
2005年6月1日の集会挨拶 から
僕自身の水俣との関わりは30年近くになりますが、いつも思うことがあります。これまで水俣病の患者さん達とお会いして、話したり、焼酎を飲んだり、時には一緒にハイヤ節を踊ったりしてきたのですが、無類のやさしさを感じるのです。
一方で、皆さんもご記憶かと思いますが、第1次訴訟の頃には「怨」の字を書いた襤褸の旗を翻し、巡礼の白装束に身を包んで激しい闘いをたたかわれてきました。このやさしさと激しいまでの強さがいったいどこから来るのかと不思議でなりませんでした。
患者さん達は身近でたくさんの方達の死を経験されています。親や子、きょうだい、親類や友人など、多くの死と向かい合ってこられました。ひょっとして死んだ方達の魂と共に生きておられるのではないかと思えるときがあるんです。共に生きる魂の数だけ人はやさしく、又強くなれるのではないかと思うようになりました。
僕はそれを「魂のバトンリレー」と呼んでいます。それは「理屈」や「論」ではないんですね。「裏切るわけには行かない」という、亡くなられた方達の魂に対する責任とでも言いましょうか、人を突き動かす行動の哲学のようなものなんだと思います。
もうひとつ思うことがあります。チッソ水俣病関西訴訟の皆さんは、22年間裁判闘争を続けてこられました。1995年には政治決着が図られ、全国の患者団体はやむにやまれぬ苦渋の決断の末和解に応じました。99%の患者さん達が和解に応じる中で、1%の関西訴訟の患者さん達だけが、あくまで国と県の謝罪と行政責任を求めてたたかいを続けられました。
僕のような弱い人間にはとてもできないな、しかも少数で敢然と国家に立ち向かうことなど到底できないなと思ってしまいます。しかし、そうした闘いをたたかうことはできなくても、それを支える応援する一人にはなれると思うんです。
22年の長く苦しいたたかいの末に、最高裁に国と県の責任を認めさせるという勝利を勝ち取られました。足尾鉱毒事件の田中正造に匹敵する、否それ以上の成果だと僕は思います。この闘いを歴史に残すかどうかは、周りのわたし達の責任であり、仕事ではないかと思います。過去の出来事の1ページとして記すのではなく、未来を拓くための歴史として刻むのです。本日の集会の意味もそこにあるのだと思っています。
最高裁の判決にもかかわらず、国はいまだ満足な謝罪もせず、頑なに認定基準を変えようともしていません。関西訴訟の皆さんのたたかいはまだまだ続きます。又、水俣の現地では続々と認定申請をする人たちが出ています。今日現在ではおそらく2000人を越えていることでしょう。
水俣のたたかいは終わっていません。皆さん、今日の集会をきっかけにして、今後とも関西訴訟の皆さんや全国の患者さん達を支え応援する一人一人となっていただけるようお願いしたいと思います。
高齢の身にもかかわらず川上敏行団長が今日の集会に参加してくださっています。川上団長のお話や、お二人の弁護士のお話を通して、きっと会場の一人一人に魂のバトンがリレーされていくと思います。わたし達一人ひとりがしっかとバトンを受け取り、そのバトンを又次の人たちにリレーしていかねばならないのです。
現在日本は、自衛隊がイラクに派兵され、教育基本法、憲法「改悪」までが政治日程に上り、戦争のできる国への道を歩んでいます。厳しい状況であればこそ、草の根をつなぎあうように、魂のバトンリレーが広がっていくことを期待しています。