障害者の普通高校受験について 2014年9月5日・6日
◆(松森)“知的障害者を普通高校へ北河内連絡会”の学習会。
障害児が小・中学校を地域の普通学校に通うことが、ようやく、「普通のこと」になってきました。といっても都道府県や自治体によってまだまだ違いがあるようですが。
当然中学卒業後は、「みんなといっしょに高校へ行きたい」という声が生まれてきます。高校は障害があるから受験してはいけないとは、さすがに言わないのですが、「どうぞ受験してください、ただし合格できる点数をとってください」といいます。特に知的障害者にとっては、点数をとれないのが障害なのですから、それでは「障害を理由に入学を拒否されている」ことになってしまいます。また、「みんなといっしょに高校生活を送りたい」という障害者の願いに対して「合理的配慮を怠ること」にもなってしまいます。
大阪府は2006年度から「知的障がい生徒自立支援コース」を発足させ、現在11校(各校3名の入学枠)につくられています。(※また、籍は高等支援学校に置きながら普通高校へ通う「共生推進教室」の制度もあります。8校、各校3名ずつ)
毎年33人の合格を多いとみるのか少ないとみるのか...、難しいところです。実際、昨年度の後期全日制高校平均倍率1.23倍に対して、自立支援コースでは5倍を超えるところもあり、障害者にとって狭き門になっています。下手をすれば障害者同士の「受験競争」も生みかねません。せめて他の高校と同じ程度になるように要望しているところです。また、受験上の配慮(付き添いや、別室受験、文字の拡大、時間延長、代読、代筆…など、一人ひとりにあわせた配慮事項を、府教委や中学高校と話し合って作ります)を受けながら、一般校を受験する障害者も多くあります。大阪では2004年以後は、「定員割れ」の場合は「定員内不合格はださない」ようになっています。
13年前、小さな部屋に7・8人が集まって中学卒業後の話をしていたとき、「この子の進路は(当時の)養護学校一つだけではないのですね」と洩らした一人の母親の言葉からはじまった私たちの会ですが、現在では北河内の各市から障害生徒や保護者、教員、支援者が集まり、毎回の学習会には70人ほどが集まるようになりました。障害者の高校入学を求める声がますます広がっていることを実感しています。今年も北河内連絡会の参加者だけでも、10人が受験します。
第11回学習会を開催します。府教委の担当課も招いて、制度の説明と質疑の時間もあります。
▼9月13日(土) 午後1時30分〜4時30分
▼枚方市総合福祉会館 ラポールひらかた3F研修室
072-845-1602
▼参加費無料
◇(Oさん)素朴な疑問として、それぞれの高等学校に支援教育のエキスパートがいるのでしょうか。カリキュラムはそれぞれの課程等によって違いはありますが、各教科科目に支援教育を理解され、障碍特性が周知されていたり、学ぼうと意欲のある教員が大阪府では整っているのでしょうか?支援校へ進むか、普通校へ進むかでその後のキャリアが変わっていくのが現実かと思われますが、私は知人に相談されたときに、どんな先生がいらっしゃるかを確認してからの方がよいのではないか。また、公立の場合は、異動による転勤があるのでそのことも伝えています。現実として当たり外れがあると私も思いましたし、そのように言われることもあります。松森さん、どうなんでしょう? 理想は仰るとおりだと思うのですが、現状を見ると理想につなげるためにどうぞとは勧められないところがあります。教えてください。
◆(松森)Oさん、私が言っているのは理想ではなく紛れもない現実なのです。「高校へ行きたい」と願う障害生徒に対して、高校側や周りの教師が「支援教育のエキスパートがいない、障碍特性が周知されていない、学ぼうと意欲のある教員が整っていないから、別の高校を選びなさい。あるいは、支援学校を選びなさい」と言えるのでしょうか。選ぶのは本人です。教師が「選んであげる」のではありません。Oさんの勤務されている自治体では、教師が障害者の進路を選ぶことになっているのでしょうか。
実際に教師の個人のちがいはあるでしょう。専門的知識の多い人もあれば、少ない人もあります。しかし必ずしも前者がすばらしい教育活動を生み出し、後者はそうではないということにならないことは、誰しもが経験上知っていることです。むしろ専門的知識を振りかざさない教師が、障害者と向き合い、本人や保護者との信頼関係を築きながら、共に学習に取り組み、教育的成果を生み出している姿を私はたくさん知っています。
また、学習とは教師だけが「教える」ものではありません、友だちもいっしょに学び合うものです。障害者は学習できない、学び合えないなどと、誰が言えるのでしょうか。Oさんは「教師の力量」のことしか言われていません。教師のことしか課題にならない学校など、全く非現実的な世界です。様々な個性や、家庭環境や、個人史や、ものの見方・考え方のちがった子どもたちと教師たちが集まり、地域とつながっているのが学校です。
ところで、障害者に対して専門性など、教師の力量が整わないと言われますが、はたして他の高校をみたときに、いったいどこまで一人ひとりの生徒たちに十分に対応できる「エキスパートや、特性や、意欲」のある教師が整っていると言えるのでしょうか。その場合には、受験生や保護者に、だから行くのをやめなさいとは、きっと言われないのでしょう。なぜ障害者に対してはそう言われるのでしょうか。
◇(Kさん) 松森先生、ご無沙汰してます(^^)
中度の障害を持つ子の親として、心強い話です。
また、先生とゆっくりお話聞きたいです。
シェアさせていただきます(^^)
◆(松森)一風変わった?魅力的なPTA会長の活躍を、FBを通して見せていただいています。ゆっくりのんびりと話しましょうね。
◇(Nさん)大阪のとりくみを全国の仲間に少しでも知ってもらうためにシェアしました。
◆(松森)ありがとうございます。
◇(Oさん)松森さん、私も現実的なことで、自身が発達障碍の生徒への指導に役立つようにしっかり研修を受けてきて、普通高校で定型発達・非定型発達の生徒とともに学校生活を送ってきましたが、知的に普通校と支援校で迷っていた生徒について、専門学校という進路を選んで卒業していったのですが、正直、それで彼が幸せに近づける進路指導(キャリア指導)ができたのだろうか?と。現在は支援校に勤めています。知り合いから普通校と支援校とどちらへ行くことがいいだろうとアドバイスを求められることは多々あります。即答出来ることはありません。行きたいから行けばいいというのは、無責任とは言いませんが、沢山の困難があるように私には見えます。過去の事例からも。だから、「みんなと一緒に高校へ行きたい!」という気持ちもよく分かりますし、それでバリヤフリーの学校環境を作って行かなければならないことも重々承知しています。自分は学校や委員会へ直接物を言い、改善に努めてきたのですが、だからこそ、現実として難しい選択だと思うのです。京都も一部の高校だけでなく多くの高校で受け入れている現状はありますが、その子たちが主体的に取り組める環境にしていかなければならないという課題が多く残っています。生徒と一緒に作って行く学校は公立ではなかなか難しいという経験をしていますので、松村さんのお考えに驚きと尊敬を込めて「理想」ととらえました。言葉足らずのところがあると思いますが、どうぞお許しください。一度しかない高校時代を「楽しく、生き生き」と過ごせる学校選びの中に支援校も、普通校もあればよいと思っております。
◆(松森)Oさん、「一度しかない高校時代を「楽しく、生き生き」と過ごせる学校選びの中に支援校も、普通校もあればよいと思っております。」その通りだと思います。支援学校に行きたい人はそれを選ぶ、普通高校へ行きたい人は普通高校を選べばよいのです。しかしそれができないのが現状です。しかも障害があるからできないのです。
私は、目の前の進路についてどれだけの選択肢があるかが、「その人の自由度」を測る大きな尺度だと思っています。15歳の人が、自分の得意な専門学校に行きたい、工芸高校を選びたい、大学に向けた進路を開きたい、あるいは高校には行かずに農業をしたい、漁師の修業をしたい、陶器をつくるために弟子入りしたい・・・など、自分の夢や希望を実現するための進路の選択肢です。そういう意味では、障害者に限らず、日本の子どもたちの選択肢、つまり自由度は本当に限られたものでしかないとつくづく感じます。「キャリア教育」の貧困でもあります。
そして障害者の選択肢はさらに狭いのです。最初に書いた、(府教委が自立支援コースの調査研究校をつくるという情報に接した)お母さんが「この子の進路は一つではないんですね」と、感慨を込めて言われたのはそのことです。「支援学校しかないと思っていたのが、別の高校へ行けるのかもしれない」、たったそれだけの情報に、お母さんの願いと希望は一挙に広がったのです。
どうして障害があれば進路の選択肢がなくなってしまうのでしょうか。つまり自由を奪われてしまうのでしょうか。私はこれはおかしいと思っています。だから障害があってもなくても、高校へ行って学びたい、友達と青春したいと希望する人が誰でも入学できるような高校になるよう、微力でも取り組んでいきたいと考えています。
◇(Oさん)そうですね。自由に選べると言うこと、それが主体的に意味をある程度知って選べることが大切だと思います。親の思い込みや何かのムーブメントの勢いに押されてというのは、結果、幸せに繋がればいいとは思うのですが、そこで私は本当にこれでよかったのだろうかと悩んでしまうのです。保護者の障碍受容は並大抵のものではないということを見聞きしてきたから、慎重に考え、環境を整えたいと思う気持ちが少し松森さんから見て消極的に見えたのかと思いました。「教育に絶対正解と言うことはない、常に自省せよ」と恩師からいただいた言葉が頭にあります。
◆(松森)Oさん、貴重なご意見ありがとうございました。
◇(Oさん)文書は難しい者で、気分を害されるようなことがありましたら、本意ではありません。お許しください。学習会の盛会をお祈りしております。
◆(松森)ありがとうございます。