
「な、なんちゅうことかきよんねん。かりにもオレは教師やぞー!」と、どなりたい気持ちがひとつもしてけえへんから不思議や。それどころか、見れば見るほど心があったこうなってきて、うれしいて、心をくすぶられるようで、こそぼうなってくるんやなあ。この絵のいたるところに、まこと君の心が顔を出してるんや。
まこと君は、ある時期「へ」の詩ばっかり書いてたことがあったんや。
おなら
おとうさんわ、おふろにはいるとき、まいにちおならをフプーとしました。
おかあさんもつられてプーんとしました。
おなら
おとうさんは、おならをあっちこっちにするから、おうちが、へだらけになりました。
ぼくもうつりました。
いえでもするし、ねてるときでもするし、どこでもするようになりました。
それからまた、おとうさんがへをこきました。
おとうさんと、ぼくと、おとうとと、みんなそろってこきました。
いえじゅう もう まっきでたまりません。
プーウ
プッ ブーウ
いろんなおとがなりました。
「まこと君の世界」「まこと君だけの世界」があるねんなあ、ぼくにもだれにもふみこまれへんような。
まこと君の両方の耳は、ほとんど音が聞こえへんねん。ちょうしの悪いときは、耳のそばでさけんでも聞こえへん。それでもまこと君は「音のない世界」から、友達に向かって、ぼくに向かって、けんめいに信号を送ってきたんや。
その信号はいっつも、「笑い」にあふれとった。スゴイやつ やった。
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かよのくらし 子どもの自死について考える |
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