
しんぺいくん
『餓鬼者 がきもん〜共に学び、共に生きる子どもたち』生活書院 2012年刊より転載
「しんぺいくん」と声に出してみる。からだの中を心地よい響きが駆け抜けるから不思議だ。あったかで、笑いに満ちていて、そしてしたたかな何か。「しんぺいくん」、固有名詞だけではない、1年3組のだれもが共有する命の輝きのようなもの。1年間の歩みの中で耕し、培ってきた土のぬくもりのようなもの。一朝一夕に生まれたのではないとも思えるし、しんぺいがクラスに入ったその日から瞬く間に生まれていたようにも思われる。
しんぺいは友達が好きで好きでたまらない。友達がいるから、立ち上がろうとする、文章をつづろうとする、声を届けようとする、全身をくねらせながら。
「しんぺいのオシッコかけられてしもた」、友だちが弾む声で報告する。教室に笑いが渦巻く。抱きかかえられてトイレからもどってきたしんぺいが、柔らかな下をぺろりと伸ばして唇をなめ、快活な笑いを大声で笑う。
しかめっ面をして考える話ではない、「しんぺいくん」と一声かければ始まる物語なのだ、と思う。
◇
今から「ちょっぴり長いお話」をします。お話をしてくれるのは、1年3組の子ども達。子ども達のお話はとってもおもしろいので、飽きさせることはないと思うのですが、でも長いものを読み続けると言うことは疲れるものです。でも、ぜひ最後まで読み通してほしいのです。きっと一人ひとりの子ども達の顔や、姿や、あるいはものの見方・考え方までが頭に浮かび、やがてはっきりと見えてくるにちがいないと思うのです。
このお話は、子ども達が2学期の3ヶ月間かけて取り組んだ「学習の記録」を中心に進めていくつもりにしています。「学習」というと、もうその言葉だけで堅苦しくって、味気のない世界を想像してしまうようですが、とんでもありません。子ども達は3ヶ月間生き生きと書いたり、話したり、考えたり、行動したりと、楽しくってしようがないという風に取り組んでいました。
何せ、大好きなお菓子があったり、遊ぶことがすばらしいことだと先生にほめられたり、お父さんやお母さんとの話がいっぱい生まれたり、時には悩んだり、ケンカが起こったり、目じりに涙がにじむような悲しい思いをしたりと、まあ色んなことを経験したのですから楽しくないわけがありません。
こう書いてくると、「なんやなんや、いったい何があったというんや」と皆さん思われるでしょ?興味を持ったらしめたものです。きっとこの「ちょっぴり長いお話」を最後まで読み通していただけるものと思います。
入学
入学式を前にして、初めて1年生を担当することになった松森センセは、もうワクワク・ドキドキの連続でした。さて1年生の子ども達と、どんな遊びをしようか、どんなおもしろい学習を作ろうかと、夜もなかなか寝付かれないくらい、あんなこともこんなこともしてみようと考えていたのです。
そして、一緒に1年生を担任する二人の先生達と、入学式の後の「学級開き」に持てる全ての力と知恵を注ぎ込み、工夫を凝らして、5分間の集中を生み出そうと打ち合わせをしました。
さて入学式当日の朝、松森センセは同じく入学式を迎える息子の「だめ、これは持っていっちゃだめ」と泣き出さんばかりに訴えて抱きしめる両手から、ミッキーマウスの指人形を引っつかむように奪い取って家を出たのです。
「これはねぇ、魔法の風呂敷なんだ。何が入っているかわかるかなぁ」、教室に居並ぶ1年生の子ども達と保護者の前で熱演を始めました。一斉にギラギラした視線が向けられます。「ああだ、こうだ」とかまびすしい声が飛び交います。「じゃあ投げてみるよ」、ポーンポーンと、軽々と何度も投げ上げます。子ども達の頭も一緒に上下に動きます。「ワカッタァ、○○や」いろんな声が上がります。
「触ってみてごらん」と差し出すと、われもわれもと集まってきます。「ハイハイハイハイハイ・・・」教室中に手が上がります。「じゃあねぇ、少しだけ見せてあげる」と、風呂敷の隅をいかにもけち臭そうにつまみながらほんのちょっぴり黄色い足を覗かせました。「ミッキーや」「ミッキーマウスや」、もうからだを乗り出した子ども達が大声で叫びます。その瞬間を捉えて(このタイミングがむずかしいのです)、オルガンの下に隠した風呂敷から、さっとばかりに手にはめたミッキーを取り出し、恥ずかしさをかなぐり捨てて、腹話術よろしくミッキーの声色で語りかえるのです。
「僕ミッキーマウス」(だれもミッキーの声を聞いたことがないのを幸いに)、「松森センセの友達なんだ。松森センセやさしいと思う人」(圧倒的に手が上がります。)「でもね、怒るときがあるんだ。それはみんなが約束を破ったとき。・・・そこで今日1つだけ約束しようよ。『友だちの声や、先生の声を聞く』ということ。約束できるかな」。どの顔も皆うなずきながら、「ハアーイ!」と気持ちよい返事を返してくれました。
最初の出会いの場で、全員の声が聞けたし、5分どころか20分以上の間子ども達の興味津々の目を釘付けにできたのです。もう松森センセは軽快にステップを踏みながら、からだを躍らせて職員室に戻って行きました。
翌日からは、話に聞き入る子ども達の輝く目と向かい合い、楽しい学校生活と授業を展開するはずだったのです。ところが「いのちのかたまり」とも見える40人の子ども達の現実の姿は、二日目にして松森センセの構想を微塵に打ち砕くことになりました。
センセの言葉が届かない、入らない、子どもの言葉、行動が理解できない。「チャイムがなったら着席する」という、当たり前に思えていたことがいかに偉大な(或いは過酷な)実践の結果であるかを、驚きを持って認めざるを得ない有様でした。七転八倒の毎日が続くことになったのです。
みんなの中へ
毎日毎日元気のはちきれている子ども達だったのですが、そのなかにしんぺいくんの姿を見るのは数えるくらいしかありません。しんぺいくんは、入学してから1学期の間、1週間に3時間だけ「すぎのこ学級」(障害児学級)の先生と一緒に1年3組の教室にやってきました。
実はしんぺいくんは、お父さんの転勤で横浜から転居してきたところだったのです。家を決めるに当たって、お母さんは大阪府の教育委員会に「障害児教育の進んでいるところを教えてもらえませんか」とたずねて、そして「進んだ学校」として寝屋川市の小学校を紹介されたのでした。「進んだ学校」は、市内の肢体不自由のセンター校になっていて、その時15人の子ども達が在籍、そのほとんどは校区外からバス通学をしていました。教諭5人、市の介助員4人の9人の教職員で担当していました。だから「すぎのこ学級」の勉強は2時間目から始まるのです。
しんぺいくんのお父さんとお母さんは、「校区に住んでいるのだから、朝はみんなといっしょに集団登校させたいし、3組の友達といっしょに勉強させたい」という強い希望を持っていました。決して簡単な話し合いではなかったし、時間も掛かったのですが、お父さん、お母さん、校長先生、教頭先生、すぎの子学級の先生と松森センセとが話し合い、2学期からは毎日集団登校して教室に入り、1時間目の授業を3組のみんなといっしょに取り組めるようになりました。お母さんも毎日、朝の会は一緒に参加します。
その頃、3組の子ども達は入れ替わり立ち代わり、毎日の放課後、時には土曜・日曜も、しんぺいくんの家に押し寄せるかのように遊びに行くようになっていました。中にはお菓子が目当てだった時もあったかもしれません。しんぺいくんの家を待ち合わせ場所に使った不届き者もあったようです。でも、こうしたしたたかさと楽しみが、ほとんど1日も欠かさず毎日毎日大勢の子ども達がしんぺいくんと遊び続けることができた秘訣だったのかもしれません。第一、しんぺいくんは大喜びだったのですから。
そのときの様子は、おかざきさんのつづり方に詳しく読むことができます。
◇
しんぺいくんは、とってもおもしろいです。わたしは、しんぺいくんといろんなことをしてあそびます。でもときどきいたずらもします。しんぺいくんは、とってもおもしろいことばをいいます。だからいつもしんぺいくんのことばをおもいだすと、いつもわらいます。でもあめのひは、とってもつまらない。だってしんぺいくんとあそべないから。はれのひは、いいのになあーとためいきをつきます。はれのひになると、しんぺいくんのいえにすぐいきます。しんぺいくんのいえには、にはりさんやいしまつさんがいるからとってもたのしいです。
友だちのことをつづる
入学した子ども達は、ひらがなの「あ・い・う・え・お」から勉強を始めます。習いたてのピカピカの一つ一つの文字をつなげていくと、ことばが生まれ、そのことばを又つなげていくとお話をつくることだってできてしまいます。すばらしい発見をした子ども達は、毎日ことば作りや、短い文を書くことに取り組んでいました。2学期になってからは、「もう少しくわしく書こう」と、文をつなぐ、つづることに挑戦していきました。
一方松森センセはというと、授業中にプイと教室を飛び出して、上靴を脱ぎ捨てた裸足をバタバタ廊下にたたきつけながら膝小僧を抱きかかえるとしや君の前に座り込んでお話ししたり、給食時間ひっくり返して割れてしまった牛乳瓶を後片付けしたり、いつまでたっても終わらぬ掃除場所を走り回って一緒にぞうきんがけをしたりと、相も変らぬ毎日を送っていたのです。
そんな松森センセにも一つだけ楽しい時間があったのです。学校での1日が終わり、子ども達の書いたつづり方をかばんに詰めて家に持ち帰り、夜ゆっくりと1枚1枚読むのです。「ああ、○○さんは△△さんと喧嘩したからあんなぶっきらぼうな顔をしていたのか」「へェー、○○君は今日こんな優しいことばを△△さんにかけていたのか」「なるほど、お家でこんな出来事があったのか」・・・、つづり方を読みながら、百面相のように変わる子ども達の顔が目の前に浮かびます。一人一人の心の奥にドクドクと鼓動する優しさやたくましさを思い描くのでした。つづり方が松森センセと子ども達をつなぐ細い細い1本の赤い糸だったのかもしれません。
子ども達が書くつづり方にはいつも友だちが登場します。友だちが登場してくるつづり方は、どれもみんな生き生きしています。例え、友だちと喧嘩したことを書いても、思いつく限りの悪口を並べ立てても、原稿用紙に書いた字の裏側や隙間からフワーリ、フンワリと優しさのにおいが立ち上ってくるのですから不思議です。しんぺいくんが登場するつづり方も生まれます。ゆきさんが書きました。
◇
しんぺいくんは、あさくるときみんながいっぱいくる。「しんぺいくん」とか、「しんちゃん」といって、しんぺいくんのまわりにあつまってくる。あっというまに、いっぱいあつまってくる。男の子も、女の子もいっぱいくる。ときどき「おーいしんぺいくんがきたぞー」と男の子がさけぶ。すると、きょうしつにいる子がおおぜいくる。だから、しんぺいくんはにんきものみたいなものだから、しんぺいくんは、みんなにいっぱいあそんでくれるのとおもった。しんぺいくんはほんとうにあかるいとおもった。(つづく)
りょう君
一つしんぺいくんを通して「友だちを知る、友だちとの関わりを考える」ことをテーマにした授業を作ってみたいという考えが松森センセの頭の中に浮かんできました。そこで、「しんぺいくんのことを知らない人が読んでも、どんな友だちなのか分かるように書こう」と声を掛け、一人ひとりが『しんぺいくん』の題でつづり方を書くことから始めることにしました。
その時にりょう君が書いた文章です。しんぺいくんの様子がよく分かるし、りょう君がしんぺいくんのことをどのように見ているのかということも、とっても素直に書かれていて、しっかりと伝わってきます。
◇
しんぺいくんは、はなみずがたれていた。ひるひるたれています。まるでみみずのようだった。口までたれてたよ。
そしてしんぺいくんがしょうがっこうにきたら、もりくんがしんぺいくんとあそんでいた。おもしろそうにあそんでたよ。しんぺいくんとにしざきさんが、しんぺいくんとあそんでなにかはなしていた。またさとうくんがしんぺいくんとあそんでいた。しんぺいくんがわらっていた。いっぱいともだちできるといいね。
満足がいったのでしょうか、真っ白な歯をニィッとこぼして出来上がったつづり方を持ってきたりょう君に、松森センセはまだ注文をつけました。本当にしつこいセンセです。「そんなしんぺいくんのことを、きみはどう思ってるのかな」。りょう君は又原稿用紙とにらめっこし、そして一生懸命書き始めました。
◇
しんぺいくんは、くるまいすにのって、足がうごけないから、ぼくは「しんぺいくんよりよかったな」とおもった。しんぺいくんが足がうごけないから、手のきのうもはったつしていないから、手がつかわれない。かわいそうだなとおもった。ぼくは、しんぺいくんよりましだなとおもった。ほんとうにかわいそうだなとおもったよ。ぼくはよかったなとおもった。
このようにして一人一人のつづり方『しんぺいくん』が出来上がって行きました。
朗読会
一人ひとりが書いた『しんぺいくん』の朗読会を開くことにしました。みんな40回も50回も、否それ以上家や朝の会で練習して、みんなの前に立って、大きな声でゆっくりと朗読するのです。一人ひとりがそれぞれちがったしんぺいくんの見方、関わり方、考え方を披露してくれるので、聞く方にとっても教科書の朗読を聞くのとはちがった興味や面白さが湧いてきます。
友だちの朗読を聞いて感想や意見も出てきます。時には、なかなか手厳しい批判が生まれることもあるのです。
あるとき、りょう君が朗読に立ちました。いつものはにかんだ笑いはありません。何しろ頭のてっぺんから爪先まで友だちに見つめられる中で読むのです、心臓がドッキドッキと音を立てて脈打つのが伝わってくるくらい真っ赤な顔をして、それでも教室中に届く大きな声で読み続けました。
読み終わっていかにもホッとした表情をこぼしながら席に着くりょう君の背中に、「そんなん言うたらしんぺいくんかわいそうやわ」と声が飛んだのです。あちこちから威勢よく手が上がります。松森センセは、りょう君のつづり方から「しんぺいくんは、かわいそう。ぼくはしんぺいくんよりましだな、とおもった。」という言葉をゆっくり黒板に書きました。
授業が生まれる
意見の中でも急先鋒を担ったのがけんいち君とよしゆき君でした。これは意外でした。二人ともが、これまでしんぺいくんと直接関わりあっている姿がほとんど見受けられなかったからです。よしゆき君はつづり方で、「しんぺいくんは、じゅぎょうちゅう大きなこえをだすのでめいわくです。」と書きました。お母さんはその言葉が気に掛かったらしく何度か話し合われたようなんですが、よしゆき君は頑として譲らなかったそうです。本当にそう思っているからなんですね。1年生であっても、自分の書いたことに責任を通す、その姿に潔さを感じたものでした。
りょう君に向かって、けんいち君は「これはしんぺいくんが泣くようなことだから、あかん」と発言し、よしゆき君は「しんぺいくんを苦しめる言葉だ」、「もしりょう君がしんぺいくんだったら、言われたらどう思いますか」と追及します。「イヤだ」とりょう君が答えると、「それだったら、しんぺいくんもおんなじだと思う」と追及の手を緩めません。そんな姿を見ていると、けんいち君もよしゆき君もこれまでの朗読会や授業の中で自分の考え方の大きな部分が揺さぶられてきたんだろうなと思えるのです。
りょう君は、朝しんぺいくんが教室にやって来ても、しんぺいくんのほっぺたをつついたり、手を握ったり、お話をしたりということはしなかったのです。大勢の友達がしんぺいくんを取り囲んで賑やかに遊んでいるときも、その輪の外から眺めていました。りょう君の家が遠かったということもあったのでしょうが、しんぺいくんの家に遊びに行くこともありませんでした。
それまでりょう君は、自分の考えを声に出して友達に向かって発言するのが苦手だと、自分で思い込んでいるような子どもでした。ところがみんながこんなに考えて、厳しく追及するのですから大変です。次から次へと自分に向けられてくる質問や意見に、一つ一つ答えていかねばなりません。「ウーン」と唸ったり、ため息をついたり、からだをくねらせて頭を回したりしながら、ポツリポツリと言葉を発する姿からは、心の中で大きく葛藤している様子が手にとるようにうかがえます。
「ウーン、そやけどな・・・」「いややろうけどな・・・でも・・」、 懸命に言葉を捜しながら答えます。次第にりょう君の言葉にも強さが増してきて、むしろ自分から手を上げて皆に向かって発言する場面も生まれてきました。「悪いことではないと思う、本当のことを言ったり、書いたりしてるんやから。」「どうしてぼくにばっかりそんなに言うの」と、皆に問い返す場面も生まれるようになりました。
しんぺいくんが手を上げて、はっきりと届く声で発言しました、「ぼくはそんなこと、言われたくない」と。その時りょう君は、「悪いかなぁ と思う」とためらいがちに発言していました。でも授業の最後までりょう君は「自分がまちがっていた」ということは一言も言いませんでした。だってそれがりょう君の本当の気持ちだったんですから。自分の「ものの見方・考え方」を守り通すかのように主張し続けたりょう君は、立派だったなあと思えたものでした。
この授業の後しばらくしてから、りょう君はしんぺいくんの家に遊びに行くようになりました。行動を起こしたりょう君、そのりょう君を誘っていっしょに遊びに行った子ども達、それぞれ一人ひとりが授業で生まれた問題を考え、行動することによって答えようとした姿に、松森センセには思えてくるのです。発言したり、書いたりした言葉に責任を取ろうとしているかのようにも見えてくるのでした。
お母ちゃん先生登場
ひとつしんぺいくんのお母さんに、生い立ちや、現在の家での暮らしぶり、お母さんの思いを1年生全員の子ども達に語ってもらう場が作れないかと考えました。何せ120人の子ども達の前で話すのですから、プロフェッショナル(一応「教育」という仕事に携わっているということで給料をもらい、メシを食わせていただいている身なので)であるはずの松森センセ達でも、声がなかなか届かない、ましてや伝えたい思いが届かなくて歯軋りすることがしばしばの子ども達です。何の義理も義務もない「素人」のお母さんにとっては、たいへんな無理をお願いすることになってしまいます。ところが、「しんぺいはこの1年生の子ども達の中でこれからも生きていくのですから、少しでも分かってもらえるいい機会になるかもしれません。やらせてもらいます。」と、一大決心をして、それでも快く引き受けてもらえました。かくして「お母ちゃん先生登場」とあいなったわけです。
いやはや子どもというのは面白いものです。松森センセたち1年生の先生が一番心配したのは、「ちゃんと静かにして聞いてくれるやろか」ということでした。せっかく無理をお願いして来ていただいているのに、騒々しさにお母さんの声がかき消されるようなことにでもなれば、申し訳なくて目も合わせられない、そんな不安がよぎっていました。
ひょっとしたら前日夜遅くまでかかったのかもしれません、思い出しながら書き留められたのでしょう、小さな文字がぎっしりと紙面いっぱいに並ぶメモを読み返しているお母さんの表情にはいかにも緊張している様子が伺えます。横目で見るにつけ、「しっかり聞くんだよ」、しつこいくらいに繰り返す声に強さが増してきます。
いよいよお母さんの登場。と、一斉に3組の列から「おばちゃんがんばって!」「しっかりな!」と声援が上がります。思わず相好を崩してお母さんは手を上げて応えていました。雰囲気が和みます。
話が始まると水を打ったように教室は静まりました。決して大きくはないお母さんの一声一声が、子ども達にしっかり届いているのが分かります。うなずきながら聞いている者、身を乗り出すように聞く者、大きな目を見開いている者、笑いも生まれます。お話と質疑応答の1時間ほど、いつも見慣れた子ども達とは一味違った「やわらかさ」が出現した時間でもありました。
自分の友だちのお母さんの話、ましてや3組の子ども達にとっては毎朝顔を合わせ、声を交わすおばちゃんであり、毎日のように家に押しかけてはいっしょに遊ぶおばちゃんでもあります。自然に話し手に寄り添うようにして聞く姿が生まれたということなのかもしれません。
お母さんの話
さっそく「しんぺいくんのお母さんの話」の要点を巻紙に書き出しました。いつでも読み返せるように垂れ幕のごときその紙を教室の前に張り出すことにしました。
◇
○3ヶ月早く生まれた。すごく小さかったので救急車で大きな病院に運んだ。○あんまり息をしていなかった。「3日で死ぬかもしれない」と言われた。○手も足も人差し指の太さ。4ヶ月経っても、お座り、ハイハイもしない。○「脳性マヒ」と医者に言われる。脳の命令がうまく手や足に届かない。○5歳で大阪のボバース病院に一人で入院。土曜・日曜だけ家に帰る。「一人にしないで、おうちに帰る」と泣いていた。お母さんも泣いた。3月まで入院。
●4月、小学校に入学。●すぎのこ学級(養護学級)は2時間目からだけど、学校の近くに住んでいるので、お姉ちゃんや友だちと一緒に登校班で通わせたいと思った。●校長先生、教頭先生、すぎのこの先生、松森先生と話し合い、10月から毎日登校班で来れるようになった。●すぎのこの勉強も大切だけど、みんなの元気の中で育ってほしい。ケンカもしたらいいなと思う。●もっとたくましく言い返したり、やり返したり、がんばってたたかってほしいな。●トイレは自分でハイハイで行かせ、「着いたよ」と言ったら手伝う。●家で一人のときは、ビデオを見たり、おもちゃで遊んだり、お姉ちゃんと遊ぶ。●うまく遊べないけど、みんなが来てくれたら嬉しい。●大人になるまでに歩けると信じている。皆みたいにうまく歩けないかもしれないけど。●「歩けない・できない」ことでいじめられるかもしれないけれど、かばってくれる子もいるだろうし、いじめられても負けてほしくない。(部分)
歩けない、書けないのはあたりまえ
りょうくんの「しんぺいくんはかわいそう。ぼくはしんぺいくんよりましだな、とおもった。」という考え方に対して活発な話し合いが続いているとき、みつきさんとなぎささんは、「しんぺいくんは脳性マヒなんだから、歩けないし字がクニャクニャニなるのはあたりまえなんだ。それを自分はましと考えるのはまちがっている」という意見を何度も発言しました。例えばみつきさんはこんな意見をノートに書き付けています。
◇
「りょうくんのいけんについて」
わたしはりょうくんのいけんをだめとおもいます。だってしんぺいくんはすぎのこだからはなみずやよだれがでるのもあたりまえだよ。それにしんぺいくんのはなみずってみずみたいっていってるけど、ぜんぜんちがうよ。しんぺいくんよりましってなにがましなの。しんぺいくんは、すぎのこだからあしがつかえないのはあたりまえだから、じもくにゃくにゃのじなのよ。それにしんぺいくん、さいしょはおばちゃんにたたせてもらうけど、がんばってたつ。
◇
「できない」のはあたりまえなんだから、「できるようになったら」と考えないで、ありのままを認め、受け入れて、一緒にあそばなアカンのとちがうの、そう言っているように松森センセには聞こえました。
みつきさんやなぎささんの意見について話し合いが進みました。でも、二人の「考え方を考え合う」のはとてもむずかしいことです。たちまち手が上がらなくなり、どこからも声が出なくなってしまいました。そんなとき、ゆかさんが「私はバギーを押してでもいっしょに遊ぶ」と、大きな声で発言しました。続けて「大人になって歩けなくても、私はいっしょに遊ぶ」と言い切ったのはえりさんです。えりさんはしんぺいくんの着替えや、給食の世話、歯磨きなどを何の苦もなくやってのけてしまいます。
一度なんか他の女子とトイレに連れて行き、オチンチンを引っ張り出してオシッコの介助までやろうとしたこともありました。しんぺいくんと毎日、あたりまえに付き合っているからこそ、何の迷いもなく発言できたのでしょう。「歩けないし、字がクニャクニャのしんぺいくん」と自分はどう付き合っているか、一人ひとりがいわば自分としんぺいくんの関わりを表明するような形で授業が展開して行くことになりました。
みんなちがった関わり方がある
女でも男でも、誰とでもとにかく遊ぶことの大好きなちえさんは、「かわいそうなんて思ったことない」と発言します。そんな暇もないくらいにしんぺいくんとも一生懸命に遊んでいるのかもしれません。
ゆうき君はしんぺいくんと大の仲良しです。たくさんの先生たちが参観してくれた「研究授業」のときも、ただもうしんぺいくんと一緒に参加していることが嬉しい様子で、ニコニコ・ニヤニヤ始終笑顔を振りまいていました。緊張している松森センセを尻目に、鼻かぜをこじらせていたしんぺいくんに、ティッシュを取り出しては鼻にあてがい、大きな音を立てて鼻をかんでやり、居並ぶ先生達の前を3回も4回も平然と往復したものでした。「障害」があるからとか、「かわいそう」とかいった理屈とは全く無縁に、一人の友達であるしんぺいくんが好きで好きでたまらない、そんなゆうきくんです。
たつや君は、これまでつづり方の時間になると、原稿用紙を広げたまま、首をうなだれて書き出せないでいることがしばしばありました。実は1回目の『しんぺいくん』を書くときにも、「書かれへん」「何書いたらええのんかわかれへん」と、すぼめた口を更に尖んがらせるようにして訴えてきました。松森センセと話しながら、原稿用紙のマスを一字一字埋めていったのでした。ところがどうでしょう、「しんぺいくん」の授業を終えて、2回目のつづり方『しんぺいくん』に取り組んだとき、エンピツを握るや、いきなり書き始めたのです。用紙いっぱいに書き綴った後、挿絵まで描き上げて持って来ました。満足感に溢れた笑顔は今も鮮やかに蘇ってきます。しんぺいくんに寄せる思いが生まれています、おばちゃんに対する思いが生まれているのです。たつや君の心の深ぁい所で何かが動いたんでしょうね。決して小さくない何かが。
「ちょっとまってぇ、しんぺいくんと遊ぶことやったら私らも負けてへんでぇ」と威勢のいい声が跳ね返ってきそうなのが、あすかさんとちひろさんです。何せ、しんぺいくんのほっぺにキスをしてしまうくらいですから、気の入れようも半端じゃありません。
◇
あすか
・・・しんぺいくんは、じをかくときちょっとふにゃふにゃするけど、じぶんではそんなしんぺいくんもだいすきです。しんぺいくんがねているときのかおがすごくあかるいです。わたしは、しんぺいくんがはやくあしをたてられると、わたしはしんじています。
しんぺいくんのえがおがすきです。わたしはしんぺいくんのことがすきです。ちひろちゃんが、しんぺいくんのほっぺにキスをしました。しんぺいくんは、うれしいとおもいます。それははつほんこうえんでした。そこでちひろちゃんもやったし、あかりちゃんもやりました。しんぺいくんはもてもてでした。そしてかえるじかんになったから、みんなかえっていきました。
「前に出て、立って読む」
しんぺいくんはお話が好きです。お話を聞くことも、読むことも、朗読することも大好きです。『チューインガムひとつ』の詩の朗読会に取り組んだときのことでした。しんぺいくんの番になったとき、「さてどうしたものか」と思案しながら松森センセは尋ねたものでした、「自分の席で読むかい?それとも、前に机と椅子を持って出て読むかい?」と。しんぺいくんは、はっきりと「皆と同じように、前に出て、立って読む」、こともなげにそう答えました。すると、同じ班のけん君とえりさんがすぐに立ち上がり、しんぺいくんと一緒に前に出てきます。けん君が後ろからはがいじめにするように抱きかかえ、えりさんが椅子にすわって本を持つというスタイルが瞬く間に出来上がってしまいました。
朗読が始まります。教室の隅々にまで届くしっかりした声で読み続けます。再生したテープを聴いて分かったのですが、最初えりさんとけん君は、しんぺいくんにだけ聞こえるような小さな小さな声で、先行して読んでいたのです。ところが、しんぺいくんが自分で読める、読もうとしていることに気付いたのでしょう、その声がピタッと止まってしまいました。しんぺいくんが見事な朗読をやりおおせたことは言うまでもありません。大きな拍手に送られた満足そうな笑顔が印象的でした。こんなやり取りにまでドラマが生まれてしまうんですね。
『しんぺいくん』の授業の場面でも、しんぺいくんは自分が書いた『ぼくのともだち』を前に出て、友達に支えられながら立って朗読しました。
◇
ぼくのともだち
しんぺい
ぼくのともだちは、いつもあそびにきてくれます。だれもこないときは、ひとりであそびます。でっかい、あおいおめめのうるとらまんぱわーどです。
たのしいことない。ともだちがきたらたのしいのに。
ぼくは、けんくんとともだちです。つとむくんは、どっちぼおるのときに、ぼくのがんめんをあてました。ゆうきくんは、いつもぼくのことをわらかします。
いつも、そとであそんでいます。いつも、くるまいすをつかわずに、あそんでいます。それのほうがすきです。
ぼくはげんきもんです。
しんぺいくんがつづる
しんぺいくんがつづり方を書くときは、松森センセが横につき、話しながら、しんぺいくんがしゃべったことをそのままセンセが書き写す方法と、エンピツを握った手に松森センセの手を添えて、話しながら、一緒にエンピツを進めていく方法で取り組んできました。
話して、書くことが決まると、一緒にエンピツを動かします。すると、フッとしんぺいくんの力が抵抗するときがあります。又話して、又書き始めます。しんぺいくんの手の動きに合わせるようにして松森センセの手も動かします。重ねた手の中でお互いの力が行き来し、止まったり、どちらかが引っ張られるようにしながら書いて行きます。
そのようにして何枚ものつづり方を書いてきたのですが、やっぱりしんぺいくんが書いたものでありながら、本当にしんぺいくんが書きたかったものであるのかどうか、わだかまりを拭いきれずに来たのです。
3学期、『ひとりぼっちのライオン』の学習に取り組みました。1時間目は本を開けずに松森センセがお話を読みました。どの顔も熱心に聞き入っています。しんぺいくんもどっぷりと物語の世界に浸っている様子が、その豊かな表情から見て取れます。その日、家に帰ったしんぺいくんはさっそくお母さんに登場する動物達の名前も並べて、事細かにお話をして聞かせたということです。
次の日、最初の感想を書くことにしました。子ども達の間を回りながらしんぺいくんを見ると、エンピツを握り締めたまま、重たい頭をヨッコラショと持ち上げる風にして、斜め前方を見つめています。何やら喋っているかのように口を動かしながら時折目をしばたかせています。いかにも考えている姿がありありと伺えます。と、カクッと頭を落として、原稿用紙に頬をすり付けるようにしてエンピツを動かし始めたではありませんか。1字、2字、3字・・・と引っかくように書いて、又ゆっくりと頭を上げる、見つめる、口が動く、目が動く、そして落っこちるように頭を下ろして、又1字、2字、3字・・・、ゆっくりゆっくりと書き付けて行きます。何度も繰り返しながら、とうとう「書けた!」と声を上げてエンピツを置きました。全く自分だけの力で書き切った初めてのつづり方が生まれました。
さて、読めるかな?
解説トラの巻
松森センセはその夜、連れ合いさんと二人で「ああではないか、こうではないか」と、まるで謎解きゲームをしてるかのごとき賑やかさでひとしきり楽しんだものでした。「なんと不謹慎な」と眉をひそめる人もあるかもしれませんね。しかししかし、同じ頃、しんぺいくんの家でも「謎解きゲーム」が繰り広げられていたようです。きっと楽しくって、そして嬉しい一家団欒のゲームだったのではないでしょうか。翌日、お母さんの「解説トラの巻」が付いたつづり方が返されてきました。
時を同じくして、お母さんと校長、教頭、すぎのこ学級の先生、松森センセとで再び話し合いの場を持ち、3学期は毎日1時間目から終わりの会まで1年3組の教室ですごし、学習することに決まりました。
しんぺいくんはというと、毎日押しかける友達と一緒にバギーを押してもらいながら、外に遊びに出かけるようになりました。当たり前のことですが、「障害」を持っているから家にいなければならないとか、「障害」を持っている子どもは我慢しなければならないなどといった道理があろうはずがありません。毎日遊びにくる友達を迎えていたしんぺいくんは、当然のことのように、今度は「友だちの家に遊びに行きたい」と言い出しました。ついに、あかりさんの家を皮切りに、しんぺいくんのバギーを押した子ども達の集団があちらの家、こちらの家にと押しかけるようになりました。
いかがでしたか、えっ「ちょっぴり長いお話がやっと終わった」って?いえいえしんぺいくんの「長い長いお話」はこれから始まるのです。しんぺいくんがそうであるように、一人一人の子ども達がそれぞれ「自分の物語」を生きているのです。よろしければ、子ども達の物語、一緒に読み続けてみませんか・・・。
(おしまい)
トップに戻る