
初めての学校総合(2006.1月8日連載開始)
新学習指導要領が本格実施になる以前から、全国の小中学校で総合学習の取り組みが始まった。あまた出される出版物をのぞいて参考にしたり、ああではないか・こうではないかと喧々諤々論議を重ねたり、知恵や工夫を出し合いながら試行錯誤を繰り返していた。
いつも子ども達の目を輝かせる表情を思い描きながらの教材研究は、たとえ時間がかかり、教師間で丁々発止のやり取りを重ねていても、楽しいものであった。そのようにして、子ども達と一緒に総合的な学習の時間のクラスでの授業や、学年授業を作り出していった。
今度はひとつ学校総合にも取り組んでみてはどうかということになった。とはいえ、職員の誰も経験がない。不安を抱きながら手探りの話し合いが始まる。教師が計画を立て、児童会を使って行う行事なら毎年取り組んできた。しかし今回は「総合学習」を標榜する限り、「子ども達の主体性を尊重する」という言葉がお題目のごとく教師達の頭に浮かんで離れない。もちろん僕もその一人なのだが、学級運営においても、授業の過程においても、本当に子ども達に任せきった経験がるとは言い切れない弱みが、忸怩たる思いとなって引き摺ってしまう。
「企画から運営までの全てを可能な限り子ども達に任せよう」とは思うものの、いったいどういう事態が生まれるのやら皆目見当がつかないのが正直なところでもある。ましてや650人の全校児童を動かそうというのだ、悲鳴を上げたくなるほどの不安に駆られた職員も少なくなかったと思う。
「子ども達に任せて教師が何もしないということは、いったい自分は何をすればいいのか」、それが分からなくなってしまうのだ。職員会議を重ね、互いに誓い合うように確認したことがある。「▼子どもを信じよう、▼失敗を恐れない、そもそも実践に失敗などはない、▼取り組みの中で試行錯誤を繰り返しながら考えて行こう、▼取り組まなければ何も見えてこない、▼とにかく子ども達が楽しみ、たくさんの笑顔と出会えるものにしよう」。ほとんど具体性を持たない念仏のような文句ではあるのだが、不安に駆られたり、手出しをしたい焦燥を感じたとき、「子どもを信じよう、信じよう」とブツブツ心の中で繰り返し唱えてみるのもいいかもしれない。一種の職業病でもあるのだろうか、言いたくて、手を出したくてたまらなくなる教師の習性というものは。
校内の研究推進部に所属し、総合学習担当になっていた僕は、教師側の事務局となった。さっそく8人の児童会役員に集まってもらい、「どうや、今度1年生から6年生までのみんなで何かめっちゃおもろいことやってめえへんか」と声を掛けた。「ええっ、ほんまに僕らで好きなことやってもええの?」「今までいっつもああしなさい、こうしなさいと言われてたような気がするけど、今度は自分らでやれるということやねんな」と、目を真ん丸く見開きながら喋る。「一日中勉強ないねんなぁ」「フリマーしたら売れそうやなぁ」・・・相好をくずしながら「夢」を語り合うかのように喋り続ける子ども達の胸中には、全校生の前でマイクを握る姿や、低学年の手を引く姿、運動場や教室に設置される数々の出店など、様々な想像が広がって行くかのように見えた。
第1回実行委員会(1月17日更新)
暗中模索の中で、学校総合の取り組みがスタートした。「子ども達の手で企画運営する総合学習」と、職員会議で確認したものの、裏を返せば、実は教師達の誰もが一体全体何をどうしたらいいのか皆目見当もつかない実態を、それは言い表してもいる。子ども達に頼り、任せざるを得なかったというのが正直なところである。この教師の自信のなさが、子ども達を勢いづかせ、生き生きとした活動に駆り立てる結果を生んでしまうことになるのだからおもしろい。
児童会役員はさっそく第1回実行委員会を招集した。3年生以上の各クラス代表、各学年の教師の代表、その他「スタッフになりたい」と声を上げた者たちが参加して、総勢50人の実行委員会が誕生した。
50人の子どもと教師(大人)達が一堂に会する会議の場は、その雰囲気だけでも圧巻である。もちろん発言権は皆に平等に与えられていて、手を上げれば何度でも発言できる。教師といえども、自らの意志で挙手しない限り発言は認められない。この会議のルールと、場の雰囲気が不思議なほど、出席した子ども達に自信を与えたようだ。
「ホンマに子どもら話を聞けへんなぁ」「友だちの発言なんて、ぜんぜん聞いてないで」、近頃の職員室でため息混じりに交わされる話題の筆頭格だ。しかし、実行委員会ではそれぞれが確かに話し合い、聞き合う姿が見られた。「何かおもしろいことができそうだ、しかも自分たちの力で」とでもいった期待感がそうさせるのだろうか。だから論議は進む、だから自分たちがこの会議を進めているのだという自覚も増してくる。
子ども達の意見は「祭り」に集約して行き、テーマ作りへと話が進む。「みんな仲よく、中央小まつり」等々、かまびすしく案が出されていく。6年生が「もっと、なんていうかなぁ、カッコイイ名前がええなぁ」と発言する。あちらこちらで相談する声が聞こえだした。
「私らも、英語で言う名前がいいと思います。例えば『フレンズ・フェスタ』なんかどうですか」。勢いよく手が上がる、「そらカッコエエけど、1年生は意味わかれへんやん。みんなで仲よくすることが目的なんやろ、そやのに最初から低学年が読まれへんし、意味わからん名前をつけるの、おかしいと思います」。4年生の説得力ある意見に高学年もたじたじとなる。にぎやかに討論が進行した。
押し黙るように考え続けていた一人の6年生が前に進み出て、黒板に書き始めた。「FRIENDS・・・」みんなの目が注目する。「FRIENDSフェスタ、ほんで英語の上に読みがなをつけるんや」、ゆっくりとチョークが動く、(FRIENDSの上に「フレンズ」とルビがふられる)「これやったら低学年も読めるやろ」。一斉にため息が漏れるように、どの顔にも納得の表情が浮かぶ。「そこにこう付け加えたらどうやろ」、また一人黒板の前に立った。「FRIENDSフェスタ〜友だちになろう〜」、「どうや」と言わんばかりの笑顔をこぼして、「こう書いたら低学年も、だれでも意味もわかると思うねん」と付け加えた。
「FRIENDSフェスタ〜友だちになろう〜(FRIENDSの上に『フレンズ』とルビがふってある)」、テーマが出来上がった。学校総合に向けて、子ども達の大きな一歩が踏み出された。
FES(フェス)の誕生(1月29日更新)
児童会役員の事務局会議が頻繁に行われるようになった。集まって来る役員達は、いつもしこたま自分の構想を頭に描いて席に着く。自分達が企画・運営する取り組みだ、自分達が主役なんだという意識が、回を重ねるごとに膨らんでくるかのようである。その日の会議が始まると、A君は開口一番「僕らのこの事務局会を、何か別の名前をつけて呼ぼうや」と提案する。
「役員会じゃなくて、何かこう、もっとエエ名前ないかな」と続ける。「それ賛成」、ほかの7人も声を上げ、まん中に置いた紙の上に幾つもの名前が書き上げられていく。「FESTAの字を取って、FES(フェス)はどうやろ」「ええな、それいただきや」「FESのバッチをつくろうや」「私らでデザインするわ」「近くの文房具店が店じまい大バーゲンで、安いバッチ売ってると思うわ」、とんとん拍子で話が弾み、翌日にはすてきなデザインに色づけされた8個のバッチが各人の胸に飾られていた。「先生もFESのメンバーやから、会議のときはいつも付けておくこと」と手渡された。
放課後、FESの会議を招集する校内放送でも、「今からFESの作戦会議を行います。フェスのメンバーは秘密基地に集合してください。」と、やりすぎではないかとはらはらさせるような放送も、あっけらかんとした表情でやってしまう。
教室や運動場や廊下でその放送を耳にしたほかの子ども達が、目を丸くして聞き入ったにちがいない。何やらわけの分からぬままに、しかし何かおもしろそうな魅力的な響きを感じたり、うらやましい気持ちをそそられたりした者たちもあっただろう。この「ノリ」が、全校の子ども達を「フェスタ」に向けて盛り上げていく大きな原動力になって行ったのだった。
胸のバッチをきらめかせながらFESの8人はさらに過激に行動を起こしていく。「うちらのFES主催の出し物も何かしたいなぁ」とBさんが提案する。「運動場に大きな舞台を作って、歌や踊りやパフォーマンスするのはどうや」とC君。「出場したい人を募集したらエエねん」「“未成年の主張”やろうや」とD君が言うと、「V6呼ぼうや、来てくれるかもしれへんで」と、皆が色めきたった。「私らでV6に手紙を書くわ」、EさんFさんが喜色満面に応じる。キティーちゃんの絵柄と色とりどりの模様に飾られた便箋をかざして、僕は職員会議で読み上げた。驚きや、ため息混じりの笑い声がひとしきり上がり、職員も「V6への手紙」に賛同した。(テレビ局からは、なしのつぶてに終わったのだけれど)
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FES 事務局会議 実行委員会
1日でなくてもええやん(2月7日更新)
第2回実行委員会は、各クラス・学年で話し合った〈フェスタ〉の出し物や取り組みを発表する場となった。次から次へと発言が続き、瞬く間に黒板が埋まる。画用紙を黒板の上や横に張り足して、司会はマジックを握って忙しく書き続ける。
隙間なく書き込まれた文字の集まりに目をやりながら、全員の声が止まってしまった。〈フェスタ〉がいったいどんなものになるのか、その場に居合わせた誰にも見当がつかなくなったのだ。やりたいことは山ほど出てきた。しかし時間にも限りがある、場所も無限にあるわけではない。子ども達も、教師達も頭を抱え込んで押し黙ってしまった。
そんなとき、ポツリと自信無げに呟くような発言が生まれた。「フェスタは1日しかアカンのですか。2日とか3日とかあればいろんなことができるんとちがうのかなぁ」と言うのだ。日にちは「11月22日の午前中」と、最初から職員会議で決めていて、教師もFESも、日数を変えることなど微塵も思いつかなかった。日にちからもう一度考え直そうという、大前提を覆すような提案だった。
日数を増やすことは、学校運営に少なからぬ影響を及ぼすことになる。教師の顔にもしわがよる。日を改めて、FESと各学年代表の教師達との合同の会議を持った。
確かに日数を増やすと、縺れた糸がほぐれるように、〈フェスタ〉の進行や出し物の様子、子ども達の動きまでが具体的な構想となって見えてくる。勢いづいたFESは、「11月22日と、その次の日の連休の23日、24日の3日間を使ってやろう。きっとたくさんの人が来てくれると思う」と発言する。しわを寄せた教師達の顔が、今度は青ざめる。あまりに破天荒な提案に聞こえてしまう。連休がなくなってしまうのでは、と頭を掠める。お互い顔を見合わせた。そして言った、「でもなぁ、もうそれぞれの家庭で連休の予定は決まってるんとちがうかな。子どもらだって、休む子が結構出てくる可能性あるで」・・・「そういうたらウチとこもどっか行くようなこと言うとったな」、一人の子どもの発言にホッと胸なでおろしたものだった。結局21日、22日の二日間を使うことに決まった。
学校中がガ然活気づく(3月9日更新)
準備が始まった。教室や廊下にダンボールや木片が積み上げられる。かなづちや針金を持って歩き回る。放課後まで残って音楽室で練習する者達がいる。1年や2年生の教室には、応援に来たお母さんやお父さん達の姿が入れ替わり立ち代り現れる。フリーマーケットに出す品物が集まってくる。研究発表の準備に原稿を書いたり、寸劇の練習をするクラスもある。学校中のいたるところで子ども達の活動する風景があった。
FESの活動もあわただしさを増していく。5・6年生を動員して運動場の真ん中に舞台を作る。未成年の主張、歌や踊りの参加募集の手紙を配り、応募用のボックスを取り付ける。オープニング、エンディングの打ち合わせと練習等々、毎日の会議が続く。どの顔も嬉々として、いっかな疲れを見せない。
「学校中が動いている」教職員の誰もがそう感じていた。〈フェスタ〉を1週間後に控え、各学年・クラスがラストスパートをかけているとき、FESの子ども達がとんでもないことを言い出した。
「FRIENDSフェスタの歌を作りたいねん。私らで作詞・作曲するから」と言うのだ。計画を立て、会議を開き、行動を起こして、それこそ目いっぱい動きながら、動くことでさらに新たな構想が生まれてくるというようであった。もう子ども達の勢いに任せる以外にはない。
「全校合唱したいなぁ」「FESのみんなで演奏もしようや」、言うが早いかその日から音楽室での練習も始まった。準備室の隅にほこりをかぶって眠っていたドラムセットまで引っ張り出して、ちょっとしたミュージシャンの集団が出現した。その多彩ぶりに改めて驚かされてしまう。
翌日には、『フレンズ』と題した曲を印刷して全校生に配り、音楽集会を開いて指導する。給食時間にも「みなさん、もう覚えましたか。フェスタで、みんなで大きな声で歌いたいと思います」と校内放送で呼びかけながら、何度も繰り返し歌っていた。
体育館の舞台上に居並ぶ、ドラムスを中心にしたクインテットとボーカルの8人のFESが『フレンズ』の演奏を始める。軽快なリズムに合わせて1年生から入場が始まる。次第に歌声が広がり、手拍子も生まれる。リズムに合わせて足踏みする子ども達もある。最後の一人が入場し終わるまで、曲は流れ続け、歌い継がれていった。高だか4・5日の、しかも子ども達だけの練習しかなかった歌だけれど、これまでに聞いたどの全校合唱よりも、元気いっぱいの歌声が体育館に響いていた、どの顔にもこぼれんばかりの楽しさが溢れていた。
開会のあいさつ。
「FRIENDSフェスタ〜友達になろう〜」が開幕した。
第2回“FRIENDSフェスタ”(10月2日更新)
翌年、新しい児童会役員に選出された人たちは、4月に就任するやさっそく11月の“FRIENDSフェスタ”に向けた取り組みを開始した。最初の活動は、全校生と教職員に対するアンケートであった。中でもフェスタの日時に関する項目は、教師達の目を釘付けにした。「あなたは今年のFRIENDSフェスタの日数は、次のどれがいいと思いますか。@去年と同じ2日間、A1週間、B1ヶ月、Cそれ以外」と書かれてあった。
教師達は頭をひねった。第1回フェスタを、事務局会での子どもの提案を受け入れて予定していた午前中の半日から2日間に延ばすことで、活気が生まれ大成功を収めた経験はある。しかしそれ以上の延長は予想だにしなかったことであった。とはいえ例の(?)「子どもの主体性を尊重する」というテーマがお題目のように浮かんでも来る。とにかくアンケートの結果を待つことにした。
結果は意外であった。僕などは、1ヶ月以上、或いはそれ以上が圧倒的に多数を占めるのではないかと予想して、さてどう説得したものかと考えあぐねていたのだけれど。2日間が4割、1週間が5割ほどであった。「やっぱり勉強もせなアカンしな」とは結果を報告に来た役員の台詞である。今年の第2回は、11月の1週間をフェスタ週間として前半を準備に当て、後半の3日間を“FRIENDSフェスタ”とすることになった。職員の側も昨年の成功に自信をつけたのか、2日間を終日保護者・地域の人たちに公開することにした。
2学期に入ると、児童会や各学年の子ども達は、保育園、幼稚園、或いは総合学習でお世話になった人たちなどに直接招待状を届けに行って呼びかけた。自治会の掲示板や、家庭の壁にもたくさんのポスターが張り出され、日に日に雰囲気がもり上がってくる。PTAが受付を引き受けてくれる。「フェスタ週間」に入ると昨年同様、子ども達が大きな材料や大工道具などを持って忙しく動き回る活気が学校中に広がっていく。舞台発表の練習にも熱が入る。今年のFESも去年に負けじと、「つくろう思い出」を作詞作曲して全校練習にも取り組んだ。
そして“FRIENDSフェスタU〜広げよう友情の輪〜(読みがなを打ってある)”が開会した。なんと体育館は、2階席も作って1000人を超える人たちの熱気で埋まった。(つづく)
FRIENDSフェスタU〜広げよう友情の輪〜日程表(10月9日更新)



実行委員会FESの人たちが、作詞作曲してテーマソングを作り全校合唱した。


開会式

学年の出し物


体育館の発表には、1000人を越える人たちが集まった。合唱、合奏、オペレッタなど(10月17日更新)


FES(実行委員会事務局)主催の舞台も大好評だった。技能職員さんの応援を借りて、運動場に手作りの特設舞台が出来上がった。
2日間で21組の参加があった。歌あり、おどりあり、漫才あり、1・2年生によるけんだま演技もあった。それぞれが衣装まで凝らし、この日のために練習してきた成果を元気いっぱいに披露した。いずれ劣らぬ大きな拍手と喝采を浴びていた。子ども達のやる気に負けじと登場したPTAのママさんコーラスも雰囲気を盛り上げてくれた。
それにしても子ども達の恐れを知らぬパワーには、舌を巻いてしまった。



閉会式
3日目は、地域公開をせず自分達だけでゆっくりと学年の出し物を回り、そして閉会式を行った。これもまた、なかなか気の利いたFES事務局のアイデア・配慮だと感心させられた。FESの人たちは、放送室を占拠してラジオジョッキーよろしく、各出し物の現場からのインタヴュー中継も交えながら、半日「子ども放送」を流し続けた。

「それにしても、子ども達はすごい!」、〈フェスタ〉が終わったとき、何人もの教師の口から漏れた言葉だ。この感動が、学校総合の取り組みを通して、僕達教師が得た一番の収穫であったのかもしれない。子ども達は翌日からさらりと転身するかのように、新たな活動を展開している。これもまた、やはり、すごい!
おわり