これまでのTopix2015年6月16日〜現在

 
222.「ついに行くことができました」
2024.9.11


2012年に心不全で緊急入院、生死の境を往き来した後は、失効したパスポートを取り直すことを思いつかぬほど海外旅行はハードルの高いものになっていました。それが高速バスで3時間余りの地にある美術館で原寸大の『ゲルニカ』と対面できたのですから、作品の真贋など私にとっては何の問題でもなく、まさに感動の瞬間でした。
 もう一つ「死ぬまでにどうしても見てみたい」と大げさな言い方で、しかし本気でことあるごとに言い続けてきたミケランジェロの『システィナ礼拝堂の壁画』まで、再現された堂内で堪能することができたのですから、もう身内が震えるくらいの体験となりました。
 
221.みーつけた!!梅一輪

 40年ほど前になります。大きな竹籠を背負い、日本手ぬぐいを姉さんかぶりに結んだおばあさんがやってきて職員室の後ろにいくつかの苗木を広げました。放課後別室での研修会を終えて職員室に戻ると、じーっと黙ったままうずくまるようにして座っています。近づいて手に持ってみると「これはよく育つよ」、ぼそっと言葉がこぼれました。
 そのときに購入した梅が毎年多くの蕾をつけ花開いて目を楽しませてくれます。もうすぐ春です。
 
220.大阪カジノ 住民投票を求める署名が法定数を超える!
5月26日今朝一番の「住民投票を求める会ニュース」メールを開けると「すがすがしい朝となりました。おはようございます!!!!!!
はい、いきなり号外です。」との文字が躍っています。続けて
「みなさんへ 住民投票署名運動の最終日、大阪府内各所でみんなが奮闘。法定数を突破し157,716筆へ!昨日から21,764筆増加!過去最高!」と。私も「やった!」とこぶしを握りました。法定数突破を伝える文章の行間から、事務局のみなさんが満面の笑みをこぼしながら互いの健闘をたたえ合う姿が浮かび上がってくるようです。朝の体操とウォーキングも心なしか軽快感が増すように感じます。
 4月30日段階で確か4万人ほどの署名数、遅々として進まぬ不安の中を、辛抱強く街頭に立ち続け、家庭を回り、チラシを配り続けた取り組みが、徐々に実を結び、最終盤に至って熱を帯び、最後の25日午後11時59分まで府内各所のステーションで署名活動が続けられました。
 私のように隣近所を回ったくらいの者ですらこんなにうれしいのですから、運動の中心を担っておられた人たちの達成感と感動はいかばかりでしょうか。メールを打つキーボードの音もさぞかし軽やかだったことでしょう。
 このデッドヒートは、あの「都構想」を否決した二度に渡る住民投票の興奮を思い出しましたが、できればこんな苦労を住民に押し付ける維新政治とは一刻も早くおさらばしたいと思います。
 都構想のときには、「必要ない」という私たち住民側の声を無視して、一度ならず二度までも住民投票条例を議決して住民投票を行った議会が、今度は住民の側が法律に基づいた請求権を獲得して求める「住民投票」に対しては、議論もしないで否決するのでしょうか。大阪府・市の議会が一体どこを向いて政治をしているのか、その正体が明かされることになるにちがいありません。住民投票を実施すれば、大阪府民・市民は間違いなく「カジノは要らない」という意思を表明することでしょう。
 「もとめる会」の事務局の方ができたてほやほやのチラシを届けてくださいました。希望をつないだ安堵感と条例制定に向けた次のステップをにらんだ決意を感じました。
 219. 戦争反対
FBに「『桜切るバカ、梅切らぬバカ』と言いますが、妻は昨年夏、憑りつかれたかのように枝を切り落としていました。」と投稿しましたが、今度は私が道具箱からのこぎりを取り出して、太い枝を切りました。それを見た妻から、「憑り『疲れた』かのようにのこぎりを挽く」と皮肉たっぷりにしっぺ返しを受けました。
 ずっしりと手ごたえのある太い枝を切り落としてみれば、わが家の庭の視界が広がり、梅の花の景色が変わって美しさが増したように思われます。もう満開を迎えます。
 一方で、「プーチンのロシア軍」がウクライナを軍事侵略して、今この時にも、ウクライナの人々の命と暮らしが奪われていることを思うと、身の置き所が無くなってしまいます。自分の日常とウクライナの現実をつなぐ「世界の認識の仕方」がないものかと考えあぐねています。とにかく今は、テレビ、新聞、ラジオ、ネットを通して流れてくる事実から耳目をそらさぬように努めているところです。
 218 映画『かば』を観て わが青春グラフィティー

映画『かば』(川本 貴弘監督)を観ました。1985年の大阪西成の中学校を舞台にしたドラマは、私の(私たちの)青春グラフィティーと重なりました。子どもを守るためなら、子どもを育てるためなら何をやってもいい、なんだってやってしまおうと、本気で思い込んでいた時代です。子どもも親も地域も巻き込んで、連日連夜熱い議論を交わしていました。時には声を荒げて怒鳴り合ったりつかみ合いになったり、会議は声の大きさを競うかのようなやりとりでした。
 子どもが学校に行きたいと目を輝かせて言うような授業をつくろうと、校内の授業研究会はもちろんのこと、帰りに立ち寄る飲み屋でも授業や教材や、子どもの生活、親の暮らしについて喧々諤々話し合ったものでした。教室の枠を超えて、学年授業に発展したり、体育館に全員が集まって学年を超えて話し合う学校授業にも取り組みました。
 いまでいう総合学習や、ちょっとおしゃれな言い方をすれば「主体的で対話的で深い学び」を少々行儀は悪いけれども日々取り組んでいたということになるのかもしれません。
 当時、そうした熱い教育実践を支えていたのが教職員組合運動と解放教育運動です。学校での実践を取り組みながら、いま取り組んでいる活動の一つひとつが「歴史」の変換点に地続きでつながっているという実感があったものです。といっても若い人たちにはその感覚は伝わらないのでしょうね。
 やがて東ヨーロッパの社会主義政権が次々と崩壊し、1989年には東西ドイツを隔てたベルリンの壁が壊されました。日本でも労働戦線の動きが活発になり、私が在職する市でも小さな組織ながら日教組を再建することになりました。世界の歴史の歯車が鈍い音を軋ませながら唸りを立てて動き出すようで、いま自分たちも小さな小さな存在ではあるけれども、その歴史を動かす歯車の末端ににつながっているのだという強い存在感を感じ興奮もしたものでした。
 30年40年前の懐かしい思い出でに浸ってしまいましたが、コロナ感染のパンデミック、世界を覆う気候変動、貧富の格差の拡大、政治、経済の危機的な不安定、政情不安と内戦の拡大、資本主義の躓き矛盾などなど、収束と安定の将来が見えない状況の中で、再びあついアツイ人間の関わりが生み出す社会運動、教育の運動が立ち上がってくるのではないかと、ふと頭をよぎります。映画『かば』がいま上映され、多くの観客を引きつけているのは、その予兆ではないかと、けっこう本気で考えています。
 217.#政治に殺される前に #声を上げよう
緊急事態宣言が発出されているにもかかわらず、コロナ感染は日々記録を塗り替えて拡大の一途をたどり、専門家からは「制御不能な状況」であり「もはや自分の身は自分で守る行動が必要」との見解が示されました。一方で、11日から降りしきる大雨は全国に甚大な被害を与え、更に降り続く予報が出されて今後危機的状況が深刻さを増す懸念が広がっています。
 国民・住民の命と財産と暮らしが奪われようとしている「このとき」に、否 時々刻々各地で暮らしが破壊され、命が亡くなっている現実を目の当たりにして、なぜ国会が開かれないのか。野党が憲法に基づき(53条)開会を要求しているにもかかわらず、憲法違反を犯してまでも菅政権が無視し続けるのはなぜなのか。
 今こそ国民・住民を守る政策に全力を注入しなければならないはずなのに、一方でパラリンピックの中止を決断することができずに、「安全、安心な大会」と、すでにオリンピックで掛け声倒れに終わった空疎な言葉を振り回して、それでも開催するというのです。
 この矛盾に満ちた政府の態度に唖然としてしまいます。もうすでに政府として正しい判断ができる機能が麻痺してしまっていると言わざるを得ません。#即刻首相は退陣すべき であると、私は考えます。
216.一枚の写真にくぎ付けになる。

 UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)から届いたメールマガジンの巻頭に掲載されていたのがこの写真。戦争で破壊されつくした廃屋のフロアに集まって勉強する子どもたちの姿。
 難民キャンプができたとき、最初につくられるのは学校だという話を聞いたことがあります。多少なりとも雨風をしのげるがれきの隙間や、国連の支給するテントの中に子どもたちが集まり、その前に大人が立って学習がはじまる。支援のNGOだけではなく、避難民の中からも自発的にかかわる人が現れてくる。母国の言葉を忘れないために、文化を継承するために、将来の国づくりをあきらめないために。
 思わず日本の学校や子どもたちの姿が目の前に浮かび、重ねてみたり比べてみることになります。日本国憲法第26条は、言わずと知れた「教育権の保障」。@「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と明記されています。さらに、子どもたちの学習権が奪われないように、A「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。」と保護者に義務を課し、「義務教育は、これを無償とする」と経済的援助も併記して、子どもの学習権を何重にも保護する仕組みが作られています。これほど綿密に、かつ厳しく教育権の保障をうたった憲法は、おそらく世界にもまれなのではないかと、私は考えています。詳しく調べたわけではないのですが。
 ところで、廃墟と化した建物や、砂上に建てられたテントや、木立の陰に集まって学ぶ難民の子どもたちと、憲法で守られた日本の子どもたちと、いったいどちらが真剣な学習に取り組んでいるといえるでしょうか。日本の児童・生徒たちに率直な意見を聞いてみれば、「学習することは自分の権利である」と答える子どもが何人いるでしょうか。むしろ、「勉強は義務だから仕方がない」、或いは「勉強は強制だ」と本音を漏らす子どもたちが少なからずあるのではと思ってしまいます。いや、もうほとんどの子どもたちにとって、学習は義務であり、強制でしかないのかもしれません。
 「世界には食料がなくて飢餓に瀕している多くの子どもたちがいるのだから、残さずに食べなさい」という論調をまねるつもりはありませんが、ひょっとしたら廃墟の中で取り組まれている学習の方が一人ひとりの子どもたちの人生を支え、混迷の中にも社会と国の展望をつむぎだそうとする学習が展開されているのかもしれません。憲法に保障され、設備の整った教育環境に囲まれた日本の学校教育が本当にこのままでよいのかと、この一枚の写真は私に問いかけてきます。
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 215.第23回「障害」のある子どもの高校進学を考える学習会を開催しました。 
                          2021年5月21日更新
 “知的障害者を普通高校へ北河内連絡会”は、2か月に1回(くらい)少人数で顔を合わせて語り合う「定例会」と、1年に2回広く呼びかけて取り組む「学習会」を毎年開催しています。
 今回はコロナ感染対策として、密を避けるため広い会場への参加者と、Zoomでのリモート参加者をつないでの進行となりました。ICT技術を活用しての集会を開くなど、私自身が信じられないのですが、案の定Zoomの操作が分からずに迷惑ばかりを掛けてしまいましたが、そこは仲間たちの連係プレーとやさしさに助けられて最後まで進行することができました。
 いつも思うことなのですが、参加者の一人ひとりが深く話に聞き入り、自分の経験を通して考え、言葉を探すようにして質問したり意見を述べたり、交流する、「学習会」や「定例会」は、かけがえのない大きな学習の場であると思います。
 「まとめ」を“北河内連絡会”のホームページに掲載しましたのでご覧ください。今後返信されてくる「アンケート」結果なども随時アップして行きます。ホームページは下記
 214.あけましておめでとうございます!
                       2021年4月5日更新
 ウイルス感染のパンデミックは映画やTVドラマの世界だと高をくくっていたようです、3.11東日本大震災で未曾有の被害と原発事故を経験したはずであるのに。不誠実で無能な政府や政治家の言動が「本当に」国民の生命と財産を奪うのだと気付きました。「大阪市を廃止する都構想」の住民投票も、維新政治と政治家の無謀な政策が、二度までも市民に分断をもたらし、コロナ対策を遅らせる結果を招きました。一方で都構想を否決して大阪市を守り抜いた市民の行動に誇りと勇気を感じました。あきらめないでよかった、つくづくそう感じています。
 戦争、自然災害、経済崩壊、核兵器使用だって…、もう何があってもおかしくないそんな世界の現実を目の当たりにして、何を頼りに何をすべきなのか、考え続けたいと思います。
 新しい本『街角の共育学〜無関心でいない、あきらめない、他人まかせにしないために』(現代書館)を出版しました。背中を追い続けた野本三吉さんとの対談、寺脇研さんの推薦文、すてきなブックカバーなど、多くの人たちの協力で出来上がった本をぜひ手にとって読んでいただけたらと思います。
 現在沖縄タイムス「たんぽぽのタネ」のコーナーで教育エッセーを連載中。私が「共生」を考える原点となった沖縄の人たちに向かって発信する喜びと大きな緊張の中で書き続けています。感無量。本年もよろしくお願いします。
        2021年 元旦
 213.都構想否決、大阪市の存続が決まりました!

 いやぁ、ハラハラドキドキ
の連続。11月1日「大阪市を廃止する都構想」の住民投票の投開票日。午後8時から、家族でNHKの開票速報を一喜一憂しながら見続けました。逆転に次ぐ逆転、野球で言えばこれほど面白い展開はないのでしょうが、ことは私たち大阪市民にとって直接の暮らしにかかわる問題、そして子どもたちの未来に関わるかけがえのない問題の決着をつけようとしているのです。
 そもそもそんな大事な問題を、5年前の住民投票で僅差とはいえ答えを出したにもかかわらず、再度提案して二度にもわたって大阪市民を分断させる維新の会の暴挙を許す訳にはゆきません。
 10時30分ごろ、「賛成」が「反対」をまだ上回っていた段階で「都構想が否決されました!」とのテロップが流れ、キツネにつままれたかのような間を置いた後、家族そろってもろ手を上げて喜びの声を上げました。
 「都構想に反対して取り組んだ、わが家の顛末記」を、『折々の記』に上げました。読んでみてください。
 その後引き続いてのアメリカ大統領選挙で、トランプの敗北。
 この二つの「投票結果」のもたらす意味はとても大きいものだと、私は考えています。ポピュリズム政治の終焉に向けた一歩が始まったこと。そして日本も世界もこれからどういう方向に向かうのか、目を離せない気がしています。
 212.雨との敵対か、共存か!

 
夜半から降り続いた大雨の翌朝、いつものようにプランターの植物を見て驚きました。昨日よりもぐんと大きく成長しているのです。ナタマメも、大きく本葉を開いたり、ツルが背丈を超えるほどに伸び上がったり、真っ白な花の房を付けたり、小さなサヤがいくつもついていたらり、そのさやが何倍もの長さに育っていたりと、一雨ごとに目に見えて成長して行きます。ホースで散水する時とは全く違う雨の力をまざまざと感じます。まさに「雨の恵み・恵みの雨」だと。
 しかし一方で、今年もまた「50年に一度」といわれる大雨が全国各地で大きな被害をもたらしています。もはや誰もが、「50年に一度の」というレトリックを信じる者がいないくらいに、「毎年」列島に降り注ぐ気候変動が起きてしまっていることを感じています。これからは、新型コロナウイルスや、さらに型を変えた新新型ウイルスとも付き合って行かねばならない世界になって行くのかもしれません。
 ここまで環境破壊をすすめてしまった人間の側が一方的に作り出した「雨との敵対関係」を、「共存」へと変える道はあるのでしょうか。古来、雨にまつわる言葉を数多くつくり親しみを込めて使ってきた私たちではあるはずなのですが。
 211.コロナウィルスのPCR検査はなぜ進まない?

自分が必要だと思った時にPCR検査を受けられる体制を早急に整えてほしいです。命にかかわる情報を保健所の判断に任せたくはありません。検査はまだできないと待たされて亡くなった命も少なくないのではないでしょうか。
 岡江久美子さんも、乳がん治療で放射線などの抗癌治療を受けているにもかかわらず、免疫が低下しているのが分かっているのに、保健所の判断で自宅待機させられました。すぐにPCR検査が受けられて入院できていれば救命できたのではないかと思えば、家族の悔しさはいかほどでしょうか。
 他の国ではできているのですから、なぜ、日本ではできないのか、やろうとしないのでしょうか。
 コロナウィルス感染に直面して見えてきた問題の大きなひとつは、情報
公開が極端に遅れているということです。そもそも情報というものについての価値観、捉え方が、現政権においては非客観的、非科学的であり、そのために恣意的に平然と運用されてしまっています。
 しかし今回は、一人一人の命にかかわる情報です。私たち国民の側が、おとなしく黙ってみている訳には行きません。
 210.赤木俊夫さんの魂を踏みにじってはならない

近畿財務局職員・赤木俊夫さんの妻のコメントを読みました。「この2人(安倍首相と麻生大臣)は調査される側で、再調査しないと発言する立場ではないと思います。」国会の二人の答弁を聞いた後出されたコメントでは、「答弁を報道などで聞きました。すごく残念で、悲しく、また、怒りに震えています。」
 安倍も麻生も、この怒りの言葉にそよとも気持ちが揺れることはないのでしょう、支持率の数字の変化が気がかりなことはあっても。二人が黙殺する態度は、2度赤木さんを殺すことになります。
 巨大な権力に向かって発する一人の国民の声の、なんとか細くひ弱なことか。かつて松下竜一さんが言われていた「象に立ち向かうアリのごとく」という比喩が重なります。
 しかし、私たち国民の側が怒りの声に耳を澄まし、共感が広がればどうでしょう。ジャーナリズムが本腰を入れて再調査に乗り出し、報道をはじめたらどうでしょうか。
 ほんものの言葉には言霊(ことだま)が宿るといいます。赤木さんの妻の一切の虚飾を脱ぎ捨てた、真実のみを語ると覚悟を決めた言葉に、私はその言霊の力を感じます。私が不覚にもいつの間にか「眠らされていた」記憶や怒りを呼び覚ましてくれたのも、その言霊の力です。
 私たち国民やジャーナリズムが、再び赤木さんの魂を踏みにじる、2度死に追いやることは決してあってはなりません。それは無関心でいない、無関心を装わないということだと思います。
 209.近畿財務局職員が死を賭して告発

森友学園への国有地売却「事件」と財務省の公文書改ざん問題で、自殺した近畿財務局職員・赤木俊夫さんの遺族が「国と佐川元財務省理財局長」を相手に大阪地裁に提訴したというニュースを聞いて、いつのまにか私の中で眠りかけていた記憶を呼び覚ます衝撃が走りました。
 週刊文春や新聞記事を読みながら、真実を語る言葉の力を実感しました。安倍や麻生や佐川に「事実を語れ」といくら言っても真実の口を開くはずもありません。ならば国会内に「究明委員会」を立ち上げて、徹底した真相究明にあたることと、私たち国民があきらめず裁判に呼応する形で、支援の声を上げ続けることが必要ではないかと思います。
 「ぼくの契約相手は国民です」が口癖であったという赤木さんが、死の直前に震える手で書き記した「遺書」は、公文書を改ざんしたり、廃棄したり、勝手に解釈変更して虚偽を重ねる腐敗しきった安倍政権と官僚組織を撃つだけではなく、そんな権力の横暴を許してしまっている私たち国民にも指弾の矢は向けられているのだと思います。
 安倍も、麻生も、佐川も、政権にすり寄りながら保身のために忖度と現場への責任転嫁を重ねてきた官僚たちも、よもや「魂の力」をあなどってはならない。2年間の月日を経て、手記が公表され、裁判に提訴する事態を生んだのは、おそらくひと時も離れることなく妻と対話を続けた赤木さんの「魂の力」であるにちがいないのだから。
 208.ジャパニーズ・デモクラシ―はあるのか!?
                         
(2020.3.23更新)
 アメリカ大統領選挙に向けて民主党候補者選びが激しさを増しています。本命と言われたバイデンが出遅れて、サンダースとブティジェッジの二人のトップ争いが展開しています。
 サンダースが大統領選に出馬すれば、新自由主義経済、金融資本主義、グローバリズム、格差と貧困という、まさに現代の世界を覆う核心の問題が争点になります。自らがゲイであることを公表して立候補しているブティジェッジが出馬することになれば、トランプの白人至上主義、排外主義、アメリカ第1主義に対して、人間の生き方を問う多様性、自由、基本的人権の保障というテーマが争点になります。
 もちろん「何らかの理由」によって、二人が予備選から脱落する事態も考えられます。だって、社会主義者を表明する人と、ゲイであることをカミングアウトした人物が大統領候補になるなど、アメリカ史上誰も想像することのなかったことなんですから。それほど根底的な変革を求めなければ希望が見えないほどに、アメリカの現実は差し迫っていることのあらわれだと思います。
 トランプか、あるいはサンダースとブティジェッジのいずれかの、どちらが勝利するのかいまの私には見当もつきませんが、アメリカ国民は、大統領選挙を通して世界の構造や基本的人権のあり方を争点として、熱い議論を重ねることになるのだろうと思います。
 アメリカンデモクラシーは生きていると、私は思いました。
 一方で日本はどうなのか。「桜を観る会」で、安倍晋三がついた「嘘」を正当化するために、政府が躍起になって屁理屈を重ねる。事実を報告したホテルに対して政治的圧力、恫喝を加えて口封じを狙う。検察首脳人事に介入して、法解釈を変えて、人事局の国会答弁を強引に変えさせる。都合の悪い公文書の改ざん、廃棄、さらに日付のない「怪文書」までが「確認済み公文書」として国会に提出されるなど、国会の権威も政治に対する信頼も地に堕ちて、さらに混乱を続けてます。
 三権分立も主権在民も、立憲主義も、法治国家という枠組みも崩壊させられて、国のかたちが崩れたままに安倍晋三の私物化が進行しています。それでも内閣支持率は、それなりの高止まりをしている現実があります。
 政・官グルになってゴマカシながら時が過ぎれば、これまでも政局に影響を及ぼした数々の問題がそうであったように、そのうち国民はあきらめて忘れて行く、本気でそう考えているのかもしれません。
 確かについ1か月前まで新聞、テレビをにぎわしていた、IR(統合型リゾート)をめぐる贈収賄容疑で逮捕された現職議員のことも、公職選挙法違反を問われている夫婦の現職議員のことも、すっかり私たちの頭から消えてしまっているのではないでしょうか。
 いったいジャパニーズ・デモクラシーはあるのでしょうか。
 207.グレタ・トゥーンベリさんの怒り(2020.2.27更新)

台風19号のニュースを見続け、刻々と深刻さを増す災害の大きさに呆然としてしまいます。
 ニュースでは「60年に一度の」大規模な雨量…などと、その甚大さを表現しています。でも、もう誰もが気付いていますよね。昨年も、一昨年も「60年に一度の」「〇〇年に一度の」強風や大雨が、襲ってきたことを。つまり、毎年大災害が引き起こされているというのが事実であることを。
 だって、2か月前の9月9日には、「観測史上最強クラスの勢力」で台風15号が千葉房総半島に上陸してもたらせた被害は、回復の兆しすら見えず、生々しい記憶として浮かんでくるのですから。
 自然災害ではなく、人間が作り出した災害であることは誰もが確信しているはずです。
 スウェーデンの16歳の環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんの顔が浮かびました。新聞やテレビに繰り返し映った彼女の表情は、きっと見る者に様々な思いを抱かせたにちがいありません。
 私は、「怒る」ということを思いました。彼女は本気で怒っている。同時に香港や韓国やアメリカや、世界各地でデモ行進やストライキをする若者たち、子どもたちの顔を連想しました。
 一方で、私たち日本人は本気で怒ることをしなくなったなぁ!と思います。主張する、意見をたたかわせる、行動を起こすよりも、まとめる、問題を避ける術を発揮するのが「大人」であるかような「空気」が蔓延してしまった。会議でも研修会でも日常の暮らしの場でも、もちろん政治・政権に対しても。
 誰もが頭の片隅によぎっている「このままで地球環境は大丈夫なのか」という不安は、実はもうすでに取り返しのつかない事態にまで進行してしまっているのかもしれません。今日も目の前のテレビに映し出される被害の映像を観ながら、いまこうして眺めている私の地域が来月か、1年後に「60年に一度の」、というアナウンスをつけられて、大災害に見舞われる可能性は限りなく現実のものだと思えてきました。
 「あなたたちは、私たちを失望させている。しかし、若い世代はあなたたちの裏切りに気づき始めています。未来の世代の目は、あなたたちに向けられている。
もしあなたたちが裏切ることを選ぶのであれば、私たちは決して許しません。
私たちはこのまま、あなたたちを見逃すわけにはいかない。
今この場所、この時点で一線を引きます。世界は目覚め始めています。変化が訪れようとしています。
あなたたちが望もうが望むまいが。」(グレタさんの国連でのスピーチ)
 子どもたちに豊かな環境を残す責任を負っている私たち大人に向かって、子どもたちは「本気で怒り始めている」のかもしれません。「変わった子ども」とか「一部の子どもたちだけ」などと、言い逃れをする訳には行きません。未来の地球環境の当事者は、紛れもなく子どもたちなのですから。
 206.「異変」か!?(2019.11.14更新)

例年と同じように育てているのだけれど、何かおかしい。「異変」といえば大げさすぎるような気もするのだが、なんだかいつもと違っている気がしてならない。
 今年もわが家の壁に緑のカーテンを広げているゴーヤのツルですが、実が膨らんでいよいよ大きく成長するのかと楽しみにしていると、小さいままに黄色づいて、しばらくして枯れてしまいます。いくつも実はなるのですが、どれもがすぐに色づき枯れて行きます。こんなことは初めての経験。
 中でも一番大きく育ったものを摘果してみましたが(写真)、すでに下部には穴が開いていて枯れてタネが落ちる準備に入っています。色づいた実を開くと真っ赤なタネが並んでいて、口に含むととてもやわらかい甘さが広がります。美味。
 植物は生命の危険を感じたときは、種の保存のために早く大きな花を鮮やかに咲かせて、タネを残すと聞いたことがありますが、わが家のゴーヤもわが家人のいい加減な栽培技量に生命の危険を感じたのか、あるいは自然界の「異変」を感じているのかもしれません。
 そんな想像を広げれば、実の中で熟したタネの鮮紅色が、叫びを発しているようにも見えてきます。
 205.「原発ゼロ法案」の行方

 おかしいなぁ、なぜだろう?と何度も首を傾げていました。
 これまで通常国会や臨時国会で、森友・加計問題や、公文書改ざん問題、働き方改革…などら、重要法案が目白押しで、ほとんどが強行採決されたものの、法案として国会議論の俎上に掛けられたことはまちがいありません。
 しかし野党が1年前に共同提案すると言っていたはずなのに、「原発ゼロ法案」はいつまでたっても審議する気配さえ見られません。マスコミも全くといっていいほど扱わなくなっていました。
 いったいぜんたい何が起こっているのかと不審に思っていた矢先、久しぶりに朝日新聞の4面にその文字を見つけました。それによると、「与党が審議入りを拒否している」からだって。参院選を前に「脱原発」の争点化を避けたいのがその理由なんだって。
 なんだ、そんな駄々っ子のような単純な理由だったのか。わがままな理屈付けで、国民の生命と安全を脅かす「原子力」についての論議を拒み続け、あわよくば葬り去ろうとしているのか。そんなごり押しが通ってしまうほど政府与党と野党の力関係は絶望的な格差の現状であるのか。「3.11」の翌日だから、久しぶりに記事を載せる程度の報道各社の意識の実態であったのか。
 いやはや、思わず吹き出してしまいそうになるこの国の姿を見てしまったような気がしています。
 それはちがうだろうが!!
 204.あけましておめでとうございます!!
 はじめて屋久島に行きました。33年前、奈良の大倭紫陽花邑(おおやまとあじさいむら)の野草塾で山尾三省さん、伊藤ルイさん、野本三吉さんと出会って以来、「縄文杉の根方に抱かれて果てる」という夢を描き続けてきました。「森」は「いのち」が響き合い、交感し合うところでした。私も人生の終い方を考えはじめています。
 一方で1%の人間が地球上の富の半分を所有する世界の現実。餓死者が出る横で何億、何十億と年収を得る者がいる社会の仕組みはあきらかに間違っています。持続するわけがありません。
 揺れ出しました。若者たちが中心となったオキュパイ運動、パラソル革命、キャンドル革命、フランスの生活者たちの「黄色ベストデモ」など、人間のうごめきが生まれています。連帯するためのkey wordは、無関心でいない、あきらめない、他人(ひと)任せにしない。
 新しい年の大きな動きを予感しています。 
本年もよろしくお願いします。
 203. 沖縄県知事選 玉城デニーさん 大勝!!

ばんざーい!バンザーイ!! 昨夜のNHKで台風情報ばかりを延々と流し続ける画面の合間に、申し訳程度の隙間の時間をつくって流された、「開票率1%」で「沖縄県知事選で玉城デニーさん当確」の報を見たとき、思わず声を上げました。
 正直なところ、大阪に上陸間近の台風情報よりも、沖縄の台風による投票への影響はどうなのか、投票率が下がってしまわないか等、そちらのことばかりが気がかりでした。それほど大事な選挙だと、私は考えていました。
 玉城さんの当選により、安倍政権に与える影響は甚大なものがあるにちがいありません。先の党首選で自民党内部でうごめきだした不満と動揺が、さらに広がることでしょう。さらに、前回知事選で「自主投票」の公明党が、今回は佐喜真支持を打ち出し、創価学会会長自身が沖縄に出向いて引き締めを図ったにもかかわらず、多くの票が玉城さんに流れました。創価学会、公明党内にくすぶっていた安倍政権との連立に対する疑問や批判が顔を出すのではないか…などなど、私自身が久しぶりに快哉を声に出すことができました。
 日本にある米軍基地の70%を沖縄に押し付けて、その事実すら知らず、知ろうともせずに、平和と安全を当たり前にむさぼる本土の私たちの無関心な態度を、今回の沖縄県民の「辺野古米軍基地NO!」の声は糾弾しています。
 そんなことを口走っている私なんですが、出口の見えない政治や経済や世界の状況の前で、暗澹たる気分で停滞している自分が、やっぱり今回も沖縄の人達から希望をいただくことになりました。励まされてばかりです。
 玉城デニーさん当選おめでとうございます。バンザーイ!ばんざーい!!
 202.ナタマメのサヤも大きく育ちました!
昨年は、伊藤ルイさんから北村小夜さんに手渡され、それをいただいたナタマメの種をよもや枯らして「いのちのバトンリレー」を絶やすわけにはゆかぬと、ほとんど草花に興味もなく、ましてや植物栽培など全く経験のなかった私が、義務感と切迫感に後押しされながら、なんとかかんとか育てたナタマメから種を採取するところまでたどり着いた1年でした。
 その種も、竹見智恵子さんと能登睦美さんに託して、それぞれレイテ島と北海道の大地で育ててくださっているので、今年はのんきにナタマメと付き合っています。
 こんなに立派なサヤをつけるまでに成長しました。20cm以上あるでしょうか。もうそろそろ食べ頃を迎えています。今年はなぜか蜂が多く、ナタマメのサヤにひと塊となってとまっています。
 201.ナタマメの苗床をつくりました。
 昨年収穫したナタマメの種を見ながら、あまりの大きさの違いに不安がよぎりました。そこで今年は、苗床をつくって、大きくなった苗を移植するという、もう一段手間をかけてみることにしました。不安が的中。やはり「小さくて干からびた種」は発芽しませんでした。
 本葉が開いたものをプランターに移植。毎日指で土の湿り具合を確かめるほどに気を使いながら水遣りを続けます。ところが、2・3日して大きく開いた葉が、日増しにダンゴ虫に食われていき、成長の勢いが目に見えて衰え、ついには枯れ始めました。
 知り合いの5歳になる幼児が虫かごを携えて、母親とともにやってきて、「ダンゴ虫がほしい」といってくれたので、「ええよええよ、虫かごいっぱいになるまでダンゴ虫を取って行って!」と、満面に笑みをこぼして答えたものの、一向に被害が収まる気配はありません。
 コーナンに足を運んで、にっくきダンゴ虫退治の薬を探し、何本か手にしたのですが、よく解説を読めば、どれも「虫を殺す」殺虫剤。つまりは農薬。「“殺す”思想に手を染めるわけにはゆかぬ」と、商品棚に戻してはみるものの、「そのお前の甘さが命取りになるんだよ」と、あらぬ方からささやく声が聞こえてきそうにも思われます。(耳を押さえて、というほど劇的にではありませんが?)急いで店を出て、自転車のペダルを踏みました。
 結局、最後に残しておいたなけなしの種を苗床に撒いて、薬は使わずに、今度は「ダンゴ虫に負けないくらい」(?)大きくなってから移植することと、土を入れ替えることにしました。北海道の大地に撒いてくださった能登さんや、レイテ島に撒いてくださった竹見さんは大丈夫かな?私が送った種のひ弱さに気がかりを感じているところです。
 たかが4〜5本の苗を植えるくらいで、何とも大げさな話ではあります。ちょっと恥ずかしい!?
 200.断末魔の安倍政権
2013年12月6日の、安倍政権と自民党、公明党による「特定秘密保護法」の強行採決に反対して書き始めた「抗議の意思」ですが、その時々の安倍政権の横暴な仕打ちを書き足すうちに、4年余りが経過しました。改めて読み返すと、ひとつの政権が国家権力を使いながら独裁体制を積み上げ、「憲法改正」に向けた塁を一歩一歩進めてきた過程があからさまに見えてきます。
 しかし、安倍晋三が首相を退陣する日まで投稿を続ける覚悟の、私家版の編年史でもある「抗議の意思」も、いよいよ大詰めを迎えました。森友・加計問題で渦巻く疑惑や不信のジグソーパズルの真ん中にはめ込む最後のピースが見つかりました。「首相案件」と書かれたピース。それをはめ込めば、まるで霧が晴れるように、不可思議な出来事も、官僚たちの不可解な言動も、金銭の流れも、事件の筋書きを読むように、「なるほどそうだったんだ」「やっぱり」と、誰の目にも明らかになってきます。第2次安倍政権の全体図も見えてくるようです。
 199. あまりにひどい安倍政権も崖っぷち!
安倍政権の国民からの遊離がますます顕著になっています。
 裁量労働制に関する厚生労働省のデータに400か所を超えるまちがいが指摘され、安倍政権は法案から削除せざるを得なくなりました。そして現在、森友問題に関して財務省が決裁文書の改ざんを認め、官邸、省庁を巻き込んだ疑惑が噴出しています。各省庁が政権の意向に沿ってデータをつくり、文書を書き変え、あるいは文書を廃棄したのです。政権の圧力によって、そうさせられともいえます。
「国民主権」の大原則も、憲法第15条「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」も、絵空事になってしまいました。
 一方で文科省に続いて、厚労省、財務省のなかで、行政をゆがめる安倍政権のあまりに傍若無人な振る舞いに、官僚の反乱がおきているのかもしれぬとの想像も働いてしまいます。これほど立て続けに文書問題が表面化するのですから。
 同じく国民を無視する姿勢があからさまに見えたのが、2月4日に投開票された沖縄県名護市長選挙でした。自民・公明・維新が推薦する候補が、現職の稲嶺進さんを破る結果となって、安倍首相は「米軍基地の辺野古移転が市民に理解された」とコメントをだし、基地建設工事をさらに進めようとしています。
 しかし名護市民の63%が移設反対で、20%の賛成を大きく上回っている数字から見えるのは、市民が迷いながら苦渋の選択をする姿です。これまで国政や自治体選挙などの度重なる選挙で、米軍基地反対、辺野古移設反対の民意が繰り返し示されてきたにもかかわらず、無視し続けて基地建設工事を強行する政権に、あきらめと失意を持たざるを得なくなった県民の心情など、安倍晋三がさらさら思いを寄せるはずもありません。
 国民が政治に希望を見いだせず、関心を失い、あきらめてしまうことを「成果」であり「勝利」とみなす政権とは、いったいなにものなのでしょうか。
 198. 2018年 
あけましておめでとうございます

 朝、近くの公園に行き、小さな陽だまりを見つけて体操します。てのひらに溜まる光のあたたかさが全身に広がり、からだとの対話をはじめます。幸せを感じるとき。日課の始まり。
 昨年は、かけがえのない友との別れが続きました。
 人生をかけて付き合った人が逝くのはつらい。人間と他の動物とを分ける決定的な特質は「死者を弔う」ことだと聞きました。人間は死者とも共生する。「他者と共生」しなければ人間は生き延びることができないという真理を表しています。私にも共に生きる魂が増えました。
 しかし日本も世界も利己主義と憎悪の連鎖をひろげて、戦争に向かっています。戦前には止められなかったその流れを、90年後の私たちは押しとどめることができるのでしょうか。
 無関心でいない、あきらめない、そのための勇気を持ちたいと今年も思います。
※写真は、岡山県矢掛町のいなかで、ドローンで撮影されたもの。いとこ夫妻と“デーモンズ”の若者たちといっしょに。
ドローンの映像は、下記のURLをクリックしてご覧ください。
https://youtu.be/VX5sdHje9Y
 197.衆議院選挙が公示されました。
 選挙に臨む私の「立ち位置」は、@無関心でいない Aあきらめない B選挙劇を観る観客でいたくない、ということ。私の「目標」は、安倍晋三を退陣に追い込むこと。
 京橋駅前に枝野幸男をが来ると聞いたので足を運びました。立憲民主党をつくった思いを直接聞いてみたかったから。久しぶりに熱のある集会に参加して、熱のある政治家の言葉を聞きました。
 選挙戦、私も楽しみたいと思います。(2017.10月)
 196.小さな集まりを続けること
安倍政権が「集団的自衛権の行使容認」の閣議決定に引き続き、2015年に「安全保障法制関連11法案」の強行採決をうかがう緊迫した空気が増していた時期であったと記憶しています。ひとりの退職教員の女性から電話があり、「このままやったらあかんと思うねん。私なんかにはなんもでけへんけど、憲法や戦争や平和のことについて考える集まりを持ちたいと思うけど、来てくれるかな。いま何もせんかったらあかんと思わへん?」、静かなしかし確信のこもった口調で語りました。
 以来、2〜3か月に一度のペースで、その集まりは開かれています。
 毎回20人前後の参加者で退職教員が中心の小さな小さな集まりは、政治的な影響力も持たないし、若い人たちや市民に広がって行く可能性もほとんどないのかもしれません。
 それでも「このままやったらあかん」と感じる者がいて、それを声に出す者がいて、それに応えて足を運び、集まって話し合う者がいるという事実は、私を元気づけてくれます。
 だから私は毎回参加して発言しようと、自分で決めています。
 先日は、83歳になる女性退職教員の大寺美也子さんを講師に招いて、「再び過ちを繰り返さないために〜私の受けた少国民教育、そして戦後の歩み〜」と題した講演を伺いました。
 講演会の後は、一人ひとりが近況報告するのですが、大飯原発反対集会に現地まで行ってきたとか、外国人児童・生徒の学習の援助をしているが、高校入試で困っていると情報提供を頼んだり、手作りの平和集会を開催した話など、次々に披露されます。
 こうした地道な活動が状況を動かすのだと、改めて感じさせられました。
 195. 悼辞(とうじ)2017年9月20日更新
大阪の障害者運動を切り拓き、牽引してきた二人の方が亡くなりました。立て続いたいきなりの訃報に今も何かしら力が抜けた日々を送っています。
 山本恵三さんは、現在49歳になる息子さんの地域の学校への就学闘争から、卒業後の生きる場づくりに取り組み、「共に学び、共に生きる」地域づくりを目指して亡くなる直前まで現場の活動を続けて来られました。
 私たちの定例会にも気さくに参加してくださり、時には「自転車できました」と言いながら、酸素チューブを鼻腔にさしたままのヘルメット姿で登場して、みんなの度肝を抜いたこともありました。
 若い教師から「障害児をどう支援したらいいのかわからない」と、「支援の仕方」を質問された時に、返事を返したという話が鮮やかによみがえってきます―
「私たち親は、障害児を生む準備をして出産したのではありません。産まれて障害児だと分かり、悩んだり、迷ったりしながら、見方を変えたり、生活の仕方を変えたりしてかかわってきました。先生たちも同じではないでしょうか。子どもと出会って初めて、その子のことが分かり、見方を変えたり、接し方が変わってゆくのだと思います。」
 あくまで居住する守口市にこだわり、地域に根差した運動を通して、大阪の障害者運動に大きな足跡を残してくださいました。
 告別式で息子さんが挨拶されました。「覚悟を決めた父は、筆談で、『読経は〇〇寺の住職に頼んで、連絡はこの人たちに。そこから次の人たちに広がるだろう』と連絡網を書き示しました。今日の葬儀は父がレイアウトしたものです」と。
 死してなお葬儀の会場から笑いを引き起こす豪放磊落さが、人々の心を開き、安心感を与えて、活動を進め広げていったのだと思いました。
北口昌弘さん、さようなら!
 北口昌弘さんが42歳で亡くなりました。昌弘さんと同志のように行動を共にしたお母さんが告別の挨拶で、「もっともっとやりたかったと思う」と述べられた言葉は、昌弘さんの魂を代弁したものだったでしょう。若い人が亡くなるのは特につらい。
 私の怠け癖は集会の場に足を向けることを遠ざけるのですが、少なくとも私が参加した集会にはいつもきまって北口さんの姿がありました。行政が主催するものでも、運動体が主催するものでも、個人の呼びかけでも、教育問題でも、日の丸・君が代問題でも、理論研究の場でも、生活相談でも、テーマがどれだけ広がっても、そこに一点「障害者の問題」が扱われていれば、必ず目を向け、可能な限り参加していました。
 いつも会場の中心に陣取り、いの一番に発言を求めます。からだから絞り出すような力を込めて、太い首と頑丈な声帯がなおさら音声を増幅させるかのように、野太い声で発言します。
 障害者が手を挙げるのですから司会は何をおいても指名してくれます。北口さんの発声する言葉の「聞き取りにくさ」が、なんといえばいいでしょうか「丁度いい分かりにくさ」で、返って聴衆の耳を惹きつけるかのようでした。
 障害者の発言に聞き手は緊張します。その声音の分かりにくさに身を乗り出します。そして言葉が理解できた時ほっと安心して、うれしくもなり、さらに身を乗り出して聞きたくなってきます。いつの間にか北口さんの話に頷きながら聞き入ってしまいます。術中にはまったかのように。したたかに障害を使いこなして語る、天性の話術を持っていると思ったものでした。それほど北口さんにはなんとしてでも伝えたいことがあったのです。
 北摂や北河内で、障害者の学校生活や高校入試の問題を話し合う学習会では、いつも先頭を切った提案と行動をしてくれました。特に、これまでつながりの少なかった南大阪で学習会を開催し、参加した一人ひとりの障害者や保護者と丁寧に時間をかけて話し合い、付き合いながら、何人もの高校受験をする人たちをつくった行動は、まさにフロンティアでした。
 酒好きで、学習会の後の交流会には必ず付き合ってくれました。注文するのは生ビールの大ジョッキ。しっかり冷えたビールをストローでチュルチュルチュルと、一気に吸い上げる様はまわりの目をいつも驚かしました。その豪胆で、どこかおどけた姿に、私はいつも障害者運動の優れた闘志であり、オルガナイザーの才能をみていました。
 北口昌弘さん、あなたが集会の発言者に向かって「そうや」とか「差別や」と、鋭く突っ込みを入れる言葉が聞こえてきます。「分けたらあかん」「特別支援学校はいらん」「共に学び、共に生きる教育を」と、どこでも誰に対しても力を込めて訴え続けたあなたの野太い声が、ジンジンと今も耳に響きます。
 きっと「もっとやりたかった」という悔しさを、あなたの魂は発しているのでしょう。あなたのやりきれなかった悔しさの分、その思いはまわりの人たちに強く届くにちがいありません。あなたが一番届けたかったであろう若い障害者たちにも。
 大阪の若き障害者運動のリーダーの早すぎる死は、「早すぎる」という不条理な分だけ余計に強く、これからもメッセージを発信し続けることになるのではないでしょうか。
 194. なた豆の種をまきました
 最近、毎朝プランターの水やりが日課となっています。園芸の趣味も持たないし、草花の知識も名前も皆目分かっていない私を知る人は、首をかしげるにちがいありません。
 実はこのなた豆は、92歳になる大先輩の北村小夜さんにお願いして送っていただいたものなのです。その小夜さんは、24年前に伊藤ルイさんから分けていただいたそうです。松下竜一さんを通して伊藤ルイさんが福岡の公団住宅の庭で育てているのを知ったから、お願いしたという話をうかがったことがあります。
 私の尊敬する二人の女性をつなぐなた豆をよもや枯らすわけにはゆきません。自然と水やりに精を出すことになったという次第です。
 30年以上前になるでしょうか、奈良の大倭紫陽花邑(おおやまとあじさいむら)で開かれた「野草塾」で、初めてルイさんにお会いしました。大杉栄と伊藤野枝の娘として生まれた(翌年両親は甘粕大尉らによって殺害されます)という知識を膨らませていた私は、目の前で小さなからだで静かに語る清楚な姿と、その鈴を鳴らすような美しい声に、予想とは違った不思議な印象を持ったことを覚えています。
 血気盛んに原発問題を議論しているときだったと思います、「あなたは家の生ごみを自分で処理していますか」と聞かれて、一瞬何を聞かれているのかわからずに戸惑う私に、続けて「どんなに難しい言葉を話しても、自分の家のごみを処理しない人には、原発の問題は本当のところは分からないのです」といわれました。顔を赤らめてうつむいてしまいました。
 小夜さんから届いた「なた豆の種」は、10粒ほどずつ紙に包んでくるんでありました。同封された紙には、土づくりと撒き方、育て方が書いてあり、「皮が硬いので胚芽の反対側にちょっと傷をつけておくと芽が出やすいようです。」と添え書きがついていました。
 調べてみると「種のつつみ方」も「添え書き」も、小夜さんがルイさんから受け取った包みの中と同じであることに気づきました。きっと小夜さんは、そこにルイさんの優しさ、心遣いを感じたにちがいありません。そして小夜さんは、自分がなた豆を送るときにもルイさんと同じやり方で、そのやさしさ、心遣いを相手に届けてくださっています。そんな事情には一言も触れずに。
 伊藤ルイさんと北村小夜さんをつないだなた豆は、全国に送られていのちをつないでいます。
 そのつながりを私が断ち切るわけにはゆきません。書きながら「えらいこっちゃ!」と緊張が走りました。草花を愛でる余裕も何もあったものではありません。

タネをまいてから2か月たった現在、ナタマメは見上げるくらいに、ひさしを超えて伸びています。いのちの力を感じます。
 193.春よ来い!
 今年はわが家の梅の木がしっかり花を咲かせました。見ていたらちょっぴり遊び心が起こって、梅の花を活けてみたくなりました。普段やったことないのにね。
 ごそごそと部屋の隅から花瓶を引っ張り出して、切り取った枝を差してみました。玄関に一気に梅の香が立ちます。いやあ、なかなかの風情を感じてうれしくなりました。
 もうすぐそこに顔をのぞかせているのに、急な寒さを振りまいて人をあたふたとさせる、春のいたずらでしょうか。
192. ホームページ『餓鬼者 がきもん』のサーバーを変更しました。
ためしに立ち寄っていただければうれしいです。立ち寄りついでに、一筆「掲示板」にサインでもしていただければなおのこと感謝です。

 さて、変更の理由は単純に料金問題。それまでジャストシステムの10Gプランで月1500円ほどかかったものが、同じ10Gでロリポップを使えば月108円で済むことを知ったから。この世界何がどう違うのか、私などの素人には皆目わからないことばかりです。
 13年前になりますが、PCにほとんど興味のなかった私が、両手の指を一本ずつ伸ばしてキーボードを抑えながら、ソフマップで購入した「超図解ホームページビルダー8」の解説書と首っ引きで、初のホームページを立ち上げました。
(その理由を語るととても長い物語になるので省きますが)OCNの無料ページ(確か10Mまで)を使って始め、その後書き込むたびにHPがどんどん膨らんでゆき、無料の限度の30Mを超えたので、5Mごとの加算料金を支払いながら進めました。
 そんな折ジャストシステムの10Gプランが目に入り、その夢のような大容量と、しかも「3か月無料サービス」の文字に目がくらんで契約してしまいました。
 2004年7月7日に開設してから13年目を迎えています。年数だけは負けない自負を持っていますが、最近はなかなか訪れる人とてないさびしいたたずまいが続いています。とはいっても、FBなどのSNSの投稿機能の簡略さや、性能の良さには目を見張りますし、なんといってもすぐにリアクションが返ってくる双方向性のスピード感はHPの比ではありません。私自身がFBを優先して、HPの更新が遅れることにもなってしまいます。
 なんだかHPが時代に取り残された感がなくもありません。それでもなぜHPを続けるのかといえば、時代遅れになった自分を重ねた哀愁を感じるという半分本気の冗句をはさんで、自分の分身をみるような気がしているからだと思います。
 HP『餓鬼者 がきもん』には、私のものの見方、考え方、感じ方、行動の仕方から、政治的な立場、思想の傾向、家族のことに至るまで、丸裸の〈私〉という人間が存在しているといっても過言ではありません。それが日々成長して(物理的に容量が大きくなっている)、変化しているのです。
 おもしろいでしょ、人としての〈私〉は、いのちを減らし生物としてのエネルギーを減少させているのですが、サイト上の〈私〉は日々「成長・拡大」しているなんて。
 まさに私のライフワークであると覚悟しています。アクセス数が13年間で「25,756」。人気芸人だったら1時間でまたたく間に超える数字です。これから何人の方が立ち寄ってくださるかわかりませんが、私自身が〈私〉と対話をするために、立ち寄ってくださった方と語り合うために、そして私の小さな歩みの歴史を「保存」するためにこれからもボチボチと書き進めていきたいと考えています。
 191.世界はいったいぜんたい?!
トランプ大統領の就任式をテレビで見ながら、世界も日本も、いったいぜんたいどこへ向かって行くのだろうかと、気持ちの落ち着かない不安に駆られてしまいました。荒波がうねる大海になげだされたかのようで、前途の見えない恐怖すら感じます。
5年前に本の「まえがき」にこんなことを書きました―
 私たちは、社会や人生などというつかみ所のない、途方もない大海に投げ出されている。そんな中で生きていくために必要なものが二つあると僕は思っている。ひとつは仲間であり、今ひとつは自分がどこに立っているのかを教えてくれる羅針盤である。自分の進むべき道を指し示してほしいとまでは言わないが、この時代や状況の中で、いったい自分がどこに立っているのかを確認するための羅針盤は必要である。自分の発言や行動の意味と正否を自らに問い返したり、今何をなすべきなのか、あるいは何をなすべきではないのかを判断する価値基準のようなものといってもよい。
 状況と対峙して一歩も後ずさりしない確固とした松下さんの態度は、僕がいつも頼りにした羅針盤であった。松下さんと自分とを照らし合わせるようにして、慎重に自分の位置を確かめながら歩んできたように思う。(『餓鬼者 がきもん』まえがき)―
 その松下竜一さんも、松下さんと同じように私が全幅の信頼を置いてその著作を読んできた鶴見俊輔さんも亡くなりました。これからはいわば自分がつくった手製の羅針盤を不器用に操りながら、それでも自分がこの社会の中で、日本という国の中で、世界の中で、いったいどこにどんなふうに立っているのか知りたいと考えています。今のこの時代がとてもとても不安だから。
 そこでやっぱり「例の」おまじない、「あきらめないこと、無関心でいないこと」。
 190.あけましておめでとうございます!

 
妻と私が30年前に結婚式を挙げた大倭紫陽花邑(おおやまとあじさいむら)と大倭神宮を、この夏に家族で訪ねました。私たち夫婦の出発点を子どもたちに知ってほしかったから。伝えておきたいことがあったから。

 それにしてもという言葉がぴったりくるのですが、日本も世界もいったいどうなって行くのでしょうか。戦後豊かで安全な社会をつくってきたはずなのに、今は貧困と格差がますます広がり、テロや戦争がいつ起こっても不思議ではない国になってしまいました。

 憲法を勝手に解釈して横暴を繰り返す政権に、「反対!」の声を届けることすら難しい「雰囲気」が生まれています。

若い人たちが「共に生きる」生き方を手探りしているように感じます。それは理想の共生社会を目指すというより、人間が「生き延びるため」の本能的な行動にも見えてきます。

 これまでにもまして必要な気がしています、あきらめないための勇気と、無関心でいないための勇気を、持ち続けたいと思います。                         2017年 元旦

 189.アメリカン・デモクラシーについて考えました。
                    (2017年1月5日更新)
 私は今回のアメリカ大統領選挙では、民主主義が機能したと考えています。ええ、なんでぇ?と驚く声が聞こえてきそうな気もしますが。
 資本主義が国内の市場を食い尽くして、さらに利潤を求めて世界に経済侵出・侵略をする。アジア、中東、アフリカの発展途上国に乗り込んで現在も食い荒らし続けている。その結果アメリカ本国の雇用も賃金も減らしている。グローバル経済、金融資本主義がどこまでも拡大し、それだけ中間層が縮小し、貧困・格差がますます拡大し続けているアメリカの現実です。同時に世界の国々の現実でもあります。
 もう一方で、グローバル経済と軌を一にして世界に広がるアメリカの戦争。資本主義・大企業がこれから進出していくための地ならし、前払いのための戦争であったり、既得権益を守るための戦争であったり、食い尽くした後始末のための戦争であったりするといってもよいでしょう。
 しかし、いのちを懸けて戦争しても何も得るものがない。国が豊かになって、自分たちの生活が楽になることもない。むしろますます貧しく苦しくなっている。アメリカが世界から尊敬される声も聞かない。国家のために戦う愛国心も生まれて来ません。まるで資本主義を広げ、守るために闘っているようなものですから、アメリカの若者たちに厭戦(えんせん)気分が広がっています。
 8年前にオバマ大統領が登場したときに全米を覆った“Change!Yes,We can!”と高らかに声を上げた希望に満ちた高揚とは全く違います。今アメリカ国民が“Change!”と声を上げるのは、このままでは先行きが見えないばかりか、現実に自分たちの生活が壊れて行く、いや命までが奪われて行くという、ぎりぎりの瀬戸際まで追い詰められた切羽詰まったものの唸りのように聞こえてきます。
 前回書いたように、1%の側にいるヒラリー氏では、99%の側に立つ代表としてグローバル経済、金融資本主義の体制を根本から変革することはできないのです。世界中で膨張を続け、コントロールが不能となりつつある、グローバル経済に対して、もう少しましな生活がしたい、暮らしの安定がほしい、人間性を回復したい、いのちの危機から逃れたい…という国民側の声が、投票行動として現れたのだと思います。民主主義が機能したからヒラリー氏は負けたのだと、私は思います。
 機能したけれども選択肢は二つしかなかったのです。結果は最悪のものだと思いますが。もしサンダース氏が出ていれば、おそらく当選したのではないでしょうか。民主主義が機能したことと、民主主義を信じる者にとっていい結果が出るかどうかということは、全く別の問題だと痛感しています。
 選挙を終えて、アメリカは分断しました。現在も各地で「大統領を認めない」デモが続いていると聞きます。アメリカ社会の中でこれまで言いようのない感情、「不満・不安」としてくすぶり、広がり続けてきたものが、はっきりしたかたち・ことばや、具体的な状況としてみえてきたということでもあります。
 1960年〜80年代に、人種差別反対を掲げた公民権運動や、ベトナム反戦運動を闘い抜いてきた、アメリカの民主主義運動の歴史は、決してなくなってはいないと思います。いったいこれから、特に若者たちを中心に何が起こるのか、どんな言葉や思想が生まれ、アクションが生まれてくるのか、私はアメリカン・デモクラシーへの期待を決して失っていません。
 アメリカの大統領選挙では、むしろ分断が残されることによってはっきりと問題が顕在化しましたが、日本ではどうなのかと問わずにはおられません。トランプ氏と橋本徹氏がぴったりとそのまま重なります。2年前の「大阪都構想」の住民投票では、はっきりと「反対」の意志が示され決着がついたはずなのに、アベ政権と公明党本部、マスコミによってあいまいにされたまま幕引きが行われました。その結果、問題が追及されることもなく、課題を明確にすることもなく、なんだか大阪市全体を巻き込んだ大きな行事が終わったかのように解消されてしまいました。さてこの時、日本では民主主義が機能したのか、しなかったのか。現在日本では民主主義が機能しているのか、していないのか?
 188.アメリカ大統領選挙を考える(2016.11.29更新)
今回のアメリカ大統領選挙について、しどろもどろでも考えたいと思います。その1回目。
 もし私が1票の投票権を持っていたら、どんな投票行動をしただろうかと考えてみました。投票権を持った〈私〉が今回の大統領選で最も求めるのは、「じわじわと広がる格差と貧困を何とかしてくれ!このままでは目の前の暮らしも将来の希望も何にも描けない!若者たちは大学を出ても奨学金の借金を抱えて、就職もままならない。その原因となっている新自由主義経済、グローバル経済、金融資本主義の体制を変革してほしい!」ということにほかなりません。
(これは日本にいる現実の私自身の実感でもあるのですが、まさにグローバルに世界中が同じ悲鳴を上げているのだと思います。しかし選挙結果から分かったことは、私の予想をはるかに超えて、アメリカの貧困と格差は進行していたということです。誰もがその事実に驚いたのではないでしょうか。アメリカの政治家や支配層の予想をも超えていたのです。)
 さらに「1%の富裕層が世界の半分近くの資産を保有し、残りの半分を世界人口の99%で分けており、その格差はますます広がっている」という、国際NGOオックスファムの報告を読むと、あまりの不公平さに驚愕し怒りがこみ上げてきます。
 まさにそれらが〈私〉の最大の争点です。ところが、ヒラリー氏は1%の側にいる人間。ビル・クリントン氏やオバマ氏と同様、ヒラリー氏はもともとそういう経済体制を批判していたはずですが、大企業や金融資本から献金される莫大な政治資金を受け取ることによって変質させられてきました。ヒラリー氏は金融業界が開催する講演会で1時間で2000万円を超える講師料を得るという話も聞きます。そんなヒラリー氏が99%のために富裕層の権益を壊して経済体制を根本から変革することなどありえません。ヒラリー氏が当選しても「そんなに変わらない」と思わざるを得ません。だからヒラリー氏は、「そこ」に争点を置かず、「安定」を主張しました。
 トランプ氏は根っからの1%の住人で、さらに儲けてもっと上り詰めようとしています。しかし、トランプ氏は自分が99%の代表であり、99%のために働くと、平然と大ウソを並べ立ててまさにここを争点にしました。「今の政治は間違っている。アメリカをナンバー1にする。」…。
 99%の立場に立って、問題を指摘し政策を提案したのはサンダース氏でした。だから〈私〉は、民主党予備選挙でサンダース氏を応援します。民主党員でなければ投票できないことを初めて知った〈私〉は、あわてて党員登録の手続きをします。サンダース氏の人気が予想外に大きくヒラリー氏を抜いてしまうことを危惧した党側が、若者たちの登録手続きをしなかった地区もあったという話も聞こえてくるのですが。
 予備選挙でヒラリー氏が大統領候補に指名されました。さてどうするか。結論から言えば、悩みに悩んだ末に、ヒラリー氏に投票します。予備選挙で苦戦した分、特に若者の票を取り込むために少しはサンダース氏の政策を受け入れるだろうと、わずかな「改善」を期待しました。「中間層を広げる」「TPPに反対する」などの公約はそれを期待させるものでした。
 そしてもう一つ、何より〈私〉が期待したのは女性がアメリカ大統領になるということです。例え1%の側にいたとしても、女性であるということがヒラリー氏をアメリカや世界を変える最前線に立たせる可能性があると希望をつないだのです。
 選挙結果から見えたもう一つの問題は、アメリカには今も女性差別があるということです。おそらく女性大統領を敬遠する投票行為が少なからずあったのではないかと想像するところです。
 最悪の選挙結果であったと思います。これからヨーロッパなど先進国で、大統領選挙が続きますが、選挙権を持つ国民の側の最大の争点はまちがいなく「このままのグローバル経済、金融資本主義を続けていけば、自分たちの生活がますます苦しくなる。それだけではなく人間性、命までが現実に脅かされていく。それを変えてほしい。」ということです。しかし、どの国の政治的リーダーもみんな1%の側に住んでいるのですから、自分たちを守るためには、根本的で本質的な変革をすることはできないのです。一方、右翼政党やその党首は千載一遇のチャンスとばかりに、国民の票を取り込むために、民衆が熱狂し狂喜する話を次から次へと訴えることでしょう。嘘や暴言を平然と並べたててでも。
 リベラルの側が、経済体制や国の在り方を根本的に変革する政策を提言して、それを争点にしない限り、今後の選挙戦において勝ち目はない、私はそう考えています。
 187.韓国で中・高生も抗議のデモに(2016.11.22更新)

韓国では朴槿恵大統領に対する怒りと抗議の行動が広がっていますが、中学・高校生も、抗議のデモ行進を始めたようです。
 さて日本の中学・高校生だったらどうでしょうか?昨年は安保法制反対の中・高生のデモ行進、抗議行動も生まれましたが。
 自分たちの国の民主主義を守るために立ち上がらねばならないときが、そう遠くない時期にやってきます。そのときに、若い人たちはどう行動するでしょうか?いや、私のような年寄りはどう行動するのか、いやいや日本の国民はいったいどんな行動を起こすのでしょうか?
 186.戦争法の強行採決から1年

9月19日は、参議院本会議で自民党、公明党による「安全保障法制」の強行採決が行われて1年になります。
 何人かの方から「このごろ『あの抗議文』が出なくなりましたね」と声をかけていただくことがありました。覚えていて気にかけてくださる人があることに驚いたり喜んだり、と同時に勇気づけられる思いがしたものです。
 「参議院選挙が終わるまで続ける」と宣言して2年7か月、「6のつく日」にFBに投稿してきたので、選挙の終了をもって投稿を終えました。決して忘れたのでも、あきらめたのでもありません。
 安全保障法=戦争法のなりふり構わぬ採決の強行から1周年を記念して、「あの『抗議の意思』」を投稿したいと思います。
 私が参加した、2015年8月30日の国会前12万人集会と、その二日前の国会前金曜デモの写真も添付します。
 決して無関心でいない、あきらめないことを改めて決意するために。
2016年9月20日 抗議の意思を投稿します。
 私は「特定秘密保護法」、並びに「集団的自衛権行使容認」の閣議決定、さらに「安全保障関連法=戦争法」に反対します。
 安倍晋三政権と自民党、公明党は、2013年12月6日、国民の声を無視して「特定秘密保護法」の強行採決を行いました。さらにその後、国会周辺や全国各地で集会とデモ行進が広がるなど、国民が反対を表明し、多くの地方議会でも「反対あるいは慎重審議を求める要望」が出されたにもかかわらず、それを無視して2014年7月1日「集団的自衛権行使容認」の閣議決定を行いました。
 2015年5月14日、あろうことか日本の国会論議を経る前にアメリカ議会に約束した、「安全保障法制の関連11法案」を臨時閣議で決定し、ついに7月15日、「憲法違反」「説明不足」「戦争法案」など、日ごとに増える国民の反対する声を無視し、圧殺して、特別委員会で強行採決を行い、翌16日衆議院本会議を通過させました。
 さらに抗議の声は、世代を越えて全国に広がり続け、8割を超える世論が今国会での成立に反対しました。8月30日、国会前12万人、国会周辺35万人、全国で100万人の人たちが抗議の集会・デモを決行しました。
 9月17日、参議院特別委員会は野次と怒号の中、議事運営のルールもかなぐり捨てて、無法状態の中「採決」を強行に宣言しました。9月19日未明、参議院本会議で強行採決し「戦争法」を通過させました。
 戦後70年をかけて築き上げてきた我が国の平和と自主独立の努力を放棄して、対米従属の戦争国家としての歩みを始めました。まるで日本国民やアジアの人々の不安や怒りや哀しみをあざ笑うかのように、胸を張って。
 その暴挙によって国民とその一人である私を侮辱したことを忘れません。(石本隆司、松森俊尚

 185.憲法第9条(9月27日更新)
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 第2次界大戦が終わったとき、戦勝国・敗戦国を問わず、世界の人々の間に二度と戦争の惨禍を繰り返したくないとの痛切な思いが広がったにちがいありません。日本国憲法はその願いを背景に、日本を舞台に世界の英知と良心が結集し、日本人の手を通してつくり上げられたものだと思います。公布から4年後には朝鮮戦争が勃発し、その後の長い東西冷戦の幕開けとなったことを思えば、世界史の一瞬の結節点に花開き結実した人類の到達点であったとも言えるのかもしれません。
 日本国民は、憲法に守られ、導かれながら、戦後70年間戦争をすることなく過ごしてきました。それは日本国憲法の正しさをいかんなく証明しています。今も変わらず世界の人々が共有すべき財産であり希望でもあると思います。
 「押しつけ憲法」「自虐史観」などと口汚く宣伝し、都合の良い歴史をでっち上げてきた勢力によって書かれた「自民党草案」は、読む程に政治的な奸計(かんけい)とそこに流れる自虐的な卑屈(ひくつ)さを感じてしまいます。
 7月10日投開票の参議院選挙において、私は、憲法を守り、安保法制=戦争法に反対する候補者と政党に投票します。
 184.参議院選挙が公示されました(2016年7月6日更新)

憲法26条「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、等しく教育を受ける権利を有する」は、「教育を受ける」権利を規定しています。大人には教育を受けさせる義務を課し、無償とすることで、その権利をさらに強く保障しています。決して「教育する」権利ではありません。
 しかし、あたかも「教育する権利」があるかのように振る舞う人たちがいます。子どもの意見を無視して一方的に教え込む授業ばかりを繰り返す教師もあります。校則や決まりでがんじがらめにしばり、罰則で指導しようとする学校もあります。教育改革と称して、子どもや親の願いとは無関係に制度・政策の変更が進行します。いったい権利の主体がどちらにあるのか、本末転倒の事態が起こっています。
 あるいは意図的に読み違えている場合もあるようです、「国家が教育する権利を持つ」というように。現行憲法でも本気でそう読んで疑わない人たちもあるようです。
 自民党憲法草案では、26条に現行憲法の条文に加えて3つ目の項目を付け加えています。「国は、教育が国の未来を切り拓く上で、欠くことのできないものであることに鑑み、教育環境の整備に努めなければならない」と。国・国家が教育に介入することを憲法で明記しようとしています。
 参議院選挙では、戦争につながる安保法制=戦争法に反対し、憲法改変を許さない政党と候補者に投票したいと、私は考えています。

 

183.おばちゃんトークとおっちゃんトークと憲法と(2016年6月23日更新)
 
私の喫茶店との付き合いはずい分と古い。確か高校3年生から行きだしたような。曽根崎あたりに“日響(ニッキョー)”(日本共産党ではありません)という名のクラシック喫茶があって、興味本位に通っていたこともありました、そういえば。

 勤め帰りに、店が開いている時には、必ず立ち寄った京橋の喫茶店もあります。疲れを癒すかのようにゆっくりとコーヒーをすすり、ため息を二三度漏らして、その昔は煙草の煙をくゆらせたり、私の日常になくてはならないルーティンと呼べるものでもありました。長時間居座って、その店で読む本を決めていたり、原稿もほとんど喫茶店で書いたりしたものです。結構むずかしい顔を作って友人たちと語り合う場でもありました。
 だけれども、俗にいう(大阪の女性に怒られそうですが)「おばちゃんトーク」にお付き合いしたのは、上映会の下見の後仲間の女性たちと立ち寄った喫茶店が初めてでした。刺激的な経験でした。私の考える「おばちゃんトーク」を定義すると、以下のようになります。
@2時間以上しゃべり続ける。A声が大きい。周りの人に聞こえる。B「間(ま)」というものがない。間合いがもたらす緊張が恐怖感を与えるのか、あるいはその時間すら「もったいない」のか、常にしゃべり続ける。Cしゃべった後スカッとする。D気分が整理できる。
 と、まあこうなるのですが、実際2時間後には、気分が爽快になり、私の考えもクリアになったような気がしたもので、なんだか癖になりそうな面白さなんです。先日も、集会・デモのあった日に、(実は途中で抜けて?)3人の女性たちとのおばちゃん・おっちゃんトークを楽しんだところです。
 さて、おばちゃんトーク・おっちゃんトークで憲法の問題が語られたらいいなぁと思うのです。大きな声で、2時間ぶっ通しで、隣や周りに聞えよがしとの勢いで、日本国憲法についてしゃべり続ける、そんな光景が生まれないかと空想を広げます。あるいは、立ち飲み屋で、スーパーのレジで、子どもを遊ばせるママ友の輪の中で…、「憲法改正って必要なの?」「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利って、いったいどこにあるの?」「9条ってすてきよね」なんて会話が世間話で交わされるようになれば日本は変わると、私は考えています。

182.大阪を離れていたのでPCに触ることができませんでした。(2016年5月11日更新)
 その間16日、17日と「抗議の意思」を投稿する予定の日が過ぎて行き、焦りのようなものを感じました。きっと誰も私の投稿がないことに気付く人はないのでしょうが、続けるということは、忘れる、日常にのまれて行く自分とのたたかい・かけひきでもあるのだと、改めて感じました。
2016年4月19日 抗議の意思を投稿します。
 私は「特定秘密保護法」、並びに「集団的自衛権行使容認」の閣議決定、さらに「安全保障関連法=戦争法」に反対します。
 安倍晋三政権と自民党、公明党は、2013年12月6日、国民の声を無視して「特定秘密保護法」の強行採決を行いました。さらにその後、国会周辺や全国各地で集会とデモ行進が広がるなど、国民が反対を表明し、多くの地方議会でも「反対あるいは慎重審議を求める要望」が出されたにもかかわらず、それを無視して2014年7月1日「集団的自衛権行使容認」の閣議決定を行いました。
 2015年5月14日、あろうことか日本の国会論議を経る前にアメリカ議会に約束した、「安全保障法制の関連11法案」を臨時閣議で決定し、ついに7月15日、「憲法違反」「説明不足」「戦争法案」など、日ごとに増える国民の反対する声を無視し、圧殺して、特別委員会で強行採決を行い、翌16日衆議院本会議を通過させました。
 さらに抗議の声は、世代を越えて全国に広がり続け、8割を超える世論が今国会での成立に反対しました。8月30日、国会前12万人、国会周辺35万人、全国で100万人の人たちが抗議の集会・デモを決行しました。
 9月17日、参議院特別委員会は野次と怒号の中、議事運営のルールもかなぐり捨てて、無法状態の中「採決」を強行に宣言しました。9月19日未明、参議院本会議で強行採決し「戦争法」を通過させました。
 戦後70年をかけて築き上げてきた我が国の平和と自主独立の努力を放棄して、対米従属の戦争国家としての歩みを始めました。まるで日本国民やアジアの人々の不安や怒りや哀しみをあざ笑うかのように、胸を張って。
 その暴挙によって国民とその一人である私を侮辱したことを忘れません。(石本隆司、松森俊尚)
 ※いま無関心でいるわけにはゆきません。私たちは同法に反対し、横暴に抗議するために、次の参議院選挙の日まで、「6」の付く日に以上の抗議文を、フェイスブックに投稿し続けようと思います。
 181.女優の圧倒的存在感(2016年3月31日更新)

 たとえば今回東京に行くときでも、妻はいつの間にか安売りチケット屋で、JR東海の株主優待券を購入してきて私に差し出します。つまり安売りチケットよりもさらになにがしかの「得」を生み出そうと考えてのことだと思います。きっとその習慣化した経済観念の延長線上にあると思うのですが、芝居や映画や音楽会の招待チケットの申し込みにも、書き損じのはがきを使ってせっせと投函しています。そして、けっこうの頻度、しかも無料招待券が届くことがあるのです。
 今回は、日本映画監督協会創立80周年記念の、映画『下町の太陽』と、山田洋次監督と主演の倍賞千恵子のトークショーの招待券が当たりました。インクルDBと道徳の教科化反対の集会でパネルディスカッションに参加した翌日、私はその招待券を手に、東京に住む息子といっしょに浅草の「雷5656(ゴロゴロ)会館」に向かいました。
 50年前の山田監督の2作目だそうですが、格差と貧困が広がる現在の日本社会とそのまま重なる問題を提起している、決して色あせていない優れた作品でした。根岸吉太郎監督が司会する3人のトークショーは、センスのよい会話が...つながれて行く心地よいものでした。
 最後に一言ずつ述べるのですが、マイクを渡された倍賞千恵子は「ワンコーラスだけ歌わせてもらってもよろしいですか」と言います。拍手が沸き起こりるなか、すっくと立ちあがって一歩踏み出します。まったく打ち合わせになかったそうですが、スポットライトが1本あたり、会場の雰囲気が変わりました。しばし目を閉じて沈黙がうまれ、会場は静まり返り、舞台に立つ一人の女優にくぎ付けになりました。そしてアカペラで、歌い始めました。静かに静かに、一言一言、言葉をかみしめて語り掛けるようにゆっくりと歌います。圧巻でした。恥ずかしながら、心を動かされ、わしづかみにされて、涙がこぼれました。おそらく会場のだれもが、舞台の袖で見つめていた二人の監督も。こんな感動は初めてでした。一瞬にして女優になり、満場の人々を虜にしてしまう。女優とはなんとすごい存在なんだと思いました。
 妻の、金額にすれば百円にも満たない節約の習慣が、私にとてつもない大きなプレゼントを送ってくれました。


 180.民主主義についての二つの話
〈その1〉
昨年末になるのですが、東京に行ったついでに藤田嗣治の作品展を見たくて、特に彼の戦争画全作品を展示していると聞いたので、上野の美術館に向かいました。ところが会場が全く別のところと判明し、無駄足かと思った時、東京国立博物館「始皇帝と大兵馬俑」展開催のポスターを見つけました。
 それは紀元前221年に、中国大陸を初めて統一した秦の始皇帝の絶対権力者としての威力をまざまざとみせつけるものでした。現在もなお発掘が続いているという8000体もの陶製の軍団、兵馬俑はもちろんのこと、祭祀、軍事、政治に使われた様々な道具や、重さや長さの基準の策定、水道などの生活インフラの技術など、目を見張るものばかりが並んでいました。一つひとつに感嘆しながら、2200年の中国における権力の変遷や、その時々の時代に暮らした無数の人々の姿が想像されてきます。
 ふと、私たちの国の「民主主義」の歴史は、敗戦後の高々70年にしか過ぎないことに思い至りました。片や2000年を超える歴史の変転を見せつけられると、いったい私たちは民主主義の何を理解して、...挫折や苦悩を経験し、民主主義を守るために闘ってきたのだろうかと、目の前の「勝った・負けた」に一喜一憂する自分が、いかにも薄っぺらなものに思えてきました。判定はせめて100年後の人々にゆだねるくらいの視野の長さを持つべきなのかもしれません。
〈その2〉
 映画『独裁者と小さな孫』を観ました。そのラストシーンで、ネタバレしないように控えめに書きますが、独裁者と孫の二人が民衆と反乱軍に取り囲まれ、銃殺されようとするその時、ひとりの女が叫びます。「そんな簡単に殺してはダメ。私の子どもも家族も殺されたんだ。孫を殺すところをみせて、苦しめよう」と。二人の首にロープがまかれ、今まさに孫の体が吊るしあげられようとするとき、政治犯として投獄され、反乱軍によって解放されたと思われる男が割って入り、「この男を殺しても、また次の独裁者が現れるに違いない。憎しみで殺害すれば、憎しみの連鎖が生まれてしまう。本当の民主主義は生まれない」と説得します。斧を振りかざした男が「じゃあどうすればいいんだ!」と叫ぶ。(そのあとは書きませんが)・・・
 そしてエンドロール。往々にして名作といわれる映画が投げかける「答えなき深淵な問いかけ」の余韻に浸っているとき、はたと(そう今度は「はたと」なんです)思い浮かぶものがありました。
 イラン出身で現在国外で活動する監督モフセン・マフマルバフの脳裏には、独裁体制に抗議し政権を崩壊させた、「アラブの春」の民衆の蜂起と、その後の中東の現実が重なっていることでしょう。「じゃあどうすればいいんだ」との叫びは監督自身のものかもしれません。ところが私たちは、そのとてつもなく大きな問いかけに対する、「具体的な回答」を手に入れているのではないでしょうか。独裁者を出さないため、民主主義を守るため、戦争をしないために、敗戦という歴史を契機につくられた具体的な回答、それが「日本国憲法」なのではないでしょうか。よもや手放すまいと、改めて心を決めるしかないではありませんか。


  179.2016年あけましておめでとうございます。

「老いる」とはなかなか面白くて、単に体力が衰えて死が近づくことだけではないようです。私のように「2回目のいのち」を生きはじめた身としては、なおのこと興味は尽きません。ましてや大先輩たちの目を見張る活躍をまざまざと見せつけられては、「歳を重ねる世界・高齢者の世界」の奥深さを否応なく考えさせられてしまいます。

 月刊「生活と自治」(生活クラブ連合会発行)の教育コラム、『魂のバトンリレー』の連載を終えました。退院後の自分を支えた仕事であり、2年間の約束を果たせたことは大きな自信となりました。感謝多謝!

 戦争体験者の世代から受け継いだ「平和、民主主義、自由」の意味と大切さを、若い人たちに引き継ぐために、あきらめない勇気、無関心でいないための勇気を持ち続けたいと思います。


 178.久しぶりに家族会議を開きました。
 5月の「都構想・住民投票」のときに、我が家の玄関に「看板」を張り出した話はすでにFBでも投稿させていただきました。今回の大阪府知事選・市長選のW選挙にあたっても、「なんか張り出そうやないか」との話にはなっていたのですが、「さて何を書くか」「何を言いたいか」は、家族会議で決めようといったままに日にちが経って行きました。この日は、前日から夕食後に話し合おうと決めていたというわけです。
 とはいうものの、のんびりとした食事と、テレビを見ながら過ごすうちに、何やら改めて身づくろいをするようで、私がそうであったように、きっとみんなも億劫に感じてきて、誰もが声を上げずに時が過ぎてゆきました。と、ひとりの娘が「うーん、カゾクカイギやるんかな…?」と、そろそろ眠たげな表情も浮かべて、切り出しました。
 面白いもので話し始めるとなかなか活気が戻ってきて、いろんな意見が飛び交います。
「住民投票無視するハシモト維新」「ふつうにアキレルわ!ハシモト維新政治に反対!」「恫喝と暴力の政治はいやや」「そろそろ黙ってたらアカン気がする」・・・...
 さて、なんと書こうか、まだ思案中です。はよせんと!


177. わかったようで、実は何もわからない言葉の一人歩きの不思議
 地下鉄に乗って、何気なく吊り広告に目をやると「グローバル人材を育てます」と書かれた大学の宣伝コピーが目に入りました。「はてグローバル人材とは、どういう人種をいうのだろうか?」と、降りるまでの二駅をあれやこれやと考えてしまいました。もちろん依頼主である大学も、キャッチコピーを制作した広告代理店も、「グローバル人材」を(相当高く)評価しているに違いないのですが、具体的な姿が全く浮かんでこないのです。
 心に引っかかりながらいると、新聞でもテレビでも雑誌でも、次々と出てくるではありませんか。政治でも経済でも教育でも、分野を問わずなんにでもくっついて顔を出してきます。グローバル企業、グローバル経済、グローバルな学力、グローバルな…。
 ユニバーサルデザイン、ダイバーシティー、イノベーション、さしずめこれらも同じ類の言葉といえるのかもしれません。なんだか進歩的な感じがして、ちょっぴりあこがれも込めて使いたくなったり、自負心をくすぐるような快感があったりするのだけれど、それが何なのか実態がわからない...ままに雰囲気だけで了解してしまったり、会話が成立してしまったり。
 こんな調子で政治家や企業家やメディアの話に乗せられてしまっては大変です。「あなたはグローバリズムという言葉をどういう意味で使っているのですか?」と問いかけて、お互いに言葉の定義を理解したうえで会話するような流儀を、私は持ちたいと思います。
 「一億総活躍社会」なんて、近頃まれに見る見事に空洞化した「言葉の抜け殻」でしかありません。


 176.戦後70年目の広島と長崎を回る(2015年10月17日更新)
 毎年7月の中頃「平和行進」がありました。現在も続いています。暑い盛りの日中を寝屋川市から門真市、終点の守口市役所に向けて3時間から4時間、ひたすら歩き続けます。原爆被害者の会の方たちを先頭に、教職員組合、自治労、民間労働組合、市民が集まり、150人ほどの隊列を作って、シュプレヒコールを上げながら行進します。「子どもたちに核のない未来を残そう!」「原発の再稼働反対!」「核兵器を廃絶しよう!」などと訴えながら歩きました。20年以上、私も毎年行進に参加しました。
 全国を網の目でつなぐ平和行進のバトンリレーが最終地点にどのように届くのか自分の目で確かめたくて、退職する5年ほど前から、毎年広島と長崎の原水爆禁止世界大会に、交互に参加しています。今年は戦後70年を迎え、ぜひ広島から長崎へと訪ねる旅をしたいと思いつきました。酷暑の中、ほとほと体力に自信がないのですが、妻と二人とにかく「ゆっくりと」を合言葉に1週間歩いてみようと決意しました。
 戦後70年の広島と長崎は、例年にも増して多くの人たちが集まり、祈念式典でも会場の平和公園をうずめた参加者の熱気が噴出していました。安倍政権に対する批判と危機感の高まりが、その背景にあるものと実感しました。また戦争体験・被爆体験の継承が、切実な課題として現地のマスメディアや関連行事で取り上げられていました。特に長崎では、若い人たちに語り継ぐ試みが様々に取り組まれていて、実際に核廃絶を求める高校生1万人署名運動や国連平和大使、高校生記者など、表舞台で活躍する若い人たちの姿を頻繁に目にすることができました。「私たちは微力だけれども無力ではない」という高校生たちの合い言葉が、新聞やビラやポスター、あるいは普段の会話の中でも使われていることに驚きました。大人たちから若者に伝えるだけではなく、若者たちの行動や主張、言葉を、大人たちが取り入れて、相互に交流しながら平和活動に取り組む姿に目を見張りました。平和運動は、ジワジワ・ジワジワと長い年月をかけて醸成して行くものだと、改めて感じさせられました。


 175.強行採決の暴挙を許さない!(2015年8月19日更新)
 今日は新たな“たたかい”のはじまり。しかし一人ではない、知り合いだけではない、組織だけではない、年齢も職業も経歴も生活環境もちがう見ず知らずの人たちが、自分の意志で足を運び、顔を合わせ、全国で陸続と集まり声を上げ、こぶしを突き出し、プラカードを掲げ、デモ行進をする。こんな“たたかい”は初めてだ。9月の国会会期末まで負けられない“たたかい”が始まったのだ。そして、なにか希望を託すことができるものが生まれるかもしれない、そんな予感もしている。
私の抗議の意思は収まるどころか、高まるばかり。
2015年7月16日 抗議の意思を投稿します。
 私は「特定秘密保護法」、並びに「集団的自衛権行使容認」の閣議決定、さらに「安全保障法制の関連11法案」に反対します。安倍晋三政権と自民党、公明党は、2013年12月6日、国民の声を無視して「特定秘密保護法」の強行採決を行いました。さらにその後、国会周辺や全国各地で集会とデモ行進が広がるなど、国民が反対を表明し、多くの地方議会でも「反対あるいは慎重審議を求める要望」が議論されたにもかかわ...らず、それを無視して2014年7月1日「集団的自衛権行使容認」の閣議決定を行いました。2015年5月14日、あろうことか日本の国会論議を経る前にアメリカ議会に約束した、「安全保障法制の関連11法案」を臨時閣議で決定し、ついに7月15日、「憲法違反」「説明不足」「戦争法案」など、日ごとに増える国民の反対する声を無視し、圧殺して、特別委員会で強行採決を行いました。戦後70年をかけて築き上げてきた我が国の平和と自主独立の努力を放棄して、対米従属の戦争国家へと突き進もうとしています。その暴挙によって国民とその一人である私を侮辱したことを忘れません。(石本隆司、松森俊尚)
 ※いま無関心でいるわけにはゆきません。私たちは同法に反対し、横暴に抗議するために、次の参議院選挙の日まで、「6」の付く日に以上の抗議文を、フェイスブックに投稿し続けようと思います。


 174.安保法制の強行採決が迫る中で
私の友人にも創価学会会員の人たちがいます。優れた教育者であり、子どもたちの貧困や社会的格差の問題に胸を痛め、子どもたちに寄り添いながら様々な教育実践を真摯に取り組んできた人たちもたくさんいます。もちろんその土台となる平和な社会を築くために、戦争と差別に反対し、憲法と人権を守るために行動もしてきました。その人たちが、今の安保法案を提出し強行採決をはかろうとする公明党をいったいどう見ているのだろうかと、思う時がしばしばあります。
 創価学会員の人たちが、安保法案を合憲だと言い張ったり、自衛隊が海外で武器を使用し殺し・殺される事態を受け入れることなど、思想の問題だけではなく、信仰上の問題としてもそれを良しとすることはありえないだろうと、私は考えます。与党内で7月中旬にも強行採決を画策していると伝えられる中、創価学会の中で声を上げ、公明党が政権を離脱するくらいの圧力を掛けてほしいと思っています。
 今日も抗議の意思を投稿します。
2015年7月7日 抗議の意思を投稿します。
 私は「特定秘密保護法」、並びに「集団的自衛権行使容認」の閣議決定、さらに「安...全保障法制の関連11法案」に反対します。安倍晋三政権と自民党、公明党は、2013年12月6日、国民の声を無視して「特定秘密保護法」の強行採決を行いました。さらにその後、国会周辺や全国各地で集会とデモ行進が広がるなど、国民が反対を表明し、多くの地方議会でも「反対あるいは慎重審議を求める要望」が議論されたにもかかわらず、それを無視して2014年7月1日「集団的自衛権行使容認」の閣議決定を行いました。2015年5月14日、あろうことか日本の国会論議を経る前にアメリカ議会に約束した、「安全保障法制の関連11法案」を臨時閣議で決定しました。戦後70年をかけて築き上げてきた我が国の平和と自主独立の努力を放棄して、対米従属の戦争国家へと回帰しようとするものです。その暴挙によって国民とその一人である私を侮辱したことを忘れません。(石本隆司、松森俊尚)
 ※いま無関心でいるわけにはゆきません。私たちは同法に反対し、横暴に抗議するために、次の参議院選挙の日まで、「6」の付く日に以上の抗議文を、フェイスブックに投稿し続けようと思います。


 173.言葉を大切にしたい!(2015年7月11日更新)
“知的障害者を普通高校へ北河内連絡会”の定例会を開きました。24人の参加があり、3組の家族が新しく参加してくれました。いつも思うのですが、当事者やその家族の話す言葉は、どうしてこんなに心に沁み込み、ひたひたと感情の襞を静かに震わせながらからだ中に広がって行くのだろうか、と。
 たとえば一人のお父さんが語ります―これまで妻が2度ほど参加していたのですが、今度はあなたが行っといでと言われて来た。中学1年のダウン症の息子は、通常学級と支援学級を往復しているが、周りもあたたかくて、本人も楽しく通学している。成績はよくないが、勉強は嫌いではない。毎日家で母親がそばについて、3〜4時間やっている。それでこの点数かと思うとツライ。でも本人がまだ伸びる余地があると思うので、ワーク(市販の教材)を2時間3時間やっているのだが成績が上がらない。
 そんな時に夫婦で「タンク理論」を考えた。何事もタンクに溜まったらできるようになる。溜まるまでのスピードが人によってちがっているのだと。そう思うと少し落ち着いて見られるようになってきた。自分が子どもの頃はみんなで遊んでいた。...いろんな人たちといっしょにいて、いっしょにやることが大切なんじゃないか。勉強も何でもかんでも分けるようになってきた。習熟度別もおかしい、教え合うことが必要ではないだろうか。世の中が分ける方向に行っているが、そうではないのではないか。障害だけではなく全体として考えないと、と思うようになってきた… ―
 ゆっくりと話をされる。それを受けるように、周りから話が重ねられていき、交流が続きます。夫婦で編み出した「タンク理論」の話などは、聞きながらわが子を何とか理解したいと望む切実な期待と、理解しようと取り組む努力と、共に生きる覚悟が、フツフツと浮かびあがってきます。
 こうした言葉を交わしながら、少しずつ少しずつ、人との結びつきを広げて、「こと」が進んでいくのだろうな、きっと、と思ったものでした。フッと、安倍晋三や百田尚樹、橋下徹たちの、相手を押さえつけ殴りつけ支配する暴力的な言葉の対極にあるものだと思いました。


 172. “竜一忌”番外編(2015年7月3日更新)
6月13日、大分県中津市で開かれた“竜一忌”番外編に妻といっしょに参加しました。
 松下竜一さんが2004年6月17日に亡くなって以降、毎年全国から200人を超える人たちが集まって開かれてきた“竜一忌”でしたが、昨年の第10回をもって終了することになっていました。しかし、私もその一人なのですが、形を変えてでも、雑談をするために顔を寄せ合うだけでもいいから集まる機会を作れないかとの声が、草の根の会にたくさん届いたそうです。そして開かれたのが「番外編」と銘うった会でした。
 2時から梶原得三郎さんの挨拶の後、 “草の根の会”の渡辺ひろ子さんの軽妙な司会で次々と参加者が前に出て話します。5時30分までの3時間半、ただただ延々と話が続き、また聞き続けます。それがとっても豊かな時間に思えるのですから、これが“竜一忌”の真骨頂だと改めて思わずにおれません。一人ひとりが日々の生活を語り、身近に起こった事件を伝え、たたかいを報告し、連帯を呼び掛け、愚痴をこぼします、その度にため息や怒りや哄笑が会場に広がります。
 松下さんと妻の洋子さんを描いた二人芝居『かもめ来るころ』に主演した高橋長英さんが、「水俣を一人旅した後、『番外編』があると聞いてやってきました」と、挨拶をされました。ちょうどその日の朝日新聞に松下さんのことを書かれた直木賞作家の葉室麟さんも、松下文学について語りました。私も話をさせていただき、松下さんとの思い出や、大阪市の住民投票について話しました。
 80人の参加者がありましたが、時間がなくて話せなかった人は、恒例の「居酒屋 大将」での2次会で話し継ぎます。いつもながらの屈託なく言葉を交わす無礼講の場です。私は大好きな高橋長英さんと杯を交わし、ちゃっかりと写真を撮らせてもらいました。番外編の最後にも、2次会の締めでも、しつこくひときわ声を強めて、草の根の会のスタッフから「“竜一忌”はこれで最後にします」との言葉が宣言されました。
 松下竜一さんがいなくなった後、私にとって“竜一忌”は「人生のすすみ方を教えてくれとまでは言わないが、自分が時代や社会や状況の中で、今どこに立っているのかをさし示してくれる羅針盤」でありました。60歳を過ぎて尚、自分の歩く道筋が揺れ続け自信を持てないでいる私は、さてこれから何にすがって行こうかと、我が家に掛けてある松下竜一の写真に向かって、それでもまだ相談しているこの頃ではあります。


  171. 大阪で“首の皮一枚の希望”がつながりました。(2015年6月16日)
 昨日は住民投票日、FBや携帯に送られてくる情報を見ながら、終日落ち着かない時を過ごしました。形勢は逆転に次ぐ逆転でハラハラドキドキ、久しぶりに興奮して「開票終了」の文字を見て、家族で大きな歓声をあげました。
「首の皮一枚の希望がつながった」というのが私の実感です。たとえ厚さ「0.5ミリ」でも、「0」ではありません。大阪だけにとどまらず、日本という国の状況を変えて行くヒントがここにあると私は考えています。まず、ハシモト・トオルとはなんだったのか、維新とはなんだったのか、をしっかり追求しなければならないと思っています。時あたかも沖縄では、「辺野古米軍基地建設反対」の県民集会が開かれていました。私はその熱い熱気を想像しながら、心の中で連帯し続けていました。