教育論ノート  

 1日の仕事が終わり、最寄の駅に着いて必ず立ち寄る喫茶店がある。コーヒーを注文し、本を読む。そしてノートを開いてペンを走らせる。もう二十数年も続けてきた、僕の生活習慣の一コマである。何を書くと決めているわけではない、その場その場で思いついたことどもを、忘れぬうちに書き留めているといった風である。一行、二行で終わることもあるし、数ページに渡って書き続けていることもある。
 振り返ってみれば、教材作り、授業づくりや、種々の原稿も、そのほとんど全てがこのノートのメモ書きから生まれていることに気づいて、われながら驚かされる。僕にとってもっとも身近な対話の手段であったのかもしれない。しかし何せ20年以上になる、「○年度 ○○小Work」と表書きした、いったい何冊のノートを作ってきたのか、皆目検討もつかないでいる。
 ほとんど無意識のうちに「やってきた」ノートだが、ひとつweb上に公開して、読んでくださる人たちと対話できればと考えるようになった。案外、教育や学校を考えるヒントがそこに見出せるかもしれない。
2021年5月21日
公立高校は、いったい誰の財産なのでしょうか?

 2021年度の高校受験が終わって、その総括の話をしているときにとんでもないデータが現れてきました。府立高校の「ものすごい数」の高校が定員割れを起こして、2次募集をしてもなお大幅に募集人員を満たすことができなかったというものです。(添付の写真を見てください)
 大阪では「定員内不合格を出さない」という府との「約束」があって、障害のある生徒が受験するときには、定員割れを起こしそうな学校を探すのも重要な取り組みになります。前年度までの実績や、受験希望者数の新聞発表を目を皿のようにして読んだり。時には入学願書の受付最終日に、校門の前に立って提出に来る中学生の数を数えたこともありました。締め切り直前に定員を超えて、電話連絡で出願校を変えたこともあります。そして毎年、府教委に出向いて「定員内不合格を出さないように」との要望を上げ続けています。
 私たちが定員割れの学校を探すのが難しいくらいにきめ細かな進路指導が行われていたのです。そう思うとなんぼなんでもこの割れ方はあまりに無秩序であまりにひどい。受験生に対する配慮が全くなされていないとしか思われません。
 そもそも大阪の進路指導は、中学卒業見込み数から高校進学見込み数を算出し、公立7対私立3の公私比率を前提に受験が行われ、最後の一人まで高校にはめ込むほどの丁寧な進路指導がなされてきました。それが2008年に橋下徹が知事に就任以来、大阪の教育は「改革」「変革」の名のもとに圧力にさらされ、教育行政も学校現場も混乱が続いてきました。
 特に2012年に府立学校条例が強引に制定されて以後、毎年のように猫の目のごとく、入試制度は変えられてきました。学区制が全廃、公立・私立の按配も守られなくなり、実質的に中学校の進路保障は機能しなくなってしまいました。3年連続で定員割れすれば廃校など再編整備の対象になることが決められました。
 橋下や維新の会が信奉する新自由主義の市場原理を導入することで、各高校間の競争が生まれ、彼らのお気に入りの言葉を使えば、「サービス」向上につながると考えたのでしょう。
 大阪独自の「私学の無償化」政策は、あたりまえのように私学に多くの受験生が流れる結果を生みました。しかし「無償化」とは名ばかりで、その実は(下の資料を見てください)授業料はいったん支払った後返金で、入学後の様々な準備や行事に多額の費用を使わなければなりません。支払えなくて、途中で公立高校へ転学したり、退学したりする人たちも多くあるということも聞きます。結局、私学への利益誘導の施策になっているのです。
 教育の世界にマーケットの原理を持ち込んではならないのです。子どもや保護者は、「教育というサービス」を購入する消費者ではありません。学校は「教育というサービス」を売る会社ではありません。実際に定員割れしている高校は、むしろ様々な生きにくさを抱え、課題を持った生徒たちの受け皿にもなり、同時に一人ひとりの学びを保障する立派な高校教育の実践を取り組んでいる学校でもあります。
 現在、今後の大阪府の教育施策を考える学校教育審議会が継続して開かれています。条例に決めているからと、否応なしに3年ルールに従ってバッサリと廃校にして行くつもりでしょうか。いったい公立高校は誰の財産であるのでしょうか。大阪府の行政のものではありません、ましてや維新政治家の政争の具に使われる道具でもありません。公立高校は、大阪府民の財産なのです。
 維新政治の10年余りを経て、次々と府民の生命と暮らしと財産が奪われる失政の結果が露呈してきました。コロナ感染の拡大に対する無為無策ぶりは、その実態を露わにしています。続きを書いてみたいと思っています。
※添付の資料は、片岡次雄さんの編集したものを使わせてもらいました。




2020年3月23日
第69次日教組全国教研集会に参加して
 私の教研参加は、いつも繰り返してきた自問自答からはじまります。「私のような退職教員が参加して、しかも現役教員の実践に対して発言してよいのだろうか」と。そして「全国から7000人が参加してそれぞれがレポートを持ち寄る日教組教研は、今日の教育問題を考えるためにはもっとも重要な集会である」と自分に言い聞かせ、「私は教育について考え続けたい」と覚悟を独りごちることになります。いわばルーティーンとなった儀式を終えます。
 そのように迷いながら分科会の会場に入るのですが、いざレポートがはじまると一気にスイッチがONになり、教研モードに入り込みます。他の分科会はあまりわかりませんが、少なくともインクルーシブ教育分科会は、そうした雰囲気が生まれます。特に今回はレポーターとフロアからの意見の交流が活発に展開しました。
 とても全体の内容を報告するには紙数がないので、私が発言した1回(だけ?)、3分間の内容を中心に書いてみます。
 二日間にわたって20本のレポートと質疑、討論を終えて、総括討論に入りました。その中で、一人の発言者が最後に「ここに参加している誰もが『ともに学びともに育つ教育』というゴールを忘れずに取り組むことを確認したいと思います」と呼びかけて結びました。それに対して私が「そうは思わない」と意見を述べました。
―昨年の分科会を思い出している。「友だちの待っているインクルーシブな教室に入るために(入れてもらうために)」取り組んだ、支援学級や通級教室の様々な実践が報告された。ソーシャルトレイニングや、コミュニケーションスキル、友だちとあいさつできるように支援担任と繰り返す挨拶のロールプレイなど等、普通教室と「つなぐ」ための実践が多々報告された。しかしなぜ「友だちの待つ理想郷であるインクルーシブな教室」に入る(入れてもらう)ために、障害児ばかりが変わらねばならないのか、直さなければならないのか。変わるべきは教室の側ではないのか。
 そのとき、フとなるほどこれが「インクルーシブ教育システム」というものなのかと合点がいった。これは「インクルーシブ教育分科会」ではなく「インクルーシブ教育システム分科会」ではないかと発言した。今年はどうか、私には「特別支援教育分科会」ではないのかと映ってしまう。
 では、「インクルーシブな教室」がゴールではないとすれば、何なのか?「目指すべき理想郷」ではないとしたらなんなのか。「インクルーシブな教室があたりまえの現実」なのだと思う。それが現実の場であるから、様々な問題が起こる。しかし、問題が起こるから学習が生まれる。「共にいる」から、こんな感動が生まれた、あるいはどうすればよいのか解決の道筋が分からない、赤裸々にその問題や取り組みを出し合って、議論する場がインクルーシブ教育分科会ではないだろうか。
 支援坦の報告ではなく学級担任が主になって報告する、うまくいったことも、失敗したことも、いま抱える悩みも、互いに出し合いながら全国の仲間たちと議論する。支援学級担任は横に座るか後ろについて補佐をする。そういう分科会の運営を期待する。――
 と話したところで、チンチンと3分間が経過したので話を打ち切るように促す合図のベルが鳴りました。
 インクルーシブ教育は、「だから」学力観、教育観、具体的な授業実践、学校文化という、学校そのものを根本から変革することを求めている。明治以来140年以上に渡って続いてきた日本の頑迷なる能力神話を覆すチャンスである。それは、子どもや保護者や地域と直接かかわる、学校の教職員であるみなさんに託されています。一人では難しい、仲間が要る、だから教職員組合という力が、いま求められているのだと思います。期待しているのです…、とまぁ最後はそんな風に、高らかに(?)エールを送って発言を締めたかったのですが。
 三日間を通して今年もフロアからの発言に、多くを学びました。高校入学をめぐって「定員内不合格を出させない」たたかいが、全国で起こっていることも分かりました。障害当事者が生い立ちや経験を通して語る言葉の数々は、参加者一人一人の生き方を問い、実践を改めて見つめ直すきっかけにもなったにちがいありません。しかし、フロアからの発言がなければ、レポーター同士の意見交流は特別支援教育の取り組みに流されていたのではないかと、私には思えました。
 日教組教研2日目の午前、「日本語教育」分科会に参加しました。
 私が在職した寝屋川市の森本さんがレポーターとして報告するので、応援も兼ねて聞かせてもらいました。生活つづり方を通して、子どもたちと向き合い、子どもの変貌する様子を具体的に報告するすばらしいものでした。
 子どもとの関係に一喜一憂しながら、なんとか授業を通して子どもを育てたいと、手探りで試行錯誤を繰り返す中で出会ったのが「生活つづり方」でした。だから森本さんの取り組むつづり方は、子どもも教師もいっしょに悩んだり、考え込んだり、教師と子どもが学び合う学習になって行きます。
 ひとつの大きな「方法」を見つけたな、と思いました。これから子どもたちと共に創る学習が、ますます楽しみになってきました。
 少しの時間しかおられなかったのですが、「書く」ことをめぐる論議は多くの示唆を与えてくれました。「子どもが書いたものを読んで、事実と違うのではないかと思うときがあるけれど、子どもの書いているそのときは、その子どもの真実ではないか。だから、それを否定するのではなく、大切にしたい」という言葉はその一つです。
 映画『みんなの学校』で、ついつい友だちに暴力を振るってしまう子どもがが、木村校長に「これからは友だちの言葉を聞けるようになります」と言って帰るのですが、それを聞いて「それが本当に続けばいいのですが、続かないんよね。でも、そう言っているいまは、本当の気持ちなんです。それを信じたいと思います」(確かそんな言葉でした)という校長の言葉につながります。
 つづり方を通して、子どもたちとの言葉と向き合い続けるからこそ生まれてくる教師の誠実さだと感心しました。
 道徳や英語の教科が増えたり評価の問題が出てきたりと、ますます子どもたちとじっくり「つづり方」に取り組む時間が減ってきたという意見がありました。一方で、文科省は、「書く」ことをどの教科においても重視するように求めています。私は、生活つづり方と共に、ぜひ「考える」ために「書く」という取り組みを進めてほしいと思いました。いわば「算数のつづり方・社会のつづり方・理科のつづり方…」というように。
 日本語教育の分科会の今後も注目したいと思います。
 2018年3月16日
日教組第67次教育研究全国集会
静岡で開催された、日教組第67次教育研究全国集会のインクルーシブ教育分科会に参加しました。

 日教組でも(日教組ですら、かな?)特別支援教育が当たり前に行われている現状を、今回も目の当たりにしました。国連障害者権利条約が批准されて4年、それに先立つ国内法の整備で障害者基本法が改正され、障害者差別解消法が成立して、条約でも法律でも「インクルーシブ教育に取り組む」ことを求めているのに、今になってもなんで特別支援教育なの?と、単純な疑問をぬぐえません。
 学校を上げて「特別支援教育委員会」を立ち上げて、全教職員で取り組んでいるという報告。ユニバーサルデザインやスタンダードな授業づくりと称して、教室の飾りつけや板書の仕方、発問の仕方、はじめのあいさつのやり方、授業中の子どもの座り方…まで、教員が代わったら途惑ってしまう子どもがいるので、全ての教員が同じ方法でできるように研修を重ねているという報告。医療機関とタイアップした就学指導、進路指導の報告。それでいて、「多様性」という言葉が頻繁に出てきます。
 支援学級・通級指導教室の「お試し期間」があるとの話がでました。3か月入ったり、1年入ったりして、そのあと「正式に在籍」するというのです。さすがに驚きの声が上がったのですが、いくつかの地域から「うちにもありますよ」と発言が続きました。支援学級へと「誘導する」具体的なシステムが機能しています。
 しかし一方で、子どもたちの関わり合いを丹念に見つめ、そこに生まれる問題を子どもたちといっしょに考えて行こうとする、「ともに学び、ともに生きる教育」を求めて取り組む実践報告もたくさんありました。そして熱い議論が交わされました。
 大阪の報告を聞いていると、Aとまわりの子どもたちの関わり合う姿が生き生きとみえてきます。授業の中で、遊びの中で、関わり合うことで学習が生まれます。「津久井やまゆり園」の障害者殺傷事件も授業で取り組み、本音を語り合う子どもたちが、Aを通して考えたときに変わって行ったという報告は、インクルーシブ教育とは障害児教育の在り方にとどまらず、学習活動の根本を問い直すことになるということを示唆してくれました。
 会場は、正面に共同研究者と、司会団が座り、そこから「コの字型」に机が伸びて、正面に向かって左側の前から北海道、秋田、岩手…と南下して、近畿が横に並び、右側から兵庫、鳥取、岡山…と西へと向かい、最後が鹿児島、私立学校教職員組合と、34人の各都道府県からのレポーターが並びます。
 そうした座席を俯瞰してみると、やっぱり地域による特色が浮かびます。その背景に県や市の教育委員会の「特別支援教育」の強い指導があったり、その中で孤軍奮闘する教員の姿が想像されてきます。
 私は2回「も」発言しました。3日間通して6分の発言。ボールペンやノートや、資料集や、松葉づえ(?)…を差し上げて、目立つアピールをする並み居る一般参加者のなかで、2回の指名を勝ち取ったのは、なかなかのものかもしれません。
 こんな発言をしました。
―今日(1日目)は4時間一方的に聞く側に回っていましたが、疲れを感じませんでした。レポートや討議を聞きながら、「問題が起こるってすばらしい!」という言葉が浮かびました。みなさんが、子どもたちの関わり合いをしっかり見つめ、そこに出てくる問題を避けずに一緒に考えて行こうとされている姿に感心したからです。
 私は、いっしょにいるから問題が起こるのだと思っています。でも、問題が起こるから学習が生まれるのです。共にいなければ、問題すら生まれません。
 しかし「問題が起こることはよくない。困る」と考える教員もいるのですね。それどころか、自分の周りを見ても、圧倒的に多いのかもしれません。「問題が起こるのはよくない」と思う人たちは、問題が起こったときに隠そうとします。あるいは、「問題が起こらないように予防」しようとします。問題が起こりそうになったら、本人と他の子どもたちの間に割って入って、出来事を収めたり、未然に処理しようとします。いつも子どもの横に大人・教員が付いていることになります。特に支援学級担任になった人たちに多く見られる姿です。「心構え」を説く人たちもいます。「障害のある友だちにはやさしくしなければいけない」「相手が傷つくような言葉をいうべきではない」などといった風に。道徳の授業でやる場合もあります。「はあーい、わかりました」と答えた子どもたちが、教員の目の届かないところで「ガイジ」といってみたり、いじめをする光景は、誰もがたやすく想像できるはずです。
 そして最も効率よく「問題を起こさない方法」は、「分離」することです。障害児と他の子どもを一緒に居させないようにすることです。
 みなさんのような若い人たちが問題から逃げないで、目をそらさずに、子どもたちとともにしっかりと見つめ、考え、話し合って取り組んで行く勇気を、これからも持ってくださることを期待しています。きっとそこから大きな学習が生まれてくるにちがいありません。
 若い人たちにエールを送ったつもりなんですが、はたして届いたのでしょうか!
 2017年3月20日
日教組第66次全国教研集会報告

 2月3日〜5日、新潟市内で開かれた第66次日教組教育研究全国集会に参加しました。でもね、けっこう悩んでしまうんですよ、毎回ね。退職した元教員がノコノコと出かけて行って、おまけにフロアから手を挙げて、大きな顔をして(本当は内心ドキドキしっぱなしなんですが)討論に参加して発言までするなんて、現役の教職員からすればいらぬおせっかいととられるのではないか等々、不安や戸惑いを感じてしまいます。生来の気の小ささ故、余計にね。

 それでも、心もとない年金からたいまいな旅費を払ってまで足を運ぶのは、やっぱり全国の学校現場でいったい何が進行しているのか、状況を知りたい、教職員の意見や悩みの声を直接聞きたいとの思いが膨らんで、背中を後押しされるからではないかと思います。
 ▼教育とは、年齢、職業、国籍、家庭環境…に関係なく、つまり誰もが当事者である。▼だから私も教育について無関心でいられないし、自分の意見を表明してもよい。▼日教組教研は、今の教育の現状を知るための最も有効な場のひとつである。▼教員に対して、とりわけ若い人たちに対して、私なりに伝えたいことがある。ちょっと分析した言い方をすれば、そういうことが動機になっているのではないかと思います、たぶん。
 私が参加したのはインクルーシブ教育分科会。全国から28本のレポートが持ち寄られ、課題ごとにレポーターの報告と、質疑応答、討論が進められます。3日間を通して15時間。ちなみに私が発言できたのは、質問の30秒と、3分間の討論で、後の14時間56分30秒はひたすら聞く側に回ります。
 しかしそれはそれで、全国各地のそれぞれの学校の様子や教職員の考え方、実践の傾向、教育をめぐる問題を知ることができて、なかなか興味深く刺激的な話が交わされます。また、レポーター以外に参加した、障害当事者や保護者、支援者などのフロアからの発言は、学校と地域の切り結ぶ課題を鋭く浮かび上がらせます。
 私が発言した「3分の話」を報告したいのですが、「長すぎて読む気がしない」といわれそうなので、あと2回に分けて投稿したいと思います。よろしければ読んでみてください。
日教組全国教研集会 報告 つづき
 教研最終日、インクルーシブ教育分科会3日目の総括討論で、漸くあてていただきました。私の「3分間の発言」は以下のようなものです―
 1日目からの議論を聞きながら、私はいつも違和感のようなものを感じていました。「合理的配慮とは何か」と問えば問うほど、「インクルーシブ教育とは何か」と問えば問うほど、そして「これが合理的配慮だ、これがインクルーシブ教育だ」と答えをつくればつくるほど、「対処の仕方・方法」のファイルを積み重ねているように聞こえるんです。今回の教研の3日間だけでもずいぶんとたくさんの「対処方法」を記したファイル、事例集が出来上がったのではないでしょうか。
 現場に戻れば、今度は積み重ねたファイルから都合のいいものを引っ張り出して、学級運営や授業の場面で、それを子どもに当てはめて対処して行くわけです。それをユニバーサルデザインと呼んでいた方たちもあったように思います。
 ちがうだろうと思うのです。実際には、子どもとの関わり合いの中で、「その子どもにとっての合理的配慮とは何か」の問いが生まれるんですね。教師たちで知恵を出し合ったり、保護者と相談したり、子どもたちといっしょに話し合ったりして、「こうしたらどうだろうか」という答えが見つかってくる。関わり合いの中で答えを出すわけです。
 対処法のファイル、事例集をつくるために実践するのではもちろんありません。ましてやファイルに記した対処方法を通して子どもをみるのではないし、対処方法に子どもを合わせるものでもありません。
 同じことを別の問題で言ってみます。現実の教室では教師という主語と子どもという主語が交錯しているのだと思います。教えるの主語は教師、教師が教える。学ぶの主語は子ども、子どもが学ぶとなります。教師の主語ができるだけ出しゃばらずに、子どもの主語が活躍する教室がいいなぁと、私は考えています。
 でも、特別支援教育でこんなことをやった、交流学級でクラスのみんなといっしょに取り組んだ、ユニバーサルデザインの授業をした…などのレポートを聞いていると、とても教師の主語が出しゃばっていて、子どもの表情が見えてこないのです。
 主語が交錯するとは、子どもと教師、立場はちがっていても主語対主語の関係なんですね。間違っても上下関係ではないはずなんですが。そのイメージが教師にどこまで持てるのか。
 ヒントがありました。神奈川・高校のレポーターは、「教員が変わる」といわれました。石川の方は「教師の眼差しが変わる」と。何人もの方から「子どもと出会って変えられた」「子ども同士の関わり合いのすばらしさ」などの言葉が出されました。インクルーシブ教育では、教師が変わるといえるのかもしれません。
 全体会で山口二郎さんが「ポスト・真実」という言葉を使って世界の状況を語られたと聞きました。同時に私はグローバル経済、マーケットの原理が教育の世界に蔓延していると思っています。学校現場は大変困難な状況に置かれていると思います。
 しかし、学校教育の最も具体的な場面は、子どもと教師の出会う場であり、子どもと子どもが出会う場であり、子どもと教師と親が出会う場です。それは本質的に共生の場です。そこに真実があります。
 たとえどのような政治状況に置かれても、制度が押しつけられても、どんな権力を使っても、教育の最も具体的な「出会いの場」は変えることはできません。いつもみなさんの目の前にあるのです。みなさんが声をかけ、手を使って働きかけることができるのです。だからこそ、その「出会いの場」をインクルーシブにしなければならないのだと、私は思っています。―
 現役の教師たちに向かって、けっこう私はまじめに語りかけました。さて、うるさい退職教員の話は、軽くスルーされたのかな、少しは気にかけてもらえたのかな?











2016年11月29日
初任者教員の話から日本の教育の現実が見える!

“学びをひろげる わたしと〇(まる)人の会”で、二人の初任者教員が、正直な言葉でありのままを話してくださいました。すがすがしい魅力をたたえたお二人の姿と同時に、今の日本の教育現場の紛れもない実態が浮かび上がります。

 Aさんは、「教師にだけはなりたくなかった」と語り始めました。出身の小学校は文科省の指定研究校で、学力を上げるためにテストばかりをやらされた思い出がある。自分も点数の対象として見られていたような気がして、学校も勉強も嫌で、休んだり、抜け出して遊んだりしていた。進級した中学校が荒れていたのは、小学校の時の学力しか目指さなかった教育方針のせいではないかと考えている。
 大学に入って病児保育や子どもの貧困の問題に関心を持ち、子育てレポートも書いた。ゼミで大阪の小学校に関わるようになり、「大阪の教育」が自分の経験してきたものと全く違っていることに驚くとともに、教育に対する魅力も感じるようになった。
 児童福祉士として勤務した後、交野市で講師を務め、今年度から正採用として勤務している。
 子どもとの関係、保護者との付き合い方に戸惑ったり、授業もうまく進められないこともあるが、職場の人たちと気兼ねなくしゃべり合い相談できるので、救われている。2学期になって落ち着いて子どもと関われるようになってきた。
 自分が拒否し、否定する教育の「原体験」を持ちながら、実際に目の前の子どもたちと自分の実践を取組むAさんが、これからどんな教育活動をつくりだしていくのか楽しみです。
 Bさんは、指導教員がずっと教室にいて監視されているようで、自分の思いが自由に話せないんです、と切り出しました。
黒板や手紙の誤字脱字を指摘され、授業のすすめ方も注意さてばかり。教室であったことをすべて校長に報告されて、しばしば校長室に呼ばれて怒られる。1日のすすめ方のマニュアルを渡されて、その通りに進めなかったら注意を受ける。
 時間をかけて作った週案を持って月曜日の授業に臨むが、授業が悪いと指摘されてすべて書き直すこともある。授業は、子どもも面白くないだろうなと思いながら、台本通りに進めなければならなくなっている。
 子どもたちはいい子ばかりで、協力的。「先生大丈夫?」と言葉をかけてくれることもある。むしろ新任研の出張でクラスをあけているときに、指導教員が授業しているときの方がうるさいのではないか。学校に戻ると、「クラスがうるさかった。指導ができていない」と注意されるのだけれど。
 指導教員が用事で教室を離れるときや、20分休みに子どもたちと一緒に遊んでいるときに、子どもたちとつながっている実感が持て、ホッとする。そのときも、「やらなあかんことがあるのに遊んでいる」と注意されてしまう。
 そして、「やめたい」「生きるのもしんどい」「消えたい」と思うこともありますと言葉を漏らしました。毎日夜の9時半ごろまで学校に残り、土曜・日曜も出勤していたといいます。最近、校長から土・日は休むように言われたので、「土曜日曜は学校に行けなくなった」そうです。
 同じ学年の教師たちが応援してくれて、他の教員たちも声をかけて支えてくれている。今はその人たちに会えるから学校に行けている。
 Bさんは素直な感性を持ってとても開放的な人です。学生時代に様々なボランティアをして、外国人ともワークを通して付き合う経験があります。子どもたちにそんな「先生のお話」をしたり、経験を授業にして子どもたちと一緒に取り組みたいと考えています。今でもきっと心のどこかで、その火は消えていないはずです。子どもたち、保護者たちとは、互いに支え合いながらのいい関係ができているように思います。
 交流の中で、「いまの教育の課題がそのまま出ている」との意見がありました。アクティブ・ラーニング、ユニバーサル・デザイン、多様性の教育などと、口当たりの良い言葉を「教育方針・授業方針」にならべながら、平然と職場の仲間を、しかもこれから限りない可能性を秘めた初任者を、頭ごなしに管理してつぶしてしまう現実に、怒りがこみ上げてきました。
 これが日本の教育現場の紛れもない実態です。考えれば府内の、いや全国の多くの初任者がこうした「どうしようもない問題」を抱えて悩み、疲れ切って、教育・子どもに対する愛情と取り組む意欲を喪失させられてしまっているのかもしれません。
 これを「何とかする」とは、何をどうすればよいのか。教職員組合の運動や、教育行政の指導、研修なども取り組まれねばなりませんが、どうなんでしょうか、初任者たちが「もう待っておられない」「任せておけない」と、自分たちで声を上げ、集まって、話し合い、行動を起こすということにはならないのでしょうか。教師の主体性、多様性を認めない、応援しないのが、日本の学校なのでしょうか。


2016年3月7日(土)
教師は何もしなくてもよいのか? やるとすれば、何をしなければならないのか?
第65次日教組・教育研究全国集会  インクルーシブ教育分科会の報告
〈1日目〉
 正直なところ、私のような退職した元教員が日教組教研に出かけてゆくって「これどうなの?」と、後ろ髪引かれる思いもありました。もちろん招待されたわけでもなく、自分からトボトボと、いやノコノコとでしょうか、しかも盛岡まで、少ない年金から大枚の旅費まで使って行く必要ってあるのだろうか、なんて。だけど教育、学校って本当に気になるんですね、無関心でいられない。日教組教研は日本の教育や学校の現状と課題を知るための、最も重要な研究会だと思っているので、やっぱり私自身が全国の状況を知りたくて、若い人たちの実践や考え方に触れたくて、出かけて行きました。それに、教育だけではなく政治も経済も、外交、安全保障、日々の暮らしも…、現在の混沌とした危機的な状況に対して若者と年寄りがタッグを組んで取り組まねばならないという私の考えに対して、私自身が誠実でありたいと思ったからでもありました。
 参加したのは「インクルーシブ教育分科会」、昨年度まで「障害児教育分科会」と称していたのが名称変更されました。分科会が始まってレポーター...の報告を聞くうちに、面白いものですね、あっという間に戸惑いなど吹っ飛んで、「研究会モード」へスイッチが入ります。各都道府県からの29人のレポーターと共同研究者、司会団が円卓を囲んで議論が進みますが、そのあと後ろに座っているフロアの参加者にも質疑と意見が求められます。100人ほどがいる中で発言権を得るのは至難の業、気が付けばペンをぐるぐる回したり、差し上げた本をゆすったり、立ち上がったり、各人が思い思いの方法で司会者にアピールして指名を争います。気が付けば私も臨戦態勢にのめり込んでいるといった具合です。
 そのようにしてつかみ取った発言は、3日間で2回、つまり3分間×2回=6分間でした。
(その1回目の発言)大阪の退職教員の松森といいます(で、始めます)
 私はレポーターの話を聞きながら、「教える側の立場から見るのか、学ぶ側の立場から見るのか」ということを考えていました。「教える」の主語は教師、「教師が」教えるです。「学ぶ」の主語は子ども、「子どもが」学ぶです。実際の教室や授業の場では、この主語が交錯しています。だから教育を語るときは、少なくとも教師と子どもの両方の視点から語らねばならないのだと思います。私はできるだけ教師の主語がでしゃばらないで、子どもの主語が活躍する教室や授業がいいなと、考えています。しかしレポートを聞いていると、「教師がこうしたら、子どもがこうなった」と、教師が主語になった話ばかりが出ています。東京のレポーターが「Aによって自分が変えられた」と言われたように、本来障害児教育は「障害のある子どもから学ぶ、差別の実態から学ぶ」ことから出発したのではなかったでしょうか。ところが、「教師は何をしなければならないのか」ばかりに目が向けられて、子どもが主語として活躍する場を奪っていることはないでしょうか。
 4月から合理的配慮が義務付けられます。合理的配慮の主語は、大人、教師、学校、社会、地方自治体、国となります。ますます教師が「何をするか、しなければならないか」ばかりに気を取られて、子どもたちが主語となって学習する機会や、共にいる場を奪うことになるのではないかと、危惧を感じています。そういう問題意識をもって、私はこの3日間の教研でレポーターのみなさんの話を聞き、討議に参加したいと考えています。

〈第2日目〉
(2回目の発言)「進路、卒業後の地域における自立生活を念頭においた実践」をテーマにしたレポートと討議の中での発言ー
 先ほどの「親の付き添い」の話にも重なりますが(全国各地で、学校から親の付き添いを求められる実態が交流されました。特に医療的ケアが必要な児童・生徒に対して多いようです)、人工呼吸器ユーザーのユウタロウさんの話をしたいと思います。ユウタロウさんは支援学校の初等部を卒業した後、もっと刺激がほしいと思い、地域の公立中学校に入学しました。入学に際しては何の問題も起こりませんでした。しかし入学後、校長が保護者に「このような子どもの来るところではない」と発言したり、まさに差別発言です、授業中教室で痰の吸引を認めず支援学級でさせたり、給食...時間に教室で経管栄養の注入をさせなかったりしました。一番大きかったのは、修学旅行でリフトバスを使ってみんなといっしょに行きたいという本人や保護者の強い願いにもかかわらず、学校や市教委との2年余りの交渉を経てもなお認めず、わざわざ行政が高いお金を支払って介護タクシーを雇って、友達から切り離して行き帰りの移動をさせました。
 「みんなといっしょに居たいだけやのに、なんでこんなに苦しまねばならないのか。たたかわなければならないのか」と、お母さんは涙を流されました。でも「たたかう」ことでどんどん変わって行きました。ユウタロウさんに近いところから、つまりユウタロウさんとの関係の深さに比例するかのように変わって行きました。生徒たちは初めから抵抗なくかかわります。担任であり、学年担当であり、看護師…と、教員も変わって行きました。母親の付き添いも求められていたのですが、少しずつ時間が減り、2年生の時には付き添いはなくなりました。
 ユウタロウさんはみんなといっしょに高校へ行きたいと願い、普通の高校を受験しました。様々な受験上の配慮も受けながら、前期の高校を受験し、不合格。後期も受験しましたが不合格となりました。3回目に「定員割れ」の2次募集の高校を受験して、みごとに府立高校の定時制に合格しました。
 入学後は驚きの連続でした。お母さんは「信じられないくらいすばらしい」と何度も感嘆の声を上げます。授業中であっても、痰の吸引は生活行為なんだから、教室でやるのは当たり前、給食時間も一緒に食事します、クラブにも誘われて入部した科学クラブでは、合宿にも参加して、夜「先生からユウタロウをお風呂に入れてこいと言われた」と生徒たちが部屋にやってきて、みんなで入浴の介助をしてくれます。クラブの行事では、中学校で最後まで実現しなかった「あの」リフト付きバスを学校が手配して、当たり前にみんなといっしょに参加しました。「いったい中学校の時に、あれだけ悩んだり、話し合ったりしたのは何だったのか」、お母さんは思わず漏らしました。
 いったい問題はどこにあるのでしょうか?高校は「適格者主義」に貫かれていて、支援学級はありませんし、支援坦人もいません、支援教育の専門家もいません。特別な施設や設備もありません。でもユウタロウさんが入学した以上、学校は受け入れなければなりません。何をどうしたらいいのか、教師たちはわからないし、不安です。だから誰に相談したと思いますか?医者に聞いたのでもない、支援学校のアドバイザーでもない、大学の専門家でもない、一番ユウタロウさんのことがわかっているだろうと思われるお母さんに、一つひとつのことを質問して、どうしたらよいか相談をして、いっしょに考えようとしたのです。そして情報を学校の職員で共有しました。このことが両親を一挙に安心させ、そして学校に対する信頼を作り上げました。
 専門的知識や専門家が障壁となって、むしろ子どもたちのインクルーシブな活動や学び合いや共に生きる場を奪ってしまうことがあるのだということを、肝に銘じておかなければいけないと思うのです。

〈第3日目〉
(3回目の幻に終わった発言)
 3日目の最終日は、総括討論です。もちろんノートを掲げたり、にぎやかな絵のついたクリアファイルを振ってみたり、からだをゆすったりしてアピールするものの、人数の多さと、「まだ発言していない人を優先」する司会団の方針で、指名されることはありませんでした。私の発言したかったことは以下のようなものでした―
 私は第1日目の討論で、教師の主語が前面に出すぎることで、子どもが学ぶ機会を奪ったり、共にいる場を奪ったりする実践をたくさん見聞きし、また自分でも経験してきました。4月から障害者差別解消法が本格実施となり合理的配慮が義務付けられることによって、むしろその名のもとにさらに教師の「押しつけ」が進むのではないかという危惧を表明しました。
 2日目の討論では、ユウタロウさんが支援学級も支援担任もなくて、施設・設備もない普通の公立高校に入学して、むしろインクルーシブ教育が実現している例を挙げて、専門的知識や専門家が障壁になることがあるのではないかと発言しました。...
 印象に残っている場面があります。大阪のレポーター(豊中)が、初任者として中学校に赴任した時、「支援が必要な子どもも、全ての時間を教室で過ごしている(豊中の)支援教育に疑問も抱いていた」が、学級担任など様々な経験をし、先輩教職員との交流も経ながら実践に取り組む中で、「クラスの子どもにAを任せることに何の不安も抱いていない自分に気づいた」と、生徒たちと関わりながら自らが変容していく姿を正直に報告されました。
 その時に共同研究者の大谷恭子さんから「教師は何もしなくてよいのか」との問題提起が参加者に向かって投げかけられたのですが、「教師は何もしなくていいのか。教師が何かをするとすればいったい何をすればよいのか」との議論が十分なされなかったのが残念でした。合理的配慮の主語は、教師、学校、社会、自治体、国です。教師は合理的配慮をしなければなりません。インクルーシブ教育には合理的配慮は不可欠です、しかし合理的配慮をしたからインクルーシブ教育が生まれるとは限らない、私はそう考えています。
 では、教師は何をするべきなのか、この一見やっかいに見える問題を議論するためにあえて単純化していえば、▼共にいる場をつくること。分けないこと。▼「教える側」「学ぶ側」の立場を超えて、「学び合う場」に子どもといっしょに身を置いて、学びながら子どもと共に教師も変容していくこと。▼そう考えると、インクルーシブ教育を考えることは、障害児教育の捉えかたではなくて、教育のあり方が問われているのだと思います。
 昨日、金井康治君のお母さんが、復刻された写真集『康ちゃんの空』をかざしながら発言されました。小学校が門を閉ざして、教員が子どもに背を向けました。区役所では柵を張り巡らしたり、教育委員会などの職員がバリケードをつくりました。私はその写真を見た時に「学校が牙をむく」いう言葉が浮かびました。何に対して牙をむいたのか、地域の住民であり、みんなといっしょに学校へ行きたいと願う小学生に対して牙をむいたのです。
 私にはこれが過去の特殊な例だとは思われないのです。学校や教職員が子どもや保護者に対して牙をむくことがあるのではないか、そしてここにいる私たちだって、バリケードをつくって子どもを排除する側に立たないとは限らないと思うんです。だから教師が何をしなければならないのか、何をやってはならないのか、ということを問い続けなければならないと考えています。―
 と、まあこういうことを発言したかったのですが、かないませんでした。それをわざわざ書き起こすのですからしつこい性格ですね、我ながら?
 3日間の全国教研で、3分×2回=6分発言し、残りの14時間54分を聞き続けたということになります。考え続けた時間であったということもできるのかもしれません。全国の実践に触れることができたし、会場での立ち話や、交流会で、普段会えない人たちとの再会や様々な人との出会いもありました。特に、若い人たちとの出会いは大きな収穫でした。

 

 2014年5月31日(土)
「教える・教えられる」は支配の装置

「教える・教えられる」という仕組みは、権力者が国民を支配するために必要とする装置である。支配するためには、国民に学習されては困るのだ。学習とは、不思議や、疑問を解決し、事実と真理を求めようとする営みであるから。
憲法第26条第1項は、国民の「学ぶ権利」を保障している。決して、「教える権利」を保障するものではない。「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する 」と。

 2014年5月30日(金)
「教える側」の視点と、「学ぶ側」の視点

「教える側」の視点と、「学ぶ側」の視点がある。「学ぶ側」の視点を持たない教師は、「できる・できない」の価値観を生み、必然的に能力主義、評価主義、競争主義に埋没して、序列化をつくりだす。親も、「教える側」の視点に立って子どもを見ようとする人たちがある。子どもの側に立てない、寄り添うことをしないのだ。

 2014年3月22日(日)
大阪の高校改革のねらいは何か?C
 大阪府・市内のすべての子どもたちが序列化される


 大阪府内・市内の、公立も私立も含めてすべての高校が序列化することについて書いたのだけれど、そのことは必然的にすべての高校生の序列化へとつながって行く。第一に、「どこの高校」に在籍しているかによって、これまで以上に細分化された序列の層が生まれてくる。さらに、その高校の中における生徒の成績順位が出されることにより、大阪における高校生個人の「凡その序列」が生まれてくる。
 第二に、府教委は「2016年度から内申書の絶対評価を導入」しようとしている。相対評価のように、「10・9…2・1」の各評価何パーセントと決められないため、個人の頑張りを高く評価して付けることができるので「7や8の評定」を多くつけることができる一方で、「7・8・9・10の高い評定を付けなくてもよい」ことにもなる。府教委は、入試での平等性と客観性を守るために、評価基準の整合性をつくる必要があり、そのために府内の中学生全員の一斉テストを実施するとしている。そのことによって、大阪の中学生の1位から最下位までの序列化が少なくとも技術的には可能となり、大阪の高校生全員を1位から最下位まで序列化することも、可能になってくる。
 すべての高校の序列化と高校生の序列化と順位づけは、中学校、小学校、ひいては幼稚園、保育園の評価と序列化へとつながって行く。小中学校の選択制が推進されようとしているし、公立幼稚園・保育園の廃園と民間移行が進められようとしている。そしてそれを取り巻く塾の評価と序列化がさらに歴然とすることは当然である。大阪の教育を市場の競争原理に任せるということである。能力主義、評価主義、競争主義一辺倒の大阪の教育が誕生させられようとしている。これを教育の保守性を打開し、民間活力の導入によって教育を活性化させる教育改革だと、強弁を弄するのである。
 その狙いはいったいどこにあるのか。新自由主義的な経済政策に見合う国家づくりの人材確保にあると思う。一握りのリーダー・エリートと、資本の側の求めに応じてきめ細かく人材を取り出し提供できる、序列化された人材の棚をつくることにある。経営に回る総合職、中間管理職、営業職、出先の店舗の担当職…等々、さらに正規雇用と、非正規雇用、派遣労働者、フリーターのように、格差をつけて人材を配置しておくことが必要なのである。そのためのの教育、学校システムが求められ、すでに着々と進行していると言わねばならない。
 では、障害者はどこに位置するのだろうか。人材とすら位置づけられていないのではないか。「保護」の対象であって、「権利主体」と考えられていない。当然高校制度の中では、1位から最下位までの序列に入れられず、「さらに下」かあるいは「別枠」としての位置づけ、つまり支援学校となる。
 これは明らかに、これまでの大阪府の障害児教育における「共に学び、共に育つ」教育の理念と方針に反するものである。また、知的しょうがい生徒の自立支援コースや、共生推進校の設置を進めてきた方針とも異なってくる。国連障害者の権利条約、障害者基本法、障害者差別解消法にも反するものである。しかし実際に大阪で現在、強引な力で、推し進められている高校制度改革、教育改革は、「能力主義日本一の大阪」をつくるべくなりふり構わず猛進しているのだと言わざるを得ない。

 2014年3月17日(月)
大阪の高校改革のねらいは何か?B
  大阪府・市内のすべての高校が序列化される

 2008年に橋下府政になってから現在に至るまで、立て続けに大きな高校制度改革が提案され、また実施されている。
@教育基本条例、府立学校条例で、3年連続定員割れを起こせば廃校とする。
A学区の拡大。2014年の入試からは学区制の撤廃。
B公立高校のうち上位進学校10校を進学指導特色校(文理学科)に指定 2011年
Cエンパワメントスクール3校を指定 2014年⇒3年間で10校に
D2016年度入試から内申書を絶対評価に
E中学1・2年生全員テストを検討 2014年度から
F私立高校授業料無償化 2011年度から (国の高校授業料無償化の改変に伴う変化はあるが)
 これらの改革は、必然的に府・市の公立高校をトップ10の文理学科と、ボトム10のエンパワメントスクール、その間の高校という3層の高校群に分けることになる。さらに数年のうちに各層の中の分化が進み1位の高校から最下位の高校まで、大阪府・市の高校が見事に序列化されることになる。
 また「高校で学びたい者が誰でも行けるように、授業料の無償化」はよいが、私学の授業料無償化が十分な公私の話し合いなしに行われたために、2011年の入試以来混乱をきたしてしまっている。それまで公立7・私立3の受け入れという「公立・私学間のルール」が無視されて、私学の学校の判断だけで入試の途中で「入学定員」を増やすなどの事態が起こってしまった。政治主導によって、大阪の高校教育市場が、一気に民間に開放される結果となったといえる。
 つまり公立高校でも、私立高校でも、受験生と保護者が自分の受験したい所を、府内全域の中で自由に選べる体制がつくられようとしている。様々な課題を抱えながらも、中学と高校との間でていねいな進路指導をつくり上げてきたこれまでの仕組みが一挙に吹き飛ばされてしまい、すべての高校が自由競争にさらされることになる。ひいては、公立高校も私立高校も含めて、すべての高校を1位から最下位まで序列をつけることにつながってしまう。
 高校の序列化は、公立・私立の中学校の序列化を生み、さらに小学校、あるいは幼稚園、保育園の序列化につながる可能性も十分に予想される。すでに評価が出来上がっている塾も、どこの学校(高校・中学・小学校・幼稚園・保育園)に進学したかを競う熾烈な争いが生まれてくることだろう。

 2014年2月16日(日)
大阪の「高校改革」のねらいは何か?A
「できた喜び」ってなんだろう?


 例えば繰り上がりの足し算ができないA君がいる。なんとか理解できるように教師も言葉をかける。放課後残って、マンツーマンで教えてみる。翌日やったテストでは、やっぱり繰り上がりの計算ができていない。第一、時間がかかってしまう。班のメンバーがみんなで居残り学習をして教え合いをする。中には帰宅後家にまで訪ねて一緒に勉強する友だちも出てきた。そして授業中、黒板に書いた問題をA君が前に出て解く。「一の位」に答えを立てる。とまどいながらゆっくりと「十の位の部屋」に繰り上がりの「1」を書く。教室の空気が緊張し、A君の姿を注視する。やがてか細い字で「十の位」に答えを立てる、と「ちがうちがう・・」とあちこちから呟く声が漏れた。A君はそれを消し、今度は強く抑えたチョークで答を書いた。・・・そして「百の位」に答えを書く。「やったー!」と声が教室に響く。先生もA君の肩をたたき、「やったな!」と笑顔を送る。A君はちょっぴりはにかんだ笑顔をこぼす。拍手が生まれるかもしれない。
 みんなでA君に関わり教え合い、そしてA君がやり遂げた瞬間と言えるだろう。できた喜び、達成感、自信、自己肯定感などが、確かにA君の中で生まれたと思う。しかも友だちが教え合い支え合って成し遂げた喜びを、周りの子どもたちも教師も感じるに違いない。
 だから「できる」ことはいいことなのだろうか?やり遂げた喜びは、本当に自信や達成感につながるのだろうか?これまで私も疑うことはなかった。教室の雰囲気も盛り上がり、集団づくりの基本でもあると考えてきた。「できるようにするため」の教え方、教育技術を学ぼうとした。「できるようにさせる」ことがその子どものためだと思って。私に限った事ではない、ほとんどの教師も、保護者もそれを肯定するのではないだろうか。
 しかし本人の立場に立って考えてみたら、どうなるだろうか。繰り上がりの足し算の後は、引き算があり、その後に繰り下がりの引き算が待っている。その都度、教師も、周りの子どもたちも、何より自分自身が前と同じようにエンピツを握り、友だちに教えてもらい、居残りで先生と勉強する、時には涙もこぼしながらくり返しくり返し計算をする。それができるだろうか。以前と同じような熱意を持って。それは喜び、達成感、自己肯定感というよりもむしろ、苦しい強制となることもあるのではないだろうか。しかも、その次にまた困難な課題が待っているのだ。算数だけではなく、他の教科に渡っても。
 「できた喜び」とは、「学習の世界の面白さ、楽しさ」や「学ぶ喜び」とはちがうのだと、私は考えている。問題は、やはり「学校教育の知の構造」にあるのではないだろうか。「できる・できない」の「知・知識」の構造、授業・学習の構造ではなく、「追求する・解決する」知の構造、授業・学習の構造が必要なのだと、私は思っている。

 2014年2月6日(木)
 大阪の「高校改革」のねらいはなにか?@
生徒たちは本当に「わかる喜び」を感じるのだろうか?

 昨年1122日の新聞に「学び直す府立高校」の見出しで、大阪府教委の高校制度改革が報じられた。「大阪府教委が、小中学校レベルの『学び直し』を特色とする高校の設置に乗り出す。大阪府は、高校中退率が9年連続で全国ワースト1。授業について行けずに意欲をなくし、学校から足が遠のいてしまう生徒を支える狙いで、近畿では初の取り組みだ。…指定校は、力や意欲を引き出す意味の『エンパワメントスクール』と呼ぶ。…」
 授業について行けない生徒が、例えば小学校5年生の分数の計算を学び直し、「わかる喜びを感じて、学習の意欲を持てるようにする」というのだが、はたして、高校生が小学5年生の勉強をして喜びを感じるものだろうか。生徒たちはそうした授業を納得するのだろうか?
 一見「弱い立場に立たされている生徒たち」を応援する改革が始まるのかと、期待を喚起されるのだけれど、ここにはオブラートで包んだような言葉遣いの演出によって、巧妙な問題のすり替えが行われている。
▼授業について行けないことが、生徒たちが荒れたり、中退したりする主な原因であるかのように書かれている。
▼「学び直す」という、いかにも教育的配慮の行き届いた柔らかな表現になっているが、実際は「教え直す」ことではないのだろうか。「学び直す」の主語は「生徒」である。しかしその生徒が、自ら学ぶ・学習することがどれほど困難な課題であるかは、教育の現場に少しでも立ち会ったことがあれば、誰にでもわかることである。
▼新聞記事では、西成高校での実践が報告されているが、それは生徒たち一人ひとりの声を聞き、話し合い、生活と向き合い関わり合いながら実践する、教職員の息の長い、時には熾烈を極める葛藤を経た取り組みがあって、その中で、必要な生徒たちと取り組む小学5年生の分数の計算なのだという事実が抜かされている。
▼「授業について行けない生徒たち」は、むしろ今まで「学校教育の知の仕組み」によって、「できる・できない」と振り分けられ、疎外され、差別されてきたのではないのだろうか。改革とは、その「知の仕組み」「学習の仕組み」そのものを変えなければならないのではないだろうか。
 きれいごとの「高校改革」で、生徒たちが救われるとはとても思われない。別の狙いがそこには隠されている、と私は考えている。


2013年4月19日(金) 
新しい人(教師)へA
 スタートして一か月、あなたは激動の日々を過ごしたのかもしれない。
 教室で、目の前に並んでいるのがカボチャに見える者は何も悩まない。一人ひとりが違った個人史を持ち、今生きて生活している子どもと見えるから悩みが生まれる。言葉が通じない、話を聞いてくれない、授業がうまく進まない・・・。雰囲気を変えようと工夫したつもりでやればやるほど、距離が離れていくような焦燥感が生まれてしまう。関係が崩れてしまうのではと、危機感や恐れが芽生えてしまう。
 担任を持った時はいつでもこんなことがあるものだ。教師はそれぞれに処し方を見つけ出し、経験の引き出しにしまっている。さしずめ私の対処法は、風呂に入ることである。銭湯や健康ランドの湯ぶねに浸かって、子どもたちの顔を思い浮かべたり、学校での出来事をのんびり思い出したりする。微塵も学校のことを考えない時もある。一度ですむときもあれば、連日風呂通いを続けることもある。
 今一つは、「この授業で勝負を賭ける」「私の思いを通じさせてみせる」とばかりに大上段に振りかぶり、力こぶをつくる勢いで授業をする。教科の進度や時間数など頭の中から消し去って、自分のやりたい、或いは得意な、教材を投げ入れて授業に取り組む。それが子どもたちに通じることもあるし、依然何も変わらぬこともある。それでも、何かが自分の中で動き出す。そんなとき教室の景色が違って見えてくるから不思議だ。

 2013年4月8日(月)
新しい人(教師)へ
 初めての人との出会いを考えてみる。大人の世界であれば、キャリアを通して相手を理解する。出身大学、会社、組織の中の位置、業績等々。教師と子どもの出会いはどうだろう。教師の出身大学、学校での位置、こんなことをしてきた先生だ・・・などら、隣近所の口さがないおしゃべりや情報交換であぶり出されてきた、(多分に主観的ではあるけれども)キャリアを子どもも意識して見ることがあるかもしれない。
 しかしどんなにエライ先生であっても、教師のキャリアが通用するのもせいぜい1週間というところか。子どもたちはたちどころに相手を裸にして、まじまじと見つめ、自分たちの判断を下す。人と人が丸ごと関わり合う、これほどシビアな関係は他にないのではないだろうか。教師の人としての生き方を鍛えてくれるにちがいない。
 ひょっとして学級開きの教室で、子どもたちの前に立った教師の第一声から始まっているのかもしれない。

 2013年3月8日(金)
授業時間数を増やして何をしたいのか?
 大阪市教委が、市立小・中・高校で、冬休みを2日間、夏休みを1週間短縮して年間の授業時間数を増やす方針を決めたことが新聞に載っていた(2月26日)。子ども同士の間や教師間に競争を持ち込んで、評価を徹底すれば学力が伸びる、さらに民間企業のマネジメントを学校管理・運営に導入すれば効率よく学力向上につながるといった、これまでの一連の「改革」案と共通する。やはり主体である子どもや教師の側に立った発想が全くない。学力とは、教育内容について、授業づくりについての論議や工夫や実践が顧みられないで、時間数を増やせば学力が向上すると言わんばかりの安直な発想にあきれてしまう。
 すでに府内の多くの市ではエアコン導入に伴って長期休みの短縮による時間数の増加が実施されている。こちらは「授業時間数を確保するため」と言いながら、その実「エアコンが入るんやったら、こんな長いこと休みにせんでもええやんか」とか、(学校側が保護者の心にくすぶり続けているであろうと勝手に斟酌している)「せんせぇは、長いこと休めてええなぁ!」といった保護者・市民の批判をかわそうとする狙いがかいま見えて、むしろ正直でもある。
 長期休みを短縮して確保しなければならないほど時間数が不足しているのかと言えばそうではない。現行のままで、どの学校も学校教育法施行規則および学習指導要領に定める「標準時間数」を確保している。毎日朝から終業時間まで子どもも教師も時間数に縛られ、キュウキュウとした日々を過ごしている。放課後はゆっくりと遊んだりおしゃべりしたりと自分の時間を過ごすこともなく、塾や習い事、スポーツクラブに急いで出かける姿も多い。
 寝屋川市教育委員会からも、エアコン導入に伴って夏休みと冬休みを合わせて9日程度短縮したいと学校側に提案があった。曰く「授業時数は現在のままで足りていると理解している。むしろ9日分の授業時間数を延ばすことによって、教育現場にゆとりを持ってほしいと考えている」と説明する。いかにも他市のような周囲の批判をかわす体裁づくりではなく、より良い教育を考えての措置であると言わんばかりの言葉づかいでもあった。
 そこでたずねてみた。9日間ということは、(1日)4h×9日=36h つまり1年35週として、年間通して週1h増えることになる。例えば、現在水曜日を1年生も含めて全学年5時限としているが、午前中の4時限として、午後の放課後は、教師がゆっくりと子どもと話したり、子どもの相談に乗ったり、クラス活動や、勉強が分からないで困っている子どもの学習にあてたり、いっしょに遊んだりする時間に当ててもよいのかと質問した。市教委はそれは可能だと言う。
 しかし実際にはそんな学校は出ないと高をくくっているように思われる。A校1校だけが毎週水曜日を4時限にして、他校は5時限のままにすれば、「勉強が遅れてしまう」「なぜここだけが時間数が少ないのか」と湧き起って来るに違いない、保護者の声に真正面から答える学校はないと思っているからだ。
 残念ながらそれが学校の現実でもある。「私たちは、子どもを育てるためのゆとりを作るためにこう考えている」と、学校側の考えや方針を説明して実践する前に、保護者や地域に説明する苦労が頭に浮かび、踏み出せないで終わるといった具合だ。今更新しいことを始める気力・活力が生まれ出ないほどに、教職員は疲れていることの証左であると言ってもよいだろう。
 しかし学校評議員会や学校協議会などという組織を作るのならば、教師の授業を評価したり、罷免を提案したりするよりも、こうした子どもたちや教師が置かれている現実の学校現場の実態を知った上で、例えば「子どもを育てるためのゆとり」を作る提案についてどうなのか話し合うような組織であってほしいと思う。何にもむずかしいことではない、視点を子どもたちや教師という、学校教育の主体の側に移せばよいだけの話である。 

 2013年2月17日(日)
子どもの狡猾な知恵
 子どもが嫌いになることがある。教師が「弱い」とみると、徒党を組んで反抗し、あばれ、教師に向けて「くさい、汚い、あっちへ行け」と罵りを投げつける。相手の人格を侮蔑する言葉を選ぶかのように心に切り付ける。教室でいじめも生まれる。誠実に対応しようとする教師ほど傷口を広げられるようにも見えてくる。鬱になる者もあるし、休職を余儀なくされる者もある。家族から、追い詰められた末の命の危険を心配する相談を受けたこともあった。本人にとどまらず家族の暮らしも巻き添えになる。
 ところが一方で、教師が「強い、コワイ」とみれば、従順に振る舞い笑顔まで振り撒く。「コワイ先生」は自分の力で荒れた子どもたちを変えたのだと「過信」し、自信満々にその「実践力」をアピールする。周りの教師たちも、理想の教育はあるものの、やっぱり「強さ、コワさ」も必要だと求めるようになってくる。本当は一つも問題が解決していないのに。子どもの狡猾な知恵に欺かれていることもわからずに。「コワイ先生」のクラスが次の年に荒れることもある。その時は「もっとコワイ先生」が求められることになる。
 こうした循環が断ち切られなければ、形だけの理想論が語られて、本音はますます教育の営みから離れていく。子どもたちの狡猾さも増して行く。
 私は子どもに、あなたの知恵は、友だちを支える、励ます知恵ではない。学びを深める知恵ではない。あなたの知恵は「狡猾である」ことを教えたい。「狡猾」とは、相手を落とし込めるものだという意味である。

 2013年1月1日(火)
コミュニケーションを考える そのA

 支援学校高等部2年生のY君のお母さんからメールが届いた。
 ―じっくり本人の希望を聞くことができました。「その様な方法があるんやったら是非、受験して普通高校で勉強したい。二学年の終わりで構わない。」
土日に父親が聞いた時は「修学旅行に行ってからがいい?」という聞き方もあって、早くて翌年の受験?かとなりましたが、私やヘルパーさんには今度と言い、はっきりと強くアピールしていた為、父親も同意しました。―
 小学校3年生の時に発症して、視力、声、身体の動きを奪われてしまったY君だが、身の回りの出来事に対する興味や関心は人一倍強い。例えばお父さんがベッドの横で新聞を読み、社会のできごとや政治について「語り合う」のは日常の風景だ。妹たちは学校のできごとや友だちのこと、流行の歌など、にぎやかにお喋りして、Y君は全身で反応する。
 Y君と関わった人は、その姿にY君の強い学習する意欲を感じ取る。重度の障害生徒が普通高校に入学して友だちといっしょに学校生活を送っている話を聞いたお母さんは、それをY君に伝えた。「ぜひ受験して普通高校で勉強したい」とY君は言った。
 他者・相手に伝える具体的な方法、言葉を話す、書く、まばたきする、瞳を動かす、指を立てる、足先を動かす・・・などらを、今はまだ持たないY君ではあるけれど、それはまぎれもないY君の意思表示であった。ここにも揺るぎのないコミュニケーションが成立しているのだ。

 2012年11月27日(火)
コミュニケーションを考える 二題 その@
 
 重度の知的障害のあるMさんは、定時制高校の3年生。親が付き添うことなく友達といっしょに修学旅行に参加したことを、お母さんがメールで知らせてくださった。

 娘は、無事昨日修学旅行から帰って来ました。・・・親と離れて、飛行機に最初に乗り不安だったのか、娘は、飛行機の中で大声で泣いたそうですが、機長からの搭乗拒否もなくどうにか無事千歳空港につきました。空港でもかなりパニックって大声でないていたようですが、バスに乗り移動し始めてから、落ち着いたようです。

 そのころまで、担当の先生から、何度もメールが入っていましたのに、娘が落ち着いたのか、先生が慣れたのかたくさん入っていたメールは、その後帰るまで全く連絡なく、修学旅行の様子は全くわかりません。

 でも無事帰ってきました。娘は、気持ちを伝えられない分、かなり神経を使ったようで、伊丹空港からの帰りはとてもハイで、いっぱい伝えたいのでしょうが、伝えられなくて知っている言葉をいっぱい並べてしゃっべていました。

 今日は、よく寝て、15時間爆睡しています。

 大声で泣くMさんと、何をどうしてよいやらわからず困惑するまわりの友だちと先生たちの顔が浮かんでくる。「旅行」という普段よりも濃密な時間をいっしょに過ごすことで、「お互いに」(Mさんも周りの人たちも)関わり合うことに慣れ、試行錯誤しながらも理解しあって行く様子が想像される。
 圧巻は家に向かう親子の交わす会話だ。「娘は、気持ちを伝えられない分、かなり神経を使ったようで、伊丹空港からの帰りはとてもハイで、いっぱい伝えたいのでしょうが、伝えられなくて知っている言葉をいっぱい並べてしゃっべていました。
 お母さんは知っている言葉をいっぱい並べるMさんのお喋りから、報告したくてたまらないMさんの気持ちを理解し、きっと話の内容を聞き取ったに違いない。
 コミュニケーションとは双方の関わりの中で成り立つものだと、改めて考えさせられた。
Mさんだけに「(他の人に)分かるようにしゃべりなさい」「そのために訓練しましょう」と、一方だけに求めるものではないのだと思い知らされる。

 Mさんは修学旅行を通して、他の誰にも負けないくらい大きな学習をしたのだと思う。もちろん友だちといっしょに、めいっぱい楽しんだに違いない。15時間爆睡するくらい全身全霊をかけて。


 2012年11月2日(金)
若い人への手紙〜あなたの話す言葉は〜

 初任者研修の授業公開ご苦労様でした。よくしゃべりましたね。先生の言葉が多すぎます。しかもその言葉は「指示言葉」ばかりでした。「先生が自分を語る言葉」や「自分の考えを述べる言葉」「相手(子ども)に寄り添う言葉」・・・などではなく、「指示する言葉」がほとんどでした。
 「…しなさい」「…はダメです」「早くしなさい」「もう終わりますよ」「あと20秒」「分かりましたか」・・・。これはよくありません。教師が子どもの前に立った時は、もっともっと多様な言葉を扱えなくてはいけません。
 なんだか、まだ子どもを信じていないように見ていて思いました。子どもを信じて、子どもに任せてみてはどうでしょうか。今日でいえば、粘土を渡して、課題を出して、さあやってみよう!と任せることです。子どもたちの目がもっともっと輝くような気がします。
 最後にみんなで先生が黒板に書いたものを読んだとき、あの時が一番子どもたちが輝いていました。とてもいい声で、みんなと読むことが楽しそうに、気持ちよく読んでいました。やっぱり朗読会に取り組んだことで、「声を出す」という力が子どもたち一人一人に育ってきているのだと思います。
 やれば子どもは反応し、そして育ってくれます。教育という仕事はなかなか捨てたものではない、そう思いませんか?
 これからあなたが教師としてどのような歩みをされていくのか、とても楽しみに期待しています。それはきっと、あなたが人としてどう歩んでいくのかということと同義であるにちがいありません。

 2012年10月23日(火)
「聞く」ことが先か、「話す」ことが先か

 最近、朝のウォーキングが習慣となっている。別段数値目標を決めているわけでもないので、ゆっくりとあちらこちらに視線を移しながら歩くことになる。近所の道をしかも毎日ほぼ同じコースをたどるのだが、これまで知らなかったこと、気づかなかったことを発見してなかなか面白い。浄土真宗大谷派の寺と、檀家の門前に張ってある(さて正式な名称があるのかどうか)紙に書かれた言葉もそうして出くわしたものの一つである。
 曰く「話し合うとは、聞き合うことである」と。しばしその張り紙の前に立ち止まってしまった。お寺の住職が考案するのか、或いは親鸞の教えとして歎異抄に書かれたものを住職が現代語訳をして檀家に配るのか分からないが、言い得て妙である。
 近所づきあいや自治会、或いは職場の人間関係にあてはめてみれば、なるごどなるほどと思い当たる節が次から次へと浮かんでくるから面白い。
 さて教室を思い浮かべてみる。確かに子どもたちが、もちろん教師も、お互いに聞き合うことができなければ話し合いも学び合いも生まれない。「話し合い学習」などと銘打って華やかに活動する子どもたちの姿ばかりを追い求めても、「聞き合う」ことができなければただの「言い争い」に過ぎないとの戒めとして解釈することもできる。
 しかし、とも思う。いかにも日本的な美徳、価値観の言い回しにも思えてしまう。もっと子どもたちが「話し」「もの申し」てもいいのではないだろうか。むしろ自分の意見や願い、考え、批判を相手に話すことが必要なのではないかと思えるのだ。経験的に言えば、話し合いの学習を積み重ねていけば、子どもたちは聞く力を身に着けていくように私には見えている。自分の立場、相手の立場、第3者の立場など多面的なものの見方・考え方が生まれ、もの・ひと・ことに対する興味が増してくるように見えるのだ。むしろ「話し合うために必要とされてくる」という感じだろうか。
 「どちらが先かではなく、どちらも大切」という声が聞こえてきそうな気がするが、そう言ってしまえば元も子もない、話はそれで終わってしまい面白くないというものだ。だから私はあえて「話し合う学習が先」と提案してみたいと思う。
 ちなみに今朝のウォーキングで見つけた張り紙には次の言葉があった、曰く「念仏とは、我(が)の崩れゆく音である」。

 2012年10月8日(木)
運動会、子どもと教師ががっぷり四つに組み合う時B
         6年生への手紙(第2信)

 そして運動会が終わった。後片付けが終わり子どもたちも下校した後、職員室で私は6年生に宛てたもう1通の手紙を書いていた。

 あっぱれ6年生!

 やりましたね、ついにやっちゃいましたね!!運動会の最後の最後に大きなドラマと興奮を巻き起こしてしまいました。もう6年生の先生たちも、ねぇ、もうボロボロと…?ねぇ。担任の先生だけじゃない、まわりにいた先生たち、いや成美小の教職員がみんな、もうボロボロと…?ネぇ…!

 正直に言いましょう、実は運動会の前の日の土曜日は、何をしていてもあなたたち6年生の組体操のことばかりが頭に浮かんできました。はたして最後のピラミッドがどうなるだろうかと。

 そして私の日記風のメモ帳に、翌日の運動会を想像してこんな文章を書いていたのです。

―フィナーレを飾るべく挑戦したピラミッドがくずれてしまった子どもたちは、「もう一回挑戦したい」と教師にうったえた。2回目のピラミッドの挑戦。

 2000人におよぶ人たちが見守る中、一段、また一段と重なっていく。子どもたちがかけ合う「ガンバレェー、ガンバレェ―!」の声が力強さを増し、まわりで見守る他学年の子どもたちや、保護者たち、教師たちの顔も真顔になる。こぶしをにぎりしめる者もあっただろう、心の中で祈る者もあっただろう、思わず何度も声を上げた者もあったにちがいない。

 そして・・・

 テレビドラマだったら、最後の一人が上りだしたとき、それまで耐えに耐えてきたピラミッドがひと揺れ、ふた揺れして、画面に歯を食いしばり(このあたりは場面がシンクロしてもいい)、必死の形相で支える子どもたちの顔が映し出されて、そして(ここからはやっぱりお決まりのスローモーションだ)見事にてっぺんで大きく手を広げて立ち上がる姿が大映しになって、大成功で終わるにちがいない。

 しかし、明日の運動会の現実のドラマはいったいどうなるのだろうか。

はたして、本番で初めて成功させた喜びと達成感がもたらすものと、2回目も失敗してしまった事実がもたらすものと、子どもたちにとってはどちらが大きな学びをもたらすことになるのだろうか。かんたんに言えることではないと思う。―

 こんなことを書いていたんですね。ところがどうだろう、あなたたちはテレビドラマを地で行くように、しかも1回の挑戦で成功させてしまったんだから。「あっぱれ6年生」です。すばらしい感動をもらいました、ありがとう。

 でもね、ピラミッドが完成できなくて、つぶれていても、やっぱりそれでもいいんですよ。あなたたちは、一番大切な「ほんもののピラミッド」をもうつくり上げていたのですから。


 2012年10月3日(水)
運動会、子どもと教師ががっぷり四つに組み合う時A
         6年生への手紙

6年生のみなさんへ

 昨日の運動会練習の「組体操」を見せてもらいました。進行とともに、私の胸がドキドキ、ワクワクと高鳴ってきました。何度もあなたたちのからだの動きのすばらしさにハッとさせられました。特に最後のピラミッドには感動しました。最後の最後につぶれてしまったけど、私は感動したのです。

 完成しなかったけれど、もうあれでいいんだと思いました。だって「ほんもののピラミッド」はりっぱに、みごとに完成していたのです。何とよんだらいいだろう、「友情のピラミッド」「仲間のピラミッド」「絆のピラミッド」を、あなたたちはみごとに完成させていたのですから。

 一段一段ピラミッドを組んでいくたびに、土台になっている人や、上にのっている人から、「ガンバレェ、ガンバレェ」と声が上がります。ひびき合うように、待機している人たちからも声が上がります。痛さをがまんしながら歯を食いしばって、友だちに(きっと自分にも)「ガンバレェ、ガンバレェ」とエールを送っています。その姿に向かって、真剣な表情で「ガンバレェ、ガンバレェ」と、次に乗る人たちがエールを送っているのです。その声が重なり合い、ひびき合って、どんどん大きくなって運動場に広がって行きました。

 てっぺんまで行かなくてもいい、「ほんもののピラミッド」は、りっぱに完成させているのだから、私はそう思いました。みなさんはどう思いますか?

 きっとたおれてくやしい。今日の最後の練習と本番と、残された2回のチャンスに何としてでも「ピラミッドを完成させてやる」と思っているにちがいありません。練習が終わった後のどの顔も、くやしさと次に挑戦するヤル気に満ち満ちていましたから。

 さて、そんなみなさんの役に立つかどうかわかりませんが、ピラミッドの組み方で、私の気づいたことを書いておきます。
 ピラミッドは横から見たときに、重さがまっすぐ下に向かっているとき(重心といいます)がいちばんしっかりと安定しています。(図@)
きのうの練習のピラミッドは、横から見たとき重心が後ろにかたむいていました。(図A)
                  
 

後ろにかたむいているところに、さらに後ろから次の人がのってきて、上にのぼるために。土台の人の背中をさらに後ろにひっぱるので、ますます重心は後ろにかたむいて、土台の人はもっとしんどくなっていきます。

だから、一人ひとりが組む時に前に重心をかけるようにしたらどうでしょうか。うでをまげてはいけませんよ。つまり図Bではなく、図Cのように、両手を直角になるようにまっすぐ下におろして支える、背中を水平に保つということです。最後にのぼる何人かが、真後ろからのぼるのではなく、横からのぼるというのも一つの工夫かもしれません。

                
 6年生のみなさんに長い手紙を書いてしまいました。最後にくり返しますが、完成しなくていいんですよ、今のままで十分すばらしい。あなたたちは一番大切な「ほんもののピラミッド」をもうつくり上げたのですから。


 2012年9月30日(日)
運動会、子どもと教師ががっぷり四つに組み合う時 @
 
 夏休みが終わって2学期が始まり、水泳の授業が終わると、まさに息つく間もなくという実感を伴って、今度は運動会の練習が始まる。日を重ねるにつれて教師の「指導・指揮」する声にもついつい力も入ってくる。時には握りしめたマイクを通して子どもを叱りつける怒声が隣近所の家庭に届いてしまうこともある。学校の風物詩とのんきに言い放つこともできるし、一方で最近では、子どもたちへの「強制・締め付け」の象徴と指摘されかねない風潮を感じたりすることもある。

 運動会の練習で、教師の思いが気迫となって子どもたちにぶつけられ、子どもたちがそれに応えるかのように力を発揮する、さらに教師の情熱が燃え上がり、子どもたちも歯を食いしばって表現する、休み時間や放課後も友だちと居残って練習する姿が見られたりする。教師と子どもたちが正面からぶつかり合い、互いの思いが交錯し、いっしょにつくり上げて行こうとするドラマが生まれたりもする。担任にとって忘れがたい感動を心に刻むときでもある。

 セイビ小では毎年6年生の組体操、中でもフィナーレの全員でつくる8段のピラミッドが運動会を締めくくる花となっている。この年の6年生は、そのピラミッドが完成しない。やるたびに子どもたちの表情が引き締まり、お互いに掛け合う声が強さを増し、その姿からも真剣さと熱気が見る者に伝わってくる。運動会二日前の練習では、ピラミッドに入った瞬間から周りの空気が緊張した。体育館での学年練習を終えた5年生たちがトラックを囲むように座り込んで見つめている。あちらこちらの教室や廊下の窓が開いて、子どもたちや教師がのぞく、帰り際の低学年も足を止めて見つめる。職員室から出てきて成り行きを見つめる職員たち。学校中の視線が運動場の中央で取り組む6年生にくぎ付けになっていた。

 最後の一人が1段目の背中に足をかける。積み上がった6年生の子どもたちが「あと一人」と声を上げる。「頑張れ」「倒れるな」「もうちょっとや」…、周りから大人も声や子どもの声が一斉に飛び交う。2段目、3段目の腰に手が掛かった時、7段までの土台がゆっくりと23度揺れ、ついに崩れてしまった。ため息が漏れる。体操服も、手も足も顔までも土に汚れた子どもたちの目から悔し涙がこぼれている。立ち上がった何人かが前にいる担任の所に行き、「もう一度やらせてほしい」と訴えた。

 担任達は、言葉をかけることもできずただうなずくだけだった。もう一度、全く自分たちだけの合図を掛け合いながら子ども達は挑戦した。そしてまたピラミッドはたおれてしまった。6年生の子どもたちと担任達が、組体操の練習を通してがっぷり四つに組み合ってひびき合うようすがひしひしと伝わってきた。

 その場に居合わせていた私は翌日6年生の子どもたちに手紙を書いた。


2012年9月17日(月)
テストやプリントを半分に減らしてみたら?
  それだけでも本物の教育論が話し合えるはず
(前回の続き 3)

 職員室の光景でよく目にするのが、テストやプリントのマル付けをする教師の姿だ。放課後や、会議の終了後、7時や8時、時にはそれ以上遅くまで居残って、延々とマル付けの作業をする。或いは大きな袋にプリント詰めて持ち帰り、家事を終えた後夜遅くまでする人もある、土曜や日曜に学校に出て職員室や教室で続ける人もある。
 「なんでそんなにマル付けをするの?そもそもどうしてそんなにテストやプリントをするの?」思わずそう漏らしてしまうことがある。「私なんかの5倍はやってるんじゃないかな!(実のところ10倍は多いと思っているのだが、そう言えばはなから非現実的な話になって取り合ってくれそうもないので控えてしまう)」 相手はしばしけげんな表情を浮かべて「だって、周りの人がしてるから」と答えが返ってくる。これまでたくさんやっていたのに、自分が担任になってプリントやテストが減ったら、たちまち保護者からクレームが来るのではないかと不安を覚えるのが本音であるらしい。過重な負担を強いられているのがわかっていながら、お互いに疑心暗鬼に駆られてさらに自ら負担を募らせていく構図が見えてくる。
 一方保護者の方は、学校でテストをやっていたら勉強していると思い、家で宿題プリントをしていれば家庭学習をしていると思い込んで疑わない実態がある。何と子どもまでが、テストやプリントでたくさん○をもらうことが勉強だと思い込んでいる。こうして教師も親も子どもまでも巻き込んだ三つ巴の疑心暗鬼が、増々プリントやテストの量を増やし、その分マル付けの仕事が増えて教師の多忙化はどこまでも解消することがない。
 しかしそれだけ多くのテストやプリントをするということは、それに見合った授業時間を使っているということでもある。その時間を子どもたちが目を輝かせて聞き入り、身をのり出して発言し、興味いっぱいの表情を浮かべながら活動する学習に取り組めればどんなに楽しいだろうか。いじめの問題も含めて、友だち関係に悩んでいる子どものことをクラスのみんなで考え、話し合える授業ができればどんなに意味深いだろうか。
 毎日出される宿題プリントは学びのツールどころか、子どもによっては翌日の朝から、提出できなかった罰を受けたり、「忘れました」のウソを考えねばならない材料を提供することにもなってしまう。宿題とは教室で学んだことを家に帰っても考え続けることではないのだろうか。夕食時の団欒の話題に上ったり、家族に教えてもらったり、資料を捜したり、友だちと図書館に出かけたり、ノートに書きつづったり、そして翌日の授業で発表する、そんな家庭学習ができればどんなに素晴らしいだろうか。
 だから、「半分にするのが難しかったら、三分の一を減らしてみたらどうだろうか?」と、私は提案してみるのだ。「一人でやるのが難しかったら学年のみんなで一緒にやってみたらどうなんだ?みんなで渡れば怖くない、という風に」と付け加えても見る。それでもやっぱりできなくて、いつまでも夜遅くまで職員室や教室でマル付けしたり、家に持ち帰ったりすることが続いてしまうのだ。
 例えばこの問題一つを、雨後のたけのこのように作られた、校長・教員・保護者・地域代表が集まる「会議」のどれか一つで、本気で話し合ってみたらどうだろう。学校の現実、教師の仕事の実態、子どもや保護者の意識、そして授業とは、学習するとは、教育とは、学校とはいったい何なのか、子どもを育てるためにいったいこれから何をどう変えていけばよいのか、本当の話し合いができると私は考えている。保護者や生徒が教師の授業を評価して、不適格教員を告発するような仕組みを作っても、子どもは育たない。学校や教育を崩壊させるだけである。

2012年9月12日(水) 

橋下徹の戦後民主主義教育に対する嫌悪感と不信感の表れ(前回の続き2)

 もう10年ほど前から大阪の小・中・高校では、教職員の評価制度、学校診断アンケート、地域教育協議会、学校評議員会がつくられて、校長による教職員の評価や、保護者による学校への意見と評価、地域の代表を交えた教育活動の点検と提案がなされてきた。それにもかかわらず屋上屋を重ねるがごとく、橋下維新の会が教育行政基本条例、府立学校条例、大阪市立学校活性化条例をつくり、「親や生徒が教員を『評価・査定』する」ような施策を打ち出してくるのは、これまでの学校教育制度では「生ぬるい」という直情的な嫌悪感、不信感の表れと言うべきではないだろうか。
 維新の会は、いや橋下徹は、いったいどこまで学校教育への不信感を募らせれば気が済むのだろうか。ひっきょう橋下徹の戦後民主主義教育に対する不信感、嫌悪感というべきなのかもしれない。
 さてこんなに教職員や学校を監視する制度やそれに基づく組織を雨後のたけのこのように乱立させても、教職員、管理職、教育委員会、地域、保護者の間に、ひいては子どもたちの間にも不信の連鎖を募らせるだけである。ひとつでいい、教職員・校長・保護者・地域の人が集まって胸襟を開いて本当に学校教育を活性化させ、子どものために何が大切かを話し合い、考え合い、具体的に提案できる「集まり」をつくることはできないだろうか。
 話し合う課題は山ほどある。それほど教育という営みは、問題を抱えてきたのだし、言い換えれば誰もが経験し関心を持っているものなのである。

2012年9月1日(土)

教員「査定」に親・生徒の声
 というが!


 8月24日朝日新聞夕刊に標記の見出しが載った。「大阪府教育委員会は24日、全公立学校の保護者や生徒に授業アンケートを行い、授業を受ける側から見た『授業力』を教員評価に反映させることを決めた。授業アンケートを教員の評価に直結させるのは、全国で初めてという。」
 大阪府・市で維新の会が強引に成立させた教育行政基本条例、府立学校条例を受けたものである。すでに府内の公立学校では、教職員評価制度や学校診断アンケートが実施されているが、それでは「生ぬるい」とでも言いたげである。何を差して生ぬるいのか、教育委員会や校長の言うことを聞かない教職員が多い、保護者の言うことを聞かない、勝手な授業をしている、まだ「日の丸・君が代」にこだわる者がいる、そもそも組合運動がまだ続いている・・・などら、いったい何を不満としているのかはっきりしない。
 現場ではきっとやりにくいだろうな、増々教師の意欲をそぐことになるだろうなと思わずにおれない。保護者と教師との信頼関係がさらに崩れていくに違いない。
 これまでも教師は、だれでも当たり前のことだと思うが、授業や学級経営が周りからどう見られているのか神経質なほどに気にかけてきた。教室のドアや窓を閉め切って、子どもたちを囲い込み「学級王国」をつくって、他からの意見をシャットアウトするような閉鎖的なクラスもあったけれど、次第に開かれた教室、授業が求められ、また教師も目指すようになってきていた。
 校内の授業研修会で公開授業をやり、事後の研修会で意見交流をしたり、困った時には職員同士で相談し、知恵や経験を出し合ったりしながら取り組んできた。保護者に対しては、授業参観や、日曜・土曜日の休日参観、学校行事の公開、日常的な参観の受け入れなどら、様々な方法で地域との結びつきを模索もしてきたところである。
 今回のような「親や生徒による授業評価」が導入されると、教師は親や生徒の「顔色をうかがう」ようになるだろうことは容易に想像がつく。しかもそれが「教員評価」となって、「指導力不足教員・不適格教員」のレッテルを張られたり、給与格差やついには「免職」にまでつながるとなれば、教職員間に競争が生まれ、人間関係が寸断されるのは明白である。
 「子どもを見つめ、子どものために」というものの見方・考え方が教育現場から失われていくことになる。多くの指摘がなされているように、イギリスやアメリカなど新自由主義の教育改革を行った国では、すでに深刻な問題が生まれ、反省と批判のもと修復が図られている。
 維新の会の提案だけが悪いのではない、それ以前から学校、教育をめぐる様々な問題と課題は山積みしていたのもまた事実である。極端な能力主義・競争主義・市場原理の教育制度の導入に、「付け入られる余地」が学校・教育の現実の中にはあったというべきでもあるだろう。
 本当に今、子どもの立場から、保護者の立場から、そして教職員の立場から教育について真剣に議論し、交流する機会をつくるということであれば新たな意味が生まれてくる可能性はある。たとえば、「プリントやテストをどう考えるか」という問題一つをとっても、教師と保護者が胸襟を開いて語り合えれば、現在の教育の根本に触れる論議ができるというものだ。 (つづく)
 

 2012年8月22日(水)

映画『青い鳥』を再度観る


 ツタヤの棚に並んでいるDVDを見つけたので、4年ぶりに『青い鳥』を観た。(初めて観た時の感想は、「これまでのTOPICS」の 「63 映画『青い鳥』」で書いているので読んでみてください。)様々なキャラクターを挑戦しながら進化を続ける俳優阿部寛の演技はやっぱりいいなぁと感じながら、ここには日本の学校が抱える根本的な問題と課題が鋭く描かれていると改めて考えさせられた。
 とある中学校の2学期始業式の風景から映画は始まる。校門で登校を迎える教師たち。明るい笑顔で挨拶を送る。「いじめをなくそう」と大書された横断幕と、廊下に置かれた「青い鳥」と名付けた投書箱。1学期に2年1組でイジメが原因となった自殺未遂事件が起こり、被害者のノグチ君は転校した。2学期からの再出発を期して身構える雰囲気が学校のあちらこちらにうかがえる。2年1組の教室にいる生徒たちの、普通の中学生と変わらぬ会話のやり取りからも、その背景に隠された溢れんばかりの身構えを想像してしまう。
 教師も生徒も保護者たちも、2学期からの新たな出発をするために、みんなイジメがあり、それが原因で自殺未遂が起こった事実を乗り越えようとしているのか、あるいは忘れ去ろうとしているのか。
 そんな2学期最初の日、休職中の担任に代わって非常勤講師のムラセ先生が2年1組の生徒たちの前に立った。「・・・ヒ・・ヒ・・ヒ・・・」、先生の口元から漏れる異様な音に教室中に緊張が走る。「ヒ・・ヒキョウ ダナ」、何を言われたのか、いったい何が起こったのか、生徒たちは顔を見合わせ、今教室で起ころうとしている異常な事態に身構える。
 緊迫した空気の中笑いをこらえる者がある。先生の吃音(どもり)の声をまねながら、今にも笑い声が弾けそうになる。笑いをまねる者があり、教室に広がろうとしたその時、ムラセ先生は怒鳴り声をあげるのでもなく、力づくで威嚇するのでもなく、言葉をつづけた。(おそらくここが2年1組がまた学級崩壊を起こすかどうかのターニングポイントだったと思う。)
 「ひ、ひきょうだな。忘れるなんて、ひきょうだな。先生はどもります。あんまり上手にしゃべれません。でも本気でしゃべります。だからみんなも本気で聞いてください。本気の言葉を本気で聞くのは当たり前のことです。みんなはそれができなかったから、先生はここに来ました。」
 「本気でしゃべり、本気で聞く」、これが教師と子どもとの人間関係の原点であり、子ども同士の、あるいは親と子どもの、子どもと大人の人間関係の原点なのだと思い知らされる。つまり教育の、授業の原点である。

 2012年1月2日(月)

“詩の朗読会”本番に向けて

 Yさん、11月25日の「詩の発表会」に呼んでもらってありがとうございました。子どもたちうまくなっていましたね。特にA君、B君、Cさん、Dさん、E君は表現読みができていました。何よりも「こんなに気持ちを込めて読んだ朗読」が、笑われたり、恥ずかしがられたり、敬遠されたりせずに、みんなから大きな拍手をもらい、評価されて、自分もあんなに読めたらいいなと、ちょっとしたあこがれを持たせたことが一番良かったことだと思います。
 つまり表現読みが恥ずかしいことではなくて、目標になったからです。
 さあ次は「ろう読会」をやりましょう。「ろう読会」の最大の留意事項は、「子どもたち一人一人をビンビンに緊張させる」ことです。そのために舞台づくり、小道具などを工夫しましょう。
 例えばこんなのはいかが?
1.黒板に横断幕を張る。 「3年2組 第1回 詩のろう読会」
2.必ず一人一人が前に立って朗読しますが、その前にマイクスタンドを立てて、マイクを置く。
3.全員の朗読を録音して、お家にも回して聞いてもらうことを伝える。
4.朗読する姿を写真で撮影する。
5.2〜3日前に朗読の順番を抽選で決めて、黒板に書いておく(張っておく)
6.「ろう読会」の日を伝えておく。学級通信でも知らせ、家でも話題に上らせて、余計に緊張をあおる。

 みんなうまくなっていましたが、これであなたが満足してはダメ。さらに次を目指して、1週間後の本番に向けて、学級でも家でも練習させる。50回以上はできるはず。「大きな声」「気持ちを込める」「ゆっくりと」がめあてになるのではないでしょうか。
 
 「ろう読会」が終わった後が、さらに肝心!
1.録音したMDやCDを家庭に回覧する。学級通信で知らせて希望を募る。2本くらい用意がいるかな。できるだけ全家庭に回覧したい。
2.学級通信(「第1回ろう読会」の報告号でもよいし、2学期終業式に配る号でもよい)に、一人一人の「ろう読会で一生懸命朗読する写真」」を張って手渡してあげよう。
 こういうところで家庭、保護者のハートと信頼をわしづかみにしてしまうのです。

 2011年12月5日(月)
詩の朗読会を計画してみようか

 新任教員のYさんが、校内研で授業公開した後、立ち話でこんなことを言った。「子どもたちの声が小さくて、もっと大きな声で発言できるようにしたいんです。」そして、ちょっと言葉を探しながら「なんか自分が変わってきたような気がしているんです。いつも怖い顔ばっかり見せてしまって。授業中でももっと子どもたちが元気な方がいいと思うんですが、でもそれを言ってしまうと収拾がつかなくなってしまいそうで・・・」と。
 「ひとつ“詩の朗読会”を計画してみようか」と持ちかけてみた。翌日こんな手紙を置いた。
1.詩を決める。(今回は先生がこれをやってみたいと思うものを選ぶ。)
2.詩を配る。
この最初に詩と出会う時を何よりも大切にする。
@先生が「こんな読み方をしてほしい」と思っている最高の朗読をしてみせる。教師の最高のパフォーマンスを。
A子どもに朗読させる。たとえば、「先生みたいにウンと気持ちを込めて読んでくれる人いないかな!」
ここで「大げさに読む」ことが恥ずかしくないんだということを感じてほしい。大事な場面です、大切にしてほしい。
3.詩に読み方の記号を付ける。
@黒板に詩を力強く書いて、(全部でなくてもよい)記号を付ける
・直線(強く読む) ・二重線(もっと強く) ・波線(やさしく) ・二重波線(もっとやさしく)
・螺旋(ゆっくり) ・・・など。
A記号に合わせて読んでみる。
一人で、みんなで、
記号を変えて読んでみる。その楽しさを子ども達と共有したい。子どもからいろいろな記号が生まれてくるのではないか(つまり、こんなことを注意したい、こんな読み方をしたいとの意思表示でもある)。
B表紙を配ってていねいに貼る。
4.これから毎日「朗読」の宿題

※「詩の朗読会」のやり方は次に。


 2011年11月6日(日)
 
「張り紙」で指示を出す教師の発想

 何の前触れもなくある日突如として、職員室の前後のドアに子どもに向けた「張り紙」が張られていた。ノックをすることから、入室の言葉、退室時の言葉、態度などを書き並べてある。私も何度となく出入りするドアだから、見ないわけにゆかないし、見れば心が騒いでしまう。落ち着かぬ日々を過ごしていたら、今度は廊下に「電気のスイッチのつけ方」を記した「入り紙」が、何か所かに張られていた。もう黙って見過ごすわけには行かなくなってしまった。
「職員会議への手紙」
 先日の職員朝礼で私が発言した「張り紙」の問題を今日の職員会議で話し合うことになっていましたが、どうしても抜けるわけにいかない都合があり、本日の職員会議に出られませんので私の考えを手紙に書いて参加したいと思います。それほど重要な教育問題がこの課題にはあると認識しています。以下の理由で(大きくいえば二つの理由)、私は職員室のドアの張り紙と電気スイッチの張り紙をはずしていただきたいと思っています。

1.セイビ小学校の子どもたちをどのように育てていくのかという、大事な教育論の問題として

「子どもは電気をつけません」との張り紙

なぜ、子どもは電気をつけてはいけないのでしょうか。子どもが暗いと思ったら廊下や教室で電気をつける、もったいないと思ったら消す、それでよいのだと思います。「点ける・消す」ことまで教師の指示に従わなければならない理由は何もない。「点けっぱなしになっている」との話があったが、はたして子どもがつけっぱななしにしているのでしょうか、むしろ大人の側が私も含めて、つけたままにして、忙しさにかまけて節電を考えずにいることのほうが多いのではないかと思います。

職員室ドアの張り紙

 まずセイビ小の子どもたちの職員室での態度は決して悪くない、と私の経験上では思っています。これ以上、「(言い方・ノックの仕方など)こうしなければならない入り方の決まり」を子ども達に押し付ける必要はありません。職員が休憩したり、仕事したりする迷惑にならないルール・エチケットを守れるようにして、子どもたちそれぞれの職員室への「入り方・出方」があっていいのだと思います。

 職員室は、子どもが友達のいるところでは言えないことを、職員室にやってきて先生に相談できるような場所であってほしいと思っています。実際に私もその人にとって人生に大きな影響を及ぼしかねない相談を受けたことも何度かありました。

 成美小でも、職員室で気持ちを落ち着かせたり、話すことで自分を整理するためにやってくる人たちもけっこうあります。最もその多くの人たちは、張り紙には目もくれずに入って来ていますが。言い換えれば、「教師が押し付けようとする指示」を無視する、あるいは撥ね付ける強さを発揮しているといってもよいのかもしれません。

 しかし中には、先生に相談したい、悩みを打ち明けたいと思っていながら、その問題を抱えることだけでも心がいっぱいになって重いのに、さらに職員室に入るルールを強制されてしまっては敷居が高くなって、入り口をくぐるだけでも大きなハードルになってしまうことも考えられます。

職員室は、もっともっと気楽に入れるところであってよいのです。あたりまえのことですが、先生たちは子どもよりえらい存在ではないのです、先生のいる部屋は一段高い、権威のある空間ではないのですから。

何が問題なのか

 ルールや指示を一方的に張り紙で知らせたら子どもは従う(従わなければその子どもが悪い)などと考えるのは、教師の幻想であり、そう考える裏には教師の権威主義や傲慢がある。頭ごなしでも、大声で怒鳴りつける方がまだましで、江戸時代の殿様が庶民の気持ちを思い量ったり寄り添ったりすることなく、いきなりお札・高札を立てて決まりを知らし召すのと変わらない。そこには上下関係と、守らなければ罰則を与える権力を背景にした脅しの構図が存在している。

 決して大げさではなく、これと同じ構図が張り紙にはこもってしまうのです。

一番問題なこと

 張り紙をする考え方や行為には、「子どもとの関わりや関係性」が全くないのです。いやむしろ、教師の方から「関係」を切っているのです。こうしたことが常態化していくと、たちどころに教師の教育力はなくなってしまいます。子どもも育ちません。

ではどうすればいいのか

 注意すればいいのです。子どもの態度や姿が気になれば、言葉をかけて注意するのです。時には激しく怒ることもあります、ゆっくりと話を聞きながら説明することもあります。言った尻から約束を破られることもあるでしょうし、何度言っても変わらないこともあります。ほとんどがそうだと言えるかもしれません。それでも、話し続ける、怒り続けることが大事なのではないでしょうか。そこに子どもと先生・職員との関係が生まれてくるのだと思います。

 子どもにとっての教師の権威は初めからあるのではありません。教師の授業や普段の言動、立ち居振る舞いを見て、子ども自身が感じ取るものだと思います。決して教師が「与えて」「知らしめさせる」ものではないと思います。

2.来校者にはどう映るのか

 セイビ小学校にはたくさんの来校者があります。保護者、地域の方、教育関係者、教育委員会・・・などら。様々な目で参観していただいたり、見守っていただくことは大切なことだし、同時にセイビ小から取り組みを発信していくことも必要だと思っています。また、それが求められている時代でもあります。

 そのときに、「張り紙」はどう映るのでしょうか。「セイビ小学校の子どもたちは、こんな張り紙をしなければ職員室でのマナーも分からないのか」「廊下で暴れまわっていて電気スイッチの管理を職員がしなければならないのか」・・・などと思われたら、私はとても悔しく思います。

 経験で言えば、「シンドイ学校」ほど教師の張り紙が多いものです。そしてほとんど子どもたちにはその意味が届かず、約束が守られません。そもそも約束が成立しないのだと思います。教師が一方的に約束したと思っているだけで、双方の心が通じた納得にはなっていないのですから。子どもたちが育っている学校ほど、教師の張り紙は少ないものです。

 私だったら、こんな張り紙があるだけで、「この学校は子どもを大切にしていない」と思ってしまいます。

 一見些細なことに見えるかもしれませんが、教育の大きな課題があると思います。子どもを育てる機会は、私たちの身の回りいたるところにあります、しかし同時に子どもをつぶす機会も身の回りのいたるところにあるのだと思っています。


2010年1月3日(日)

強さ、それともやさしさ?

 職員室に立ち寄られた保護者のNさんと立ち話をした。中学生のお姉ちゃんの様子を尋ねた私に、毎日クラブでがんばっていることを伝えながら、「でもね、4年生の一番下の弟が弱虫でね。やさしい子なんだけどね、もっと強くなってほしんですけど、無理みたいでね・・・。」と、ちょっぴり思いつめたような表情を浮かべてそう言われた。Nさんの子ども達3きょうだいの、いずれ劣らぬやわらかい笑みを湛えた表情が目の前に浮かんだ。
 「お母さんは、強いことと優しいこと、どちらがいいですか?」と私は聞いた。「・・・」唐突な質問に戸惑われたのかもしれない。「僕だったら、断然優しさを選びますね。強さというのは、なんだかがんばっていてもどこかでポキッと渇いた音を立てて折れてしまうような、もろさを感じてしまうんですね。」と私は答えた。Nさんは子ども達に負けないくらいのやわらかな笑顔を見せて職員室を出て行かれた。


2010年1月3日(日)

 まちがってはいけない、子どもたちを静かにさせることが大事なのではない、学習を生み出すことが大切なのだ。
(新年度を迎えて、特に新任教師や転勤者にとっては、最初の子ども達との出会いの場は緊張する。教師だけではない、子どもにとっても同様だ。どんな格好や表情をしていても、子どもも教師の言葉を待っている。その出会いの場で何を伝えるのかを、大切にしたい。)

2010年1月3日(日)

授業は何のために


 「子どもが育つ仕組み。育てる仕掛け」、その最も基盤にあるのが、毎日取り組んでいる授業である。さて、いったい授業は何のためにするのだろうか。
 授業とは、教えるためにするのではなく、子どもを育てるために取り組む営みである。教えることは、育てるための一つではあっても決してすべてではない。










 育てる授業だからこそ、学習の世界は広く、深く、豊かなものになる。教材研究がおもしろくなり、様々な授業方法が生まれてくる。
 なんだか次第に、育てることがないがしろにされ、教えることばかりに目が奪われるようになってはいないだろうか。勢い効率よく教えることに授業の意味が特化されてきたように思われてならない。

2010年1月3日(日)

 ほんとうは、友だちがきらいな人は誰もいない、
       ほんとうは、学習がきらいな人は誰もいない。


2010年1月3日(日)

授業者への手紙
「まとめ」をしない辛抱と努力、そして勇気を


 テーマを一つに絞って書きます。「問題(ふしぎ)を見つけ、試行錯誤しながら追求し、解決していく力」を子ども達に育てるにはどうすればいいのか、ということです。直接それを課題にすることが出来る授業を提案してくれました。
1.長い目で見ましょう。
 1年かけて、全ての教科を通して、授業時間だけではなく学校での暮らしを通して育てるという見通しを持つ。
2.Kさんの発言
 授業の場では、誰がどんな発言をするのかはわかりません。予定したとおりの発言が出て、予定したとおりに授業が進んだのでは学習は生まれません。
 今日は先生が「色々な面積の求め方を見つけてほしい」とテーマを出したのですから、Kさんは決して間違っていない、他の人が考えないことを探そうと意欲的に考え、五角形を切り刻んで三角形と長方形に分け、1辺1センチのマス目よりも長さを計って計算したのです。そして詳しく自分の方法を発表してくれました。
 むしろこの発言を通して、みんなで考え合う場を作れたのではないでしょうか。周りから質問や反対・賛成の意見が出て、「算数の世界、算数の仕組み」から考えれば、Kさんの考え方は不合理であることも交流できたのではなかったかと思います。
 ではなぜそうならなかったのか?
▼Kさんが説明を終えた後、「質問はありませんか」と一言聞けばにぎやかに手が挙がったかもしれません。
▼「先生もどう切ったのかよくわからないので、線を引いてもらえないかな」と頼んだのはよかったのですが、やはり子ども達からその質問が出てほしいですね。
3.教師がまとめてはいけない
 予想されるパターンの「掲示用の図」を準備していたようですが、よくそれを出さないで我慢できたと思います。教師はまとめをしたくてたまらなくなるのですね。喋りたくてたまらないのです。もうこれは職業病です。
 例えば最初の発言者のN君から、発表の後にあの図を出して黒板に張り、「N君が言いたかったのは、こういうことですね。」と先生がやると、N君の発表、表現を全て潰してしまいます。子ども達はせっかく聞いたN君の意見をあっという間に捨ててしまって、先生の、実は「うすっぺらなまとめ」だけを鵜呑みにしてしまいます。これでは子どもは育たない。
 今日の7人の子ども達の発表に対して、先生の「まとめ」が一つもなかったのが一番すばらしいことだったと思います。子どもたちが先生の言葉に頼るのではなく、友だちの言葉、友だち同士で交わす言葉や、何とかわかりやすくしようと工夫した図や、黒板に書く文字、記号をしっかり見て、聞いて、それを頼りにしながら考える状況や場を作らなくては、聞き合う、学び合うことは生まれないのではないでしょうか。いつも先生がまとめてくれると思えば、子どもは友だちの一言一言に緊張したり、聞き入ったりするはずがありません。
 子ども達が試行錯誤しながら一生懸命に言葉を捜して発言し、中には勇気を奮い起こして震える声でポツリポツリと言葉をつなぐ人もあるでしょう、そうした子ども達の交流の後で、先生が見事に黒板に要点をまとめ「さあ、これをノートに写しなさい」と言い放ってしまうようではいけないということです。
 うまく行かなくても、我慢しながらでも、子どもたちに任せる辛抱と努力と、そして勇気が必要なのだと思います。
 最後に「今日の授業の振り返り」を書かせたときに、なんとMさんは「この方法を使えば、どんな多角形でも面積を求めることができるということがわかりました」と書き、手をあげて発言してくれ、参観していた教師達の感心した笑顔を引き出してくれるのです。たいしたものですよ、子どもというのは。
4.「書く」と言うことをもっと追求しましょう。
 私は「算数のつづり方」と呼んでいます。算数に限らず、書くということは、自分を表現する、相手に伝える手段であり、自分の考えを耕す手段でもあります。つづり方として、ノートとして、どんな使い方があるのか、さらにどんな可能性があるのか研究する値打ちがあると思います。
 ご苦労様でした。いい授業でした。これからも学習の世界を、楽しみながら追求していきましょう。

2010年1月3日(日)

「算数の世界のことば」と「生活の世界のことば」

 1年生の研究授業があった。「水のかさの比べ方」の単元で、形と大きさの違う容器に入った赤色と黄色の水のどちらが多いかを比べる授業であった。同じ形と大きさのコップで何杯分かを調べてみることになった。
 子ども達は、色水の入った二つの容器とコップが置かれた給食用のお盆を受け取り、落とさぬようにそーと机に運び、さっそく班毎に実験が始まった。
 二人で大きな容器を持ち上げたり、容器を持つ人とコップの人を分けたりしながら、注意深く注いでいく。一杯汲んで机上に並べてはため息を洩らす人もある。
 と、目の前の班が少し水をこぼしてしまった。とっさにそばにいた参観していた教師がティッシュを出してふき取ってしまった。そして、こぼすことを気にかけたのか、担任が各班に雑巾を配って回った。
 私は一つの班に近寄って、お盆の中に落ちている少し大きめの水の粒を指差して、「これはなにかな?」とたずねてみた。目を近づけながら子ども達はポケットに手を入れてハンカチやティッシュを取り出し始めた。慌てて私はボールペンの先で「水の粒」を示して「これ」と言いなおしたのだが、「こんなちょとはかめへんねん」と言うが早いか、さっとふき取られてしまった。
 私は「比べるかさの一部であるこぼれた水」にこだわりたいと思う。算数の授業は、「算数の世界のことば」や「算数の世界の仕組み」を学ぶことだと考えている。「こんなちょっとはかめへんねん」というのは「生活の世界のことば」である。
 他にも、担任が小さなコップを見せたとき、「うわーちっちゃ」と驚きながら、「ちっちゃい方にすると、どっちもちっちゃくなる」「ちっちゃい方が多くなる」「こぼれやすい」ということばが飛んだ。これも「生活の世界のことば」。このとき子ども達は「生活の世界のことば」で考えている。
 算数の授業の場面では、生活の世界と算数の世界のことばが混在しながら進んでいるのだが、「生活の世界のことば」で考える子ども達に、「算数の世界のことば」を使って、「算数の世界の仕組み」を考える経験をしてほしいと思う。
 「ああではないか・こうではないか」と考えあぐね、「こうしてみたらどうだろう」と、「あの手・この手」を使って試してみる、試行錯誤の末にパカッと音がするように「ふしぎの殻」が割れて、真理が顔を出す。私は算数の学習の魅力はそんなところにあると考えている。

2010年1月3日(日)

名人芸?それとも教育?

 3月に引き続き、大学の研究者で、著名で超多忙な(ということであるらしい)Nさんを、特別支援教育の校内研修の講師として再び招くことになった(3月の研修については、小欄3月22日付参照願いたい)。この日も開始ぎりぎりに到着し、5時には次の予定ですぐに飛び出さねばならないとの前置きがある程の忙しさだ。
 研修会の冒頭、「子どもが表面に現す言動に、LD、ADHD、アスペルガー、発達障害などの看板やレッテルをつけて理解したつもりになってはいけない。言動の背景、奥にあるものを見つけなければならない。」と言われたことには大賛成であった。
 その後1時間半に渡って「背景、奥にあるもの」の分析が続くのだが、いやはや私には驚きの連続であった。5時限目の45分間に5クラスを参観されたのであるが、その間に一人ひとりの子どもの特性と、家庭環境、母子・父子関係、身体的特徴・習慣・・・を見抜き、一人ひとりの課題と指導方針を具体的に解説するのである。その数は30人をくだらない。時間があれば全ての子どもについて語れるといった風である。しかも、「ではないか」「だとおもう」ではなく、「こうなっている」「だからこうすればいい、しなければならない」と断定調の言葉遣いで話す。
 母親の性格、虐待の可能性、現在の家庭事情までが語られるので、職員は子どもの顔を浮かべながら、あまりに的中するかのようなその話に目を白黒とさせてしまう。途中で「前もって何もお話してないんですよ」と校長の言葉が入ると、尚のこと嘆声が漏れる。私は、何でも見通してしまうマジックの「千里眼」を見るようで、これはすごいと思わずうなってしまった。
 しかしこれは教育なのだろうか。あまりの見事さに、私の頭にはNさんの「名人芸」という言葉が浮かんでしまった。まちがいなく聞く者・聴衆を惹き付け、拍手喝采を浴びるにちがいない。「これまで3万人の子どもを分析した、著名で超多忙」というのもうなずける(私は寡聞にして存じ上げなかったのだけれど)。
 Nさんは授業、教育実践をしているわけではない。私たちは日々の実践をしながら、子ども達と向き合い、見つめ、今表れている行動や言葉の意味を考え、そのためにその背景や奥にある生活やからだ、家庭環境などにも思いを馳せ、実際に子どもと話したり家庭訪問したり、様々な機会と方法を使って「知る」ことに努めている。決して分析することを目的にしているのではない。
 教師達がNさんの真似をやりだすといったいどうなるのだろうか。片手にNさん作成のチェックリストを持ちながら、子どもの言葉や行動、からだの動かし方を観察し、分析して、学年集団や職員で子どもを判断するような「教育活動」が進行していくことになったら。
 「名人芸」とは、誰にでもは出来ないからそう言うのであって、誰も彼もがまねてやりだせば「ものまね芸」になってしまう。「ものまね芸」で分析した子どものレッテルを作り、それを披露しあうような職員室の雰囲気が生まれればいかにも恐ろしい。さらにその分析に基づいて、疑うこともなくまっすぐに子どもに向って行動を起こすようなことがあれば、子どもの「いのち」を脅かすことにもなりかねない。
 今ひとつ痛感すること、教師はかくも批判精神を喪ってしまったのだろうか。いや奪われてしまったのだろうか。

 

2010年1月3日(日)

変わらぬ風景

 9月の3週間〜4週間、運動場や体育館、教室でも校内のいたるところから音楽が鳴り響き、子ども達の掛け声が反響し合う。そして教師の舌鋒鋭い怒鳴り声もあちらこちらから聞こえてくる。30年変わらぬ運動会に向けた学校の日常風景である。
 2週間を過ぎ、最後の1週間を残す頃になると、特に団体演技の練習では、なおさら教師の声は鋭さを増し、子ども達の表情も変わってくる。教師が演技の中身を作り指導する場合もあるし、子ども達の創作を交えるときもある。
 子どもと教師、双方が次第に熱を帯び、ときに火花を上げ(教師も、子どもも)、めらめらと燃え上がるように視線を交え、ガップリ組み合った練習となるときもある。教師と子どもの関係がフッと変化する瞬間でもある。
 そして運動会、演技を終えた子ども達が「どうや?」と、胸を張って教師を見つめる、「うん」と無言で子ども達を見つめ返す。瞬時に交わす無言の会話がお互いを駆け巡る。こんな経験を通して子ども達は育っていくのだと毎年心を揺さぶられながら感じている。
 今年も教師と子どもとの無言の会話がいくつも校内を駆け巡っていた。

2010年1月3日(日)
 
 最近、戦争のことを勉強すると、「夜怖くなって眠ることができない」と家庭で洩らす子どもがあるそうだ。原爆の被害者のことを考えると、あまりの悲惨さに、平和公園や資料館を見ることができない、だから修学旅行には行きたくないと、親に訴える子どもがあるという。そんな「子どもの実態」を配慮して、「平和学習はしなければならない大切な課題だし、きちんと学習する」ことを前提にと強調しながら、広島修学旅行の変更を提案する教師があるそうだ。

2010年1月3日(日)

授業の感想 手紙3
(4年生 算数科「平行四辺形の特徴」)
4年生さま
 授業研の取り組みご苦労様です。今日の授業よかったです。一言で言えば、こういう授業の中で子ども達は学習する力を身につけていくのだと思いました。
1.研修テーマ「ききあい、学び合う子どもを育てる」に沿ってみると―
 先生と子どものキャッチボール(これもいいものです、大切ですし)→から→子ども同士がキャッチボールする場・交流する場
へと、広げていくことが必要なのではないかと思います。
 先生の役目は、交通整理と、子どもと子どもをつなぐことです。
2.今日の授業は、その「交流」がとてもよくできていました。しかも1時間の中で、「交流の仕方」が子ども達によって変えられていきました。言い換えれば深められていきました。
例えば、発見した「ひみつ」を発表するときに、▼「向かい合う角度がいっしょ」と立って発言→先生が受けて、前の平行四辺形の紙に書き入れる→何人かそんなやりとり→▼Aさんが「説明しにくいから、前に出てもいいですか?」と聞いて、前に出て説明する。→次々に前に出て説明する人が出てきた。説明する言葉も少しずつ詳しくなってきました。
3.課題として
 今日の授業でいいのだと思います。こういう交流する取り組みの中で、子ども達は学習する力をつけて育っていくのだと思います。あえて課題をつくるならば、
【教師の交通整理の仕方・子ども同士をつなぐやり方】になるのではないでしょうか。
@もっと(もう一息、一呼吸)待ってもいい。
 子どもは発言しながら(発言中でも、きっと試行錯誤しています)次の言葉を捜しています。その言葉をしどろもどろでも、発言してほしいし、こちらは聞きたい。今日は先生が、前の紙に線や角度を書いて整理してくれたが。
A色々な説明のしかた(道具を使ったり、黒板に書いたり、友だちを呼んで持ってもらったり、手伝ってもらって発表したり・・・)を工夫し、挑戦しようとすればいいですね。
Bグループ学習(4人の班学習)の仕方。慣れてもいないのでしょう。全体の交流の方がずっとおもしろかった。
C @Aを大事にしていけば、当然時間は長くなります。でもそこが大事なのでは、そこに学習が生まれているのでは、と私は思っています。1時間の授業の中で、例えば今日の「まとめ」はなくてもいいのではないでしょうか。あの「残りの時間」でまとめてしまってはもったいない。「まとめ」の部分だけでも学習が作れます、交流の場も作れます。
 つまり、あんまり「授業の形」にこだわらないで、子ども達に乗っかることが大切なのではないかと思います。教師の都合よりも、子ども達の都合を大事にできるかということでもあります。けっこう難しいことなんですが。
DB君のような、算数的でない思考の仕方をする人に、どう対応するか。「算数の世界の言葉」とそうでない言葉ってありますよね。そのちがいをはっきりと使い分けて、示す教師の姿勢が必要なのだと思います。
 1時間の授業だけではなくて、算数の学習の中に、「言葉で表現する」取り組みを入れるということも必要だと考えています。私はそれを「算数の綴り方」と呼んでいます。別の機会に触れたいと思います。
 「きき合い、学び合う力」をつけるためには、何よりも先生が率先して、「きき合い、学び合う」姿を見せることから始まるのではないでしょうか。


2010年1月3日(日)

授業の感想 手紙2
(1年生 国語科)
Uさんへ
 Uさんの姿がとてもよかったです。子ども達がその姿にいっしょうけんめい応えようとしていて、「教師と子ども達の関係」がつくられようとしている、その現場を見せていただいた充実感がありました。
 Uさんが大きく、豊かになっていました。だから子ども達の発言を受け入れられる、待てる、聞けるのだと思います。たぶん発言だけではなく、子ども達を受け入れられるようになったのではないでしょうか。
 では、これからの課題は何かと言えば?
さらに聞けるように、さらに待てるように、さらに受け入れられるように、つまりこれまで悩んだり、試行錯誤したり、何度も授業研に挑戦したりして、自分を培ってきた今の豊かさを、さらに豊かに、していくことだと思います。
@もっと一人の子どもを見つめる。目を離さないくらいに。
Aもっと深くまで語りかける。心のそこまで届けと。
Bもっと子どもの言葉を聞く。「言おうとしている(言葉に表れていないことば)」も聞くつもりで。
Cもっと子どもの視線を自分に集める、集中させる。
例えば視写の場面がありましたが、先生の書く字が早すぎる。早すぎるから、子ども達は先生のペン先を見ないで、頭の中の言葉を思い出して、自分で書いている。先生のペン先に全員の目を集める。ペンがゆっくり動くときに、全員の目がつながっている重さや、緊張感をひしひしと実感できるくらいになればいいですね。
D☆これはできていなかったのですが、「子どもと子どもをつなぐ」
 先生と子どもの1対1のキャッチボールは気持ちよく交わされていたのですが、子ども同士がキャッチボールをするように、子どもと子ども、子ども達をつないでほしいと思いました。
 発言者が固定していました。手を上げている人を当てて、上げていない人には無理を強いないのもわかりますが、「せんせいはあなたのお話を聞きたいな」「友だちも聞きたいと思うよ」と求めることも必要だと思います。そのためにも、先生と子どもの人間関係を、様々な場面でつくっておくことが大切なのでしょう。また、授業の中で、子ども同士のつながり、子どもと先生との関係がつくられていくこともあるのです。
 子ども同士のつながりあいの中で「学び」が生まれ、「学び」の中でつながりあいが生まれてくるのだと思います。

2010年1月3日(日)

授業研究会

 私の在職するセイビ小学校では、研修テーマが「聞ける子ども」(3年間)、「聞き合う力を育てる」(2年間)を経て、今年度は「聞き合い、学び合う子どもを育てる」と変わってきた。このテーマの推移を私は歓迎している。「聞く」という、人と人の互いの関わり方の基本から始まって、さらに子ども達のつながり合い、関わり合いへと広がり、その関わり合いの中で学習が生まれるのではないかという課題を教職員の中で共有できるようになってきたからである。
 1学期も終盤を迎え、校内や地域での公開授業がもたれる時期になってきた。私は授業後の討議会ではできるだけ発言するようにしている。言い足りなかったことを授業者に手紙で伝えることもある。特に若い人たちにとっては、なんともしつこいおじさんと思われているにちがいないのだけれど。

〈授業の感想 手紙1
Tさん、5年生の皆さん
(1)目標である「学び合う、聞き合う」の、私のイメージはこんなものです。
▼教師と子どもの1対1のキャッチボールではなく、子ども達同士のキャッチボールに広げる。
▼教師の役割は、子どもをつなげていくこと。
(2)本時の中で、
「一郎さんの気持ちを考える」の課題では、子どもが書いた文を先生に話すだけ。先生は聞いているが、他の子ども達は聞いていない。
            なぜそうなるのか、
@先生と子どものキャッチボール
A課題が、「答え」を求めていて、「考え」を求めていない。だから子どもたちは、「答え」を先生に言おうとしている(いっしょうけんめいに)。
(3)展望
 今日の最後のノートがどうなるか楽しみです。
「どうして一郎さんは、トランクを売らなかったのだろう」
この場面には、物語のテーマが集約しているように思います。友だち、一人ぼっち、初めてつながりあった仲間、さびしがりやどうし・・・。
 このノートを持って交流する子ども達の話、言葉から課題を見つけられないか。
例えば、
【一郎さんは、さびしかったから、友だちがほしかったから、カバンをしゃべらせた(発言者の名前)】
 子どもの言葉、意見、考えを課題にして、ノートを書くと、子ども達は自分の「考え」を書くようになります。それを出し合うと、自然に「話し合い」が生まれてきます。それが「討論」になることもあります。
 授業を見せていただき、今年度のテーマと大きく関わることだと思い、メモを置かせていただきました。いっしょに考え合ってみませんか。

2010年1月3日(日)

〈教材〉とは、材料のこと

 今年度も4年生の子ども達が「古川の学習、コイを育てる」に取り組む。ぜひ、古川でコイのタマゴを採集する場面から子ども達に出会ってもらおうと考えているのだけれど、今年は気温が低くて、水草の成長が遅くなり、5月末の今に至っても採集できないでいる。学年の先生達と「教材」について話し合ってみた。
 教材とは、子ども達と学習に取り組むための材料のことなんだと、いまさらながらのことを確かめ合った。
さしずめこの学習で言えば、
▼校区を流れる古川
▼そこに生息するコイと、そのタマゴ
▼子ども達の取り組みをいっしょうけんめいサポートしてくれる水辺クラブの大人たち、寝屋川市下水道課の人たち
と言うことになる。
 さてその材料を使ってどんな授業を作るのか、子ども一人ひとりの個性や、学年の集団としての課題、教師のものの見方・考え方などらが、絡み絡んで具体的なひとつひとつの授業、学習の取り組みとなってあらわれてくる。うまいことを言う人があった、「古川が校区に流れる学校は他にもあるのに、学習の『が』の字も思いついていない」と。まさに、材料はあるのだが、〈教材〉にはなっていないということである。言い換えれば、私たちの身の回りには、否子ども達の身の回りには、無数の材料が取り巻いている。教材にするかどうかは、教師や親や、子ども達の目や耳や、感性や、経験、・・・・、いったい何にかかっているというべきだろうか。

2010年1月3日(日)

「こんなことがあったよ」というお話を書く

 始業式や終業式で、児童会から代表委員の人が挨拶をすることになっている。児童会担当をしている僕は、代表委員の人が前に立って話す場面を大切にいたいと考えている。
 なんといっても、教師がマイクを握って話している時にはこそこそ周りとおしゃべりしたり、手持ち無沙汰に身体を動かしている人たちが、児童会が話し出すと、不思議なくらいに前を見つめ、話し声がなくなり、体育館が静まり返るような集中が生まれるようになる。ぼくの友だちの○○さんが話している、私の友だちのお兄ちゃんが話している、登校班の班長さんが話している・・・などといった具合に、自分の知っている○○さんの話を聞きたいと思うのかもしれない。
 また、代表委員の話し方を見聞きして、「ああそうか、話すというのはああいう具合にすることなのか」と、他の人たちが体験して、学んでくれる貴重な学習の場だと思うからだ。
 だから挨拶の原稿作りと練習には時間をかけるようにしている。僕が口癖のように子ども達に言うのは、「詳しく書いてください」と、「こんなことがあったよというお話を書いてください」ということだ。例えば、「冬休みに田舎に行きました」と書いていたら、「田舎に言った人はきっとたくさんいると思うよ。そうではなくて、『田舎でこんなことがあったよ』という、あなたにしかなかった田舎の暮らしを書いてください。みんなもきっとそれを聞きたいんだと思います。」と、言葉を掛ける。
 もちろん「間違わずに言えたかどうかはどうでもいいから、みんなに伝えようとする話し方をしよう」と、リハーサルを繰り返すことになる。
 こんな挨拶をした人があった、「ぼくは毎年冬休みは福井県の敦賀市にある田舎に行きます。しかし、田舎は山のほうなので、雪がけっこう積もってるわ、寒いわで、行くのに苦労しました。着いたらいとことゲームしたり、大人と麻雀をしたりしていました。正月になってたたき起こされて訳もわからぬまに、お金を渡されました。後でお年玉って気がつきました。ばあちゃんや、いとこの親や、おとんからももらいました。宿題は冬休み1日目でほぼ終わらせたので、楽に宿題の残りをやって、遊びました。3学期は、今までの勉強のまとめばかりだと思うので、中学へ行くための最後の勉強と思ってがんばります。あと、『性格を直さないと』と思っています。小学校ではまだいいかもしれませんが、中学ではヤバそうだからです。」

 


2010年1月3日(日)

「特別ではない支援教育を」

 支援教育についての校内研修があった。人気があって各地で引っ張りだこの超多忙な講師(らしいので)なので、4月から依頼して漸く3学期の末に開催できたという事情もあり、近隣の3校の職員も同席して共催の研修会となった。当日の朝アメリカの研究会から帰国して、その足で寝屋川に来たというくらいだから、その多忙ぶりと人気度が伺えるというものだ。
 3つのことを柱に講演された。
@1対1対応は最終段階だと考えてほしい。集団の中で、子ども達同士の関わりや学び合いを大事にしてほしい。
ALD、ADHD、アスペルガー等の言葉は忘れましょう。子ども達を一人ひとり裸のままで見てほしい。
Bだから、普段の授業を大切にしてほしい。「特別」支援教育ではなく、「特別ではない」支援教育をつくってほしい。

 正にその通りだと思う。しかし、例えば大阪においても、実際の支援教育は子どもをクラスから取り出しての1対1対応と、専門性への依存が進行する「特別」化へとますます向っている。

2010年1月3日(日)
 
多忙化スパイラル
 
 年度末を迎え各学校では総括の会議が開かれている。次年度に向けた課題として必ず出てくるのが、多忙化の問題。そのために「人」を増やしてほしいという要望である。学校現場からも、教職員組合からも要望を上げながら、わずかずつではあるが、学級数以外の「加配」教員や嘱託の教員が配置されてきた。10年前と較べても教職員の数は増えているのに、一向に忙しさは解消されない。むしろ多忙はさらに進んでいると言っても過言ではない。デフレ・スパイラルならぬ「多忙化スパイラル」に、学校現場は陥っているといった実感がある。
 ふと1月の湯浅誠さんの講演会を思い出した。最後のフロアからの「現状の教育を変えるためには」との質問に、「自分は教育のことがわかっていないが」と前置きした上で、「人数を増やすよりは、一人ひとりの担任のゆとりを作る必要がある。一人ひとりの教師に、もっと『ため』ができるようにしなければならない」と答えられた。
 私達が忘れかけていたあたりまえの要求である。正に反貧困の視点から見えてくる教育問題である。

 

2010年1月3日(日)

8歳の心が真剣に葛藤する
 
 2年生のN君は教師や友達を口汚くののしり、暴力的に物を振り回したり、教室を飛び出したり、授業の間うるさく喋り続けたりすることがある。
 パソコンの授業は楽しみにしてくれていて、先日も「お絵かき」を率先して仕上げて作品を持ち帰っていた。
 次の「カレンダー作り」のとき、思うように操作できない苛立ちからか、「おい、マツモックリ」「もうヤメタ」と声を荒げたり、実際に教室を出て行く。しかしすぐにきびすを返し、座りなおして「まつもりせんせい、おしえて」とやさしく声をかけてたずねてくる。何度かその繰り返し、彼のそばで一緒にパソコンを操作しながら、心の中で揺れ続ける変化が感じられるようになる。
 「ああ、またいってしまった」「だいすきな(担任の)先生と約束してるのに、また破ってしまった」〈もういやや、わかれへん〉〈クソッ〉「またやった、謝らなくては」「おちつかなくては」〈もうイライラするな〉・・・、まるで心の中で一人で二つの心をせめぎあっているような痛ましいまでの葛藤が伝わってくる。
 2年生、8才にしてこの葛藤を抱え続ける少年がいる。

2010年1月3日(日)

K君の論理がある

 パソコンの授業が始まってしばらくしてからK君は担任と一緒に現れた。子どもたちはパソコンの授業を楽しみにしてくれている。K君もその一人だ。そのK君が遅れてきたのだから、また「いつものように」教室で何やら問題が起きていたのだろう。
 ところがパソコンに向かうやあっという間に集中し、マウスを操りながら「おえかき」にのめりこんでいった。
 ソフトに準備してある様々な絵を貼り付けていくスタンプもあるのだが、それを使わずにペンをドラッグで手描きするのにこだわり、色彩も形も味のあるすばらしい絵を描いている。 「先生、このひし形をうまく描ける方法はないんかな?」と、傍らに開いたノートを見せる。その絵を描こうとしているのだ。
 実は、パソコン室に向かって出発しようとみんなが並んでいるときに、K君が一人いつまでも机の中や周りを捜しだし、友だちのノートを持って出ようとするので、「だめだ」とノートを取り上げると机にうつ伏せて動かなくなってしまった。「これかきたいねん」と言ったので返すと、漸く立ち上がり歩き出したということらしい。
 こんなに集中するK君を初めて見た。K君は前日に「明日はパソコンでカレンダーの絵を描きます」と言った教師の言葉を受けて、この友だちが描いていた絵を描こうと決めてこの時間を待っていたのだ。(友だちにとっては下絵ではなく遊びで休み時間に描いた絵なのだが)
 K君の学習に取り組む論理と意思がある。その論理が通らないときには教室を飛び出したり、物に当たったり、大声を上げることもある。論理が理解されたとき、学びに熱中する姿が生まれた。

2008年2月17日(日)

 現代の学校の使命は二つある。子どもを育てることと、今ひとつは子どもを守ること。

2008年2月17日(日)

授業と思想

 全国発表会の提案授業の後、体育館で授業研究会が行われ、大阪府教育委員会指導主事から授業の講評、講演があり、続いて意見交流の時間が持たれた。二人目に立った寝屋川の教師から厳しい口調で批判する発言があった。
 「子どもたちと教師が、腰を振りながら"I want to go to 原爆ドーム"と言っていたとき、気分が悪くなった。広島に修学旅行に行き、平和教育にも取り組んでいるはずの学校で、原爆ドームを笑いながら軽々しく扱うのは間違っている。」という意味の発言だった。
 前日に、繰り返し練習のとき緊張をほぐすためにも、身体でリズムを取りながら元気な声を出す場面を作ってみようと打ち合わせたものであるらしい。僕は発言者のような感想は持たなかったのだけれど、300人を超す参加者の中で、しかも批判を避ける雰囲気が一般的にはある中で、あえて発言するほどに発言者にとっては並々ならぬこだわりと思いがあって、見過ごせない重大な問題であったのだ。
 もし被爆者や家族がその場におられたら、その方たちの思いがあったに違いない。批判されることになるか、或いは子どもたちや教師の取り組む姿に拍手を送られるのか、それはわからないけれど。
 しかし、授業には思想が反映するのだということを発言者の指摘から学んだ。むしろ思想を持って授業や教材づくりに取り組まねばならないのだと思った。

2008年2月17日(日)

交流する
 
 前回の英語科授業の続きがあった。今回は、全国発表の提案授業となり、体育館での授業となった。館内に500人を越える参観者が見守る中で取り組まれた。授業者は子どもたちとのキャッチボールを復習、思い出し、繰り返し練習というように導入として使い、その後は思いっきり子ども達のテンポとリズムに任せる展開を作った。
 お互いに相手を見つけて、"Hi""Where do you want to go?""I want to go to Hokkaido""Why?" "Because I want to eat potato""Bye!"などと、コミュニケーションする場面となった。元気いっぱい歩き回り会話を続けていた子どもたちから、「先生、体育館にいる大人の人にも聞いてええかな?」と質問が飛んだ。緊張したのは、参観していた大人たちの側だ。今度は500人に見守られて自分が子どもたちとのやり取りをしなければならないかもしれない。大人の戸惑いをよそに子どもたちはのびのびと足を運び、様々な見ず知らずの人たちとのコミュニケーションを楽しんでいた。楽しみながら英語によるコミュニケーションを学んでいた。
 やっぱり子ども達のリズム、子ども一人ひとりのリズムの中で学習は営まれるのだと思った。教師と子ども達のキャッチボールだけではなく、子どもたちが交流する場を授業の中で大切にしたい。

2008年2月17日(日)

授業のテンポ
 
 英語科の授業を参観した。しっかりクラス作りができていて担任と子ども達の信頼関係の上で授業が軽快に進行していく。いわば先生と子ども達とのキャッチボールがテンポよく続く。そのテンポが崩れたときがあった。1列の5人が立って、他の全員が声を合わせて“Where do you want to go?"と質問するのに一人ずつが応える場面だった。4番目のSさんが口ごもってしまった。懸命に自分の答えを探しているのが分かる。胸の鼓動までが聞こえてきそうだ。テンポが止まった。周りの子ども達は、騒がしくならない、せかすでもなく、はやすこともせず、じっとSさんの言葉を待っていた。そしてゆっくりとSさんは発言した。いい場面だと思った。
 教師と子どものキャッチボールのテンポの中では学びは生まれない。(往々にして英語科の授業では、キャッチボールとテンポが方法として重視されている。)訓練するのに、キャッチボールは向いているのかもしれないが。テンポが崩れたとき、学びの機会が生まれている。つまり教師のテンポではなく、子ども自身のテンポ・リズムになっているのだ。
 

2008年2月17日(日)

政権交代で教育は変わるのか!?

 民主党が308議席を獲得して、政権交代が実現することになった。様々なところで「変化」が生まれてくる。では、教育の世界ではどんな変化が起こるのだろうか。
 小泉、竹中が主導した、徹底した市場原理主義の導入、自己責任論、能力主義、競争主義、評価主義・・・などの新自由主義は、自民党を「ぶっ壊した」だけではなく、すでに極端な格差を作り出し、「人としての暮らし方」までを「ぶっ壊し」かけていた。
 さてその新自由主義を克服して、これからの価値観をどこに求めようと私たちはするのだろうか。「共に」「共に学び、共に生きる」「つながり合う」という言葉がこれからの社会を展望するキーワードになるのだと、僕はそう考える。いわば、「たて」の序列化を求めた(いったい誰が求めたのだろうか。しかし誰かが求めたのだ。)これまでの10年間に対して、横の関わり合い、つながり合い、広がりを、求めるということだ。
 しかし、頑迷なる日本の「能力主義神話」は、それでもやっぱり能力主義、競争主義、評価主義と、子どもの序列化を求め続けるのだろうか。

2008年2月17日(日)

このようにしてまた1年の取り組みが始まって行く

 この日も1年前と同じように放送室のマイクを通して、全校の子ども達に向かって放送を流した―
 給食時間に失礼します。今日は皆さんにお知らせしたいことがあって放送しました。松森センセはおしゃべりだから長くなるかもしれないので、給食を食べながら聞いてください。でも耳はしっかりこちらに向けてくださいよ。
 2年生以上の人たちは、去年の4年生(今の5年生)の人たちが、コイを育てていたのは知っているでしょ。高柳や九中の方へ行くときに渡る古川で採れたタマゴなんですが、そのタマゴから孵して、1年間育てたコイをまた故郷の古川に還してあげました。
 そのときに、5年生の人たちは古川をきれいにしたいと、ポスターを作って自治会の掲示板や、川のフェンスに張ったり、ゴミ箱を作って橋のたもとに置いたり、川の中に入って、ボートまで浮かべて掃除をしたりしました。中には焼肉やさんや家を回って炭を集めて、水をきれいにする浄化装置を作って古川の中に入れた人たちもありました。
 今の5年生がいっしょうけんめい取り組んでくれたので、今年もコイのタマゴがセイビ小学校に届きました。水辺クラブのおじさんや、寝屋川市の下水道課のおじさんたちが、校区の古川に入って、水草に産み付けられたタマゴを採って持ってきてくださいました。
 今日の昼休みから、体育館の前にコイのタマゴが入った水槽を出しておきますから、皆さん見に来てください。水草の間に小さな小さなタマゴがたくさんついています。
 コイは、6月の真ん中くらいまでタマゴを産み付けています。産卵(さんらん)と言います。古川を見たら、こんなに大きなコイが(センセは今両手をうーんと広げています)50cmくらいもある大きなコイが、10匹も20匹も、もっとたくさんゆっくりゆっくり川を上ってきて、バシャーンバシャーンと音が聞こえるほど水しぶきを上げて、タマゴを生んでいるのを見ることができると思います。
 ただし一つだけ注意、絶対にフェンスを乗り越えたり、隙間から古川に入ってはいけません。とても危険です。もう一度言います、絶対に古川に入らないことを約束してください。
 長いお話になってしまいました。しっかり聞いてくれましたか。土曜、日曜のお休みの後も水槽を出しているのでどうなっているのかを見てください。これで終わります。―
 昼休みになったらさっそくたくさんの子ども達が水槽の周りに集まってきた。「どれがタマゴなん?」「あっ、ここにもあるわ」「みつけたみつけた」「かわいい?」「ほんまにこれがコイになるん?」・・・、目を輝かせて、おしゃべりが続いた。放送を聞いてくださっていた警備員さんも、交通指導員さんも、水槽のところにやってきて「また1年が始まりましたね。今年もコイの成長を楽しみに見せてもらいます。」と声をかけてくださった。
 昨年4年生の子ども達がコイを育て、自分たちの町にある古川を学習し、3月にコイを故郷に還して1年間の学習を終えたのだが、それから2ヶ月が経ってまた新たな学習が始まろうとしている。今年の4年生はどんな学習を作ってくれるだろうか。そして2年目の昨年度、地域の人たちにも子ども達の活動の話が伝わり、応援の声や協力を頂いた。さて今年はどんな地域とのかかわりが生まれることだろうか。新たな学習のドラマの出発でもある。

※『古川の学習 コイを育てる』も読んでください。(「子どもたちとつくる授業」のページの中にあります。)
 

2008年2月17日(日)

石橋式音読B

 石橋式音読のもうひとつの特徴は、その「教育的成果」の誇張の仕方にある。いわく、この音読をすることによって、「前頭葉が刺激され、脳の働きを活発にする。」「だから、学力が上がった。」「教室を飛び出していた子が席に座るようになった」「これまで集中できなかった子が、授業に集中できるようになった」「集会でもうるさくて先生の声が聞こえないような学校だったが、静かに集中して聞けるようになった。」「音読をいっしょうけんめい取り組んだ学年ほど、成績が上がっている」「もっと取り組んだ学級ほど、到達度調査でも成績が上がっている。」「その学校の校長先生や教頭先生から、そんなお話を聞かせていただく。」・・・、といった類の宣伝文句に満ちている。
 これは、教育の成果を、検証し、課題を見つけ、さらに研修していくための言葉ではない。単に、私がやったから、私のやり方でやったら、目に見えて子どもが変わりますよ、と自画自賛しているに過ぎない。そこには、学校をめぐる地域の事情も、子ども達ひとりひとりが背負う生活の現状や個人史も、教職員が子どもたちと向き合いながら取り組み続けてきた日々の実践も、すべて無関係に自分の評価だけが一人歩きしてしまっている。おそらくこのようにして、全国の学校に出向いて、石橋式音読の成果を披露しているにちがいない。
 なんだかテレビショッピングの商品を売り込むようなうたい文句で、いつか消費者センターに「効能書きとちがう、使い続けてえらい目にあった」などという訴えが殺到するのではないかと、漫画じみた想像も浮かべてしまう。これは、子どもを語る言葉ではないのだ。
 実は、陰山英男さんの「百マス計算」も、これまで述べてきた石橋式音読のことが、そのままぴったりと重なってしまうのだ。むしろ陰山氏に言わせると、石橋式音読も陰山氏が発掘し、それを本やマスコミを通して紹介した、いわば「陰山メソッド」のひとつということになる。(さすがに石橋さんもそう言われるのはいやらしく、20年以上前から、自分たちが先にやっているという実績を強調することになる。)
 ところで、橋下知事はこの石橋式音読と、陰山式百マス計算を、府内すべての小学校で、毎朝一斉にモジュールとしてやらせようとしている。繰り返し学習で学力をつけさせるということだろう。
 一方で、PISA型の学力を重視するとも言っている。しかし、石橋式も、百マス計算も、PISA型とは似ても似つかぬものであり、子ども達の「学び」を力づくで破壊してしまうものである。
 知事の構想の中では、「基礎学力」と「応用」という単純極まりない2分法に分かれていて、前者を陰山式で、後者を藤原和博氏の「よのなか科」で府内のすべての学校で実践すれば「学力」が付くのだと考えているようである。
 教育の構造、学びの構造とはそんな薄っぺらなものではない、教育の現場で無数の教職員によってコツコツと取り組まれてきた数知れない実践の歴史を、見くびってはならない。

2008年2月17日(日)

石橋式音読A

 石橋淑子さんは、音読する文章についてこう言われる。「子ども達に言葉のすばらしさを知ってほしい。だから「名文」と言われる文章を、(教師が)選んで読ませる。夏目漱石や、宮沢賢治、漢詩も読む。意味がわからなくても、何十回、何百回読むことで、その文章、言葉遣いが感じられ、意味が理解できてくる」と言う。幼稚園や保育園、小学校低学年でも、大きな声で唱和して読み続ける、読ませ続けることになる。
 文章の良し悪しや、好き嫌い、値打ちは一人ひとりの読み手によってちがっている。決して教師が決められるものでもないし、またその価値を決めるべきでもない。読み方も、ゆっくり読みたい者もあれば、早く読む人もある、声を出して読むことが好きな人もあれば、黙読したい者もある。人それぞれのスピードやリズムが、当たり前のことだけれどある。だから読書は楽しいのだ。
 一方で石橋さんが言われるように、何十回、何百回と、しかも大きな声を出して一糸乱れぬ唱和を続けることによって、やがて文章の意味が刷り込まれ、考え方や行動にまで現れることはありえるに違いない。かつて、戦前に「教育勅語」を、一言一句も間違わず、声の強さ、リズム、抑揚もすべて教師の言うままに、毎日毎日繰り返すことで、ついにその意味が刷り込まれ、いつの間にか考え方や行動に体現され、それが戦争を推し進め、敵を殺し、自らも天皇のために死ねる考え方をつくり出していったことは紛れもない事実である。
 子どもは「教育勅語」に、「どうして?」と疑問をさしはさむことはできない、自分のリズムや声の大きさで読むことはできない、またそうさせないのが教師の指導力とされていた。子どもだけではない、親も、教師も疑問を持つことも、自分の早さ、リズムで読むことは許されなかった。そうさせないのが、校長の指導力と言うことだったのか。いつの時代においても、なりふりかまわぬ強制によって、延々と繰り返される訓練は、子どもを変えるのだ。まさかそれを、「大きな声を出すことができるようになった」表現力だと解釈したり、教師の言うがままに反応する子どもの姿を「静かに聞くことができるようになった」と、学習する態度の変化と評価したり、「学力」がついたなどとうそぶくことはできないだろう。
 石橋式音読において、夏目漱石も宮沢賢治も、教育勅語もなんら変わることはない。何を選んで子どもに「与える」かがちがっているに過ぎないのだ。

2008年2月17日(日)

石橋式音読@

 校内研修で、まねび学園の石橋淑子さんを招いて職員の講習を受けた。一言で言って、こんな冷たい授業はないと思った。そもそも授業ではなく、訓練である。
 45分間、先生の言うとおりの言葉を繰り返し、先生と同じリズムで、できるだけ大きな声で発声し、先生と同じ動きをただただやり続けるのだ。途中で口を挟むことなどできない、「なぜ」と疑問を抱いたり、言葉の意味を考えてはいけない。むしろそうさせないことが教師の指導力だと言う。
 僕は耐え難い時間を過ごしていた。声を出したいとは思わなかったし、同僚たち教師が、目を輝かせて前を見つめ、先生の言葉を聞き、次第に声に力がこもり、一糸乱れぬリズムで唱和して発声して行く移り行きを、呆然と眺めていた。
 やがて気づいたのだ、「声を出せないでいる自分自身が、みんなの足を引っ張って、集団の和を乱しているのではないか」と、不安になってきていることを。そしてみんなからどう思われるだろう、仲間はずれにされないかと恐怖を感じ始めているのだ。きっと何人もの子どもが、僕と同じ思いをするのではないかと思った。
 石橋さんからは、声を出せずに、困り果てている僕の姿は見えていたはずであるがなにも声掛けはなかった。大人であるからだろうか。しかし「すべての子どもの声を出させます。それが指導力です。」と言い切る。僕のような子どもは、認められないのだ。あの恐怖感を思うと、自分だけがやりたくない気持ちを、先生に、特に周りの友達に気づかれぬよう、無理やりにでも声を出そうと思う、目立たないように口を動かすまねだけでもやろうとするにちがいない。あるいは、そんな教室には入りたいとは思わない。それもみとめられないのなら、学校へも行きたくないと言う気持ちが生まれないだろうか。

2008年2月17日(日)

福岡正信 著 『わら一本の革命』(春秋社)から
・・・そして、教育ということに関して、私はこういうことを感じています。
 戦前に一度ミカン山へ入って、自然農法を標榜したときに、私は無剪定ということをやって、放任した。私ははじめ、「放任」ということと、「自然」ということを、ごっちゃにしていたんですね。ところが、枝は混乱する、病中害にはやられるで、70アールばかりのミカン山を無茶苦茶にしてしまった。私は、そのときから、自然型とは何ぞや、ということが、常に問題として頭にあって、これだということを確信するまでに、長い間模索をしてきました。そして、やっと自然型とは、これだな、という確信を持てるようになった。自然型というものを作るようになってくると、病虫害の防除も必要なくなって、農薬がいらなくなった。剪定というような技術も必要なくなった。自然というものがわかれば、人間の知恵なんて必要ないんです。
 子どもの教育にしたって同じことです。私も初めそれで失敗したが、放任ということと、自然ということが混同されていて、放任が自然であるかのように錯覚している場合が多いんです。いわゆる放任状態にしておくから、教育しなきゃならなくなってくるとも言える。自然だったら、教育は無用なんです。・・・
 
 これらを読んで僕は、フランスの哲学者ルソーが『エミール』の中で提唱した「自然の教育」と重なるのではないかと思った。またこれまで、「自然に還れ」と唱えるルソーの教育論と、同じルソーの「社会契約説」など社会・政治思想とがつながらず矛盾しているように思えていたのだけれど、理解できるような気がしてきた。
 福岡さんはこう言う、「健全な稲を作る、肥料がいらないような健全な、しかも肥沃な土を作る、田を鋤かなくても、自然に土が肥えるような方法さえとっておけば、そういうものは必要でなかったんです。あらゆる一切のことが必要でないというような条件を作る農法。こういう農法を、私はずっと追求し続けてきたわけです。」
 「還るべき自然」とは、福岡さんにとっては、「土」であり、ルソーにとっては「社会」である、そう言っているように僕には聞こえる。

 

2008年2月17日(日)

自然農法と教育(1)



 「米や野菜作りにおいていかに人の手を省き、自然の力にゆだねるかを追求。土を耕さず無肥料・無農薬・無除草で作物を育てることを特徴とする自然農法を確立した。」という記事を読んだとき、「この人は『教育を語る人』にちがいない」と直観した。いわば「何もしないで育てるために、何をしなければならないのか」を生涯かけて考え続け、実践した人である。さっそく『わら一本の革命』を読んだ。やはり全篇を通じて、福岡さんは自然農法を熱く語りながら、同時に教育についての熱いメッセージを送り続けていた。

2008年2月17日(日)

二つのKey Word

 1学期の校内授業研を振り返ったとき、二つのKey Wordを職員が共有できるようになったことが大きな成果であったと思う。「聞き合う」ことと、「交流する」ということだ。
 2年・4年・6年が提供してくれた授業は、どれも研究目標の「聞き合う力を育てる」を掲げて取り組まれたのだが、子ども達が一人一人自分の考えや意見を発言し、交流していく中で、お互いに聞き合う姿が生まれていた。聞き合うことができるから、更に意見を発言し、交流が続けられて行く。聞き合う力を育てるために、交流する授業が有効であることがわかってきた。
 そこで提案したい。全ての教科の授業で、学習活動の中に子ども達が交流する場をつくってみてはどうだろうか。交流する場=広場=交流し合う広場。子ども達が頭も心もからだものびのび活動させる広場のようなもの。例えば算数の中で交流し合う場がある、理科の中で、社会で・・・のように。
 「交流」という言葉の定義をしておきたい―子ども達が「話し合い」や「討論」しながら、課題や問題を見つけ、主体的に解決していくような学習ではない。「ディベート」とも違う。
 いわば、もっと平易な活動。意見を出し合い、友だちの話を聞き合い、先生もいっしょに参加する。そして先生が交通整理をしながら、子ども達をつないでいく、そんな学習活動、授業である。

2008年2月17日(日)

2種類の授業

 授業には大きく2種類の形があると言っても良いのかもしれない。
@子どもと教師との関わりの中で、学習が生まれて行く授業。更に、子ども同士が関わり合い、試行錯誤し、追求しながら営まれる授業。学びあう学習。
A関わりを拒否する授業。
一問一答であったり、答えだけを求めたり。それらはむしろ、教師がトレーナーになるごとく、子どもから距離をとっていく。慎重に慎重に、気付かれぬように間を開けていく教師もあれば、最初からあたりまえのように、子どもを寄せ付けぬ教師もいる。

2008年2月17日(日)

新しい人へ

 学級通信楽しく読ませていただきました。特に「子自慢話」がいいですね。
 学級会や終わりの会で、子ども達が発言するときも、親達の会話の中でも、「子どもの悪いこと」はいっぱい言えるのに、なぜか「いいこと」は言えないものなんですね、不思議に!
 これ使えますよ、例えば「友だちのいいところ大発見」のテーマでつづり方を書いて、まず発表会をする。子どもは友だちから「いいところ」を言われて、照れたり、ニヤニヤしたり、えもいわれぬ表情を表します。そして、今度はそれを文集にしてみたらどうでしょうか。親からの受けも絶対です。
 学級通信は、子どもの物語を書くものです。実はそれは教師が自分の物語を書くものでもあるのですね。
 たくさんの物語を書いてください。「仕方なく書く」のではなく、書いた通信の1枚1枚がそのままあなたの資料となっていきます。最も生き生きとしたあなたの実践記録です。
 これからもたくさん読ませてください。

2008年2月17日(日)

学校でもIQという数字が独り歩きを始めた
 
 最近、IQという言葉やその数字を見聞きすることが多くなった。「知能検査の結果の表現法の一つで、実際の年齢に関係なく、その人の知能が何歳くらいの精神発達に相当するかという年齢尺度として使われているものです。・・・例えば暦年齢9歳の子どもが10歳の標準問題に正答できれば、その子どもの精神年齢(知能年齢)は10歳になります。今日では、精神年齢と生活年齢の比が、より一般的に用いられ、それを100倍した値が知能指数(intelligence quotient)で一般的に頭文字をとってIQと呼ばれるものです。IQ140以上が、天才または準天才とされています。」(講談社新書『LD・ADHDは病気なのか?』金澤治)
 どうも今流行の(といっても過言ではないだろう)LD,ADHDなどの発達障害の診断に使われていることがその背景にあるようだ。だから特別支援教育の研修などの折には、講師からIQの話が出たり、資料に数字が並んだりすることが起こってくる。
 しかしさほど遠くない一時期、欧米で優生思想が流行した時に「優れた遺伝子を残し、優秀なる人種を作るため」に、劣性遺伝子を絶やす目的で、断種手術が強制されたことがあったと聞いている。その基準としたのが知能指数・IQであった。深刻な反省と、障害者自らの差別糾弾闘争を経て、IQはほとんど使われなくなったのだと、僕は理解していた。たかだか50年・60年を経る間に人権侵害の歴史や反差別の闘いの意味がきれいさっぱりと忘れられてしまったのだろうか。
 ウェクスラー式知能検査(WAIS,WISC)など新しい検査方法が開発されたからよいという話ではないはずである。かつてのIQも、数字自身が優生思想を持ったのではない、人間の能力を数字に置き換えて理解しようとした人間観が優生思想を更に助長し、深刻な人権侵害を生み出したのである。そのことは新しい検査方法を使ってもなんら変わらない。
 最近学校でもIQという言葉や数字が、いかにも科学的装いを凝らして使われるようになってきた。IQに限らず数値化することで子どもの能力を分析し、理解しようとする流れが、論議を伴わず、ほとんど無批判のままに進行するようになって来た。「数値化」は、いかにも近代的ではあるけれども、それが科学的進歩であるとは決して思わない。
 子どもと関わりあいながら、子どもの能力を感じ取り、個性や、生活力や、生きる力を感じ取り、悩みや悲しみ、喜びを感じ取る力は、ますます教師の中から希薄化していると言わねばならない。なるほど「関わる」「感じる」力は、決して近代的ではないけれど、或いは時代を超えて最も豊かで具体的な「教育力」ではないのだろうか。

2008年2月17日(日)

(3)子どもを育てるためのゆとり
  
 学力世界一のフィンランドの教師と日本の教師を比べたときに、その違いを鮮明に表すものの一つが、「労働時間に占める授業や教材作りに使う時間の率」である。圧倒的に日本の教師のそれは低い。世界の先進国の中でも際立って低い。つまり授業や教材作り以外の「仕事」に多くの時間を費やしていることになる。しかも膨大な残業時間(手当てもつかない)も換算すれば、更に率は下がってしまう。
 「本来の仕事」以外の事に追いまくられながら疲れきり、子どもとの対応や保護者との対応で精神的にも肉体的にも追い込まれながら、すり減らし病を得て行く例は少なくない。僕の在職する市では昨年度休職者「小14、中7」病休者「小14、中5」となっている。休まないまでも、自分の心と体に鞭打つようにして学校に行き、高鳴る動悸を抑えたりギリギリの力を振り絞りながら子ども達の前に立っている、いつ休んでもおかしくない潜在的な数はその何倍もあるだろう。このように追い詰められながら、子どもを育てる仕事ができるはずがない。
 「子どものゆとり」が学力低下をもたらすものとして否定され、「教師のゆとり」は「サボり」と同義語のようにみなされる圧力が、日本の社会の中にはあってしまう。子どもも教師もゆとりを持つことが許されない社会とは、誰にとっても生きにくい社会であるはずなのだけれど、周りを見る余裕がないくらい競争に煽られて視野を狭くされてしまっている。
 一人ひとりの子どものことを語り合い、教材研究をしたり、授業研究や進め方の工夫を相談しあえるような、子どもを育てるためのゆとりを来年度はなんとかかんとかほんのわずかでも学校の中に作り出したいと思う。教育改革を投げ出して、「まだ授業時数」を増やそうと考える文科省に期待できそうにはない、ましてや現行の府独自の35人学級ですら「無駄遣い」と切り捨てようとする橋下知事には不可能だろう。
 学校現場の知恵と努力を発揮する以外にはない。教育という一人ひとりの未来がかかり、そして国の未来がかかる大仕事を取りむには、余りに貧相な現状である。


2008年2月17日(日)

(2)「6年間の学びの系統樹」

 来年度に向けてぜひめざしたいと考えているのが、学習に取り組む子ども達の姿や表情を思い浮かべながら、教職員でにぎやかに教材作りに取り組むことのできる雰囲気や体制である。
 今年度も新たな教材が生まれ実践された。@校区に流れる古川ではここ2・3年、春になると鯉が逆戻り産卵するようになった。川を掃除したり保全に努めながら生態系の維持に取り組んできた水辺クラブの人達と、古川をフィールドワークしていた4年生が出会い、鯉の卵を孵した稚魚を学校が預かり育てることになった。そして半年後、育てた鯉を生まれ故郷の古川に還してあげた。
AJICAの青年海外協力隊員としてマダガスカルに赴任されていた方を講師として招き、5・6年生の各クラスで、マダガスカルの自然、環境、経済、文化など様々な背景を考えながら、「開発援助」について考えあい、話し合う学習に取り組んだ。
 例えば総合学習で「6年間の学びの系統樹」を作ってみるのだ。さしずめわが校ではこうなるだろうか、1年:学校たんけん、おじいちゃんおばあちゃんに教わる伝承遊び、2年:校区たんけん「わが町のお宝、こまった大発見」、3年:わが町の商店街、働く人たち、4年:校区を流れる古川の学習、鯉を育てる、5年:日本の産業、開発援助を考える、6年:開発援助を通して世界の国を考える。日本を考える。
 子ども達が先輩達が取り組む学習活動を横目で見たり、友達同士の噂を聞きつけて、「来年○年になったら・・・ができる」「はよ○年になりたいわ、・・・したいねん」などと、目を丸くして学習することを期待し楽しみにしてくれるようになったらいいなと思っている。
 しかし、教材を作るために資料をひっくり返して捜したり、調べたり、話し合ったり、試行錯誤して試したり・・・、そんなことをじっくりとできない教職員を取り巻く忙しさが現実にはあってしまう。「本来の仕事」に専念するための時間をどう作るのか、これもまた来年度に向けた総括の課題として大きな問題となる。

2008年2月17日(日)

 そろそろどの学校でも、来年度に向けた総括の話し合いがもたれる時期になってきた。僕はわが校の総括会議で、2つのことを提起したいと考えている。一つは授業研究のテーマ・目標を一歩進めることと、二つめは教材作りについてだ。

(1)「聞ける子ども」から、「聞き合う子ども」へ

 
 「聞く」ということを職員皆で話し合って、06年度07年度の授業研究の目標にしたのが「聞ける子どもに育てる」なのだが、どうも教師の側から子どもの側に一方的に押し付ける片道通行のような気がして、納得できないままに来てしまった。子ども達よ、聞くことはとっても大切なことだ、聞けないのは君たちが悪いんだ、分かったかな、そう言ってるようで教師の側の問題が問われてこないのだ。
 しかし実際の校内での授業研では、1年生から6年生までのどの授業でも、教師と子どもとの聞き合う姿、子ども同士の聞き合う姿が生まれ、その関わり方、深まりについて研修会での議論も進められてきた。
 学習するとは、聞き合い、学び合うことなのだと思う。来年度は、そのことをはっきりとさせて校内の授業研究を取り組んで行きたいと考えている。

2007年9月17日(月)

 生活・暮らしを見つめることができれば、問題が見えてくる。問題が見えれば、どうすればよいのか、解決に向けた課題が見えてくる。課題が見えれば、取り組みの方法、工夫を様々に考えることができる。

2007年9月17日(月)

なぜ英語なのか?B

 寝屋川では英語科と呼ばずに「国際コミュニケーション科」と呼んでいる。英語でなくても良いはずである。例えばフィリピンから渡日した子どもが在籍したとき、お母さんを講師に招きフィリピンのお菓子作りの料理教室を開く。初めて触れる味や作り方、食べ方に歓声を上げながら簡単な挨拶や名前のタガログ語を学ぶ。教室で使ってみる。共に過ごし学び合いながら国際理解を深めていく取り組みはこれまでもたくさん生み出されてきた。「ちがいを豊かさに」という教育の思想や実践の作風も生み出してきた。
 実利的に考えれば、経済発展が著しく、今後も資本の投資や貿易が更に拡大するだろう中国語を選ぶ方が有利だろうし、歴史的に付き合いが長く最も近い国とのつながりを考えるならば韓国・朝鮮語を選ぶのが自然ではないだろうか。
 その実利性、合理性も顧みられずに英語(実はアメリカ語)を教科にまで押し上げてあたかも「必修」であるかのように下ろしてくる教育政策は、アメリカの経済力と軍事力が世界を動かし支配するというグローバリズムの政策・戦略を無批判に受け入れ、先頭に立って支える日本の政府が必然的に導き出したものではないだろうか。英語=アメリカ語を獲得することが世界で活躍することになるという盲信の果てでもある。
 当のアメリカ自身が、イラク戦争への批判や経済政策の失敗などによって、グローバリズムに対する批判が拡大し、大きく方向を変えようとする政治的潮流が生まれている。実際には、世界の半数とも言われるイスラム世界があり、アメリカをはるかに凌ぐ経済発展を遂げる中国があり、大きな変化を遂げようとするアジアの国々の胎動がある。国際化、国際理解を進めるためには、いろいろな国々や文化、人々と関わろうとする興味や関心や態度を子ども達の中に湧き起こす学習活動が取り組まれなければならない。今の「英語の勉強」が、「入試に役立つ・有利になる」というなんとも矮小化された理屈を親や子ども達の中に蔓延させないだろうかという危惧を僕は抱いている。実際小学校から英語塾に通う者が、「英語科」の誕生以来飛躍的に増えてしまっている。

2007年9月17日(月)

なぜ英語なのか?A

 強いて言葉にすれば、国際化とは人と人とのつながりを作りながら、「横」への広がりをめざすのに対して、英語を勉強する動機はむしろ、つながりを断ち切りながら「上」をめざしていくようなイメージを浮かべてしまう。
 中国や韓国、他のアジアの国々でもそうではないのだろうか、或いは日本以上に「上」を求める動機が強いと言えるのかもしれない。ステイタスを上げるために、暮らしの現実から抜け出すために、自分の国から抜け出すために、ひょっとして自分の国を捨てるために・・・。
 「最近の韓国は英語ブームで、金持ちの家庭では、子どもを中学くらいからアメリカやカナダに留学させたがる。韓国では英語力が出世の鍵を握っているとされているからだ。このとき、ほとんどの母親が子どもに付き添って渡航してしまうため、父親はぽつんと一人、家に残されることになる。これが『雁パパ』だ、つまり『渡り鳥の父親』たちだ。海外で暮らす妻子にせっせと仕送りしながら、母国にとどまって孤独に働き続ける父親達。」(斎藤環「思春期ポストモダン」幻冬舎新書)作者の意図は若者の「ひきこもり」の問題を論じているのだけれど、現象として現れている英語教育の一面が見れるような気がする。

2007年9月17日(月)

なぜ英語なのか?

 僕の在職する寝屋川市では、文部科学省の「英語特区」の指定を受けて3年になる。しかしいまだ「なぜ英語でなければいけないのか」というわだかまりが解けないままでいる。
 「グローバル化がますます進み(僕にはそのようには思えないのだけれど)、子ども達が将来世界の舞台で、仕事に、或いはボランティア活動に活躍するために、なんといっても一番通用する英語を学ぶことは必要である。少なくとも無駄にはならないだろう。中国や韓国、その他のアジアの国でも、日本よりも進んだ英語教育が以前から取り組まれてきた・・・」、等々という話も、小学校で英語の授業を導入するに当たっての説明で得々と聞かされても来た。
 英語を使うことができれば、仕事でも、学問でも、ボランティア活動でも、その世界を更に広げることができるだろうという論理は、僕のような頭の固い人間でも理解するのだが、何か大切なものが抜け落ちているようでストンと心地よく気持ちの中に納まってくれないのだ。

2007年9月17日(月)

“Kさんへ 研究授業ご苦労様でした”

 今日は出張で討議会に出られません。あわてて走り書きしました。
 子ども達とあなたとの「つながり」が生まれている空気を感じました。先生のお話の中に、いっぱいクラスの物語、一人一人の物語を読み取ることができました。これまでの授業の中で、友だちの関わり合いを出し合い、話し合ってもきたことが土台になっていることの表れでもあると思います。しかし(別の言い方をすれば)子ども達の発言の中では語られなかったということでもあります。
 そこでいくつか気のついたこと、
@課題(あなたはテーマといっているのかな?)について
 課題が「なぜ?」とか「質問」になっていて、「答え」を求めるものになっている。「一人ひとりの(あなたの)考え」を求めるものになっていない。
 ・(前時の課題)「なんで末治は庄太にさからえないのか」からの続きの課題は、(子どもの意見が出ているのだから)「一人ぼっちにされそうで、末治は庄太に言えなかった」(A君)の課題にしたらどうだろうか。そのA君の考え方について、ノートを書き、話し合ってみるのです。
 ・(本字の課題@)「どうしたら末次は勇気を持って庄太に『いや』と言えただろうか?」
 ・(本字の課題A)「庄太は末治のことを友だちって思ってる?」
どの課題も、「なぜ?」を聞き、「質問」するものでした。そうなれば当然、
A子どものノートが「答え」を書くものになっていきます。事実、先生に聞かれた「問い」の「答え」を考えて書こうとしていた。だから文章が広がっていきません。友だちの考えや意見を聞いて、友達の考え方を考え、自分の意見や考えを耕し、作るためのノートがほしいと僕は思います。そして自分の考えを発言してほしいのです。
B本読み 表現読みを取り組んだらおもしろいですよ。本の持ち方、立ち方、からだの構え、リズム・・・等々、HOW TOもいろいろあるはず。また一緒にやってみましょう。
 5年2組の物語が生まれて来ています。とってもいい雰囲気でした。

2007年9月17日(月)

“Kさんへ 「課題」について”

 「末治が庄太に言えないのは分かる。一人ぼっちになるのがこわかったから。僕もクラスで一人ぼっちになるのが怖くて言えなかった。」(○○)
 子ども達がノートを書き、話し合いを進める中で、こんな意見が出てきたらいいなと思います。松森だったら迷わずに、これを次時の課題にしてノートを書き、話し合いに掛けたいと思います。
 「○○さん(の・・・)について」になると学級会の課題(議題)になりかねません。ちょっとヤヤコシイ話になって恐縮しますが、物語の『教材』を教師が選んで使う意味は、@作者の思想を学ぶ、A作者の思想を使って学ぶ、B作者の思想と、子ども達一人ひとりの自分の経験、ものの見方・考え方と重ねながら学ぶ、ことではないでしょうか。
 学習が進む中で、子ども達の追求が『教材』を離れ、子どもの書いた『ノート』が教材になったり、あるいは子どもの『生活』自身が教材になることももちろんあるのですが。

2007年9月17日(月)

“聞く”ということ B
 
 4年生と1年生の校内研究授業があった。どちらも若い人が担任するクラスで、(@にも書いた)子どもを育てるために試行錯誤を繰り返しながら日々いっしょうけんめいに取り組んでいる学級なので、参観する僕達にとってもたくさんのことを学ぶことができた研修会となった。
 4年生は、算数で括弧を使った式を学習する授業なのだが、本時の目標として、算数の世界の仕組みを理解することと共に、「・いろいろな考え方を見つけて友だちに分かるように伝えようと努力する、・友だちの発言を自分の考えと比べて聞こうとする」という目標が掲げられていた。
 一つの問題を子ども達は、いろいろな考え方で解き、それを表す式を黒板に書いていく。ひとりの説明に対して付け足しがあったり、反対意見があったり、質問が出されたりと次々に意見がつながっていく。
 聞いている子ども達も身を乗り出している。「ええ、なんでぇ」「わからへんわ」「もういっぺん言うて」「よう聞こえへンかった」「(説明する人に)頭でよう見えへん、体どっちかに向けて」・・・、「ああ、分かったわ」「なるほど」・・・、質問や意見に混ざって、それに負けないくらいたくさんのため息やら、ぼやきやら、実にいろんな言葉が聞く側の子ども達から漏れてくる。
 「聞く」とは、ただ静かに座っていて、お喋りせずに、手遊びもせずに、先生の顔を見ていることではないのだと改めて思った。

1年生は、国語で「ちがい」を比べる説明文の書き方の授業に取り組んだ。先生の話を聞きながら、一人ひとりがワークシートに書きこんでいく。カリコリとしっかり握ったエンピツが動く。そして「今からグループに分かれて、自分の書いたものを読みあいッこしてください、友達の書いたものを聞きあいッこしましょう」と先生から言われて、班の机に移動した。
 いい場面だと思った。いわば先生の話ではなく友達同士の話を聞き合う場面が作られた。しかも自分達がいっしょうけんめい書いたつづりかたを読みあい、聞き合うのだ。本当に子ども達はいろいろだなと思う。遊んでしまう子は一人もいない、でも黙って自分の番を待つ人、友だちに目をつなぎながら聞く人、声を掛ける人等々。僕のいた近くの班では、二人、どう見ても聞こえにくいだろうと思われる人があった。そのとき、「ゴメン、もういっぺん読んでみて」「聞こえへんかってん」と声を出す人がいなかった。なぜ言わないのだろう。たくさんの先生に囲まれて緊張したのか、たまたまおとなしい人たちが集まっていたのかもしれない。しかし敏感に反応しながら聞く子ども達の姿が、友だちの言葉を更に引き出し、また自分の考えを深めていくのだと思う。
 さて、積極的な聞く姿をどうしたら身につけさせることができるのだろうか。「静かにしてくれたら教えやすい」という先生にとって都合の良い子ども達の聞く姿ではなく、子ども達が学習を深めるための「聞き合う」力である。

2007年9月17日(月)
 
 教育改革というブランド名の衣装を纏った教育ファシズム

2007年9月17日(月)

“聞く”ということ A

 僕は研究授業などで教室に入らせてもらったときには、発言している友だちに目をつなぎ、「友だちが何を言おうとしているのか」を聞き取ろうとする子どもの姿を見たいと思っている。教師と子どもの関係でも同じである。先生は子どもの前に立ってたくさんのことを話す。例えば朝教室に入っただけでも相当に長い話をしているにちがいない。
 その時、子ども達が「先生は何を言おうとしているんだろう」と聞ける子どもであってほしいと思う。つまり先生の話す言葉に期待を持っているのだ。それまでに子どもと教師が培ってきた関係がそうさせるのだ。
 一方で、教師が多くを話し、最後に「だから、プリントを出しなさい」「だから今日は休み時間外へ出てはいけません」という結論だけを聞く子どもであってほしくない。結論だけを聞くことを僕は「聞く力」とは呼ばない。
 教師が喋るだけ喋り、子どもが結論だけを聞く関係が日常化してしまうと、子どもは必ず、「先生どうすればいいんですか」「プリントが終わりました、次は何をすればいいですか」と、自分のするべきことを先生に尋ねるようになってしまう。自分の考え、判断で行動することができなくなってしまう。

2007年9月17日(月)

“聞く”ということ@

 いつも子ども達との新たな出発のとき、学級開きなどの機会を使って「聞くことをお互いの大切な約束にしよう」と呼びかけている。
 何とか伝えたいのでいろいろな工夫もしてみる。入学式が終わった後、教室で初めて対面した1年生には、ミッキーマウスの人形を登場させ、声色を変えながら言ったものだ。「松森センセはねやさしいけれど、約束を破ったときはとってもこわいんだ。今日は最初の約束をしたいんだけど、それは友達やセンセの話をしっかり聞くということです。みんな約束できるかな?」と話しかけたりする。子ども達はみんな目を輝かせて「ハァーイ!」とまっすぐな手を上げてくれる。もちろん次の日から爛々とした目を集中させた授業が展開するというわけには行かないのだけれど。
 自分が話をするときに、友だちが手遊びしていたり、そっぽを向いて知らんぷりしたり、ふざけたりすればつらい気持ちになるし、話したいと思わない。その話が生活をくぐった重さを持ったり、何とか伝えたい思いに駆られて勇気を奮って語り出したりしたものであればあるほど、相手が聞いてくれなければ哀しくなるし、ついには涙をこぼさせてしまうことだってある。それを横から見ていた人は自分と重ねあわせ、同じ目にあいたくなくて、決してみんなの前で話そうとは思わなくなるにちがいない。
 反対に、真剣に聞いてくれる相手があれば話したいと思うだろう。耳を傾けてくれる学級の集団があれば、学級会でも授業の場でも「発言したい」と思うし、頭や心の中に渦巻いている言葉が引き出されてもくる。
 「聞く」ということは相手を大事にすることであり、ひいては自分が大切にされることである。関わりあうことの基本なのだと思う。

2007年9月17日(月)

授業の目的は?


 新任教師のクラスに時折入らせてもらっている。いっしょに授業することが楽しくって仕様がない。授業の中で、一人ひとりの子どもの表情や姿、その変化が見えるからだ。
  授業中教室を飛び出していた人が、今日は机に座ってエンピツを走らせている。先生をにらみつけ、一言も返事をしなかった人が、先生の話に笑顔をこぼしている。
 気づいたことがある。授業の目的は、「教える」ことではなくて、「子どもを育てる」ことなのだ。「教える」ことばかりに目を奪われて、子どもを見失った授業が横行してしまってはいないだろうか。
 今この教室では、子どもを育てる授業が試行錯誤の中進められている。

 
 ※4年生の教室に入ったとき、「僕が初対面の人に手渡す『松森センセの名刺』を作ってくれないかな」と頼んでみた。子ども達はすぐに描き始めてくれた。僕は前で椅子にすわってモデルをしながらいろんなことを話し続ける。「センセには見せへんで」と言いながら、友達の絵を覗いたり、見せ合いっこしながら、あちらこちらで人垣ができ笑いが渦巻いている。全員の子ども達が描き上げてくれた。いずれ劣らぬ傑作ばかりである。世界で1枚しかない僕の名刺を時々掲載してみようと思う。