私の出会った子ども達


N君という人(ヤツ)

(12月7日更新)
 総合学習の「ふしぎ探検隊」で別の教室に行ったときにも、「川とゴミ」の探検に出かけた先でも、N君とH君は、毎回のようにケンカをしている。付き添ってくださったお母さんがあきれてしまうくらいだから、相当に激しいケンカであるらしい。「らしい」と書いたのは、松森センセの前ではやらないので想像するほかないからだが、センセのいないところでならケンカするというやり方に、「けしからん」と大いに腹を立ててもいる。この二人、友達と相談しながら協力して取り組むことがどうも苦手なようなのだ。
 ところがいざ「自分のすきなこと」をやる場面になれば、顔もからだもピッカピカに輝き出し、他の誰にもまねのできないくらいのエネルギーを発揮するのだから驚いてしまう。


 あしたから魚売るねん!?
 6月になって3年1組で「お店屋さんごっこ」が大流行したことがあった。実はきょうだい学級の5年1組のお姉ちゃん達が「お店」を開き、招待してくれたのがきっかけで、今度は自分達で「お店屋さん」をやりたいと考えたようなのだ。
 折り紙、メモ帳、ビーズなどから始まって、カード、消しゴムが登場し、「あてもん」のくじができたり、バケツの中でスーパーボールすくいまでが現れたりで、よくもまぁこれだけ次から次へとアイデアが浮かぶものだと感心してしまう。
 噂が噂を呼び、30分の遊び時間になると、低学年から6年生までが手に手にキャっポンを持って列を作るほどに繁盛してしまった。
 一方で、2年生が二人クラスの代表として終わりの会にやって来て、「学校にカードやおもちゃを持って来たらアカンと思います。みんながまねをしてしまいます」と注意を受けたり、何人かの先生からも「クラスの子がおもちゃで遊んでいたので聞いたら、3年1組で売ってくれたと言ったんだけど・・・」「学校に持ってくるのはどうかな」などと、松森センセが指摘を受けたりもした。
 僕は聞いたことは子ども達にそのまま伝えることにしている。さすがになにやらマズイと思う気持ちが働くのか、カードは自主規制したものの、「家にあるいらんもんを持ってきてるんやし、お母さんにも言うてる。フリマーやっていろいろ交換もできるし、悪いことないと思う」と、一斉に反論が返って来た。

 
しかしどういうわけか(といってもじわじわと周りから包囲されるかのように締め付ける教師の視線をうるさく感じ始めたのだろうことは想像がつく)、そんな話があってから次第に「お店屋さん」の熱気が冷めていってしまった。なんだか僕はちょっぴり残念な気がしてしまったんだけれど。
 そんなときだった、帰り際にN君が「あした魚持ってくるからな。お店出して売るねん」と、大きな声を残して帰って行った。翌日、N君の水槽をお客の群れが取り巻き、その列は廊下にまで伸びていた。久々にお店屋さんに活気が戻った日になった。
 読書の時間になると学習室に一目散に駆け込み、生き物図鑑を読みふけり、家に帰ると長靴に履き替え網をつかみポリバケツをぶら下げて、ザリガニ取りや魚とりに飛び出して行く。ほんまに好きで好きで仕方ないのだろう、ひょっとしたら授業中に国語や算数を勉強しているときにでも、目の前には虫や魚達の顔が浮び、ニヤっと笑顔を作って送ってよこす表情が見えているのかもしれない。

センセェ、たすけてぇ(12月17日更新)
 
生き物にまつわるN君の逸話には事欠かない。30分休みが終わって教室に向かおうとしていたとき、何人もの女子がドヤドヤと職員室に走りこんできた。「センセェ、たすけてぇな!」、かまびすしい声が一斉に上がる。「助けて」といいながら、どの顔にも笑みがこぼれている。
 「N君が休み時間にハチを捕まえてきて、これから教室で飼う」と言っているというのだ。これまでにも、ザリガニ、バッタ、トカゲ、クワガタ・・・、いろんな生き物が入った水槽や虫かごを教室の後ろに並べては、かいがいしく世話をしていたのだが、しかしハチを飼おうとは思いもよらなかった。
 教室に行くと、皆が恐る恐る遠巻きにして眺める中を、ハチの入った虫かごを手に、うっとりとした目で見つめるN君の姿があった。スズメバチのような凶暴なハチではなさそうだ。とはいえ、危険を感じれば人を刺すことは十分に考えられる。「あきらめさせるしかないか」と思い、当然の結果を予想して、「じゃぁ皆の意見を聞かせてもらおうか」と多数決をとることにした。「飼うのに賛成の人、反対の人」・・・
、ところがどうだ、同数の手が上がってしまった。僕は言ったものだ、「N君、このハチの名前、性質などを詳しく調べて、明日報告してくれよ。それからもう一度みんなで考えて見ようや」と。
 その日の放課後、学校図書館で図鑑を開き一人で調べるN君がいた。司書担当の田中先生にも相談したらしい。満足できる答えが見つからなかったのか、家に帰ってから東図書館にまで足を運んで調べたというのだから驚いてしまう。


 
●なまえ とっくりばち
●どくはありません。
●かていでかうはちです。
●とっくりばちは、はりをいっかいつかったらおわりです。



「ほんまに『かていでかうはちです』なんて書いてあったんかいな?」と首を傾げてはみたものの、普段宿題はやってこないし、忘れ物のない日はないというN君を思うと、その熱心さは認めざるを得ない。

さて、こんな生き物大好き人間の「N君というヤツ」が、どんな観察ノートを毎日書いたのか、次回で紹介することにしよう。

観察ノート(1月7日更新)

 担任をもったときには毎年「観察ノート」に取り組むことにしている。いかにも思わせぶりに大学ノートの束を大事そうに抱えて教室のドアーを開ける。「センセ、それなんや?」という声が掛かるのを待って、適当に思いつくままにおしゃべりしながらそのA6番のノートを一人ずつに配って回る。子ども達が首を傾げながら手に取り表紙をめくると、こんな僕のメッセージが貼り付けてある。

ふしぎの心で追求する

あれぇふしぎだなぁ
なぜだろう
もっと近づいて よーく見てみよう
手にとって さわってみよう
ああだろうか こうだろうか
ひとつためしてみよう
こうしたらどうなる?
なるほど
じゃあ こうすれば?
なるほどなるほど
あれぇ また ふしぎがみつかった
あくまでもどこまでも 追求してみよう

「いいかい、これから観察ノートに取り組もうと思う。1ヶ月間、雨が降ろうが雪が振ろうが、ひょっとして槍が降ってこようが、毎日観察して記録を書き続けるんだ。さっそく今日から何を観察するのか探してくることにしよう。」ということからスタートする。翌日からノートを介した子ども達と僕との毎日のやり取りが始まる。
 その日の内に返したいので、時間との格闘になるのだが、日々変わっていくノートを読むのは興味深くて実に楽しい作業でもある。終わりの連絡のときに返されたノートのページを開いて読みふけったり、近くの友達と見せ合いをしながら話し合っている姿を見るのもまた嬉しいものだ。
 ありの観察をしていて、巣を掘り返した中から昆虫の死骸を発見したり、色んな大きさのえさを置いて実験したり、行列の歩いた後に石を置いてみたりと様々な工夫が生まれてくる。亀の歩く速度を計る者、唐辛子を育て、実を観察して、ついには種を炒って食べるもの等々、観察対象も様々だ。表やグラフを作ったり、写真を貼ったり、新聞の切り抜きや、インターネットからダウンロードした資料を貼ったり、押し花を貼り付けるなど記録の仕方にも工夫が表れてくる。中には、「弟の顔」や「壁の落書き」を選んだものの、「今日も変わりません」「今日もまた変化ありません」・・・「先生、たすけてぇ!」と悲鳴を上げる者まで現れる。やむなく選びなおして観察を再スタートすることになるのだが、これもまた楽しい。
 N君は家で飼っている金魚の観察を始めた。

 N君の観察ノートは、この日から毎日欠かさず続くことになる。
(つづく)

「金魚の観察」はじまりぃ始まりい!
(05年1月23日更新)
 
 N君は夏祭りで買ってきた金魚の大きさが1ヶ月経ってバラバラになっていることに「ふしぎ」を持った。だから、なんと1匹1匹の体長を測って詳しく調べようとした。いったいどのようにして測ったんだろう、水槽のガラスにものさしを当てて泳ぐ金魚を測ったのか、手のひらに載せて測ったんだろうか。


 翌日は水温を調べた。あてずっぽうではなく、ちゃんと目盛りを読み、詳しい数字を書いている。「じょうはつ」なんて、難しい言葉も使っている。「算数の時間でもこんな具合にやってくれよ」と思わず喉元まで言葉が上ってくるのだが、何とか呑み込んだ。

 N君の目はいつも詳しく詳しく金魚を見つめている。だから毎回「ふしぎ」を発見する。それだけではない、いったん「ふしぎ」を発見すると何とか解決しようと、あの手・この手を考える。そして行動も起こす。
 水槽の温度を調べていて「水の温度と魚の関係はどうなっているのか」という「ふしぎ」が生まれた。知りたくて家の本を調べたが分からない。そこで一人自転車にまたがり東図書館に向かって走らせた。答えを見つけた。何たる行動力、参ってしまうよ。

 ひょっとしたら寝ても覚めても金魚のことで一杯になっていたのかもしれないN君の目と頭と心は、「すごいことを発見」することになる。(つづく)

「すごいこと発見だー!」(2月12日更新)

 2学期末の懇談会でお母さんが言ったものだ、「先生ね、あの観察ノートをやっていたときは、自分で水槽のそばに布団を敷いて寝起きしていたんですよ」と。生き物大好き人間の面目躍如といった姿が目に浮ぶ。
 N君の目と心は、水槽にくっついているコケにひかれていく。何か思うところがあったのだろう、「わざとそのままにしておいたら」コケだらけになってしまった。そして「ふしぎ」が浮かぶ。


「コケを取るにはどうしたらいいかな」という「ふしぎ」を持ったN君が大発見をした。ある日、水槽の中がきれいになっていて、お姉ちゃんがそうじしてくれたのかと思い聞いてみると・・・。

 温度が上がってコケが増えるのと一緒に、水槽の中の貝も増え、その貝がコケを食べているというのだ。もちろん、家の図鑑なのか、図書館に駆けつけたのか、さっそく貝の名前を調べることも忘れない。なんだか、字までが力の入ったていねいな字に変わってきたようにも思えるんだけれど。
 こんな大発見をすれば、ますますやる気が出るというものだ。

「金魚の研究」は続く

 N君の「金魚の研究」は、もちろんこの後も毎日続いた。「ひんしゅのかんけい」を調べていて、「黒いでめきんを見ていると、なんで目が出るんだろうとふしぎに思ってきた」、


この絵の見事なこと


「1ぴきだけ体の色がどんどんうすくなってくるのがわかった。なんでやろな」という「ふしぎ」が生まれて考え、調べ、もっと詳しい観察に取り組んでいった。



 1ヶ月の予定で取り組み始めた観察ノートだったが、2ヶ月に延長し、それこそ「雨が降ろうが槍(?)が降ろうが」毎日子ども達は観察を続け、ノートが出されてきた。それまでほとんど宿題をやってこなかったN君ももちろんその一人である。字も変わり、絵も変わった。見事な研究を生み出したN君ではあるが、しかし暮らしぶりが丸ごと変わったのかというとそうではない。相変わらずH君と顔を合わせれば、肩を組んで笑いあったりにぎやかなケンカを始めたりの毎日である。それでいいのだと思う、それがN君の暮らしぶりであり生き方なのだと思う。
 「すきこそもののじょうずなれ」とはうまく言ったものだと、N君を見ていてつくづくそう思う。別の言い方をすれば子ども達一人一人に、その子どもの「学びの必然性」があるとでも言えばよいのだろうか。ちょっとカッコをつけすぎたかな。(おわり)




 
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