
(05年3月7日連載開始)
ひかるさんは自閉症という障害を持っている。1週間に1時間だけ、体育の授業にクラスに帰ってくる。後はすべて「たけのこ学級」で過ごすことになっている。これでは、3年1組の仲間としての関わり合いが生まれようはずがないと僕は思っている。何よりもさびしい。
ひかるぅ 走るぞぉ!!
初めての体育の時間、ひかるさんは「たけのこ学級」のY先生に手を引かれてやって来た。みんなでにぎやかにいろんな走り方の学習に取り組んでいたのだが、ひかるさんはY先生の腕にしがみついたままみんなの中へ入ってこようとはしない。
僕はひかるさんの班のT君に「ひかるさんと一緒に走ってくれよ」と声をかけた。「ウン」と返事をしてT君は近づき、「ひかるぅ、走るぞぉ」と呼びかけ、手を伸ばす。ひかるさんは動こうとしない。練習を繰り返す中で、何度もT君は駆け寄り声を掛ける。「ひかるぅ、走るぞぉ」。手をつかんでスタートラインまで引っ張って行こうともした。それでもひかるさんは、やっぱり一緒に走ろうとはしなかった。
しかしT君の「ひかるぅ、走るぞぉ」と呼びかける声は、いかにも元気者のTらしいぶっきらぼうな響きと、それでいてひかるさんに対するやさしさに溢れた響きがあって、僕はとても好きだった。
その日のことを連絡帳に書いたところ、翌日お母さんからの返事が届いた。さっそくみんなの前で読み上げた。
◆
・・・T君とは、保育所で1年共に過ごしてまして、小学校に入ってからは、クラスもちがってたけど、2年たっても「オイ、ひかる」って言ってくれてうれしいですね。
やはり共に過ごす時間って大切なんだなぁと思いました。・・
◆
Tはハニカンだ笑いを浮かべていた。「週に1時間ということは、3年生の1年間で35時間しかひかるさんと一緒に勉強できないということだ。これはさびしいよ」、僕は本音を漏らした。
「ひかるさんと遊ぶ時間つくろうや」「ひかるさんとの交流会をしよう」と声が上がり、「遊び係」が計画を練ること、手紙やプレゼントを渡すために、「プレゼント係」をつくることが決まった。瞬く間に計画が出来上がり、交流会に向けてクラスを挙げた全員の活動が繰り広げられることになった。(つづく)
交流会(3月17日更新)
「ひかるさんと一緒に勉強する時間が週に1時間では、ひかるさんのことが何にもわからへん、だいいちつまんない」と言い出した子ども達は、遊び係とプレゼント係を中心に「ひかるさんとの交流会」を計画した。
プログラムやプレゼント作りが学級会に提案され、交流会の準備が着々と進められていった。その行動力に目を見張ったものだった。
係りが「たけのこ学級」の先生に、「午前中を使った交流会」を頼みにいく。「とても忙しいので今は無理です」と断られてしまった。ここで諦める子ども達ではない、「それでは、日を分けて2日間でやったら?」、その日のうちに答えがもらえなければ次の日にまた顔をのぞかせ、「じゃあ半分の2時間ではどうでしょう」・・・、毎日足を運びしつこい交渉を繰り返して、ついに木曜日の3・4時間目の交流会が実現することになった。
ひかるさんのお父さんもお母さんもハラハラドキドキしながら迎えた当日だったことだろう。たけのこ学級の先生たちも気が気でなかったにちがいない。ところがどうだ、日直さんと一緒に教室にやってきたひかるさんは、満面に笑みをこぼし、「これからいったい何が始まるのか」と期待を膨らませているかのようにすら見えた。
サッと自分の席に座った。「開会のあいさつ」、そしてフルーツバスケットが始まった。自分の周りで友達がはげしく走り回り、にぎやかに声を上げるのを見ながら、何を思っていたんだろうか。時にはまねるように腰を浮かしたりする。友だちに手を引っ張られて動くこともあった。
交流会のようすは、文集『ひかるさん』に編んだ子ども達のつづり方に詳しく描かれている。
◇
ひかるさんがしゃべった O君
今日ひかるさんとの交流会をしました。フルーツバスケットをして、ぼくは、1回も前に出なかった。赤白ゲームをしました。まちがえてしまいました。おわってひかるさんと遊びました。アイロンビーズをとると、「やめて、やめて」と言っておもしろかった。自分でも(ひかるさんがしゃべった)と思った。
(ひかるさんは、こんなに楽しそうな顔をしているな)「ひかるさん楽しい」と聞くと、「う、うん」と言ってくれました。
えがお Y子
わたしはフルーツバスケットの時、ひかるちゃんのとなりにすわっていました。ひかるちゃんがわたしの方を見て、うれしそうにわらってくれました。うれしかったです。
もうすっかり友だちです。ほいく所のときいっしょだったから。わたしは先生に言いました。「わらった わらった」、その時はすっごくかわいかったです。
「たのしんでくれてありがとう」っと言いたかったです。
「フルーツバスケット」「こっちひかるちゃん」手をはなしてしまったせいで、おにになってしまいました。かわってあげればいいけど、自分もおにになりたくない。どうしよう。「自分のせいだ、自分のせいだ」と思っていました。
フルーツバスケットより、ひかるさんのやりやすい遊びをもっともっと考えたいです。
◇
交流会はたったの2時間しかなかったのだけれど、その間子ども達はみんなひかるさんを見つめ続けていた、ひかるさんのことを考え続けていた、ひかるさんに触れていた。「出会うこと」「共に過ごすこと」って、かけがえのないことなんだと改めて思った。子ども達とひかるさんとの「かかわり」が始まった。
それにしてもと思う、同じクラスの友達と遊ぶのに「交流会」と呼ぶのは何かへんだぞって。学級会では自然に「交流会」という名前が提案され進められてきたんだけれど、子ども達とひかるさんとの距離を素直に表しているんだろうな、きっと。
お母さんからの手紙(3月28日更新)
翌日の連絡帳には、お母さんから3年1組の子ども達に宛てた手紙が書かれてあった。
◇
3年1組のみんなへ
今日はひかると遊んでどうでしたか?雨が降ってて外に出られなくて残念でしたね。
ひかるは楽しそうにみんなと過ごせたと先生からの連絡帳に書いてあり、そのようすを想像してうれしくなりました。またみんなと楽しく過ごす時間が持てるといいですね。
みんなが計画してくれたことが実現するということは、すごいことだと思います。
それとプレゼントありがとう。ひかるの母さんは、みんながひとりずつ書いてくれたカード、とてもうれしくて宝物にしようと思っています。ありがとう。みんなも毎日、勉強、運動、お手伝いとがんばってください。
◇
交流会を境に、いろいろなことが変わってきた。大きな変化と言ってもいい。 数日後、班替えをしたときに、いくつかの班から「うちの班にひかるさんを入れたい」と言う声が上がってきた。じゃんけんでひかるさんの取り合いまですることになってしまった。そして毎日、2時間目の始まるときに教室に来て、クラスのみんなと朝の挨拶をするようになった。こんな機会を逃す手はない。短い時間ではあっても、みんなでゲームをしたり、紙とエンピツを渡して絵をかいたり、ついつい長居をすることになり、たけのこ学級の先生が迎えに来ることになってしまう。(「たけのこ学級」は市内の情緒障害児の集中校になっているため、校区外からバスや自家用車で登校する子ども達も多数在籍している。そのため始業は2時間目からとなり、終業時は30分以上早く下校する。年間200日として、少なく見積もっても1年間で300時間の学習権を恒常的に奪う制度だと僕は考えている。)
交流会の準備で掲示係が飾り付けをしているとき、後ろの黒板に色チョークで大きく、「3年1組 みんな友だち」と書いていた。「いい言葉だなぁ」と思った。交流会を計画し、実行した子ども達の気持ちが、その中に見事に表されているように思えたものだった。クラスの学級目標に使わせてもらった。ひかるさんがいてくれたおかげで生まれた学級目標でもあった。
ひかるさんが教室でかいた絵
マンガ『光とともに』(4月9日更新)
交流会を終えて以後、ほとんど毎日お母さんから連絡帳に託した手紙が届くようになった。その中に「この本は私の家のバイブルなんですよ」と書かれて、『光とともに・・・』(戸部けいこ 作 秋田書店)の紹介があった。「学級文庫に入れようと思うんですが」と書き送ると、さっそく子ども達に宛てた紹介の手紙を書いてくださった。ひかるさんへの愛情や、卒業までひかるさんの友だちとして付き合うであろう子ども達に寄せる期待の大きさが、文章のあちらこちらからモコモコッ・モコモコッと溢れ出している。
◇
みんなは「障害ってなに?」って聞かれて、うまく説明できるかな?
大きくかんたんに説明してみると、一つに「身体障害」、これは手足や、耳や目が不自由で、からだの機能が病気なこと。車いすに乗ってたり、白い杖をついたりする人見たことあるかな。
もうひとつに「知的障害」、これはからだは元気だし、からだを動かすことも普通にできるけど、「脳」の一部が病気で普通に生活することがむずかしい人。
それともうひとつ、この二つの障害が合体している障害。「脳」の部分が病気で、からだもうまく動かせなかったりする。
本当に「障害」のタイプはたくさんあってむずかしいです。とても覚えられないし、うまく説明もできないから、知ってもらうしかないんだ。
これからみんなの学級文庫におめみえするであろう本(マンガよ)は、「知的障害」の中に入る「自閉症」の男の子(東光)が主人公です。
ひかるちゃんも、その「自閉症」だよね。
みんなはひかるちゃんのことは少し知ってるよね。「言葉がうまくしゃべれない」とか・・・。でもそれは、ひかるちゃんの全部じゃない。みんなはひかるちゃんの全部は知らないと思う。でも、初めてひかるちゃんんを見た人(会った人)とは、比べものにならないくらいひかるちゃん(自閉症)っていうことを知ってくれている。
それは「いっしょにいるから」かな。
この本『光とともに・・・』っていう本は、「自閉症と言えば、何も説明しなくても理解してくれる世の中になればいいな」という願いをこめて書かれています。
世界中の人がこの本を読んで、「自閉症」を知ってくれていたとしたらどうだろう。すごいことだよね。世界中の自閉症の人にとってとてもうれしいことだし、とても心強いことだよ。
みんながひかるに対して思ってる、「ここが変わってる」とか、「わたし達とはちがうから」っていう気持ちが、ビミョーにちがってくると思います。
いつも のへー とわがままいっぱいのひかるだけど、せいいっぱい生きているということがわかってくれると思います。(それが自閉症の特徴なんだってことがね)
そして障害を持って生きている人たちには必ず助けがいるってこと。足が不自由な人には車いすがいる。でも車いすだけあればいい?階段や坂道に合えば、後ろから押してあげる「人」がいなくちゃ登れないよね。
そして自閉症のひかるには「自閉症」を理解して、共に生きていってくれる「人」が必要です。
その「人」になるには時間がかかるし、ずーといっしょにいてもなかなかむずかしいものなのです。
「自閉症」を理解する第一歩がこのマンガなのかもしれません。マンガだから読むのも楽ちん、むずかしい字ばっかりの本だと読みたくないなぁって思っちゃうけど、だいじょうぶです。
『光とともに・・・』を読んで思ったこと、また教えてください。
今は1〜4巻までですが、今もひかるの話は続いています。「つぎも読んでみたい」、「ひかるがどうなっちゃうのか気になるー」って思ってくれたらうれしいなぁ。
(ひかるの母でした)
◇
学級通信に載せたその日から、『光とともに』の争奪戦が始まった。1週間待ち・2週間待ちの予約がぞろぞろと出てくる。ちゃっかりと4巻から読み出す知恵者も現れる。翌日は、「お母さんが予約してって言うてんねん」との声も、何人もから届いた。「今日本買いに行くねん」と言う人もある。ちょっとした「光・ひかる」ブームが巻き起こった。
「みんなちがってみんないい」オレそう思わへん!!(4月17日更新)
2学期、金子みすずの詩『わたしと小鳥とすずと』に取り組んだ。
わたしと小鳥と鈴と
わたしが両手を広げても
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥はわたしのように
地べたを早くは走れない
わたしが体をゆすっても
きれいな音は出ないけれど
あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな歌は知らないよ
鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい
最後の1行の「みんなちがってみんないい」について話し合っているときだった。「金子さんが言っているように、みんなちがっていていいんだ」「ちがていることが大切なんだ」という意見がほとんどを占めていた。そんな中でT君がやおら手を上げて、そして発言した。「ぼくは、そう思わへん」と。
「だってな、ひかるはジヘイショウという障害持ってるやろ。うまく話ができへんし、聞くこともできへん。みんなとちごてるやん。ちがってるから、2時間目のはじめだけしか来られへんし、みんなといっしょに遊んだり、勉強したりでけへんねん。・・・オレ、ひかるもいっしょにいてほしいねん。」と言うのだ。「だから『みんなちがって、みんないい』というのはまちがってる思うねん。」と発言した。
次々と反対意見が出る。「ひかるさんは、たけのこ学級で勉強してるし、遊んでいる。3の1にも時々来てるやん。」「わたしらで計画して交流会もやったやん」「たけのこ学級の友だちもいてる」「障害があっても3の1の友だちやんか」・・・だから「ひかるさんは障害を持っててみんなと違ってるけど、ちがっててもいいんだ」と言っている。
T君は、それらの意見の一つ一つに手を上げて反論していく。「ちがうねんなぁ、オレの言いたいことは・・・」などと前置きもしながら、言葉を捜すようにゆっくりとした口調で発言を続けていく。「ひかるとオレらは友だちやから、いっしょにいたいし、勉強もしたい。休み時間もいっしょにいたいんや」「交流会じゃなくて、いつもいっしょにいたいねん。」
T君の発言を聞きながら、「何かTの言いたいことわかるような気がしてきたわ」「自分の意見が変わってきた」という人たちも現れてきた。
T君は続ける、「たけのこだけではない、オレらといっしょの『思い出』を作れるやん。ひかるとの思い出をみんなで作っていきたいねん」「オレは、ひかるといっしょにいたいねん。みんなといっしょがいいんや。」
「ちがいを認め合う」と言うなら、なぜ分ける?
子ども達はみんな、生まれも育ちも、顔や姿・形も違っている。ものの見方・考え方・行動の仕方もちがう。障害を持っている人も、国籍の違う人もいる。ちがっているから排除する、のけ者にするのではなくて、「ちがいを認め合って、共に生きる」ことの大切さ、すばらしさは誰もが口にする。僕もそう感じ、発言もしてきた。しかし僕自身がこれまでに、T君ほどそのことを深く考えたことがあっただろうかと自問してしまった。
T君は、ひかるさんを当たり前に友だちだと思っている。保育所の時にはいっしょに学んだひかるさんが今分けられてしまっていることをおかしいと感じている。「みんなちがって、みんないいと言うなら、なぜ分ける?」、ひとりの友だちに寄り添うことで、学校の「仕組み」までを厳しく批判しているように僕には聞こえて来た。
この話し合いの授業に取り組んでいる間、T君は発言する一人一人を目を凝らして見つめ、一言も聞き逃すまいと真剣に聞き耳を立てていた。前の席の人がエンピツや筆箱で机をたたいたり、手遊びを始めたとき、「ちょっとやめてぇや」「静かにして、聞こえへんねん」と注意を促していた。「授業中おしゃべりをしたり手遊びしたら怒られる」からではない、「自分が友だちの意見を聞きたかった」から注意した。普段「オレ勉強ぜんぜんわかれへんねん」と、豪快に笑い飛ばす元気者のT君の、深く学び合う姿でもあった。
給食(5月7日更新)
2学期に入って、ひかるさんは火曜日と木曜日の2日間、給食をみんなといっしょに食べるようになった。もちろん入学以来初めての経験である。「許可」(!)の下りた理由は、「大嫌いだった牛乳が、2年間の訓練で飲めるようになったから、次の段階へ進んでもいいだろう」ということであるらしい。
初めての給食の日、周りを眺めながら、友達を真似るようにてきぱきと行動する。お盆を手に配膳を受ける列に並び、手渡されるおかずやパンを受け取って席に着く。たけのこ学級の先生がひかるさん用に準備した給食を持って現れると、頑なに首を振って受け取ろうとしない。「わたしは自分で用意したからそれはいらない」と言わんばかりの勢いで拒否をする。おかげで、僕がいつも冷えたおかずを食べる羽目になってしまった。
給食が始まると、やはり牛乳から飲み始めるのだが、よほどキライらしく、キャップを取る動作も緩慢で、コップに移してチビリチビリと飲んでいく。飲み終わらないと次に手をつけないので、牛乳だけで給食時間が終わってしまう。誰だって嫌いなものから食べなさいと言われると苦痛を感じるにちがいない。せっかくの食事の楽しさも半減してしまうというものだ。しかしどれだけ言っても、やっぱりひかるさんは牛乳以外のものには手をつけようとはしなかった。
2回目以降、4時間目が終わるとすぐにやって来ては、廊下に並ぶ当番の列の先頭に入り、配膳の仕事もやるようになった。食事中、次から次へと子ども達はひかるさんに声を掛けにいく。「牛乳ハヨ飲んでしまい」「おかずも食べてええねんで」「パンもおいしいで」・・・、中には肩をぽんとたたいて振り返る顔に、ニィと笑顔を向けるだけで通りすがる者まである。今まで少人数の教室で、教師と二人向かい合って、静かに食べてきたのであろうひかるさんにとって、しゃべり声や笑い声があちこちで響きあう教室で、入れ替わり立ち代りやってきては話しかけられ、おせっかいに口元までおかずの容器を近づけられるに至っては、はなはだ迷惑に感じていたかもしれない。
「もううるさいな、ほっといて!」とでも言わんばかりに手で払いのけ、時には立ち上がって体を押し戻して、「ごめんなさい」と困惑した表情で言ったりすることもあった。
写真カード
そんな頃、3人の女子が「センセ、カメラを貸して」とやって来た。そして、牛乳、大おかず、小おかず、パンを廊下に持ち出して写真を取っている。「『光とともに・・・』のマンガに、自閉症の子どもは写真を見せながら言ったら理解しやすいと書いてあったから、やってみようと思うねん」と言う。写真カードを作り、メッセージを書き込んで、ひかるさんの目の前にかざしながら、一生懸命に話しかけている。「ひかるさん、おかず食べていいねんで」「パンも食べや」、カードを順々に出しながら「順番に食べていくんやで」・・・。ほとんど表情を変えているようには見えないひかるさんに悪戦苦闘している。
そんなこんなで1週間、2週間が過ぎた頃、いったい何がきっかけだったのか判然とはしないのだけれど、牛乳を飲み終えた後、おかずパンと食べ進むようになった。給食時間に全部食べ終えてしまうこともある、気に入ったおかずをお替りすることもあった。写真カードのおかげとは、どうも僕には思われなかったのだが。(つづく)
〈写真カード〉
連絡帳(6月13日更新)
お母さんと僕との間で交わしている連絡帳は、ほとんど毎日のように届けられてくる。僕が返事を書くと、翌日には文字も思いもぎっしり詰まったノートがひかるさんによって届けられるという具合だ。
◇
「今年は一歩踏み出す」と言われたお母さんの熱と迫力(?)が新しいことを生み出しているのだと思います。それがひかるさんに伝わらないはずがありません。遊び係が週に2回20分休みを使って「みんなで遊ぶ」ことを提案しています。「そのときはひかるさんも呼ぼう」との声が上がっています。学習も一緒にできないかなと、僕は考えています。これもまた楽しみです。(松森)
◇
学習何に参加できるでしょうね。学年が上がればみんなレベルが高くなってくるので、なかなかむずかしいですね。2年のときに風鈴を紙粘土で作り、色付けをしているのを見ました。これならできるんじゃないかナと思い、ひかるが少しでもできるような(好み)ものであればやらせてみたいと言ってはみましたが。
色塗りだけになっても自分で型を作れなくてもいいのになァと思い、何で誘ってくれないんだろうと思ったですね。
けっこう上手なんですヨ。そりゃ自分好みに偏ってますけど(笑)学童では、網細工も作ってたし、この前はペン立てにご立派な絵をかいていました。信じられないくらい上手でしたヨ。てなわけで図工かナ。
ひかる絵の具の道具も持ってない、必要なかったから、かわいそうだ。自分の顔はかかないけど、他のものならかけますヨ。(気分にもよるけど)今度ひかるが参加できそうな図工には誘ってください。(母)
お母さんの思いを、お母さん自身の言葉で直接子ども達に伝えられないものかと考えるようになった。
お母さん、子ども達の前に
遊び係が2学期も「ひかるさんとの交流会をしよう」と計画を始めた。この機会に「お母ちゃん先生に登場してもらえないか」と相談を持ちかけたところ、すぐに引き受けてくださった。むしろその返事の潔さに、お母さんの決意の大きさを感じたものだった。
教室のドアーをくぐるひかるさんの頭の上に、色とりどりの紙ふぶきが舞い落ちることから始まった、まあなんともにぎやかな交流会とゲームが終わって、いよいよお母さんが子ども達の前に立った。
ひかるさんと3年間同じ学年として過ごしてきたはずなのに、家が別の小学校の校区にあるためか、ほとんどの子ども達がお母さんのことを知らなかった。
そんな初対面に近い中で、「みんな聞いてくれるかな」「うまく話せるかな」と、始まるまで不安を漏らしていたお母さんだったが、開口一番、ひかるさんが赤ちゃんのときの写真を取り出して、「どう、ひかるカワイイと思う人!」と切り出した。みんなも、当日参観していた先生たちも思わず身を乗り出して写真を見つめ、笑顔をこぼし、手を上げていた。そして話に引き込まれてしまった。
出産したときの親としての喜び、かわいくて仕方なかった日々、何か他の子とちがうと感じ始めたときのとまどい、不安、医者から「自閉症」と告げられたときの心の動きを語られる。保育所時代、小学校入学してからのひかるさんの姿、家でのようすを、その時々の写真を交えながら話してくださった。
「まず自分を大切にしてください。自分を大切にできる人は、きっと障害を持った人のことも大切にできると思います。」と結ばれた。すばらしい話だった。一人ひとりが心に残ったたくさんの言葉があったにちがいない。
次々と出る質問にも、一つ一つ丁寧に答えてくださる。給食時間に写真カードを作って悪戦苦闘した女子達も、「わたしら『光とともに』に書いてあったように写真カードを作って、ひかるさんに食べてもらおうとしてたんやけど、お母さんは家で写真カードを使ったりしていますか」と質問した。
「おばちゃんはね、あえて写真を使わないようにしています。しんどくっても、苦労して時間がかかっても、話してわかるようになってほしいと思うんです。大きくなっても、写真でしか理解してくれなかったらこまるしね」と応えられた。人と人がかかわることの深みと、その意味を僕は考えさせられた。
◇
ひかるの話を聞かせてくれてありがとうございました。おいそがしい中、げんこうを書いたり、家が遠いのにここまで来てくださり、ありがとうございました。
わたしは、ひかるのことがよくしりません。わたしの家は、お母さんがしょうかいしてくれた「光とともに」を買っています。その本をよく読んで、自へいしょうのことをもっとよく知りたいです。「光とともに」の東家と生活はちがうと思うけど、できるだけひかるの力になりたいです。
わたしたち3年1組は、ひかるのことを友だちと思っています。また遊びに来てください。
ひかるさんが何ができるようになったのかが問題なのではない、ひかるさんと子ども達が、お母さん、お父さん、クラスの保護者達も巻き込んで、3年1組の1年間を共に過ごしたという紛れもない事実が、それぞれ一人一人の心にかけがえのない経験を刻みつけているのだと思う。(おわり)