折々の記                               ホームページへ

連載 都構想・大阪市の廃止と分割に反対する 2015年4月9日~5月18日

◆4月5日 「私は大阪都構想に反対します!」の看板を我が家の玄関に張りました。
 
どうも大阪都構想をめぐる論議が高まっているとは思えません。というか、自由に論議を交わすことがやりにくい雰囲気を感じています。3月に市民の会主催の集会に参加したのですが、中之島中央公会堂の大ホールをほぼうずめる1000人近い参加者がありながら、都構想への批判や反対を言いきれず、予定していた講演者も「主催者に迷惑がかかることを配慮して」出席を自粛する…など、せっかく市民が声を上げて集まり、力を出し合い、苦労しながらたどりついたのであろう集会が、何か影の力に見張られおびえているかのような印象が私には残ってしまいました。
 大阪だけのことではありません、安倍政権の政治的な圧力によって、テレビや新聞の報道が日に日に、目に見えて萎縮して行く実態を見せつけられています。メディアというものが権力からの圧力に対して、かくも弱くもろいものなのかとため息混じりに実感させられています。
 一人の市民が「なんかものが言いにくくなった」「周りの目が気になる」などと、なにかしら強い力の影に怖さを感じ始めたら...、それが隣へと伝わり、さらにその隣へと連鎖しひたひたと広がって行くのではないでしょうか。

 私は影の力を感じながら自由にしゃべれない雰囲気がきらいです。
 そこで、恥ずかしがり屋の私ではありますが、今自分の意見を表明したくなりました。妻に相談して看板を出すことに決め、いっしょに段ボールを切り、色ケント紙を両面テープで張って、その上に妻がマジックで勢いよく書いてくれました。「私は、大阪都構想に反対します!」と。気の弱い私は、通りかかる人の視線を気に掛けながら玄関の門柱に看板を括り付けたのですが、家に入ってからも近所の人たちはどう思うやろ?付き合いは変わらへんやろか?どんな顔して話したらええのか?…などとぐずぐずと考えてしまいます。権力の影におびえたくないと、ついさっき大見得を切ったところなのに、近所づきあいになるとこの有様です。情けない話です。

 
2階にいる私の耳に家の前で語り合う3人とおぼしきおばあさんたちの会話が聞こえてきました。ひとしきり世間話をした後、「松森さんがんばってはんなぁ」「そうやでがんばったはるで」「私も反対やから、ここに名前でも書かせてもらおかな」との声が聞こえてきました。
 一人の市民がちょっぴり勇気を出して隣に話しかけ、その隣の人がそのまた隣に声を掛け、「何かわけのわからない口をつぐんでしまう怖さ」の連鎖を、押しとどめ追いやるようなちょっとしたキッカケが、日常生活の中で必要ではないかと思っています。
 さてこれからどんなハプニングやらが起こるでしょうか。またお知らせできればと思います。

 

4月9日 娘がフェイスブックに投稿する
私の父が、ついに 自分の意見を玄関に貼り出すことにしたようです。(⌒▽⌒) 黄色やし、直筆やし、ちょっと過激な家みたいになってます。笑

帰ってきて自転車をしまうときに、私は今まで無かった変な緊張感を感じてしまったんやけど、
でもこれって!もしかしたら過激なことでもなくて、(色んな人と話しが出来たら相手の意見が分かるみ...たいに)、まずは家の前を歩く人、近所の人、前を通る選挙カー、見た人に「私はこう考えます。あなたは、どう考えますか?」って問いかけてるんじゃないかと、自分の意見を言うってことには、相手にも考えさせる力があるんじゃないかと思いました。
まぁ、そんなことをする人がまず珍しいんやけど。(笑)
やけど、私はどんな小さな事でも、かなり勇気を出さないと人に自分の意見を言えずに生きてきたので、こんなことが出来る父やけど、こんな事が出来る「ほど」の気持ちを持って、張り出したんだろう とも思います。
松森家の全貌を揺るがすことになるかもしれないしならないかもしれない、(笑) これまでとはちょっと違った期間をこの家で過ごしてみようと思います。
さっそく、雨に弱いから中に入れといて!って電話がきました。笑

そして私も、私の意見をちゃんと持って言えるようになっていこうと思う 今日この頃です。

◆4月17日 都構想反対!」の新しい看板を付けました。
 
夜、帰宅した娘があわてて駆け寄ってきて「大変や、我が家の一大事かもしれん」と言います。「誰かが、都構想の看板をグチャグチャにこわしたのかも」と少し声を荒げます。妻と3人で玄関を出ると、折しもの雨が降る中、手作りの看板は二つに折れて、通したヒモに漸く引っ掛かった格好でぶら下がっていました。4月12日の夜、統一地方選の選挙速報を歯噛みしながら見ていた私の心境を象徴するような格好にも見えました。
 しかし誰かが悪意を込めて意図的にやったものではなく、強風にあおられてのものでした。思えば掲示してから10日余り、段ボールにマジックで書き、表面にビニール袋をかぶせただけの手作りの看板がよくもったものだと思います。当初落書きとか嫌がらせなども気に掛けてはいたのですが、なにせ気の小さいわが一家ですので、出勤途中の人たちや、保育所の送り迎えの途中で、散歩しながら、下校する小中学生や近所の保育園の園児たちのお散歩で、仕事帰りに…などら、家の前を行き交う人たちが、足早な人もあればのんびりと過ぎる人もあって、立ち止まりはしま...せんが視線を向けて通って行きます。けっこうみんなが見てくれているように思えます。近所の人や家に来た人たちと話すこともありました。

 
そこで新しい看板に換えることにしました。今度はちょっとはずんでコーナンで、前の2倍の大きさのプラスチック製のプレートを1,000円余りで購入しました。例によって妻が一気に書き上げました。
「私は「都構想」に反対します。大阪市をなくしてはいけない。やさしい町に 私は住みたい!」
これが壊れたら、また工夫して次の看板を付け替えます。

 
 

◆4月26日 Takeshi Koyanagiさんからメッセージをいただきました。
―先生こんにちは。お変わりありませんか?写真は、先生のお宅からさほど離れていない場所で見つけました。「これって先生の影響力やろなあ」と感心しながら撮影しちゃいました。
 もちろん私の「影響力」であるはずがないのですが、私と妻が相談して手作りの看板を玄関につるしたように、自分の思い・考え・意見を手書きして家に立てかけた人が他にもあるということは、私を勇気づけてくれます。このように「普通の人」が自分にできる方法で意見を表明する行動が広がれば、自分の暮らしの場や社会が変わって行くのだと思います。
 橋下のやろうとしていることは、これとは全く逆で、市民の誰一人も「大阪市を解体してほしい」とは思っていないし言ってないのに、市長=権力を持つ者が頭に描く「都構想」を、市民の全員に一方的に押し付けようとしています。これを独裁政治と言います。
 街中で見つけて写メをとるTakeshiさんのセンスもいいですね。

4月29日 「都構想」の説明会に参加しました。
「都構想」説明会の最終回に参加しました。とても印象的な場面がありました。開始前に大阪市事務局から進め方の説明と諸注意があったのですが、その最後に「本日は多くの参加者があり、できるだけ多くの皆さんの質問を受けたいので、端的に質問していただけるようにお願いします」といいました。その時、会場から「質問時間は何分あるのですか?」との声が上がり、「15分くらいか」との答えが返りました。「短か過ぎる」「保障すべきでしょう」…などの声が続き、「うるさい」「まかせろ」などの野次もとびます。そして、「市長が言いますので…」と、うつむき加減に小さな声で壇上の司会を務める事務局が答えるのです。
 本来は主宰している大阪市の事務局が進行計画をつくり、市長もそれに従わせるべきではないでしょうか。「多くの質問を受けたい」ならば時間を取って、市長の説明を短くさせるというように。そこに市長の顔色を伺いながらしゃべらざるを得ない、自分たちで決めることができない職員の現実をまざまざとみる思いがしました。「都構想の一番のねらいは、役所の改革だ」と橋下は...切り出すのですが、自分のやっていることが職員を萎縮させ、主体性を奪い、役所の活力と創造性を奪っていることに微塵も気づかないのか、ふりをしているのか。私は大阪市・府の職員が、これまで決して他府県や市町村に負けない、いやむしろリードする仕事をしてきた数多くの実績を知っているので、目の前のうなだれた姿を見るのが残念でしかたありませんでした。
 創造的な仕事とは、自由闊達な議論が保障される雰囲気の中で生まれてくるものです。上司の目を気に掛けながら、周囲に気を使いこわごわ動かざるをえない現状の空気を換えるだけでも、大きな改革がなされると思います。増してや大阪市をなくす必要などありません。
 結局説明会は、事務局からの説明が30分、市長が1時間15分、質問が20分で、そのほとんどは4人の「端的な質問」に対する市長の長々とした返答になりました。
いったい大阪市の主役は誰なのでしょうか。「橋下市長の芝居」を興行するために下働きさせられているのが市の職員で、大阪市民は「芝居」を観るために動員された「観客」でしかないのでしょうか。そのようにしか感じられない屈辱感を私は感じました。

 
 

◆5月5日 若者たちの飲み会に誘われました。
 
娘二人とその友人たちとで、よく飲み会をやっているそうです。ある時、もちろん飲みながら、「こうやって飲んでいるところに、ゲストを呼んでもええんちゃう?」と話が進んだそうです。「誰を呼ぼうか?」と、もちろん飲みながら話を交わす内に、「松森のおっちゃん呼んだらどうや」と、声が上がったんだそうです。かくして彼ら4人の“飲みながら話し合う場”の名誉ある第1回ゲストとして妻とともに招待していただきました。
 就職、貧困、格差、政治、経済、文化、集団的自衛権、教育、憲法、特に第9条について…そして大阪都構想・大阪市の解体について、6人で大いにしゃべりつづけました。若い人たちとの討論は面白いですね。これからも機会があれば、気分もフットワークも軽快に出かけようと思いました。
 今日も抗議の意思を投稿します。
2015年5月5日 抗議の意思を投稿します。...
 私は「特定秘密保護法」、並びに「集団的自衛権行使容認」の閣議決定に反対します。安倍晋三政権と自民党、公明党は、2013年12月6日、国民の声を無視して「特定秘密保護法」の強行採決を行いました。さらにその後、国会周辺や全国各地で集会とデモ行進が広がるなど、国民が反対を表明し、多くの地方議会でも「反対あるいは慎重審議を求める要望」が議論されたにもかかわらず、それを無視して2014年7月1日閣議決定を行いました。その暴挙によって国民とその一人である私を侮辱したことを忘れません。(石本隆司、松森俊尚)
 ※いま無関心でいるわけにはゆきません。私たちは同法に反対し、横暴に抗議するために、次の参議院選挙の日まで、「6」の付く日に以上の抗議文を、フェイスブックに投稿し続けようと思います。

◆5月8日、大阪市解体・「都構想」に反対する障害者の決起集会に参加しました。
 
大阪市役所横に、障害者を中心に500人を超える人たちが集まった集会は迫力に満ちたものでした。急遽結成されたという“大阪市をなくすな!障害者連絡会”の15団体からの挨拶は、(大阪市が解体されれば)障害福祉サービスの後退、特別区ごとの格差、交通費や医療費の減免措置の行方、障害者だけではなく高齢者や児童も含めた市民生活への懸念など、どれも切実な危機感を訴えるものでした。
 集会「開催趣旨」に「大阪市ではこれまで数十年にも及ぶ長い道のりを経て、『すべての障害者が普通に暮らすことができる社会』をめざし、福祉制度と社会資源を少しずつ拡充してきました。しかし、そのようにして漸く積み上げられてきた基盤が、大阪市がなくなれば『すべてリセット』されるのではないか、と強く心配しているところです」と書かれています。
 障害者からのマイクを通した、怒りのこもった、一人ひとりの話を聞きながら、法律や条令、制度、施策の網の目の中で生きる障害者の日々の暮らしがまざまざと伝わってきました。その網の目と暮...らしが重なる一つひとつの結ぼれ(結び目)をつくるのに、実に数十年に及ぶ障害者の生活と運動の歴史があったのだと思われてきます。

 いわばその網の目と一つひとつの結ぼれ(結び目)を、鋭利な刃物で切り裂くのが「大阪市解体・都構想」です。なぜそんなことができるのか、結ぼれ(結び目)に見えるはずの人生や歴史に目をやる視点が微塵もないからです。それは、逆に「都構想」の本質が、今はまだ巧妙に隠されていますが、極端な能力主義、競争主義、利潤追求にあることの証でもあるのだと思います。
 
もちろん障害者だけの問題ではありません。私たち市民の誰もが、大阪市の歴史の中でつくられてきた網の目の中でくらし、一つひとつの結ぼれ(結ぶ目)に託す、それぞれの思いがあるはずです。されば、「十分な説明が不足している」「私たち抜きに、私たちのことを決めないで」という障害者の訴えが、わがこととして聞こえてきます。大阪市の主役はいったい誰なのか、橋下徹ではないだろう、と訴えています。
 最後に参加者で市役所に向かって「反対」と書いた紙を掲げてシュプレヒコール。「あいにく」(?)市長は不在。公務をそっちのけで終日市内を宣伝に回っています。

 

 
◆5月10日は、夫婦で「大阪都構想反対、大阪市をなくすな!」を主張して行動した1日となりました。
 
まず第1弾は、3枚目となる玄関に張る看板を作りました。今回は「住民投票は、大阪市をなくすことの 賛成か反対かを問うものです。私は『反対』です! あなたは?」と書きました。いったい何が起こるか、周りの目を気に掛けながら、おっかなびっくり掲示したのが始まりですが、おかしなもので、新たにつくるごとに看板が大きくなって行きます。
 第2弾は、午後から扇町公園での「大阪市をなくすな 特別区設置にNO! 市民集会」に参加しました。5000人が集まる熱気に満ちた集会となりました。個人が、ネットでつながったグループが、大阪市内の様々な市民団体が、自民党、民主党、共産党の各級議員が、周辺市長が集まり、それぞれの立場から、「大阪市をなくす」ことへの反対を表明しました。(公明党を代表して元議員からの連帯の挨拶もあり)「オール大阪」で取り組んだ集会といえるのかもしれません。
 第3弾は、梅田までのデモ行進。写真は出発する長い隊列です。私たちは退職教職員の会の列に加わりました...が、久しぶりに見る「旗」もあちこちではためいて、壮観でもあり懐かしくもありました。デモの途中で出くわした賛成派の宣伝カーが、テープを流すこともできず、いかにも小さく見えたのもおかしかった。

 今度は南方面に移動して、街中で早い夕食を済ませて、第4弾の「住民投票緊急セミナー・特別区制度を考える」に参加しました。“府民のちから2015”が主催、自民党・民主党大阪府連が協賛して、大阪国際交流センター大ホールがぎっしり詰まる大集会となりました。東京世田谷区長の保坂展人さんを招いての講演と、堺市長と八尾市長を加えたパネルディスカッションが行われました。
 
政令指定市を解体して特別区に分割する都構想なるものは、地方分権という時代の流れに逆行するものであり、府知事を頂点にした極端な中央集権をめざす時代錯誤の産物でしかありません。しかも市民の生活を守り発展させるための財源も、権限も、具体的なスキーマもスキルも持たない無責任極まりないものだと痛感しました。
 
都構想の中身を「賛成」の人に質問しても答えられないでしょう。いや維新の議員に質問しても答えは返りません。実際市の説明会でも、タウンミーティングでも、討論の場でも、対応しているのは、橋下一人しかいないのですから。橋下の頭の中に巣食う「妄想」に、反対する私たちはもちろんのこと、賛成の声を上げる人たちも、維新の議員たちも、大阪市民の誰もが振り回されているのです。
 なぜそんなことになるのか、市長の権力を笠に着て、市民の声も、議会も、民主主義のルールも無視して、理性を捨て去って権力をむやみやたらに振り回しているからです。橋下・維新の独善と横暴を、これを独裁といいます、これ以上許すわけには行きません。5月17日の投票日まで1週間、私も反対のための行動を続けます。

 
 

 
 
 
◆5月13日 3枚目の新しい看板を玄関に張り出しました。
 
最初は、近所の人にどう思われるやろか、質問されたら答えられるか、普段通りの挨拶を交わせるやろか、嫌がらせされたら…などと、集会や会議で発言する時とは一味もふた味も違った不安や緊張感を感じたものでした。我が家で一番肝のすわった妻の「大丈夫!」の一言に押されて、手作りの「都構想反対」の看板を玄関に掲げました。不思議なもので、2枚目をつくるときには、もっと大きな看板にリニューアルし、今回の3枚目はさらに一回り大きな、しかも目立つようにまっ黄色のボードを近くのコーナンで購入してきました。
 今度は、「住民投票は、大阪市をなくすことの 賛成か反対かを問うものです。私は、『反対』です!あなたは?」と書きました。通りに面して2枚の看板が並んでいます。さっそく「また新しいのをつけはってんな」と声が掛かります。自転車で通り過ぎる人の目が向けられます。わざわざ自転車を降りて、押しながら近づき話しかけてくれる人もいます。保育園のお散歩の幼児たちが指を差しながら興味深く見つめています。小学校や中学校の行き帰りに眺めて行く子ど...もたちもいます。知らない人から声が掛かり話が弾むこともあります。いつの間にか、結構楽しんでいる自分を発見しています。
 2枚目の看板に変えたとき、真向かいに建つワンルームマンションの外壁に突如「賛成」派のポスターが何枚も張られました。目を凝らすと、中の下足ホールや廊下にまで張られています。「あてつけか!」と一瞬気色ばんだのはこちらの勝手な思い込みでしょうが、集合住宅の住民には「反対」の人もいるだろうし、不快感を持たないのか、文句はでないのかと、強引なやり口に驚いてしまいました。
 昨日(5月12日)、公明党の「プレミアムつき商品券を宣伝する山口代表」のポスターの上や、横に、「大阪市廃止・特別区設置に反対します」と書かれたポスターを見つけました。ついに公明党も「反対」する統一戦線に戻ってきた、と素直に嬉しく、また心強く感じたものでした。わが町・大阪市をなくしてはならない、橋下・維新の独裁を止めなければならないとの思いがつながり、怒りとも重なって、「オール大阪」の機運が盛り上がってきたように感じました。
 菅官房長官の「共産党との共闘は、個人的には全く理解できない」の言葉は、自民党大阪府連に向けられただけではなく、私たち大阪市民全員に投げつけられた暴言だと、私は受け取りました。私たちが生活する大阪市の問題に土足で押し入って来て、配慮のない一方的な恫喝を加える姿は、まるで沖縄の声を無視して「粛々と取り組む」上から目線と同じで、沖縄の人たちの怒りをほうふつとさせて、「オール大阪」にさらに火をつけることになったと思います。

 
 

5月15日 私たちは、大阪市の廃止と分割に反対します!
松森藤子、松森藍子、松森久美子、松森俊尚
We say No !


5月17日 今日は「大阪市の廃止と分割」の是非を問う住民投票の日です。
大阪市は私たちの生活、暮らしの原点です。なくしてはいけません。はっきり「反対」と書きましょう! We say No!
2015年5月17日 抗議の意思を投稿します。
 私は「特定秘密保護法」、並びに「集団的自衛権行使容認」の閣議決定、さらに「安全保障法制の関連11法案」に反対します。安倍晋三政権と自民党、公明党は、2013年12月6日、国民の声を無視して「特定秘密保護法」の強行採決を行いました。さらにその後、国会周辺や全国各地で集会とデモ行進が広がるなど、国民が反対を表明し、多くの地方議会でも「反対あるいは慎重審議を求める要望」が議論されたにもかかわらず、それを無視して2014年7月1日「集団的自衛権行使容認」の閣議決定を行いました。2015年5月14日、あろうことか日本の国会論議を経る前にアメリカ議会に約束した、「安全保障法制の関連11法案」を臨時閣議で決定しました。戦後70年をかけて築き上げてきた我が国の平和と自主独立の努力を放棄して、対米従属の戦争国家へと回帰しようとするものです。その暴挙によって国民とその一人である私を侮辱したことを忘れません。(石本隆司、松森俊尚)
 ※いま無関心でいるわけにはゆきません。私たちは同法に反対し、横暴に抗議するために、次の参議院選挙の日まで、「6」の付く日に以上の抗議文を、フェイスブックに投稿し続けようと思います。

5月18日 大阪で“首の皮一枚の希望”がつながりました。
 昨日は住民投票日、FBや携帯に送られてくる情報を見ながら、終日落ち着かない時を過ごしました。形勢は逆転に次ぐ逆転でハラハラドキドキ、久しぶりに興奮して「開票終了」の文字を見て、家族で大きな歓声をあげました。
「首の皮一枚の希望がつながった」というのが私の実感です。たとえ厚さ「0.5ミリ」でも、「0」ではありません。大阪だけにとどまらず、日本という国の状況を変えて行くヒントがここにあると私は考えています。まず、ハシモト・トオルとはなんだったのか、維新とはなんだったのか、をしっかり追求しなければならないと思っています。時あたかも沖縄では、「辺野古米軍基地建設反対」の県民集会が開かれていました。私はその熱い熱気を想像しながら、心の中で連帯し続けていました。

2015年3月4日 障害のある生徒の高校受験

 223日大阪府立高校の前期入学試験が行われました。今年もたくさんの障害のある生徒が高校受験に挑戦しました。私も仲間に入れてもらっている“知的障害者を普通高校へ北河内連絡会”に参加する寝屋川市と枚方市在住の生徒だけでも17人の人が受験しました。支援学校ではなく、(普通高校に設けられた)「自立支援コース」や(高等支援学校に籍を置きながら普通高校に通学する)「共生推進コース」も含めて、一般高校への受験です。
 その中の一人にYさんがいます。人工呼吸器をつけて、全介護が必要なYさんですが、中学生から地域の学校に行きたいと願って、支援学校から公立中学校に転校しました。3年間の中学生活を送る中で、友だちや職員、校長、教頭が変わって行き、今では毎日楽しい学校生活を送っています。Yさんとの関わりの距離が近い程、また関わりの時間が長い程、お互いの理解が進み、変わって行くのだと改めて思い知ることになりました。

そのYさんは、当たり前のように、支援学校ではなくみんなと一緒に普通の高校へ行きたいと希望しました。今は受験を希望して拒否する学校はありません。しかし一方で「どうぞ」と言いながら、「受験に合格してはいってください」ということになるわけです。

だからこれまで20年以上にもわたって、府教委と話し合いながら一人ひとりに必要な「受験上の配慮事項」を、その都度作って対応してきました。別室で受験するとか、問題用紙の拡大、代読、代筆、問題用紙と回答用紙を分けない、時間の延長…など、様々な工夫を生み出してきました。

Yさんの場合は、中学校でテストを受けるときと同様の体制でできるように要望しました。別室で受験、Yさんに問題を読む人、Yさんの回答(まばたきを2回したら「イエス」の意思表示です)を読む人、看護師の配置です。ところが府教委は、「他の受験生との公平性を保つ」ことを理由に、看護師は控室で待機、介助者(中学校の教師)はひとりだけしか認めようとしませんでした。つまり介助に入った先生が一人で問題をYさんに読み、Yさんのまばたきを読み取って、それを回答として代筆者(高校側の教師か府教委)に伝えなければなりません。しかもそれを4時間(後期試験では午後もあります)、正確さを求められる極度の緊張と責任も感じることでしょう。また看護師の付添いは試験の介助ではなく生活介助であること、離れていては万一の場合緊急の対応ができないことを上げて、再考してもらえるように学校や市教委、府教委に要望を上げました。

結果、受験の同じ部屋の中にパーテーションを用意して、そこに看護師が待機して、「別室に控えていると解釈する」ことになりました。しかし介助の教師はひとりしか認められませんでした。

国連障害者の権利条約が批准されて、「障害に基づくあらゆる区別、排除または制限」が差別であると定義づけられ、社会的障壁をなくすための「合理的配慮」をしなければならないことになりました。いわば大阪で長年取り組み続けてきた「受験上の配慮事項」は、その「合理的配慮」でもあるといえます。しかし、肢体や視覚、聴覚などの障害に対する配慮は行われても、「点数がとれない」知的障害に対する合理的配慮は全くなされていないと言わざるをえません。多くの知的障害のある生徒たちやその保護者が、友だちといっしょに高校へ行きたいと願いながら合格できずに、希望していない支援学校に行かざるをえなかったり、最初から高校受験をあきらめてしまう現実があります。

受験の後Yさんに「試験はどうだった?かんたんだった?」と聞くと、2回まばたきを返して自信のほどを示してくれました。「後期の試験も頑張って」というと、はっきりとまばたきを2回繰り返しました。Yさん、やる気満々です。あす32日は、「前期試験の合格発表」です。さてどうでしょうか。


2014年12月29日 国民単位で完全な宙返りをやる日本国民

 12月27日、28日、29日の3日間の新聞(朝日)の1面見出しを見ただけでも、「特定秘密 指定を開始」「都構想 5月に住民投票 維新と公明一致」「他国軍の後方支援新法 自衛隊派遣迅速に」との文字が躍っています。「国民が安倍政権を信頼し、この道をまっすぐに行けと背中を強く押してくれた」と、一方的な解釈を記者会見で披瀝した通りに、まっしぐらに戦争への道を突き進んでいます。菅義偉官房長官が公明党本部に乗り込んで「大阪都構想への協力を押し込んだ」と言われていますが、参議院で三分の二を満たしていない現状でも維新を取り込んで、早急に憲法改正へのギアを入れる目論見をあらわにしたものではないでしょうか。沖縄と同じように、安全保障、憲法改正という「国家の問題」の前では、大阪という地方の問題、事情は意に介さず全く無視されてしまいます。大阪の公明党議員はどう考えているのでしょうか。決して了解できているようには思えないのですが。
 前回FBで書いた小田実の言葉を使えば、「大きい人間」の思惑のためには、「小さい人間」の事情や意志は無...視されて顧みられないということです。「小さい人間」は、いつかあきらめるだろう、忘れるだろう、何もできないだろうと、見くびられ、高をくくっているのです。大江健三郎の言葉を借りて「私たちは侮辱されている」と、私は言ってきました。
 今年92歳になる哲学者鶴見俊輔が見事な言葉で「時代が転換するとき」を描いています―
…私は、二十世紀の十分の八を生きた人間ですから、二十世紀のほぼ全体を経験しています。その中で、日本は、二十世紀の中でどういう役割を果たしたのか。何が特色なのか。私の答えは、二十世紀において、私の日本史の理解でいうと1905年以後ですが、日本ほど鮮やかに、国民単位で完全な宙返りをやった国民は、世界にないということです。アメリカ、イギリスはもちろんのこと、ドイツ、イタリアと比べても、日本は国民というユニットで、完全な宙返りをした。いまや、平気で第二の宙返りをするかもしれません。珍しいですよ。二十一世紀にもう一度宙返りするかもしれない。そのことを、国民も認めたがらないし、知識人も総じて認めようとしない。それを認める学者、評論家はわずかしかいません。
…国民単位での宙返り。つまるところ、日本の知識人も国民という単位の中にあるのです。国民と知識人との間に、切れ目はない。国民が全体として宙返りをしたのです。国家・政府、陸軍だけに宙返りの責任を負わせることはできません。
 戦後、マッカーサーが入ってきたのですが、マッカーサーも日本にヒビを入れることはできなかった。1905年からの国民単位の流れに。なぜ、1905年にこだわるかというと、あの時に初めて国民による大きな抗議運動が起こったのです。「日比谷焼き討ち」ですね。交番―政府の手先―を焼き討ちして、政府の処置に抗議した事件です。抗議の趣旨は何か。「もっと戦争をやれ」ということです。あれが、「国民の誕生」なのです。(2000年の講演 『オリジンから考える』岩波書店)


2014年12月27日 私があきらめない理由(わけ) その3くらいかな?
 
本を読んでいたら、大先輩・先人たちが「私と同じことを感じ、時には悩み、考えているんだ」と思える時があります。そして私の抱えている問題を整理したり解決したり、さらに思索を進める言葉と出会ったりすると、目の前の道が開けたような開放感や、身をよじりながら考えあぐねる姿を激励されているような心強さを感じたりします。近年でも日本の言論界に影響を与えた多くの作家、思想家、知識人が亡くなっていますが、例えば吉本隆明や筑紫哲也が生きていたら、今現在の状況を見て何を感じ、どんな発言をし、行動をするだろうかと思ってみたりもしています。
 私が今聞いてみたいそんな作家のひとりが2007年に亡くなった小田実です。ちょうど再読している本には、こんな言葉が載っていました―
 「べ平連」の運動は、「小さな人間」の立場に徹した運動であったと思います。これはまず「べ平連」が反戦運動であったことが大きく関係しています。「小さな人間」には戦争を起こす力はありませんけれども、戦争をやめさせる力は持っています。その認識と思考が私にはあり...ます。「大きな人間」が戦争を起こそうとしても、「小さな人間」がいないと戦争はできない。これはもう古今東西の歴史に残っている事実です。いくら「大きな人間」がやっきになって戦争しろと叫んでも、「小さな人間」が動かないと結局戦争はできない。このことを忘れてはいけないと思います。つまり「小さな人間」が自分たちの力を信じて戦争に反対する限り、戦争はできない。あるいは戦争をやめさせることができる。その認識の上で、戦争をやめさせるにはどうしたらよいかという思想の自由、思考の自由がもっと求められています。(『オリジンから考える』岩波書店2011年)
 
現在はあまりにも言葉が大切にされていない、ないがしろにされていると感じてしまいます。テレビの討論番組や、政治の舞台で、相手を頭ごなしにうち伏せる激しい言葉の応酬に快哉を叫ぶ、私もその一人である、大衆の動向があります。先日観た橋下大阪市長と在特会会長とのやり取りは、それ自体がヘイトスピーチのやり取りで、いかに相手の人間性と尊厳を叩き潰すかの暴力でしかありませんでした。一方でそれをいつの間にか「政治ショー・見世物」にして送りつけるマスメディアがあり、それを興味本位で受信する視聴者がつくりだされてしまっています。
 まず言葉を大切にすることからはじめたいとつくづく思います。


2014年12月19日 私があきらめない理由(わけ) 
 
私が「あきらめない」、あるいは「あきらめるわけには行かない」理由(わけ)の一つに、若い人たちに対する責任があります。戦争を体験した人たちは、日本国憲法をつくり、高度経済成長を支えて、一度も戦争をすることなく、中流程度の生活をすることのできる社会をつくってくれました。戦後生まれの私たちはいったいどんな社会をつくり、次の世代の人たちに残すことができるのだろうという考え方です。
 少なくともそれは次のような社会ではないはずです。法人税を引き下げ、社会保険料を引き上げ、社会保障を切り捨て、介護保険を改悪し、生活保護費を引き下げ、環太平洋連携協定(TPP)をすすめ、大企業の思惑通りに非正規雇用を増やし、貧者と弱者をどこまでもしいたげ、富者を喜ばせ、格差をますます拡大し、軍備を増強し、兵器を外国に輸出するような政権与党が国会の3分の2を超える議席を獲得し、さらに原発再稼働も、集団的自衛権行使の違憲立法も、労働者派遣法の改悪も、労働法制の規制緩和も特定秘密保護法も、選挙ですべて再信任を得たとして、このまま暴走を続けて行く(辺見..庸の言葉を借りました)ような、そんな時代と社会ではないはずです。

 
選挙期間中、二人の娘と誰を選ぶか、どの政党がよいか、マスメディアの報道の仕方について、日本の政治について、経済について、国際情勢と戦争の危機等々、これまでになく時間を掛けて具体的な課題を上げながら話し合いました。娘ではあるけれども、私の最も身近にいる若い人たちに向かい合うつもりで話していました。
 なかなか相手にしてもらえないかもしれませんが、多くの若い人たちといっしょに考え、話し合い、行動したいと思っています。放射能で汚染された国土や、戦争で家族が引き裂かれる悲劇や、借金まみれの国の経済や、貧富の格差が開いて餓死者が出るような社会を、若い人たちやさらに次の世代の人たちに残してはいけないと思うからです。だから私はあきらめるわけには行かない、無関心でいるわけには行かないのです。


2014年12月17日 衆議院選挙が終わって
 第47回衆議院選挙が終わりました。終わってみれば、マスコミの一斉報道があった「自民党単独で300越え」も「3分の2越え」もなく、かといって「民主党の巻き返し」もなく、自公の与党が「324 → 325」に1議席増やしただけの変化でした。600億円の貴重な税金を使って、正に大山鳴動してネズミ一匹を地で行く結果であり、数字から見ても「大義なき解散総選挙」だったと言わねばなりません。
しかし安倍晋三は、政権への批判が渦巻きだした政治とカネの問題も、経済成長率の失速も、貧富と格差が生み出す悲鳴もなかったかのように、あらためて「国民の圧倒的支持を得た」と豪語しながら、アベノミクスの勝利と更なる経済政策の推進に取り組むと熱弁をふるいます。選挙中避けて触れなかった集団的自衛権など国家安全保障の問題や原発再稼働、さらに憲法改正を「十分国民の理解を得た」ので、推進すると言い放っています。つまり安倍の筋書き通りの展開が生まれたのです。
これでは権力者のつくった「選挙劇」に踊らされ操られた国民は、その多くが落胆し政治不信・政党不信に陥ってしまいます。52.66%という戦...後最低の投票率ではあっても、その投票に行った者たちの中に落胆と政治不信をひろげ、投票に行かなかった47.34%の者たちと相俟って、国民の政治離れが加速するのではないでしょうか。

 日本の民主主義が未成熟を通り越して、崩壊に至ろうとしているこのときに、政治家はもちろんのことだれも責任を取ろうとしないのが、いまの日本社会であるような気がして仕方ありません。
それでも私は1年間続けてきたFBへの「抗議の意思」の投稿をこれからも続けようと思います。なぜやめないのか、きっとあきらめたくないからだと思います。実際にあきらめていないのですから。ではなぜあきらめないのか、「私があきらめない理由(わけ)」も、考えみたいと思っています。
 2014年12月16日 抗議の意思を投稿します。
私は「特定秘密保護法」、並びに「集団的自衛権行使容認」の閣議決定に反対します。安倍晋三政権と自民党、公明党は、2013年12月6日、国民の声を無視して「特定秘密保護法」の強行採決を行いました。さらにその後、国会周辺や全国各地で集会とデモ行進が広がるなど、国民が反対を表明し、多くの地方議会でも「反対あるいは慎重審議を求める要望」が議論されたにもかかわらず、それを無視して2014年7月1日閣議決定を行いました。その暴挙によって国民とその一人である私を侮辱したことを忘れません。(石本隆司、松森俊尚)
 ※いま無関心でいるわけにはゆきません。私たちは同法に反対し、横暴に抗議するために、次の参議院選挙の日まで、「6」の付く日に以上の抗議文を、フェイスブックに投稿し続けようと思います。


障害者のデモ行進に参加しました。
(2014年7月19日のフェイスブックから)
 障大連(しょうだいれん 障害者の自立と完全参加をめざす大阪連絡会議)は、毎年大阪府と大阪市に対して、介護や施設、グループホーム、教育、交通、まちづくりなど、オーラウンドの交渉に取り組んでこられました。事前の決起集会とデモ行進が行われるのですが、いつも開催が普段の日の午後ということで参加できなかったのですが、7月14日今回初めて一緒にデモ行進を歩くことができました。
 あいにく強い雨の降る中、520人(下記のコメントで石田義典さんがカウンターで数えた実数を報告してくださいました)の障害者と介護者・支援者の隊列が続きます。障害者が大挙して道路を練り歩く姿に、道行く人たちも立ち止まり、興味津々の目で見つめます。それにもまして、障害者自身がマイクを握りスピーカーを通して拡散するシュプレヒコールの声は耳目を惹きつけずにはおれません。
 障害者の人権を守れ!障害者を雇え!入所施設を地域に移行せよ!無人駅をなくせ!障害者差別禁止条例をつくれ!障害者の高校入学を進めろ!住みやすい街をつくれ!・・・(そして最後に)われわらはたたかうぞ!さいごのさいごまでたたかうぞ!差別・糾弾!自立・実現!とカッコよく締めくくって、次の人にバトンタッチしていきます。
 堺筋本町から、大阪城公園教育塔前まで、2時間を行進しました。中々迫力のある刺激的なデモ行進を経験することができました。8月5日(火)と7日(木)にある、大阪府とのオールラウンド交渉にもぜひ参加しようと思います。

 

 

国会議事堂に向かってシュプレヒコール!
(2014年7月9日のフェイスブックから)
7月1日の集団的自衛権の閣議決定、しかも安倍晋三の「解釈」によって憲法を変えてしまう「無茶苦茶なやり口」を絶対認めるわけにはゆかないとの意思を大声で表明したくて、7月6日に扇町公園の集会とデモに参加するつもりだったのですが、東京に行くことになってしまいました。
そこで用事を済ませた後、妻と二人で国会議事堂前に行くことにしました。FBやニュースで集会やデモの映像を見ていたので、誰かがやっているかも?、少人数でも一緒に入れてもらって歩くだけでも、などと考えました。
残念ながら、午後8時の参議院会館も衆議院会館もまばらに部屋の明かりが見えるだけ、国会周辺はパトカーと機動隊の車が駐車し、警護する警察官の姿があるだけでした。
あたりまえですよね、国会も閉会しているし、毎日毎日デモ行進をするわけではありませんよね。...
警察官に「シュショウ官邸はどこですか?」と尋ねると、穏やかな笑顔で「ソウリ官邸は向こうです」と、丁寧に教えてくれました。しかし、安部は外遊中で不在なので、国会議事堂に向かって一人でシュプレヒコールをすることにしました。

  誰もいない夜のライトアップされた国会議事堂に向かって、警察官にも見守られながら?「集団的自衛権反対!」「憲法改悪反対!」「安倍晋三は退陣せよ!」「民主主義を守れ!」・・・と、おそるおそる掲げたこぶしも力なく、ふるえるような声を絞り出して、繰り返しました。何せ根っからの小心者の私にはこれが限度です。
でも、100人いたらどうでしょう?きっとそんな私でももう少し大きな声を出せると思います。1,000人いたら?10,000人いたら?思いっきり声を出して、力を込めたこぶしを突き上げてデモ行進したことでしょう。今度はぜひみんなと一緒に、やりたいと思います。

 
樹齢千年の楠を観ました。
(2014年6月20日のフェイスブックから移動)
  6月7日、松下竜一さんを偲ぶ‟竜一忌„で大分県中津を訪ねた後、阿蘇、水俣にまで足を伸ばしました。帰路、列車の乗り換えのため熊本駅で降りて観光案内パンフレットを繰っていると、「樹齢千年の楠」の文字が見えました。時間を調整して見に行くことにしました。
ただただもう圧倒されました。言葉で表現することはできず、私の写真技術の力量では到底写し取ることはできませんでした。興奮して見つめ、茫然として立ちつくすだけでした。あいにくの雨が降り出したのと、列車の待ち合わせの時刻が気にかかり、あわててタクシーに飛び乗って駅に戻ることになりました。
車内で、妻が「いっぱい落ちてたんよ」とビワを一回り大きくしたような真っ黒な実を両方の手のひらの上に載せて見せてくれました。
ひょっとしてと思い、帰宅後インターネットで検索すると、まぎれもない楠の実でした。千年生きた楠がつくり大地に落とした実です。しかも通常1センチくらいの大きさであるらしいのですが、なんと5センチを超しています。開いてみると中にはぎっしりと種が入っていました。...
 1,000年の時を超えて、いまもなお生命を生み出し未来に向かってつなぐ営みを続けているのです。「いのち」ってなんなのでしょうね。「あいにくの雨」と「発車時刻」を気にする私が、いかにもちっぽけに思われてきました。次に熊本に行ったときは、せめて半日を、千年の楠の木々の根方で過ごしたいと思いました。
 
 
 

2014年8月10日 長崎『平和宣言』『平和への誓い』と、安部晋三の「コピペ」の落差に愕然 

 戦後69年目の広島、長崎の原爆忌が終わりました。特に私は長崎の「平和宣言」と被爆者代表の「平和への誓い」に感銘を受けました。平和宣言は、起草委員会で話し合い、何度も推敲し議論を重ねながら書き上げられて行くのだと聞いています。田上市長の考えや決意も込められながら。「平和への誓い」は、今年の代表の城台さんが書き起こされました。一語一語を選び、一字一句を書いては消し、消しては書くという、試行錯誤の作業を繰り返しながら文章の連なりが生まれてきたのだと思います。それは世界や日本の歴史、社会や個人の歴史を振り返り、現実を直視し、将来に向かって思いを馳せながらの営みであったにちがいありません。
 そうして出来上がった文章を、被爆して亡くなった方たちの魂に向かって、あるいは自分の家族や、広島市民に向かって、国民や世界の人た...ちに向かって、また核保有国の指導者たちに向かって、読み上げ、訴えかけていました。
 一方で安倍晋三の「首相挨拶」を、「こんなものか」と無感動に聞いていたのですが、実は昨年の「あいさつ」とほとんど違わぬ「コピペ」であったことを知り唖然としてしまいました。それを問われた広報担当官の「新しい取り組みを付け足しているので問題はない」とのコメントを見て、ヒックリカエリソウになりました。何を「問題なし」というのでしょうか。▼「あいさつ」の担当者として事務的な落ち度はなかった ▼歴代の首相挨拶と比べてそんなに劣るものでなかった ▼支持率を落とすくらいの世論への影響はない・・・などを差しているのでしょうか。
 安倍晋三と取り巻きの者たちの想像力は、被爆者一人ひとりの無念さ、怒り、悲しみ、願い、思いに微塵も寄り添うことができないらしい。8月6日も9日も、記念式典のその場所に、亡くなられた方たちの魂が息をひそめるように集まって目を凝らし、耳をそばだてて、今生きている者たちの声や行動を見つめているはずなのに。思いも及ばないらしい。(靖国神社では「英霊」たちの声を聞くと言ってはばからないのに。いったいどんな深い?交信をしているのでしょうか)
 昨年の平和宣言で、田上市長は「若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか」と問いかけ、「あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です」と訴えました。「平和への誓い」では、高校生1万人署名活動などに取り組む高校生平和大使が紹介されました。いずれも戦争体験、被爆体験の次世代への継承を強く訴える内容でした。
 今年は、集団的自衛権行使容認に反対し、戦争の道を開く政府を強く批判するものでした。(コピペではなく)本気で伝えようとする言葉は力を持ちます。何度でも至る所で目にし、読むことが出来るように、私も「平和の誓い」を貼り付けます。このコピペは許されるでしょう?!
被爆者代表「平和への誓い」全文 (東京新8月9日夕刊)
 一九四五年六月半ばになると、一日に何度も警戒警報や空襲警報のサイレンが鳴り始め、当時六歳だった私は、防空頭巾がそばにないと安心して眠ることができなくなっていました。
 八月九日朝、ようやく目が覚めたころ、魔のサイレンが鳴りました。
 「空襲警報よ!」「今日は山までいかんば!」緊迫した祖母の声で、立山町の防空壕(ごう)へ行きました。爆心地から二・四キロ地点、金毘羅山中腹にある現在の長崎中学校校舎の真裏でした。しかし敵機は来ず、「空襲警報解除!」の声で多くの市民や子どもたちは「今のうちー」と防空壕を飛び出しました。
 そのころ、原爆搭載機B29が、長崎上空へ深く侵入して来たのです。
 私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。お隣のトミちゃんが「みやちゃーん、あそぼー」と外から呼びました。その瞬間空がキラッと光りました。その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えていません。しばらくたって、私は家の床下から助け出されました。外から私を呼んでいたトミちゃんはそのときけがもしていなかったのに、お母さんになってから、突然亡くなりました。
 たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなり、たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で多くの被爆者が命を落としていきました。私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。わたしが被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは人間の力ではどうすることもできません。今強く思うことは、この恐ろしい非人道的な核兵器を世界中から一刻も早くなくすことです。
 そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください
 福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々がおられます。小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。このような状況の中で、原発再稼働等を行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未知数です。早急に廃炉を含め検討すべきです。
 被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。小学一年生も保育園生も私たちの言葉をじっと聴いてくれます。この子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませてはならないという、思いいっぱいで語っています。
 長崎市民の皆さん、いいえ、世界中の皆さん、再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください。日本の真の平和を求めて共に歩みましょう。私も被爆者の一人として、力の続くかぎり被爆体験を伝え残していく決意を皆様にお伝えし、私の平和への誓いといたします。
 平成二十六年八月九日
 被爆者代表 城台美弥子

2014年7月28日 ホームページ開設10周年

 200477日にホームぺージ『餓鬼者』を開設して、今年で10周年になる。誰も褒めてくれそうにないので、それでは大いに自画自賛したいと思って書き始めた。

 そもそものきっかけは松下竜一さんとの出会いに逆戻る。松下さん主宰のミニコミ誌「草の根通信」に19971月号から連載を始めたのだが、当初、私は原稿用紙に書き、赤ペンで推敲したものを松下さんに送っていた。そんな書き方しかできなかった。ところがひょっとして松下さんが一字一字印刷用の原稿用紙に書き写されているのではと、咳き込みながら作業を続ける姿が浮かび冷や汗を流してしまい、以後慣れぬ手つきでワープロのキーボードを一本指で押しながら書いてきたという経験がある。ましてやパソコンは遥か離れた世界の存在であった。

 20027月号で5年半の連載を終えたのだが、学校教育をめぐる状況は、「子どもの学びを生み出しながら、子どもたちとつくる教育改革」とはかけ離れた、当時の小泉構造改革のトップダウン方式をまねるかのような制度改革の押し付けで息苦しさが充満していた。そんな中で、教師だけではなく、職業も年齢も立場も異なる様々な人たちが、子どもたちもいっしょに、気楽に私たちの側の教育改革を語り合える場がつくれないものかと考えるようになった。

 そんな声に応え、社会に発信してきたのが「草の根通信」であったのだが、2003年に松下さんが倒れられ、翌年6月に亡くなられて、廃刊となってしまった。はたと思い至ったのがインターネットのホームページである。ソフマップに足を運び「簡単ホームページ・ビルダーV8」のソフトを購入し、「超図解ホームページ・ビルダー」の手引書と首っ引きでホームページの開設に取り組んだ。われながら想像だにしなかったことだけれど、一人でも多くの人に読んでほしい、一緒に教育を語り合いたいとの思いのなせる業であったのかもしれない。よくぞこの私が、と思い返すたびに不思議な気がしてくる。

 さてアクセスカウンターを見ると、728日現在「24,071」を表示している。小心者の私はいつも「数」を気に掛けてしまうのだが、「掲示板」のページを遡ってみると、開設2週間後の2004724日に「アクセス数が79(うち我が家族が65くらい)」、2か月後の94日には「アクセス数が440件、その内わが家族が200件くらい」と書いている。さすがに家族とはいえ、「数を伸ばす」という私の自己満足のための協力は、長続きするわけもなくこの頃からは、純粋に外部からの訪問者の数となって行った。それが10年で2万件。はて、この数をどう見ればよいだろうか。人気タレントやアイドルのHPやブログでは、1時間で到達する数字にちがいない。それを10年かけてたどり着いたことになる。うーんと、ため息をひとつついて、腕組みするしかない。

 最近さらにアクセスが減っているのを感じる。おそらく、ラインやフェイスブックなどのソーシャルネットワークが広がったことが原因ではないかと思う。すでにホームページは古くさくなってしまったのである。なんだか、荒れ果てた荒野の中に取り残された町で、かつて活況を呈した商店街が軒並みシャッターを下ろす中、訪れる者とてまばらな客を相手に細々と駄菓子屋を営む頑固な老主人の姿が自分と重なってしまう。何とも自虐的な図ではあるけれども。

 今一つ気掛かりなのが、ホームページのスタイル=見栄えである。他のページを見るにつけ、すっきりした画面に、スタイリッシュな画像が張り付けてあり、クリックするごとにワクワクする知の冒険や、未知・未体験の世界に飛んで行けるような、なにやらハラハラドキドキの興奮や途惑いの体験が待っているかの期待感が生まれてくる。わがページに戻ると、いかにもゴツゴツとした手触りの、時代錯誤めいた「重さとゆるさ、遅さ」を感じてしまう。これでは若い人は見向きもしないだろう、何たるアナログ感であろうかと、自分でもあんぐりとあけた口がふさがらない。中には「このザラザラとした手作り感がいいですよ」と、冗談半分ながらちょっぴりの本気を感じさせる言い方で、お褒めの言葉をくださる人もあるのだけれど。いかんせん、解説書と首っ引きで設定し、更新し続けたら、こうなったのだし、こうしかできなかったのだから。

 ソーシャルネットワークとホームページを比べたとき大きな違いを感じるのは、使われる言葉だと思う。「主語と述語を使って書くのが健全な書き方」だと私は考えているが、その意味ではホームページの方が、自分の伝えたいことを表現する手段としては勝っていると実感している。そのようにして10年間書き続けてきたホームページを、改めて見直してみると、“マツモリ・トシヒサ”という一人の人間が、ほとんど丸裸の姿をさらしてたたずんでいるのを発見する。私の家族構成、家庭環境はもちろんのこと、政治性や、趣味、嗜好、ものの見方・考え方、思想に至るまで、無防備にさらけ出しているのに驚いてしまう。

 そんなに遠くない将来に私は死ぬることになるのだが、おそらくホームページの更新はそれまで続くことになるだろう。科学と技術、ツールの発展は、死ぬ間近のときまで表現することができる可能性をひろげている、これからもさらに限りなく死の直前まで近づくことだろう。ホームページ『餓鬼者 がきもん』が、私のライフワークとなることはまちがいない。

(2014年5月3日のフェイスブックから移動)
憲法記念日の今日、大阪城野外音楽堂で開催された“9条の会おおさか”主催の集いに参加しました。鳥越俊太郎さんの講演、高校吹奏楽部演奏、府内各地の「9条の会」のあいさつ(700あるそうです)などらがあり、3000人が参加しました。全国で戦争反対の声が上がったことと思います。さらに大きく広がれ!!




(2014年4月16日のフェイスブックから移動)
沖縄竹富町の教科書独自採択を応援します。
もともと八重山地区の教科書選定のための調査委員は、今回使用を強制されている「新しい歴史教科書をつくる会」系の自由社、育鵬社の中学校歴史、公民の教科書は対象に挙げていなかったのに、教科書採択地区協議会の会長(石垣市教育長)が、強引にこれまでの採択制度を変更し、協議会委員を差し替えて、育鵬社の公民教科書の採択を決めたという経過があります。竹富町ではそれに反対して、米軍基地と沖縄の歴史の記述があり、原発問題にも言及している東京書籍を採用する...ことに決めました。昨年は教科書無償化の対象にされなかったため、町内の寄付で教科書を購入し、配布したということです。
八重山地区の強引な手法は、NHKの会長人事や憲法調査局の長官人事のように、まずトップの人事を入れ替えて、あとはなし崩し的に組織を変えていこうとする、あの安倍晋三の独裁政治の手法と同じです。
竹富町の教育委員会や住民の人たちの、国と対決してでも、歴史の事実と現実を正しく子どもたちに学んでほしいという、その熱意と行動を応援したいと思います。
写真は竹富町立竹富小学校と中学校です。たまたま立ち寄った時に近くにおられた職員の方に「きれいな学校ですね」と声をかけたとき、「とってもいい学校ですよ」とすがすがしく答えてくださった笑顔を思い出します。
 今日は16日、「抗議の意思」を投稿します。
私は「特定秘密保護法」に反対します。2013年12月6日、安倍晋三政権と自民党、公明党が、国民の声を無視して強行採決を行い、国民とその一人である私を侮辱したことを忘れません。(石本隆司、松森俊尚)
※昨年12月6日、特定秘密保護法が強行採決されました。私たちは同法に反対し、抗議するために、次の衆議院・参議院選挙の日まで、「6」の付く日に以上の抗議文を、フェイスブックに投稿し続けようと思います。
 竹富町立 竹富小学校と中学校








(2014年3月26日のフェイスブックから移動)
大阪市長選挙が終わりました。投票率はこれまでの市長選で最低の23.59%。特筆すべきは無効票が、次点の藤島氏の24,004票を凌ぐ67,506票(13.5%)で、この多さは日本の憲政史上初の出来事ではないでしょうか。うち白票が45,098票あったそうで、つまり無効票の中の22,408票分の投票用紙には、投票者の意見や抗議の意思が記されていたと考えられます。ちなみに私は、「私は大阪都構想に反対します」と書いて投票しました。
 これで橋下徹氏の政治家としての「旬」は終わったと考えられますが、しかしその背景にある、新自由主義の経済政策、新保守主義の政治思想、右翼国家主義の思想、経済のグローバリズムは、ますます市民・国民の生活と意識に広がろうとしています。まさに安倍政権の強硬な姿勢に体現されている通りです。
 橋下知事の登場以後、橋下維新の政治手法が大阪から全国に発信されてしまいましたが、今度は...その橋下維新を乗り越えた「新たな大阪の民意」を、全国に発信で
きるようにしたいものです。それは中央集権化と新自由主義と対峙する、反権力を貫く浪速の商人的発想という、本来大阪の得意とするところであったはずです。
 
今日は26日、「抗議の意思」を投稿します。
私は「特定秘密保護法」に反対します。2013年12月6日、安倍晋三政権と自民党、公明党が、国民の声を無視して強行採決を行い、国民とその一人である私を侮辱したことを忘れません。(石本隆司、松森俊尚)
※昨年12月6日、特定秘密保護法が強行採決されました。私たちは同法に反対し、抗議するために、次の衆議院・参議院選挙の日まで、「6」の付く日に以上の抗議文を、フェイスブックに投稿し続けようと思います。


(2014年2月3日のフェイスブックから移動)

特定秘密保護法の強行採決以後、「7」の付く日に抗議の意思を
投稿し続けてきたのですが、安倍首相の右傾化への言動はますますヒートアップし、集団的自衛権の解釈改憲、憲法96条の改憲も国会審議で取り上げられるようになりました。NHKの籾井会長や経営委員の百田氏、長谷川氏の暴言など、これまで闇に隠れていた魑魅魍魎(ちみもうりょう)たちが、安倍首相の権威を借りて跋扈(ばっこ)し始めたようです。これは決して民主主義の健全な国の姿ではありません。混沌が渦巻いています。戦争の危機が現実のものとなって感じられるようになってきました。
 私は戦争体験者ではないのですが、ひょっとして、戦争前夜とはこうしたものなのかもしれません。すなわち、すでに戦争前夜に至っているのでは、ということです。ほとんどの人たちが体験がないので分からないだけで、だから「まだまだ大丈夫」とばかりに安穏としていられるだけであるのかもしれませ...ん。
今回も「抗議の意思」を表明します。
 私は「特定秘密保護法」に反対します。2013年12月6日、安倍晋三政権と自民党、公明党が、国民の声を無視して強行採決を行い、国民とその一人である私を侮辱したことを忘れません。(石本隆司、松森俊尚)
※昨年12月6日、特定秘密保護法が強行採決されました。私たちは同法に反対し、抗議するために、次の衆議院・参議院選挙の日まで、「7」の付く日に以上の抗議文を、フェイスブックに投稿し続けようと思います。
※私の記憶では「12月7日に強行採決」と思っていたのですが、資料を見る限り「12月6日」となっています。どうして思い違いをしたのか定かではないのですが、今
後は「6」の付く日に投稿し
ようと思います。

(2014年1月13日のフェイスブックから移動)

担任した人たちが成人式を迎えたとき、ハガキを出すことにしているのですが、今回はフェイスブックで「友達リクエスト」や便りをくれた人がありました。当時9歳の子どもから、タイムマシンに乗って届けられてきたようで、ちょっと不思議な気がしたものです。SNSのツールもなかなか捨てたものじゃないですね。(実際の葉書には11年前の子どもたちの素敵な表情がばっちり写っています)


(2013年12月27日のフェイスブックから移動)

アジアの人々に計り知れぬ侮辱を与えた
 26日、安倍晋三が首相として靖国神社を参拝した。これまで国家安全保障会議(日本版NSC)の設置、集団的自衛権の行使容認に向けた布石を打ち、さらに拍車をかけるように特定秘密保護法の強行採決、自衛隊の弾薬1万発を韓国軍に無償譲渡するという武器輸出三原則の形骸化とまっしぐらに突き進んでの靖国神社参拝となった。
 この人物の折々の言葉を改めて思い出して唖然とする。オリンピック招致のプレゼンテーションで「福島第1原子力発電所事故は完ぺきにコントロール下に置かれている」とか、弾薬を譲渡した時には「韓国隊隊員および避難民の生命・身体を保護するために一刻を争う」、そして今回の談話では「御英霊に…二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです」と平然と言ってのける。
 安倍の言う「積極的平和主義」とは、ひとりよがりに決めつけた「平...和主義」を押し付けて他を顧みない強弁さを言うものであるらしい。押し付ける相手は、日本国民であり、かつて日本の軍隊が侵略したアジアの国々の人々に対してである。
 安倍の姿から権力者が往々にして陥るナルシズム、ヒロイズムを私は感じる。そのヒロイズムによって、私はまたしても侮辱を受けた。しかしアジアの人々は、さらに計り知れぬほど大きな侮辱を感じたに違いない。
 
 今日は27日、私の抗議を繰り返します。
私は「特定秘密保護法」に反対します。2013年12月7日、安倍晋三政権と自民党、公明党が、国民の声を無視して強行採決を行い、国民とその一人である私を侮辱したことを忘れません。
※12月7日、特定秘密保護法が強行採決されました。私は同法に反対し、抗議するために、次の衆議院・参議院選挙の日まで、「7」の付く日に以上の抗議文を、フェイスブックに投稿し続けようと思います。

(2013年5月26日のフェイスブックから移動)
 私にとって初めての卒業生が集まりました。私のからだを気遣って連絡をくれた人に「会いたいなら早いほうがいいですよ」と、返事を送ると(脅したつもりはないのですが)、送れる人に便りを出し、全員から返事が来て、10人が集まりプチ同窓会となりました。確か、二十歳の同窓会以来ですから、25年の歳月を経ての再会です。
 出会った瞬間に語り合い、大笑いしながら時が過ぎます。人と人の関係とはやっぱり素敵だと思いました。別れ際に何気なく、「また会いましょう」と言葉を交わしたのですが、こんな邂逅...を経験すると、「“また会いましょう!”、いい言葉だなぁ」とその意味を実感します。
 
今度は同窓会を開こうと、アナログ派もデジタル派もそれぞれに努力してクラスメイトの連絡先を捜すことになりました。当の教師が連絡するのも変な話に思うのですが(招待されるのが普通ではないかと?)、「6年3組は、あのときからヘンなことばっかりするクラスやったから、いまもおんなじや」と説得されてしまいました。
 ということで、1980年3月寝屋川市立西小学校卒業の6年3組の人は連絡をください





2014年5月18日 美和明宏『愛の賛歌』を観た。

大阪フェスティバルホールで、美輪明宏主演・演出の『愛の賛歌・エディットピアフ物語』を観ました。会場入口に張られた小さな紙片にまず目を奪われた。「上演時間 ・第1幕80分 ・第2幕50分 ・第3幕60分」と書かれてある。「観劇するのなら覚悟して観ることね!」と、最初から挑戦的な檄を飛ばされているようで、これも心地よい。場内は3階席まで満席。年齢を問わず、人気を博す美輪明宏の現在をみる思いがしたものでした。
 休憩も入れて3時間40分があっという...間に過ぎ去った。ひとえに美輪明宏の魅惑的な存在感と、圧倒的な歌唱力が聴衆を惹きつけてやまないのだと思う。全6曲を堪能したのだけれど、やはり圧巻だったのは、恋人のセルダンが飛行機事故で死亡した報せを受けて、悲しみと衝撃でうちひしがれる中、舞台のスポットライトの中に立ち、「今夜はマルセル・セルダンのために歌います。彼ひとりのために」と語り歌う『愛の賛歌』でした。
 「広大無辺のこの宇宙に匹敵する偉大な存在、それは、愛する心です。」こんな歯の浮くようなセリフをあたりまえに言えるのは、この人を置いてないでしょう。最終場面は、若い伴侶のテオ・サラポの歌声を聞きながら、男性との出会いや交流、出来事を回想しながら死に就くシーンとなるのですが、エディット・ピアフの歩みと重ねながら、美輪明宏自身が目くるめく個人史を走馬灯のごとく回想しているのではないかと思えてきました。
 フェスティバルホールを満席にした聴衆が美輪明宏の演技に酔い、歌に涙して、スタンディングオーベーションが鳴りやまなかった。被爆者であり、性的少数者や底辺労働者、社会的弱者などの被差別の側に依拠して、世間的常識とたたかいながら常に前衛を走り続けてきた美輪に対して、この国と国民は理解を示して来たとは思えないし、決してやさしくはなかったはずである。一方で現在、そんな美輪明宏が若者から老人に至るまで人気を博し、支持されるようすを見ると、世間というものにそれだけの健全さと寛容さはあるのだとも思った。それは日本国憲法が68年の歳月をかけて培ってきたものであるとの思いが突如として浮かんできました。美輪明宏が憲法を守り、戦争に反対する明確なメッセージを発信していることを思い出したからです。
 
 
2014年5月10日 『こどもこそミライ』を観た

『こどもこそミライ』(筒井勝彦監督 長編ドキュメント映画)を観てきました。おもしろかった。子どもたちのすばらしい姿を再発見しました。「子どもたちに希望を託す」という言葉が自然に生まれてきます。上映後のトークタイムでも何度も聞かれました。でも、その次が大切なんだと思うのです。希望を託した後、大人たちがほんとうに子どもたちや若者たちに任せることができるのかどうかだと思います。学校でも、教師は小・中・高校の子どもたちに任せているでしょうか。社会の様々な場面で、大人たちは子どもたち・若者たちに任せているでしょうか。そんなことを考えていました。
上映は、シネ・ヌーヴォにて(大阪・九条)。5月30日まで。5月11日は15時の回終了後、監督と堀智晴さんのトークショーがあります。(今日もそれを楽しみに行ったのですが、時間がちょっぴりでした。11日はたっぷりあるそうです。)シネ・ヌーヴォも素敵な映画館です。ぜひご覧ください。
 

 


2014年5月7日 中野坂上デーモンズの憂鬱
『デーモンクエストⅢ 〜白き幻のワンダーランドと血吸い呪われた紅のヴァイブ〜』を観て

2時間ほどの芝居を一気呵成に観終わった後、この若者たちのウブなほどの生真面目さを感じた。最後に、舞台正面スクリーンに映される「あなたはそれでもこのワンダーランドで生き続けますか?」の問い掛けに、画面の矢印は「はい・いいえ」の間をしばしマウスの操作をためらった後、「はい」をクリックする。
 それを言うために、2時間かけてヴァイブ、アヌス・・・と、何とも卑猥で過激な言葉を連発し、奇想天外ハチャメチャな展開を経なければならなかった。言いかえれば、「生まれる、生きる、生きなおす、いのち」という単純明快な希望を語るために、それだけの自暴自棄な言葉を垂れ流し自己韜晦(じことうかい)して身を守る必要を若者が感じるような、社会・世界の現実があるということを表しているのかもしれない。
 性同一障害のイイノが西にいるというヴァイブを人間に変えることができるアナルに会うために、ヤクルトレディのヤックルトにまたがり西の国をめざす冒険の物語とともに、過剰に溢れ出す言葉の冒険も展開されて、「デーモンズワールド」を結構楽しむことができた。
 今回「このワンダーランドで生きる」ことを選択した若者たちが、第2ラウンドのワンダーランドの冒険でどんな物語を見せてくれるか楽しみにしたい。それは、この若者たちがこれからの実人生をどう生きたのかを語ることになると思うから。
 冒頭の若者たちの問いかけは私にも(或いは私たち世代にも)向けられる。「あなたたちが作ったこんなワンダーランドだが、余命が短くなったあなた(たち)ではあるが、それでも生き続けますか?」と。私は、若者たちのような逡巡を見せず、すぐにマウスの矢印を合わせて「はい」をクリックするだろう。それが若者たちに対する私の責任の取り方だと考えるから。


2014年3月20日 投票日がもう間近だというのに、
 
一向に盛り上がらない選挙だというのが現実です。昨日東京から友人が訪ねてきたのですが、大きな掲示板に橋下の写真1枚だけが貼ってあるのを見て、「これが あの 選挙なのか」と、興味津々で記念撮影をしていました。
選挙管理委員会に問い合わせたところ、「白票」を投じても、「×」や「意見」を書き入れても無効票となり、投票総数(投票率)には入るとのことでした。選管の発表は、投票総数、投票率、各候補者の得票数、無効票数だそうです。
迷い続けている自分の投票行動ですが、ほぼ決まったかな。


2014年3月16日 独裁者の孤独
 独裁者の孤独!まじまじと見れば、傲慢で不遜な言葉の裏側に秘める、不安げで自信無げな表情が浮かんで見えてくるようです。
大阪市長選は結局4人が立候補し、市民にとって全く意義のない選挙に6億円以上の税金が使われることになりました。選挙説明会に予想を超える参加があったということで、すでに設置済みであった掲示板(確か6番まで)に、後から12番までのボードを張り付ける工事を行い、さらに人件費、工事費を上乗せすることになりました。そしてたった1枚のポスターが貼られています。       
 典型的な...浪費、税金の無駄遣いであり、例えば文楽協会など数々の文化事業の補助金をカットする理屈が成り立ちません。文楽の人間国宝の竹本住大夫が、脳こうそくによる体力の限界を理由に、引退を表明しましたが、補助金問題での心労がその遠因にあると思われます。政治によって翻弄される市民の生活や健康、精神活動の機微になど、露ほども思いが至らない人物なのだろうと考えてしまいます。
 橋下に「勝てない」との読みもあったのでしょうが(大阪の現実でもあります)、自民・公明・共産・民主の4党が候補者を立てなかった判断は間違ってはいないと思います。
さて、この選挙を私はどうするべきなのか、迷っています。
①棄権する。しかし選挙権の行使を、おいそれと放棄するわけにはゆきません。②白票を投じる。③「私は都構想に反対です」と書くか、「×」を書いて入れる・・・。なんでこんなことに悩まされねばならないのかと、改めて怒りがこみあげてきます






2014年2月1日 日教組全国教育研究集会に参加して

 1月25日・26日滋賀県で開催された日教組全国教育研究集会障害児教育分科会に参加した。直前の120日に待望の国連障害者権利条約を日本政府が批准し、140番目の締約国となったのを受けて、活気あふれる討論が展開されるのではないかと期待を持って参加した。しかし、「これを機会に日本の教育を変えて行こう」「私の考えるインクルーシブ教育とはこんなものだ」「そのための環境整備、制度・施策を日教組運動に期待する」…などといった意見はほとんど聞かれなかった。むしろそれが現場の実態を反映しているというべきなのだらうか、職場の人間関係の難しさ、保護者との関係、管理職との軋轢、職場の忙しさなどらが付きまとう中での実践の困難さが、言葉の端々から洩れるかのような交流が続いた印象が残ってしまった。
 しかしさすがに3日目の総括討論ともなると、何か発言を残しておきたいとか、言い切れなかった想いを伝えたいとか、次につなげる期待を表明したいなどら、聞く側にいるだけでは収まらない、何やらモゾモゾとおしゃべりの虫が心の中をうごめきだしてくるようで、レポーターはもちろん、フロアーの参加者からも次々と手が上がり、発言の順番を奪い合うほどに盛り上がってくる。私も司会者に目立つようにと、パンフレットを振りながらアピールしたものの指名されずに終わってしまい、後ろ髪引かれる思いが残ってしまった。
 生来の気の弱さを棚に上げて、「こんなことならもっと早くに発言をしておくべきだった」などと、いつもの後悔癖がぐずぐずとこみ上げてくることになってしまう。そこで一つ、まるで時間切れ寸前に奇跡的に(大げさに過ぎるか?)指名されたかのようなつもりで、この場で発言の真似事をやってみるのも一興といえるかもしれない。

―大阪の松森です。(と、臨場感ある書き出しで始めて見よう)

 私は2年前に退職したのですが、ボオーッと考えることが多くなりました。いろいろなことをですね。例えば「何のために授業をするんだろうか?」なんてことを考えるわけです。「教えるために授業をするんだろうか、いや違うだろう」と思えてきたんです。そうではなくて、「子どもを育てるために授業をするのではないか」と思うんです。教えることは育てることの一部ではあるけれど、決してその全てではない。ところが近頃、次第に教える授業が多くなってきて、育てることよりも教えることばかりが目的になるというか、優先されるという本末転倒なことが起こってきているのではないかと思います。
 では何を育てるのかというと、「学ぶ力を育てる」のです。「学ぶ」と「教える」とは、まず主語が違います。教える授業では、「教師が」教えるのです。学ぶ授業では「子どもが」学ぶのです。
教える授業をやっていると、教えたことがどこまで理解できているか調べたくなってきてテストをします。テストをしたら評価を付けます。点数を付けたら必然的に子どもたちの中に競争意識が生まれ、それをうまく活用してさらに効率よく教えようとします。教育技術やHow Toを求めます。自然と、教えるのがうまい先生と下手な先生、できる教師・できない教師という評価が生まれてきます。教師の中に競争意識が生まれ、成果を上げるために効率よい方法が求められます。子どものニーズではなく、教師のニーズが優先されたり、教えやすいように「分ける」ことが生まれます。親も教師を評価するようになってきました。授業を評価したり、学校協議会では教師の給料や罷免にかかわるような話までがなされることになっています。
 子どもを競争させ、評価していた教師の側が、いつの間にか自分たち教師が評価され、競争させられることになってしまった。もういい加減、「競争して評価して伸ばす」という能力主義の幻想から抜け出してもいいだろう、否抜け出さなくてはいけないだろうと思います。
 私はこれを「日本の頑迷なる能力神話」と呼んでいます。明治5年の学制発布以来、140年経っても、「もっと点数をとれるようにしてほしい」という親や世間の声に負けてしまう。パソコンが一人1台準備され、教室に電子黒板が置かれ、タブレットも配られるというのに、教室でやっている本質的なことは何にも変わっていない。  一方で学ぶ授業は、子どもが学ぶのです。子どもが学習しやすいように、学びを保障するために、教師が環境作りなどの支援を行います。必然的に子どものニーズが知りたくなってきます。子ども同士の関係・関わり合いに注目し、学び合う姿を見つめようとします。障害のある子どもをどう教えるかではなくて、障害のある子どもが学習する姿を見つめ、それを保障するために支援します。障害のある人もない人も一人ひとりが自分の追求の仕方で、学習に取り組むのです。それを教師が応援するのです。
 インクルーシブ教育は決して障害児教育の一つの方法ではありません、どの子どもにとっても必要な教育なのです。インクルーシブ教育は、正に能力主義の幻想を打ち破る教育です。しかも、権利条約やそれを批准するために今度改正された法律では、インクルーシブ教育をしなければならないと明記されているのですから、千載一遇のチャンスが教師の手に回ってきたのです。いま、日本の教育を能力主義、競争主義、成果主義の教育からガラリと、或いはゴロリと変えることができるのです。教師の手によって。その出発点になるのは「いっしょにいる教室」です。

 と、ここまで書いてきて、これじゃあ三分の一くらいで司会のベルがチーンと鳴り、続いてチンチーンと連打の上「まとめてください」と急かされ、ついに「発言をやめてください」と叱責されることになるだろうと気がついた。そこであわててまとめに入る。例えばこんな日教組への要望でまとめてみてはと思った。

 最後に日教組に3つの提案をしてみたいと思います。
①障害者制度改革推進会議(基本法制定後は)政策委員会で、「原則統合」とまでは行かなかったけれど、障害のある子どもとない子どもが共に学ぶ体制作りを大きく前進していただいた、あともうひと押し、日教組として「原則統合」を実現する運動を盛り上げていただきたい。

②せめて、就学年齢に達した子どもたちへの就学通知は、障害のある子どももない子どもも、どの家庭にも地域の普通学校の就学通知が届くように、各地の取り組みを強めていただきたい。
③インクルーシブ教育は障害児のためだけの教育ではありません、どの子どもにとっても必要な教育です。だから、日教組教研のすべての分科会の討議の柱に、「インクルーシブ教育ができているか」との課題を設けていただきたい。

 以上で討論を終わります

久しぶりの全国教研であったけれど、授業について、学校行事や運営について、教育を取り巻く社会所について、学校現場の教師たちが子どもの具体的な姿を通して語り合い、討論を重ねる教育研究集会の雰囲気はやっぱり好きだ。若い人たちが今後も引き継いで活発な論議を交わしてくれるであろうことを期待している。


2013年12月29日 福島を訪ねる

 1213日から3日間初めて福島県を訪ねた。9月の宮城県に続いて東日本大震災の被災地に立つことができた。私の身体も漸くそれを許してくれるようにもなってきた。実は、妻の出身である日本社会事業大学が福島県郡山市で同窓会を開き、それに合わせて「東日本大震災後の『今』~これからの生活と支援~」と題する市民公開セミナーを開催した。私は妻の横にちょこんとくっ付くようにして、その機会にちゃっかりと便乗したという次第である。

 同窓会の理事でもある前熊本県知事の潮谷義子さんの水俣と福島を重ねて語られた講演、地元福島で幅広い活躍をされているジャーナリストの瀬川賢一さんの話、それに引き続いて宮城、岩手、福島の3県から被災地で日常的に活動されている3人のソーシャルワーカーの現地報告と、それを受けてのパネルディスカッションが行われた。午前・午後と続く長丁場のセミナーであったが、聞く側の私にとっても被災地の現実と課題と向き合い続ける貴重な経験をすることができた。

 その詳細をまとめることはとてもできないが、「『知る』という支援」と言われた言葉が印象的だった。大震災から2年9カ月が経ち、次第に「忘れる」という意識が、国やメディアや国民の中に働き始めているが、それに対して「知る」ことによって、支援ということの新たな取り組み方や考え方、手法が生まれるかもしれないと話されていた。

 本当にわずかばかりの旅行費用ではあるが、現地に足を運んで使うことと、忘れないで、もっと知ろうとすることは、私にもできそうな気がしている。
到着した時には快晴の福島空港 なんと小学生時代に伝記で読んだ「野口英世の生家」があった

一夜明ければ一面の銀世界 市民公開セミナー

宮沢賢治の詩を引用され、特に「あらゆることを自分を勘定に入れずによく見聞きし、分かり、そして忘れず」との言葉を取り上げながら、「この詩には東北人の心が表現されている。福島でも『忘れたくない人』も『忘れたい人』もいるが、知ったことは忘れない。だから風化させてはならない。遠くからでも「知る」ことの支援をしてほしい」と言われた言葉が印象的だった。

磐越線では、猪苗代まで行くと積雪のため倒木があり、運転が見合された。

 翌朝列車は復旧していた 

郡山市内の小学校運動場の端に設置されていた「大気汚染監視局」と書かれた建物 公園入口で、「除染前」と「除染後」の放射線値を知らせる看板
2013年12月10日 大江健三郎がいう「侮辱」の意味が分かる

127日に安倍晋三政権と自民党・公明党によって「特定秘密保護法案」が強行採決されたとき、私の中に渦巻いた気持ちというか感情をどう表現すればよいのだろうかと思っていた時に、ひとつの言葉が浮かんだ。それは大江健三郎が2012716日、東京代々木公園で行われた「さよなら原発 10万人集会」で発言した中で使われた「侮辱」という言葉だった。大江は、中野重治の小説からその言葉を引用したのだが、その時のことが改めて小説『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』(講談社2013年刊行)に書かれてあるので、長いけれど抜き出してみる。 

代々木公園で、兄さんは戦前の(つまりこの国の軍国主義体制に抵抗していた)中野重治の、『春さきの風』から引用しました。《三月十五日につかまった人々のなかに一人の赤ん坊がいた。》赤ん坊は母親に抱かれて、「保護檻」というところにいれられます。そして発熱して、とうとう死ぬいきさつが描かれ、それに立ち合ったがなお未決にいる夫から来た手紙に、母親が書く返事が短篇小説の結びです。

 中野のその文章を、あれだけ大きい集会で聞く意外さが胸に響いたし、周りの見るからに一般市民の参加者にも、感銘は連動してゆくようでした。そこを写します。

もはや春かぜであった。

それは連日連夜大東京の空へ砂と煤煙とを捲きあげた。

風の音のなかで母親は死んだ赤ん坊のことを考えた。

それはケシ粒のように小さく見えた。

母親は最後の行を書いた。

「わたしらは侮辱のなかに生きています。」

それから母親は眠った。

 兄さんが自分の考えることとして、それに続けたのはこうでした。老年の小説家であるあなたは、これだけナマの感じの文章は『晩年様式集』にも書き入れませんから、会の参加者から拍手があったところを、わたしがビラの裏に書いておいたもので引用します。
 《なによりこの母親の言葉が私を打つのは、原発大事故のなお終息しないなかで、大飯原発を再稼動させた政府に、さらに再稼動をひろげて行こうとする政府に、私はいま自分らが侮辱されていると感じるからです。
 私らは侮辱のなかに生きています。今、まさにその思いを抱いて、私らはここに集まっています。私ら十数万人は、このまま侮辱のなかに生きてゆくのか? あるいはもっと悪く、このまま次の原発事故によって、侮辱のなかで殺されるのか?
 そういうことがあってはならない。そういう体制は打ち破らねばなりません。それは確実に打ち倒しうるし、私らは原発体制の恐怖と侮辱のそとに出て、自由に生きて行けるはずです。そのことを、私は今みなさんを前にして心から信じます。しっかり、やりつづけましょう。》 

 確かに私は「権力」によって侮辱されたのだと思った。

2013年12月4日 3.11後 初めて被災地に立つ

今夏、家族で宮城県を旅した。娘たち二人は、それぞれ福島と宮城でボランティア活動をしていたが、私と妻は大震災後初めての被災地訪問であった。
3.11後可能な限り早く駆けつけて、私なりに年相応のボランティアをしたいと思ってはいたのだが、緊急入院となってしまいかなわないままに忸怩たる思いを引きづりながら今日まで過ごしてきたと言ってもいい。

 とはいっても、体力的に役に立てる作業ができるわけでもないので、せめて私にもできる、わずかばかりの旅行の費用を宮城県で使うという、ひそやかなボランティアしかできなかった。

 南三陸町、荒浜、閖上(ゆりあげ)の地域を中心に回ったのだが、やはり現地に立つことで、様々なことを考え、大地と呼応し、魂と会話する貴重な経験となった。これからも関わりつづけたいと思った。

  

強い雨脚が吹き付ける中、台風に追いかけられながら東京を出発し、新幹線で仙台に到着。ホテルの送迎バスで移動中に、台風に追い越された。おかげで、ホテルの窓から見る大海原は快晴の空を映してすばらしい景色をひろげていた。やがて気がつくと水平線からのぼる大きな虹が見え、家族で歓声を上げた。夜中に目を覚ますと、海にこぼれ落ちるかのような満天の星空が輝いていた。5時過ぎに、海に突き出した露天風呂から日の出を眺めながら、刻一刻と変化する自然が見せる圧倒的な迫力にしばし我を忘れてしまった。

 漁師たちはその生活の中で、この自然に囲まれ、見つめ、共に過ごしてきた。そして今回、その自然によって家も船も田畑も奪われ、多くの命を奪われてしまった。しかし、それでも自然を恨むことはないのではないか、やはり今も自然と共に生きているに違いないと、旅のひと時を過ごしただけなのだが、そう思えてくる。

南三陸町防災対策庁舎





 がれき処理場

荒浜小学校
 荒浜海岸
荒浜海岸
閖上神社から周囲を見渡す

2013年9月4日 被爆68周年原水爆禁止世界大会・長崎の報告

8月7日 開会総会

アメリカの加害責任を追及するオリバーストーン監督 語り継ぐことの必要性を訴える 田上 富久 長崎市長       被爆体験を語る 築城昭平さん

 高校生平和大使が登壇して、「核兵器の廃絶と平和な世界の実現を目指す 高校生一万人署名活動」を報告
「わたしたちは微力だけど、無力じゃない」と訴えた。

「原爆許すまじ」を全員で合唱。指揮をするのは高校生平和大使。
8月8日(2日目)
分科会に分かれて学習と討議 

ピースクルーズ 端島(軍艦島) 

 

稲佐山の夜景
日本「新」三夜景に選ばれたことと、福山雅治のおかげで客足が伸びたと、立ち寄ったお寿司屋さんのお兄さんが力説していた。
8月9日(3日目)
午前十一時二分、爆心地公園で黙とうと平和集会 国連子ども平和壁画展~平和の祈り キッズゲルニカ イン ながさき~いろいろな国の子どもたちからの平和メッセージが描かれていた

 たまたま立ち寄った夜の浦上天主堂では、地元の人たちによる「平和祈願祭」が行われていた。私たち家族も招き入れてくださり、荘厳なミサに参加させていただいた。  
2013年8月28日 語り継ぐ決意を掛け声に終わらせないために

 被爆体験・戦争体験の継承は国民的課題であると、政府も地方行政もマスコミも声高らかに宣言するのに、肝心要の学校教育の場で、しかも教育行政を担う教育委員会の手で、逆行させられている現実があることを訴えたくて、朝日新聞〈声〉欄に投稿したのだが掲載されることはなかった。以下である―

 長崎原水爆禁止世界大会に家族で参加した。娘たちに私なりに伝えたいことがあったから。戦争、核、原発、政治、差別…等々、家族の話題は尽きることがなかった。平和宣言で田上市長は「若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか」と問いかけ、「あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です」と訴えた。被爆者代表の「平和への誓い」にも、多くのメディアでも高校生・平和大使の活動が紹介されたのは、次世代につなぐ希望を託してのことにちがいない。被爆・戦争体験の継承は、唯一の戦争被爆国として私たちの国民的課題であり、政府の責務である。

 語り継ぐ最も具体的な場は学校教育にある。私が在職した寝屋川市のほとんどの小学校では広島修学旅行に取り組み、子どもたちが目を輝かせて見聞きし、深く考えをめぐらせ、意見を発表する姿があった。ところが市の教育委員会は、2年前から「市費予算がひっぱくし、就学援助の補助が困難で費用を17,000円までに抑えるよう」行き先の再検討を要求した。その結果今年は1校を除くすべてが変更された。執拗で強引な干渉が想像される。変更先は、舞鶴の引揚記念館、うどんや地引網の体験等から、中には自衛隊の体験学習もある。

 寝屋川の子どもたちが、人間としてかけがえのない、またそれこそが将来世界に向かい合う時の根拠となるに違いない学習の機会を、市教委の一方的な思惑によって奪われてしまったことが残念で仕方ない。非核宣言をしている自治体であるはずなのに。


2013年6月4日 橋下徹氏の妄言4 
誠実な言葉の力

 これまで橋下氏の言葉と対極にある言葉として、辻本清美さんの「大阪人の恥やわ!」と、元慰安婦の方たちの発言、沖縄の女性たちの抗議声明を載せてきた。最後に、朝日新聞〈声〉欄に投稿された言葉を紹介したい。(517日 山本裕子さん 46歳)

・・・橋下氏も維新の会共同代表石原慎太郎氏も、買春行為が合法的であったとしても性暴力であることが根本的に分かっていない。戦争中には合法的に人を殺す、だから人を殺すのは皆がやっていることで必要だと言っているのと同じではないか。「間違ったことであっても必要なら人を傷つけてもよい」という思想だと私には思えてならない。

 恐ろしいのは、明らかに間違っていると思われることを彼らが堂々と発言し、高圧的な態度で相手に無力感を与え、思考を停止させ、何も言えなくさせることだ。

 「高圧的な態度で相手に無力感を与え、思考を停止させ、何も言えなくさせる」、これは、私もそうだけれど、テレビ画面を通して語る橋下氏の言葉や、しゃべり方、立ち居振る舞いを見ていて誰もが同じ思いに捉われるのではないだろうか。

〈声〉は続く、「もし私が対談してもやり込められるだろう」。正に誰もが感じることにちがいない。テレビカメラの前で勝ち誇った笑みを浮かべる橋下氏と、対照的に完膚なきまでに言い負かされて、うちひしがれうなだれる自分の姿が想像される。ましてや橋下氏は、組合との交渉も、話し合いも、市民団体との討論も、話し合いの場は常に報道陣の前での公開を要求する。今回の元慰安婦側が要求した面会も、橋下氏は公開を条件としていた。自分が「勝つ」ことがわかっているから。一方、例えば私は「負けることが分かっているから」、討論を挑もうとは思わない。やがて「発言してもむだである」と、無力感から沈黙してしまうだろう。

しかし山本さんはこう結ぶ。「放っておくわけにはいかない。一人一人が声を上げなくては大変なことになると感じ、初投稿した」。山本さんの言葉には、誠実さが宿っている。誠実な言葉は、共感を広げる、そして行動を生み出す力を発揮する。私も今、全身を凍てつかせるような橋下氏の無表情で冷徹な視線を恐る恐る振り払いながら、放っておくわけには行かない、私も声を上げなくてはと思いはじめている。


2013年5月27日 橋下徹氏の妄言3 
沖縄の女性たちからの抗議声明

 在沖縄米軍司令官に「沖縄の風俗業を活用してもらわないと」と進言したその口で、平然と「沖縄県民の人権が蹂躙されている現実についても直視すべきだ」と言ってしまえる橋下氏の言葉の軽薄さに対して、沖縄の女性たちが発信した抗議声明がある(その部分)。

516日 沖縄県女性団体連絡協議会など県内の多くの女性団体が連名で提出

・・わたしたちが知っている真実とは、日本軍によって強制・管理された「慰安婦」が存在したこと。戦中も戦後も、「慰安婦」を利用すればよいと発言する人がいたこと。「慰安婦」が過酷な暴力に晒されたこと。その苦しみが今日なお続いていること。
 わたしたちが知っている嘘とは、性欲がコントロールできないという、レイプを正当化する神話。性産業で働く人は「欲求のはけ口」になるのを自ら認めているという神話、あるいはそうされても仕方がないという神話。誰かの性を犠牲にすることで護られる「貞操」という神話。

 私たちが長い時間かけて掴みとった真理とは、セクシュアリティの破壊は、人間の身体と精神に加えられる深刻な暴力の一形態であり、戦争の戦略として使用されてきたということ。それはすべての性に起こるということ。戦時であっても平時であっても軍隊とは構造的な暴力装置であること。

 今なお癒えることのない戦争の傷と、押し付けられた軍隊の日常の暴力の中にある沖縄から、そして戦争と軍隊を拒否する沖縄から、橋下発言に対し、謝罪と、発言の撤回を求めます。

 言葉の一言一言に、沖縄の歩んできた歴史の重みが宿っている。


2013年5月23日 橋下徹氏の妄言2
  元慰安婦の人たちの言葉

 橋下徹氏の妄言は続く。各テレビ局も橋下氏を登場させて、弁解、言い訳、言いくるめの場を与え、コメンテイタ―の10倍は自由にしゃべらせる始末である。いったいメディアの役割とは何なのだろうか、メディア側はきびしく自問すべきではないだろうか。「囲み取材は受けない」と、決別したはずなのに一夜明けると再開する。理由は「受けないわけには行かないだろう」と、何の説明にもなっていない。

 これまで存在感を見せつけ、大衆を惑わし世論操作をしてきた、独特のポピュリズムの戦略の要として使ってきたマスコミを手放すわけには行かない、マスコミから見放されるわけには行かないとの、彼にとっては切実な思惑が働いてのことであろう。それが「受けないわけには行かない」の本性ではないのか。しかし、今回はそれでも自分の思うままに人の心を操れない事態となっている。

 例えば、519日の沖縄集会参加者の声にも明らかである。「同県読谷村の主婦も、ツイッターやテレビで『沖縄の人権問題を直視しろ』などと繰り返す橋下氏に、『沖縄の代弁者のような振る舞いをしてほしくない』と怒りを隠さない。」(520日朝日新聞)

 橋下徹氏の言葉に対して、二人の元慰安婦の方の言葉を対置する。

金福童(キム・ポットン)さん 519日沖縄の集会にて

▼過去の過ちは今の政府が解決しなければならない。政府と政治家が妄言を吐くことができないよう、みなさんが頑張ってください。

▼必要というなら、自分の娘を送れるのか。妄言で過去の歴史は変えられない。若い人には真実を学んでほしい。

吉元玉(キル・ウォノク)さん 519日広島市の証言集会で

▼悔しくて、胸が痛くて。いつも心は寂しい。

▼日本がまた戦争の準備をしているように感じる。平和でなければ、私みたいなな人をまたつくってしまう。次の世代は争いのない世界で生きてほしくて訴えに来た。

▼政府が戦争をやろうとしても、国民のみなさんが「出来ない」と言えば出来ない。傷つくのは女性や子ども。心をひとつに頑張ってください。

 金さんと吉さんの語る言葉には、経験と事実を通した言葉の力、言霊が宿っている。しかも、国家と世界の歴史の激流に翻弄される中で、抗い、消え入ることを拒否し、しっかと見つめることで紡ぎ続けた個人史の表現である。


2013年5月20日 橋下徹氏の妄言「大阪人の恥やわ!」

 私はこれまで、公のメディアを通して、これほどまでに人間の尊厳を蹂躙する言葉を聞いたことがない。驚くべきことに、本人は一向にそのことに気づく様子はない。人間の痛みを共感することに、これほどまでに無感覚な人物に会ったこともない。
 だから平然と、「慰安婦の方が大変過酷でつらい思いをしたんであれば、そこに対してはしっかりおわびと反省と、そういう言葉をかけなければいけない」「沖縄県民の人権が蹂躙されている現状についても直視すべきだ」「敗戦の結果として侵略だと受け止めないといけない。反省とおわびはしなければいけない」「(「必要」発言について)特派員協会で記者会見し、修正を求める」「(しかし)日本語の『必要』(という言葉)までは変えない。日本人の読解力不足だ」などと、手のひらを返したように、自分が人権に対していかに敏感な考え方を持っており、沖縄の現状を問題視して変えようとしているのだと言い放つことができてしまう。

 しかししゃべればしゃべるほどに、屋上屋を架して、相手の傷口に塩を塗り込むがごとく痛めつけ、同時に橋下徹という人物の人としての貧弱さをますます露呈することになる。

 唾棄すべき言葉ではあるけれど、私は忘れたくはない、否この国の政党の代表者であり、大阪市長の言葉として忘れるべきではないと思う。言葉を大事にするところから、政治は営まれるべきだと考えるから。

 513日の発言(全発言は新聞各紙のデジタル版に掲載され、記録として残されている)から、以下の言葉を私は書き残しておきたいと思う。

▼なぜ日本の慰安婦問題だけが世界的に取り上げられるのか。日本は「レイプ国家」だと、国をあげて強制的に慰安婦を拉致し、職業に就かせたと世界は非難している。その点についてはやっぱり、違うところは違うと言わないといけない。

▼(「意に反して慰安婦になってしまった方」には)心情をしっかりと理解して、優しく配慮していくことが必要だ。

▼当時は日本だけじゃなくいろんな軍で慰安婦制度を活用していた。あれだけ銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走って行くときに、そんな猛者集団というか、精神的にもたかたぶっている集団は、どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのはこれは誰だってわかる。

▼(米軍普天間飛行場を視察した際に司令官に)慰安婦制度じゃなくても風俗業は必要だと思う。(司令官には)「法律の範囲内で認められている中で、性的なエネルギーを合法的に解消できる場所は日本にあるわけだから、もっと真正面からそういう所(風俗業)を活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーをきちんとコントロールできないじゃないですか」と言った。

▼司令官は凍りついたように苦笑いになって「禁止している」と言った。「行くなと通達を出しているし、これ以上この話はやめよう」と打ち切られた。

 そこでこの間に私の出合った、橋下氏の妄言の対極にある4人の人たちの言葉を紹介してみようと思う。まず最初は、辻本清美さんが超党派の女性国会議員の会見で発言した、「大阪人の恥や!」である。端的な言葉の中に言い得て妙である。あるいは、橋下氏は、他のどの言葉よりも内面に動揺を覚えたのではないだろうか。


2013年2月17日 『かぞくのくに』を観た

 
ヤン・ヨンヒ監督『かぞくのくに』を観た。ドラマ仕立てでつくられたものではない、ある家族の日常を淡々と描いている。誰にでも一人ひとりの日常があり、また一つ一つの家族にもその家族の日常がある。

 父は朝鮮総連の幹部、兄が25年前に「地上の楽園」への帰還事業に参加して北朝鮮に渡る。その兄が脳腫瘍の治療に特別許可を得て3か月の日本滞在に「やって来る」(戻ってくるのではなくて)。いきなり、一言の理由の説明もないままに「明日、本国へ帰還」との命令が伝えられる。別れ。

 その日常は、「家族」と「国・国家」、「歴史」が重なっている。非日常の事件、できごとならば、逃げることも、息を殺して次の展開を待つこともできるけれど、日常であるが故に、引き受けなければならない。事実を引き受けて日々の暮らしを続けなければならない。

 日常というものの重さをひしひしと感じさせられた。


2013年1月28日 怖気づいてしまったのか、言論の場は!

 掲載した新聞記事は、マスメディアが権力に対して及び腰になってきた様子を活写している。メディアだけではない、昨年末の衆議院選挙で自民党が圧勝して以後、いわゆる学者・文化人・批評家・ジャーナリストと呼ばれる人たちの言動がめっきりと減り、また力を失ったように感じている。マスメディアが掲載を控えだしたこともあるのだろうが、右傾化した状況を先読みして怖気づいたと言えば言葉が過ぎるだろうか。

 「言論」というものが社会的存在としての人に備わった本能であるとするならば、政治・経済・文化の状況が人の生存にとって厳しさを増せば増すほど、言論の意欲が増してくるというものだ。それが先の人たちに任せられなくなった時、いったいどのようなところから、どんな形で噴出してくるのだろうか。人々の中で沸々と言葉が湧き上がるのだろうか、マスメディアでなくソーシャルメディアのつぶやきがつながり意志を持って広がって行くことになるのだろうか。

 いずれにしても今、伝えたくて表現したくてうずうずしている言葉が行き場を見失って彷徨(さまよ)っている。

 そんな中でも問題と真正面から向き合い、一歩も後ずさりすることなく論じている人たちもある。

・住友剛 ブログ「できることを、できる人が、できる形で」http://tsuyokun.blog.ocn.ne.jp/seisyonenkaikan/

・水谷修 オフィシャルウェブサイト「あした、笑顔になぁれ」

http://www.mizutaniosamu.com/


2013年1月23日 「私たちのことを、私たち抜きに決めないで!」という高校生たちの行動

 私は桜宮高校の生徒たちの行動を支持します。かつてイラク人質事件の時の「自己責任論」が渦巻いたようにバッシングが起こりかねない危険性を感じるので、私はあなたたちの行動を支持していますとの意思表示をして、エールを送りたい思いで書きました。

 1月21日大阪市教育委員会は、市立桜宮高校の入試で「今春の体育系2科の募集を中止し、同じ定員を普通科に振り替えて募集する」と決めた。結局橋下市長の言い分と、受験生、在校生、その保護者、マスコミからの批判が広がりだしたことを受けて、その両方の言い分をまとめた案とでも言いたげである。しかし、橋下氏の政治的パフォーマンスに利用されたことは否めない。この案と、民間校長の採用、教師の総入れ替えによって、いったいいかなる「抜本的な大改革」が可能になるというのだろうか。

 私は本誌HPTOPICSの欄で次のように書いた―「橋下氏の発言にハートを感じないのは、生徒たち、子どもたちに寄り添い、子どもたちの立場に立って考えてみようという感性を微塵も感じられないからだ。生徒たちの過ごしてきた桜宮高校での個人史があり、思いがあり、今それぞれの考え、意見があるに違いない。その生徒たちの声に耳を貸すべきである。生徒たちにはぜひ自分が思っていること、感じていること、意見、考えを主張してほしい。それを無視する『強いリーダー性』とは、生徒たち・当事者にとって、『精神的な体罰』でもある」―

 教育委員会の体育科入試中止の決定を受けて、桜宮高校3年生8人(「運動部の元キャプテンで、教員には相談せず、自分たちの意志で来た」と朝日新聞)が市役所で記者会見を開いた。生徒たちの発言の「ほんの一部」を各メディアが勝手に切り取って報道しているので、まったくその全体像が伝わってこないのがいかにも残念だけれど。テレビや新聞を見るとニュアンスの違いが生まれてしまう。改めて、子どもの・子どもたちの、公の発言、社会に向けた発言をしっかりと報道する姿勢を求めたいと思う。

 私はこの生徒たちの行動を支持する。・市長発言や、メディアでは本当の桜宮高校の姿が伝えられていない ・来校した市長に対して「代表」の二人しか発言できなかった ・自分たちと同じ悲しさや苦しさを味わった先生しか本当の解決はできない ・先生たちもみんな替えられてしまえば、自殺した友だちのことも忘れられてしまう ・それは問題を消してしまうための手でしかない ・撤回させるためにどんなことでもやって行く・・・(私はそれらの発言が心に残った)。生徒たちは、「私たちのことを、私たち抜きに決めるな!」(勝手に大人たちだけで、しかも学校外の者たちだけで決めるな)と訴えて行動を起こしたのだ。

 翌日の朝、テレビ朝日の番組に出た尾木直樹さんの発言に衝撃を受けた。今回の市教委の決定を、何ら具体的な内容が示されていないにもかかわらず、「これまでになかった最高の解決策」と諸手を広げて持ち上げ称賛した上で、「高校生が記者会見を開いたことは悪しきヒロイズムだ。言いたいことがあれば生徒会を通じてその代表が発言しなければいけない。子どもたちの気持ちはわかるが、立派な桜宮高校が再生するための過程としてがまんしてほしい」と発言し、さらに「後ろで糸を引く大人がいるに違いない」と、さも黒幕の教師の操り人形の如くに言い放ったのだ。これまで信頼してきた教育評論家であるだけに、わが耳を疑ってしまい、また影響力を持つ人の発言にこの生徒たちに対するパッシングが起こらないかと不安を感じてしまった。ちょうどイラク人質事件の時の「自己責任論」が渦巻いたように。

▼尾木さんは「生徒会を通じて、その代表が発言すべき」と言うのだが、同校の市長説明会で生徒会代表の二人が発言している。二人しか発言できなったことを生徒たちは批判している。また、現実の小・中・高校の児童会、生徒会で、「子どもたちが自分たちの力で運営し、自分たちの課題を自分たちの言葉で伝え表明できるような組織」がいったいどれだけあるのだろうか。それができないならば発言するなとは、頭ごなしに発言を封じているに等しい。あるいは生徒たちはこの問題を通して、本当の意見表明ができる生徒会をつくりだしていくかもしれない。

▼尾木さんは、これまでの戦後民主主義教育と言われる歴史の中でも、連綿として続いてきた「上意下達、体罰容認、没個性」などのいわゆる「体育会系」の「悪しき伝統」を、この機会に根本的に一掃してしまおうと考えているのだろうか。しかしそれは桜宮高校一校だけの問題ではありえない。日本全国の公立・私立を含めた学校教育やクラブ活動が点検されるべき問題であり、同時にかつての第1次安倍内閣の教育再生会議が提唱した(また今次内閣でも企図されている)、個性尊重よりも「日本人としての自覚、愛国心」を強要する教育観といかに対峙するかという課題を持っているものである。

 私は記者会見を開き、自分たちの意見表明をする生徒たちの姿から、いわゆる「体育会系」とはちがう自分の考えを持った健康な子どもたちの姿を見た思いがした。そこに桜宮高校の取り組んできた教育力と成果を見ることもできる。

▼奇妙な立場の逆転:奇妙なことに、尾木さんの方が、批判し否定しているいわゆる「体育会系」の「上から頭ごなしに見て、命令する」立場に立ってしまい、橋下氏も同様に、体罰を口を極めて批判しながら、結局当事者たちに「精神的な体罰」を与えることになってしまう。これらは当事者・生徒たちに寄り添い、その立場に立って考えようとしない、権力を持つ側に立っている者たちが陥る奇妙な立場の逆転ということができるのかもしれない。

 最後に、もう一つ当事者の立場に立つ人たちがいる。桜宮高校の教職員が発言することはできないだろうか。橋下の政治的パフォーマンス、メディア、世論等々取り巻く環境の極めて厳しい現状がある中で、それでも現場から言葉を発する勇気が生まれ出ることを期待している。本当の解決と再生は、当事者である生徒たち、教職員が、心の中で渦巻く言葉の一つ一つを語り始めることからしか生まれないと思う。しかしそれを許さない力が当事者を振り捨てて、強引に走りだそうとしている、否走り出してい待っている。生徒たちや保護者たちが懸命に両手を広げて前に立ち押しとどめようとするのだが、力の差は否めない。私達世論の側が後押しする努力はできないものだろうか。


2013年1月15日 我が家の映画談議から

 久しぶりに家族がそろった正月を迎えた。夕食後に娘が「我が家の2012年に見た映画ベスト5を決めよう」と提案した。結構見ているものだと改めて気づかされたのだが、みんなそれぞれがいつの間にやら月に34本のペースは下らない。さらに「DVDもありにしよう」ということになったので、収拾がつかぬほどに思い思いの映画の題名が出され、ストーリーについて、印象に残った場面、セリフへと広がり、監督の名前やら女優、男優の演技の批評、さらにゴシップに至るまで話は広がりに広がって行く。いつも間にかベスト5を決めることなど忘れてしまって話に花を咲かせていた。

 雰囲気から言えば、『愛と誠』『北のカナリア』『オオカミ子どもの雨と雪』『最強の二人』『桐島、部活やめるってよ』当たりの作品の名前が声高に連呼された印象がある。私と妻はほぼ同じ作品になるのだけれど(というのも夫婦割引1000円のお得感につられて、ほとんど一緒に見ることになっているので)、『桃さんのしあわせ』(香港)がイチ押しで、『みんなでいっしょに暮したら』(フランス)や、『菖蒲』(ポーランド・アンジェイワイダ監督)の話に力を込めた。ふと気が付くと、この1年高齢者の生き方と、人としての尊厳を持った死に方を題材にした映画や本をよく見たり読んだりしているものだと思った。また、確かにすぐれた作品も多く出ているのではないろうか。

 一昨日見た韓国映画『拝啓 愛しています』も、いい映画だよ、ぜひ見た方がいいよ、特に若い人にも見てほしいな、と周りに言いふらしたくなるほどの見事な作品だった。村上龍の『55歳からのハローライフ』も、胸に心地好く、時にずっしり重く広がり、考えさせられることの多い小説集であった。

 私が退職して61歳の高齢者に身を置いたからそんな作品に出合ったり、問題を考えるようになったということなのだろうか。もちろんそれはあるにしても、社会が高齢者の暮らしや死に方、生き方を考える必要性を求めているということなのか、それが世界の潮流にもなっているのだろうか。妻は、著名な監督がそろそろ自分の終末を考える年になってきたからではないかと、そんな意見を述べるのだが。

2012年12月13日 政権交代の意味と意義(TOPICSの続き)


2012年11月21日 富生さんとのお別れの会


 
1117日、ラポール枚方で行われた本部富生さんとのお別れ会に参加させていただいた。富生さん(いつも「プセンさん」と呼んでいた)との出会いは30年以上前に遡る。1976年に新任教師として寝屋川市の小学校に赴任した私は、右も左もわからぬままに、ただ寝屋川の障害児教育のおかしさを全身で感じながら、何をどうしていいか分らぬ苛立ちと焦燥を抱え込んだ日々を過ごしていた。そんな折、富生さんと出会い、自立障害者という生き方があることを知り、また枚方の障害児教育の実践を学ぶことにもつながった。

 富生さんが私と同じ195111月生まれであることを初めて知って驚いた。障害児教育や障害者運動が不毛な寝屋川の現実を、会うたびに不満たらたらとため息交じりに話す私に、笑い飛ばすかのような大声で、車いすを揺らせながらしゃべり続ける富生さんのエネルギーは、その言葉をほとんど聞き取れなかったにもかかわらず、いつも元気と勇気を分けていただいた。その大きな姿はいつも私の前を行く大先輩、兄貴分であった。

 今回頂いた『バイキンマンの自立~本部さんが考えていたこと~』というブログをまとめた小冊子の中に、富生さんの原点を見た思いがした。「障害者ががんばることが正義。がんばって歩くことが正義。介護を使うことは悪い。甘えている。私は13歳の時にお母さんに言われた言葉がいっぱいある。がんばって服を全部着替えて、1時間以上やって、親がえらいなぁと言うてくれるかと思ったら、ばか者、兄弟7人もおるのに、ええかっこするな。ちょっとお願いしますと言うたら、10分で終わる話。後の時間はもっと自分の頭で、親が死んだ後のことを考えて、もっと真剣にテレビを見いや、服の交換ばっかりして、15時間以上かかって、やりたかったら、だれもおれへんときに一人でやり。ご飯も40分も50分も頑張って、一人で食べて、まわりに米粒バラバラにして、誰が掃除するの?ちょっと介護してと言うたら、5分で終わる話。これを聞いて私は、目の前が真っ暗になった。頑張るのは馬鹿らしくなる。もうやんちゃな障害者になってもええ。一回障害者になったら、訓練しても健全者にはなれない。私の親は、もっとうまいこと、障害者をくよくよ思う前に、前を見て行くこと。これが私の考えの元になってる。前から思うことは、別の障害者も甘えている。12年間自立して、干支が一周しても、同じ自分のペースでやっている。これを私の親が見たら怒っている。なんで甘えるの、周りはジャムおじさんばっかり。障害者を馬鹿にしている。私の親は馬鹿にしていない。倍きびしい。いっこもえらいとは言わない。一人で水風呂に入っても、一人で排便しても、誰もおらん時にやれ、誰かおるときにやったらあかん、いやみになる。」

 富生さんのしたたかな生き方、人に対するきびしさと優しさ、枯渇することを知らずあふれ出る知恵とアイデアと行動力、その源はお母さんとの丁々発止のやり取りの中で獲得したものであるに違いない。富生さんにとって、学校教育ではなく、母親との関わりが学びの場であり、その場こそが本当の「学校」であったのではないかと思えてくる。

 ずいぶん長い間お会いしていなかったけれど、会場正面のスクリーンに映し出される富生さんのDVDを見つめながら、最晩年の表情に見入っていた。やんちゃで、豪快に笑い、大声でしゃべり続けていたエネルギーほとばしる姿とは打って変わった、静かな表情があった。その潤いを浮かべた瞳は、静かに深く内省しているように私には見えた。私も死ぬときは、あんな表情で死ねたらいいなと思ったものであった。

 生きることと死ぬこと、そして伝えるということを考えた本部富生さんとのお別れの会であった。合掌

2012年11月7日 しんぺいくんがやってきた!

 もし拙著『餓鬼者(がきもん)』を読んでくださった方があれば、もうお分かりのことだと思うが、巻頭に載せたあの「しんぺいくん」が16年ぶりに我が家に来てくれ、24歳の青年の姿を見せてくれた。「友だちといっしょに行きます」とか「ちなみに友だちはとってもいい人ですよ」などと、思い入れのある書き方をしてくるので、「うん、これ…ねぇ」「うん、彼女とちがうか?」「いやきっとそうやで」と、しばし我が家の話題にもなっていた。

 そして当日、何とすがすがしい笑顔を湛えた若い女性が車いすを押して登場するではないか。「あたりぃ」と一人合点して迎えたのだが、ちょっと違っていた。2年生を終えて高槻市の小学校に転校してからの日々を、時に口角泡を飛ばすかの勢いで話すしんぺいくんの語り口調は、話すほどに調子を上げ熱を帯びてくる。

 特に小学校から「ずーっと一緒だった4人組の友だち(二人の女子としんぺいを入れた二人の男子。いっしょに来てくれたUさんはその一人)」の話になると増々舌は滑らかさを増すようで、「どんなにすばらしい友達であるか、友情でつながれているか」を伝えたくて熱がこもるかのように感じられた。もちろん今も続いているという。

 中学では「オレ、帰宅部で好き勝手なことやってたのに、TさんとUさんから誘われて吹奏楽部に入ってん」「吹奏楽って、しんぺいやれることあるんか?」とチャチャを入れる私に、「打楽器をさせられて、でも大会にも出たんやで」と答える。

 「おばちゃんが登下校付き添ってたから、もう私らでやるからと、毎日4人で登校して、クラブの後いっしょに帰るようになったんです」と、能弁なしんぺいとは対照的に静かにUさんは話してくれた。

 「そやけどな、中学卒業後の進路が、これが大変やってん」と、これまでにも増して喉元を大きく膨らませたので、これはクライマックスに違いないと察知して、私はいったんトイレに立ち小休止をとった。そして改まってしんぺいくんと向かい合った。

 「オレ、ずーっと友だちといっしょやったし、ほんまに楽しかったし、それが当たり前やと思ってたから、養護学校へ行くことなんか全然考えてなかってん。みんなといっしょに高校行くことが当たり前やと思うててん。先生が『高校はどうするのか』と聞いてきたので初めて養護学校のことが頭に出て来たんや。近くの阿武野高校で『障害者の特別な枠がある』(全国でも大阪だけに設けられた‟共に学び合うための・自立支援コース”の制度 松森)と言われたので、そこを受験してん。クラスのみんなにも阿武野高校を受験すると伝えた。面接だけだったけど。二人合格するのに12人が受験した。発表で不合格と聞いたときは、もう頭の中が真っ白になってしもうて、なんにも考えられへんかった。教室でみんなに不合格を伝えたとき、ほんまに泣いてしもうたわ。もうクラスのみんなが泣いてくれてん。一人だけ友だちのH君だけは泣かずにティッシュを1枚渡してくれた。それがうれしかった」。支援学校高等部を卒業して6年になる今でも、話すたびに涙が出てしまうという。よほど悔しかったのだろう。わたしにもその思いが伝わってくる。

もう養護学校行く気にならへんかってんけど、友だちが毎月集まるようにしようや言うて、集まる会を作ってくれたから、それがあったからなんとか行けたんやと思う」と話す。

 現在、作業所でクッキーづくりと販売を担当している。出来れば一般企業で働きたいし、給料をもらって自立したい、結婚もしたいと思っている。いろんな人と会って話しをたいと付け加えた。

 24歳の青年がこれから歩む人生を期待を込めて見続けたいと思う。友だちも一緒に歩んでいくことだろう。往年の名画『スタンド・バイ・ミー』を思い出していた。





2012年10月18日 若い人たちに希望をつなぐ


“中野坂上デーモンズの憂鬱”の旗揚げ公演を観た。場所は新宿ゴールデン街劇場。ゴールデン街と言えば、歌舞伎町の入口、或いははずれにあって、40年近く前からおどろおどろしい雰囲気とともに、人間の本姓の坩堝と現代芸術のエネルギーが混在する解放区とのイメージが伝わってくるところでもあった。

 かつて私も2回立ち寄ったことがある。たしか裸電球に装飾されたブリキの看板に「ゴールデン街」と書かれた入り口近くのバーであった。街の奥に踏み込む勇気がなく、逡巡した歩みで踵を返して入った店だったような気がする。

 そのゴールデン街のど真ん中にある40人が定員の小さな劇場だった。(「ハコ」と呼ぶらしいが、その雰囲気がぴったりだ)

 『深海の庭』と題した劇は、4人の男女の役者が1時間半を演じる芝居である。テーマは「生きること」「人間とは」「存在の意味」を問い続けることと、私には感じられた。分ける、分析する、専門化の流れと、それと表裏一体となった能力主義、競争主義、評価主義と自己責任論が顕著となっている現代の風潮に対して、いかにも人間の根拠、原理原則に立ち返ろうとする作風に驚いてしまった。

 それはややもすると無防備で、観念的で、生まれ出た赤ん坊の如く傷つきやすいテーマであるに違いない。だから現代人はシニカルに笑ってみたり、無視したり、世間知らずと罵ってみたり、人それぞれの狡猾な言い回しや態度でもって慎重に距離を置いて日常を過ごすことになる。特に若い人たちは「生きること」「存在の意味」などに距離を置くどころか、頭に浮かべることもないのではないかと思っていた。

 ところが“デーモンズ”の役者やスタッフは全員が20歳代の若者たちである。彼らが時に感情を押し殺したセリフで、時には叫びだしそうな激情を湛えながら、生や死について語るのだ。しかも独りよがりの観念論に堕ちたり、たやすく切り捨てられたりしないために、周到な劇づくりの構造が仕組まれているのだ、ハンセン病という事実、差別の問題、社会問題、歴史を通して語ることによって。

 患者の女性が自分の生きてきた意味を問い返し、「そんな時代だったのよ」とあきらめを囁く声をきっぱりと拒否して、今を生きることを求める意志は、新たな命の誕生をもつくりだし、次の時代へと引き継いで行くことを暗示する。

 何せ第1回公演である、私ごとき素人にはわからぬ演技や演出、舞台美術等々数え切れぬほどの批判や不備、課題があるにちがいない。しかし全身全霊で取り組み、まさに肉体も含めて丸ごとさらけ出して取り組むこの若い人たちの姿に、心地好い誠実さを私は感じた。

 役者・スタッフたちは療養所や資料館に通い、患者さんの講演も聞き学習したと聞いている。観客のほとんどを占める若い人たちにハンセン病を知る者はいないだろう。その若者たちに、“デーモンズ”の若者たちから決して啓蒙的ではない言葉に乗せて発信され、伝えられたのかもしれない。“中野坂上デーモンズの憂鬱”『深海の庭』の観劇は、私にとって若い人たちに希望をつなぐ経験となった。

 劇団が先にあって、そこに集まってくるのではなく、若者たちが出合い、劇づくりをめざして葛藤し試行錯誤を繰り返しながら取り組む活動の中で劇団が生まれてくるのではないかと思った。日常の暮らしと、特に経済的な問題が大きく立ちはだかって継続することは困難を伴うだろうけれど、半年後にこの“デーモンズ”の若者たちの新作劇をぜひ見てみたいと期待をしている。


2012年8月3日 馬頭琴の調べ

ボウヤンさんから電話があった。毎年年賀状は欠かすことなく頂いていたのだが、3年ぶりに聞く声は、単語の一つ一つをていねいに発語する語り口調と相俟って、これまでもそうであったように聞く者に安心感を与える。現在29歳のボウヤンさんは内モンゴル出身で、北京の高校を卒業後9年前に来日、2年間日本語の専門学校に通い、その後和歌山大学に学んで、日本の企業に就職されていた。昨年同郷の、高校の時から知り合いであった女性と結婚して、長女が生まれている。高校では男女の付き合いが厳しく制限されていて、出会いをしつこく聞き出そうとする興味本位の質問に、今に至るも唇の前に指を立てて「ヒミツ」と目くばせするポーズからも、その徹底ぶりがうかがえる。

8年前に友人に紹介され、ちょうど3年生の国語科でモンゴルを舞台にした『スーホの白い馬』の授業もあったので、小学校の児童集会に来てもらい全校生を対象に、モンゴルの紹介と馬頭琴の演奏会をしていただいた。時折会って話したり、我が家でホームコンサートを開き、馬頭琴を演奏していただいたこともある。和歌山に移られてからはお会いする機会を失したままになっていた。

そんな折、私が心不全で緊急入院したことを知り、体調を案じて電話をくださったのだった。京橋の居酒屋で私の家族とともに会食しながら久しぶりの再会を果たした。今年の年賀状に「いつかまた、あなたの馬頭琴を聞いてみたいものです」と添え書きした言葉を覚えていてくれて、馬頭琴を持参してくれた。居酒屋で俄か作りの演奏会を開くことになった。モンゴル民謡、スーホの白い馬など5曲を演奏してくれたのだが、馬頭琴が奏でる調べを聞きながら、朴訥でそれでいて心を揺さぶる強さを持つ音色に、わざわざ私の身を案じて訪ねてくれた青年の無類の誠実さと優しさを思い、胸に何度も熱い感情がこみ上げてきた。

新妻が日本の暮らしに慣れないとのことで、8月に故郷に戻って再出発を期するという。いつか今度はモンゴルの地で、ボウヤンさんの馬頭琴を聞ける日が来ることを約束して別れた。

  

2012年7月15日 大津市中学生自殺に対して大人の社会は何を応えているのか

 三池崇史監督『愛と誠』を観た。ストーリーは「ご存知の通り」の単純極まりない純愛ものだが、134分の長丁場を飽きることなく痛快に走り抜けたという感想がある。この監督のどの作品を見ても期待を裏切らないエンターテインメントの才能には舌を巻いてしまう。

 特に私の脳裏から離れないシーンがあった。クライマックスの格闘を終えて、ひとり早乙女愛の待つ病室(らしき所)に向かう太賀誠の背後から、レインコートで顔を隠した怪しい人物が近づいたと思うや、いきなり長い刃渡りのナイフで背中を突き刺した。振り返る誠が相手のフードを剥ぎ取ると、それは金持ちの子弟が通う優秀な受験校青葉学園の教師であった。

 全編暴力シーンが続く映画であるが、中でも誠が不良の巣窟である花園実業高校に転校して以後は暴力が暴力を呼び起こす、いわば暴力の連鎖とでもいうべき展開となるのだが、共通しているのは、どれほど激しい暴力のぶつかり合いもお互いの拳と拳、からだとからだが激突する喧嘩であるということだ。唯一裏番長の女生徒が手裏剣を投げるのだが、明らかに急所を外して投げている。

 ところがこの教師だけは、殺意をもって、相手を殺傷するための凶器・刃物を使って、しかも正体を隠し、背後から突き刺すのだ。この卑劣極まりない行為はそれまでの暴力と一線を画している。これこそが大人、社会、資本、権力というものだと暗示しているのではないか。

 この監督の子ども・若者への絶対的な信頼感と、大人、あるいは「大人」という言葉が象徴する社会や資本や権力というものに対する絶対的な不信感を象徴的に表現しているように私には思われた。

 この時に重なるものがあった。大津市立中学校2年生の当時13歳の男子生徒の自殺を巡る、学校、市教委、警察の態度である。2回のアンケートを取りながら、公表を拒み内容を隠して、「いじめはあったが、自殺との因果関係は不明」「教職員でいじめがあったと認識していた者はゼロであった」との釈明に終始する。一方遺族の父親がこれまで3回被害届を提出したいと相談したとき「被害者が死亡しており、犯罪事実が特定できない」と門前払いで受理してこなかった警察は、マスコミ報道と世論の批判が盛り上がるや、いきなり学校に入り込み強制捜査を開始した。

 学校と市教委が繰り返すむなしい言葉の弁明や、学校に土足で乗り込むがごとき警察の動向は、この事件の主人公である被害者の少年、加害者の少年、そして中学校の生徒たちの気持ちなど一顧だにせず、誠実に向き合おうとしないで、子どもとは全く別のところに視線を向け、周囲からの見られ方にばかり気を配りながら対応している。

 なぜ学校は、教師たちは、教育委員会は、生徒に意見を求めないのだろうか。これまでいじめが発覚した時に(明らかに教職員にも分かっていたはずである)、なぜ生徒たちに解決するために相談し、話し合い、いっしょに行動を起こそうとはしなかったのだろうか。主人公は子どもたち・生徒たちなのだから。

 いじめのない学校などどこにもない。(学習院でもいじめがあり、天皇の孫がいじめの対象にされていたくらいなのだから。おそらく大人が思いつく限りの手を尽くしたに違いないのにである。このことは、周りの大人だけがどれだけ気を使ってもいじめの解決にはならないことを如実に物語ってもいる。)いじめ・問題が起こった時に、それを隠して見えなくするのか、あるいは子どもたちの前に事実を明らかにして、教職員もいっしょに解決しようと取り組むのか、どちらかであると考えている。

 私の教職経験の中でも勿論様々ないじめの事象があった。時には被害を受けた子どもを緊急避難的に別室に移し、ゆっくりと話し合うこともある。加害の側に立った子ども(たち)を声を限りに怒鳴りつけることもある。学級会で涙をこぼしながら一人一人が意見を語ることもある。被害を受けた子どもや、加害の側に立った子どもの保護者と話し合うこともある。職員会議や研修会、外部の人を入れたケース会議で報告し、意見を交わすこともある。それでもいじめが収まらず、繰り返されることは頻繁にある。また、取り組むことになる、あきらめずに。

 ただいつも子どもたちに見えるように、子どもたちの中で、子どもたちといっしょに取り組むことが必要なのだと思う。拒否、反抗されようとも関わりつづけること、関わるということはお互いの存在を、たとえ嫌われようと、無視されようと、認めるということなのだから。相手も認められているという感覚をどこかに残しているはずだ。

 学校選択制が実施されれば、必然的に学校間競争が激しくなり、評価を気にして事実はますます隠蔽されてくるに違いない。教職員の自己評価システムがさらに大きな給与格差につながったり、ましてや相対評価で最低ランクが続けば免職もあるとなれば、仲間意識は寸断され、子どものことを考えるより、自己保身にまい進することになるだろう。すでに1980年代のイギリス、アメリカでの新自由主義の競争主義の教育体制でその失敗は明らかになってもいるのだが。

 さて大津市立の当該中学校の生徒たちは、学校、市教委、警察の「大人」たちの言動を見聞きして、いったい何を思っているだろうか。「学校や教師に対する期待など、もともと持っていなかった」、などと冷めた言葉が返ってきそうな気もするのだが、このままでは大人や社会というものに対する憎しみであったり、あるいは諦めを心深くに刻むのではないかと思えてくる。

 生徒たちが自らの判断で生徒集会や学年集会、学級会を開催して、話し合うようなことはないだろうか。自分たちの友人が自ら命を絶ったのだから、自分たちの友人が友人を死に追いやったのだから、まぎれもない自分たちの問題なのだから。主人公である生徒たちの行動を見守りたい。周りの大人たちには、せめて生徒たちの取り組みの邪魔だけはしないでほしいと願っている。

2012年7月7日 虹を見る

 外出先から戻った娘が玄関の戸を勢いよく開けるや、「父さん、母さんきれいな虹が出てるで」と大きな声を響かせた。門を出て見上げた東の空に、大きな虹が鮮やかな色合いを見せて掛かっていた。何やら浮かれ調子でにぎやかにしゃべり続ける私たち3人を見て、通りがかりの人たちも、怪訝な表情を浮かべ、その後視線を上げてにっこりほほ笑んで過ぎていく人たちもあった。

 松下竜一さんの『虹の通信』という美しい文章を思い出していた。(「潮風の街」所収)

 虹を見たら、すぐ電話で教えてください。どの方向の空に虹と、ひとこと告げてくれるだけでいいのです。これからずっとね、頼みます。そんな簡潔な依頼ハガキを市内の8人の友らに書いたのは、昨年の初秋であった。その頃、私はもう幾月か虹を見ていなかった。それは、私が部屋ごもりの生活に変わって虹に気付かぬようになったからに違いなかった。

 …おや、ずいぶん虹を見ないぞと気付くと、にわかに寂しくなった。なんだかそれがそのまま、私の生活の中の美しい核の喪失を意味しているとでもいった寂しさなのだった。虹を取り返さねばならぬ。私は8人の友らに虹発見の報告依頼を思いついたのだった。8人の友らがそれぞれの生活の場から八方の空を仰いでくれれば、どんなにはかなく顕って(たって)は消える虹でも見落とすことはないだろう。自分は部屋ごもりしながら虹探索のレーダーのみを八方に拡げているといった、ひどく虫のいい思いつきには違いなかった。・・・

 高校教師であるOさんは、授業中の教室の窓から虹を見つけ「消えるな消えるな」と念じつつ終了のチャイムと同時に職員室に駆け込んで第1号の報告を伝えたという。トラックに積まれた材木の上に立った時見つけたHさんは、飛び降りて事務所から電話をした、配達途上のRさんは公衆電話から報告する。時には次々と何回も虹の報告が重なることもあった。

 虹を「私の生活の中の美しい核」と思える松下さんの感性と、突拍子もない提案に嬉々として応じる大人たちの交流に、心洗われる気がしたものだった。

 家族3人で虹を見上げながら、原発事故や、政治の混迷と不信、不安定な経済状況、いじめと子どもの自殺、さらに子どもたちを追い詰める競争主義の教育改革…等々、考えれば考えるほどに色濃く取り巻かれてしまう暗澹たる思いから、しばし解放された刹那であった。振り返った西の空には、鮮やかな夕日が私たちを照らしていた。



2012年7月2日 二つの報道から、日本のマスコミはなぜ

629の日夕刻、娘が携帯を手にしながら話しかけてきた。「今東京の官邸前で大飯原発の再稼働に反対する集会とデモが行われているのに、テレビでも全然知らせへんらしいで。今までもデモをやってきたのにニュースになれへんかったって。原発に反対してこんなにたくさんの人たちが集まっていることをマスコミは知らせたくないのかなぁ?」「日本のマスコミは、“原子力村”の権力や資本に取り込まれてしまって、むしろ加担しているのではないかな。真正面からは、批判できないんやで、きっと」等々とそんな会話をしながら、携帯の画面を見ていると、時々刻々官邸前の様子を伝えるツイッター、フェイスブックの写真が変わってくる。どんどん参加者が増えていることが見て取れる。7時には、官邸を取り囲むデモと、通りを埋めつくす人の波で溢れかえっていた。
 テレビのスイッチを入れると、どの局のニュース番組でも「この日の」集会・デモの映像を流していた。さすがに15万人(主催者発表)の集会・デモの現実を無視することはできなかったとみえる。どのニュースにも共通して語られるコメントがあった。「今回の参加者は、労働組合や政党など、組織的な動員で集められたのではなく、普通の生活をしている一般の市民が一人一人自分の意志で参加している。」というものだった。中には「60年安保以来のできごとではないか」「いま日本が変わり始めている」「アラブの春をつくりだしたツイッター、フェイスブックでつながり合う抗議行動の波がようやく日本にも伝わってきた」と解説する番組もあった。
 私もその意見に反対はしない。一人一人が自分の生活の場で考え、人と話し、判断して集会・デモに参加するという、これまでの日本では稀有のできごとが起ころうとしていることに期待も持っている。反原発の1000万人署名と、716日に呼びかけられている「さようなら原発10万人」集会に、体が許すなら参加したいとも思っている。
 しかし、マスコミの姿勢には巧妙な言い逃れが隠されてはいないだろうか。「今回は普通の市民が集まったということにニュースバリューがあるので報道した。労働組合や、政党、団体などの組織的な取り組みは、わざわざニュースにする値打ちはない。」と取捨選択するマスコミ側の価値基準を公言しているかのように私には思えてくる。現在の社会において例えば労働組合が取り組む組織的な反原発・脱原発運動には意味がないのだろうか、国民、市民に知らせる報道の価値はないのであろうか。
 626日付朝日新聞朝刊33ページの「大阪市内版」の片隅にこんな記事があった。連日のように1面2面3面に掲載される橋下大阪市長・維新の会の記事に比して、見落としてしまいそうな小さな記事である。
 「大阪の八つの法律家集団が主催する集会“橋下市長に、異議あり!”が25日、大阪市の中央公会堂で開かれ、1200人以上が集まった。」というものだ。「連合系、全労連系、全労協系という所属組織の違いを越えた労組も集まり」と書かれてあり、主催者側の大きな危機感と、それを打破しようとの熱意が伝わってくる。開催めざして奔走した組合員の姿も想起される。「動員」もかかっていたのだろうけれど、参加者にもその危機感と熱意は共有されたに違いない。
 これではあまりに報道の仕方に格差がありすぎるのではないだろうか。特に近年、日本のマスコミ、ジャーナリズムに対する信頼が揺らいでしまう現実を、日常的に感じ見聞きするようになってしまった。

2012年1月2日 人はそんなに強いものではない

 大阪市職員の大量の早期退職希望を報じる新聞記事が目に付いた。橋下新市長に言わせれば、「そんなやる気のない職員はやめてもらった方が大阪市民のためにいいことだ」くらいの、にべもない返事が返ってきそうな気がする。府知事時代に複数の幹部職員の自殺があったことも聞こえている。個人のひ弱さを攻撃する自己責任論の展開とても言えばよいだろうか。
 しかし私のような気の弱い人間からすれば、人はみんな弱いものを抱えて生きている、それが人というものの営みではないだろうか、と思ってしまう。橋下さんも一個人になれば決して強い人ではないのではないか。マスコミを利用しながら選挙戦を勝ち抜き、さらにその威を借りて口角泡を飛ばす勢いで人や組織を切り付け、政治や国家を縦横無尽に論じまくる、まさに日本の将来を俺が握っているといわんばかりの傲慢さを感じさせる。大政党の国会議員からの連携も求められている。
 ハシモトトオルという幻影がモンスター化したものが強さを振りまきながら闊歩している。あるいは、橋下さん自身もその幻影に振り回されているのかもしれない。

12月5日 大阪市長・府知事のダブル選終わる

 11月27日投開票の大阪市長選、府知事選のダブル選挙が終わった。特に終わり方は実に「あっけなかった」。それこそ「えっ」と目を瞬いている内に終止符を打たれてしまった感が否めない。読売テレビはなんと締め切り前に「誤って流して」しまったらしい。そのあとは橋下のあの挑発的で居丈高な発言がどのチャンネルを回しても、深夜にまで延々と続いた。またぞろマスコミの側であらかじめ用意されていたシナリオ通りの展開が繰り広げられた感がある。
 私も今回の選挙は特段に重要なものになると周りにも言い続けてきたし、府内の障害者団体を中心に123団体が賛同して作った“共に学び共に生きる教育・日本一の大阪にネットワーク”として橋下と知事3候補に宛てて公開質問状を出し、その回答を公開するなどの取り組みをしてきただけに、何とも気が抜けてしまう「選挙速報」であった。それぞれに選挙に注目し考え続けたり、あるいは候補者の応援活動や、選挙にかかわる運動をしてきた者ほどその感が強いのではなかっただろうか。選挙のオープニングも、そして幕を下ろすのもマスコミがやりますよと言わんばかりの傲慢さを私は感じてしまう。
 ハシモト・トオルとは、マスコミがつくりあげたモンスターだと改めて実感している。(続く)
8月12日 再生エネ法成立へ、しかし

 8月11日「再生可能エネルギー特別措置法案、3党が合意、26日にも成立へ」というニュースが、新聞、テレビを通じて一斉に流れた。それに続けて「(菅首相の辞任3条件が揃うので)民主党内の代表選に向けた調整が本格化」する。「現在名前の上がっているのは・・・・・・」と、予想される候補者の顔写真を並べ、どの候補が有力か、国民的支持があるか、党内基盤の強さ等々を詳細に伝える。
 再生可能エネルギー法は、日本の将来のエネルギー政策を決定的に変えるものである。いわば、脱原発を国として推し進めるための法律が生まれようとしている。にもかかわらず、マスコミ各社はいずれもその法案の詳細には全く触れず、菅首相の辞任と、民主党の代表選の予想を報道するばかりである。本末転倒もはなはだしいマスコミの姿勢に怒りすら覚えてしまう。
 国民の関心は、将来のエネルギー政策の大転換や脱原発ではなく、菅首相の辞任と民主党内のマッチレースと党内紛争の方に向いているとでも思っているのだろうか。いやむしろマスコミの方がそちらへの関心を持ってしまっているのではないだろうか。
 あるいは、再生可能エネルギー法は、あくまでも辞任条件の形式だけであって、法が成立しても中身は形骸化されてしまうものと、高をくくっているのがマスコミ側の本心としてあるのだろうか。ひょっとすると、法の中身について敢えて触れず、辞任劇と代表選に目を逸らさせておいて、新たな内閣の下で脱原発の流れをとどめるための巧妙に仕組まれたマスコミの演出ではないのかとまで考えてしまう。
 それほどに日本のマスコミの現状を危機感を持って私は眺めている。

7月2日 〈いのちの森〉を切り倒したもの
~大阪府「君が代起立」条例の暴力性

(連載開始)

 6月3日、大阪府議会で「大阪府『君が代』起立条例」を大阪維新の会が過半数の力を背景に、他党の抵抗を押し切ってわずか2日の審議で可決させた。条例案は維新の会府議団の議員提案として提出されたが、事実上は橋下徹大阪府知事の発案によるものであったという。

 その2ヶ月前にさかのぼる。
 4月1日の午後、いきなり電動ノコ(チェーンソー)のけたたましい音が小学校に鳴り響いた。校舎前に大きな枝を張る楠に電動ノコの歯が切り付けられたのだ。職員に何の説明もないままに、全くいきなりの出来事であった。
 職員室前には、50年を越える(創立52年目なので、それ以上の樹齢が想定される) 楠の巨木が2本並んで聳え立っている。大きく枝を張り、葉が生い茂り、太陽の光を浴びて美しい緑の光を照り返している。
 その中には他の植物達が寄宿し、無数の虫達が生きている。子ども達がカラスの巣を発見して、友だちを呼んだり先生にお話しする姿がある。カラスの子育てする様子を見つけて、「あそこ、ほらそこそこ」と手をのばして指し示しながら、友だちと夢中に見つめる目の輝きが生まれている。暑い日差しを避けて、根方に置いたベンチに座り、大きな葉陰に包まれて涼をとる子どもの姿もある。
 その楠は、〈いのち〉の循環が営まれている大木であり、宇宙なのだ。〈いのちの森〉と呼んでもよい。

7月17日更新 つづき②
 この伐採に至る背景がある。大阪府議会は、「国民の国を愛する意識の涵養に資するよう、府の施設をはじめあらゆる官公庁及び学校において、国旗の掲揚が行われるよう強く求める。」との決議を行い(2009年12月125日)、その決議を受けて府教育委員会教育長は府立学校に宛て「常時掲揚を求める通知」を出した。さらに各市教育委員会に通知を出したことを知らせる通知を出したという経緯がある。まさに新年度はじめるに当たり市教委が各学校長に「国旗を毎日掲揚する」よう強く求めたことは想像に難くない。
 
ではなぜそれが伐採につながるのか、楠の後に掲揚ポールがあり、「日の丸」が見えないのだ。「日の丸」を見せるために、その〈いのちの森〉は切り落とされてしまった。これは政治の論理であり、暴力の論理である。教育基本法でも厳に学校に持ち込んではならないとされているものである。校長も教頭も、子ども達一人ひとりの生活実態にも目を配り、子どもの思いを大切にしながら教育活動に取り組む人たちである。その管理職をして、「日の丸」を掲げている証拠を示すために〈いのち〉の循環を切り倒すごとき愚行に走らせてしまうほどに、教育委員会の締め付けと強制が厳しいということにほかならない。ここに「日の丸・君が代」問題の本質がかいま見え、「愛国心」を唱えるものの本音が聞こえてくる。
 激しいエンジン音を上げながら、チェーンソーで大木に切りかかり、次々と枝や幹をも切り落とし、やがてその背後から「日の丸」が立ち現れてくる姿に、日本の軍国主
義がアジアの国々を侵略した歴史と重ね合わせる人たちも少なくないだろう。
 「先生、どうして楠を切ったの?」「カラスの赤ちゃんはどうしたの?」と、子どもが質問するのに、いったい学校はどう答えるのだろうか。こうして見せ付けられる「日の丸」を見て、子どもの心にどんな「愛国心」が生まれるというのだろうか。
 私は「日の丸・君が代」の果たしてきた歴史を学べば学ぶほどに、それを「国旗・国歌」とすることに反対する。しかし、保護者や地域の人たちの中に、賛成する人があってももちろんその人の思想信条の自由として尊重する。人は誰しもがそれぞれのものの見方・考え方を持っている。思想信条の自由は最も大切な権利として憲法で保障されている。ましてや学校とは、様々なものの見方・考え方、価値観が出会い、交流しながら教育が営まれるところである。学校にはいかなる強制もなじまない。
 「先生、ワシは祝日には必ず国旗を揚げて、『君が代』を歌いますねん。そやけど、学校にそれを強制するのはおかしいんちゃうかと思いますわ。」、こんな声と私は連帯したいと考えている。
  いつも思うことなのだけれど、どうして日本という国では「国を愛する」という問題が、暴力と恐怖、政治を背景にして語られるのだろうか。「愛する」とは、暴力や政治の最も対極にある「やさしさ」の実践であるはずなのに。

4月9日
 重度の障害生徒も高校入学


 
2011年度の高校入学試験が終った。今年も府内各地で、障害のある生徒の高校入試の挑戦があった。
 大阪では、「重度」の障害・知的障害があっても支援学校ではなく、友だちといっしょに公立高校へ入学する取り組みが続いている。大阪府が制度化した「知的障害生徒の自立支援コース」「共生推進教室」だけではなく、「普通の高校」に入学する生徒も現れ、その取り組みは増々広がりを見せている。
 今年の入試の特徴は、後期選抜で41校が定員割れを起こしたことだ。理由ははっきりしている、橋下知事の肝いりで決まった、私立高校授業料の無償化によるものである。もちろん家庭環境によって受験をあきらめざるを得ない子どもが出ないように、高校入学を希望する誰もが受験できる機会を保障するために必要なことなのだけれど、導入の仕方が余りに荒っぽくて、中学校現場の進路担当者にも受験生の流れが全く見えない事態が生まれてしまったというのが実態である。
 そもそも橋下知事のねらいは、府内の公立・私立を問わずすべての高校を混ぜこぜにして、改めて1番から「ベベタ」までの高校の順位をつけることだと私は考えている。(いったい最下位の学校とはどこなのだろうか。支援学校?支援学校はその枠内にも入れてもらえないのか??)その順位をめぐって公立も私学も競い合うことが、学校の質を上げることになると橋下知事は考えている。そう考える知事にとってみれば、「定員割れ」は想定内のことであって、それだけ府民から魅力のない学校とのレッテルを貼られたということにしかならないのだ。潰されたくなかったら、付加価値をつけて特色ある学校になるよう切磋琢磨しなさい、その努力と結果が見えれば「がんばる学校に特別加算を行う」と言うわけである。
 能力主義、競争主義、評価主義、成果主義が
教育の内容だけではなく学校運営そのものの根幹に適用されているのだ。
 ところがその一方で、「能力主義・競争主義」の対極にある「共に学び、共に生きる教育」を目指す重度障害・知的障害のある生徒が、定員割れのあった高校に(私の知る範囲では)4名が入学した。入学式を終えて、これから高校生活が始まる。通学に始まって、授業・学習はどうするのか、クラブは、友だちとの付き合いは、単位の取得は・・・、受け入れた高校側にとって身近に生起する一つひとつのことが初めてのことであり、試行錯誤の連続になるかもしれない。しかしその試行錯誤の深さと大きさが高校教育の新たな視界と内容を創造することにつながるのだと期待している。
 むしろ周りの生徒たちの方が、障害のある友人達と付き合ってきた経験を教えてくれるのではないだろうか。専門性に頼るよりも、実際に付き合うこと、周りの生徒達に聞いてみること、そこに後期中等教育の新たな可能性を広げるとばくちがあるのだと私は思っている。

2011年3月20日 東日本大震災発生

 3月11日、パソコン室で4年生の5時限目の授業をしていたとき揺れが来た。子ども達も何か不思議な感覚に互いの顔を見合っているとき、大きな横揺れがあった。すぐにテーブルの下に隠れるよう指示をして、校内放送を待った。避難訓練ではない実際の地震に、泣き出す人も出た。そして運動場に避難。
 16年前の阪神淡路大震災が頭を過ぎり、私のからだに刻み込まれているかのような「あのときの揺れ」が蘇り、今回の揺れとシンクロナイズして、激しく増幅する感覚に襲われた。
 ところが避難場所で指示を出す教頭の第1報の説明では、東北地方に震源を持つ地震だったと言う。大阪の私たちがこれだけの揺れと恐怖を感じたのだから、被災地では途方もない災害が発生したのだと直感した。
 帰宅途中の駅前で受け取った号外から始まって、それ以降テレビ、新聞、ラジオ、インターネットから地震、引き続く津波、火災等々、被災地の惨状が、途切れることなく毎日流されることになった。そして福島原子力発電所の大事故が追い討ちをかけるように報道された。
 
毎日毎時間テレビの画面に映し出される圧倒的な被害状況の映像と向かい合う内に、今の自分の存在感、現実感が希薄になっていく、いわば眩暈のような違和感を感じてしまった。1週間以上経つ今も感じるこの感覚はなんだろうか。
 いったいこれから日本という国の中で、私たちの住む社会の中で、何が変わり、何が起こっていくのだろうか、私は何をしていかねばならないのだろうか、とにかく目をそむけずに、向かい合って行くしかない。何よりもまず考え続けたいと思っている。

11月7日
 郷原信郎さんの指摘をさらに引用する(『検察が危ない』から)

 ・・・特捜部に多数の検事が常時配置され、原則として休日もなく、ほとんどの時間を検察庁内で拘束されて過ごすという勤務形態や、固定化されたストーリー通りの供述調書に署名をさせるための取り調べを上司の命令通りに行うという仕事のやり方は、軍事行動中の軍隊と極めてよく似ている。
 そして、そのような特捜検察と価値観をほとんど共にする司法クラブ中心のメディアが、「従軍記者」としてその戦況を伝えるために、付き従っているというのも、軍隊と同様である。
 このような軍隊的な組織体制、勤務形態の下で、わかりやすく単純化された「贈収賄ストーリ」が捜査の主題として掲げられる。そしてそれを捜査の対象とすることについて上級庁も含めた検察の組織としての意思決定が行われることで、社会、経済、そして政治に重大な影響を与える犯罪の摘発という「社会的機能」を検察システムに適合させてきた。・・・

10月11日 『検察が危ない』 郷原信郎 著 から

 「検察」の問題について積極的に発言、提言を続ける郷原信郎さんの著書『検察が危ない』(KKベストセラーズ)から引用する。まさに炯眼の文章である。
 ・・・レベルの低い検察としての活動や判断が、マスコミの「翼賛報道」によって社会に容認されることで、レベルの低下がさらに進むという悪循環が続いている。まさに、検察の「暴走」と「劣化」の繰り返しである。
 検察の捜査・処分が法的に、あるいは証拠的にいかに問題があるものであっても、検察の組織としての判断で捜査や処分が行われれば、それが契機となって、その対象とされた者に対する政治的・社会的非難が燎原の火のごとく燃え広がる。検察は、そういう意味での「放火犯」のような役割を果たしている。
 しかも異常なことに、このような検察に対する批判はほとんど行われない。それを民主党など与党側議員が行った場合には、「検察の権限行使に対する政治介入」などと、メディアから厳しい非難を受ける。・・・
 このような検察の権限行使をめぐる状況は、戦前の日本における「統帥権干犯」という言葉を彷彿とさせる。
 旧憲法下では軍の統帥権は天皇に属していた。この統帥権はどんどん拡大解釈され、政府が軍の行動に口出しすれば「統帥権干犯」と非難された。これが国内では軍に反対する国民への弾圧につながり、国外では軍が中国への武力行使、侵略を行うことにつながった。
 検事長以上の認証官10人を擁する検察は、国内の行政組織の中で特異な存在であり、まさに戦前の「天皇の官吏」の色彩を今なお残している組織である。
 その検察の権限は、この「統帥権」と同様、何者の介入をも許さない神聖不可侵なもののように扱われている。
※「認証官」とは、任免が天皇により認証される官職のこと。(松森)

8月30日 若松幸二監督『キャタピラー』を観た

 日本人の監督が撮る「戦争」をテーマにした映画を見たとき、いつもその時代の情念や、情動、雰囲気といったもの、或いは思い、願い希望といったものが前面に現れてきて、戦争の構造が表現されていない物足りなさを感じてきた。例えば、中国や韓国などアジアの映画では、戦争を扱ったものでなくても、日常の一こまを映すワンシーンの中に、戦争や歴史が映し出される場合がある。
 私達日本人の暮らしの中に、日常的に歴史を意識することや、歴史を背負って生きるといった流儀がないことがその原因なのだろうと思う。国家・政府が、戦争責任を認めて、率直に謝罪することを頑なに拒否し続け、戦争の原因究明を怠り、避けてきたように、戦後65年間をかけて歴史に対して無関心でいる国民でいるようにさせられてきたのでもあると思う。
 戦争、国家、社会、歴史の構造を見事に表現した映画として、私には何本か忘れられないものがある。ギリシャの独裁政権を扱った、テオ・アンゲロプロス監督の『旅芸人の記録』(日本上映1979)、プラハの春を題材にした、フィリップ・カウフマン監督の『存在の耐えられない軽さ』(1987)、中国のチャン・イーモーが初監督した『紅いコーリャン』(1989)、東ドイツのシュタージ(国家保安省)の局員を描いた『善き人のためのソナタ』(2007)、そしてポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の一連の作品などが思い浮かぶ。
 終戦記念日の前日、若松幸二監督『キャタピラー』を観た。「キャタピラー」という語から、前に存在する障害物、強固な壁や建物も、銃を構える敵兵も、民家も、田や畑も、人も全てをなぎ倒し、粉々に踏み潰し突進していく、侵略の象徴のごとき戦車を思い浮かべた。
 一方で「キャタピラー」には「いも虫」の意味があるらしい。最強の軍事兵器で踏み潰された大地に生きていた「いも虫にも五分の魂」があり、「いも虫の生活」があり、「いも虫の家族」がある。世界を相手に国家が戦争するとき、国民は総動員され、村も、家族も、きょうだい、夫婦も一切合財全てが戦争に駆り出され、協力させられる。いも虫が戦車に轢き殺されたことなど誰の意識に上るものか、ましてやいも虫の家族の暮らしなど。
 逆に轢き殺されたいも虫の側から戦争を見返してみたらいったいどんなものに映るのだろうか。『キャタピラー』の題名から、かってに想像を広げてみたりもした。
 鶴彬(つるあきら)の川柳を連想した。「万歳とあげた手を大陸にのこしてきた」「手と足をもいだ丸太にしてかえし」。鶴彬は戦時中に川柳を発表し、そして1938年(昭和13年)に29歳で獄死している。
 映画『キャタピラー』も、この川柳も、両手両足をもぎ取られた兵士の身体という具体的なイメージを通して、日本人の表現としては稀有な、戦争というものの構造を直截に表現している。
 反戦、すなわち戦争に反対する意志や行動は、やっぱりその構造を知ることや、全身で感じることが必要なのではないだろうか。私達日本人が最も苦手とするところでもある。


8月10日
 参議院選挙とマスコミ報道~知識人の役割とは~

 今回の参議院選挙とマスコミの関係を象徴するかのような場面があった。各社が速さを競って選挙の当落を報じる開票速報がおおむね終わった12時過ぎ、菅民主党代表から結果を受けての記者会見が行われる予定であった。
 報道ステーションの古立キャスターが例の全身を震わせるようにして相手を挑発するかのような声を荒げて(どうしてこの人はいつも怒った風を装う会話術を使うのだろうか)、「菅総理は民主党が惨敗した結果を受けて、国民に一刻も早く話さなければならない」と繰り返していた。12時過ぎに会見と予定されているのに。やがて苛立ちまで浮かべながら、「早く会見を行わないのは国民に対する無責任」とまで言い出した。
 そこには、天下のテレビ朝日・報道ステーションが終ろうとするのに、その枠内で記者会見を行わない民主党に対する憤懣をぶつけるかのごとき感があった。テレビ朝日の都合を「国民の意思と」言いくるめて恥じない、マスコミの傲慢さと、売れっ子キャスターの悪意を私は感じたものであった。
 こうした状況を変えられるのは、私も含めた大衆が、マスコミを批判できるリテラシーを持つことにちがいない。しかし、大衆は毎日毎時間流されてくる一方的な大量の情報の渦に飲み込まれてしまっている。情報を選び出し、比較して、整理しながら、自分の考えをつくる余裕など、それこそ当のマスコミによって奪われてしまっている。
 ではどうすればよいのか。だから間に立つ「知識人」が大切なのだと思う。マスコミの実態を分析し、事実、真理、ものの見方・考え方を提示するのが、知識人の仕事ではないのかと私は思う。
 しかし、その「知識人」もまたマスコミに飲み込まれている。いわばテレビに登場する人が「知識人」と呼ばれ、登場する頻度が、社会的ステイタスも、勤務する大学のランクも、収入も決定してしまう仕組みができてしまっている。
 現代のわが国の現状を「マスコミ専制国家」と呼ぶのは、それでも時期尚早であるのだろうか。

8月4日 参議院選挙とマスコミ報道

 「はじめからおわりまですじみちのとおった思想を、私は好きではない。くらしにうらうちされた思想ならどこかにほころびがあってあたりまえで、そのほころびがどこにあるかを自覚しようとしているなら、そこのところが好きだ。」(鶴見俊輔『ちいさな理想』2010年)
 私は鶴見俊輔さんの文章が好きだ。いつでも読めるように、ポケットやかばんに入れておきたいと思っている。どうしてこんな名文が書けるのだろうか。思想が言葉化されている、言葉が思想化されている、暮らしと思想と言葉が一体化しているとでも表現すればいいだろうか。
 その対極にあったのが今回の参議院選挙の顛末である。菅総理が記者会見で、「財政の再建、健全化をめざし、そのために消費税も含めた税制論議を野党の皆さんと起こして行きたい」と発言し、おそらく「消費税率はいくらを考えているのか」という記者の質問に答えたのだろう、「自民党が出している10%も参考にして考えたい」と発言を補足した。
 この最後の部分の「消費税10%」だけを切り取り、取り上げて、新聞、テレビ、ラジオ、インターネットを通じて報道各社が一斉に流した。菅総理の発言の内容はまったくちがっている。同席した記者達の誰もがそのことはわかっているに違いない。首相就任後の会見について、「消費税も含めた税制改革を打ち出す首相の積極さを評価」する社説をほとんどの新聞では掲げていたと記憶している。
 しかし「消費税10%」の文字や音だけが全国を駆け回り、全ての政党がその抽象的なコトバを振り回すだけの選挙戦になってしまった。米軍基地をどうするのか、安保は、経済再建の筋道は、脱官僚主導の方途は、教育・福祉の充実はどうなる、派遣労働者の問題、若い人たちの雇用問題・・・などら、私たちはどんな社会を求め、どんな国の仕組みをつくろうとするのかという問題が、一切論議されずに終ってしまった。
 政党も、私たち国民も、日本の国のみんながマスコミに翻弄され、踊らされてしまった。そして「そういう筋書きを描いた者」の望んだとおりの結果に終った。
 「消費税10%」、これは暮らしも思想も持たない、「形と音」だけの抽象的なコトバの象徴である。そのコトバに日本中が翻弄され、そして私たちの命や暮らし、国の将来を託する国会議員が選ばれることになってしまった。
 今のマスコミは、時間と足を使って徹底的に事実を追及するような取材ができなくなってしまったのだろうか。言葉尻を捉え、揚げ足を掬うような取材しかできないのだろうか。それが、テレビ、新聞、インターネットなどを通して一挙に、圧倒的な量で流されてしまう、そんな現代に私たちは住んでいることを改めて振り返る必要がある。
(つづく)

2月14日 厚生労働省 村木元局長裁判でも
 

 前回「小沢一郎不起訴の報道に接して」、「 地検特捜部と巨大マスコミが二人三脚で、脚本・構成・演出を担当した劇場型ドラマにされつつあるのではないかとさえ、この間の両者の動きは思われてくるのだ。」と書いたが、その4日後の朝日新聞社会面に、決して大きな扱いではないが、同じ地検特捜部と巨大マスコミが二人三脚で創り出した劇場型ドラマを疑わせる記事が載っていた。
 厚生労働省から障害者団体に偽の証明書が発行され、郵便割引制度が悪用された事件で、元局長村木被告に対する裁判で、元上司が捜査段階の証言を翻したというのだ。元上司は、マスコミの報道で「思い込みが生まれたような気がする」し、(この事件について)「一定の大きなストーリーの中で私の立場が位置づけられたように思う。壮大な虚構ではないかと思い始めている」と語っている。
 この裁判の中でも、その背景にある国家権力の行使と、巨大マスコミの報道という問題が浮かび上がってくる。目が離せない。

2月7日 
小沢一郎不起訴の報道に接して

 正義を振りかざした捜査と報道の生み出すもの
 2月4日、東京地検特捜部は「小沢一郎不起訴」を発表した。その前日には、新聞、テレビの各社がこぞって「検察は小沢不起訴を決めた模様」と報道した。テレビのフリップや新聞の見出しは「不起訴」の文字が踊った。なぜ検察が発表する前に「不起訴」の決定がわかり、未確定のはずのことを全国津々浦々まで一斉に配信することになってしまうのだろうか。おまけにテレビでは、(検察発表がないのに)元検事や政治評論家、知識人と言われる者たちが、異口同音に「不起訴というのは、グレーであって、限りなくクロに近い」のだというコメントを流し続けた。4日発表当日、翌日と、マスメディアの報道は追い討ちをかけるように激しさを増した。
 そして本日の朝刊では、「内閣不支持 逆転45%」「小沢幹事長『辞任を』68%」(朝日)と見出しを掲げた、自社の世論調査結果を載せ、そらみたことか、国民もみんな怒っていると言わんばかりの論調を展開している。
 「小沢悪人説」を創りだし、特捜部の捜査を骨組みにして話を展開し、「不起訴」の法的な判断もお構いなしに、いや「クロに違いない」との空想をかき立てて話題をおもしろくする味付けのように使いながら、自分達の実施した世論調査でリアルさをさらに作り出しているかのように見えてくる。
 地検特捜部と巨大マスコミが二人三脚で、脚本・構成・演出を担当した劇場型ドラマにされつつあるのではないかとさえ、この間の両者の動きは思われてくるのだ。
 例えば自分に置き換えてみると
 もし検察とマスコミの矛先が自分に向けられていたらいったいどうなるだろうか。
「松森が、任意であっても、事情聴取を受けた」というだけでおそらく職を辞めさせられることになるのではないか、職場に顔を出せなくて自ら辞職することになるだろう。新聞の地方版の片隅にそのことが載せられたら、もう地域での日常生活は破壊されてしまうにちがいない。妻や子ども達との関係はどうなるのだろうか。そして苦しみ抜いた末に、ようやく「不起訴」になったとき、「松森は不起訴ではあるが、無実ではなく、グレーだ、クロの可能性が大きい」とマスコミに出されたらどうだろうか。或いは自分の精神、命すらも危機に瀕してしまうのではないかと思ってしまう。
 「なにいってんの?小沢だからやるんだよ。あんたのような者を取り上げたって何のニュースにもならないからやらないよ」と言うのであれば、視聴率を稼ぐ、世間の興味を喚起する、世論をひきつけるための報道ということになる。或いは世論操作と言う意図を持った報道であるか。松森という一市民・国民の生活や命がどうなろうと、地検特捜部やマスコミにとっては痛くも痒くもない問題でしかない。捜査対象者、取材対象者の人権は全く省みられない。
 これでは、地検特捜部が国家権力を行使し、マスコミが情報を操作することによって、何でも思い通りにできてしまう。政治家を失脚させることも、政権を変えることも、政治を都合よく動かすことも自由自在となってしまう。
 ジャーナリズムの衰退
 日本の新聞、テレビが如何に取材する力を喪失してしまったかが見えてくる。どのテレビ局も、どの新聞社も同じニュースを流し続けた実態は、取材源が同じだということだ。正確に言えば、「取材」源ではなく、権力の側から都合のいい情報をリークされて、それをそのまま鵜呑みにして公に流しているということである。事実を探求する、追及することも、較べることも、批判精神を持つこともなくなっている、ジャーナリズムの力の衰退と言わねばならない。
 視聴率や新聞の売れ行きばかりを偏重する経営方針など、原因は様々に挙げられるだろうが、記者クラブ制、番記者制の問題は久しく言われ続けている。大メディアだけが会員になれる記者クラブに入っていれば、情報が与えられる、下りてくる、他社に先を越される心配はない。おまけにメディア同士で批判をしあわない暗黙の了解を作っておけば、経営的に困ることはない。
 教育際(その年に亡くなった児童・生徒や教職員の慰霊祭)の現地スタッフをしていたときに、1社だけテレビカメラが入っていた。ところが会が始まってもカメラを回そうとしない、遺族が過労死を引き起こした教育現場の実態を語るときにも何の取材も行われない。ところが、来賓で挨拶した橋下大阪府知事が退席のために動き始めたとき、いったいどこに身を潜めていたのか、一斉に20人ほどの記者が動き出し、マイクを近づけたり、盛んに「どうでした?」などと質問を投げかけ、メモを取りながら小山の様になった一団がぞろぞろと移動をするのだ。先ほどのカメラマンが割り入るようにカメラを突き出し、撮影をする。会場内では、まだ遺族の話が続いているというのにだ。これが番記者のぶら下がり取材というのかと、あきれ返ってしまった経験があった。
 国民の常識からかけ離れていると言うのだが
 この問題を通して特にテレビでよく聞く言葉がある。ニュースキャスターが、「4億円という国民の常識からかけ離れた巨額のお金ですから、きちんと説明してもらわないと・・・」と言うのだ。しかし、ニュースキャスターの給料はいったいどれくらいあるのだろうか、おそらく年収1億円はくだらないのではないだろうか。それは国民の常識から離れていないのだろうか。「テレビに出演した人」というだけで、1時間の講演料が「数十万円」になってしまうという、あたりまえになってしまっている「常識」もある。行き過ぎた資本主義と、テレビの媒体がつ作り出してしまっている誤った「常識」が横行しているのだ。
 地検特捜部の国家権力の行使は正しいのか、マスメディアの流す情報は正しいのか、「正義」と大書された鎧を身に纏った巨大な組織に対して、私たちは今冷静に向き合い考える目を持たねばらないのだと思っている。

2010年1月3日
 一年の計 「整理する

 
 「一年の計は元旦にあり」と言う。柄にもなく「一年の計らしきもの」を立ててみた。「▼整理すること ▼続けること」の二つである。事務的能力がないこと、整理整頓の習慣が皆無であることにはこれまでからも定評がある。職員室の机は大たいが端に置かれ、さらにその横に児童机を並べて資料の山を作るのが常である。我が家の部屋にいたっては、本や資料があちらこちらに山を作り、高くなったり低くなったり横に広がったりと形状を変えながらいつまでも積み上げられていることに変わりはない。長期休みなどに、意を決して片づけを始めるのだが山の中から顔を出す綴り方を見付けては読み始め、読み続けるうちに時間が過ぎて、山を残して終わるということの繰り返しとなってしまう。
 しかしこの2・3年「整理」という言葉が妙に頭に浮かぶようになって来た。正に年齢から来るものに違いない。僕の人生は多く見積もっても高々20年にも及ぶまい。仕事ができるのは10年に満たないかもしれない。その人生の中で、果たして本当に僕に必要なものはいったいどれだけあるのだろうか。
 あるいは全く必要としないものに取り巻かれて、毎日を過ごしているのかもしれない。例えば目の前にあるここ数年に集まった、あまたある資料の中で、自分が読み返すものがどれだけあるかと考えてみれば、高さ10センチにも満たないペーパーのファイルと、自分の書いたもの、作った資料ぐらいしか思い当たらない。
 同様に衣食住に関して自分が使っているもの、必要としているものを上げていけばホンの一握りのものしか残らないのではないかと思えてくる。
 自分が使うもの、読むもの、周りに置くものをどのように整理するのか、自分の過ごす空間をどのようにデザインするのかということは、実は自分が残りの人生をいかに生きるのか、何をするのか、を選択することでもあるのではないかと考えている。
 さしずめ1年間使わなかったものを捨てることにしようかと思っている。優柔不断な僕に「捨てる」勇気が奮い起こせるだろうか、はてさて大変な一年の計を立てたのかもしれないと、弱虫の顔ものぞき出している始末ではある。

8月27日 
連載開始 11月25日終了(計8回連載)
被爆64周年原水爆禁止世界大会・ナガサキ
    ~微力だが、無力ではない~


 
1989年に日教組を再建して以来、北河内平和人権センター主催で毎年平和行進に取り組んでいる。7月の中旬、暑い夏の日差しを浴びながら寝屋川市役所から門真市役所を経て守口市役所まで、3時間半の行進となる。各市に在住されている被爆者の方の話を伺ったり、マイクを握って「子どもたちに核のない未来を」等と訴えながらデモ行進をするのだが、戦争と平和や核問題、国家というもの、未来についてなど、ともすれば日常のあわただしさの中で見失ってしまいかねない課題を考えることができる、僕にとっては貴重な機会となっている。
 おそらく全国各地で取り組まれているこの平和行進が、どのようにバトンタッチされ
、被爆地広島と長崎につながり到着していくのか、ぜひ自分の目で確かめたくなっていた。また世界の人たちがヒロシマ・ナガサキをどのように見ているのか、できるだけ身近で感じてみたいとも思った。07年に広島、08年に長崎、そして今年も長崎の原水爆禁止世界大会に参加した。
 
今年は行きの飛行機が中々取れず始発の便となり、たまたま大会開始までの時間がとれたので初めての観光めぐりをすることができた。山と海に囲まれた長崎の町並みと、どこまでも青く晴れ渡った空と、様々な相貌を見せる真っ白な雲とが織り成す景観に何度も足を止め、その美しさにため息をついた。
グラバー園から

大浦天主堂
9月17日更新② 
つづき
 
8月7日、“核兵器廃絶2009平和ナガサキ大会”が長崎県立総合体育館・メインアリーナに、3900人が集まり開催された。今年の大会で印象的だったのは、それはヒロシマ大会でも共通することであったが、国内外から参加して挨拶に立った人たちの誰もが、アメリカ・オバマ大統領
が4月にチェコで行った「プラハ演説」に触れ、特に「核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的な責任がある」との強い決意を取り上げながら、これからの核廃絶と平和に向けた展望を語ったところであった。
 各国組織の代表、来賓の挨拶の後、高校生たちが壇上に並び、「高校生平和大使」と紹介された。「1998年5月、インド・パキスタンの核実験が行われました。『ながさき平和大集会』に参加する平和団体50団体は、この危機に被爆地ナガサキの願いを世界に伝えるために、『高校生平和大使』を国連に派遣することになりました。1998年から毎年、『高校生平和大使』はアメリカ・ニューヨーク国連本部やスイス・ジュネーブ欧州本部を訪問し、核兵器廃絶と平和な世界の実現を訴えてきました。」(核兵器廃絶と平和な世界の実現をめざす「高校生1万人署名活動」実行委員会パンフレットより)
 「高校生1万人署名活動」や、「高校生1万本えんぴつ運動」「高校生アジア子ども基金」などの日々の活動や、被爆者にインタヴューしながらその被爆体験をDVDに記録する取り組み、アジアの高校生達との交流、国連ジュネーブ欧州本部での発表等々、高校生がこの1年間を振り返って話す活動報告に、満場の参加者が聞き入り、拍手が巻き起こった。3900人に向かって壇上のマイクの前に立つ高校生の自信に満ちた姿と、その語りの力強さに、若い人たちを鍛え、大きく成長させた1年間の確かな活動があったことを、聞く者の誰もが想像したに違いない。
 最後に「被爆の経験は共有できなくても、核兵器廃絶を目指す意識は共有できると信じて活動していきます。『私たちは微力だけど無力じゃない!』を合言葉に私たちにできることに取り組んでいきます。」と締めくくった。決して多数ではないけれど、県外の高校生にも年々活動の輪が広がっているとの報告を聞いて、希望を託さずにはおれない。
 平和運動がいつも直面し、戦後64年を経過した今日特に危惧される
「戦争体験、被爆体験の伝承と風化」という問題に、各地で真剣に努力を続けている人たちがあることに勇気づけられる思いがした。
 高校生平和大使 
 構成詩 親子で綴る平和の願い
毎年、市民参加で平和を訴えるパフォーマンスが演じられるナガサキ大会 

9月27日更新③ 
原爆被爆者特別養護ホーム訪問
 
8月8日、長崎市内から車で1時間、大村湾の近くにある原爆被爆者特別養護ホーム『かめだけ』を訪問した。
 パンフレットの沿革によると、「昭和55年7月・・・長崎原爆被爆者の会(旧長崎県被爆者手帳友の会西彼杵郡支部連絡協議会)を設置母体として、敷地は地元西彼町より造成の上無償で貸与を受け、施設は日本小型自動車振興会、国、長崎県、長崎原子爆弾被害者対策協議会等の補助団体、その他多くの人たちの浄財により建設された。事業の運営は国、長崎県、長崎市の補助で財団法人被爆者福祉協会が運営している。」と書かれている。
また、ホーム理事長の挨拶文には次のようにある、「・・・辛うじて生き残った私たち被爆者も様々な形での後遺症に苦しみ、更に高齢化が進んでおります。かかる現況の中で、当法人は被爆者が自らの手で被爆者のお世話をするという理念の下に、国、長崎県、長崎市の補助のもと介護を必要とする被爆者の援護支援を昭和55年より行ってまいりました。・・・これからも高齢化する被爆者の拠点施設としてがんばってゆきたいと決意を新たにしております・・・」
 
緑に囲まれた広い敷地
に建てられた平屋建てのホームは、ゆったりとした空間にパステル調のカラーで内装され、清潔で落ち着いた雰囲気をかもし出している。大きな中庭を囲む4面のガラス壁から夏の陽光に映える芝生の緑が見え、明るい光が施設内の隅々までに開放感を与えている。僕が勝手に抱いていた特別養護老人ホームのイメージの違いに驚いてしまった。
 入所者は被爆当時20~30歳代の方たちで、現在80~90歳を越えた高齢となっておられる。それぞれが車椅子や、ストレッチャーに乗り、職員に付き添われながらホールに集まって、私たちの到着を迎えてくださった。
 全国から参加した50人ほどの慰問団の自己紹介と、毎年恒例となっていると聞いた石川県の参加者からの日本舞踊の披露など交流が持たれた。その後、入所者の90歳になる代表の方から被爆体験を伺った。
 以前は(1980~90年代くらいか)、中国や(旧)ソ連の代表団が必ず『かめだけ』に立ち寄り、園の職員が料理を作って交流し、入所者も一人ひとりが被爆体験を語りあったという話を、帰りの車中で事務局の方から伺った。養護ホームとして、反核・平和の活動に取り組まれてきた、それは歴史と言えるだろう。現在は高齢化が進みできなくなってしまったのだが。

 中庭に面した廊下。個室が並んでいる。
ユニットケアを柱とした「居住福祉型施設」を目指している  理事長挨拶

交流会
  被爆体験を語る入所者

10月11日更新④ 
ピースクルーズ 端島(軍艦島)・高島へ
 
NGO、NPO,市民団体が関連行事に取り組むのも、長崎大会の特徴ではないだろうか。8月8日の午後は、実行委員会が主催する「端島・高島ピースクルーズ」に参加した。船内放送で説明する初老の女性の声は、事実のひとつひとつを確かに伝えようとする力強さに満ちていた。その人の平和運動に携わってきたこれまでの歴史をも感じさせるものであった。
 日本最古の近代的造船所であり、多くの軍艦を造り続けた三菱造船所のドッグ群を右手に見ながら長崎湾口を出る。その日も自衛隊のエイジス艦が修理、整備のためか2隻入港していた。左手には、100万トンのタンカー建造が可能な三菱の巨大ドックがある。湾を出て30分で高島
、さらに10分ほどで、「軍艦島」とあだ名される端島(はしま)の異様な黒い塊の風景が見えてくる。
 東シナ海に浮かぶ孤島は、今は無人の島として黒々とした廃墟跡を荒波に晒している。脱獄不可能な監獄にも見え、一方で日本最初の鉄筋コンクリートのアパート群が林立した炭鉱労働者とその家族が生活を営んだ仕事場であり、町であった当事を思い起こし、想像を駆り立てる。また、戦争中には、強制連行した朝鮮人や中国人を働かせ、多くの犠牲を強いた島でもある。
 明治以後の富国強兵策、戦争、戦後のエネルギー革命と、朝鮮半島や中国から強制的に連れてこられた人々や、日本の労働者が、いつの時代にも、国策によって翻弄され、犠牲にされた悲劇の歴史を無言のままで物語っている。
現在「三菱炭鉱の後継企業『三菱マテリアル』から島は高島町に寄贈され、町村合併の結果今は長崎市の所有」となっている。戦争責任と今後の日本の将来を考えるためにも貴重な遺産として、保存してほしいと願わずにおれない。
大正5年から建てられた日本最初の鉄筋コンクリートのアパート群

(戦後の時代)働く人々は全て三菱鉱業の正社員であり、炭労の組合員であった。彼らは「軍艦島」という戦争の匂いのする名称を今も嫌っている。ここで働く人々にとってはあくまで私たちの暮らしの島「端島」なのだ。(パンフレットより)

端島の様子をパンフレットから引用】
・・・明治期すでに住民は2,800人に達しており、昭和20年には5,300人となり、閉山したときも2,200人が居住していた。大正5年アメリカの摩天楼を見た社員が高層アパートの建設を進言し、日本最初の7階建て鉄筋コンクリートのアパートが建てられた。7年には9階建て、66戸が居住するアパートも建てられたが、エレベーターはなく、代わりに建物から建物へとつなぐ空中廊下が作られた。6畳と4畳半ふた間と台所のみのアパートは日給制だった鉱内員の住まいであり、低い階では1年中日が射さない暗い住まいであった。
事務職の社員は島の小高い所にあった低層のアパートに住み、トイレ、風呂付の快適な住まいだった。小中学校、病院、マーケット、大浴場、映画館もあった。坑内の安全を祈願する山神神社、寺もあり、火葬場は隣の岩礁にあって生活の全てが島内でできた。アパートの屋上には土を運び上げて菜園や花壇が作られ、夏の日差しによる温度上昇を抑えたし、学校の屋上には水田も作られた。・・・
10月24日更新⑤ 
高校生たちの集会
 
8月8日の夜は「被爆体験を語り継ぐ会」に参加した。なんといっても高校生たちが司会、進行、発表をして、大人たちは裏方に回っているのがこの会の魅力。発言したかったら挙手をして高校生の指名を受けなければならないという具合だ。会場の前半分は、びっしりと高校生たちで埋められている、80人ほどであろうか。
 高校生たちが作成した「被爆者証言ビデオ」が上映され、上映後製作者や会場からの意見が交流された。▼韓国人被爆者から「許す。これからは若い者同士で平和を作っていってほしい」との発言があったが、私は憎しみを持ちながらではなく、「許す」という言葉があるように、希望をもって平和を訴えて行きたい。▼捻じ曲げられた歴史ではなく、事実を知る責任があると思う。▼日本人も加害の面があって、それを知ることが大切だと思いました。▼5年後には自分たちが、大人として何を行動するかが問われることになることを実感した。・・・
 「高校生1万本えんぴつ運動」「アジア子ども基金」「高校生1万人署名運動」などを通して交流している、韓国、フィリピンの高校生や教職員からの挨拶もあった。
 製作したDVDの説明をする。

 交流する外国人の高校生も参加
会場の高校生も発言

11月7日更新⑥ 
被爆者の思想
 
長い1日だった。ホテルのベッドに身を投げ出すように横たえながら、出会った人たちの顔や、声や、言葉の数々を思い出していた。日付は長崎に原爆が投下された8月9日に変わっていた。テレビをつけると、NHKの深夜の特別番組が流れ、作家の井上ひさしが語っていた。
 「・・・
被爆者の皆さんの遺稿や手紙、手記がたくさん残されている。しかしそのどの文章にも、原爆投下の責任や罪を追及し、糾弾する言葉が見当たらない。世界史の中で、こんなことはない。『目には目を、歯には歯を』、ではなく、『許す』ということだ。
 これは新たな思想になっている。現在私たち世界中の人間にとって必要な思想となる。憎しみの連鎖ではなく、『許しあって』解決していく態度のことである。・・・」

 
同じ意味の言葉を
数時間前に高校生の口から聞いたことを思い出す。1万人署名に取り組む高校生が、韓国人被爆者の施設を訪問して体験の聞き取りをしていたとき、「私は許す。これからは若い人たちがゼロから平和に向けて取り組んでほしい。」と言われた言葉を聞いて、「私も憎しみを持ちながらではなく、希望を持って平和を訴えていきたい。」と発言した。
 
一方で、原爆被爆者特別養護ホーム“かめだけ”を慰問した帰途、車内の交流会で事務局の人が言われた。「被爆者の発言には共通したものがある。それは責任を追及する言葉が見当たらないことだ。皆さんが自分の体験を語っておられる。もっと、責任、罪を糾弾してもよいのではないかと思う。」と。
 罪を「許す」という思想と、「追及する」という思想、正に被爆者の思想を語る三者の言葉である。今の僕には分からない。今回の原水禁大会でも浮かび上がってきた「人から人へ、世代から世代へ被爆の実態と戦争の現実を語り継ぐ」という大きな課題から考えるならば、「追及する」という課題を引き継ぐのではなく、「憎しみではなく希望を持って平和を訴えていきたい」と語る高校生の
言葉に納得するのではあるけれども。

11月25日更新⑦ 
64回目のナガサキ原爆投下の日
 
原水禁大会まとめ集会の後、爆心地公園までデモ行進。原爆投下の午前11時2分を期して黙とうをささげた。
 爆心地公園    公園のあちらこちらで手作りの集会が催される

 オバマ大統領にナガサキ来訪を要請する署名

 浦上天主堂  

               おわり

6月20日
クリント・イーストウッド『グラントリノ』を観て
 

 相変わらず50代夫婦割引鑑賞券を使って映画を見ている。映画の楽しみ方は実に様々にあるなと実感しながら見続けているのだが、最近アメリカという国の変遷とハリウッド映画とを重ねながら見ているのもその一つと言える。
 クリント・イーストウッド『グラントリノ』を観た。2008年製作とパンフレットに書かれてあったので、オバマ政権前ではあるが、ブッシュ大統領の権威が失墜し、オバマ旋風が全土に吹き、国民が新しい希望を求めていた時期ではある。最近のアメリカ映画、「やっぱり」変わってきたかなという印象を持っている。
 「いい映画」だと思ったが、二つの場面に違和感が残ってしまった。一つは、友情が芽生えだした隣人であるラオスからやってきたモン族の少年タオへの
、同じ移民の不良少年グループの脅しや暴行が頻度を増し、悪質化してきたとき、一人で乗り込んでいって、銃を突きつけ不正義を糾す場面である。単純に言えば、「朝鮮戦争従軍経験を持つ元アメリカ軍人のいい大人が、子どものケンカにしゃしゃり出てきて、マジでうちの子に手を出すなよ!」と脅してみせる場面でもある。キッチュ(漫画、或いは駄作)すれすれの筋書きであるし、実社会において成功するべくもない。その通りに、憎悪が憎悪を呼ぶかのように、さらに事態は悪化し、タオの姉にまで甚大な被害が及ぶことになってしまう。
 もうひとつは、ラストの結末だ。末期がんを患っていて(と読み取れるが)、おそらく耐えがたい激痛があるにもかかわらず大量のビールを飲み、タバコをすい、日常生活を変えようとしないタフガイが見つけた「死に方」ではあったのだろうけれど、全く僕の、少なくとも日常的なものの見方・考え方とはちがっている。
 ひょっとして前者はアメリカが起こしたアフガニスタン空爆や、イラク戦争が、大人げのない、キッチュとも言える、不正義の戦争であったと批判しているのかもしれないとも思えた。後者は、これがクリント・イーストウッドが信じてやまない、アメリカ人の正義と訴えているのかもしれない。
 イーストウッドといえば、幼少のころ我が家にはじめてやって来たテレビを近所の人たちと見ていた、「ローハイド」の若いが繊細な拳銃使い(名前は忘れた)がはじめて知った役だった。以後、「荒野の用心棒」のイタリアン西部劇、ダーティ・ハリーでマグナム拳銃をぶっ放す破天荒な刑事役で一躍世界のスターにのし上がった。
 確か共和党員で、ニューヨークであったか市長にも当選して政治の世界にも身を置いている。そして監督もこなして、「マジソン郡の橋」などら、数々の名作を作り続けている。本作では脚本、音楽もこなして多才振りを披露している。
 なんだか「グラントリノ」とは、イーストウッドが、自身の戦争や、民族差別、キリスト教、政治的変遷等々の経験を振り返りながら、自らの個人史を総覧し、語る作品であるのかもしれないと思えてくる。何人もの思想家が、死を前にして「告白録」などを残したように、映画で残そうとしているのかもしれない。そして、何よりも愛すべきアメリカへの憧憬を最後に描きたかったのだと言えないだろうか。

3月1日

「共に学び、共に生きる教育」日本一の大阪に!ネットワークの
これからの方針として、提案してみました。

2月20日の「大阪府の回答=府教委回答」を見て、意見交流が続いているところですが、

おおよそ次のように集約できるでしょうか。
▼「回答」は、私たちの「質問」に対して答えていない。
これまでの「障がい教育」の府の説明を踏襲するものばかりで、一歩もその域から出ていない。
理念的なものでしかない。
▼橋下大阪府知事宛に出した「公開質問状」にもかかわらず、知事自身の回答が全く読み取れない。
これまでの言動からは想像できないことだが、「教育への介入はしない」と全面的に教育委員会に
任せたとしても、「質問状」提出者に対する知事からの言葉、たよりはあってしかるべきである。
つまり、知事は「質問状」に目を通すことすらしていないと思われる。

これからの私たちの方針作りですが、
全くの「たたき台」として、松森の私見を書いてみます。
①「質問状」に答えてくれていない以上、「質問」ひとつひとつに対する回答をもらうために、
府教委との話し合いの場を作る。
②学習会・集会(講演の形でも)を開催して、学習と交流をはかる。
③大阪版「障害者差別禁止条例」(仮称)策定を掲げて取り組む。

「共に」のネットワークの活動に関わりながら、ことあるごとに実感するのですが、
橋下知事が非常識なほどに「率直な」言動を繰り返すので、反発や危機感を覚え私たちの行動が生まれてきた
とも言えるのですが、能力主義、競争主義、成果主義、自己責任論は、すでに社会に蔓延し、
教育の世界にも規定路線としてじわじわと進行し続けていたのだと思います。
府教委が回答でもきれいごとを並べ立てていますが、橋下知事にならなくても、「共に学び、共に生きる教育」
が修正され、方向転換を始めていたにちがいないと思うのです。
結果として、派遣や非正規雇用、失業、若者のホームレス化、生活破壊・・・等々、「健康で文化的な最低限度の
生活」すら保障されない未曽有の貧困問題を出現させてしまっています。
橋下改革は、さらに格差を拡大し、教育を通して、格差を再生産して固定化することにつながってしまいます。
私たちが何度も書いたり、言ったりし続けてきたことですが、
「障害児・者が学びやすい学校は、誰もが学びやすく、過ごしやすい学校です。
障害児・者が暮らしやすい社会は、誰もが暮らしやすい社会です。」
そう考えると、私たちが取り組んでいることは、障害者問題を通しながら、中でも教育の問題を通しながら、
「人間性を排除する社会ではなく、“ひと”をつくりだす社会をつくる」ことなのではないかと思えてきたのです。
だから、上記「方針」の②の学習会では、「反貧困ネットワーク」(などの)人たちとも交流できればいいなと、
個人的には考えたりします。
③の「禁止条例」制定(別の課題でもいいんですが)のような取り組みがあれば、立場の違う者同士で、
意見交換したり、交流したり、ひょっとしたらいっしょに行動できたりするのかもしれません。(立場を超えて
ではなく、立場、ものの見方・考え方のちがいを認め合いながら、共にです。)

3月7日に向けて、皆さんが考えるきっかけにでもしていただければ幸いです。
〈「回答」に対する方針を考える会議〉
・3月7日(土) 午後7時~9時
・大阪人権センター (JR芦原橋駅下車 徒歩7分)


2009年1月1日

「未来を写した子どもたち」を観て
 50代夫婦割引鑑賞券を使って映画を見ることにしている。1,800円の代金では映画を見るのに決断を迫られるが、現金なもので1,000円となると気軽に映画館に足を運ぶことができるようになる。ましてや「いい映画」に出会うと二重に得をした気分に浸れるというものだ。
 『未来を写した子どもたち』をその題名に惹かれるようにしてみた。
解説を少し引用する―「1998年ニューヨークのフォトジャーナリスト、ザナ・ブリスキは、売春婦を撮影するためインド・カルカッタの売春窟で暮らし始めた。彼女は、売春婦たちを取材していくうちに、そこで暮らす子どもたちに魅了され、そして子どもたちも彼女になついていった。ザナは、子どもたちにカメラを与え、写真の撮り方を教え始めた。子どもたちの取った写真にはすばらしい才能だけでなく、もっと何か大切なものを感じた。
 それは心を解放し自信を与える芸術の力だ。スナップ写真を撮り始めてすぐ、子どもたちはカメラで自分を表現することを知る。芸術の持つ魔法の力によって困難な境遇にいる子どもたちが目覚め、意欲をかき立てられ、厳しい現実を乗り越えていく姿が丁寧に映し出されて行く。」―
 カメラは、社会の底辺で生きる厳しい生活の現実を映し出す。しかしそこに生きる子どもたちはなんと美しい瞳を輝かせていることか、なんと屈託のない笑顔をこぼしていることか。将来の希望を語ることばが輝いている。そんな子どもたち一人ひとりのドラマが展開し、カメラが追い続ける。
 日本の教育現場では、人権問題、差別の問題が次第に扱われなくなってきて、ますます遠のいていくような「雰囲気」がある。「解放教育」という言葉も聞かれなくなり、反差別の課題を持った実践は取り組まれなくなってきた。それよりも「学力」を求めることをよしとする(これもまた)「雰囲気」が年々かもし出されてきた。そして現場もまたそれを受け入れる「雰囲気」に包まれだしている。
 はたして日本という国は、人権問題・差別の問題を取り立てて扱うことが必要のないほどにすばらしい国になったのだろうか。むしろ様々に形態を変え、さらに深刻に、大きな構造を持って広がっているように思われてならない。
 ほんの10年ほど前まで、社会の現実を見つめ差別の実態から学ぶ実践が、教育の最前線で取り組まれていた。問題が多様化し、深刻化する中で、何故に取り組まれなくなったのか、私たちは自らに問うてみる必要がある。教育という営みが持つ力・「教育力」(とでも呼べばいいだろうか)が、刻々と失われている。
 アメリカのフォトジャーナリストが現地に住み着き、生活を共にして、10年の歳月をかけて見事な映画を完成させた。一方で、アメリカの最大手ハリウッド映画、キアヌリーブス主演『地球の静止する日』を観た。1,000円払って大損をした。エンターテインメントとしても低級で、テーマ、ストーリーたるや小学生でも反論するほどのお粗末さである。ジャブジャブに余ったお金の使い道として、作品の中身よりも、金儲けをしたい者達が、自分たちの懐を肥やすために作ったものでしかない。このお金を貧しい国にまわせば、どんなに多くの子どもたちの命を救い、将来の希望を実現する手助けができたことだろうか。アメリカが抱える社会の現実を見つめ、差別の実態に学ぶ姿勢があれば、今だからこそ撮ることのできるアメリカ映画を作れるにちがいないのだけれど。
 日本が追い求め、今も追いかけ続けているアメリカの現実は、ほんのわずか先の日本の姿を映し出している。(9月21日『アメリカの崩壊』も読んでください。)

パンフレットより
原題は、“BORN INTO BROTHELS:Calcutta's Red Light Kids”
「売春宿に生まれて:カルカッタの赤線地帯の子どもたち」と訳せばよいだろうか。

10月27日
 いのちの木
 土曜日、ぼくが勝手に「いのちの木」と呼んでいるエノキを見たくて京都に行った。もう少しぼくの心情に即した言い方をすれば、会いたくなって足を運んだと言えばよいだろうか。京都三条の大将軍神社の境内にそのエノキは立っている。大人が3人両腕を伸ばして、漸くその根方を囲むことができるほどの太さの幹で、どこまでも高く空に向かって伸び、たくましい枝を大きく周りに張り出している。
 本殿の横に「樹齢800年」の大銀杏が屹立していることから考えれば、そのエノキもほぼ同じ樹齢と考えてよいのではないか。京都市の「案内板」に、「・・・かつては鵺(ぬえ)の森とも呼ばれ、源頼政の鵺退治の伝説を偲ばせる。」との記事を読んで、鬱蒼と生い茂る森の中で、時代と共に、命をつなぎ続けてきたエノキの歴史を想像してみたりもした。
 4月のはじめ、病院でホルター心電図の器具を装着した帰途、無性にどこかへ行きたくなって京阪電車に飛び乗り、三条で降りて、あてもなく歩き続けていたときに出会ったのがそのエノキだった。
 あまりの大きな姿に圧倒され、やがて樹影に足を踏み入れると、あたたかなぬくもりを感じ、地面からあふれ出るばかりの根方に引き寄せられていった。びっしりとコケが生えている表面に、大きな体のアリがうごめいて共生している。幹の肌に手のひらを触れるとぬくもりが伝わり、両の手のひらを乗せるとさらに温かさを増した。頬を付けてみる。耳を付けてみる。耳を澄ますと、地中深くから、ゴォ・ゴォオと水を吸い上げ空に向けて送る音が聞こえてきそうな気がしてくる。何百年も続けてきた「いのちの営み」だ。
 再会を果たしたとき、やはり手のひらを乗せ、耳を当てて澄ましてみた。ゴォ・ゴォオと、今日も繰り返す「いのちの営み」の音が聞こえてきそうな気がした。僕は、生きていることをエノキに報告した。




(上)エノキ、(下)樹齢800年といわれる銀杏。僕の写真技術と、レンズではとてもその姿をありのままに写すことはできない

9月21日

 
アメリカの崩壊
 
米証券会社大手リーマン・ブラザーズの破綻、米保険最大手AIGに米連邦準備制度理事会(FRB)が最大850億ドル(約9兆円)を融資、更に日本銀行を含む世界の主な5中央銀行が金融市場に総額1800億ドル(約18兆8千億円)の米ドルを供給、等々のニュースが連日世界を駆け巡っている。僕のような経済が皆目理解できないでいる者でも、世界の金融市場が大きく荒れて、世界恐慌に陥りかねない危機に瀕していることは察しがつく。
 これはアメリカという世界最大の軍事・経済・政治の超大国が、(崩壊とまでは言わないが)大きく傾きかけていることの現れである。少なくともアメリカ一国が世界を主導していくという、ブッシュ以来の戦略としてのグローバリズムは実質的に崩壊してしまっている。
 90年代以降ゆるぎないトップの座を誇示し続けてきたアメリカ映画も、内実共に衰退してきたと思う者は僕一人ではないだろう。個人的な感想を言えば、「マトリックス」3部作以後は殆ど見るべきハリウッド映画はないと思っている。一握りの「ハリウッドスター」が何十億円もの出演料を取り、行く先々で世界のファン達が群集をなして迎える現象などは、経済的にも文化的にも決して健全なる姿ではない。
 しかし、ハリウッドの最も得意分野であるエンタテインメントでは、他の追随を許さぬ観客の耳目を集めて引き離さない面白さがあるのではと、一縷の期待を掛けて見に行ったのが『インディージョーンズ クリスタル・スカルの王国』だった。ハリソンフォード、スティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、ジョン・ウイリアムスが組んだ、自他共に認めるハリウッドの最強タッグが作った映画である。テレビに何度も流れる宣伝文句にもそうあった。
 ところが、やはりというべきか、2時間余りを疾走する画面展開に目を奪われ続けて、終わってみれば何の面白さも感じることができなかった。そればかりか、内容のしかも主要な展開の部分に大きな問題を感じてしまった。▼敵・悪者は、ソ連の女将校と決め付けている。▼冒険の舞台になる島の先住民に、差別的ともいえる怪しくもおかしげな化粧をさせ、正義の味方のインディーたちを襲わせ、そしていともたやすく拳銃で撃ち殺していく。▼そして最も、僕がおそろしく感じたのは、冒頭のシーンで、ネバダ州の核実験場にとらわれたインディーが誤って核実験を誤作動させてしまったときに、実験用のモデルハウスのダイニングに置いてあった「鉛」を使った冷蔵庫に身を隠して原子爆弾の爆発にも堪えて逃れたというシーンであった。
 これがアメリカの民衆の一般的な「核」に対する認識なのだろうかと、唖然としてしまった。広島や長崎の原子爆弾は、古ぼけた鉛を使った冷蔵庫に隠れていれば助かったと思っているのだろうか。「アメリカ映画の最高のスタッフが結集して作った映画」であるだけによけいに、余りの認識の稚拙さと、映画というマスメディアに対する無責任な態度に怒りをすら覚えてしまった。
 アメリカの文化の退潮、アメリカの人達の暮らしの衰退、アメリカの思想の衰弱を思わずにおれない。軍事・経済・政治のみならず、本当に今アメリカは疲れ、病み、崩壊の道をひた走り続けている。

 
8月30日
 
全国学力テストで一喜一憂すべきではない
 
8月29日、文部科学省は全国学力テストの結果を公表した。テレビ、新聞はじめ各マスコミは一斉にそれを報じ、上位や下位の都道府県の教育委員会、学校関係者、市民などの悲喜こもごもの表情や感想を紹介している。昨年にも増して大きな扱いになっている。
 
大阪は小・中共に昨年に引き続きワースト3となっていた。橋下大阪府知事は、「2年連続でこのざまはなんだ。最悪だ。民間なら減給は当たり前」と、教育委員会や教師に怒りをぶつけている。軽薄な発言だと思う。私達教師の仕事は点数を上げることではない、子どもを育てることが仕事であり、そこに責任を負っている。
 点数や全国の順位に気を使うより、今目の前にいる子ども達が小学校でも中学校でも呻吟し、様々に教育崩壊が生まれつつある現状を直視すべきである。目を輝かせて学習に取り組む子ども達がいったいどれだけあるのだろう。「もっと続けたい」と声を上げるような楽しい授業、分からないところを教え合い、一人ひとりの意見や考えが交流される学びあう授業、友達を支えあう学級や学年集団、そんな学校づくりに取り組むことが求められているのだ。
 「できる子」と「できない子」に分けて進める習熟度別授業で、いったいどんな楽しい授業が生まれるだろうか、どんな学びあいが生まれるのだろうか。どんな支えあう友達の集団が生まれると言うのだろうか。放課後や土曜日の「まなび舎」(夜スペ)でいったいどんな授業、学びあい、支えあいが生まれるのだろうか。
 例えば、教室でテストを返したときに、子どもから受け取った保護者はその点数だけを見て一喜一憂する。子どもといっしょに問題を読み返したり、間違い直しをしたり、どこに課題があるのかを考えたりすることはまずない。それと同じことが今、マスコミの流した点数と順位だけを見て、全国津々浦々で「学力が上がった・下がった」とかまびすしい声がヒステリックなまでに飛び交っている。地域の違いも、生活実態の差異も、ましてや子どもたちの抱える生活現実に思いを馳せることなどできようはずもない。今回のテストがどんな学力を調べたものなのか、「学力」とは何なのか、私たちは子ども達にどのような学力を求めようとしているのか、その中で公立学校の果たすべき役割は何か・・・等々、子ども達の姿現状を目の前に置きながら、じっくりと考えなければならない課題は山積みしている。点数や順位に振り回される余裕など、もう子ども達にも教師にも残されていない、教育崩壊のがけっぷちに立たされているのだと、僕は感じている。そもそも全国学力テストなどしなければ、危機感を煽り、無意味な競争意識を全国にばら撒くこともなかったのにと思わずにおれない。
 さればこそと思うのだ、「共に学び、共に生きる教育」を進め、取り組んで行かねばならないのだと。


4月20日
 まるで“ミクロの決死圏”
 「“ミクロの決死圏”という映画を知ってる?」周りにいる人たちを捕まえては聞いたものだった。若い人たちは、首を傾げるだけで、そのシラッとかわす表情からは噂をすら聞いたことがないと思えた。ベテランの教師に聞いてみるが「うん、どこかで聞いたことがある」と答えた人がひとりあるだけであった。とすれば、よほど昔日の映画ということになる。30年、40年も前なのだろうか。
 僕の記憶だけを辿って荒筋を思い出してみると凡そこんなストーリーである、―(たぶん)アメリカの大統領(であったか、とにかく重要人物で、その人が死ねば世界の平和が危機に陥るのだ)が心臓病で手術をしなければ余命いくばくもない状況にあった。しかし年齢と体力を考えれば手術に耐えられない。極秘裏に世界の権威が集められて対策を練った結果、最新鋭の潜水艇に医者とクルーを乗せて、血管を通って心臓まで行き、直接心臓の中で手術をするということになった。巨大なクレーンのアームのような機械の先から強烈なビームが発射されると、潜水艇と乗組員がミクロ化されて、注射器に吸い込まれ、今度は静脈(なのか動脈なのか)に刺した注射針の先端から血管中に押し出されていく。
 そしていよいよ心臓めざしての冒険の旅が始まる。途中異物である潜水艇に向かって抗体反応のリンパ球が襲い掛かってきたり、血液中の物質がぶつかってあわや大破しそうになったり、心臓が収縮する巨大な圧力で艇が翻弄されたりと、まあ想像もつかないストーリーの展開に見るものは画面に釘付けになってしまう。おまけに、乗組員の一人が某国(当時は明らかにソ連を想定している)のスパイでこのミッションを失敗させるべく機械を故障させたり、果ては艇内でのアクションにまで及ぶという筋書きまで用意されてある。観客は決して実現できない近未来のSFのおもしろさと波乱万丈の展開を楽しめる見事なエンターテインメント映画であった。
 しかし、しかしなのである、僕が受けた心臓検査はまるで“ミクロの決死圏”そのものであった。右手の動脈と、首筋の静脈からカテーテルを差し込み、その中をカメラや検査道具などを通して心臓の血管まで行き、医師が画面に映し出される画像を見ながら遠隔操作で幾つもの検査をするのである。いやすでに“ミクロの決死圏”のように潜水艇を送り込むのは古すぎて、今ではいながらにして検査をし、又手術もできるようになったと言っても過言ではない。
 現代医療のすさまじいばかりの発展に驚愕してしまった。

3月20日 フィンランドの教育「この十数年で世界は教育観を変えたのだ。」
 この福田誠治さんの話はとてもわかりやすい。


2月10日

なぜ橋下徹のような人物が知事選で当選してしまうのか?
 1月27日、大阪府知事選挙が投開票され、橋下徹が当選した。得票は、1,832,857票で、実に次点の熊谷貞俊に2倍の差をつけた。
 橋下徹については、テレビで見たこともない僕ですら名前は知っていたし、数々の問題発言があったことも、新聞やテレビニュース、選挙中のビラなどでも読んで知っていた。熊谷貞俊が敗戦の弁の中で「選挙戦のスタート時、知名度は600万対0だった」と言っていた通りである。
 「日本の一番情けないところは、単独で戦争ができないことだ」「徴兵制度の復活を主張」「「私は改憲派だし核保有肯定します」「ニート対策については拘留の上、労役を課す」「(その理由として)国家予算から単純計算すると、日本に生きるだけで一人あたま47万円の金がかかる。 税金を払わない奴は生きる資格がない」「日本人による買春は中国へのODAみたいなもの」・・・(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)から抜粋)
 これらは「問題発言」のほんの一部だけれど、こういうことを発言する人に僕は絶対投票したくない。知事選出馬表明後の記者会見で質問され、「バラエティー番組での発言で世間ウケしないといけなかった」と弁明したそうだが、テレビという公共のマスメディアを使って「世間受けするために」冗談として話してしまう人間性を認めることはできない。
 ではなぜ、そのような橋下徹が、しかもかくも大量の得票数で当選するようなことになってしまうのだろうか。今のこの時代大阪府民が、「徴兵制、核保有、中国への買春ツアー」に賛成して投票したとは思えない。橋下の国家主義的で、中国を初めアジアの人々に対する蔑視と差別、女性差別に賛成し、大阪府の政策として推進することを渇望するものは、圧倒的少数であろう。ではなぜ180万以上の人たちの票が入ることになってしまうのだろうか。

 これはもうメディアの影響としか考えられない。なかんずく《テレビに出ている人》への投票行動である。候補者がどのような人物で、どのような政治的意識を持ち、何を考え、何を政策として訴え、実現していこうとしているのか(それがマニュフェストでもあるのだろう)等関係なく、《テレビに出ている人》は、「親しい人」「おもしろそう」「何かやってくれるのではないかと期待する」「信頼できる人」・・・等々といった具合に、いつの間にか知らず知らずの内に、自分と不即不離の存在となってしまっているのかもしれない。「社会のテレビ化」とでも言えばよいだろうか、暮らしの大きな時間、しかも毎日毎日テレビと一体化することで、《テレビに出ている人》はついに《幻想の中の身内》にまで一体化するようになったのではないだろうか。
 最近はやりの横文字で表す「メディアリテラシー」とは対極の現象が既に後戻りのできない所にまで進行してしまっているのかもしれない。現在県民の圧倒的な支持を得ているが、東国原英夫が宮崎県知事選で当選したのも、マニュフェストを作り配布したとも聞いているが、《テレビに出ている人》への投票行動がその一番の要因であったと言えるだろう。大阪だけではなく日本全国にこうした状況が生まれているにちがいない。
 これからの選挙では、《テレビに出ている人》には勝てないということになってしまう。それは政治への不信感であり、政治というものの無力化を意味する。俳優、タレントだから悪いと言っているのではない、スポーツ選手でも、ミュージシャンでも、アナウンサーでも、弁護士でも、行政出身者でも、大切なことは候補者となったその人が自分の政治理念と政策を掲げて主張し選挙戦を取り組むことだ。つまり政治家として行動することである。そして何よりも候補者の政治理念、政策を吟味し、判定する府民・国民の側の政治意識が問われなければならない。言葉を使えば、日本社会の政治的な成熟とでもなるのだろうか。
 政治が機能しない社会とは、私達がすぐ手の届く歴史のページからひもとけば、ヒトラーのナティスドイツであり、日本帝国主義国家である。ただしこれまでに経験したことのない《テレビ》というメディア媒体によって、現在私たちの日本では「政治の無力化」が進行しているのだ。僕はそう思っている。

 
切り捨てられる子ども達、切り捨てられる教師たち
(07年1月22日 連載開始、5月13日完結)

やっぱり放棄された「教育改革」
 
2002年4月から「新しい学力観」を掲げた新学習指導要領と、学校週五日制が本格実施となった。当時僕はこんなことを書いた。「・・・これまで対峙して来た相手である〈国家の側〉〈資本の側〉も『教育改革』を唱え、権力と財力を持って推し進めようとしている。『受験競争を勝ち抜く学力』では、将来の国づくり・政権運営も、世界競争に勝ち残る経済力も展望できない危機感の表れでもある。その意味で、〈私たちの側〉以上に本気であるとも言える。〈私たちの側〉の教育改革を実現するのか、〈国家の側〉〈資本の側〉の教育改革なのか、今その正念場を迎えている。・・・」
 本格実施1年目にして、マスコミの煽る「学力低下論」に振り回されるように、文科大臣の「学びのすすめ・アピール」、「学力到達度調査」、道徳教育の一層の押し付け、「日の丸・君が代」の強制等々、早くも〈私たちの側〉とのちがいが明白に現れてきた。それは、生きる力、特色ある学校づくり、地域との連携、地域の教育力の回復、自分探しの旅、主体的に問題解決に取り組む力の育成等々、学習指導要領に謳われた新学力観を言い表す言葉であり、新しい教育の幕開けを誇示するはずであった数々の言葉の連なりとは裏腹に、教育のグローバリズム、国家統制をめざすものであった。
 2006年、〈国家の側〉は大きな変質を遂げる。12月15日「改正」教育基本法を強引に可決成立させた。これによって、いきなり国家主義的教育が日常的に行われるようになるとは思わないが、しかしこれをもって〈国家の側〉が新学力観・教育改革を完全に放棄したことを宣言することになった。
 その宣言・意思を具体化するかのように、政府の教育再生会議は第1次報告を2007年1月に安倍首相に提出した。その骨格は、「ゆとり教育を見直し、学力を向上する」など「7つの提言」と、その中で実現を急ぐものを特記した「5つの緊急対応」で構成されている。(つづく)
(1月27日更新)
 〈国家の側〉が、「明治の学制発布以来の大改革」と喧伝しながら打ち出した「教育改革」は、わずか5年の間に、文科省自身や政・財界、マスコミに翻弄されながら右往左往し続けて、結局何も実を結ばないままに幕を閉じようとしている。その5年間の間にいったいどれだけの国民的議論がなされたというのだろうか。一人ひとりが親として、地域の住民として、将来を子ども達に託す社会人として、どれほど関心を持ち、自分の思いや考えを表明してきたのだろうか。
 教育改革の幕開けを宣言した「第14期中教審答申」は喝破していた。
「教育制度は社会のいわば縮図である。・・・社会人を含めた日本人全体の生き方が改まらなくて、教育だけを良くしようというのは虫がいいし、不可能なことなのだ。日本人が自らの生き方を変えずして、教育を良くする政策を他人に、学校に、関係官庁にだけ期待している限り、いつまでたっても根本的な変化の波を教育の世界に引き起こすことは難しいであろう。日本の教育の命運は、学校や文部省や中央教育審議会の手の中に握られているのでは必ずしもない。例えば、わが子の進学に目の色を変え、わが子を外見の良い、収入の良い職業人に仕立て上げることのほかは深く考えようとしないタイプの親がどれくらい多いか、また、採用にあたって学歴を重視し、個性や癖の少ない均質な労働者を求めることのほかは深く考えない企業がどれくらい多いか、それによって左右されるのである。そして、親の心を動かすことも、企業の体質を変えることも、何人にも容易にはできない。」
 これほどの覚悟を決め、腹をくくって取り組んだはずの教育改革であったが、やっぱり日本人の意識を変えることはできずに、国民同士の議論を生むこともなく、つまるところ政治の綱引きの道具のように扱われ、猫の目のように変転としてきた諸政策の残滓だけを残して潰え去ろうとしている。これを「国の政策」とは呼ばないだろう。また、それを許し、平然と「元に戻る」ことを受け入れてしまう日本人とは、いったいどんな国民なのであろうか。もちろん僕もその一人であるにちがいないのだけれど。
(つづく)
ますます混迷する教育の世界(2月17日更新)
 
その理念や理想の何一つをも現実に実を結ばせることのないまま、教育改革は否定され、それに代わって次に安倍首相は「美しい国日本」と、それを支える「国を愛する心」という「情念・情動」を、この国の教育の柱とするのだと言う。
 〈資本の側〉も変質しようとしている。1月1日、日本経団連(御手洗富士夫会長)は、将来構想「希望の国、日本」を発表した。大幅な企業減税を実施して、足りなくなった資金は消費税の増税でまかなうようにと提言している。政府に実現を促すために、その代わりに、安倍首相に取り入りおもねるかのように、「美しい国 日本」の実現、憲法9条の「改正」、民間企業も「国旗を掲げ国歌を斉唱する」ようにと、「愛国心」の必要性を強調する。
 これほど見え透いた〈資本の側〉の企みはめったにあるものではない。「企業は儲けさせてもらいますよ。その分、庶民の皆さんには苦労してもらいます。企業あっての皆さんなんだから、まずは儲けられるだけ儲けることが優先されるねば困るんですよ。そのために裕福なものはもっと潤沢に、貧しいものは赤貧を極めてもらいます。『私のくらし・私の都合』よりも、『国家の繁栄』を第一義として考えることが大事なのですから」。そう聞こえよがしに言っている。もう誰も文句を言わない日本の国民なのだとタカをくくっているように思われる。〈資本の側〉では、「二極化」がそれほどまでに既定の方針となっていることの証左であるのかもしれない。
 〈国家の側〉が、情念や情動の言葉を声高に叫び教育の世界を更に振り回そうとしている、〈資本の側〉も世界の経済競争に勝ち残る個性を尊重した人材育成を放棄して、国に追随しようとする。学校現場も、いわば「パッチワーク的教育改革」とでも呼べばいいだろうか、これまでのめまぐるしく変転する方針のあおりを受けて次々と上から下ろされてくる制度・政策に混乱し、振り回され、多忙化に拍車がかかり、疲弊を極めてしまっている。
 「学級崩壊」というマスコミの造語がセンセーショナルに日本列島を駆け抜けたが、今はそれどころではない「教育崩壊」が始まり、たしかな仕方で進行している。そして目の前には混沌と混迷しか見当たらない。
切り捨てられる子ども達、切り捨てられる教師達(2月27日更新)
 
僕の在職する寝屋川市で、教育委員会がトップダウンで現場に下ろしてきた「教育政策」の主だったものを並べてみる。
▼市内全小・中学生の到達度調査(民間業者への丸投げ)
▼「英語」の文科省特区の指定
▼小学校からの英検、英語の発表交流会(市教研から下ろす形をとりながら)
▼小・中一貫教育、職員全員参加の交流会・分科会研修など
▼統廃合から、校区の自由選択制・・・等々
 これらの教育政策は、一つの明確な方向を目指している。それは、一握りのエリートをつくり出し、大多数の子ども達を切り捨てるという「二極化」の推進である。その提案は、各学校の実情を顧みられることはなく、いつもトップダウンで上から全体に網を掛けるがごとくになされる。学校現場が必要としてあげた声から生まれたものは一つもない。私たちの仕事に多忙感を感じるか、充実感を感じるのかの境界は明白だと、僕は思っている。それは、上から与えられ、押し付けられた仕事をこなすことに汲々とした日々を過ごすのか、或いは子ども達や保護者、地域と向き合い、関わりながら、生まれてくる必要性を課題として取り組むのかの違いである。
 トップダウンによる二極化の推進は、既に寝屋川市において深刻な問題を生み出している。市内各小学校において、子ども達の荒れ、いじめ、不登校や、教師に対する非行、暴力が生まれ、その数は紛れもなく年々増加している。子ども達との対応や、多忙化に疲れきり、病気や休職に追い込まれる職員も増えている。
教職員組合の調査によると、今年度(2006年度)の小学校教師の病休と休職の数を合わせると、30人を超えている。これは中学校の3倍近い数であり、府内でも最も高い。その数は年毎に増えて来ている。
 親が社会や会社から切り捨てられ、子どもが虐待を受けて家庭から切り捨てられ、そして学校からも切り捨てられていく実態が、学校の日常の中にも決してめずらしいケースとしてではなく現れてくるようにもなった。
(つづく)
(4月30日更新)
 
しかしそれでも寝屋川市教委の方針に変化の兆しは見えない。そればかりか、11月には英語教育特区の「成果」を全国に発表するために、全小中学校の参加で、公開授業や子ども達の発表、講演会を強行しようとしている。勿論学校現場からの声でもないし、現場との協議も一切持たれていない。「どうせ反対しても、やらされるんだ」という教職員の声が、市内の学校で蔓延している。疲弊とあきらめが広がる教育現場を、さも勝ち誇ったように睥睨する教育委員会は、それが実は教育力の低下を招き、寝屋川の子ども達に深刻な被害を与えることになるという、あたりまえの帰結を全く顧みようとはしない。
 事実を見ないのか、あるいは「子どもも教師も切り捨てていい」との方針なのか。最後までやれた教師が必要なのであって、病気や休職で退職するのは本人の責任であり、一向に構わないと判断しているのかもしれない。「評価・育成システム」や「教員免許の更新制」という、教職員の間に「勝ち組・負け組み」を作り出し、固定化する制度が、頑迷な教育委員会の態度を後押ししているとも言える。更に背景として、教育界だけではなく、「非正式雇用者」を莫大に生み出し、「代わりはいくらでもありますよ」と競争を煽るシステムを政策として維持し続ける社会構造が既に準備されている。
 こうした日本の状況は、イギリスのサッチャリズムを代表とする、80年代欧州のNeo Conservertive(新保守主義)の教育改革の後追いをする結果になっている。深刻な反省からヨーロッパの教育は大きな転換を図った(例えばフィンランドの教育がそうであるように)。一方で二極化を進行させたアメリカの学校の現状は、日本のそう遠くない前途を暗示するかのようである。日本の銃規制が緩やかであれば、或いはアメリカと同様の乱射事件が学校現場で起こっているのではないかと、思ってしまう。

 混沌の中で、教育・学校の再生はなるのか
(5月13日更新)
 
〈国家の側〉の教育も、〈資本の側〉の教育も、そして〈わたし達の側〉の教育も、確固たる価値観、方向性を持ちえていない。いわば学校も教育界もかつてなかったほどのアナーキーな状態に陥ってしまっている。安倍政権は、「美しい国」「国を愛する心」などという情念・情動を掲げて教育を再生するというのだから、ますます日本の教育の混迷は深まるばかりである。
 今後の成り行きを国会論議、各政党活動、日教組運動や当面する7月の参議院選挙に託すとしても、価値観が崩壊し、方向性が見失われている混沌の中で、むしろ手かせ足かせを自ら放り投げる身軽さで、一人ひとりがもう一度〈自分の〉教育をつくり上げ、実践し、互いに語り合う試行錯誤を始めてみてはどうだろうか。
 さしずめ僕が始めようとする試行錯誤の核は次のよなものである。
▽学校づくりの原点は、インクルーシヴ教育、インクルーシヴな学校
▽教育とは関わりあうこと、子どもと教師、保護者と教師、地域と教師、何よりも子ども同士の関わりの中に〈教育力〉は生まれる。
▽聞く・聞きあう、学ぶ・学びあうを大切に
▽とり合えず具体的な方針として、総合的な学習を進めていく。


(11月3日) 
てんでばらばら
 
 安倍内閣の柱は教育再生だという。名前どおりの「教育再生会議」なるものも発足した。現在、文科省や政府の側から聞こえてくる言葉を並べてみる。教育基本法「改正」、国を愛する心、学力問題、全国学力調査統一テスト、いじめ、子どもの自殺、格差の広がり、命・安全を守る、必修科目の未履修問題、学校選択制、バウチャー制度・・・、教育政策を論じるには余りに「てんでばらばら」としか言いようがない。こういうてんでばらばらな政府・文科省・教育委員会からトップダウンで下ろされてくる学校現場は、更にごちゃごちゃにかき回されることになってしまう。
 現場の努力で、何とかかんとか持ちこたえながらやってきているのだが、子どもの荒れや、教師の心身の疲れなど、ほころびがあちこちに生まれ広がりを見せている。
 1991年の「第14次中教審答申」以後の「教育改革」の理念・理想
『教育改革と14次中教審答申』を読んでください)も、政策も雲散霧消してしまった感がある、政府・文科省の側も、学校も。日本の教育とは、荒れ野の中に聳え立つ空中楼閣のようなものでしかない。学級崩壊ではない、いつ「教育崩壊」が起こるか計り知れない現実の中にいる。
 安倍首相は、「だから今こそ、『美しい日本』をつくり、『国を愛する心を育てる』教育を再生するのだ」と言いたいのだろう。これはもう思想も哲学も投げ捨てた「情念」でしかない。足元の現実が見えない楼閣の夢物語である。教育の現場・学校で多様な価値観が廃されて、一元化された情念が支配することはありえない。あるとすれば、それは日本が全体主義国家になったときである。


(9月25日) この判決文をあたりまえに読める感性を失ってはならない、奪われてはならない。


9月11日 テレビってこわいなぁ!!(2)
―亀田現象を考える―(8月15日のつづき)

 さてその夜、わが家の全員が1台しかないテレビの前に座った。「嫌悪を感じてしまう」と言っている僕も、「試合はどうなるか」と興味を持ちながら鎮座した。「スキであろうと、キライであろうと、とにもかくにも見てみよう」とチャンネルを合わさせる、テレビという媒体の持つ大衆操作の巧妙さとその威力を改めて思い知らされる。
 しかも、新聞の番組欄に書かれてある7時30分にチャンネルを合わせてから9時まで、延々1時間半もの間、アナウンサーやテロップの「亀田世界に挑戦、この後まもなく」「世界へのゴングもう間もなく」等々の言葉や文字に「だまされ」て、亀田家2人3脚(4人5脚か)の父子鷹のサクセスストーリーと、企業コマーシャルを見続けさせられることになった。リングサイドに森元首相や、小池百合子環境大臣が来ていたことから察すれば、自民党保守派の中で、亀田父子という「目新しい」個性的なキャラクターを使って、「父権」の復活と、「親子愛」の道徳を宣伝する狙いが目論まれていたのではないかと、僕は推察する。
 ようやくゴング鳴るとたちまち、あっけなくランダエダの右ストレートにダウンしてしまった。何とかKO負けだけは免れようとクリンチを重ね、12回を闘い終った。なんだかランダエダに予め、「あなたは元世界チャンピオンなんだからダウンしてほしい、負けてほしいとは言わない、ただもしあなたが亀田をKOしそうになったら、それだけはやめてもらえないだろうか。判定になったら、後はコチラが『ちゃんとやる』ので」。そんな話が交わされていたのではないかと、勝手に想像してしまうような試合の成り行きであった。
 「これで亀田が勝ったらけっさくやナ」、ひとしきり家族の間で広がったジョーク通りに、なんと判定は亀田興毅に上がってしまった。こういうのを、世間的に、一般的に「八百長」という。その世間的、一般的あたりまえが通用しないのがマスコミの世界なのだということが、その後まもなく思い知らされることになる。
 TBSのニュース、スポーツニュースのトップで、「亀田世界王者に」と報じられるのだが、それを伝えるテレビ画面を見て一瞬声を失った。どう見ても、やはり世界戦の緊張のためか1回に不意を食らってダウンを喫したが、その後敢然と立ち向かい何度も元チャンピオンをロープに追い詰める亀田の勇姿を映し出しているではないか。そして判定に。チャンピオンベルトを父親の腰に回すシーンが。「お母さん、オレを生んでくれてありがとう」と涙混じりに語る場面が続く。その映像の連なりには、「敗北」の疑念が微塵も入り込まない見事な編集が施されてあった。
 中学3年生の娘が思わず口に出した、「テレビってこわいなぁ!!」。 マスメディアの持つ恐ろしさをまじまじと身内に感じた瞬間であった。
 TBSは、決して悪い局だと思ってはいない、むしろニュースや報道番組など、その事実を伝えようとする姿勢に良心的なテレビ局との印象を持ってきた。そのTBSですら、自社の損得に関われば、事実を捻じ曲げてまで映像を編集し、世論を操作しようとしてしまうのだという実態に驚愕してしまうのだ。おそらく、これまで応援してきた亀田が世界チャンピオンになり、大晦日に「紅白歌合戦」の裏番組でタイトルマッチを放映する、そんな思惑をTBSは描き、そこに既に莫大な利害が絡んでいたのではないかと想像される。
 しかし、皮肉なことに、「これだけ視聴率があったらなんでもできる」と高をくくったその視聴率ゆえに、映像のごまかしでは隠しきれないほど、多くの者が事実を既に見てしまっていたのだ。
 では、世界の報道はどうだろうか。例えばTBSが政治と無関係のボクシングだから事実のねじ曲げをしたのであって、政治や戦争など社会問題では隠蔽などありえないと言い切れるだろうか。莫大な利害関係が今回の「捻じ曲げ」の原因であったとすれば、政治や戦争には、それらをはるかにしのぐ資本の利害が常に絡んでいる。アメリカの兵器産業や巨額な石油マネーの動向を考えると、イラク戦争の報道はいったいどこまで私たち国民、世界の一人ひとりの市民に、事実が伝えられているのだろうか。
 亀田の試合を見ながら、そんなことにまで思いが広がってしまった。日常のちょっとした暮らしでも、その事実が伝えられるマスメディアでなければ、世界の事実は伝えられないのだと思う。私たちも、日々の暮らしの中でマスメディアを注視する習慣というものが必要なのだと感じている。


8月15日 テレビって こわいなぁ!!
―亀田現象を考える―

 
 8月2日、職場の同僚から通りすがりに「今日、アレあるから早よ帰って見なあかんなぁ」と声を掛けられた。「アレとはなにかなぁ?」釈然とせぬままに過ぎたのだが、帰宅途中の電車内で、向かいの席の男性同士が「今日はアレやで、見なアカンな」と、やっぱり「アレ」の話題に話が弾んでいた。「亀田チャンピオンになるやろな」「相手は元チャンピオンか知らんけど、一階級下の年取ったやつを呼んできてるしな」・・・。
 僕は亀田三兄弟が好きになれない、正確に言えば、マスコミに登場する彼らの言動にどうしても嫌悪を感じてしまう。テレビに大写しになる彼らはいつも頭ごなしに相手をののしり、挑発する「物言い」をしている。喧嘩をするときに、感情を発露する表現としてはありえても、相手を見下し、恐怖を与え、押し付けるような日常的な会話表現はあってはならないと考えている。それが戦前の治安維持法下の社会ではなく、戦後の民主社会における互いに相手を大切にする最低限のルールだと思っている。
 普通そんな「物言い」で日常生活を送ることはできないのだから、マスコミが「売れるキャラクター」として演出しているにちがいない。そんな彼らが「おやじ、お母さん」と特段の思い入れで語る姿も十分効果が計算されている演出だろう。問題は、人間関係を破壊し、力でねじ伏せてしまう社会でしか通用しない言葉を、マスコミがテレビ、ラジオ、新聞、週刊誌などを通して表に出し、「価値のある言葉」として流布していることにある。なぜか、視聴率を稼げるし、莫大な収入につながるからである。(「スキでもキライでも、これだけの視聴率を取っているのだから、何が悪い」とうそぶく声が聞こえてきそうだ。村上世彰が、逮捕前の記者会見で「お金をもうけることがどうして悪いんですか。誰もそれは否定しないでしょう。」と言った言葉と通じている。いつか触れてみたい。)
つづく

7月9日 “闘う高齢世代”の誕生(6月27日の続き)
 
中之島中央公会堂の大ホールと中ホールを、立錐の余地もないほど埋め尽くした聴衆のほとんどが、いわゆる「団塊の世代」とその前後の世代の人たちであったという事実は、僕が漠然と抱いていた予感を確信に変えるに十分であった。
 2007年から「団塊の世代」(1947~49年生まれの人たち)の大量退職が始まる、とその退職金を狙ったかまびすしい経済効果の論議が始まっているが、おそらくそれにとどまらない世の中をひっくり返すような出来事が生まれてくるのではないかと、僕は予感し、期待もしているのである。「変革の旗手」は、団塊の世代の高齢者達だ。
 何よりも、彼らは70年安保や、大学闘争・学園闘争という政治的荒波を全身で受け、方向は様々あるにせよ、荒波の中を泳いできた人たちである。その経験は、管理職になって、或いは革命戦士や政治家になって、或いは哲学者や評論家、芸術家として、或いは労働者、労働運動家として、或いはサラリーマン、家庭の主婦として・・・等々、様々な分野で力を発揮してきたのだと思う。
 その人たちが退職して手にした自由な時間を、何を考え、どう使うのかは、世の中に影響を与えずにはおかないだろう。例えば会社にあって優秀な管理職であった人たちであっても、退職後は「変革の側」に、「反体制の側」に身を置くのではないかと思えてくる。
 一方で、莫大な額のお金を有する集団でもある。資本の側・経済界も一目も二目もおかざるをえないあなどれぬ相手となる。むしろテレビコマーシャルにおどらされて、消費に走らされるのを恥とするような「マジメさ」を身上とするようなところもある。日本経済の行く末に対して大いなる影響力を発揮するのである。
 そして何よりもその圧倒的な世代人口である。50代以上は、人口の4割近く、約4900万人いるそうだ。こう考えてくると、「世界一の高齢社会の到来」「年金制度、保険制度の根幹を揺るがす」などの元凶とまで指摘するマスコミの論調など、何をかいわんやである。「余生の過ごし方、老後の楽しみ」などのつり革広告におどる言葉とかけ離れた、エネルギッシュな白髪の女達男達の顔が浮かんでくる。
 自由な時間とお金を手に入れ、何者にも拘束されない思想を持ち、自由な発言と行動を起こすことが可能な集団、「団塊の世代」が新しい社会像を提示し、積極的に状況を創り出していくことになるのではないだろうか。身内にモコモコと音を立てて湧き上がる青春時代のロマンを思い出しながら。かつて歴史上に類を見ない、老人達が日本史の1ページに自らのドラマを書き記すのである。
 僕は青年の時期、大江健三郎が言う「遅れてきた青年」であった。そして今、やはり「遅れてきた老年」でしかない。せめて先輩達の「闘う高齢世代」のおこぼれを頂きながら、自分なりのたたかいを取り組み続けて行きたいと、そう思っている。
 

辺見 庸 講演会

6月27日
 いつになくゆとりを持って開場時間の10分前に中ノ島中央公会堂に到着した僕は、その光景に目を疑った。入り口から右側(当日券を求める列)と左側(前売り券を持参した列)に、それぞれ300メートルほどの人垣ができている。一人でこれだけの聴衆を集められる話し手があったのかと驚いてしまった。
 大ホールは1・2階が立錐の余地もなく埋まり、入場できなかった人たちのため、急きょ中ホールに中継画面が設えられた。1500人を超す入場者があったのではないだろうか。イラク派兵、憲法改悪、教育基本法改悪・・・等々と、一人ひとりの暮らしの場にひたひたと歩み寄る戦争の影を感じ始めたことがその背景にあるのかもしれない。
 2004年に脳出血で倒れ、そのリハビリ中に癌が発見されて再手術を受けたという辺見さんだが、「精一杯話をさせてもらう」と切り出されたとおり、6時30分から9時30分までの3時間話し続けられた。「潜思黙考」「境界を越える」「小指の先から一滴でもいい血を流しましょう」「自分という最小の単位で行動を起こす」「自分の言葉で表現する、文学の言葉でなくてよい」・・・等々のキーワードを駆使しながらの語りは、聞く者の心を揺さぶり、惹きつけずにはおかない圧倒的な力と魅惑に溢れていた。
 「僕は憲法の『第1章』はいらないと思っている」と発言されると拍手が起きる。それを受けて「大阪の人たちはこれで通じるんですね。今夜は話せそうだ」と返す。会場から声が掛かる。そうした会場とのやりとりをくり返しながら、益々講演にも熱っぽさが増していく。
 講演会の話し手と会場を包み込み、巻き起こるエネルギー、この雰囲気はいつか感じたものと懐かしさを覚えていた自分でもあった。そしてもう一度周りに視線をめぐらしてみた。会場を埋め尽くすほとんどがいわゆる『団塊の世代』であることに気づいた。この講演会を企画し実現させた、自称「小さな市民グループ」の人たちも多くがこの世代に思われる。(つづく)
5月29日 また、竜一忌がやってきた

 草の根の会・梶原得三郎さんから、「第二回竜一忌」の案内を頂いた。今年もぜひ参加したいと思っている。
 大分県中津に行き帰阪するまでの2日間、自分がこの1年間何を考え、どう行動してきたのかゆっくりと振り返ってみたいと思っている。そしてこれからの1年間、自分は何をしようとするのか、考える機会にしたいと思う。松下竜一さんと向き合うことは、自分自身と対峙することに他ならない。
 「竜一忌」は、私にとってそうした意味を持ち始めてきたように感じている。


   第二回竜一忌の詳しい案内は、「追悼 松下竜一」のページから。

5月7日 村上ファンドの阪神株買い付け

 
ライブドアの株買い付けによるM&A(企業による他企業の吸収合併)問題の後、楽天のTBS株買い付け、そして村上ファンドの阪神株買い付けの話題がマスコミをにぎわせている。私たちの日常の暮らしからあまりにかけ離れた金額のやり取りに、現実感を持つことができず、ついつい興味本位にコトの顛末を眺める側に身を置いてしまう。阪神タイガースの勝敗に影響を与えはしないかとの危惧の方が現実味を帯びてくるといった具合でもある。
 ニュースをテレビドラマを茶の間で楽しむかのように眺めていた自分の頬を、むんずとひねって目を覚まさせてみると、日本の企業経営や資本主義社会の仕組みが根底から変わろうとしていることに驚いてしまう。これが小泉政権の5年間の「成果」(?!)、構造改革・民営化路線の結果というべきなのだろうか。
 私は自分なりにこのように考えてみる―
 下町でバネを作る町工場を経営する初老の夫婦がいる。従業員は二人。1960年代に家内工業として始め、高度経済成長に合わせて企業の孫受け注文をこなして町工場にまで広げた。しかし、バブルがはじけて以降、銀行の貸し渋りや景気の後退、打ち続くデフレの進行で経営が逼迫するが、いい製品を作りたいという誠実な職人気質と品質の良さが評価され、何とか倒産せずに経営を維持しながらここまでやってきた。
 そんなとき、アメリカのNASAから、宇宙開発のためにこの工場で作るバネがぜひ必要だという注文が舞い込んできた。バネの単価が何倍にも跳ね上がり、生産が追いつかなくなるほどの注文が入りだした。
 周りから株式を発行して、増資することを進められる。ついに株式会社を設立し、工場を2倍の広さにして、新しい機械も購入した。社員ももう二人増やした。それでもNASAからの発注という話が信頼を得て、他の国からの注文も含めて収益は増え続けた。しかし、これ以上の株を発行するつもりもなく、上場するつもりもなかった。会社経営は安定し、夫婦にとってゆとりある暮らしを過ごせるようになり、幸せな老後を思い描くまでになっていた。
 40年掛けてようやく成功を手にした夫婦のもとへ、1通の手紙が届く。いわく、「あなたの会社の46%の株を保有している。いつでも過半数を取得する用意がある。ついては、私たち株主が利するように、もっと努力をしてほしい。いまどき、『いい製品を作りたい』などと言ってる時代ではない、工場を4倍に広げ、設備投資もして生産量を上げれば、6倍の収益が上げられるはずだ。それができないならば、あなたには社長を辞めてもらう。会社は株主のものであり、社長や社員は株主の利益のための会社経営を株主から委託されたものであるのだから。」と。巨額の資金を持って企業買収をもくろむファンド集団は、下町の一隅までにも情報を張り巡らして、虎視眈々と標的を狙っている。
 私はこのような話から、ライブドアや村上ファンドの問題を考えようと思っている。株式は私の日常生活になじまないこともあって難しい。基本がよくわからないし、理解が間違っていることも多々あるだろう。指摘を受けながら勉強したいと思う。それでも考えねばならないほど、ここには現代日本の抱える本質的な問題があるのだと、そう思っている。 
5月1日 北朝鮮の拉致問題と、日本の強制連行

 拉致被害者横田めぐみさんの母早紀江さんが米公聴会で証言した後、ブッシュ大統領と面会したニュースがテレビ、ラジオ、新聞で大きく報道されている。拉致事件の報道に接するたびにいつも考えることがある。
 一市民が国家の手によって誘拐拉致されるなどという国家犯罪は断じて許されるものではない。では、かつて日本が朝鮮半島や中国大陸に侵略して、何万人という朝鮮や中国の人たちを拉致、強制連行してきた事実はどう裁かれるべきなのだろうか。実際に裁かれてきたのだろうか。
 北朝鮮を一方的に批判糾弾する声や、マスコミの論調は氾濫しているが、私たち日本の側が犯した拉致・強制連行に対する意見はいつも聞こえてこない。「それは戦争中のことだから」とでも言うのだろうか。「いまは戦争もない平和な時代に、こんな非人道的なことを、しかも国家がやることが許せない」ということなのだろうか。
 日本は1945年に無条件降伏をし、「敗戦・終戦」となった。しかし、北朝鮮と韓国は現在「休戦」状態であり、戦争は今も続いているのだ。しかも、拉致事件が頻発した60年から70年代は、38度線を境に両国の軍事政権がにらみ合い、その背後から米ソ超大国が核の脅威を見せ付けながら緊張が続いていた時期でもあった。「だから仕方がない」とは誰も言わないはずだ。
 たとえ戦争状態の中であっても、市民に対する国家犯罪は、決して許してはならない。日本の私たちも北朝鮮の国家犯罪を糾弾する声をさらに大きくし、一日も早い真相の究明と、拉致被害者の解放を実現できるよう努めて行きたいと思う。しかし同時に、日本の犯した国家犯罪に対してもまた真相の究明と責任の追及をしていかねばならないのだと思っている。
 自国の侵した拉致問題にほおかぶりしたまま他国だけを批判糾弾する姿は、決して国際社会に受け入れられることにはならないだろう。どこまで行っても、韓国や中国の人たちや首脳達の靖国参拝問題を初めとした「日本批判」は収まらないにちがいない。「両国の歴史認識の違い」などという言葉をよく耳にするが、歴史「認識」に矮小化してしまうのは、日本の側の都合のいい解釈に過ぎない。指摘されているのは、歴史に対する責任のとり方なのだと思う。それは今、正に日本国民の多くが北朝鮮に対して求めているものでもあるのだ。

 
4月17日 「聞く」ということ
 
 今学校では、子ども達と共に新しい学年・学級をスタートさせて、忙しいけれども活気に溢れた時期を過ごしている。同時に、新しい年度の学校運営方針やら校務分掌などを決める職員会議が連日取り組まれている。
 僕の在職する学校の今年度の研究テーマは、「聞ける子どもに育てる」ということになった。「聞くことは、人間関係の根幹をつくることにつながる」という共通認識を確認した上での決定でもあったので、なかなか具体的ないいテーマが生まれたと思っている。
 例えば、「主体的に問題を追求する子ども」とか、「豊かな感性を育む教育」などの様に理想像を掲げなかった背景には、やはり私たちの現場の事情がある。この数年富みに、「このごろの子どもは話を聞かなくなった、聞けなくなった」といううらみつらみも含めたため息交じりの会話が職員室で頻繁に交わされるようになった印象がある。授業の場でも、学級会でも、また日常生活の場面でもである。それならば、理想像を追いかけるよりも、誰しもが気にかかり、ナントカできないものかと日々思い続けている課題を、研究テーマとして学校生活のあらゆる場面で考えてみようということになったわけである。
 「聞く」ことは相手を大切にすることだと痛感している。自分が一生懸命話しているのに、相手がプイと顔をそらして知らんぷりをしたり、手遊びばかりして聞いてなかったり、お喋りに興じて無視したりすれば、話し手の心は傷つけられて、つらい思いをしてしまう。その話が真剣なものであればあるほど、より深く傷つけられてしまうにちがいない。
 その反対に、相手が目をつなぐようにして話を聞いてくれれば、関わりが生まれ、さらに言葉を引き出してくれるというものだ。寡黙な子どもが友達ができることで言葉が紡ぎ出されてくるのと同じだ。
 聞くことは相手を大切にすることであり、同時に、自分が大切にされることでもある。子どもであっても、教師であっても事情は変わらない。だから時には首根っこを捕まえてでも「聞いてほしい」と思うことがある。
 一方でこれは「聞くというルール」を作ることではない。「ルールとしての聞く」では、子ども達は「聞かなければ怒られる」「怒られるから聞く」ということになってしまう。低学年の間はまだ「こわいから静かにしていても」、高学年になって、「先生なんかこわないで、怒られても平気やデ」などとうそぶいて一点突破されてしまえばおしまいである。「もっとこわい教師の話」しか聞かないことになってしまう。
 ひょっとして、「聞くという経験」をしたことのない子どもがあるのではないだろうか、学校でも、或いは家庭でも、などということも考えてしまう。「なるほど聞くというのはこういうことなのか」という経験を(自覚的にせよ、自覚しないにせよ)持たない子どもは、どれだけ頭ごなしに「聞きなさい」と大声出して注意しても、聞くことがどういうこと、どうすることなのか分からないので、聞くことができないのかもしれない。
 「先生が『話を聞きなさい、聞きなさい』ばっかりしつこく言うから、ちょっと耳を貸してみようか」と、先生に向かって心を向けたとき、その耳に飛び込んできたのが「先生の怒鳴り声」であってみれば、二度と自分から聞こう、聞きたいとは思わないにちがいない。ひょっとしたら、小学校の6年間で一度も「聞くという経験」をしたことのない子どももあるのかもしれない。

 
9月17日) 「選挙」を通して考えること ③

 教育の民営化 とは

 
今、自民党も民主党も「小さな政府」「民営化」を推し進めると言う。それに反対する者は悪者であり、保守派・守旧派のレッテルを貼られかねない。そんな世論も含めた一方的な流れを感じてしまう。しかし本当に「小さな政府、民営化」はいいことなのだろうか?
 繰り返しになるけれど、日本経済は今後の世界競争を勝ち抜いて行けないだろう事はいまや自明の理である。(かつてのような侵略戦争でもしない限り。)だから僕などは、例えばスローライフなどという言葉が表すような、新たなライフスタイルを互いに見つけ出して行けばいいのではないかと考えている。一方で、これ以上の拡大が見込めない日本の限られた富を分配するのに、自由に競争すればいいではないかと考える者達もある。
 民営化とは、「もっと儲けたい、裕福になりたい」と考える「圧倒的少数の大金持ち」に、国外市場では競争に勝てないし、国内市場はほとんど手をつけてしまっているので、それではまだ手をつけていない「国民の共有財産」を自由競争の市場として開放しましょうと、政府が差し出しているようなものである。大企業と、ほんの一握りのベンチャー企業の成功者だけがほとんどの富を勝ち取っていく。国内の富の取り合いを経済の活性化とは呼ばない。いずれ極度のインフレを招くのではないだろうか。
 例えば、教育の世界を民営化することで、巨大なビジネスチャンス、市場が広がる。すでに公立の小中学校で、市ぐるみで学力調査を民間企業に委託したり、公立高校の授業時間を使って民間予備校の模擬試験をしたり、今流行の英語教育を民間の派遣社員をアドバイザーとして授業をさせるなどといったことが、頻繁に行われている現状がある。
 これまで憲法・教育基本法で明記された教育権の保障によって、誰もがあたりまえに学校に通い教育を受けてきた。誰もが疑いもしなかったこの教育の世界に、経済の論理が入ってくると、「より質の高い教育」をお金で買うということが生まれてき、いまやそれは当たり前になっている。(もっとも「質の高い教育」とは、「受験に役立つ学力」を意味するのだが)
 やがては「教育権」が、誰もに等し並みに保障されるのではなく、金を出して買うような時代がやってくるのではないだろうか。金の多寡によって行使できる教育権が違ってくるような時代である。当然、貧困層に与えられる教育と、富裕層に与えられる教育とがちがってくる。これまで日本の教育は、離島の過疎地であろうと、都会の只中の学校であろうと、教育の均等性が図られてきた。それは世界が驚き注目するものでもあった。現在、民営化の浸透とともに「古き教育制度」として切って捨てられようとしている。

 

9月7日  選挙戦を通して考えること ②
 
   民営化とはナンなのか

 
せっかくの選挙である、普段考えない政治について、経済について、或いは社会保障や福祉の制度について自分なりに考えをめぐらすにはよい機会だと思う。決して明快な論理や、的確な言葉で表現できるとは思わないが、稚拙な表現でもいい、自分の言葉を使って手探りしながら考え続けたいと思っている。

 「デフレ・デフレ」と言われてもう10年が経過する。一向に景気が回復する気配が見えない。一方で政府や日銀は、「底を脱しつつある」とか、「踊り場」だとか、言葉遊びをしているかのような表現で、「景気が上向いてきた」のだとアピールするのに懸命だ。しかし僕の給与も含めた公務員給与も、今夏の人勧でマイナス勧告が出された。何より生活の実感として「景気がよくなってきている」という感じは全くしてこない。つまり、自動車産業などの一部大企業が大きな収益を上げて黒字に転化したものの、その「もうけたお金」が、私達生活者の側には回ってきていないということになる。
 戦後の高度経済成長の時代、「経済侵略」という言葉をアジアの各国から投げつけられるほどに発展に次ぐ発展を遂げ、富をかき集めてきた日本の経済ではあったが、果たしてこれからの時代、世界の経済競争に勝ち抜いて行けるのだろうか。不可能であることは目に見えている。
 中国と競争して勝てるわけがないことは誰もが認めざるを得ない。韓国、台湾、ベトナムなどアジアの国々は、まさに今戦後日本がたどった経済成長を遂げようとしている。
 おそらく日本という国は、かつてたどった「侵略戦争」でも起こさない限り、これ以上の富の蓄積はできないのだと思う。「競争に勝つ」とか「これ以上」を求めるのではなく、「不景気と感じている現在の状態が普通であって、実はデフレではないのだ」という自覚を持つという、認識の転換が必要なのではないだろうか。今以上の便利さ、裕福さを求めるのではなくて、時に「1億総中流化」と皮肉を込めて言われるけれども、「今の生活でよい」とする覚悟を決めることでもある。
 問題は、拡大が望めない一定量の「富・お金」をどう分配するかである。「もっと」を求めるのではなく「現在の生活を肯定」しながら、社会保障や福祉の充実に使いながら、お互いの生活を守り支えあう考え方ができる。
 しかし小泉流の行財政改革の中で現在進行しているのは、「少数の金持ち」が「もっと儲かる」ような社会の仕組みを作ろうとしている。
 ホリエモンが「郵政民営化」に賛成なのは当然である。きっと年金問題や福祉問題、歴史や靖国問題などはほとんど無関心なのではないか。見事に小泉と重なってくる。なぜなら、郵政事業が民営化されれば、そこに金儲けの機会が広がる。すなわち、一つ民営化がなされるたびに、そこには広大な金儲けのチャンス=市場が出現するからである。
 ホリエモンが「新しい」のは、これまでの資本家は政治献金を使い政治家を通して金儲けのチャンスを開拓してきたのだが、彼は自ら政治の場に赴いて必要な市場を自らの手で開拓しようとしていることである。だから「政治家か社長か」を選択するなどという課題は彼にはありえない。政治を道具に使ってさらに金儲けをするという目的があるだけである。
 繰り返しになるけれど、日本の中にある富はこれからも拡大はしない。その決まった富・お金の自由な取り合いがもたらすものは、「圧倒的少数」の大金持ちと、「圧倒的多数」の貧困者との2極分化以外のなにものでもない。それが小泉流の行財政改革であり、民営化なのだ。
 
 8月17日 51%の支持率が意味するもの

 小泉純一郎という総理大臣が、どのように退陣していくのか、注目し始めていたところであった。景気の回復も進まず、国連安全保障常任理事国入りの思惑も各国の了解が得られず、アメリカにまでそっぽを向かれ、イラクへの自衛隊派兵の根拠も根本から崩れ撤退する国が増えてきた。中国、韓国、北朝鮮からの批判も渦巻いていた。そこに郵政民営化をめぐる自民党内の混乱である。内政も外交も八方ふさがりで、唯一の頼みであった支持率も下降を始めていた。
 そんな矢先であった。衆議院が解散させられた。理由は、郵政民営化法案が参議院で否決されたからというのだ。つまり、「(小泉の)私の考える法案が否決されたから」ということだ。総選挙の争点は「郵政民営化に賛成か反対か、その1点だ」とも豪語する。
 このような選挙があってもよいのだろうか。経済問題、年金をはじめとした社会制度の問題、歴史認識や靖国参拝、戦後補償をめぐるアジアの国々との関係、外交問題等々、切実な課題が山積している。国民の前に具体的な政策を提案し、各党との論議を尽くしながら選挙戦を戦うのが民主主義というものだ。
 「私(小泉)の考え方に賛成か、反対か」を問うだけに、多大な税金が投入されようとしている。これまで構造改革・民営化を言い続け、その槍玉に公務員の税金の無駄遣いを挙げてきた張本人がである。
 かつてアドルフ・ヒットラーが議会対策がうまく行かず、解散して総選挙に打って出た結果、80パーセントを越える議席を獲得した。ホロコーストに到るナチスドイツの独裁の始まりである、という話を聞いたことがある。今回の解散劇を見ながら、なるほどこんな大衆操作の手もあるものだなと、その話を思い浮かべたりしたのだが、戦後60年を経た今、まさか日本の国民がこうした単純な大衆操作に乗せられるわけもないと、勝手に高をくくって眺めていたものだった。
 ところがどうだ、解散直後の内閣支持率が46%と上昇し、今日(8月17日)には、さらに51%と支持を上げている。(朝日新聞世論調査)いったいどういうことなのだろうか。日本という国と、国民性に心底恐ろしさを感じてしまった。むしろ「戦後60年を経た」それが意味なのだと言うべきなのだろうか。やはりこの国は、戦後の60年間歴史と直面すること、歴史的事実を認めることを巧妙に避けながら、責任をすり抜けてきたのだろうか。
 9月11日投票となる選挙戦の舞台は、これからの日本の将来を占うという本来最も社会性を帯びたイヴェントであるはずのものが、全く社会的な構造を持っていない。あたかも薄っぺらな1枚の劇画マンガのページを見ているようである。小泉首相から直接依頼されたという「落下傘部隊」の相継ぐ立候補がマスコミをにぎわせている。東大卒の女性高級官僚であったり、女性政治学者であったり、アナウンサー出身の大臣だったり、カリスマ料理研究家だったり・・・、小泉が自ら描く劇画に色付けのためにヒーロー、ヒロインを登場させ、描かれた本人達はその劇画に自ら溺れ、ヒーロー、ヒロインとして同一化させていく姿が思い浮かぶ。
 今回の選挙戦の舞台で欠落しているのは、社会構造である。特に社会構造を貫く歴史という時間軸が、意図的にか無視され続けている。それは、突如選挙戦の表舞台に飛び出してきた、戦後日本が生み出してきたエリート達の姿を通して最もよく見えてくる。日本の教育が生み出してきたエリート達でもある。
 このままでは日本という国がとんでもない国になってしまう。私たちは今何をなすべきなのか。私は今何をなすべきなのか。「今それを問い始めている」と書くには遅すぎるくらい、切羽詰った事態に私たちの国は追い込まれてしまっている。

 
2005年2月12日  国 を考え続ける人

 新井英一のCDアルバム『清河(チョンハー)への道』(1995.meldac)を買って聞いた。確かその年のレコード大賞アルバム賞を取ったものだと記憶している。何度も繰り返し聞いた。随所に朝鮮楽器が入り、サムルノリが演奏され、見事な構成のアルバムに仕上がっている。聞くたびに、新井英一独特のブルースのメロディーに乗って、パンソリを髣髴させる野太い声で歌う言葉の一言一言に心動かされた。
 12年程前、寝屋川市内で在日韓国人児童に対する差別事件が起こり、多くの人たちの支援を受けて糾弾闘争に取り組んだ。2年にわたる運動の結果、市は「寝屋川市在日外国人教育指針~とりわけ在日韓国・朝鮮人児童・生徒のための~」を制定し、市民向けの「ハングル語講座」、外国人のための「日本語よみかき学級」を開講するにいたった。その折に、市民団体と教職員組合の共催で〈新井英一コンサート〉を開いた。次々歌われるブルースに酔い、終盤の「イムジンガン」「アリラン」に胸揺さぶられる思いがしたものだった。
 数年後、たまたま合わせたテレビのチャンネルで、新井英一が日本に帰化したことを伝えていた。何かしら残念な、複雑な思いがしたことを覚えている。しかしこのCDを聞いて、「一人の人間にとって国とはいったい何なのか」という問いに、こだわり続け考え続けている人があることを、感慨を持って知らされた。
 その曲は、「父親その人を何にも知らぬまま、母親だけに育てられた」新井英一が、父親の故郷清河に向かって旅立つところから始まる。叙事的に、時に叙情的に歌い継がれていく。

「やっと来たかとふるさとが両手を広げて喜んで 迎えてくれているような愛しい大地の風が吹く ひとりで歩く清河へのみち (「旅立ち」8.)
「哀しい時代があったことを俺は忘れちゃいないけど 過去を見ながら生きるより明日に向かって生きるのが 人の道だと気がついた (「故郷」16.)
「それから学校行ったなら誰もが俺見て逃げてった 一緒に遊ぼうと思ってものけ者にされてしまうだけ 初めて言われた朝鮮人 (「思い出」22.)
「お前は誰だの問いかけに俺はコレアンジャパニーズ 日本で生まれて育ったがアジアの血を引く人間と 初めて異国でそう言った (「アメリカ」35.)
「こだわり続けて生きるのもこだわり捨てて生きるのも 愛する心があるがゆえ愛される人がいるがゆえ 自由に生きる決心した (「家族」44.)
「旅からわが家に帰り着き迎えてくれる家族見て みんなの笑顔が嬉しくて家族が俺の国だよと 妻と子どもを抱き寄せた (「家族」47.)
「俺のルーツは大陸で朝鮮半島と言う所 俺の親父はその昔海を渡って来たんだと ひ孫の代まで語りたい アリアリラン スリスリラン アラリヨ アリラン峠を俺は行く (「家族」48.)

 
僕が新井英一の帰化の話を聞いたときに感じた戸惑いが、これほどの歴史と個人史の深みから生まれたものでないことは言うまでもない。自分の国についてほとんど考えたことがないことを思い知らされた。歴史を背負って日々を生きる実感も全くといっていいほど持ち合わせていない。
 今、教育基本法に「国を愛する心」を入れようと躍起になっている政治家達、憲法を変えて戦争のできる国にしようとする日本人達の考える「国」とは、いったいどういうものなのだろうか。

12月23日 思想性のない話で恐縮ですが、

 我が家にはテレビが1台しかない。夜の8時、9時ともなると、毎晩のように息子娘達と熾烈なチャンネルの争奪戦を繰り広げることになる。12月12日9時15分からNHKのETV特集で『水俣病は終わらない、不信の連鎖』が放映された。家族は僕が「水俣病問題」に関心を持ってきたことを知っているし、この間の環境省交渉や熊本県との交渉に参加したことも話している。当たり前のごとくに僕はチャンネルを変えた。と、一斉に声が飛んだ。「何で勝手に変えるの」「今面白いとこやのに」・・・。「水俣病の報道番組なんだ。父さんが参加した交渉の場面を中心に編集されてるんやで。」「きみ達にもぜひ見てもらいたいんだ」と応えたものの、「それは父さんの勝手すぎるわ」「私らは今、これを見たいんや」と即座に切り返されてしまった。僕は思わず怒鳴り声を上げてしまった、大人げもなく。
 そしてあわててビデオをセットし、そそくさと別の部屋に行き、オーディオのスイッチを入れてヘッドホンをかけ音量つまみをグイッとひねった。「僕の水俣病問題」が、田村正和に負けてしまった。なんとも思想性のない話ではあるが、これが我が家の日常の暮らしでもある。
11月28日 たかし君

 神奈川の養護学校をこの春退職した友人から電話が掛かった。妻の教職時代の先輩でもあり、結婚以来家族ぐるみの付き合いをさせてもらっていて、我が家の子ども達も物心ついたときから、彼女を「カトバー」と親しみを込めて呼んでいる。
 高等部を卒業した自閉症の障害を持つ18歳の青年が、最近「オオサカ・タカラヅカ」と毎日繰り返し言い続けるので、二人で旅に出ようと考えているのだが、泊めてもらえないだろうかというのだ。ちょっぴり声の調子を改めながら、「何せタカシは、養護学校でも超有名人で知らない教師はない存在なんよ。ちょっと目を離すと教室から飛び出してしまうし、もう皆が振り回されてねぇ。今度の旅もどうなることやら、周りの者も皆驚いている有様でね」と、いつもの軽快な笑いを交えて付け加えた。
 「退職して尚、卒業生と旅行するとはいかにもカトバーらしいな」、と家族で話しながら再会を心待ちにしていた。
 人ごみの中を幾度もジャンプしながら現れた頑丈な体躯を備えた青年は、ひと目で彼と分かる。いきなり僕の手を握り「たかしです。こんにちわ」と挨拶をする。その素早さは「こいつが宿を提供してくれる主人だな(主人かどうかは別として)」、いかにも目ざとく嗅ぎ分けて対応するリップサービスのようでもあった。家に着いて16歳の息子と出会うや、むんずと体を抱き寄せ、13歳の娘達にはしっかと握手を交わして挨拶をする、その社交辞令の鮮やかさに家族の者達はただ目を白黒させるばかりであった。
 二人で銭湯に行ったときのことだった。風呂好きのたかしに君は、自分なりの入浴のペースがあり作法があるだろうから、別段僕が口を挟む必要は何もないのだが、ただ、逞しいからだの青年が得意のジャンプを風呂場で何度も披露するものだから、周りの好奇の目を集めないではいられない、時折声を掛けて「保護者はここにいてますよ」と周りに対するアピールだけはすることにした。
 打たせ湯、サウナ、泡風呂・・・と楽しんでいたたかし君が、勢いあまって水しぶきを上げ、そばでからだを洗っていたおじさんに掛かってしまった。気になり続けていたのだろうそのおじさんが、我慢し切れないといった剣幕で「なにすんねん」と一声上げてにらみつけた。立ち尽くしたたかし君、一瞬の間を置いて、真ん丸く見開いた目をまっすぐにおじさんの顔に向けて「ごめんなさい!もうしません!」「ごめんなさい!もうしません!」と繰り返し、左手の甲を右手のひらで二度三度とたたいて謝った。おじさんはぶつぶつ口ごもりながらもまたからだを洗い出した。
 隣の女風呂で気が気でなかったであろうカトバーは、風呂を楽しむこともなくそそくさと上がり、のんびりと暖簾をくぐって上気した顔を覗かせた僕たち二人を迎えてくれた。
 大阪での3日間、朝も昼も夜も全身で満喫してくれただろうたかし君が帰った後、「楽しかったなぁ、たかし君がいてないとさびしいわ」「たかし君まじめな人やったなぁ。あんなきれいな目をした人初めてや」・・・等々と、子ども達も口々に思い出しては話に花が咲いた。
 それにしてもと思うのだ、たかし君のコミュニケーションの力はたいしたものだと驚いてしまう。小・中学校を地元の学校で過ごし、高等部から養護学校に入ったたかし君にとって、ほとんどマンツーマンで「懇切丁寧に」面倒を見てくれる養護学校の体制はうるさい束縛と感じられたのかもしれない。機を見ては教室を飛び出し、時には学校をも飛び出して自由奔放に振舞った気持ちが理解できるような気がしたものだ。或いは、教師をてんてこ舞いさせた「問題行動」の数だけ、彼は人と出会い、怒られたり、やさしさに触れたり、社会というものに出会ったのではなかったか。実際の社会の中で実践を通して学び培った力といえるのかもしれない。現実と出会に、対処するために否応なく身に付けた処世術であったのかもしれないが、しっかりと自分の障害をアピールしながら、人との交わりを臆することなく突き進んでいくかのようなたかし君の姿は、「健常者」の青年以上に今を生きる力に漲っているように僕には見えた。
 
  
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