2022年9月27日 安倍晋三元首相の国葬に反対する
安倍晋三へ最後の抗議の意思 |
2020年11月23日 「大阪市を廃止する都構想」住民投票で否決!
「都構想反対!」で取り組んだ、わが家の顛末記 ここをクリック
|
2020年5月22日 ツイッターデモ 民意が政治を動かす!!
#検察庁法改正案に抗議します ネット上で「#検察庁法改正案に抗議します」とのツイッタ―投稿が数日間で700万件に上っています。「ものすごい」数の国民からの批判が安倍政権に向けて発信されています。ところが与党幹部、首相周辺からは「およそありえない数字」「本当に600万だったかは知る由もない」…などと、疑問視する声が上がっていると聞きます。つまり、国民の声を信じない、聞きたくない、聞こうとしないのです。紛れもなくそれは安倍晋三のとらえ方でもあるにちがいありません。この人はきっと「権力の横暴」に対して、生命や生活の危機感から「抗議する側」に立ったことが一度もないのでしょう。
民主党政権の時代がもう一期でも続いて野党の立場でいることができれば、少しは「抗議する側」の経験を積むことができたのかもしれませんが、残念ながらその学習する機会も逃してしまったようです。
だから先の選挙戦のときに応援演説の車上からマイクを握って、聴衆に向かい、「アベはやめろ!」のプラカードを掲げた人たちを指さしながら、「“みなさん”は、“あんな人たち”のいうことを聞いてはならない」と声を張り上げて、総理大臣自らが憲法違反にもあたる国民を分断する行為を平然とやってしまうのです。 そして今回も「700万の国民の抗議」を「嘘」と決めつけるかのように強行採決をめざしています。強行採決をしていっとき支持率が落ちたとしても、どうせ国民はしばらくすれば忘れてしまいまた支持率は回復する、そう高をくくっているにちがいありません。
国民が感染におびえ、自粛生活に疲れ、商売や工場、会社の倒産の危機と立ち向かい、失業や、その日の日銭すら持ちあわせずホームレスに転落したり、学費を払えず学業の継続を悩んだり、家族間の虐待が生まれたり、…生活や生命の危機を感じているさ中に、いやまさに国民の目やマスコミ報道がコロナ感染に集中するすきを狙って、「火事場泥棒的に」成立を企てるなんとも卑怯で無能な政権の所業であるといわねばなりません。
しかし、700万の抗議のツイートだけではありません。15日には、元検事総長ら検察OBが「検察人事への政治権力の介入を正当化」するものであると法改正に反対する意見書を法務省に提出しました。また、弁護士ら500人以上が「桜を見る会」の夕食会をめぐって、公職選挙法と政治資金規正法違反の疑いで、首相を東京地検に告発することが明らかにされました。自殺した近畿財務局職員・赤木俊夫さんの妻が、「遺書」を公表して「国と佐川元財務省理財局長」を相手に大阪地裁に提訴しました。もう我慢できない、政治が民主主義が国というものが瓦解して行くのを、もうこれ以上黙って見過ごす訳にはゆかないという国民の側の悲鳴と怒りがうねりとなって安倍政権を揺るがし始めているように感じています。
内閣法制局長官、日銀総裁、NHK会長、そしてついに検察庁長官まで、自分の意のままに動かせるようにする法改正を企む安倍政権を断じて許す訳にはゆきません。私も「抗議の意思」を投稿します。
検察庁法改正案 今国会見送りか?
5月18日の夕刊で「検察庁法改正案 今国会見送り浮上」の見出しを見て、その夜のニュースで「今国会断念」の報道を知ったとき、久しぶりに喉の奥に詰まっていた異物がとれたような爽快感を感じました。 700万件を超える(現在までにいったいどれだけの数に上っているのでしょうか)「#検察庁法改正案に抗議します」のSNS上の「抗議の意思」が発信され、検察OBたちが法務省に「反対」の意見書を提出し、メディアの発表した内閣支持率が10ポイント近くも下がり、「支持しない」が大きく逆転、それらが一挙にうねりとなって、安倍政権、自民党、公明党を動かしたことはまちがいありません。
今後安倍晋三の求心力は低下し、さらに次々と批判の矢が追い打ちをかけることになるでしょう。▼河井克行・案里議員の公職選挙法違反事件、▼「桜を見る会」の夕食会の公職選挙法、政治資金規正法違反疑惑、▼亡くなった近畿財務局職員赤木俊夫さんの妻が「遺書」を公表して「国と佐川元財務省理財局長」を相手に大阪地裁に提訴した「森友問題」をめぐる裁判、どれをとっても安倍晋三の喉元を貫く問題ばかりです。 さらに、日銀丸抱えの株価操作で経済成長を偽装してきた「安倍ノミクス」もすでに打つ手がなくなり、コロナウイルスによって一気に裂け目が広がり、最大の経済危機に陥ることは確実です。
「国民が声を上げれば政治を動かせる」、こんな当たり前のことを実感するのに、途方もない時間が必要だった気がしてしまいます。それがこの国の現実です。無関心でいない、あきらめない、他人(ひと)任せにしない、口癖のようになっている言葉を改めて念仏のように唱えました。
今国会成立を断念する! ほーらほらほら、安倍晋三の足元が音を立てて揺れ始めています。 政府が5月18日の夜、急転直下「検察庁法改正案の今国会成立を断念」したことから、安倍晋三の求心力の低下は明白。
さっそく20日には「黒川検事長のかけマージャン」を報道する「文春」砲が炸裂。「重大かつ複雑、困難事件の捜査公判に対応するため」(森法相)「黒川検事長でなければならない」と、「法解釈を変更して」(安倍総理)までも閣議決定で定年延長を決めた当の本人がしでかしてしまったのだから、政府は上を下への大騒ぎとなっているにちがいありません。
それにしても、一国の検事長が新聞記者・メディアの人間と徹マン(掛けマン)をすることが常態化していたというのだから、警察・司法の底の浅さが透けて見えて来るというものです。そんな人物を検事総長にして保身を図るために、法解釈を捻じ曲げ、後追いで法律を強行採決しようとした政権の浅はかさが白日の下にさらされることになりました。 さらに世耕参院幹事長が「国家公務員法改正案」に「疑義」を表明して、野党から「支離滅裂」と揶揄されるなど、安倍政権のタガが外れる様相がうかがえます。 しかしまだまだこんなことではすみませんよ!
▼河井克行・案里議員の公職選挙法違反事件、▼「桜を見る会」夕食会の公職選挙法、政治資金規正法違反疑惑、▼亡くなった近畿財務局職員赤木俊夫さんの妻が「遺書」を公表して「国と佐川元財務省理財局長」を相手に大阪地裁に提訴した「森友問題」をめぐる裁判…と、安倍政権の生命線を狙う追求が続きます。 万一安倍総理が辞職となれば、「忖度」が働かなくなり、起訴、逮捕ということもあり得るのではないかと思います。それが怖くて、意のままに動かせる黒川検事総長と検察人事を画策したのでしょうが、あっけなくひっくりかえってしまいました。 行くも地獄、とどまるも地獄、ひょっとしたら心許せる相談相手もなく、もちろん妻に泣き言を洩らしてすがりつくこともできずに、ひとり満身創痍で立ち尽くしているのかもしれません。 もし私がアベさんと雀卓を囲んで徹マンでもしていたのなら、「リーチ」と一声かけた後、「もう辞めなさい」とやさしく声を掛けてあげるのですが。 |
2020年4月16日 近所のシカヤマさんがコロナウイルスで亡くなりました。 ご子息の話によれば、3月12日にロンドンに向かって出発し、自宅に到着してから体調を崩しカゼ、熱、咳の症状が出た後新型コロナウイルス感染症と診断されて、それから数日経た3月28日に亡くなられたとのことです。
あまりに唐突な話に言葉をなくして立ち尽くしてしまいました。出発の二日前に「例の」(FBでも何度か紹介していますが)ジジイ二人のティーパーティーをして、世間話や政治や経済や、特にコロナウイルスをめぐる政府の対応の遅さ、誤り等々、四方山話に花を咲かせたばかりでした。ビザの関係と、感染状況からいまイギリスに戻らなければ入国できなくなる可能性を判断した上での出発でした。
人一倍健康に気遣っておられたシカヤマさんは、毎日のジム通いを欠かさず、来日の度に病院での検診を受けていて基礎疾患は持っておられませんでした。空港ゲートを通るときは、簡単な健康チェックも受けたと思いますが、非感染であったはずです。とすれば、ロンドンまでの12時間の飛行中に感染したとしか考えられません。そしてロンドン到着から2週間で亡くなられました。
シカヤマさんとバトンタッチするように来日していたご子息は、父親の病状につき添うことなく、いきなりイギリスからの訃報を知らされました。一人暮らしの日本の日々を何も考えられないまま過ごしていたといいます。そして、おそらく隔離されているのではないかと思われるお母さんの安否が気がかりで、なんとかイギリスへ渡る手だてがないか探していると付け加えました。
4月に届いたシカヤマさんからのエア・メールには「…今日はロンドンは曇り、13度で風が強く吹いています。ロンドンに戻って10日ですが少し体の方も戻ってきたようです。大阪はいかがですか。少しずつ春らしくなってきましたか。…」と、優しい心遣いが独特の字体でしたためられています。体調の変動する中で投函してくださったことがうかがえますが、この数日後に急変重篤化したものと思われます。 ご子息からは「父の火葬の申し込みなどをするために、先週から急きょイギリスにもどっています」とのラインが届きました。
身近な人の命を突如として奪い取ってしまうコロナウイルスの恐怖と、現実の不条理さをどう受け止めればよいのか、その術を分からないままに過ごしています。
シカヤマさんとの思い出を込めて クリックしてください
|
2020年3月23日 ええっ、日本アカデミー最優秀作品賞が『新聞記者』に!?
昨夜、家族で日本アカデミー賞の発表を観ていると、『新聞記者』がノミネートされているではありませんか。作品の完成度、観るものを惹きつける面白さ、エンターテインメント性、もちろん話題性、どれをとっても他のノミネート作品から抜きんでている(と、私には思えます)。
そんな作品の名前すら上げないのは、またぞろ権力の力が働いたのではないかと、「あのうるさい連中」から声が上がるのを忖度、配慮してノミネートだけはしているのではないかと、斜に構えて観ていました、実のところ。 
ところが、最優秀主演女優賞にシム・ウンギョンが選ばれて、思わず「ウソやん!」と声を上げました。続いて最優秀主演男優賞に松坂桃李の名前が読み上げられると、家族でその理由はいったい何であろうか、何か隠された「権力側の狙い」があるのではないかなど、かまびすしい話で盛り上がります。 こうなると、ひょっとして作品賞もと期待がつのるなか、みごと最優秀作品賞を受賞しました。松坂桃李が受賞スピーチで「私が知っているだけでも、2度、3度、4度、5度の転機があったと聞いています」との言葉は、映画製作をめぐり「様々なやり取り」が展開したことと、制作、スタッフ、俳優が一丸となって乗り越えた実感と充実感が伝わってきます。 さて「なぜ受賞となったのか」、ミステリアスな憶測も含めて、考えは広がります…。長くなりそうなので、やめておきます。 何はともあれ、日本アカデミー賞受賞の話題に乗って、普段映画を観ない人たちや若い人たちが劇場に足を運んでくれればいうことなしと思うのですが、コロナウイルスの関係で、映画館は閑古鳥が鳴いているようで、それも気がかりです。 安倍晋三がテレビカメラに向かって「ウイルス感染をこれ以上広げないために、『新聞記者』を観ることは自粛していただくよう、国民の皆様に強く要請いたします」と、あの甲高い声でしゃべり続ける姿を想像しています。 ちなみに、“わが家の映画祭”(FBに1月14日投稿)では、第1位が『新聞記者』であったことを言い添えておきます。(どうでもいいか?) |
2019年1月26日 アジア蔑視の空気が広がっている。
10月末、韓国大法院(最高裁)が、新日鉄住金に韓国人の元徴用工への賠償を命じる判決を下し、その1か月後に韓国政府が「慰安婦財団」の解散を発表しました。安倍首相も河野外相もそれぞれ「日韓請求権協定(1965年)、日韓合意(2015年)に違反する」と不満をあらわし、安倍首相は「国際約束が守られないのであれば、国と国との関係が成り立たなくなってしまう。韓国には国際社会の一員として責任ある対応を望みたい」(新聞報道)と、怒りをあらわにしました。
テレ朝、TBS、NHKなど、私の知る限り報道各社はみなこぞって、約束を守らない韓国の批判に終始するコメント流していました。あの(?)有働由美子キャスター(元NHKでバランス感覚のいいお茶の間の人気キャスターと思われているという意味で)も、「なにを考えているのでしょうか」と、批判のコメントを話していました。 その批判の根拠となっているのが、「最終的かつ不可逆的解決」という文言です。つまり日本と韓国の間で「これは最終的な合意内容で、その後何が起こっても問題を蒸し返したりしません」という約束をしたということになります。「それなのに、何をいまさら騒ぐのか、ちゃんと国家同士で交わした文章にかかれてあるではないか」というわけです。
はたして、そうなんだろうか?と、私はこの話題が上がるたびに思います。
「最終的かつ不可逆的」という言葉が意味すること 「最終的かつ不可逆的」なる言葉を聞いてすぐに頭に浮かぶことがあります。
1956年、熊本県水俣市の新日本窒素肥料(現チッソ)付属病院から水俣保健所に「類例のない疾患が発生した」と報告があり、「公害の原点」と言われる水俣病が公式に確認されましたが、その後チッソの有機水銀の水俣湾への垂れ流しが原因ではないかとの説が有力視され、真相究明が進められてゆきました。
そんな中でチッソは、1959年患者に対して「見舞金契約」を行いました。死亡患者に一時金30万円と葬祭料2万円、成人の生存患者には年金10万円、未成年患者には年金3万円を払う内容で、「将来水俣病が工場排水に起因することが決定しても、患者家族は新たな補償金を要求しない」とする「合意文書」が交わされました。つまり「最終的かつ不可逆的解決」に合意するというものです。
チッソは戦前からの国策会社で、国鉄水俣駅から会社正門までまっすぐに広い道路が伸びていて、昭和天皇がその道路に敷いた赤いじゅうたんの上を歩いて見学したという話も聞きました。水俣はチッソの城下町といわれ、水俣の住民、特に漁民から見れば、チッソの社員は雲の上の人であり、下請け工場にでも働きに行ければ「チッソ行きさん」と呼ばれて憧れの的であったといいます。
絶対的権力を持ったチッソと、水俣住民の中でも、もっとも貧困な状態に置かれていた漁民との間で交わされたのが「見舞金契約」です。蔑視と差別を背景にした中で生まれるのが「最終的かつ不可逆的解決」という言葉です。上位の者が力を振りかざして意図的に発出し、下位の者は受け入れざるを得ない立場に立たされます。チッソ水俣病の解決が遅れ、被害が拡大した大きな原因の一つに、蔑視・差別の問題があることはまちがいありません。
ひるがえってもう一度、韓国政府の「慰安婦財団」解散と、韓国最高裁の日本企業への「元徴用工への賠償命令」を見てみましょう。私は国と国との間に蔑視・差別の構造があるように思われてなりません。そして国民である私たちは、本当に「何をいまさら騒ぐのか、ちゃんと『これは最終的な合意内容で、その後何が起こっても問題を蒸し返したりしません』と国家同士で交わした文章にかかれてあるではないか」と言い切れるのでしょうか。 ちなみに「見舞金契約」は、様々な報道を通して批判され、支援団体からの告発も広がり、後に水俣病1次訴訟判決(73年)で「公序良俗に反する」として、「無効」と判断されました。
しかし今、日本のすべてのメディア報道では(私の知る限りですが)、韓国批判一色となっています。欧米に対するコンプレックス(劣等感、特にアメリカに対しては従属しかありません)と、アジアの国々に対する蔑視の暗い闇が広がり続けているのを感じます。
民主主義の力 私が前回投稿した「アジア蔑視の空気が広がっている」に対していただいたコメントを読んで気づいたことがあります。そのコメントは、次のようなものです――
「もし韓国の主張が正当ならば、周恩来が放棄したはずの損害賠償を中国人民が個々に請求できることになります。逆にシベリア抑留について、個々の日本人は損害賠償をロシア政府に請求できることになりますが、ロシア政府はそれを認めるでしょうか。それぞれ途方も無い金額になるかと思われます。」 だから「韓国の主張はまちがっている」、つまり「韓国人の元徴用工の訴えはまちがっている」という論旨になるのですが、果たしてそうだろうかと思うのです。
たとえ政府レベルで「合意文書」を交わしていても、中国人民が日本政府を相手取って損害賠償の請求訴訟を起こせばよいのではないでしょうか。シベリアに抑留された日本人がロシア政府を相手に損害賠償を求めてもいいのではないでしょうか。しかし中国では、巨大な国家権力の抑圧が想定されます。日本では、政府自身がそんなことはできっこないと高をくくっています。そもそも日本の裁判所、最高裁が認めるわけがないと。 ではなぜ韓国ではできたのかというと、民衆の側の応援があるから、裁判で個人請求権を掲げて闘うことができたのではないでしょうか。民衆の側の応援があるということ、それが「民主主義の力」ではないでしょうか。
なぜ韓国では民衆の側の声が上がるのか、「民主主義の力」が発動されるのか。それは韓国の人たちが歴史を背負いながら生きているからだと、私は考えています。日本軍の侵略、解放、朝鮮戦争、南北分断、軍事政権の独裁、光州事件、民主化闘争…を、韓国の人たちは経験し、それを継承しながら日常を生きているということです。それが若者たちのキャンドル革命につながり、朴槿恵政権を倒すことにもなりました。 紙に書いた歴史的事実の説明でもなく、テストに出る歴史の問題でもなく、歴史のリアリティーを生きていると思うのです。 約束を守れない政権とか、「反日教育」を受けている若者たちだとか、あざ笑うかのような言葉を投げかけて韓国を蔑視する安倍政権やその取り巻きのメディアですが、そんなことを言っている間に、韓国は着実に民主主義の力をつけ、国をつくっているのだと思います。 ひょっとして、アジアの中で、最も民衆の応援の声が立ち上がらないのは、日本なのかも。つまり「民主主義の力」の萎えた国ではないでしょうか。
韓国では、エンターテイメントの世界でも、歴史と向き合っています。
韓国映画『共犯者たち』(チェ・スンホ監督)の迫力に引き込まれました。 イ・ミョンバク大統領就任からパク・クネ大統領失脚までの10年間、国家権力によるマス・メディアへの弾圧と、報道の自由を掲げて立ち向かう闘いの記録。そのドキュメント。 公共放送MBC、KBSを不当解雇されたチェ・スンホたちジャーナリストが中心となり、市民の支援を受けて設立した独立メディア「ニュース打破」が制作。 まさに当事者の立場から、公共放送が国家権力によって「占領」されて行く経過と、ジャーナリストたちの「反撃」、労働組合のストライキ、さらに燎原の火のごとく国民の政権批判が広がるキャンドル革命、圧巻のリアリズムが伝わってきます。 ムン・ジェイン政権が登場して落ち着きを取り戻した中、渦中にあった二人が語る、「私たちの行動はどんな意味があったのだろうか」「少なくても暗闇の時代に沈黙することはしなかった」という言葉は重く響きました。
韓国の人たちは歴史を背負って日常を生きているということを、(FBで繰り返し書いてきましたが)改めて思いました。日本軍の侵略、植民地支配からの解放、朝鮮戦争、南北分断、軍事政権、光州事件、民主化闘争…と、歴史のリアリティーを生き、世代に受け継ぎながら、「歴史を背負う生き方」を身に付けるのだと思います。
上映後、読売テレビ・アナウンサー、MBSテレビ・プロデューサー、京都新聞記者、共同通信記者の現役ジャーナリストによるアフタートークがあり、日本のジャーナリズム、マス・メディアの現状を、橋下徹や加計理事長の取材など具体的な話を通して聞くことができました。実に1時間15分のトーク、1本の映画上映の枠を使ってトークショーを企画した、七藝の英断も見事です。
帰宅して、たまたまつけたテレビで、「今週の視聴者の注目ニュースランキング」と題して、5位から1位までボードが開かれていったのですが、「貴ノ岩暴行事件で引退」などが並び、まさにこの1週間、国会で強行採決が繰り返されている「外国人労働者・出入国管理法案」「水道民営化法案」などは、一言も触れられませんでした。テレビ局が意図的に操作して「注目度」を並べたのか、あるいは本当に国民が「ワイドショー的なもの」にしか関心を持たなくなっているのか、いずれにしても韓国と日本の「民主主義の力」の違いは歴然としているように、私には思われます。 同じチェ・スンホ監督の『スパイネーション 自白』も七藝で公開中。これも期待しています。
|
2019年1月25日
寝屋川市在日外国人教育基本指針
寝屋川市在日外国人教育基本指針本文.pdf へのリンク |
2017年4月19日 悼辞 河野秀忠さんを偲ぶ
昨年9月に亡くなった河野秀忠さんを偲んで「ほろ酔い気分で河野秀忠と語ろうかい!」がありました。
障害のある人もない人も共に生きる社会を目指して1979年に創刊され、2017年夏の最終号まで発行を続けた、障害者問題総合情報誌『そよ風のように街に出よう』の編集長。阪神淡路大震災を機に「ゆめ風基金」を立ち上げ、10億円を集めて、東日本大震災や熊本地震など、全国の被災障害者の支援に奔走。全国の人と人、人と運動、運動と運動を結び付け、常に障害者運動の先頭に立って社会の地平を切り拓き、耕してこられたという強い印象があります。
私が河野さんと直接会って話を交わしたのは一度だけ。しかも晩年になって。「河野さんは私の憧れの人でした」と、胸高鳴らせて声を掛けると、急に言葉に詰まって、照れたように視線を落とされたのを覚えています。著書や映像や噂話で聞く豪胆かつ軽妙洒脱な活動家のイメージとは違う、シャイな心根を感じて、ますます憧れを強くしたものでした。
そんな河野さんにふさわしく、全国から多くの人たちが集まり、思い出話に溢れました。河野さんと牧口一二さんの権謀術数(?)に乗せられて、永六輔さんとともに「ゆめ風基金」に引き入れられ、その後牽引してくださった小室等さんと、娘さんのユイさんも参加。趙博さんも登場して、すてきな歌の数々を披露してくださいました。
私も「呼びかけ人」としてメッセージを書かせていただいたので、自分の記念のためにも載せておきたいと思います―― もう40年も前になるでしょうか、私が教職に就いた頃の教育現場は、今と違って(と書いたら若い人たちに申し訳ないのですが)熱気にあふれていました。私も「大阪の解放教育」を担う隊列の一番後ろを、置いてきぼりになるまいと、おっかなびっくりの視線をきょろきょろ見回しながらついて歩きました。 部落問題、在日外国人問題、障害者問題、反戦平和の取り組みなど、全身を強張らせて話を聞いたり、発言したり、集会やデモに参加しました。そして自己批判したり。 そんなとき、「そよ風のように街に出よう!」という声が聞こえてきたのです。緊張ではちきれそうに固まった頭や心やからだの隙間に、すがすがしい空気が流れ込み、きらきらと輝く清水が染み込んできました。当時、寺山修司が呼びかけた「書を捨てて街に出よう」より、もっと軽快で、もっと親和的です。 若い私の価値観を揺さぶった言葉であり、今も私が求め続ける思想です。 |
2017年4月14日 悼辞 弘津敏男さんを偲ぶ
今日4月14日、ちょうど今頃、水俣の「不知火海が見える旅館で在りし日の弘津敏男をともに偲ぶ会」が催されています。いただいた案内には、「長年、水俣病センター相思社職員として、水俣病患者連合事務局として、文字通り生涯をかけて水俣病の解決に全力投球し、役割を果たしてきた弘津さんを偲んで、お別れの会をおこないたいと思います」と記されていました。12日には、患者会のみなさんを中心に法要が行われたと聞きました。
水俣の人と自然をこよなく愛した弘津さんは、満面の笑みをこぼしていることでしょう。
どうしても行けない事情ができてしまい欠席の返事を送った私に、相思社の永野美智さんがメールをくださいました。そこに、大阪に「帰った」後、弘津さんが相思社に宛てて最初に送ったメール(あるいは最後になったのかもしれません)が、載せてありました。
不覚にも号泣してしまいました。
弘津さんが、からだの機能を奪われて行く進行性の難病を発症して、水俣を離れて大阪に戻ることを知ったとき、なぜ水俣を終の棲家としなかったのか、どんなに悔しく、どれほど運命を憎んだことだろうかなどと、声に出して本人に聞けないやるせない疑問や感情が、私の心中を駆け回りました。 しかし弘津さんは、冷静に自分を見つめ、あくまでも人を信じ、信じることができるから次の人達に「夢」を託すことができたのでしょう―― 僕が水俣にやってきたのは1985年4月のことでした。 相思社に興味を持って、生活学校に来たのでした。 運動と生活が矛盾なく暮らせるかも知れないと思ったからでした。 あれから30年、夢のような30年でした。 5月に大阪に帰ってきてから、相思社や水俣のことを思うたびに、 永い、そして、幸せな夢を見ていたように思います。 長い旅を終えた感じもします。 相思社の存在は「夢」であって良いと思います。 「かくあるべき」社会の夢であって良いと思うのです。 「現実」を「夢」に近づけるのは、大変なことですが、 一生をかけるに足ることだと思います。これからも頑張ってください。 弘津敏男 ――歴史の中で生きるとは、こういうことを言うのだと思いました。今は亡き友から届いた言葉に勇気づけられています。 あっぱれ、弘津敏男!! |
2017年11月21日 弘津敏男さんが亡くなりました
水俣病や環境問題で市民運動に関わりながら、あるいは水俣病の学習に取り組む中で、あの大きな声でエンドレスに続くかと思われる情熱的な語りを聞き、その一方でこまやかな心遣いを見せる、要は無類の人好きであった、相思社職員の弘津さんと出会った人は多かったと思います。また、熊本県や水俣市、環境省の役人の中にも、さぞかし手ごわい交渉相手であったであろう弘津さんのことを、忘れられない人たちも多くあるだろうと思います。
11月17日の夜、浜松の宿にいた私は、家人からの電話で訃報を知りました。「父が、楽しかったと言ってました」との娘さんからの伝言を聞いたとき、電話を受けたわが娘は「松森と話して楽しかった」と聞こえたというのですが、私には「わが人生は楽しかった!」と最後に言い残した弘津さんのだみ声が聞こえてきます。
お互いの人生をかけて付き合った「友」が逝くのはさびしいものです。
次から次へと思い出が浮かんでは消え、消えては浮かびます。弘津さんを水俣に送り込んだ張本人は私なのですが、拙著『けっこう面白い授業をつくるための本』の、「水俣病を学習する」から、その部分を引用してみます。長いですが、よろしければ弘津敏男さんを偲んで、お付き合いください。
―
相思社・弘津敏男さんのこと
「水俣教育合宿」に参加して帰阪後、私は憑かれたように「ミナマタ、ミナマタ」と喋り回った。無理やり仲間を集めては、現地で撮ったスライドの上映会を催し、喫茶店でも人と向かい合えば「ミナマタ」を喋るという具合であった。
患者さんからの聞き取りの話、水俣の街めぐり、現地の教師たちとの交流、川本輝夫さんや色川大吉さんの講演について、百間港で見た背骨の曲がった魚の姿、無農薬の畑の肥沃さ、みんなでやる田の草抜き仕事の楽しさ、不知火海の美しさ、山々の優しさ、湧水の美味しさ、温泉の心地好さ、生活学校での破天荒な大宴会の様子、相思社から見える夕焼けの美しさ等々、最後は決まってドラム缶の海水を夜通し炊き出す塩作りでのロマンチックな語らいを付け加えた。
水俣の闘い、人々の優しさ、抱き留めてくれる自然、人の群がる祭りの歓喜…と、熱にうなされるように、或いは顔を上気させ、身体を火照らせながら語った私の口調は、回を重ねるごとに話が膨らみ、調子に抑揚がついて、あたかも私家版浪花節のそれであったのかもしれない。私一人が酔いながら喋り続ける内はよかった。そんな私の頭に冷水を浴びせられる事態が持ち上がってしまった。
私の話にのめり込み、「ミナマタ」を夢想しながら、同じように酔い始めた者が現れてしまった。語りとは、冷めた相手をいかに引き込み酔わすかの掛け合いに妙味があり、その快感を感じることで更に酔いを増すところに語り手たる自負心と満足を感じるものである。同じように酔い続ける者が横にいては興ざめというものだ。しかもその相手が私よりも生真面目に水俣を考え、自らの生活を賭けようとするほどの勢いを見せ始めたのだ。
当時弘津敏男さんは、寝屋川市内で中学校の講師をしていた。不安定な身分でありながら、部落解放運動、障害者解放運動、解放教育と、仲間内の誰よりも果敢に教育労働の課題を担いたたかい続けている存在だった。その弘津さんが、大阪での暮らしを引き上げて「水俣生活学校に入る」と言い出したのだ。私のようにちゃっかりと両足を安定した地平に置き、頭だけを肥大させ、運動だの解放だのと口に任せて喋り回る、いわば世の中をゴロリと斜に渡る術をどう見ても備えているとは思えない一途な彼の言葉に出会って、私はいっぺんに全身から熱が引いていく薄ら寒さを感じてしまった。
一転して、思いとどまらせるべく懸命な説得を始めることになった。「あんなぁ、生活学校ゆうても、決してきれいなところやあらへんで。寝るのも雑魚寝やしな」「温泉で泊まれるんやったらええけど、1時間休憩して後は街歩きと称してただただ歩かせられるんや」「食事も野菜ばっかりや。たまに肉が出てほっとするくらいでなぁ」「洗濯も順番待ちや、冬なんか手がしびれるくらい冷たい水使わなあかんで」・・・。
自分でもよくこれだけ前言を翻せると驚くほど、罵詈雑言を尽くすことになってしまった。「田の草引きでもなぁ、トラックの荷台に詰め込まれて、幌を下ろして走るんや。どこを走ってるかわからへん。ちょっとした強制労働やで」。ところが私の話でひるむどころか、弘津さんの前には、水俣での生き生きとした生活ぶりが思い描かれてくるようで、遠くを見つめるような熱い眼差しからは、ますます水俣移住を覚悟した表情が読み取れてくる。
私一人ではかなわぬと思い、いっしょに教育合宿に参加した女性も引き込んで説得を続けた。「そら弘津さんひどいもんやで(私はその横で相槌を打つ)、食事をしてたら茶碗の上が真っ黒になってんねん。なにかと顔を近づけたらハエが一斉に飛び立ってその下から真っ白いご飯が見えんねんから」、私は何度もウンウンと頷いてみせる。果ては、「トイレに行くやろ、用をたして紙を使おと思たら、左に紙があるねんけど、右の段ボール箱の中にも紙が入ってんねん。なんでかなと思って紙を摘み上げたら黄色いもんがついてんねんで。オシリ拭いた紙も便器に捨てんと段ボール箱に入れとくんや。そらエエ肥料作るのはわかるで、わかるけどなんぼなんでも、こら耐え難い慣習やで」と力説する彼女に、「そや、ほんまやで、ちょっとやそっとのところとちゃうで」、血相変えて私も声を挟んでいた。
私達の無節操ともいえるなりふり構わぬ説得にもかかわらず、その年の暮れ弘津さんは大阪で築き上げてきた運動の要としての確固とした位置と教職をなげうって、自動車1台にその当時まだ珍しかった50万円は下らぬパーソナルコンピューターを積み込んで、超然と水俣に向けて出(たび)発(だっ)って行った。
その後の水俣における弘津さんの活躍は知る人も多い。“チッソ水俣病関西訴訟”の運動や、大阪府内各地での集会に患者さん共々精力的に参加し、熱弁をふるい、水俣から大阪への情報発信基地ともなっている。同時にミナマタ学習を生み出す仲介役も果たしてくれることになる。 |
2017年7月22日 “水曜日のカンパネラ”のライブに行きました
もちろん娘たち二人といっしょに。
ライブハウス(2000人はいる会場でもそう呼ぶそうです)の入り口で、500円でコインをもらい飲み物に交換。娘の購入したタオルを首に巻いて準備はOK。
2階のイス席が取れなかったので立見席になってしまい、入場するとさっそく場所の確保に。場内には簡易の柵が設置されてあり、「シンドなったらこれにつかまれるように、父さんは柵の前がええやろ」と勧められ、娘たちは自在に動ける前のエリアに移動。
この柵に肘を乗っけて拍手したり、からだを預けたり、時にはつかまりながら屈伸したりして、なんとか2時間近くのライブを楽しむことができました。
開演と同時にスピーカーから爆音が響きます。内臓が揺れるような。「不整脈が出るのでは」と不安が浮かぶほどでした。
シンセサイザーの爆音が渦巻く中で、コムアイの歌声が流れます。歓声。それからノンストップでライブが続きます。神出鬼没のコムアイが、舞台を動き回り、花道を飛び越えて客席に入り、2階の突出しから語り、2階席で踊ります。
そして「例の」風船に入ったコムアイが、大玉送りのように客席に転がり出てきます。この時のために夜の公園でリズムをとりながら頭上の風船を受け止める練習をしたのです。2年間履いて底がすり減っていたウォーキングシューズも、この日を念頭に新しく買い換えていました。ドキドキしながら覚悟も決めて待ち構えていたのですが、コムアイの入った風船は私の目の前で急に方向を転換して、舞台の方に戻って行きました。ホッと胸をなでおろしもしたのですが。
コムアイがツアーの途中で伊勢神宮を参拝し、猿田彦神社でアメノウズメノミコトにお参りした話を披露していました。天岩戸に閉じこもったアマテラスを外に出すために、岩戸の前で歌舞を演じたあの神様です。オカメの面の原型だとも聞いたことがあります。
コムアイが長い手足を優雅に動かして踊る、あの独特の踊りも、美しく宙を舞うような歌声の響きも、そういえば神楽のイメージにも重なってきました。
終了後会場の後ろでたたずむ男性を見つけた娘が、ちょっと興奮気味に写真を撮らせてもらいました。“水曜日のカンパネラ”のメンバーで、作詞・作曲・演奏を手掛けているケンモチヒデフミさん。とても誠実そうな若者で、コムアイといっしょに何かを語ろうとしている、そんな印象を持ちました。
いやはや面白い体験でした。帰宅途中京橋のaaで餃子をほおばりながら、娘たちとの会話が弾みました。



|
2017年1月30日 トランプ現象を考える
〈その1〉
トランプ大統領の就任式をテレビで見ながら、世界も日本も、いったいぜんたいどこへ向かって行くのだろうかと、気持ちの落ち着かない不安に駆られてしまいました。荒波がうねる大海になげだされたかのようで、前途の見えない恐怖すら感じます。
5年前に本の「まえがき」にこんなことを書きました―
私たちは、社会や人生などというつかみ所のない、途方もない大海に投げ出されている。そんな中で生きていくために必要なものが二つあると僕は思っている。ひとつは仲間であり、今ひとつは自分がどこに立っているのかを教えてくれる羅針盤である。自分の進むべき道を指し示してほしいとまでは言わないが、この時代や状況の中で、いったい自分がどこに立っているのかを確認するための羅針盤は必要である。自分の発言や行動の意味と正否を自らに問い返したり、今何をなすべきなのか、あるいは何をなすべきではないのかを判断する価値基準のようなものといってもよい。
状況と対峙して一歩も後ずさりしない確固とした松下さんの態度は、僕がいつも頼りにした羅針盤であった。松下さんと自分とを照らし合わせるようにして、慎重に自分の位置を確かめながら歩んできたように思う。(『餓鬼者 がきもん』まえがき)―
その松下竜一さんも、松下さんと同じように私が全幅の信頼を置いてその著作を読んできた鶴見俊輔さんも亡くなりました。これからはいわば自分がつくった手製の羅針盤を不器用に操りながら、それでも自分がこの社会の中で、日本という国の中で、世界の中で、いったいどこにどんなふうに立っているのか知りたいと考えています。今のこの時代がとてもとても不安だから。
そこでやっぱり「例の」おまじない、「あきらめないこと、無関心でいないこと」。
〈その2〉
「トランプ現象」についてもう一言。
トランプの発言する言葉はびっくりするくらい単純で、行動は慎重に周りを見ながら迂回するよりも猪突猛進を好むようです。世界最強の権力を握る人のそうした言動は、いやがうえにも世界の経済や政治、マスメディア、安全保障におけるまで、これまで巧妙にバランスをとって見せかけてきた安定や隠ぺいしてきたものをあらわに露出させて、衆目にさらします。世界の構造が人々の前にむき出しになる可能性が生まれることは、恐るべき危機ととらえることもできるし、世界を変革するチャンスと考えることも、少なくとも言葉の上ではできるのかもしれません。
例えば、昨日ゴールドに塗り替えられた大統領執務室で、大仰に構えてTPPを離脱する大統領令に署名するトランプの姿が何度も繰り返しテレビニュースで流されました。その一事だけからでも、私たちはこれまでと比べて桁違いの事実や情報を得ることができます。半端でない大きな憶測も交えながら。
なにせアベ政権が日本の経済・産業構造を根底から変えようと、用意周到に企み続けてきたTPPを、1枚の紙っぺらにサインするだけで、葬り去ってしまったのですから驚きです。もっとも日本の国会審議も実質ふっとばされてしまったのですけれども。このニュースを見ていて日本とアメリカの間に対等平等なパートナーシップがあると考える人は誰もいないでしょう。ああ、やっぱり日本はアメリカの従属国家なんだ、という「事実」をあからさまに目にした瞬間でした。
TPPの狙いもそうですが、NAFTAもアメリカが先導して作った「自由貿易協定」で、世界中から利益を上げて富をアメリカに集積するためのグローバルな仕組みだったはずです。自分たちが勝手に作って他国に押し付けておきながら、今度はそれをつぶすと平然と言ってのけるのです。
なんだそれは!つまり、アメリカ国家の意志ではなく大企業が国家につくらせたものなんだということが見えてきます。ええっ、国家が企業に使われていたのか。それをこれからは企業に対する国家の主権を回復させるというわけです。へえー、そうなんだ!
トランプに国民国家とか国民経済という概念が認識されているのかどうかわかりませんが、でもトランプの主張は、世界中で急速に形骸化・空洞化している国民国家・国民経済を、いま一度再興しようということになります。そもそもアメリカが壊してきたものを、より実質的に言えばアメリカの大企業を中心としたグローバル企業が破壊してきたものを、今度はもう一度作り直そうというのです。新自由主義経済、グローバリズムの否定です。私はこの点においては期待をすらこめて注目しています。
いやはやトランプ劇場は、目が離せません。 |
2017年1月5日 アメリカ大統領選挙について
〈その1〉
今回のアメリカ大統領選挙について、しどろもどろでも考えたいと思います。その1回目。
もし私が1票の投票権を持っていたら、どんな投票行動をしただろうかと考えてみました。投票権を持った〈私〉が今回の大統領選で最も求めるのは、「じわじわと広がる格差と貧困を何とかしてくれ!このままでは目の前の暮らしも将来の希望も何にも描けない!若者たちは大学を出ても奨学金の借金を抱えて、就職もままならない。その原因となっている新自由主義経済、グローバル経済、金融資本主義の体制を変革してほしい!」ということにほかなりません。
(これは日本にいる現実の私自身の実感でもあるのですが、まさにグローバルに世界中が同じ悲鳴を上げているのだと思います。しかし選挙結果から分かったことは、私の予想をはるかに超えて、アメリカの貧困と格差は進行していたということです。誰もがその事実に驚いたのではないでしょうか。アメリカの政治家や支配層の予想をも超えていたのです。)
さらに「1%の富裕層が世界の半分近くの資産を保有し、残りの半分を世界人口の99%で分けており、その格差はますます広がっている」という、国際NGOオックスファムの報告を読むと、あまりの不公平さに驚愕し怒りがこみ上げてきます。
まさにそれらが〈私〉の最大の争点です。ところが、ヒラリー氏は1%の側にいる人間。ビル・クリントン氏やオバマ氏と同様、ヒラリー氏はもともとそういう経済体制を批判していたはずですが、大企業や金融資本から献金される莫大な政治資金を受け取ることによって変質させられてきました。ヒラリー氏は金融業界が開催する講演会で1時間で2000万円を超える講師料を得るという話も聞きます。そんなヒラリー氏が99%のために富裕層の権益を壊して経済体制を根本から変革することなどありえません。ヒラリー氏が当選しても「そんなに変わらない」と思わざるを得ません。だからヒラリー氏は、「そこ」に争点を置かず、「安定」を主張しました。
トランプ氏は根っからの1%の住人で、さらに儲けてもっと上り詰めようとしています。しかし、トランプ氏は自分が99%の代表であり、99%のために働くと、平然と大ウソを並べ立ててまさにここを争点にしました。「今の政治は間違っている。アメリカをナンバー1にする。」…。
99%の立場に立って、問題を指摘し政策を提案したのはサンダース氏でした。だから〈私〉は、民主党予備選挙でサンダース氏を応援します。民主党員でなければ投票できないことを初めて知った〈私〉は、あわてて党員登録の手続きをします。サンダース氏の人気が予想外に大きくヒラリー氏を抜いてしまうことを危惧した党側が、若者たちの登録手続きをしなかった地区もあったという話も聞こえてくるのですが。
予備選挙でヒラリー氏が大統領候補に指名されました。さてどうするか。結論から言えば、悩みに悩んだ末に、ヒラリー氏に投票します。予備選挙で苦戦した分、特に若者の票を取り込むために少しはサンダース氏の政策を受け入れるだろうと、わずかな「改善」を期待しました。「中間層を広げる」「TPPに反対する」などの公約はそれを期待させるものでした。
そしてもう一つ、何より〈私〉が期待したのは女性がアメリカ大統領になるということです。例え1%の側にいたとしても、女性であるということがヒラリー氏をアメリカや世界を変える最前線に立たせる可能性があると希望をつないだのです。
選挙結果から見えたもう一つの問題は、アメリカには今も女性差別があるということです。おそらく女性大統領を敬遠する投票行為が少なからずあったのではないかと想像するところです。
最悪の選挙結果であったと思います。これからヨーロッパなど先進国で、大統領選挙が続きますが、選挙権を持つ国民の側の最大の争点はまちがいなく「このままのグローバル経済、金融資本主義を続けていけば、自分たちの生活がますます苦しくなる。それだけではなく人間性、命までが現実に脅かされていく。それを変えてほしい。」ということです。しかし、どの国の政治的リーダーもみんな1%の側に住んでいるのですから、自分たちを守るためには、根本的で本質的な変革をすることはできないのです。一方、右翼政党やその党首は千載一遇のチャンスとばかりに、国民の票を取り込むために、民衆が熱狂し狂喜する話を次から次へと訴えることでしょう。嘘や暴言を平然と並べたててでも。
リベラルの側が、経済体制や国の在り方を根本的に変革する政策を提言して、それを争点にしない限り、今後の選挙戦において勝ち目はない、私はそう考えています。
〈その2〉
アメリカン・デモクラシーについて考えました。
私は今回のアメリカ大統領選挙では、民主主義が機能したと考えています。ええ、なんでぇ?と驚く声が聞こえてきそうな気もしますが。
資本主義が国内の市場を食い尽くして、さらに利潤を求めて世界に経済侵出・侵略をする。アジア、中東、アフリカの発展途上国に乗り込んで現在も食い荒らし続けている。その結果アメリカ本国の雇用も賃金も減らしている。グローバル経済、金融資本主義がどこまでも拡大し、それだけ中間層が縮小し、貧困・格差がますます拡大し続けているアメリカの現実です。同時に世界の国々の現実でもあります。
もう一方で、グローバル経済と軌を一にして世界に広がるアメリカの戦争。資本主義・大企業がこれから進出していくための地ならし、前払いのための戦争であったり、既得権益を守るための戦争であったり、食い尽くした後始末のための戦争であったりするといってもよいでしょう。
しかし、いのちを懸けて戦争しても何も得るものがない。国が豊かになって、自分たちの生活が楽になることもない。むしろますます貧しく苦しくなっている。アメリカが世界から尊敬される声も聞かない。国家のために戦う愛国心も生まれて来ません。まるで資本主義を広げ、守るために闘っているようなものですから、アメリカの若者たちに厭戦(えんせん)気分が広がっています。
8年前にオバマ大統領が登場したときに全米を覆った“Change!Yes,We can!”と高らかに声を上げた希望に満ちた高揚とは全く違います。今アメリカ国民が“Change!”と声を上げるのは、このままでは先行きが見えないばかりか、現実に自分たちの生活が壊れて行く、いや命までが奪われて行くという、ぎりぎりの瀬戸際まで追い詰められた切羽詰まったものの唸りのように聞こえてきます。
前回書いたように、1%の側にいるヒラリー氏では、99%の側に立つ代表としてグローバル経済、金融資本主義の体制を根本から変革することはできないのです。世界中で膨張を続け、コントロールが不能となりつつある、グローバル経済に対して、もう少しましな生活がしたい、暮らしの安定がほしい、人間性を回復したい、いのちの危機から逃れたい…という国民側の声が、投票行動として現れたのだと思います。民主主義が機能したからヒラリー氏は負けたのだと、私は思います。
機能したけれども選択肢は二つしかなかったのです。結果は最悪のものだと思いますが。もしサンダース氏が出ていれば、おそらく当選したのではないでしょうか。民主主義が機能したことと、民主主義を信じる者にとっていい結果が出るかどうかということは、全く別の問題だと痛感しています。
選挙を終えて、アメリカは分断しました。現在も各地で「大統領を認めない」デモが続いていると聞きます。アメリカ社会の中でこれまで言いようのない感情、「不満・不安」としてくすぶり、広がり続けてきたものが、はっきりしたかたち・ことばや、具体的な状況としてみえてきたということでもあります。
1960年〜80年代に、人種差別反対を掲げた公民権運動や、ベトナム反戦運動を闘い抜いてきた、アメリカの民主主義運動の歴史は、決してなくなってはいないと思います。いったいこれから、特に若者たちを中心に何が起こるのか、どんな言葉や思想が生まれ、アクションが生まれてくるのか、私はアメリカン・デモクラシーへの期待を決して失っていません。
アメリカの大統領選挙では、むしろ分断が残されることによってはっきりと問題が顕在化しましたが、日本ではどうなのかと問わずにはおられません。トランプ氏と橋本徹氏がぴったりとそのまま重なります。2年前の「大阪都構想」の住民投票では、はっきりと「反対」の意志が示され決着がついたはずなのに、アベ政権と公明党本部、マスコミによってあいまいにされたまま幕引きが行われました。その結果、問題が追及されることもなく、課題を明確にすることもなく、なんだか大阪市全体を巻き込んだ大きな行事が終わったかのように解消されてしまいました。さてこの時、日本では民主主義が機能したのか、しなかったのか。現在日本では民主主義が機能しているのか、していないのか? |
2016年11月29日 再読の楽しみ
歳をとって得をしたなと思うことがたまにはあるものです。私にとって、本を読む時間が増えたのはその一つです。
もともと読書家といえるタイプではありませんし、現役時代には忙しさにかまけて(と、勝手な理由をつけて)読んだ本も多くはありません。さらに、文章に傍線を引きながら世界を理解するという、めんどくさい読み方を習慣にしていたこともあって、読書を楽しんだという経験があまり蘇ってきません。
歳をとった今は、なんといえばいいでしょうか、からだを強張らせずに、緊張を解いてのんびり読むことができるようになった気がしています。そしてもうひとつ、再読する楽しみを見つけました。
若いときに読んだ本を書棚の奥から引っ張り出して、読み直してみるなんてこともあります。たとえば、いま岩波文庫でルソーの『エミール』を読み始めています。45年前に読んだ本を手にして、日に焼けて赤茶けた紙面に、ぎっしりと小さな活版の文字が並んだページを、力を入れすぎるとのりづけがはがれるのではと注意しながら、めくっていきます。文字の不鮮明さと小ささに、さすがに目の疲れが気になって、やっぱり新しい岩波文庫を購入しようかと思ったりするのですが、そんな時ページの余白に45年前の私が書いた走り書きが現れたりするのです。いったい若造の私がどんなことを考えていたのか、ちょっとした時空を超えた対話みたいなものが生まれているといってもいいでしょうか。かっこよく書きすぎたかな?
ちょっといい時間ですね。こんなことは歳をとったものでしか味わえない経験です。
ここまで書きながら、なんだか自慢話みたいなノリになってしまい、削除しようかと思ったのですが、まあいいや!と投稿することにしました。自惚れを相手にひけらかす厚顔無恥ぶりを発揮できるのも、年寄りの特権であるのかもしれません。


|
2016年6月23日 私の料理の腕も少しは生活的になってきたかな?
妻が東京滞在のため1週間ほど不在となったので、その間の食事を私が作ることになりました。
これまでも、FBで料理ネタを、嬉しそうに、一方的にアピールして載せてきましたが、けっこう慣れてきたといいますか、面白くなってきました。最近は、朝食は、といってもほとんどブランチですが、毎日私が作っていますが、丸一日の食事をしかも毎日となると初めての経験です。
でも、なかなか楽しくやれたんですよ。しかも味もまずまずの出来栄えで。なんというか料理の「段取り」を頭の中で浮かべることが面白くなってきたからではないかと、私は思っているのですが。
▼5月31日 野菜炒め(残念ながら写真を撮るのを忘れてしまいました) ▼6月1日 マグロの山掛けヅケ丼、最近凝っている野菜の具だくさん味噌汁 ▼6月2日 ハンバーグステーキ ▼6月3日(外食) 研修会打ち合わせの後スタッフで お好み焼き。この時のトマト焼きそばが旨かった。▼6月4日 冷凍庫の隅に眠る「ウナギのかば焼き」を発見、うな丼と、前日の「トマト焼きそば」をヒントに、トマトを煮込んだ具だくさん味噌汁。これがとてもおいしくできました。この日は娘たちも沖縄に旅立ち、一人ぼっちの夕食となったので、帰ってきた妻にも食べてもらおうとパックに入れて冷蔵庫にしまっています。
これまで「さあ料理を作るぞ」と大上段に振りかぶり肩肘張らせていたのが、少しは日常の「家事」としてできるようになったような気がして、なんとなくうれしくて、誰かにちょっと自慢したくて、投稿しました。

 |
2016年5月11日 ドイツ映画『ぼくらの家路』(原題“Jack")の衝撃
『ぼくらの家路』をDVDで観ました。10歳のジャックが些細な事件をきっかけに施設に入れられるのですが、夏休みに迎えに行くと約束した母親から行けないとの連絡が入ります。家族に会いたくて脱走したジャックは一人で我が家に向かいますが、母は長期の不在。友人の家に預けられていた弟を連れだして、二人だけで母の帰りを待ち続けます。
是枝裕和監督の『誰も知らない』が思い浮かび、重ねながら観ていました。柳楽優弥が史上最年少でカンヌ国際映画祭主演男優賞をとったことでも評判になりましたが、実際に起こった「児童置き去り事件」を題材に映画化された見事な作品です。
(10年以上も前に観たので記憶がおぼつかないですが)ジャックと同年代と思われる4人きょうだいの長男(柳樂)が、置き去りにして出て行った母親と何か月ぶりかで電話で話す場面があります。受話器の向こうで楽しげに話す母親は、別の家庭の暖かい部屋と家族に囲まれて、笑いがこぼれる幸せを享受しています。その時、長男は自分たちが「捨てられた」ことを自覚します。
そこから一気に、ガスも電気も水道も止められた中で、きょうだいだけで過ごす凄惨な暮らしが描かれて行きます。ラストシーンは、一番下の妹の亡骸をトランクに収め、妹の好きだった飛行場が見える河川敷で埋葬する場面ではなかったでしょうか。
ジャックと弟の姿を観ながら、いつ弟がなくなるのか不安が浮かび、母親との決定的な決裂の場面を想像しました。ある日路上のベンチで二人寝ていた時、ジャックが我が家の窓に明かりを見つけます。大喜びで弟と駆け上がりドアをたたきます。(全く別人が出てきて、この家の主が変わってしまったことを告げるセリフを、思わず私は頭に浮かべたのですが)ドアを開けたのは、優しい顔に笑顔をたたえたママ、そして二人を何度も何度も抱きしめながら涙をあふれさせます。
翌朝リュックサックを準備するジャック。そして寝室に行き、ママと二人で寝ている弟を起こします。そのくらいではママが起きないことを知っているかのように。弟を着替えさせて、二人で家を出て行きます。
ジャックは母親を「捨てた」のです。
向かった先は、自分が「入れられていた」施設。その門の前に立って、コール・ホーンを鳴らす。向こうから職員の声が返ります。「だれ?」しばしの間をとった後、答えます。「ジャック」と。そしてエンドロール。
このとき彼が発した「ジャック(Jack)」とは、固有名詞であり、人格です。10歳の少年が、母親を捨ててはっきりと、ひとりの人間として生きることを選択し、自立を表明する宣言であると思いました。『誰も知らない』の情動的な終わり方と比べて、その対極にある子どもの姿ではないかと思いました。
作品としては、『誰も知らない』を私は評価しますが、作品、芸術性、表現の仕方とは別に、日本とドイツの歴史、文化の違いがその背景にあるといえるのかもしれません。大人が選び、子どもを分けて施設に入れるのではなく、ジャックが母親を捨てて、自分で選ぶことができる選択肢を用意している社会、国というものに感心してしまいました。
それを最も象徴しているのが、題名ではないでしょうか。邦題は『ぼくらの家路』。家に帰ることの憧れと、家に対するゆるぎない価値観を、情動的に表そうとしています。しかし、監督にとっては、きっとドイツという社会にとっても、個人の人格と人権を表す“Jack"でなければならなかったのだと思います。
※写真は、映画紹介サイトからとりました。 |
2016年3月2日 妻からのプレゼント
たとえば今回東京に行くときでも、妻はいつの間にか安売りチケット屋で、JR東海の株主優待券を購入してきて私に差し出します。つまり安売りチケットよりもさらになにがしかの「得」を生み出そうと考えてのことだと思います。きっとその習慣化した経済観念の延長線上にあると思うのですが、芝居や映画や音楽会の招待チケットの申し込みにも、書き損じのはがきを使ってせっせと投函しています。そして、けっこうの頻度、しかも無料招待券が届くことがあるのです。
今回は、日本映画監督協会創立80周年記念の、映画『下町の太陽』と、山田洋次監督と主演の倍賞千恵子のトークショーの招待券が当たりました。インクルDBと道徳の教科化反対の集会でパネルディスカッションに参加した翌日、私はその招待券を手に、東京に住む息子といっしょに浅草の「雷5656(ゴロゴロ)会館」に向かいました。
50年前の山田監督の2作目だそうですが、格差と貧困が広がる現在の日本社会とそのまま重なる問題を提起している、決して色あせていない優れた作品でした。根岸吉太郎監督が司会する3人のトークショーは、センスのよい会話がつながれて行く心地よいものでした。
最後に一言ずつ述べるのですが、マイクを渡された倍賞千恵子は「ワンコーラスだけ歌わせてもらってもよろしいですか」と言います。拍手が沸き起こりるなか、すっくと立ちあがって一歩踏み出します。まったく打ち合わせになかったそうですが、スポットライトが1本あたり、会場の雰囲気が変わりました。しばし目を閉じて沈黙がうまれ、会場は静まり返り、舞台に立つ一人の女優にくぎ付けになりました。そしてアカペラで、歌い始めました。静かに静かに、一言一言、言葉をかみしめて語り掛けるようにゆっくりと歌います。圧巻でした。恥ずかしながら、心を動かされ、わしづかみにされて、涙がこぼれました。おそらく会場のだれもが、舞台の袖で見つめていた二人の監督も。こんな感動は初めてでした。一瞬にして女優になり、満場の人々を虜にしてしまう。女優とはなんとすごい存在なんだと思いました。
妻の、金額にすれば百円にも満たない節約の習慣が、私にとてつもない大きなプレゼントを送ってくれました。
|
2016年2月1日 夫婦のすれ違い!?
先日、妻と帰省中の息子といっしょに梅田のシネリーブルで映画を見た後、息子がジュンク堂で本を探すというので、私も同行することにしました。茶屋町のジュンク堂梅田店は、大変気に入っている書店で、まず何と言っても蔵書量が圧倒的に多いこと、本が多いのに乱雑さがなくて通路のスペースと空間の広がりが、気分にゆとりを与えてくれます。書棚には著者ごとの作品の並べ方が充実していて、他の店では手に入らないような本に出合うことが来ます。ゆっくり本を探して、2階のナガサワ文房具店で小物をみるのが楽しいひと時になっています。
「現代用語の基礎知識」を2・3年に一度買い替えることにしているのですが、ちょうど今年度版の特集に興味を惹かれていたので、購入するつもりでした。帰りには自転車で中崎町あたりの喫茶店でのんびりコーヒーを飲みながら読書をと、一連の予定が頭に浮かびました。
その時妻が言うのです、「京阪モールの商品券があるから、京橋の紀伊国屋で買うてね」。年金生活の身ゆえ、わずかでも節約をとはもちろん思うのですが、「それはちょっとちがうやろ」との思いがこみ上げてきます。とはいえ、生活感覚に根差した合理的精神の持つ説得力にはかなうはずもなく、本探しもナガサワ文具も、帰りの喫茶店までも、一気に興ざめしてその気が失せてしまいました。
息子と別れて妻と二人自転車を走らせて家に向かっていると、途中にあった染織工房と小物店の前で急にブレーキをかけた妻は、「面白そうやね、みていこ」と、そそくさと店内に入って行き、私はその後を追うことに。さらに走らせると、今度はお菓子の安売り店に入って行きます。そこからしばらく行って、天神橋筋あたりの商店街に通りかかったとき、「あっ、おしるこ、ぜんざいやて!たべていかへん!!」と頓狂な声をあげました。私は「このままでは妻に隷属させられてしまう」と直感しました。勇気を奮い起こし、意を決して言ったものです、「いやや!」と。
写真は部屋の作業棚にある京阪モールの紀伊国屋で購入した「現代用語の基礎知識」、もちろんちょっぴり安くなる商品券を使って買ったのは言うまでもありません。
 |
2015年11月18日 黒沢清監督『岸辺の旅』を観ました。
深津絵里と浅野忠信という好きな俳優が出演していることもあったのですが、「死んだ夫と旅をする―。それは言えなかった『さようなら』を伝える旅路」なんていう予告編のキャッチコピーにも惹かれました。
期待通りに二人の演技もよかったし、しっかり作りこまれた作品との印象を持ちました。いきなり死んだ夫が現れて会話を交わし、二人で旅に出ることになり、行く先々で出会う人たちとの交流が描かれます。亡くなった人も生きている人も声を交わし、ふれあい、細やかな感情も激情のうねりも見せながら、日常の暮らしが展開します。
そんな「ありえないこと」を映画の中の登場人物は、何一つ疑義を持つことなく、当たり前の日常として過ごします。観ている私も、不自然さを、それが決してなくなるわけではないのだけれど、自然に受け入れるような、奇異な感覚で最後まで見続けることになりました。そして死者と生者が共生する世界が、とても豊かなものに思えてきました。
里山(さとやま)という言葉が浮かびました。大自然と人間の住む村との間にある、動植物と人間とが入り合い共...生する境界の地とでもいえるでしょうか。長い年月をかけてつくりだし維持し続けてきた、自然と共存するための人間の知恵といえるのかもしれません。一方で自然環境の破壊や造成工事で里山が荒廃したために、熊や猿が食糧を求めて村・里に出現するようになって人が襲われたり、猟銃で殺すといったニュースを頻繁に耳にするようになりました。
いわばその里山のように、死後の世界=彼岸と、現世=此岸との間にあって、死者と生者が共生する境界の地を描いているのではと、私の勝手な想像力は理解しました。
私の言葉で言うと、「死者の魂と共に生きる」ことであり、「共に生きる魂の数だけ、人はつよくやさしくなれる」ということになります。
映画を見終わって、帰りに立ち寄った喫茶店でそのようなことを思いだしながら、漫然とした気分で内田樹の『街場の現代思想』を読んでいると、思わず目に止まった言葉がありました。
内田さんは「人間だけがして、チンパンジーやゴリラが決してしないこととは」、道具を使うことでも、言葉を使うことでも、社会をつくることでもなく、それは「墓を作る」ことだと書かれているのです。
※ということで、続きを書きたくなってくるのですが、妻に「あなたのようなFBの長い文章を読みたいと思う人はいませんよ」とよく言われますので、今回はここいらで止めて、改めて続きを書こうと思います。もし付き合ってもいいよと言ってくださる方は、お付き合いのほど、よろしくお願いします。
『岸辺の旅』を観て(2)
前回、この映画の舞台は、大自然と人間の住む村との境に、動植物と人間とが入り合い共生する里山がつくられていたように、彼岸と此岸の間に死者と生者が共生する境界の地を舞台にしているのではないかと書きました。しかもその共生する世界に豊かさを感じたとも。そんな折ちょうど読んでいた内田樹の『街場の現代思想』の言葉に括目したのでした。
「人間だけがして、他の霊長類がしないことは一つしかない。それは『墓を作る』ことである」と。さらに「人間の人類学的定義とは『死者の声が聞こえる動物』ということなのである。そして、人間性にかかわるすべてはこの本性から派生している」と続く。
実はこの「章」は、「結婚はお得なのでしょうか?」という「悩める若い女性」からの質問に内田が答える形で進行する体裁をとっているのですが、一挙に壮大な哲学の世界に引き込む力技がいかにも内田樹の真骨頂といえます。
「自分を理解してくれる人間や共感できる人間と愉しく暮らすことを求めるなら、結婚をする必要はない。結婚はそのようなことのための制度ではない。そうではなくて、理解...も共感もできなくても、なお人間が他者と共生できるということを教えるための制度なのである」。「『他者と共生する』という能力(絶対的に理解も共感も絶したはずの死者とも共生する・松森)だけが、人間が生き延びることを可能にしている」。
そして、「人間を人間たらしめている決定的な資質とは『他者と共生する能力』である」と言い切っています。
これらの言葉からすぐに私が思いついた二つのことがあります。一つは、アベシンゾウやハシモトトオルやそれを取り巻く政・財・官・学の者たちが推進する新自由主義の思想と経済政策は、「他者との共生」を無視し破壊するものであり、「人間が生き延びる可能性」を崩壊させるものだということ。アメリカ社会の現実がすでにそれを予兆しています。
もう一つは、私が言い続けてきた「共生教育」や「共に学び、共に生きる」社会という「共生」の言葉の中に、「死者との共生」という意味も込めるということです。例えば子どもたちが取り組む授業の場面を考えても、東日本大震災や、水俣や、広島の学習で、子どもたちが問題を追求し、話し合い、深く考えを巡らしているとき、情報や知識の奥に垣間見える魂と対話するかのように思える時があります。(私が「魂のバトンリレー」とも呼ぶ瞬間です。)
「共生」という思想が、死者も共に生きることを共有できたとき、さらに大きな思想としての構造と、そしてつよさを獲得するのではないかと、私には思えました。
|
2015年10月17日 「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の“全国交流集会in 神奈川〜子どもは子どもの中で育つ〜”(に参加しました。
私は「地域の子どもと一緒に学ぶ」という分科会に出たのですが、報告された神奈川、東京、北海道のお母さんから、異口同音に「学校から保護者の付添いを求められた」話をされたことに驚きました。支援員を配置されなかったり、校外の行事に保護者の付添いがなければつれて行けないと言われたことなど、学校側の視点が責任問題や制度、ルールの運用にばかり向けられていて、「子どもとどう付き合い、育てるのか」が二の次になっているかのように思えました。
人工呼吸器ユーザーのユウタロウさんが地域の普通中学校に入学して、校長から「こんな子どもの来るところではない」といわれたり、付添いを求められたり、修学旅行をみんなといっしょにバスで行けなかったり、様々な問題と直面しながら、それでも登校する中で生徒たちとの関係が生まれ、教職員の理解が進んできたこと。4月に高校入学してからは、支援学級もなく、専門家も、施設設備も十分でない環境であるにもかかわらず、本人も保護者もビックリす...るくらい自然に受け入れられ、充実した毎日を送っているということを話しました。
ひょっとしたら制度・政策が整備され、施設や設備が充実し、専門的知識や技能・技術を習得することで、むしろ子どもと学校との間に異物のように壁ができてしまい、子ども同士の関わり合いも阻害するようになってきたのではないかと危惧してしまいます。神奈川の小学校教師の門脇さんの実践報告は、子どもと教師の関わり、子ども同士の関わり合いを丹念に丹念に開いて、紡いで、結び合わせて行くというもので、「関わり合いの中で学びが生まれる」ことを、示してくれました。
来年4月からは障害者差別解消法が施行され、教師・学校が合理的配慮の提供を義務付けられることになります。合理的配慮の名のもとに、一方的な学校側の思惑と解釈で、子どもの主体性を奪ったり、保護者の願いを踏みにじったりするようなことが起こるのではないかと、大きな不安が過ぎってしまいます。合理的配慮は、本人や保護者との関係の中で実現されるものであるはずなのですが。
大会最後のまとめで、北村小夜さんが「全国の取り組みによって、新しい法律や制度をつくりだしてきたが、現実の学校では、ますます『分ける』ことが進んでいるのではないか。17回目を迎えて様々な分科会のテーマがつくられているが、第1回のテーマは『なぜ学校に入れないのか』の1点だけであった。全体講演は、金沢嘉市さんの『人間の尊厳を守る』という話だった。」という(趣旨の)話をされた。「原点を忘れてはならない」との、頑固なまでの問いかけだと私は受け取りました。
環境が整い、専門的知識が増え、技能・技術が進めば進むほど、教師と子どもの間の距離が離れ、関係が希薄になり、疎外と分離が進んで行く現実と向かい合って、さてその原因がどこにあるのか、どうすればよいのか、大きな課題が見えてきました。


|