわずかなものかもしれないが)がもたらした、最大のそれが教訓ではないだろうか。

83.2010年 あけましておめでとうございます!
 
2009年には政権交代が実現し、社会は変わる、歴史は動く、否変えられることを実感しました。時代を考えるためのキーワードを「能力・競争・評価」から、「共に・つながり・学び合い」へと変える必要があるのではないでしょうか。
 頑迷なる日本の能力主義神話を超えて、「共に学び、共に生きる教育」を実践したいと思います。子どもも大人も、やっぱり人は向き合い、求め合い、つながり合って生きるものなのだと思います。
 毎年年頭に書き続けている言葉があります。「愛の反対は暴力ではない、無関心である。」(マザーテレサ) 今年も無関心でいないための勇気を持ち続けたいと思います。
 よき年であることを祈りながら、よき年になるよう行動しましょう、共につながり合いながら。

82.貧困問題と障害者問題
 昨年「共に学び、共に生きる教育」日本一の大阪に!と声を上げ、橋下知事への公開質問状に取り組んだとき、「共に学び、共に生きる教育」を実現することは、「共に学び、共に生きる社会」をつくることではないかと話し合ったことがあった。
 試行錯誤の中で様々な活動を続けてきたが、その中に反貧困ネットワークとの交流が提案されたことがあった。貧困問題を通して、社会や国のあり方を見つめなおし、更につくり変えようとする動きに共感できたからだ。
 湯浅誠さんはその著書「反貧困」で、「バリアフリー」の問題を次のように述べている。(「駅にエレベーターをつけたり、歩道の段差をなくすこの『バリアフリー』は、、障害者の人たちが『かわいそう』だから進めるのではない、ということだ。少なくとも障害者の人たちは、そう主張していない。」と書いた後で、「少なからぬ人々が普通に外を出歩けない状態は、その人たちの側に『問題』があるのではなく、社会の側に『問題』がある。その意味で、社会の『障害』、社会の『不自由』である。・・・普通に外を出歩くという『機能』を達成するための『潜在能力』を奪われているという意味では、これは貧困問題でもある。・・・貧困問題も、本人の『問題』ではなく、社会の『問題』である。・・・貧困は自己責任ではない。貧困は、社会と政治に対する問いかけである。その問いを、正面から受け止め、逃げずに立ち向かう強さを持った社会を作りたい。」
 「共に学び、共に生きる教育」の実現をめざす社会運動と、教育の場での実践を通して、私たちはどんな社会、どんな国を求めてそれを作ろうとするのか、考え続けたい。
 北河内平和人権センター主催で湯浅誠さんの講演会を開催する。僕が今最も注目する人の一人だ。

81.10回目の高校受験
 マチコさんのお母さんの訴えを読んでください。『9年間の受験を振り返って』
 枚方市に住むマチコさんは今度10回目の高校受験に挑戦する。生まれながらに知的障害のあるマチコさんは、地域の保育所、小学校、中学校に通い、友達といっしょに学び共に育ってきた。2001年、あたりまえに友だちといっしょに地元の長尾高校に行きたいと願い受験したが点数がとれずに不合格。翌年も受験、この年は定員割れが起こり、誰もがマチコさんの合格を確信したが、結果は定員内の不合格に。理由は、「あまりに点数の差が著しいこと」と当時の校長は説明した。
 点数が取れないことがマチコさんの障害であるにも関わらず、その障害を理由に、しかも定員内であるのに不合格とした学校側と、それを認めた府教委に対して、抗議の声が起こり運動となって広がった。
 以後毎年受験し不合格を繰り返してきた。しかしマチコさんと保護者の不屈の取り組みは、地域の小・中学校への就学の門をさらに広げ、大阪では高校受験での定員内不合格を出さない流れを定着させてきた。
 北河内連絡会(左の頁参照)の学習会で、10回目の受験を控えた気持ちを語られた、「あたりまえに生きたい、あたりまえにみんなといっしょに過ごしたい、それが私たち親子のスタンスです。」「あきらめないことが周りや仕組みを変えていく。引き下がることで、どんどん住みにくい社会になっていくのではないでしょうか。」すがすがしいほどにきっぱりとした“たたかいの宣言”だと、僕には聞こえた。

80
 韓国映画週間
 映画を見ていると、それぞれの国の状況というものがひしひしと感じられて興味深い。その典型がアメリカの、特にハリウッド映画の凋落振りであることはこれまで書いて来たところである(よろしければ「折々の記」を)。あれほど斬新さとエネルギーを感じていた韓国映画も、なぜか最近おもしろさが感じられなくなってきていた。そんなところに、韓国映画週間の案内が届いた。韓国の現実を感じるためにものぞいてみたいと思っている。
■2009「大阪韓国映画週間」 
 日本未公開の新作韓国映画3作品を一挙上映!
◇ 上映スケジュール&作品紹介
@「Go Go 70s」(Go Go 70s)
  (2008年/118分/35mmカラー/日本語字幕
◆監督:チェ・ホ(Choi Ho)
◆出演:チョ・スンウ(Cho Seung-woo) シン・ミナ(Shin Min-a)
A「うちにどうして来たの?」(My home)
  (2009年/107分/35mmカラー/日本語字幕)
◆監督:ファン・スア(Hwang Soo-a)
◆出演:カン・ヘジョン(Kang Hae-jung)  パク・ヒスン(Park Hee-soon)
B「今、このままがいい」(Sisters On The Road)
  (2008年/96分/35mmカラー/日本語字幕)
◆監督:プ・ジヨン(Bu Ji-yeong)
◆出演:シン・ミナ(Shin Min-a)  コン・ヒョジン(Gong Hyo-jin)
●期間:11月28日(土)〜29日(日)
●会場:布施ラインシネマ10・北館(近鉄奈良線「布施駅」より西へ徒歩2分)

●主催:駐大阪大韓民国総領事館・大阪韓国文化院
http://osaka.korean-culture.org/welcome.do

詳しくは上記ホームページを。

79.坂本美代子さん通信
 
前回「いのちのたらいまわし」で紹介した水俣病新「認定」患者坂本さんとその支援者が『坂本美代さん通信』の配信を始めました。あくまでも患者の暮らしの目線から、軽妙洒脱な言葉で綴られます。―
 10月28日(水)午後1時半頃に東京駅に到着し、そのまま、まずは、チッソ本社に向かうことになりました。 傍聴希望の皆様! 取材希望のマスコミ・ミニコミ・フリージャー
ナリストの皆様! 応援してくださるなら誰でも歓迎いたします。事前にメールにて、ご一報ください。
 チッソ本社に行った後の予定は、坂本さんの体調次第。チッソが「補償協定通りに、払わせて頂きます」と言うまで、頑張ります。
<県からも、チッソからも…(汗)>
ヤマナカ「もしもし〜。そろそろ、チッソから何か?」サカモト「まだ。昨日の木曜で認定通知から一週間たつのに…」ヤ「あらま〜」サ「補償協定のお金を払わない理由を、考えてるのかも」ヤ「じゃあ、県からは? 私のほうにはメール来ないですけど」サ「ない。28日に行く時、県知事でなくても県の誰か立ち会って欲しいけど…」
 『坂本美代子さん通信』は、

http://www.fastwave.gr.jp/diarysrv/kmtomonokai/


78.
いのちのたらいまわし
 10月7日新聞の社会面で小さな記事が目に入った、「
水俣病 県が2年2カ月ぶり認定」。記事はこう続く、「熊本県が6日、2年2カ月ぶりに1人を水俣病と認定した。認定されたのは、関西訴訟の元原告で大阪市在住の坂本美代子さん(74)。支援者によると坂本さんは6日午前11時ごろ『認定された』との電話を受けたという。」
 
2004年最高裁はチッソ水俣病関西訴訟で、国、県の行政責任を認める画期的な判決を下した。坂本さんはその原告団の一員でもあった。しかし最高裁で「認定基準」の誤りを指摘する判決が出たにもかかわらず、政府も熊本県も基準を変えようとはしなかったため、多くの患者が水俣病と認定されないままに放置されてきた。
 坂本さんは、「関西訴訟確定後も、県庁前で座り込むなど、あくまで県による水俣病の認定を求める運動を」続けることになる。今回ようやく30年かけて「認定」を勝ち取ることができたのだ。
 その夜支援者の方からメールを頂いた。『坂本美代子さん通信』と名づけた文面には、坂本さん自身のこんな思いも紹介されていた。「最後まで責任を持ってほしい。検診はしました、認定もしました、お金は向こうで貰って下さいなんて、命のたらい回しはやめてほしい。命のたらい回しをする国・県って、何? 私には命は1つしかない。いい加減にしてと言いたい」
 30年かけてようやく認定されたものの、公害を起こした当の原因企業であるチッソが、坂本さんを補償協定の対象にしないと言うのだ。今度は、チッソを相手に交渉をしなければならないと言うのか、ぎりぎりまで追い詰められた坂本さんの怒りの表現だと僕には聞こえる。
 「ウチは認めましたよ」(30年も放置しておいて)、「次はチッソとやり合って下さい。だってあなたの命なんだから」と言って突き放してしまう国や県の行政とはいったいなんなのだろうか。

77.酒井法子報道と政治報道 マスメディアの猛省を求める
 酒井法子の失踪をめぐって、芸能ネタ好きの我が家に限らず、全国ほとんどの人たちが事実と正反対のストーリーを思い描き、ノリピーの身の安全を祈り、一刻も早い発見を願うまでに至った裏には、マスメディアの作り出した「酒井法子」という偶像と、デビュー以来の長年月マスメディアによって流され続けてきた情報による大衆操作があったのだということを、前回の小欄に書いた。
 私たちの暮らしの最も身近なところで、しかも20年以上にわたって情報操作に踊らされてきた実態を垣間見る絶好の例だといってもよいだろう。
 小泉前首相が竹中大臣と共に、行財政改革、民間活力、規制緩和、市場原理主義の導入、自由競争、小さな政府、自己責任・・・等々の言葉を操りながら「新自由主義」を振りかざしていたとき、マスコミ各社はこぞって小泉の「改革」路線を新聞、テレビを通じて流し続けた。「劇場型の小泉政治」と新聞各紙は見出しを掲げたのだが、「劇場型」を生み出したのは他でもない、当のマスメディアであった。そして05年の「郵政民営化、是か否か」のみを問う総選挙で、自民党の圧倒的勝利を導いたのもマスメディアによる大衆操作の結果であったといっても過言ではない。
 しかし、新自由主義の政策を実行したのは、イギリスのサッチャー、アメリカのレーガン政権であり、1970年の後半から80年にかけての時代であった。格差をはじめ様々な社会問題が生まれ、ヨーロッパ、イギリスでは行過ぎた市場主義への批判と反省から、その後は北欧諸国を先頭に福祉型社会・国家への転換をめざして国づくりが進んでいる。新自由主義に対する世界的な批判・評価はもうすでに定まっていたのだ。
 また湯浅誠や堤未果の著作を読めば、小泉がめざしていたアメリカ社会が、その当時からどれほど「ひどい」社会であり、国家となっていたかは明白である。
 当然研究者、学者、批評家などから多くのアメリカ批判、新自由主義批判が出されていたはずである。しかし、それが私たち国民の目や耳にほとんど届かなかったのである。理由は明らかだ、マスメディアが取り上げなかったからである。
 ではなぜマスコミはそれら批判的意見を取り上げず、小泉の一方的な言動しかニュースにしなかったのだろうか。国民がおもしろがり、興味を惹かれてテレビ画面や新聞紙面に耳目を集めるのはそちらだと判断してのことだったのか。日本のマスメディアにとってニュースヴァリューとはそんなものであったのだろうか。
 マスメディアとしての真摯な反省と厳しい総括を求めたいと思う。

76. 酒井法子報道から見えること
 
8月に押尾学が麻薬取締法違反容疑で逮捕されたとき、それを伝えるテレビのニュースを見ながら「矢田亜希子は、どうするのかね。まだ生まれたばかりの子どももいるのに。」と、食卓を囲んだ我が家の談義が弾んだ。
 それから幾日も経たない内に、今度は酒井法子の夫が覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕されるとのニュースが流れた。しかも酒井法子が長男を連れて失踪し行方不明であることが大々的に報道された。言うまでもなく我が家の食卓談義は一気に盛り上がった。「あの清純なノリピーが、夫の悪事を知って傷つき、耐えられなくなって身を隠したに違いない。或いはこれまで麻薬の禁断症状で暴れる夫の暴力に身を晒し続けてきたのかもしれない、我が子をかばうために。ひょっとすれば、夫の穢れた罪に耐えかねて、あのノリピーが自らの命を絶つやも知れぬ。」一刻も早く発見されることを祈る思いですらあった。
 わが家族談義における特異な話ではなく、おそらく全国のほとんどの人たちが五十歩百歩同じような話題に夢中になり、喋り合っていたのではなかっただろうか。テレビのニュース番組、ワイドショー、新聞等々いずれのマスコミ報道にも自殺の危機を匂わせるものがあった。
 発覚した事実は180度違っていた。ではなぜ、事実と正反対のストーリーを、しかも日本全国の圧倒的に多くの人たちが思い浮かべ、ノリピーの身を気遣い無事を祈るような感情までを持ってしまったのであろうか。
 私たちはマスメディアが作り上げた「酒井法子」という偶像を見ていたに過ぎないのだ。マスコミの流す一方的な情報によって、私たちの感情、考え方までが大衆操作をされていたというわけだ。
 北朝鮮だけが情報統制された「恐ろしい国」なのではない、私たちの国もまた大量の情報によって、趣味、好み、感情、考え方までが操作され、意図を持って作られてしまう社会・国になってしまっている。そうした情報化社会に全く疑いを持たない国民性があるとすれば空恐ろしいことだ。疑念をさしはさまないように情報操作をされていることの、それは証でもあるのだから。

75.政権交代が実現した
 
8月30日の衆議院議員選挙の結果、民主党が308議席を獲得し政権交代が実現することとなった。戦後の55年間自民党一党だけが第1党であり続け、細川連立内閣の一時期を除いて、常に政権与党の座に居続けるという異常な事態にはじめて終止符が打たれた。民主主義のルールと手続きに則って革命が起こったといっても過言でないくらい重大な出来事だと思っている。
 これまで自民党にしかもたらされなかった国内、国外のあまたの情報が、中でも安全保障に関わる秘密裏に取り交わされていた情報も、その全てが民主党にもたらされることになる。「ガラス張り」になるかどうかはわからないが、1党だけが掌握するのと、2党が「知る」ことの意味は全く違ってくる。
 おそらく今後、あらゆるところで「変化」が生まれてくるだろう。▼自分の投票行動で政権交代を実現した経験が、国民・市民の政治意識に変化をもたらさないか。▼格差社会への危機感が新自由主義への反発と批判をもたらした。では、次はどこへ向かうのか。「共に」「共に学び、共に生きる」「つながり合う」などの言葉が社会を展望するキーワードにならないか。▼マスコミがどう変化するだろうか。ニュース番組に限らず、いまやテレビを席巻するバラエティー番組の質は、変わるのだろうか・・・、僕の中でも変化を求める期待が次々と浮かんでくる。
 果たして「よくなるのか、悪くなるのか」は、それぞれのもつ価値観によってもちがうのだろうけれど、「与えられる」のではなく、「よくする」ために考え、話し合い、論議を起こし、行動する国民・市民がさらに大きな層となって広がることを期待したい。自分も無関心ではいない国民・市民の一人でいたいと思う。

74.衆議院議員選挙候補者へのアンケート
 総選挙投票日まで後わずかと迫った。衆議院解散から40日間あったことや、マスコミが「マニュフェスト選挙」という言葉を流し、定着してきたことで、これまでになく「政策」についての論議を見聞きする機会が増えた。何よりも政権交代が実現すれば、私たちの投票行動によって「政権選択をできる」という実感を持てるだろう。この経験が国民の政治意識の底上げにつながることを期待している。
 友人が障害者問題に関わるアンケート結果を送ってくれた。「市民・国民の側が候補者にアンケートをとることができるんだ」と思うと、もっと政治のことが身近に感じられた。ひとつ、これからは仲間を募って、僕たちもアンケートをとってみたいとも思った。さらに政治を私たちの普段の暮らしの場に引き寄せることができるのではないだろうか。
―本日、衆議院選挙の公示日となりました。障害者権利条約批准・インクルーシブ教育推進ネットワーク事務局では、連絡先が判明した709人にアンケートを送付し、285人から回答を得ることができました。
 質問は、権利条約批准と国内法整備の課題について、学校教育法改正の課題について、障害をもつ子どもの就学指導及び手続きの課題について伺いました。「障害児を普通学級へ全国連絡会」にご協力頂き、貴団体のウエブサイトに情報を掲載してて頂きました。
 障害児を普通学校へ全国連絡会ホームページ
http://zenkokuren.com/
 是非、サイトをご覧頂きたいと思います。
 この他、
「千葉市地域で生きる会」が、政党と千葉の小選挙区候補者に行ったアンケート結果が以下のサイトにアップされています。
千葉市地域で生きる会のホームページ
http://yumetizu.cocolog-nifty.com

73.水俣病患者の緊急声明
前回のTopicsを次のように書き出した―解散、総選挙をまじかに控え、選挙対策とも思える重要法案の採決が立て続けに行われようとしている。「拙速」という言葉が何度も繰り返し新聞紙面に踊るように、十分な審議や国民的論議がなされないままに採決が目指されている。形勢不利のためにずるずると解散を引き延ばし、本格政権をスタートさせることができなかった政治のツケを、けっきょく国民に回してきたのだ
―そして、「臓器移植法」、特に「脳死」の問題について書いた。
 同様に、十分な話し合いがされず、特に現地の当事者の人たちの意見が反映されないままに採決されたのが、「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法案」である。
 水俣病患者の側は、緊急の反対声明を出した。「加害企業を免罪する『チッソ兜ェ社化』に再び反対する緊急声明」
 改めて、国家と国民・市民、それをつなぐ政治というものについて考えてしまう。
 緊急声明はこちら

72.「脳死」に対する態度
 解散、総選挙をまじかに控え、選挙対策とも思える重要法案の採決が立て続けに行われようとしている。「拙速」という言葉が何度も繰り返し新聞紙面に踊るように、十分な審議や国民的論議がなされないままに採決が目指されている。形勢不利のためにずるずると解散を引き延ばし、本格政権をスタートさせることができなかった政治のツケを、けっきょく国民に回してきたのだ。
 そのひとつが、衆議院を通過して現在参議院で審議中の「臓器移植法案」である。特に「脳死」をどう捉えるかは、まさに「いのち」の捉え方そのものの問題を提起している。正直なところ僕自身も考えれば考えるほど揺れ続けてしまう。
 そんな中“人工呼吸器をつけた子の親の会 《バクバクの会》”から緊急メールを頂いた。とてもよく分かる意見が書かれてあった。
 「「脳死」を人の死とし、家族の同意だけで臓器の摘出を可能とする臓器移植法改定案(A案)が衆議院で可決され、参議院での審議が始まりました。
 〈バクバクの会〉の子どもたちの中には、医師から「脳死」「脳死に近い状態」と宣告されながらも、人工呼吸器を用いて毎日を精いっぱい生き、その子なりのペースで成長している子どもたちが大勢います。もしもA案が成立するようなことになれば、このような子どもたちの生きる権利が脅かされるのではないかと懸念されます。」
 〈バクバクの会〉では参議院議員への緊急の要請行動(メール、ファックス)を呼びかけておられます。詳しくは、こちら。
〈バクバクの会〉ホームページ
http://www.bakubaku.org/

71.府教委との話し合い
 6月16日、大阪府教育委員会と私たちネットワーク(府内123団体)との話し合いを持った。1月20日橋下知事宛に「障害のある子も、ない子も『共に学び、共に生きる教育』をもっと充実発展させるための公開質問状」を提出し、2月20日付で府教委から出された文書回答についての話し合いだった。
 私たちが16人に対して、府教委各課から12人が出席という丁寧な対応をしていただけたのだけれど、口当りのいい言葉に終始して、結局平行線のまま終わることになってしまった。
 詳しい内容は別の機会に譲るが、私たちの主張は、おおよそ2点にあった。@いつも頭ごなしに発言する橋下知事であるのに、今回の回答には、全く知事の意見・肉声が感じられない。読んですらいないのではないか。A府教委の方針でもある「共に学び、共に育つ教育」ができていない。「分ける」教育が進行している。ましてや橋下知事の下、能力主義・競争主義・成果主義がますます進行するのではないか、という危惧を「質問状」の最初から最後まで表明しているのだが、全く回答には触れられていない。
 これからももっと工夫した話し合いを持つことを確認して終了した。
 今、「共に・・・」の教育を求めるのか、「能力主義」の教育を求めるのか、だれもが選択しなければならない時期を迎えていると思うのだ。それは自分はどんな社会を、どんな国を求めるのかを選択し、表明することでもある。クラスはみんな仲良く過ごす「共に・・・」で、勉強ではできる子はどんどん進む「能力主義」などという、ていのいい「中間・両立」は本来ありえないのだと思う。学校も家庭も選択しなければならないところに直面している。学校の側に身を置く者としては、子ども達が目を輝かせて「共に学び合う」学習、授業を生み出す不断の努力をしなければならないのだと僕は考えている。
 とはいえ、「共に学び、共に生きる教育」という言葉そのものを実はまだまだ知らない人たちがたくさんいるということを痛感している。まずはこの言葉だけでも「こんな教育があるんですよ」と、一人でも多くの人たちの目の前に広げて見せる方法はないものかと思案をしている。お知恵を貸していただければ幸いです。

70.大衆操作、
    する側・される側

 
小沢一郎代表の辞任に伴う民主党代表選挙が行われ、鳩山由紀夫を選出して終わった。1週間という短い期間ではあったが、久しぶりに新聞、テレビなど各報道機関がトップで政治、国政を取り上げ、国民に議論の場を提供する機会となった。
 僕は小沢一郎という人は、現在の国会議員の中では図抜けた力量を持った政治家だと思っている。民主党始め野党の攻勢にさらされ、世論から批判の槍玉に挙げられ続けていた麻生首相と自民党にもう打つ手はないだろうと思っていた矢先に、3月の東京地検特捜部による西松建設疑惑での小沢の秘書逮捕という突拍子もない報道が流れた。「まだこんな手があったのか」と、正直僕は思ったものだった。正に「国策捜査」だと思った。
 (仕掛け人の思い描いたとおりに)これを機に一気に潮目が反転し、自民党と内閣の支持率が上昇し、「政権交代」が絵空事であるかのような雰囲気が流れるようになった。特捜を動かし、報道を操作する「黒幕」がこの国には実在しているのだということを実感した。
 おそらく小沢自身は、それが誰であるのか、仕組みがどうなっているのかも知っているに違いない。普通ならこれで政治家生命が断ち切られ辞職で幕引きとなるのだろうが、小沢一郎という政治家の力量が対抗して、闇を切り裂いてくれることを期待もしている。
 改めて思うのだけれど、日本という国では、地検特捜部が国家権力を行使することによって、マスコミが情報を管理することによって、大衆操作(世論操作)を通して、政権を「つぶす」ことも、「作る」ことも思うままにできる実態があるのではないかと。「自分が国家を、政権を作るのだ」と、豪語しながらほくそえむヒロイズムにまみれた人物がいるのかもしれない。
 一方でそれは、国民、市民の政治意識がそれほど弱く、薄くなっていることの証左でもある。
 50年以上も続く旧態依然たる疲弊した体制と、それに巣食う巨大な利害関係を、揺り動かし整理しなおすためにも、また国民の政治に対する興味、関心、意識を奮い起こすためにも、政権交代が行われなければならないと思っている。

69.「回復する」という希望の言葉
 先日病院の定期健診を受けた。(「前よりも」と前置きを付けてではあるけれども)「よくなってますよ」との言葉を頂いた。
 昨年の3月末に入院・検査をしてから丸1年が経った。「死」というものとこれまで以上に身近に向き合いながら、病気と付き合っていく、そんな生き方をしていくんだろうなと、頭では理解しながら、医師の一言や検査の数値に心が揺れ続けたり、体調の変化に一喜一憂する毎日に、思いの他「弱虫」である自分を発見する日々でもあった。
 そんな僕が、(前よりも)「よくなってますよ」との医師の一言に上気するほどの笑顔で反応したことは言うまでもない。
 それにしてもと思うのだ、前回書いた「スッキリと分かる話」や「よくなる」「回復する」という希望につながる言葉が(医療や健康の問題だけではなく)、近頃、いやここ数年と言ってもいいかもしれない、聞かれなくなったな、使われなくなったなと思ってしまう。
 若者や中堅の人までが、職を失い、収入をなくし、家を失い、貧困に転落する。日本で餓死者が出るという信じられない時代が現実に出現してしまった。こんな時代だから「スッキリと分かる話」が出来ないのだろうか、「よくなる・回復する」という言葉が使われなくなるのだろうか。
 言葉は社会の状況を映し出すものではあるだろうけれど、状況を切り拓く自由さと、力を喪失させてはならないのだと思っている。

68.ハヤシライスの由来?!
 

 僕は幼いときから母の作ってくれるハヤシライスが好きでした。百貨店に買い物に行ったときに大食堂で食べるハヤシライスもいいのですが、裸電球の温かな光の下で、丸いちゃぶ台を囲んで家族で食べる時の味は、幸せで、格別であった印象が残っています。もちろんカレーライスも好物なのですが、いつでも食べられるカレーライスとちがって、何か西欧風な、今ではほとんど使われなくなった言葉ですが、ハイカラな雰囲気をかもし出す、当時の僕にはふしぎな料理でした。
 ところで、「なぜハヤシライスというのだろう?」
との疑問が頭の
片隅に引っかかっていました。ビーフシチューとか、ハッシュドビーフと言えばなんとなく意味が分かるような気がするのですが、ハヤシライスはてんで意味がつながらいのです。
 先日東京の丸善書店に寄って、店内のレストランに入ったところ、なんと「ハヤシライスの由来」が書かれてあったのです。いわく、「ハヤシライスを生み出したのは、丸善の創業者早矢仕 有的(はやし ゆうてき)と言われています。幕末か明治の初年のことであろう。友人が訪問すると、有的は有り合わせの肉類や野菜類をごった煮にして、飯を添えて饗応するのが常であった。そこから人々はこの料理を『早矢仕ライス』といい、ついにはレストランのメニューにまで書かれるようになった。」
 「なるほど、そうだったのか」と、一挙に納得し了解して腑に落ちた。これまで時折浮かんでは、頭の中でつっかえて居心地悪く居座っていたものが、軽快に流れ去る爽快感がありました。
 それにしても近頃、いやここ数年かも知れません、スッキリと分かる話が本当にないものだとつくづく思いました。

67.水俣病センター相思社より
     緊急アピール

相思社から次のような依頼が届きました。
皆様
先日配信させていただいた与党の「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の最終解決に関する特別措置法案」について、多くの方から感想をいただきました。
これにつきまして、水俣病患者の緒方正人さんから緊急要請をいただきましたので、配信させていただきます。
緒方正人さんは、この「水俣病救済法案」を見過ごすことはできない、抗議の意志を表明したい、同じ思いの方が多数いると思うので、多くの方に呼びかけて、賛同いただける方の名前を列記したい、との旨を伝えてこられました。

以下の声明文案は緒方正人氏の作成によるものです。声明の趣旨に賛同いただける方は、「”緊急”共同声明に賛同する」旨と、氏名(肩書き※)を記してご返信ください。
締め切りは3月19日の午後3時です。声明発表は3月20日です。その際に名簿を掲載させていただきます。
※肩書きはご自身の判断でかまいません。
※緒方正人さんの緊急「共同声明」文案 はこちら
※賛同の返信メールはこちらの相思社のEメールで
info@soshisha.org

66.「大阪府」の文書回答が届く
 1月20日に、橋下徹知事宛に提出した「障害のある子も、ない子も『共に学び、共に生きる教育』をもっと充実発展させるための公開質問状」に対する文書「回答」が届いた。
 一読して感じることは、耳障りのよい言葉の連なりで、大阪府教育委員会の障害児・者に対するこれまでの深い配慮と、今後に向けた前向きな行政の願いが書かれてある。
 例えば「大阪府及び大阪府教育委員会では、ノーマライゼーションの理念のもと、すべての幼児児童生徒が「共に学び、共に育つ」ことを基本に推進するとともに、障がいのある幼児児童生徒一人ひとりの多様なニーズに応じたきめ細かな教育を推進し、社会参加や社会的自立を支援することを、教育の基本方針のひとつにしています。」というように。
 ではなぜ私たちは、あんなに府の姿勢に危機感を感じたのだろうか、「共に学び、共に生きる教育」を守りさらに進めていこうとの呼びかけに、瞬く間に122団体もの賛同が集まったのだろうか。
 また橋下知事が「くそ教育委員会」と罵詈雑言を加え、強圧的に教育委員を挿げ替えたりしたのは何だったのだろうか。
 すばらしい理念は書かれていても、私たちの危惧していること、だから聞きたいと思っている具体的質問に対しては答えが返されていないのだ。今回の「回答」は、いま大阪で起きようとしている教育をめぐる事態の本質にはいささかも触れられていないと言わざるを得ない。
 何よりも橋下知事自身の言葉が一切ない。強圧的な教育行政への介入との批判に全く耳を向けず、マスコミを通して声高に発言を続けた知事であるのに、私たちの質問に対しては一言も「自分の言葉」を返してはくれなかった。私たちが時間をかけ、意見を交流しながら作り上げ、障害者自らの声を何とか知事に届けようと、質問状の手交、記者会見を取り組んだにもかかわらず、或いは知事は目を通すことすらもしていないのではないかと思ってしまう。
 さて、これからどうして行くか、皆さんの知恵やご意見、力を貸していただければと思います。
府の文書「回答」はこちら

65.橋下知事へ「公開質問状」提出
 
1月20日、「共に学び、共に生きる教育」日本一の大阪に!ネットワーク(府内122団体で構成)で、橋本徹大阪府知事に対して「公開質問状」を提出し、その後記者会見を行った。
 午後3時、府庁内の待合室に続々と障害者、保護者、支援者が集まってくる。メーリングリストで呼びかけたのだが、予想以上の人数に緊張と期待が膨らんでくる。車椅子やストレッチャーを連ね、府庁内をぞろぞろと移動する集団に、庁内の人たちの目が集まり、周囲の雰囲気が変化していくのを感じる。庁内を移動することからすでに、私たちの表現、主張が始まっていた。
 会議室を46人の障害者、保護者、支援者が埋め、見守る中、教育委員会に「公開質問状」を手渡した。その後、庁内記者クラブに移動して、記者会見を行った。5社の新聞記者の前で、障害者自らが、語り、訴えた。
 そもそもの発端は、昨年6月に北河内連絡会の定例会を「いつものように」十人あまりで開いていたときだった。話題が、そのときかまびすしく予算の凍結を叫んでいた橋下知事のことになり、「財政問題もさることながら、そのうち教育にも口出ししてくるのではないか」と、一人の口から漏れ出たことに始まる。
 誰もが同意した。そして、「お金のことも大事だけれど、大阪の教育が壊されてしまうのではないだろうか。」「共に学び、共に生きる教育が、競争主義の教育に変えられてしまうのではないか」との不安や危機感が参加者の中に広がった。
 その場で、「共に学び、共に生きる教育」を守り、さらに進めるために知事宛の要望を行うことを決め、賛同団体を募ることにした。今思い返してみても、いかにも早い決断と、行動であった。
 私たちの取り組みと並行するように、橋下知事は「大阪維新プログラム」を発表し、「教育日本一をめざして」等、矢継ぎ早に教育に関する発言提言を繰り返すようになった。習熟度別クラス、まなび舎事業、特色ある進学高校、学力テストの公開、教育委員のすげ替え・・・等々、私たちが予想したとおり、否それ以上に、能力主義、競争主義、成果主義の教育への転換を狙うものであった。
(続きは、「共に学び、共に生きる教育」日本一の大阪に!を見てください。)

64.あけましておめでとうございます
 
なんだか暮らしにくくなりました。働きにくい、自由にものが言いにくい、そんな世の中です。
 「愛の反対は暴力ではありません、無関心です」(マザー・テレサ)、年頭に繰り返し書き続けていることばです。
 隣人、家族に対して、暮らしや仕事、政治、経済、文化に、自然や環境、或いは戦争や差別、貧困、飢餓の問題に・・・、無関心でいないためには勇気が必要です。
 それが今試されているのだと思われてなりません。
 新しい年が、明るい1年となりますように!

          2009年元旦

63.おすすめ、映画『青い鳥』
 
都内のある中学校の2年生のクラスで、重大な事件が起こり(と想像される)、休職した担任に代わって非常勤講師の村内先生が着任した。
 今日からどんな教師が来るのか、興味津々に待ち受ける生徒たちの前に立った村内先生の口元が映し出される。口元が震えるように動いている、唇から絞り出されるように音が続く、「・・・ワ・ワ・ワ・・・ワスレルナンテ、ヒキョウダナ」
 生徒たちは、今なんと言ったのか、信じられない言葉が飛び出した驚きで、ざわめきが広がり、さらに、ますます震えを帯びた唇から、次の一音が絞り出されようとする口元と顔を覗き込む。
 やがて、一部の男子生徒が異変(ちがい)を感じ、まねるように口を動かしながら、それを合図に笑いが教室に広がろうとする、その刹那、教師(阿部寛)の言葉が続く、ゆっくりと、一語一語を噛み締め、確かめるように。
 「わたしは、どもります。うまく話すことができません。だから、本当に大切なことを、本気で話します。人が本気で話す言葉は、本気で聴かなければなりません。」
 この導入場面が、映画のすべてを語っていると思った。そして日本の教育が抱えている問題の本質と、その課題があると感じた。
 2時間の上映時間の間、これほど真剣に画面を見詰め、台詞を追いかけたのは久しぶりの経験であった。
 出演のたびに様々なキャラクターを見事に着こなして、進化を続ける俳優阿部寛が、今度は演技の深まりを見せてくれたことも、阿部寛ファンにとって見逃せない。


62.
追悼 山田泉さん

 なんだか近頃ご縁のあった人たちの訃報に接することが続いて、さびしい。山田泉さんが亡くなられたことを新聞で知った。
 山田さんは、大分県の小・中学校に勤務されていた養護教諭で、2000年に乳がんを患い、以後自らの体験を語りながら「いのちの授業」を続けてこられた。がんを再発して以後は、「積極的な治療」をやめ、自宅の居間を「保健室」として開放し、子ども達と語り合ったり、各地に赴いて、さらに「積極的」な「いのちの授業」の活動を展開されていた。
 初めて山田さんのことを知ったのは、松下竜一さんからの手紙による。そこには「保健室の先生で、こんなユニークで、すばらしい取り組みをしている人がある」ことを紹介され、病のことも記されてあった。
 5年半に渡って「草の根通信」に連載させていただいた『餓鬼者』を終了した後、2002年6月号から引き継いでくださったのが、山田さんの『ヤマちゃんの保健室だより』であった。
 軽妙洒脱な文体で、人との出会いや子ども達の姿を描く書きぶりは、正にいつもいのちの輝きに満ちていた。
 今年6月の第4回「竜一忌」にお連れ合いと一緒に来られて、「新しい本ができました。間に合いました。」と、満面の笑みをこぼしながら話をされた。休憩時にぜひお話しようと捜したのだが、すでに退席されていて、叶わなかった。終にお会いして言葉を交わすことができずにお別れをしてしまった。
 山田泉さんのことを思うとき、僕はいつも教師が希望を語ることの大切さに気づかされる。

61.羅針盤
―筑紫哲也さんの死を悼む

 私たちは、社会や人生などというつかみ所のない、途方もない大海に投げ出されている。
 そんな中で生きていくために、必要なものが2つあると僕は思っている。 ひとつは、仲間であり、今ひとつは自分がどこに立っているのかを教えてくれる羅針盤である。
 自分の進むべき道を指し示してほしいとまでは言わないが、この時代や状況の中で、いったい自分がどこに立っているのかを確認するための羅針盤は必要である。

 自分の発言や行動の意味と正否を自らに問い返したり、今何をすべきなのか、あるいは何をなすべきではないのかを判断する価値基準のようなものと言ってもよい。
 僕が羅針盤としていつも見上げていた一人は、松下竜一さんであった。松下さんが何を書き、何を発言するのか、その著作や毎月の「草の根通信」
を読みながら時にはお会いする機会を得ながら、松下さんと自分を照らし合わせるようにして、慎重に自分の位置を確かめながら歩んできたように思う。もう一人が筑紫哲也さんだった。
 時代の最先端にある激しく流動するマスメディアの中で、筑紫さんはいつも穏やかな笑顔を湛えて、しかし確固とした軸のぶれない安定した発言と行動を示してくれた。特に最後の10年余り、もっとも身近なテレビでの活躍は、時代を見越したしたたかな戦略でもあったのかもしれない。僕が時代や状況を考えるためになくてはならない存在であった。
 松下さんも、筑紫さんも亡くなった。経済も政治も混迷を極め、それを報道するべきマスメディア、ジャーナリズム自身が方向性を見失ってしまっている現代、いったい僕は何を頼りに歩んで行けばよいのだろうか。あまりにも大きい損失であった。

60.大阪の教育を考える 府民討論会
 
橋下知事出席で行われた「大阪の教育を考える府民討論会」に参加した友人が、報告を送ってくれました。
 −各項目ごとに5名の意見表明と最後に会場から一名の発言を設けたものの、各項目とも批判的見解は原則一名のみで、明確に知事
へのエールを述べたものは一名、その他は原則的に賛意を表しながら注文を添えるものが大半で、聞くべきものとしてはわずかに各項目とも一名ずつで、寝屋川・富田林・豊中・枚方からの発言のみで、国際児童文学館の扱い、346名の非常勤職員の雇い止め=首切り(これについては教育長が施策との兼ね合いで増員はしますと首切りそのもの
は既定方針と言わんばかりの回答)知事が対応したのは、わずかに豊中よりの「共に学び、共に生きる教育」の一層の推進こそが課題だとの主張に対してのみで、そのことと
学テの実施とは矛盾せず、結果排除や嫌がらせについては、責任を持って正していく旨の発言のみ。(その理論的整合性については語らず終い)さらに特徴的なのは最初から中山発言を肯定し、会場からの批判や野次を餌食に、こういう一部の教員が大阪の教育をダメにしているのだと挑発し、一定の拍手を促すなど、徹頭徹尾戦闘モードで、他の教育委員(小河)が教育委員になる際のエピソードを紹介しながら、批判者の私を再度任命するところはなかなか心の広い知事だと思ったとヨイショも入れ、全体としては、既定方針通りに進めていくことの確認の場として活用し、知事の発言の府民受けする部分のみを切り取って放映(例えばNHK)し、実績作りを終えた。
 橋下は壇上中央から、ここにいる一部教員のダメ教員が改革を阻害しているが、私は選挙で選ばれ、府民に責任があるが、ここにいる一部ダメ教員は責任もない。社長の方針を認めない社員がいますか!(どこかで言い古した論理)てナ具合に悪のイメージを鮮明にして、府民受けを醸成するという確信犯役を進んで引き受けていると言えよう。
まぁ、こんなところです。


59.中山前国交相発言
 
「日教組の子どもなんて成績が悪くても先生になる。私は(文科相時代に)なぜ全国学力テストを提唱したかといえば、日教組の強い所は学力が低いのではないかと思ったから。現にそうだよ。調べてごらん。だから学力テストを実施する役目は終わったと思っている。」等々、それはそれは質の低い言いがかり的なものばかりである。これが日本の国の大臣の発言であることを思えば、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。又、これが保守派の政治家の一般的な認識を代表したものだとも言うのだからあきれ返ってしまう。こんないかがわしい目的のために実施された全国学力テストのために、今大阪では右往左往して振り回されているのかと思えば、怒りも生まれてくる。
 なるほど、何度教育改革が提唱されても、まともに教育の本質についての議論にならず、いつも「低学力論」が台頭し、競争主義・点数至上主義の学力論と、道徳教育という、明治の学制発布以来の古びた教育論にさか戻ってしまう原因がここにあることがわかる。
 僕は32年間日教組の組合員である。1989年11月には、寝屋川市に日教組を再建した。毎日のように執行委員会を開き、書記局が閉まると、当時のコンテナを改装したカラオケボックスで討論を続けた。時にはカラオケが閉まった後ワンボックスカーに移動して論議したこともあった。
 職員の生活労働条件について、学校作りについて、教材作りや授業論、子ども論等々、広範多岐にわたる熱い話は止むことがなかった。32年間日教組の組合員であり続けられたことに、僕は誇りを感じている。

58.アメリカの崩壊!?
 米証券会社大手リーマン・ブラザーズの破綻、米保険最大手AIGに米連邦準備制度理事会(FRB)が最大850億ドル(約9兆円)を融資、更に日本銀行を含む世界の主な5中央銀行が金融市場に総額1800億ドル(約18兆8千億円)の米ドルを供給、等々のニュースが連日世界を駆け巡っている。僕のような経済が皆目理解できないでいる者でも、世界の金融市場が大きく荒れて、世界恐慌に陥りかねない危機に瀕していることは察しがつく。
 これはアメリカという世界最大の軍事・経済・政治の超大国が、(崩壊とまでは言わないが)大きく傾きかけていることの現れである。少なくともアメリカ一国が世界を主導していくという、ブッシュ以来の戦略としてのグローバリズムは実質的に崩壊してしまっている。
 90年代以降ゆるぎないトップの座を誇示し続けてきたアメリカ映画も、内実共に衰退してきたと思う者は僕一人ではないだろう。
 アメリカの文化の退潮、アメリカの人達の暮らしの衰退、アメリカの思想の衰弱を思わずにおれない。軍事・経済・政治のみならず、本当に今アメリカは疲れ、病み、崩壊の道をひた走り続けている。

続きは「折々の記」に

57. 全国学力テストに一喜一憂してはいけない
 
8月29日、呼びかけ4団体の代表8人で「共に学び、共に生きる教育こそ日本一」の要望書を橋下知事宛に提出して帰宅してみると、新聞やテレビで盛んに文科省の全国学力テストの結果発表のニュースが流れていた。大阪は昨年に引き続いて小・中共にワースト3位だという。テレビの画面に見慣れた橋下知事の顔が現れ、「2年連続でこのざまは何だ。最悪だ。民間なら減給は当たり前」と、教育委員会や教師に怒りをぶつけていた。相も変らぬ軽薄にあきれてしまう。点数を上げることが私達教師の仕事ではない、子どもを育てることが仕事であり、責任である。
 テレビや新聞はじめマスコミがこぞって、昨年にも増して大々的に取り上げたこともあり、現在「点数と順位」をめぐって、全国の上位・下位の教育委員会や学校関係者、市民の悲喜こもごもの意見や感想が掲載されるなど、いわば日本中がヒステリックな声を上げている。
 今本当に大事な教育の論議を交わしたり、子どもの声にじっくり耳を貸すゆとりなど飛んでしまっている。
 さればこそと思うのだ、「共に学び、共に生きる教育」を進め、取り組まねばならないのだと。
詳しくは「折々の記」に。

56.101団体が賛同団体に
 
橋下徹知事の提唱する「大阪維新プログラム」の『教育日本一をめざして』に対して、大阪がこれまで取り組んできた『共に学び、共に生きる教育』こそが日本一、いや世界一の教育なんだ。むしろそれを更にすすめ、広めていきましょう、という『要望書』を知事と、教育委員会宛に出すことにしました。その賛同団体を募ってきました。
 第1次の締め切りにした7月末日で障害者団体を中心になんと101団体、呼びかけ団体も入れれば105団体が賛同に名前を連ねてくださいました。私たちの当初の予想をはるかに越える数になりました。障害児・者が過ごしやすい学校や社会は、誰にとっても学びやすい、暮らしやすい学校であり社会です。どんなに重い障害があっても、排除されず、地域で生きられる社会を実現することをやっぱりみんなが願っているのです。格差を生み出す教育よりも、「共に学び、共に生きる教育」を子ども達も親も本当は誰もが願っているにちがいありません。
 その当たり前のことをだんだん言いにくい社会になってきたように思わずにおれません。だから私たちは、今一度その当たり前のことを、もっと大きな声で、もっと自信を持って、もっと多くの人たちに伝えたいと思っています。
 8月13日(水)午後2時、今回の呼びかけ4団体の代表9人が、要望書を府教育委員会(総務企画課・広聴議事グループ)に手渡しました。要望書に対する回答と、ぜひ話し合いの場を作ってほしいことを要請しました。
 賛同団体の輪を更に広げたいと思っています。障害者団体だけではなく、「共に学び、共に生きる教育」を推し進めることに賛同してくださる皆さんからの連絡を待っています。つながりあうことが私たちの宝物であり、そして力なのです。

 
「要望書」と連絡方法はこちら

55.要望書『共に学び、共に生きる教育』日本一の大阪に! の賛同団体を募集中
 現在大阪府の7月議会が開かれて、財政問題を中心に激しい論議が交わされています。しかし、橋下知事の出した「大阪維新プログラム」(案)には、財政だけではなく、その内容においても非常に危険なものが含まれています。
 『教育日本一をめざして』と銘打つ施策では、能力主義の教育が推し進められ、障害のある子もない子も地域の学校でいっしょに育ちあう「共に学び、共に生きる教育」が破壊されてしまうのではないかと大きな危惧を感じてしまいます。
 これまで学校現場の教職員や、保護者、地域との連携によって取り組まれてきた大阪の教育、なかんずく障害児教育、同和教育、在日外国人教育等々大阪の人権教育の思想と実践をどのように評価し、何を引き継ぎ、何を改革しようとするのか、全く具体的な説明がなされないままに、当事者との話し合いも持たず性急に否定し、変えようとするこれまで同様の手法で強引におろして来ています。
 そこで、こちらこそ「共に学び、共に生きる教育」こそ日本一!の気概を込めて要望書を提出することにしました。
 ぜひ協力をお願いします。

54.雨中の集会
 
6月20日、降りしきる雨の中を“府知事橋下徹の「大阪維新プログラム」に反対する大阪府職員の決起集会”が開かれた。5,000人集会の予定が膨れ上がり、大阪城公園の教育塔前に設えられた演台からあふれ出した人の波が遊歩道にまで広がり、7,000人の参加者の熱気で埋まった。
 夜8時30分までの集会とデモ行進の後、代表団による徹夜の団体交渉が取り組まれたが、知事からの歩みよりは一切出されなかった。
 橋本知事は、国の仕組みの変更や、無駄な公共事業の廃止など「政治家」としての手腕、政治力の行使による財政削減には結局取り組むことができず、つまるところ「管理者」の独裁という最も安易な「人件費の削減」でしか財政再建の方法を見出せないでいる。
 しかし府の公務員はこれまで10年に渡って給与の凍結やボーナスのカットなど財政再建に協力してきた。にもかかわらず、更に削減すると言うのである。長きに渡り懸命に勤めた人の退職金まで削減すると言う。
 マスメディアは、徹夜の団体交渉に臨む橋下知事の姿を英雄視して映し出したが、労働組合の代表の意見を聞こうとするメディアはなかった。最も暮らしを直撃される職員側の話を聞くという、あたりまえの公平さを日本のマスメディアは持てなくなったのだろうか。世論がますます一方的に流されていく。

53.ヒロイズム
 
ビル・クリントンがアメリカ大統領に就任した最初の一般教書演説で、「アメリカの教育は問題を抱えている。だから問題を解決するために小学校の低学年で18人学級を実施する。」と発言し、実施した。クリントンが教育に強い関心を持ち、教育現場の実態に精通していたのかどうかはわからない。おそらくそうではなかっただろう。しかし、「教育に問題があるから、だから大幅な予算を組む、お金を使う」という考え方は合理的である。
 クリントンは合理的な考えを持てる人であった。アメリカの伝統的なプラグマティズムの思想を身につけていたと言えるかもしれない。
 では、橋下徹はどのような思想的考えを持った人物なのだろうかと考えあぐねてしまった。そして行き着いたのがヒロイズム。 高い学歴を持ち、経済的な余裕があり、一定の社会的ステイタスを持った者が罹りやすい病である。
 「自分はヒーローだ」と妄想してしまう。批判されようが、反対されようが微動だに揺るがない。むしろ、「自分の一言で、デモが起こる」「自分に対して何万もの署名が届く」「大衆の目が常に注がれ、マスメディアに注視される」ことが、彼のナルシズムやマゾイズムを適度に刺激してえもいわれぬ快感を感じているのではないだろうか。
 ヒロイズムに対しているのは、一人ひとりの「暮らしの論理」「生活者の論理」である。思想としては決して負けるものではない。しかしいま橋下徹は180万票の支持という幻想を背景に権力を行使している。更に彼のヒロイズムを煽りながらそれを使おうとする勢力が暗躍を始めている。
 生活者が声を上げ、つながり、いっしょに行動を起こす動きがあちらこちらで生まれている。6月20日には、府の労働者の5,000人集会が予定されている。勿論僕も参加する。デモ行進をして、府庁を包囲したいと思う。府庁舎の壁に自分の声をぶつけたいと思っている。自分の生活を守り、家族の生活を守り、教育の理想を語りたいと切に願うからである。
 生活者の論理は決してヒロイズムには負けない。

52.“実録・連合赤軍
あさま山荘への道程(みち)”
 
1972年2月、僕は大学構内の学食のテレビで、浅間山荘に立てこもる「連合赤軍兵士」と、機動隊の銃撃戦も交えた攻防を見つめていた。クレーンに吊り下げられた巨大な鉄球が山荘の壁を何度も打ち付け、その度に見事に破壊されていく過程をつぶさに眺めていた。そして兵士達は逮捕され、管理人の女性は解放された。
 テレビ視聴率89.7%の「あさま山荘事件」はそれで終わらなかった。事件の核心は、むしろその後日を追うごとに、しかも誰も想像だにしなかった事実を伴って明らかにされて行った。その都度社会の空気が鋭敏に変わって行くのを僕は実感した。
 兵士達が「総括」の名の下に、14人の仲間(同士)を次々と死に至らしめていたのだ。なぜなのか、いったい何があったのか、彼らは何を求めていたのか、・・・。分からないことだらけだった。
 1・2年前『突入 あさま山荘』(だったと思う)と題したDVDを見つけてさっそくレンタルしたが、警察など外部の立場から、特異な事件に対する興味を売り物にしてドラマ化したもので失望してしまった。
 今回の『実録・・・』は、内部の側から、連合赤軍兵士の側から、背景の時代状況、政治経済、世界状況も交錯させながら、丹念に事実を積み重ねて撮られた映画である。歴史の中で改めて連合赤軍事件を検証しなおそうとする壮大な意思を持った映画だと僕は思った。
 若松孝二監督は1936年生まれ、「年とった者」が現代の若者に託すメッセージでもあると思った。「年とった者」の表現が今熱い。「いま」という時代に「もの申し」たくて仕方ない切実感を持っているのかもしれない。
 大阪十三の第七藝術劇場は、『実録・・・』の後、現在『靖国YASUKUNI』を上映中。これも見に行かなければ。

51.1ヶ月も更新が止まってしまいました
 「人間ドックが何本ものカテーテルにつながれて『病院で死ぬ』、現代の〈いのち〉の問題を支配する〈病院〉という制度の入り口だと思っているのだが(「これまでのTopics」48参)、と書いたのだが、まさにそれを書いた翌日の心臓エコーの検査で引っかかってしまった。3ヶ月前のドックで心電図にわずかな異常があり、大腸ポリープ切除手術で入院するついでに念のためエコーを撮っておこうというほどの、全く軽い気持ちであった。心臓の疾患などこれまで気にも留めたことがなかったのだ。
 ところが高度医療設備の整った病院への「紹介状」を書かれ、現在に至るまで検査が続いている。生来の精神の脆弱さのため病気と向き合い、いかに付き合うかという余裕も持てず、ついつい1ヶ月も『餓鬼者』を更新することもできずに来てしまった。或いはこれからも遅々として進まないかもしれないが、何とかかんとか休みながらでも書き続けたいと思っている。
(『折々の記』にも関連を書いています。)


50.学習指導要領改定案
学習内容・総授業時間を増へ
 文部科学省は2月15日、学習指導要領の改定案を発表し、40年振りに総授業時間と学習内容が増やされることになった。
 06年12月15日に強行採決された教育基本法「改悪」とあいまって、これで2002年(中学校は翌年)本格実施となった新学習指導要領・新学力観と教育改革は、何一つ国民的議論も起こさず、具体的な成果を残すこともなく、国家の側の一方的な宣言によって幕を閉じることになった。
 僕なりに何度も言い続けて来たことだけれど、学力調査の結果は、むしろ「ゆとり教育」実施後の方が成績は上がっているし、OECDの世界的な学力調査(PISA)の結果が示すのは、受験勉強が象徴する日本のこれまでの教育ではますます世界から遅れてしまうという警告である。世界の先進国の流れは、まさに日本が今切り捨てようとしている「ゆとり教育と総合的な学習」へと向かっている。
 ではなぜそんなばかげたことが起こってしまうのか。子ども達の現実や、保護者の声、教職員の要求に耳を貸さず、学校現場の実態とはかけ離れた所で、文部官僚と政治家を巻き込んだ主導権争いの綱引きという政変劇を繰り広げているに過ぎないからである。教育改革を批判するときにいつも旗印のように掲げられる「学力低下」ではあるが、「学力とは何なのか」「子どもにとってどんな学力が必要なのか」という問題をいったい私達はどれだけ真剣に語り話し合ってきたのだろうか。国会や地方議会で、或いは学校で、各家庭の中で。
 これでは教職員の混迷は一層深まるばかりだ。教育という仕事に対する情熱も冷めてしまう。
 今必要なのは時間数を増やすことではない、日本の教育の質をいかに変えるかということなのだ。

49.なぜ橋下徹のような人物が知事選で当選してしまうのか? 
 

 1月27日、大阪府知事選挙が投開票され、橋下徹が当選した。得票は1,832,857票で、実に次点の熊谷貞俊に2倍の差をつけた。橋下徹については、テレビで見たこともない僕ですら名前は知っていたし、数々の問題発言があったことも、新聞やテレビニュース、選挙中のビラなどでも読んで知っていた。
 「徴兵制度の復活」「核保有を肯定」「日本人による買春は中国へのODAみたいなもの」・・・、これらはそのほんの一部だけれど、こういう発言をする人に僕は絶対に投票しない。
 ではなぜ橋下徹は、しかもかくも大量の得票数で当選するようなことになってしまうのだろうか。今の時代大阪府民が「徴兵制、核保有、中国買春ツアー、女性蔑視・差別」に賛成して投票したとは思われない。これはもうメディアの影響、なかんずく《テレビに出ている人》への投票行動であるとしか考えられない。候補者がどのような人物で、どんな政治意識を持ち、政策を訴え、実現していこうとしているのかは関係なく、《テレビに出ている人》は、いつの間にか自分と不即不離な存在となり、ついに「幻想の中の身内」にまで一体化するようになったのではないだろうか。
 いわば「社会のテレビ化」とでも言えばいいだろうか、そのような社会の中で政治への不信感、政治の無力化が進行している、僕はそう思っている。
詳しくは、「折々の記」を読んでください。掲示板に意見書き込んでもらえればと思います。よろしく。

48.1泊2日の入院生活
 

 
Topicと言うにはいささか気が引けてしまうのだけれど、1泊2日の入院生活を経験した。8年前にも同じ大腸ポリープ切除手術のために入院しているから、2回目の経験ということになる。
 人間ドックが数多くのカテーテルにつながれて「病院で死ぬ」、現代の〈いのち〉の問題を支配している〈病院〉という制度の入り口だと思っているのだが、寄る年並みには勝てず、時には身体の点検の必要に駆られて受診し、案の定ひっかかって今回の事態となってしまった。
 しかし1日半の生活はなかなか意味があった。普段見向きもしない自分の身体をゆっくり振り返り、身体と付き合ってみる機会になった。高熱を出したり、ギリギリと胃が痛んだり、足が悲鳴を上げたりして漸く、ほんのしばし振り向いてみることしかしない自分の身体である。
 普段読めない本を読んだり、ぼぉーと何もせずに過ごしたり、その合間に何かしらあらぬことどもを考えたりしながら過ごした。職場からも家族からも離れ、いわば自分ひとりだけの重さを背負って過ごした、それは時間であった。「儲けたな」と思った。

47.2008年 あけましておめでとうございます
 
沖縄で大学生活1年目を送る息子は、島風に吹かれて緊張を解き放たれたか、今ではもうすっかり沖縄のニィニーをやっています。娘達は高校生。妻と僕は「老い」の迎え方を考え始めました。
 安倍晋三が言う「美しい国日本」「国を愛する心」が先にあるのではなく、家族や恋人や友人などかけがえのない人をいとおしく思う関わり合いがまずあるのだと思います。それが本当の強さを持つのではないでしょうか。
 自分の暮らしを見つめながら、地球温暖化、イラク戦争、核問題、貧困と差別・・・など、身の回りにある政治や経済の問題に関心を持ち続けたいと思います。2008年も、「無関心でいないための勇気」を持ちたいと願っています。
 皆様にとって、すばらしい1年でありますように!!

46.「学力」って何ナノ?

10月24日、文科省は「全国学力・学習状況調査」の結果を公表した。案の定マスコミは「○○県トップ」「○○県落胆」等と競技会のごとく報道している。各自治体、議会、教育委員会も他府県との比較に余念がない。
 12月4日、経済協力開発機構(OECD) は06年に実施した国際的な学習到達度調査(PISA)の結果を公表した。日本は「読解力」「数学的リテラシー」「科学的リテラシー」のいずれでも前回03年と比べて順位を落としたということらしい。またしても前回のような異常な学力論争が再燃するのだろうか。
 なんと、「東京杉並区の(公立の)中学校の教室で、大手進学塾の授業が(有料で)始まる」のだそうだ(12/9新聞)。これでは自由選択性の中で売り込みに躍起になるデフレ商品のようなものだ。
 いずれの場合も「学力論議が高まる」だろう、とマスコミは解説するのだが、どっこいそうはならないのが日本という国の摩訶不思議さでもある。どこで、誰が論議するのかが問題なのだ。「学力とは何なのか」「今の子ども達にどういう学力が必要なのか」、「子ども達はどんな学力を求めているのか」といった「学力」についての議論が、学校現場の課題として、教職員の課題として、国民一人ひとりの課題として、議論されたことはない。政治的な思惑の中で、政争の道具としては毎回使われるのだけれど。
 地方分権の時代、特色ある学校づくりと言うのなら、ひとつ学校現場に「上から介入しない」という十分な保障を与えて、「学力」論議と、授業づくり、学校づくりを任せ切ってみてはどうなのか。そうしてこそ「学力」というものが、国や学者達の政治的、専門的な論議から、保護者や地域の住民の一人ひとりの具体的な課題になっていくのだと思う。

45.多田謡子反権力人権賞
 
 2004年10月に国・県・企業の責任を認めた画期的な最高裁判決を勝ち取った、チッソ水俣病関西訴訟の原告である坂本美代子さんと小笹恵さんが「多田謡子反権力人権賞」を受賞することになったとの知らせを受けた。
 29歳で夭逝した弁護士多田謡子さんを記念して「国家権力をはじめとしたあらゆる権力に対して闘い、自由と人権を擁護するために活動している個人または団体」に送られる賞であるとそのホームページに説明されている。
http://tadayoko.net/
 受賞者の一覧には、マスコミに登場するような有名な名前ではなく、自分の暮らしの場や職場、地域で真摯に活動し、また闘い続けて来ら方達や団体の名前が並んでいる。
 孤立を恐れず真に連帯できる仲間と取り組み続けてこられたにちがいないだろうけれど、そうであるが故になおさら少数でもあったと想像される。そのような方達への賞の贈呈は、賞金の多寡やマスコミへの知名度とは関係なく、確信と勇気を与えることになるだろうと思う。
 坂本さん、小笹さんおめでとうございます。お二人についてはホームページ
「関西水俣友の会」(愛称・ともウェーヴ)をご覧下さい。暮らしの言葉で水俣病問題を語り続けておられます。

44.『沖縄ノート』訴訟
 
 
大江健三郎の『沖縄ノート』は『ヒロシマ・ノート』とともに、若い頃に読み、広島沖縄の歴史や現実を学び考える出発点となった書物である。同時に社会に対してこれほど誠実に関わろうとする作家がいるのだということを知って感銘したことを覚えている。
 
大阪地裁で口頭弁論が始まった。
安倍晋三が先の参議院選挙で大
敗し退陣した今、大舞台でポツンと取り残された老兵の姿だけが映し出されている感がある。しかしこの訴訟こそが、安倍晋三や曽野綾子、新しい歴史教科書をつくる会、自由主義史観グループなど「戦後レジームからの脱却」を目指す右派保守勢力の描いた演出であったことは間違いない。だから一人の元隊長だけの意見を聞いて、(結論も出されていない)「裁判で係争中」を理由に教科書書き換えの検定意見をつけるようなことが起こされてしまうのだ。
 11万人の沖縄県民集会で高校生が「検定を認めることは、オジイとオバアが嘘をついたことになる。」(国家が私のオジイとオバアをうそつきにすることを許せない)と言った言葉の重さと、勁さを何度も噛みしめている。


43.金城実・戦争と人間、沖縄を語る(講演会案内)

 金城実さんは、旺盛な作品製作や著作、発言で、平和運動・解放運動に積極的な提言をされ、多大な影響を与えてこられました。この度10年の歳月をかけた大作“100mレリーフ『戦争と人間』”を完成され、沖縄では米軍から返還を勝ち取った「読谷飛行場跡地」で、大々的な展覧会を開催し話題を呼んだところです。
 おりしも、「集団自決をめぐる教科書検定問題」に抗議して、9月29日全島挙げた11万人の沖縄県民大会が開かれました。「回答を避け続ける政府と文科省に対して、沖縄の住民は苛立ちを隠さない、爆発寸前のようだ。国側の意図に反して、時が経過するほど沖縄の高校生たちも真実を学び、怒りを増大させている」、金城さんは今の沖縄をそう語られています。
 教育基本法に続いて憲法改悪を許さないために、「戦争と人間、平和」の問題を考え、交流し、学びあいたいと思います。

42.07年度・すべての高校に知的障害のある生徒が入学できる制度の実現を求める署名
 05年、06年の2年間、この署名に取り組んできました。毎年5,000筆の署名が集まり、大阪府教育委員会に手交してきました。「要望」は遅々として進みませんが、それでも5,000筆の重みは府を動かすものと信じています。
 今回の「高校進学を考える会」も署名を背景に実現できたものです。今年度は更に人数を増やしたいと思っています。
 皆さんの応援をおねがいするしだいです。


41.歯車が動いた!
 教師になって31回目の「夏休み」を過ごしている。これまでもそうしてきたように、夏期休暇と少し大目の年休を使って、身体を休めることと、残りの2学期3学期に向けた準備、普段忙しさにかまけて手をつけられないでいる仕事の整理などをしながら過ごしている。いわば、キャンプ・インの時期でもある。
 今年は、7月21日・22日・28日に「障害を持つ子どもの高校進学を考える会」を開催、7月29日から8月3日まで家族旅行も含めて沖縄ツアー、8月4日から7日まで初めてのヒロシマ原水禁世界大会に参加した。その間に、7月29日に参議院選挙の投開票があった。
 この2週間余りの体験は、僕の中で停滞し立ち止まったままになっていた歯車を、ギィ・ギィと、いかにも鈍い音ではあるけれど響かせて、ゴットンと動かすことになった。
 一挙に見えてきたもの、考えたこと等々、書いて行ければと思っている。ゆっくりゆっくり書き進めてみたい。

40. “障害を持つ子どもの
高校進学を考える会”開催

 
“知的障害者を普通高校へ・北河内連絡会”の集まりの場で、よく話題に上るのが「自立支援コースの特別枠の制度のことが、まだ余り知られてないよね」ということだ。保護者の間では勿論のこと、ひょっとしたら、教職員でも知らない者があるのではないか。「中学3年の担任が知らなかった。府教委の出した書類を見せると、どうして自分達が知らないことを知っているのかと、訝しげな視線で詰問されたことがある」といった話まで出てきたことがあった。
 もっと多くの人たちに知ってもらい、「いっしょに高校生活を送り、いっしょに学びたい」という障害者の願いや、制度の改革・拡充の必要性を訴えなければとの課題が繰り返し確認されることになる。
 ひとつ連絡会主催で、入学試験の当事者である府教委を呼んで、一方の受験当事者である障害生徒と保護者との間で当事者同士が話のできる「進路相談会」を開いてみてはどうかという案が飛び出した。いわば市民運動の側と行政の側が協力して説明会・相談会を開こうというプロジェクトが動き出した。
 府教委の了承が取れ、様々な人たちの協力を得て、北河内7市の教育委員会の後援も取れて、いよいよ実現開催の運びとなった。私たちにとっては今年最大のイヴェントになる。イヴェント情報・北河内連絡会のページに「案内」があります。参加、紹介していただければ幸いです。

39.今年も第3回竜一忌が
 
今年も第3回竜一忌が、6月17日に開かれる(詳しくは「追悼 松下竜一」のページを)。第2回の案内で、草の根の会の梶原得三郎さんは次のように書かれていた。―“松下竜一その仕事展”に来ていただいた評論家佐高信さんが、講演の中で「松下さんは私にとって南十字星。時折仰ぎ見て自分の位置を確認している」といった趣旨のお話をされたことを覚えています。ひょっとすると、竜一忌はそうした場であるのかもしれません。―
 さしずめ社会や状況の中で方向音痴の僕にとって、松下さんは肌身離せぬ羅針盤の役割をしていただいている。ましてや憲法改悪までが政治日程に上り、戦争の影がひたひたと日常の暮らしに忍び寄る現在にあっては、尚のこと松下さんへの思いが募るばかりである。
 今年も竜一忌に寄せていただこうと思う。大分県中津までの行き帰りの二日間、松下竜一さんと二人向き合いながら、改めて「自分の位置」を確認するかけがえのない機会である。

38.全国学力調査実施
 
4月24日、小学6年生、中学3年生を対象とした文部科学省の全国学力調査が実施された。いわゆる「学テ反対闘争」で、中止されてから43年ぶりとなる。
 先立つ4月13日に文科省は、ゆとり教育を受けた高校3年生の学力も意欲も低下せず、むしろ改善されたという学力テストの結果を公表した。05年4月に公表された小・中学生の結果も学力・意欲共に改善されたというものであった。04年に出た、OECDの国際学力調査で、(ゆとり教育以前の)日本の教育では世界の先進国が求める学力から低下している結果が報告されていた。
 それらを総合すると、あたりまえに引き出されてくるのが、ゆとり教育の継続と、総合的な学習など授業改革、教育改革の更なる前進であるはずであった。
 ところが「学力低下」を掲げて、中教審も、教育再生会議も、経団連も、政府も、ゆとり教育を批判し、教育改革を放棄した。世界がゆとり教育と総合的な学習の方向に更に進んでいこうとしているのに。
 今の日本の教育の方向は混迷しかない。ましてや、「美しい国日本」をめざし、それを作る子ども達の心に「愛国心」を付けるというのだ。教育を考える良心も思想も方法もない、情念だけが先行する、この上なく危うい状況に現在の日本の教育・学校は置かれている。
 さて、今回の学力調査で、文科省や政府、経済界、政党は、それぞれの立場でどんなシナリオを用意しているのだろうか。政治の駆け引きに使われるのだろうけれど、そんな事をしているヒマのないくらい、現実の学校と子ども達は瀬戸際に置かれているのだと感じている。

37.
かなさん 合格!!
 
宮田かなさんが、枚方なぎさ高校の自立支援コースに合格しました。3月2日の発表の日には、もう嬉しくって、会員のお互いの携帯に、だれかれかまわず報告のメールが飛び交っていたようです。応援していただいた皆さんありがとうございました。
 それにしても、連絡会発足から7年目、毎年会から受験者を出しながら初めての合格に、改めて「狭き門」の実態を噛み締めているところです。障害者が友達と一緒に高校へ通い、学習し、高校生活を過ごすという当たり前のことが、かくも大きな困難を乗り越えなければならない社会が厳然としてあるということの証でもあります。まだまだ日本の社会は、やさしくも、豊かでもないのですね。
 今後とも、入学を希望する障害者がだれでも普通高校へ入学できる制度の実現をめざすと共に、なぎさ高校はじめ各高校で、「共に学びともに育つ」インクルーシヴな高校教育が実践されるように願いを届けながら、取り組んで行きたいと思います。
 『宮田かなさん―あるがままのあなたがすばらしい―』(かなさんを応援する仲間たちから)は、少しだけ残部があります。希望される方は連絡してください。無料(送料別)

36. もうひとつの高校受験
 
現在大阪府立高校の前期入学試験が行われている。2月26日には面接試験があり、その時に「もうひとつの入学試験」、知的障害生徒の自立支援コースの面接試験も行われる。
 本格実施となって2回目の今回も前回と同じ府内11校(市立高校も入れて)で募集人員28名の「超難関」コースとなっている。
 知的障害者を普通高校へ北河内連絡会からも宮田かなさんが受験している。昨年の大町すみえさんに引き続いて、仲間達による『宮田かなさん』への応援メッセージを集めた文集が作られた。
 個性溢れる字で綴られたページを1枚1枚繰りながら、改めてかなさんやお母さんの友人や周囲の人たちとのかかわりを読んで、高校受験が単なる点数選抜の競争に終わらない、社会とのかかわりを生み、ものの見方・考え方を鍛える学習の場であり、実践の場であったことに気づかされた。
 『宮田かなさん−あるがままのあなたがすばらしい』を希望される方は連絡ください。無料。但し送料別。


35.4859筆の署名
   ありがとうございました

 “知的障害者を普通高校へ・北河内連絡会”として、昨年度に引き続き『全ての高校に知的障害のある生徒が入学できる制度の実現を求める署名』に取り組みました。
 署名をお願いするために道行く人に足を止めてもらったり、ご家庭を訪問して話したり、友人に手紙を書いたり、電話で話したり、メールを送ったり…、そうした一つ一つの行動が私たちの願いを訴えることであり、広げる運動なのだと痛感しています。
 郵便や宅配、メールなどで送られてくる『署名』の束が、日増しに暑さを増し、重さを増していきました。貴重な1枚1枚の重なりを見るたびに、希望と同時に責任を実感しているしだいです。
 ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。4,859筆の貴重な署名を、1月9日大阪府教育委員会障害教育課に手交しました。
 署名手交後、障害教育課と連絡会とで協議を持ちました。
詳しくは、「普通高校へ・北河内連絡会」のページ


34.はたしてこれで「教育は再生」するのか?!
 

政府の教育再生会議の第1次報告最終案が明らかになった。「ゆとり教育を見直し、学力を向上する」など「7つの提言」と「5つの緊急対応」で構成されている。二つの感想がすぐに浮かんだ。
 サンケイによれば「夏休みの短縮や土曜補習、平日の放課後補習などを取り入れることで総授業時数を増加させる」というのだが、はたしてそれが「教育再生」の糸口となるのだろうか。
 今ひとつは、国・文科省がはっきりと「教育改革の終結宣言」をしたということだ。「明治の学制発布以来の大改革」と国自身が大宣伝をした教育改革であったが、「やっぱり」何一つ理念が実現されることなく、じっくり年数を掛けて取り組み、検証・研究されることもなく、5年間政治の綱引きに引き回され猫の目のごとく変転しながら、ついに終わりを迎えてしまった。文化国家の教育政策の姿ではない。世界の「先進国」の流れは、ゆとり教育と総合学習へと、これから向かっていこうとしているというのに。
「学級崩壊」という言葉が少なからぬ衝撃を持って受け取られた状況を通り越し、いまや小学校ですら子どもの荒れ、いじめ、不登校、教師への非行・暴力がいたるところの学校で生まれ、紛れもなくその数は年々増加している。
 そうした現場に更に混乱をもたらすだけである。
▼「掲示板」で、「授業時数を増やせば学校はよくなるの?」のテーマで交流できればと思います。自由に書き込んでください。

33.
2007年 あけましておめでとうございます
 
 息子が今年から沖縄に行くことになりました。名前を頂いた野本三吉さんの下で学ぶことになったのも、縁というものではないかと思います。息子の誕生の足型を第1回目として、毎年の年賀状に「家族史」と題して「家族の写真」を添付してきました。18葉の年賀状を並べてみて、双子の娘の誕生や、入学、卒業、母の死など、個人的なちっちゃなちっちゃなものではあるけれど、確かにわが家族の歴史というものを改めて感じました。時の流れを実感しました。
 国を愛する心よりも、人や家族を愛し、いとおしむ心が本当の強さを持つのだと思います。強制されて人を愛することはできません、ましてや国を愛する心は生まれません。
 ここ数年は毎年の年頭に当たり、「愛の反対は暴力ではありません、無関心です。」というマザーテレサの言葉を書き、声に出すことを意識的にするようにしてきました。無関心でいないためには勇気がいることをつくづく感じるようになりました。今年も「無関心でいないための勇気」を持ちたいと願っています。
       2007年 元旦

32.教育と防衛と経団連
 12月15日、「改正」教育基本法が成立した。同時に防衛庁を「省」に昇格させる「改正」防衛庁設置法も成立した。
 その1週間前、日本経団連の御手洗会長の将来構想「希望の国、日本」の原案が公開されていた。大幅な企業減税をして、足りなくなる資金は、消費税を2%程度引き上げることでまかなおうというまことに分かりやすい構想となっている。政府が実現してくれるように、「美しい国」を賛美し、「憲法九条の『改正』」「愛国教育」を盛り込み、安倍首相にすり寄りおもねっている。
 企業を優先し国民を犠牲にする、こんなにも見え透いたロジックを資本の側が使うことはめったにあるものではない。
 9.11の総選挙で、自民・公明を大勝させた国民には、そのたくらみを気づかれないとでも思っているのか、或いは、この国民は喉元過ぎれば簡単に忘れてくれるものと高をくくっているのか。
 安倍首相を筆頭に政権の側の者達も、戦争のできる国にしようと躍起になっている者たちも、経団連も、国民を軽視して相手にせず、馬鹿にしている点で見事にみんな一致している。二極化どころか、「持たざる者」の顔など毛先程も浮かばないにちがいない。

31. 教育基本法が危ない!
 10月26日、日教組が「非常事態宣言」を発して、“教育基本法改悪阻止!日教組緊急中央行動”が開かれ、学校現場では全国統一行動の職場集会が取り組まれた。
 日比谷公園には8500人が集結し、野外音楽堂に入りきれない隊列が周辺を取り巻いた。国会議事堂に向けてデモ行進。国会前では、待機していた民主党、社民党の議員団に直接請願をした。
 久しぶりの中央集会への参加であったが、教育基本法を改悪されようとすることへの一人ひとりの危機感がひしひしと伝わってきた。僕も声を尽くして「反対」を連呼し続けた。
 昨年の9.11総選挙で、自民・公明の連立与党に「何でもできる」2/3を越える議席を与えてしまった「国民の選択」の結果でもある。しかし、それでも、子ども達の未来が平和で戦争のない国であってほしい、アジアの人々に恐怖を与える国にはしたくない、だから行動したいと思う。
 「教育基本法」って読んだことありますか?こんなに大切なことが書かれてあるんですよ。(教育基本法へ)子どもを育てるために、民主的な社会と国を作るために、その一つ一つの言葉がもっと活かされなければいけない、もっともっと私たちが活かしていかなければならない。


30. 北朝鮮が核実験
 
10月9日午前10時ごろ、北朝鮮が核実験を行ったとの報道があった。恐ろしいと思う。ついに隣接する朝鮮半島にまで核保有国が生まれてしまった。アメリカの武力行使はあるのか。中国、ロシアはどう動くのか・・・。日本はどうするのか。
 新聞、雑誌、テレビ等々マスメディア上では、火を噴くかのように、不安感を募らせ、危機感を煽るような感情論も含めた論議が沸騰するにちがいない。勇ましい言葉も飛び交うだろう。
 僕は事実を知りたい。事実を知るために行動したい。それがなければ現在の日本の中では、一挙に燃え上がった世論のうねりに巻き込まれ、怒涛となって流れ下る奔流に飲み込まれてしまう。
 「核実験」の報に触れた今、何よりも恐ろしく思うことである。


29.「日の丸・君が代」強要違憲 東京地裁判決
 
9月21日、「入学式、卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代の斉唱を強要するのは不当」として、東京の教職員が都教委などを相手に訴訟を起こしていた判決が東京地裁であった。
 「画期的」な判決ではあるのだけれど、僕がその判決文を読んだ第一印象は、あたりまえのことをあたりまえに述べた言葉であるというものだった。私たち現場の側が言い続けて来たそのままのことが書かれてあった。そして、保護者や地域の人たちが普通に感じ、考えるであろうことが書かれてある。
・日の丸・君が代が皇国思想や軍国主義の精神的支柱として用いられてきた歴史的経緯があり、反対する人の思いや考えは保護保障されるべきである。
・特に学校というところは、いかなる強制にもなじむものではなく、子ども達や教職員が、自由に教育活動を取り組むところでなければならない。
・国を愛する心は強制されて生まれるものではない。
 こうした当たり前のことを主張するのに、なぜ何日もかけた長時間の職員会議を持たなければならなかったのだろうか、なぜ教育委員会は処分をちらつかせた不安感を教職員に与えようとしたのか、なぜ保護者達が式場で困惑したりしなければならなかったのであろうか。このような当たり前のことを述べた判決を「画期的」と言わざるをえない政治的な駆け引きに学校現場が巻き込まれていたし、今もそしてこれからも駆け引きの場にされようとしているのだと思う。
 今回の判決をあたりまえに自然に読める感性を大事にしたいと思う。


28.
今年もぜひ署名にご協力を!
 今年も「全ての高校に知的障害のある生徒が入学できる制度の実現を求める署名」に取り組みます。昨年は、連絡会として初めての署名活動でしたが、皆さんの協力を得て、5000筆を集めることができ、大阪府教育委員会に手渡して、会として話し合いの場を持つことができました。
 残念ながらスミエさんは不合格となりましたが、「友達といっしょに高校で学びたい」と願う後輩のために応援しようと、今年もやる気満々です。
 
今年度から「知的障害生徒自立支援コース」が本格実施となりましたが、設置されたのは府内各学区に1校で、定員が2〜3名という狭き門です。06年度の平均倍率は3.43倍、一番高いところで7.5倍という厳しい状況でした(府立高校の前期平均倍率は1.44倍)。この高倍率は、「みんなといっしょに高校へ行きたい」と願う障害生徒や保護者がどんなに多いかを示しています。
 昨年度に増して、さらに多くの人たちの声を府教委に届け、全ての高校に知的障害のある生徒が入学できるように前進させたいと思います。
それは誰もが安心して暮らすことができる共に生きる社会を実現させるための一歩一歩の取り組みなのだと思います。

署名用紙はコチラから


27. 8月15日、小泉靖国参拝
 
日本の首相は、終戦記念の日を選び、「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳した上で靖国神社を参拝した。参拝後記者団には、いつものように自分の信念に基づいて行動した。批判はあってもかまわない・・・と、大上段に振りかぶった話に終始した。居丈高な発言は、日本国民に限らず、かつて侵略し無数の命を虐殺したアジアの国々の人々に向けたものであることを承知の上なのか、知らずだったのか。
 日本という国には、日常の中で歴史と向き合う、歴史を考えるという習慣が本当にないのだと痛感した。いや、そういう習慣が生まれないように国家というものが機能させてきたとも言えるだろう。
 例えば総理大臣がアジアの国々から批判される中、靖国に参拝して「何が悪いのだ」と居直るような国なのだから。
それを許してしまう国民やマスコミがいる国なのだから。

 高遠 菜穂子さんから
    緊急署名のお願い
 
現在もイラクの人々のために、精力的に支援活動を続けておられる高遠菜穂子さんから、「アメリカ ブッシュ大統領に宛てた緊急嘆願書・署名」の依頼が届きました。
 
―イラクから送られてきたメールは、イラクの恐ろしい現実の中で生きる私の友人たちの姿を感じてもらえると思います。
 ぜひ、このイラクメールの内容をたくさんの方に知っていただき、そしてこの状況を止めることを求める嘆願書に署名をしていただければ幸いです。
 詳しくは私の拙ブログにありますのでご参照ください。より多くの人たちに広めていただけましたら幸いです。また、署名用紙もダウンロードできますので、よろしくお願いします。

高遠菜穂子のイラクホープダイアリー

http://iraqhope.exblog.jp

 インターネット署名と「署名用紙」は高遠さんのブログの中にあります。お知り合いにも広げていただければと思います。


26. HP開設2周年
 7月7日で、ホームページ『餓鬼者』を開設して2周年になった。機械が苦手で、とりわけデジタルについていけない自分が、ソフマップに足を運び、「ホーページビルダー」のソフトと解説書を買い込んで、以来本と半年首っ引きで漸く立ち上げたページである。
 「このままでは学校が危ない、教育がつぶれてしまう」と、普段なら斜に構えて黙してしまうのが、いつになくまじめに感じて開設にまで至ってしまった。
 そうであってみればやはりアクセス数が気にかかる。さて2年間で「6268」という数はどうなのだろうか。1日に100件、200件のアクセスがあると、笑顔交じりにテレビで話す有名人のサイトと比べれば、雲泥の差だ。
 とにかくこれからも頑固に書き続けていこうと改めて思うところでもある。

25.辺見庸 講演会

 いつになくゆとりを持って開場時間の10分前に中ノ島中央公会堂に到着した僕は、その光景に目を疑った。入り口から右側(当日券を求める列)と左側(前売り券を持参した列)に、それぞれ300メートルほどの人の列ができている。一人でこれだけの聴衆を集められる話し手があったのかと驚いてしまった。
 大ホールは1・2階が立錐の余地もなく埋まり、入場できなかった人たちのため、急きょ中ホールに中継画面が設えられた
。1500人を超す入場者があったのではないだろうか。イラク派兵、憲法改悪、教育基本法改悪・・・等々と、一人ひとりの暮らしの場にひたひたと歩み寄る戦争の影を感じ始めたことがその背景にあるのかもしれない。
 続きは「折々の記」に

24.
阿賀のお地蔵さん
 
新潟の旗野秀人さんから絵本を送っていただいた。旗野さんは、新潟水俣病の患者渡辺参治さんと一緒に、水俣病の告発と救済を訴えて全国を行脚しておられる。90歳になる参治さんの歌う民謡と、旗野さんの巧みな話術のコラボレーションは、どこの会場でもたちどころに人垣を作り、対話が生まれてくる。
 今年は、水俣病公式発見から50周年、それから10年後に新潟で水俣病が公表されてから40周年にあたる。


絵と文 WAKKUN
考古堂 1,600円+税

詳しくは「水俣病はいま」を


23. 北朝鮮の拉致問題と、日本の強制連行
 拉致被害者横田めぐみさんの母早紀江さんが米公聴会で証言した後、ブッシュ大統領と面会したニュースがテレビ、ラジオ、新聞で大きく報道されている。拉致事件の報道に接するたびにいつも考えることがある。
 一市民が国家の手によって誘拐拉致されるなどという国家犯罪は断じて許されるものではない。では、かつて日本が朝鮮半島や中国大陸に侵略して、何万人という朝鮮や中国の人たちを拉致、強制連行してきた事実はどう裁かれるべきなのだろうか。実際に裁かれてきたのだろうか。
 北朝鮮を一方的に批判糾弾する声や、マスコミの論調は氾濫しているが、私たち日本の側が犯した拉致・強制連行に対する意見はいつも聞こえてこない。「それは戦争中のことだから」とでも言うのだろうか。「いまは戦争もない平和な時代に、こんな非人道的なことを、しかも国家がやることが許せない」ということなのだろうか。

(続きは『折々の記』にて)

22.
 
3月9日に更新してから1ヶ月以上更新できずに今日まで来てしまった。連載していた「学校総合“フレンズフェスタ”」の資料が見つからず、捜し続けている内に、日頃の忙しさにかまけてしまい、ついつい「書く」ことが後手に回ってしまった。
 残念ながらどこにやってしまったのか、資料がついぞ見つからず続きは書けないままである。我ながら整理癖のなさを恨んでもいる。
 とにかく『折々の記』を書くことから再スタートを切る。その間『餓鬼者』をのぞいて下さった皆さん、これからもよろしくお願いします。
21.もうひとつの高校入試
 
高校入試の時期がやってきた。2月17日には、大阪の公立高校の前期入試の願書が締め切られた。いつもながらの入試風景の中に、全国ではじめての制度が登場した。「知的障害生徒自立支援コース」と「高等支援学校・共生推進教室」の制度である。
 知的障害者を普通高校へ・寝屋川連絡会に参加する障害生徒の中からも毎年高校入試に取り組んできた。今年は、すみえさんが第1回の自立支援コース枚方なぎさ高校に挑戦する。
 とはいえ、2名の定員に12名の応募があった6倍の競争率の超難関コースとなった。他の一般入試の倍率1.02倍と比べると、「異常な」高さである。その「異常さ」の原因は、知的障害者が高校に入学して、友達と一緒に学習したり学校生活を送るという「あたりまえ」のことをあたりまえに考えられない「異常さ」から生まれている。
 2月23日・24日は、検査・面接になっている。是非「もうひとつの高校入試」にも注目していただきたい。
寝屋川連絡会のページも見てください


S 事件・事件・事件・・・さらに
@ライブドア事件、ホリエモン逮捕
A耐震構造偽装事件
BBSEアメリカ牛肉輸入問題
C防衛施設庁談合事件
 どの一つを取り上げても、内閣の存亡が問われる大事件である。そして、原因は同じ根から生まれている。それなのに、張本人である小泉首相は、のらりくらりの国会答弁を続けて飄々たる姿をテレビに映している。
 北朝鮮、韓国、中国、アジア諸国からの日本批判は収まる気配はない。アメリカを除く諸外国からの批判も依然として根強い。
 内政も外交も、もうとっくに破綻をきたしているのに、今ものらりくらりと言葉をもてあそびながら、政権の座に安穏として居続けている。そんなことを許している日本という国、国民。

R 2006年が始まりました
 憲法、教育基本法が改悪されようとしている時代の中で、私たちは無関心ではいけないのだと思います。
 2005年わが家の視聴率NO.1 ドラマ『女王の教室』のアクツ・マヤは何度も繰り返しました、「イメージできる? いいかげん目覚めなさい」と。 マザーテレサの言葉と重なります、「愛の反対は暴力ではありません、無関心です」。
 たいへんな時代を迎えて、不器用でも自分の生き方をしたいと思っています。

Q まるで近未来映画を見るような 荒廃した風景
 
2010年、大都会の真ん中に荒れ放題に放置された高層ビルが林立している。補修することも、解体することも不可能なまま放置されたビル群である。超インフレを経過した日本社会の疲弊感を象徴するかのような、そんな近未来映画のシーンが想像されてくる。
 耐震強度偽装問題で、国土交通省は43件の偽造建築を公表したが、おそらく氷山の一角でしかないだろう。そもそもの原因は、建築確認をする確認検査機関を「民営化」したことにある。
 その背景には、民営化のねらいも意味も論議されないままに、「改革」「小さな政府」「民営化」をよしとする『雰囲気』に流されてしまっている国民の意識がある。
 なぜそうなるのか。私たちが《いま》生きていること、《いま》していることの一つ一つは《未来》をつくることにつながっている。《過去》や《歴史》を《いま》考えること、学ぶこともまた、
《未来》をつくることにつながっている。
 しかし私たちは、《いま》をどう過ごすかということしか考えていないのではないだろうか。否、《いま》を考えることすらしていないのかもしれない。
P Key Wordは多忙化

 2002年の新学習指導要領本格実施以来、年を追うごとに現場の多忙化を訴える声が増え続けている。放課後子ども達とゆっくり付き合える時間がなくなった、夜遅くまで学校に居残って仕事をせざるを得なくなったという声から、授業を成立させることや生活指導の困難さ、子どもとの関係のつまづき等々、問題も広がりを見せ、肉体的疲労や精神的ストレスの蓄積を訴えるようになってきた。
 実際に病気休暇をとったり、ついには休職したり、中には退職を余儀なくされる職員の数も増えている。
 到達度調査、英語特区、学校選択制、小中一貫教育、ドリームプラン、TT教育・・・等々、耳障りのよい一見スマートな体裁を凝らした教育制度・政策がひっきりなしに、トップダウンで下ろされてくる、「教育改革」を名乗りながら。
 「改革」と称する取り組みの中で、日常的な子ども達との関わり、実践の中から現場が必要だと声を上げて生み出したものがいったいどれだけあるのだろうか。99%は現場の声を聞かずトップダウンで下ろされてきたものばかりである。

 勢い現場は、目先を変えて次々に「降りかかる」変化にどう対応するか、どうこなすかで日々振り回されることになる。現場が必要とする取り組みならば、その一つ一つに明日への意欲につながる充実感を感じるものだ。
 多忙感と充実感との分かれ道は明白である。上から押し付けられたものに自分を合わせようと躍起にならざるを得ないのか、或いは自分たちが必要と考えるものを主体的に取り組むのかである。
 教育改革という、いわば「表の面」が進行する「裏側」で、教職員の心身を蝕む多忙化が進行している。僕の在職する寝屋川市にとどまらず、大阪府内に、おそらく全国に「多忙化」は広がっているに違いない。今「多忙化」とは、教育改革を考えるKey Wordとなっている。教職員を疲弊させ、誇りを奪うような「改革」などありえない。

O 府教委、「大阪府立高等学校における知的障害のある生徒の教育環境整備方針案」を出す。
 
 このホームページ上でも署名をお願いした「知的障害生徒の高校入試」について、府教委は9月21日に具体案を出した。
 特徴は、@これまでの調査研究校5校に加えて、新たに4校の府立高校が「特別支援推進校」として指定された。A新たに「共生推進モデル校」を作り、「特別支援学校の生徒が日々高校に通い、高校の教育を受けるモデル研究を行う」、というもの。
 特別枠で受け入れる高校が増えたことは事実だけれど、これでは保護者や、何よりも障害生徒本人達の「高校に入って、みんなといっしょに学びたい、生活したい」という願いに応えるにはあまりにも少なすぎる。
 また署名運動でも強く要望していた受験資格は、「平成18年3月に中学校もしくはこれに順ずる学校を卒業する見込みの者」とされ、これまで受験に取り組んできた「過年度生」の資格は認められなかった。
 「健常児」は卒業後いつでも受験できるのに、障害生徒にはそれが認められないのは、教育権を奪うことになりはしないだろうか。
 具体的な内容について、受験資格の問題など、早急な取り組みが求められている。
 
府教委「教育環境整備方針案」は、コチラ
N 9.11  とんでもない事態が生まれた日
 
9月11日投開票された総選挙は、自・公の連立与党が衆議院の3分の2を越える議席を獲得して終わった。教育基本法、憲法を改悪して「戦争のできる国」へ向かってまっしぐらに駆け出すことになりそうだ。
 少なくとも、参議院の存在意義をなくし、民主主義を形骸化させる許可証を小泉自民党に手渡したのだ。いったい誰が?まぎれもないニッポンの国民が、である。
 選挙を通じて痛切に感じたことがある。日本人は(もちろん僕も含めて)、考えることと、暮らしの中に歴史を見る・感じることをしようとしない国民だということだ。
 
「掲示板」に、皆さんの選挙についての意見、感想など書いてもらえればうれしいのだけれど。


ヒトラー
〜最後の12日間〜を観た
 
同じセリフが確か三度繰り返されたと記憶している。
1回は、ある将校がゲッペルスに向かって、ベルリンから避難するように進言する場面だ。そして「このままでは国民も兵士達も犬死になる」と付け加える。
 2回目は、軍需大臣のシュペーア(だったと思う)がヒトラーに避難を進め、そうすれば国民も避難できると説く。
 それに応えるセリフがこうだ、「(自分はベルリンを出ないことを明言した上で)私たちを選んだのは彼らなのだ。自業自得というものだ。」と。
 ヒトラーが圧倒的な権力を掌握した独裁者たりえたのは、軍事クーデターで政権を握ったからではない、国民が選挙で選んだ独裁者であったからである。

詳しくは『折々の記』を読んでください。
M 支持率51%の意味するもの

 
衆議院が解散させられた。理由は、郵政民営化法案が参議院で否決されたからというのだ。つまり、「(小泉の)私の考える法案が否決されたから」ということだ。総選挙の争点は「郵政民営化に賛成か反対か、その1点だ」とも豪語する。このような選挙があってもよいのだろうか。
 これからの日本の将来を占うという本来最も社会性を帯びたイヴェントであるはずの選挙が、政策も出さず、各党との政策論争も避けて、「私(小泉)の考え方に賛成か、反対か」を問うだけのために多大な税金が投入されようとしている。構造改革・民営化を言い続け、その槍玉に公務員の税金の無駄遣いを挙げてきた張本人がである。
 社会性も政治性も持たない、劇画マンガのページを見るような解散劇と選挙戦は、国民に相手にされるわけもないと思っていたのだが、解散直後の内閣支持率が46%と上昇し、1週間たった今51%とさらに上がっている。小泉に声をかけられた戦後日本社会が生み出したエリート達の立候補は、マスコミをにぎわせヒートアップさせている。
 
かつてヒットラーが同じ大衆操作の手口を使い、選挙に大勝利して、ホロコーストに到るナチスドイツの独裁の始まりとなった。
 よもや戦後60年を経た日本の国民がだまされるわけがないと思っていたのだが、むしろ「戦後60年を経た」それが実態であるのかもしれない。今の日本を心底恐ろしいと思う。

 

 
L 4688筆の署名
        府教委に手交

 
 ホームページ上でもお願いしました「すべての高校に知的障害のある生徒が入学できる制度の実現を求める署名」4688筆分を、7月8日大阪府教育委員会に手交しました。(その場での話し合いの内容など詳しくは、「寝屋川連絡会のページ」で)
 1ヶ月に満たない緊急の署名活動でしたが、その間クラブやサークルで署名集めをしてくれた大学生達があったり、見ず知らずの方たちから何通もの激励のお便りを頂いたりしました。
 連絡会としてはじめて取り組んだ署名活動でしたが、集めることの苦労以上に人との出会いや交わしたお話、頂いたお手紙に励まされた喜びの方が大きかったと実感しています。
 このホームページを見てお便りをいただいたり、用紙をダウンロードして署名を送ってくださった方たちも何人もありました。改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。


K 署名協力のお願い
「すべての高校に知的障害のある生徒が入学できる制度の実現を求める署名」


 詳しくは署名用紙に書きましたのでご覧頂きたいのですが、大阪府は「知的障害のある生徒の高等学校受け入れに係わる調査研究校」を本年度で終え、7・8月にも新たな制度を本格実施させる予定になっています。
 現在の審議の内容を聞き及ぶところ、決して障害者本人や保護者が満足できるものにはなっておりません。
 全国に先駆けたこの制度を前進させ、私たちの願いに近づけるためにも、緊急の署名活動に取り組むことにいたしました。
 ぜひともご協力をお願いします。
 署名用紙をダウンロード、印刷して広げていただければ幸せです。
J 集会を開きます
水俣病はいま
チッソ水俣病関西訴訟の22年

水俣病の被害が広がった、不知火海沿岸の漁民など生活が成り立たなくなった多くの人たちが仕事を求めてふるさとを離れ、関西にもたくさんの人たちがやって来ました。就職や結婚、病院でも差別を受け、水俣出身であることも隠し続けてきた患者達は「チッソ水俣病関西患者の会」を結成し、1982年10月に国・熊本県・チッソを相手に「水俣病関西訴訟」を起こしました。
全国の患者団体が「政治決着」を受け入れ和解した中で、唯一関西訴訟団だけがあくまでも国・県の責任と謝罪を求めて裁判を続けました。ついに、2004年10月15日最高裁判所は、国・県の行政責任を認める画期的な判決を下しました。提訴以来22年の長く苦しいたたかいでした。
 しかし、判決後も国は水俣病の認定基準を変えることもなく、明確な謝罪すら拒否し続けています。患者達のたたかいは今も続いています。

I ぇえ? こんどは  学力向上だって?
 4月22日、文科省は「ゆとり教育」を柱とする新学習指導要領で学ぶ子ども達を対象にした、初の学力調査の結果を公表した。なんと、前回(01年度)と比べて「学力が向上」していると言うのだ。
 特に新学習指導要領本格実施以降、猫の目のように言うこと・なすことを二転三転させ、OECD調査では「学力低下」を大宣伝して「見直し」を打ち出した文科省のこと、さぞかし慌てふためいて「やっぱりゆとり教育で」となるかと思いきや、そうはならない。文科大臣いわく、「学力重視の方針を変えるつもりはない」と、えらく強気のコメント。
 すなわち、子どもの実態を直視し、その事実から方針を生み出すのではなく、はなから「学力重視」に舵を切りたい、いまの文科省と閣僚達の思い入れが見え見えとなってしまった。さらにその方針を支えるべき明確な哲学、論理も見えない、漠然とした「回帰論」は、戦前の教育への懐古をも浮かび上がらせて恐ろしい。
 憲法「改正」論議の中で、「環境権、プライバシー権の明記」など、目先をあちらこちらに変えながら、「9条」の改悪を狙い済ます構図と同じものを感じている。


Hもうひとつの入試

 現在全国で高校入学試験が行われている。一方で、「もうひとつの入試」と呼んでいいだろう、知的障害を持つ生徒の入試が取り組まれている。公立高校で障害を理由に受験を拒否する学校はなくなった。「どうぞ自由に受験してください」と言う、しかし「合格点を取らなければ入学できませんよ」というわけだ。進路は養護学校高等部しかなくなってしまう。「0点しか取れないのが障害なんです」と言った母親の言葉のように、これでは知的障害生徒の「自由に教育を受ける権利」は全く保障されていない。
 大阪では全国に先駆けて2001年に「知的障害のある生徒の高等学校受け入れに係わる調査研究校」の制度が作られ、特別枠での入学が認められることになった。ある母親は「子どもの進路は養護学校ひとつだけではないんですね」と、そのときの感慨を述べられた。多くの保護者と障害を持つ生徒達に大きな希望を与えることになった。とはいえ、府立・市立合わせて6校で、しかも定員2人という狭き門は、到底希望に応えられるものではない。府内各地で調査研究校を増やし、特別枠を認めることを求める運動が広がっている。
 今も後期試験、2次試験に挑む障害を持つ生徒達の挑戦が続いている。「共に学び、共に生きる」共生社会をめざす取り組みである。
 
 「寝屋川連絡会のページ」参照
G不毛な「学力低下」論争

OECDの学力到達度調査(PISA)が発表され、新聞各紙は夕刊トップで「日本の学力、世界のトップの座から落ちる」と報じ、「ゆとり教育のつけが回ってきた」と論評した。それを契機にいつもながらの「学力低下論」が活気を帯び、文科相の「総合学習の見直し」発言が、さらに煽る結果となった。(前々回のTopicsでも書いた)
 中嶋早大名誉教授の言葉は示唆に富んでいる(毎日新聞1.31 抜粋)
ーしかし、私はそうした論評、批判に疑問を感じている。果たして日本の学力水準は世界に君臨していたのだろうか。従来の暗記、暗誦の詰め込み学習に戻ることで学力低下の問題は解決されるのか?ましてや時間割を増やすこと、土曜日の授業を再開することで学力の問題は解決されるとは思えない。
 PISAの目的は「社会経済生活に完全に参画し、将来にわたる学習者になれるような資質が身につくかどうか」を評価するものだ。知識の量を測定するものではない。
 (授業時数が加盟国中最少の「ゆとり教育」の実践国であり、今回調査で世界1となったフィンランドでは、)新しい学習指導要領が告示された。注目すべきことは、21世紀を切り開くため、「総合性の徹底を図る」事とし、すべての教科を横断し、すべての学校の全課業を支配する原理として、総合的な学習の時間を促進させようという新しい狙いを掲げている。わが国と全く逆だ。ー
 結果に一喜一憂することなく調査結果を冷静に、しかし深刻に真剣に受け止め、日本の教育の真の問題と向き合って、改革に取り組むべきである。文科省、教育委員会、現場までが「言うこと、なすこと」を二転三転させながらフラフラ・フラフラしていては、とんでもない事態を招いてしまうような気がしてならない。


F粉々に「希望」が砕け散った中で、なお
 2月14日、寝屋川市立中央小学校で職員殺傷事件が起こった。同校は「子どものために」を合言葉に、教職員が一丸となって日々の教育活動を創造し実践してきた学校である。
 子ども達が主役となる「フレンズフェスタ」(学校総合)では、1日を保護者・地域に公開し、野外に設けられた特設舞台で子ども達の歌や踊りに混じってPTAコーラスが披露されるなど、常に地域との連携、信頼関係の醸成にも努めてきた。それ故なおさら、17歳少年の凶行という事実は職員一人一人の上に重くのしかかっていることだろう。
 職員は今、自分が負わされた深い傷を癒す間もなく、不眠不休の活動を毎日続けている。
 ルイ・アラゴンはドイツ軍が迫り来る極限の状況の中で「学ぶとは誠実を胸に刻むこと、教えるとは希望を語ること」と、詩に刻み付けた。「希望」という言葉が粉々に砕け散った学校で、中央小学校の職員達の苦闘の一つ一つが、「希望」を紡ぎだして行く営みなのだと僕には思えてくる。
Eナニ考えてるの?
 1月19日付朝日新聞1面トップに「中山文科相 総合学習削減の方向」の文字が躍った。相も変らぬ「学力低下」問題で、他教科の時数を増やすための見直しなのだという。
 「いい加減にしてほしい」というものだ。「明治5年の学制発布以来の大改革」と喧伝し、新学習指導要領の本格実施に踏み切ったのはいったいどこのだれなのか。大臣が変わるごとに思想もヴィジョンも持たない個人的な感想を吐露し、教育委員会も現場も振り回すことが、日本の教育創造の営みでないことは明らかだ。
 「自ら学び、考える力、生きる力」をつけるために、漸く各学校現場で総合学習が位置づいてきた。この学力観をいかにしてた教科にも拡げていくのかが課題となって行くべきである。年数をかけ、教育論議を広げながら取り組み続けるのが教育改革なのだと思う。いわば文化を創造していく取り組みでもある。
 「学力低下論」の火付け役となった、OECDの学習到達度調査で世界1となったフィンランドは、週授業時数は日本よりも4時間も少ない(加盟国中最短)の「ゆとり教育」の実践国である。長い年数をかけて、実践し、試行錯誤もしながら継続の中で生み出してきたものである。
 目の前の短絡的な結果だけに振り回されて、(大臣達の好きな言い方をすれば)「日本の国を背負う子ども達」の今と将来をこわしてしまってはならない。

D2005年を迎えて
 
イラク戦争、自衛隊の派兵、人間だけではない地球が悲鳴を上げているかのようなうち続く災害、迷走する教育改革、敬愛する松下竜一さんの死・・・、振り返れば深刻な問題が山積した1年でした。そんな中チッソ水俣病関西訴訟が最高裁で勝訴し、「民」の力の大きさ、「草の根」がつながりあうことの強さを信じることができました。患者さん達の生き方、たたかいに多くを学びました。 
 
「愛の反対は暴力ではない、無関心です」というマザーテレサの言葉をかみしめながら、新しい年を歩きはじめたいと思います。

C環境省部長 仏前に
 NHKスペシャル「不信の連鎖水俣病は終わらない」が放映された翌日、環境省の部長さんと室長さんが、初代原告団長・岩本夏義&愛子夫妻の仏壇前に登場しました。
 「もっと早く来てほしかった…」「(亡くなった時から)ずっとお待ちしていました」「今日の謝罪が、これからの第一歩です」「水俣病患者だと認定してください」・・・等々と泣きながら口々に訴えられた。11時50分から50分間の訪問でした。
 11月24日の交渉の最後に原告団からの怒りを受けて約束したことでした。
(同席した支援者からの話を転載)
B 熊本県交渉
 12月5日、先の環境省交渉に続く熊本県交渉に参加しました。
 「今後の水俣病対策について」と題する県独自の支援案の提示や、潮谷県知事名の環境大臣宛て要望書で、「最高裁判決後認定基準のダブルスタンダードが生まれてしまい認定業務に携わる県として困難をきたしている」との要望を挙げるなど、国とはちがった姿勢を感じました。
 しかし、責任ある回答を出せる役職にないのでしょう、交渉団の追及に何一つ回答ができませんでした。改めて役所の閉鎖性を思い知らされました。

12月12日(日)NHKスペシャルで「水俣病は終わらない」 という番組が夜9:15〜10:07 NHK総合TVで放送されます。


A 環境省交渉 
 10月15日に「国・県の行政責任」を認める画期的な最高裁判決が出された後の、2回目の環境省交渉に参加しました。
 最高裁が「患者の認定を棄却する根拠となってきた52年の判断基準は間違っている」と判決で述べているのに、それすらも認めようとせず、堂々巡りの答弁に終始する官僚達の答弁に失望してしまいました。
 一国民として、私たちの環境、健康を本当に守ってくれるのだろうかと恐ろしさを感じてしまいます。終盤の川上団長はじめ患者さん達の怒りに、初めて部長は患者さん達の家を謝罪に回る意向を示しました。
 テレビカメラとマイクの放列に驚きましたが、その後十分な報道がなされていないのも残念です



@ チッソ水俣病関西訴訟 
     最高裁 国、県の行政責任を認める

 最高裁は10月15日、国・県の上告を棄却し、原告側の訴えをほぼ全面的に認める判決を下しました。国と県の敗訴が確定した画期的な判決でした。
 それにしても1956年の公式発見から48年、関西訴訟の提訴から22年の歳月を要した勝利でした。
 多くの患者さん達がなくなり、その魂をバトンリレーするかのようにたたかい続けて来られた患者さん達、支援の方達の姿に畏敬の念を禁じえません。日本の歴史に深く刻まれるものだと思います。
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