
| 安保法案の衆議院強行採決を直前にして 2015年7月7日〜14日 ◆(松森) 私の友人にも創価学会会員の人たちがいます。優れた教育者であり、子どもたちの貧困や社会的格差の問題に胸を痛め、子どもたちに寄り添いながら様々な教育実践を真摯に取り組んできた人たちもたくさんいます。もちろんその土台となる平和な社会を築くために、戦争と差別に反対し、憲法と人権を守るために行動もしてきました。その人たちが、今の安保法案を提出し強行採決をはかろうとする公明党をいったいどう見ているのだろうかと、思う時がしばしばあります。 創価学会員の人たちが、安保法案を合憲だと言い張ったり、自衛隊が海外で武器を使用し殺し・殺される事態を受け入れることなど、思想の問題だけではなく、信仰上の問題としてもそれを良しとすることはありえないだろうと、私は考えます。与党内で7月中旬にも強行採決を画策していると伝えられる中、創価学会の中で声を上げ、公明党が政権を離脱するくらいの圧力を掛けてほしいと思っています。 今日も抗議の意思を投稿します。 2015年7月7日 抗議の意思を投稿します。 私は「特定秘密保護法」、並びに「集団的自衛権行使容認」の閣議決定、さらに「安...全保障法制の関連11法案」に反対します。安倍晋三政権と自民党、公明党は、2013年12月6日、国民の声を無視して「特定秘密保護法」の強行採決を行いました。さらにその後、国会周辺や全国各地で集会とデモ行進が広がるなど、国民が反対を表明し、多くの地方議会でも「反対あるいは慎重審議を求める要望」が議論されたにもかかわらず、それを無視して2014年7月1日「集団的自衛権行使容認」の閣議決定を行いました。2015年5月14日、あろうことか日本の国会論議を経る前にアメリカ議会に約束した、「安全保障法制の関連11法案」を臨時閣議で決定しました。戦後70年をかけて築き上げてきた我が国の平和と自主独立の努力を放棄して、対米従属の戦争国家へと回帰しようとするものです。その暴挙によって国民とその一人である私を侮辱したことを忘れません。(石本隆司、松森俊尚) ※いま無関心でいるわけにはゆきません。私たちは同法に反対し、横暴に抗議するために、次の参議院選挙の日まで、「6」の付く日に以上の抗議文を、フェイスブックに投稿し続けようと思います。 ◆(Mさん)先だって、仏教、キリスト教、ムスリムなどの宗教の代表合同団体が「戦争法案などに反対」と、アピールしていました。創価学会の名はありませんでした。 ◆(松森)学会員の人たちはどんな思いでいるんでしょうか、不思議でなりません。ペレミア商品券のポスターを張ってる場合じゃないことは、分かっていると思うのですが? ◆(Hさん)松森さん、妙な縁ですが、私もそのうちの一人です。お察しの通り、これは悩ましい問題です。公明党の政治に限らず、教育界においても多くの課題を抱えております。つまり現実は矛盾に満ちています。その中で、管理職や教育委員会で働く者も次第に増えてきました。トップであればまだしも、副校長で耐え忍んでいる人の話を聞くことも多いです。ヒラはヒラでパワハラ校長とやり合わなければならないケースもあります。ブックレットにも書きましたが、私もその矛盾の中で教師生活を送ってきました。書けないようなこともありました。さて、これと公明党がどう繋がるかというと、日蓮仏法者としての生き方は、日蓮のごとく「文永十一年四月八日左衛門尉に語つて云く、王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」が基本です。権力者に従わざるを得ないことがあっても心は絶対に従わないということです。漸進的改革を志向していると言ってもよいと思います。一気に変えることを第一義とはしないのです。なので、ベクトルの方向性が大事になります。最善がなければ次善を選びます。白か黒かといった二元論はとらないところが特徴です。さて、閣議決定ですが、私も直前まで、怒り心頭でした。議員ばかりか党本部にも学会本部にも抗議しました。地方議員の中にも怒っている人がいました。変わったのは閣議決定の全文を繰り返し読んでからです。自分のタイムラインでも何度か書きましたが、要するに、新3要件は旧3要件とほとんど変わらない縛りとなっていると読めたからです。その後佐藤優氏や木村草太氏が、同様の見解を表明し、かつ専門的に解説してくれましたから、今は閣議決定や安保法制自体については、憲法に違反するような内容ではないと納得しております。つまり、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」かどうかがすべての判断基準であって、攻撃対象が自国であるか他国であるかに関わらず、上記の条件に戻らなくてはならないのです。たとえば日本を守るための米艦が攻撃されたとき、それを防護する場合の武力攻撃は、国内法的には個別的自衛権と言いうる、なぜならその攻撃は日本への攻撃と見なすことができるからであるが、ただし、それを国際法的にみると集団的自衛権とも言い得る。これが閣議決定で指摘した部分です。集団的自衛権という言葉はここにしか出てきません。高野孟氏によれば、最近首相もホルムズ海峡の機雷掃海は無理だと気付いたようです。米艦防護も個別的自衛権でできると横畠法制局長官が言いはじめています。法制局としては、そろそろ気づいてよ、といったところでしょうか。要するに法制局は違憲にならないように精査してOKを出した法案ですから、相当自信を持っています。国内法としての集団的自衛権は行使できないのです。それを安倍首相が勘違いをして、少しはできると踏んだのです。ところが現実にはできそうなものが一つもない。勘違いしているのは野党やマスコミも同じで、行使できると思った。ところが自分たちで拡大解釈してもそれはあり得ないと自分で落ちをつけたり、悔し紛れにその矛盾を安倍首相の人格攻撃に向けたりしています。そう、問題はむしろここです。法案の内容と安倍首相の資質や思想、行動への批判がごっちゃになっている。最近は倒閣運動化しています。これはまずいと思っています。マスコミが政局化したいと思ってやっているのでしょうが、自民党の中にも野党にも代わりができる人がいない。もし倒閣したら、その後の混乱とさらにその後のより右の誰かが出てくる可能性があります。ちょっと長くなってしまったのでここらで終わりますが、私個人としての考えを述べさせていただきました。ただし、多くの会員が同じとはわかりません。国会議員が各地で説明をするようにも聞いていますので、おそらく質問がたくさん出ることでしょう。 ◆(松森)▼Hさん、まず最初にこれまで直接お会いしたこともない私の様なものに、かくも真剣なコメントを書き込んでくださったことをありがたく感謝いたします。さて、私のような信仰心を持たないものにはわからないことなのかもしれませんが、Hさんが引用された「(日蓮のごとく)王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず(権力者に従わざるを得ないことがあっても心は絶対に従わない)」は、あなたが言われるように「漸進的改革を志向していると言ってもよいと思います。一気に変えることを第一義とはしないのです。最善がなければ次善を選びます。白か黒かといった二元論はとらないところが特徴です」といった意味ではなく、僭越ながらむしろ私が使っている「それでも、あきらめない。無関心でいない」という意味に近いように読めてくることを、まず書かせていただきます。 ▼安保法制について書かれた「論」については、昨年7月4日に私がFBに書いた「集団的自衛権行使容認の閣議決定について」にコメントをいただき、お互い詳細な議論を交わしたときと変わっていないと思いました。それゆえ今回のご意見に対して一つひとつ書く必要はないと考えています。あえて言えば、それを語る声が「大きくなっている」印象を受けましたが、そこに公明党(もちろん自民党も)が世論の反対に取り巻かれている苦境を反映したものなのかと想像してみたりもしています。 ▼私の考えはその時に書いた〈結局総理大臣の「解釈」、否「安倍晋三の解釈」によって「歯止め」の意味も、「限定」の意味も決められることになってしまっているのです。もとをただせば、集団的自衛権行使容認の閣議決定で、「解釈改憲」を許してしまったところに、その原因があるのではないでしょうか。そこに戻さない限り、限定や歯止めの論議は砂上の楼閣の議論にしかならないと私は考えています〉と基本的に変わっていません。 ▼ただ、ひとつのある意味大きな変化を発見しました。「専守防衛・個別的自衛権」の捉え方の変化です。Hさんはこう述べられています、「たとえば日本を守るための米艦が攻撃されたとき、それを防護する場合の武力攻撃は、国内法的には個別的自衛権と言いうる、なぜならその攻撃は日本への攻撃と見なすことができるからであるが、ただし、それを国際法的にみると集団的自衛権とも言い得る。これが閣議決定で指摘した部分です。集団的自衛権という言葉はここにしか出てきません。…米艦防護も個別的自衛権でできると横畠法制局長官が言いはじめています。法制局としては、そろそろ気づいてよ、といったところでしょうか。要するに法制局は違憲にならないように精査してOKを出した法案ですから、相当自信を持っています。国内法としての集団的自衛権は行使できないのです。」と。 ▼つまり「米艦防護の武力攻撃は、個別的自衛権だから構わないのだ」というのです。「憲法違反に当たらない」というわけです。そもそも私たちは、戦後70年の状況を生きる中で「個別的自衛権の武力行使はかまわない、合憲である」と言ってきたのでしょうか。Hさんはどうでしょうか、私は反対してきました。それが現在では、他国の領域にまで侵入して武力行使をしても「個別的自衛権行使だから構わない、合憲だ」という論議になってしまっているのです。 ▼これはHさんの「解釈」が変わって来たのではないでしょうか。私もきっと心のどこかで「個別的自衛権なら…」と「私の解釈」が変更されてきてしまっているのだと思うと、慄然としてしまいます。ましてや憲法の解釈すら平然と勝手に変更してしまう安倍晋三が、閣議決定や法案の言葉を守る道理がありません。 ▼「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず(権力者に従わざるを得ないことがあっても心は絶対に従わない)」という日蓮の教えに反して、権力者の強引な圧力によってHさんの「心・考え・解釈」は、変更させられているのだと、私には映ります。私もまったく同じです。それほど人の心は弱いのです。そんな弱い一人ひとりの国民を権力者から守るために憲法はあるのだと、Hさんのご意見を考えながら、私は改めて気づくことができました。 ◆(Hさん)これまで、反対派の方とこの件について何度も議論してきましたが、ほとんどが反安倍の感情ばかりが前面にでてきてしまい、松森さんのような丁寧な説明をしていただいたのは初めてです。まずは感謝申しあげます。問題は2点。僕自身の解釈変更と、安倍の「法」への態度(立憲主義)だろうと思います。実はこれから出勤するので、夜改めてご返事させてください。それまでに、お時間があれば、僕のタイムラインにもシェアしました木村草太氏のビデオニュースドットコムでの発言をチェックしていただければ幸いです。 ◆(Sさん)本当です。 ◆(Hさん)松森さん、うまくまとめられずだいぶ長文になってしまいましたが、以下報告します。 まず、私自身の解釈が変わってきたかどうかですが、たしかにこの間に読んだ細谷雄一氏の「国際秩序」の影響を受けていることはあると思います。(そこから学んだことは私のタイムラインにも投稿しました)。15世紀以降、西洋諸国が如何に戦争を防止し、平和を維持しようと苦心惨憺してきたか、その都度、智慧をしぼったあげくどのようなシステムを構築してきたか。そうした歴史の苦労を踏まえて安保法制を見てみようと思ったわけです。その視点から見ると、まず、現在日本国内で議論されている内容は、ごく内輪の、日本の都合だけのものであって、集団安全保障を常識と考える国連加盟諸国には、なかなか理解されないのではないかと思えました。つまり「いまだに一国平和主義ではないのか」ということです。その原因が9条にあることは言うまでもありません。 そこで9条を考えてみると、そこでは平和主義によって自衛のための武力保持も行使もできないことになっています。しかし13条の「生命・自由・幸福追求の権利」を保障しなければならないことから、自衛権も認める必要があるとされました。さらに前文には、「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と書かれています。砂川事件での田中耕太郎最高裁長官の補足意見では、「自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである」と述べ、田中長官は、「憲法前文の国際協調主義の精神」と呼んでいます。 そうなると、問題は9条と前文の兼ね合いということになります。どこまでの国際協調なのか。これが今回の個別的自衛権と集団的自衛権の線引きにも関係してくる。そこで山口代表の発言を佐藤優氏の解説付きで引用してみます。(「知性とは何か」より) 〔7月1日、公明党の山口代表が、「外国の防衛それ自体を目的とする、いわゆる集団的自衛権は、今後とも認めない。憲法上、許される自衛の措置は、自国の防衛のみに限られる。いわば、個別的自衛権に匹敵するような事態にのみ発動されるとの憲法上の歯止めをかけ、憲法の規範性を確保した」と述べた。 従来より日本政府は国内法と国際法の立場を使い分けることをしていた。かつて政府が行ったインド洋での石油供給、イラクへの自衛隊派遣も、日本政府が個別的自衛権と説明したところで、国際法的には集団的自衛権の行使と解釈するのが通常であるから、朝日新聞が「山口氏は国際法上と憲法上の評価を使い分けるという苦しい対応を迫られた形だ」と批判したのはあたらない〕。(多少要約) 〔記者会見(7/2)で山口代表は、「これまでの政府の憲法解釈の基本論理は維持されたことから、憲法9条に関し、この基本的論理を変える解釈変更はできないと、その限界を示した。つまりその場合は憲法改正が必要だということを明確にした」と述べた。この論理からすると国内法で集団的自衛権を行使する場合は憲法改正が必要になる。〕 〔山口代表は、「安保法制懇の報告書に対し、公明党は政府が長年とってきた憲法解釈を基本に慎重な対応を求めてきた。これに対し首相は、議論の方向性を示すに当たり、政府の憲法解釈と論理的整合性を取ることが重要だとの考えを示した。個別的か集団的かを問わず自衛のための武力行使は禁じられていないという考え方や、国連の集団的安全保障措置など国際法上合法的な措置に憲法上の制約は及ばないという考え方を採用しなかった。これには大きな意味があった」と述べた。 実はこの部分が、今後安倍政権が集団的自衛権の行使に踏み込む際の最大の障害になる〕。 〔今回、創価学会を支持母体とする公明党が連立与党に参加していなかったならば、政府の政治判断で、随時、自衛隊の海外派兵を可能にし、戦争ができる内容の閣議決定になっていた可能性が高い。今後安倍政権は、この閣議決定の内容を事実上、反故にし、いくつもの踏み越えをしないと実際に集団的自衛権を行使することはできない。もちろん、内閣法制官僚と外務官僚、防衛官僚は閣議決定の実態をよく理解している。そのような構造が、多くの政治的エリートとマスメディア関係者に見えていないのである。そもそも安倍首相自身が問題の本質をどこまで理解しているのか、私にはよくわからない〕。 ◆(Hさん)私の解釈は、変更しているというよりは、深まったと言った方がいいように感じております。松森さんは、<私たちは、戦後70年の状況を生きる中で「個別的自衛権の武力行使はかまわない、合憲である」と言ってきたのでしょうか>と言われていますので、立ち位置の違いは、ここにあるようですね。私は13条からすると、やはり個別的自衛権なしには国は成り立たないだろうと思っております。これについては、社会党はおろか、つい最近共産党の志位委員長も外国特派員協会で記者会見し、共産党政権下では当面自衛隊は維持するとして、個別的自衛権を認めています。自衛のための武力が抑止力になるということもあると思います。これは哀しいですが、歴史の示す教訓です。刑法の罰則が抑止効果を持つというのと似ているかもしれません。 長くなってしまって恐縮ですが、2点目の安倍首相の問題です。これは簡潔にお答えできます。安倍首相の発言から窺われる法の軽視や、その国家主義的思想については大反対です。首相としての資質にも欠けていると思います。 ただ、だからといって<結局総理大臣の「解釈」、否「安倍晋三の解釈」によって「歯止め」の意味も、「限定」の意味も決められることになってしまっている>とは考えておりません。 実際、(前にも書きましたが)高野孟さんから知らされたことですが、最近安倍首相はホルムズ海峡の機雷封鎖が無理だと気付いて言わなくなったそうです。閣議決定の新3要件を厳格に当てはめていけば、海外への武力附き自衛隊出動はできなくなってしまうし、そう強く指摘すれば、安倍首相といえどもそれを無視することはできないと思います。この点、マスメディアの戦略には違和感を持っています。自ら拡大解釈しておいて違憲といっている。そうではなく、できないはずでしょ、と強く言うべきなのではないか。 最後に米艦防護について。 新3要件に当てはめていくと、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」ような米艦への攻撃という事態が前提ですね。この時「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない」場合に「必要最小限度の実力行使にとどまるべき」武力行使ですから、防衛に限る範囲でしか行使できません。これはわが国を守るための自衛権としての武力行使ですから個別的自衛権ですが、国際法上は集団的自衛権とされているわけです。以上は法律論、あるいは安全保障論として述べました。 ◆(松森)Hさん、私には「難しすぎる」言葉の連続に目も頭もクラクラさせながら読みました。自分なりに一生懸命読んだつもりですが、正しく理解できたかどうかホトホト自信がありません。 つまりHさんは、縷々述べられ引用もされながら、だから「安保法制は合憲である」といわれるわけです。また、「閣議決定の新3要件をあてはめれば、わが国を守るための自衛権としての武力行使だから(実質的には)個別的自衛権であり、しかし国際法上は集団的自衛権とされているから、(安倍のこだわる)集団的自衛権の行使ということもできる(つまりつじつまが合う)」、言いかえれば「閣議決定の集団的自衛権の行使の可能性は、限りなく不可能に近づけることができた」といわれています。 もちろん私は納得できませんし、そうは考えません。どれだけ言葉を継ぎ足しても、最後は「解釈」という全く主観的な選択が残ってしまいます。だから、昨年7月1日の「集団的自衛権行使容認の閣議決定」に遡り、いったん白紙に戻さなければ、本来の議論は成り立たないのだと思います。 もう一つ「個別的自衛権」という言葉がいつの間にか大きなふくらみを持ち、まったく違った考え方をも含みこんでしまっているように、Hさんとの議論を通して感じているところです。そもそも戦後70年の中で議論されてきた「個別的自衛権・専守防衛」とは、憲法9条を持つ日本が他国に攻撃された場合においても「武力の行使」はできないのか、「戦力」は保持できないのか、憲法13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を守るためになにができるのか、という切実な危機感を共有した議論であったと思います。ところが現在なされているのは、他国の領域にまで出かけて行って武力行使をすることも、「日本人の生命、自由及び幸福追求の権利を守るため」だから個別的自衛権であり、集団的自衛権には当たらないので合憲である、などという話が交わされているのです。これは「個別的自衛権」という言葉の意味が、明らかに変節している、変節させられているのだと私は思います。 「戦争はもう二度としたくない」という戦争体験者の言葉の重さからずいぶんと離れた所で、議論の言葉が躍っているように思われてなりません。私も饒舌になりすぎたと反省しています。 ◆(Tさん)ヨコから失礼します―けっこう深い内容でしたので読んでしまいました。 つまり公明党としては、せっかく「新3要件」を作ったのに無視して勝手に議論するな、公明党だって公明党なりに考えて"仕事"してんねん失礼な!ってことでだいたい合ってるんでしょうか?…確かに、メディアで言及されてるのを読んだ覚えは無いんですよね。記者が忘れてるのかも。 けどこれは公明党自身の体質もありそうです。公党なんだしもっと積極的に世論にアピールしないと。「言われてみれば新3要件って 有ったよな」ってのが大方の感じるとこではないでしょうか―ちなみに僕自身は、今のとこ公明党への批判はしていません。 ◆(Hさん)松森さん、読みづらい文章を書き連ねてしまい、心苦しく思っております。松森さんのおっしゃりたいことは、数年前までであれば、私も共有しており、おそらくすぐに納得したと思います。 私の変化は、やはり「国際秩序」(細谷雄一著・中公新書)などによって、西洋諸国の平和への苦闘と言ってもよい歴史に学んだところが大きいと思っています。良し悪しは別にして、「均衡」と「協調」が彼らの得た智恵であり、その先の希望が「共同体」でした。安全保障としての同盟には価値の共有が必須であり、いま欧州はある程度そこにたどり着いた。しかしアジアはどうか、といった観点で考え始めたわけです。 もうひとつは、国の安全保障のイメージが錯綜しており、わかりにくさの原因になっていると思っていました。そこで調べてみると、ある平和学者(秋元大輔)が次のように分類していました。 @平和国家・・・憲法九条による戦争放棄・戦力不保持・交戦権の否認、反戦反軍事主義、リベラリズム。理想主義。 A国連平和維持国家・・・憲法前文の平和的生存権・国際協調主義による国際紛争後の平和維持活動(PKO)への参加。国連憲章。ネオリベラリズム。 B普通の国・・・国益を追求するする手段、政策としての軍事力正常化。そのためには憲法改正が必要。現実主義(リアリズム)。 Cアメリカの同盟国・・・勢力均衡論による同盟。アメリカの圧力によって外交、安全保障が形成される。ネオリアリズム。 一つの事柄もどの立場から見るかによって意味も大きく異なってきます。「安全保障」といっても立場によって捉え方は正反対にもなります。「戦争になる」「いや国際貢献だ」等。現在の議論の状況は、この4つが入れ乱れてバトルをしているような感じがします。だから議論がかみ合わない。 日本の場合、湾岸戦争での「一国平和主義」批判が安保政策の再検討のきっかけになっています。さらに、冷戦終結後の中東の混乱と9.11が国際情勢を大きく変えたとされています。 現在の日本政府の立場は、基本的にはAの国連平和維持国家です。政党や政治家によっては、小沢一郎のように「普通の国」をイメージしている人もいるし、共産党、社民党のように@の理想主義を譲らない党もあります。私は、国際的な信用問題として考えるならば、そして「一国平和主義」批判をくつがえそうとするならば、A以外の選択肢はないだろうと考えています。共産党や社民党の捉え方はいわば古典的リベラリズムであり、対外的には相手にしてもらえないのではないかと思います。 そこで問題は安倍の場合ですが、彼は、祖父岸信介の目指した日米安保の双務性の実現に拘っています。そのための集団的自衛権の行使容認。アメリカから一方的に守られているのは嫌だ、ということですね。これは、Cに近いものの、アメリカの思惑ともずれています。「歴史修正主義者」という批判がアメリカ国内から出ています。 こうした錯綜した状況の中で「安保法制」が議論されていることが、わかりにくさの原因ではないかと思っております。 私としては、たて分けて考えようと思っています。 一つは、安保法制の憲法上の問題。 もう一つは、安保法制の必要性の問題。 そして、最後に安倍首相との関連。 長くなっているので、詳細は避けます。結論だけ述べることにします。 @文言上は違憲ではないと思うが、政治家の発言を憲法の範囲内に収めさせる。さらに、木村草太氏が月刊誌「第三文明」で公明党に厳しい指摘をしているので、これには答えることが必要。 Aこれを不必要と言い切るだけの根拠が見当たらない。抑止効果は鳩山氏ですら認めました。 B安倍首相に対してはこれまで通り厳しく批判していく。及び頓珍漢な自民党国会議員を、次回選挙で支持しないことを党に要望する。 私にできることはこんなところでしょうか。 ◆(Tさん)Aの 国連憲章・国際貢献は、なんでイコール自衛隊なんでしょう?―そこは疑問だし議論を狭めてる原因ではないですか?―いっそタイの国王みたいに「絶対に国外には出ない」って 決めてしまえばスッキリしていいのに。 じゃあ代わりにどういうカタチが有りますかね?―ってことを考えたほうが発展的(べつに自衛隊員が名刺だけ別組織ので行ってもいいけど)。 国際理解は"得る"んでなく こっちから"作る"って方向で。 ◆(松森)Tさんといえば、あの〈野菜文字〉の書道家、アーチストではありあませんか!?いつも自然のいのちを使った見事な筆致に感動しています。「横入り」大歓迎です。議論は先細りするものですから、拡散することは必要です。Tさんが言われるように、軍事に頼らない国際貢献、外交努力は、いっぱいありますよ。平田さんが言われる「「一国平和主義」批判が安保政策の再検討のきっかけ」にしているのは、国民ではなく、一部のしかも偏った政治家たちです。むしろ、憲法9条を基盤にした新しい国際貢献の仕方(安全保障の問題も含めて)、さらには新たな国際秩序を日本から発信していく方法もあるはずです。またそういう発想と取り組みを現地で積み上げてこられた方たちや、新たに始めている人たちもあります。 ◆(松森)Hさん、なんだか頭の固い者同士がお互いに固い言葉をゴツンゴツンとぶつけ合っているニブイ音が聞こえてきそうな気がします。もっとリラックスして、もっと柔軟にと思うのですが。 ◆(Hさん)松森さん、そうですね。この問題になると、なぜか肩肘張ってしまいます。それだけ重要な岐路に差し掛かっているという意識があるのかもしれません。しばらくはお互いに自分の足場から見ていることになると思いますが、これはやむを得ないことだと思います。視野の広がりを得るという意味では、こうしたやり取りもまた有益だと信じております。 ◆(Iさん)新三要件があったにしても、ときの政府に権限が集中している場合あまり用をなさないように見えます。しかも、問題は安保法案にどどまらないということです。この間のアベ周辺から聞こえてくる報道統制関連の発言など、反対するものに有無をも言わせないような態度、秘密保護法から愛国者法へ、治安維持法へと、戦時法制、体制作りにどんどん進み兼ねません。アンボ法案が通った後に連立を解消されたらと考えた時、公明党の果たした役割は? ◆(松森)Iさん、ありがとうございます。安倍政権の、自民党内までも意見を圧殺する暴政がますますあらわに見えてきました。戦争のできる国の形に変え、国民主権を国家主権にかえる憲法改悪に向かって突き進んでいます。その政権に公明党が入っているということを創価学会の皆さんがどう考え、行動されようとしているのかということを問いかけたかったのです。Hさん、「ひとまず」議論を置くにあたって、私の一番最初の問いかけを再度書かせていただきました。もう間もなく圧倒的な国民の声を無視して、強行採決するかもしれない時期に立っているのです。 ◆(Hさん)Iさん懸念されている、政府への権限集中は、まさにナチズムのやり口ですが、それを麻生大臣が言っているところに、安倍政権の危うさが見え隠れします。国際協調主義路線とも言い難い中国包囲網戦略など、おかしな方向に進もうとしているようです。ただ現在、日本が戦争をするメリットはなにもなく、攻撃されるリスクはありえるということから、公明党の判断基準は国際的な理解が得られるかどうかだろうと思います。その兼ね合いを図って決断するだろうと思います。私が心配するのは、もし危機事態として想定される北朝鮮有事がもし現実化したとき、やはり現安保法制が必要だとなり、それを現憲法下ではできないのだとしたら憲法改正するしかないというシナリオが考えられることです(立憲主義を尊重する小林節教授)。現憲法下で行うか、改正して行うかの選択になります。保守派の中には安保法制が可決されたら憲法改正が遠のくと憂慮している人がいます。私としては、実際には使えなくなっている集団的自衛権(国際法上)を認めて、憲法改正もさせないという戦略がいいと思っています。自民党が処置ないところまで行ったら(もうそろそろ限界点?)選挙でお灸をすえることになるでしょう。すでに沖縄はじめ地方選挙では、会員の自主的判断の意思が見え始めています。問題は自民党候補に代わる人材が現れるかどうかです。もしいれば、自民党の相当数の議員は落選する可能性が高いですね。 ◆(Iさん)公明党も厳しいですよね。 ◆(Hさん)公明党がやっていることを理解しているのは、国際政治学者ではないでしょうか。つまり現実の国際情勢から判断する立場ですね。日本が9条による平和国家ということだけではなく、憲法前文の国際協調主義に基づく国連平和維持国家でもあるという認識を持って安保法制を見るならば、その必要性を認めざるを得ないということになると思います。私は九条の意義を尊重するものではありますが、集団安保を当然とする国連加盟諸国からみると、一国平和主義とも判断されてしまう訳で、今回の安保法制は両者のバランスをよくよく考えて作られたものであると思っております。つまり専守防衛の一線を維持しつつ、国際法では集団的自衛権と言われることもあるというレベルで、国際協調の責を果たしています。ここが肝ですね。安倍首相以下自民党議員はそこがよく分かっていない。野党やマスコミもわかっていない。これは私が言うのではなく佐藤優氏の見解です。 ◆(Iさん)中立という立場もありますよね。一国でもいいんじゃないですか。日本国憲法がそういう性格をもって生まれたわけですから。それを世界に広げていく使命を持っている数少ない国だと理解しています。広宣流布もそのためでしょう? ◆(Hさん)それが理想ですね。ただ歴史を繙くと、ベルギーが苦い経験をしています。「ベルギーは、かつて中立を掲げ、そしてドイツの、周辺国の善意のみを信じ、外交だけに頼って、軍事力に頼らず外交だけに頼ってみずからの平和を維持しようとしました。ところが、二度の世界大戦で、どちらもベルギーは真っ先にドイツの侵略を受けたわけです。したがって、戦後に最初にできた集団防衛、集団的自衛権の組織であるブリュッセル条約をつくった中心的な国はベルギーです。この二度の反省から、中立や他国の善意だけでは自分の安全は守れない、したがって、ベルギーは、集団的自衛権を用いたブリュッセル条約の創設、さらにはNATOの創設で中心的な役割を果たした」(細谷雄一)といわれております。こうした現実をふまえて考えると、非軍事の中立は共産党さえも言えません。志位委員長は、つい最近外国特派員の会見で、他国に責められたときは自衛隊を出動させると断言しました。丸腰でなおかつ日米安保もいらないことにしたらどうでしょう。日本国民は納得するでしょうか。今述べていることは政治外交上のことです。池田・キッシンジャー対談に以下のようなやりとりがあります。(池田)「核戦争の破局的な性格からすれば、米ソ共存の道を探ることが先ず肝要です。」(キッシンジャー)「実質的に核戦争を危険を減少させる解決策を見いだすことが大きな課題なのです。核戦争に反対を唱える人はいても、反対の気持ちだけは激しいが、それを実現する実際的な手段を持たない人が多すぎるのです」。卓抜した実務的外交力を発揮したキッシンジャーの胸の内がわかります。 ◆(Iさん) 私は、非武装を言っているのではありません。歴史を見れば平和条約が最終的に力がないのもわかっています。が、あえて対立を増す道を選ぶ必要はないと思います。 今は政治的イデオロギーの対立の時代ではないと思います。 中国にしても、政治体制が共産党の独裁というだけで、経済体制はほとんど資本主義ですから。中国国民も本来の共産主義は、ほとんどの人が知らないのでは。 資本主義の行き着くところは帝国主義ですが、今それをやれるのは、アメリカ、ロシア、中国でしょう。そんな中にあって、日本もまた過去の道を歩みなおすことはないと思います。日本国憲法が理想主義といわれる方もいらっしゃいますが、その実現の先頭に立つべきが仏法者ではないでしょうか。 ◆(Hさん)そうですね。そのためにもキッシンジャーの言う「それを実現する実際的な手段」が重要ではないでしょうか。つまりロードマップであり、平和戦略構想です。どのように行うかです。ここでは歴史が重要です。人類が戦争によって得た教訓や智慧を学ぶことでしょう。「対話」の重要性は論を待ちませんが、問題は、誰がどのような構想を持ってやるかです。しかも相手がいます。話すにたる材料を持たなければ、会ってもらえるはずがありません。 ◆(Iさん)先生がお元気で、外遊をされるといいのですが、落としも落としですからね。 ◆(Kさん)横やりですが、仏教徒のひとりとして、はっきり言わせてもらいます。 やり取り、全部見させていただきました。 お金が絡むから、悩ましい問題になるんです。仏法で考えれば、『世法』になり、マトモな答えが出ます。 政治家に関しても、供託金とか、代わる人材を出せないようにしているのが、日本の仕組みじゃないですか。 仕方ないからと言いながら、公明党支持者がそろいもそろって、自民党に入れるから、こうなったんじゃないですか! 創価学会の人口規模があれば、それを右傾化させれば、日本全体の右傾化を促すことになるんです。 こんな危険なことはありません。 憲法9条が日本のブランドで、個性を発揮して、困ったときには、個別的自衛権を発揮すればいいでしょう。 この件に関しては、ご自分で探せば、沢山の情報が出て来ると思いますが、こちらが一番いいかと思います。 【あかりちゃん】ヒゲの隊長に教えてあげてみた https://www.youtube.com/watch?v=L9WjGyo9AU8 教えて!ヒゲの隊長 (元となった自民党が作った動画)... https://www.youtube.com/watch?v=0YzSHNlSs9g ◆(松森)Kさん、横槍大歓迎です。あかりちゃんに教えられました。あかりちゃんに限らず、若い人たちと語り合えれば多くを学べると思うのですが ◆(Kさん)東京では、若い方々が、金曜日の国会前で頑張ってますよ。余裕がある時は、官邸前の原発反対の後で、声を上げております。 ◆(松森)若い人たちの集会とデモがどんなものか知りたくて、先日京都の集会に参加し入れてもらいました。いやあー、私たちのシュプレヒコールと違ってラップ調でつづきます。いつの間にか私のからだも自然にリズムを刻んでいました。歩道の人たちも手拍子で答えたり。ますます語り合いたいと思いました。 ◆(Hさん)Kさん ご意見ありがとうございます。私の持論はすべてご覧になったということですから、立ち位置の違いということしか申し上げられないと思います。私は今回の安保法制反対のうねりの中から、自民党を乗り越える力を持った人材群が登場することを願っております。すべては人材が現れるかどうかです。自民党を巨大政党にしてしまったのは、民主党の大失敗に有権者が懲りたということも一因かと思います。いくらなんでも公明党の支援だけで当選することはできません。それにすべての会員が上の支持だけで投票することなんてないです。気に入らなければいれません。そう思っている会員が増えています。沖縄の選挙が象徴しています。つまり対立候補がいないということに尽きるのではないでしょうか。また、政治は最後は合意です。合意できなければなにもできない。東京世田谷区の保坂区長にしても、公明党による調整がなければ議会運営は厳しいのです。彼の実績と言われるものの実態を調べれば分かると思います。安保法制に反対の次に求められるのは、それに変わる安全保障論です。それをもってアメリカを説得しなければなりません。それが出来る人材が必要です。安保法制が通れば自公は逆風に立たされることでしょう。来年は参議院選挙があります。そこが勝負ではないでしょうか。期待しています。そこでまた議論が出来ると思います。 ◆(Iさん)立ち位置ですか、そうですね。 ◆(Hさん)Kさん ご意見ありがとうございます。私の持論はすべてご覧になったということですから、立ち位置の違いということしか申し上げられないと思います。私は今回の安保法制反対のうねりの中から、自民党を乗り越える力を持った人材群が登場することを願っております。すべては人材が現れるかどうかです。自民党を巨大政党にしてしまったのは、民主党の大失敗に有権者が懲りたということも一因かと思います。いくらなんでも公明党の支援だけで当選することはできません。それにすべての会員が上の支持だけで投票することなんてないです。気に入らなければいれません。そう思っている会員が増えています。沖縄の選挙が象徴しています。つまり対立候補がいないということに尽きるのではないでしょうか。また、政治は最後は合意です。合意できなければなにもできない。東京世田谷区の保坂区長にしても、公明党による調整がなければ議会運営は厳しいのです。彼の実績と言われるものの実態を調べれば分かると思います。安保法制に反対の次に求められるのは、それに変わる安全保障論です。それをもってアメリカを説得しなければなりません。それが出来る人材が必要です。安保法制が通れば自公は逆風に立たされることでしょう。来年は参議院選挙があります。そこが勝負ではないでしょうか。期待しています。そこでまた議論が出来ると思います。 ◆(Hさん)松森さん 改めて投稿された文を読み返したのですが、ちょっと気になるところがあったので教えてください。「創価学会員の人たちが、安保法案を合憲だと言い張ったり、自衛隊が海外で武器を使用し殺し・殺される事態を受け入れることなど、思想の問題だけではなく、信仰上の問題としてもそれを良しとすることはありえないだろう」の中の「自衛隊が海外で武器を使用し殺し殺される事態」というのは閣議決定あるいは安保法制のどの部分を指しているのでしょうか。海外での武力行使はあり得ないと思うのですが。 ◆(松森)Hさんのおっしゃる意味を理解しかねています。海外で自衛隊が「殺し・殺される」事態はあり得ないでしょうか?もし「ありえない」のであれば、軍事用船舶を使い兵器を準備し武器を携行する必要はありません。なぜそうならないのでしょうか ◆(Hさん)その「海外で軍事用船舶を使い兵器を準備し武器を携行する」というのは、どの法案に書かれていますか? 後方支援であれば、重要影響事態法と国際平和支援法ですが、重要影響事態法は日米安保条約の範囲内での米軍への後方支援であり、国際平和支援法は国連決議と例外なき国会の事前承認を必要とします。いずれも武力行使や他国の武力行使との一体化は許されません。そのため、戦闘行為が行われている場所での支援はできません。これに加えて、自衛隊の海外派遣の3原則があり、国連決議、例外なき国会の事前承認、基本計画での安全性のチェックを行います。PKO法が改正されたところは、防護を必要とする住民を守り、特定地域の巡回です。この際武器使用と認めますが、正当防衛と緊急避難時以外はできません。また従来通りの参加5原則も有効です。私の知る限り、戦闘的武力行使に繋がるようなことは出来ないようになっています。正当防衛の範囲でしか使えません。松森さんはPKOは許容範囲ですか。それとも違憲ですか。もし違憲だとすると、日本の国連平和維持活動はストップすることになると思います。いかがでしょうか。 ◆(松森)Hさん、国会論戦の真似事をFB上でやる気にはなりません。あすにでも与党による強行採決が行われようとしているときに、Hさんは法案の文言を取り上げて、それのどこに書かれてあるか否か、その語句をどう解釈するかを、議論しようと言われる。もう3回も4回もぐるぐると論議したことであり、私はとてもその気にはなれません。Hさんは当然、衆議院の(「強行採決」とは思われないのかも)採決を歓迎されるのでしょうが、私は戦争法案を絶対に許せない、独裁である、世論無視、国民の意見の圧殺、言論の弾圧・・・であると反対します。自民党はもちろんのこと、公明党に対しても大きな怒りを持つことになるでしょう。これはもう、Hさんが好んで使われる言葉でいえば、「立ち位置のちがい」ということになるでしょうか。 ◆(Hさん)松森さん、私はたとえ強行採決で法案が可決されたとしても、この法案、特に武力行使はそう簡単に実行することはできないと考えております。閣議決定をみれば明瞭です。武力行使は個別的自衛権以外は使えません。しかも例外なき国会での承認が付き纏っています。これ以上するなら憲法改正ですよ、という限界点ですから、見方によっては危なくみえるでしょうが、現憲法で行える最大枠が閣議決定です。ここを原点にしていけば、憲法から逸脱することは無いと思っております。立ち位置が違いますから、そうは思えないと言われたらそれまでですが、公明党もそれなりに(つまり有名無実にするために)そうとう智慧を絞ったのです。 ◆(松森)ということにHさんはなってしまうのでしょうね。 ◆(Hさん)そういうことになりますね。私が考える際には、憲法と同時に国際政治学関係の人や、佐藤優氏の意見を参考にしているので、立ち位置が違ってしまうのでしょうね。 |