Facebookでの対話

        集団的自衛権行使容認の閣議決定について
                       (2014年7月4日〜)

◆(松森) 昨日投開票された滋賀県知事選で、三日月さんが自公推薦候補を破りました。明らかに安倍政権と公明党による集団的自衛権の閣議決定、武器輸出の解禁など、戦争のできる国へとまっしぐらに国の形を変えて行く横暴と、原発推進政策に対する、国民・県民の側の反対の意思が反映したものだと思います。中央政界で誰も押しとどめることができなくなった安倍政権に対して、地方自治の側から反撃の旗を掲げて歩み始めた構図が見えてきます。今後、10月の福島県知事選、11月の沖縄県知事選、来春の統一地方選に向けて、大きな影響を与えるに違いありません。
 今回の選挙を通して、「安倍政権に反対し、戦争に反対し、独裁政治に反対し、平和憲法を守る」ために投票する具体的な行動ができるんだということを、身近に感じさせてくれたのではないでしょうか。無党派層の6割が三日月さんに投票しています。いつも投票率がせめて7割を超える国民・市民でありたいと思います。そのために政治に対して無関心でいないこと、もっともっとおしゃべりになることだと思うのですが。
 Takashi Suzukiさんが三重県松阪市長の会見をアップされていましたので、シェアしました。山中市長は「集団的自衛権行使を求める閣議決定は憲法が保障する平和的生存権を侵害する」として違憲確認訴訟を目指すと述べています。ここにも中央だけに任せず、地方の側から反旗を翻す動きが生まれています。


◇(Hさん) この方は閣議決定全文をよまれたのだろうか。今日の国会の質疑を聞いてもなお「いわゆる集団的自衛権」が行使できると考えたのだろうか。きわめて限定的な、これまで曖昧だった隙間を埋めるための閣議決定と、国会で、法制局長官も述べている。感情的で飛躍した論理構成ではないかと心配する。

◆(松森) H様、「この方」という言葉が私を指すのか松阪市長を指すのか判然としないのですが、両者であろうと判断して読ませていただきました。▼まず、「感情的」ということですが、確かに感情的になっていることは事実です。例えば「敬称」の使い方一つをとっても、当初安倍首相・総理、安倍さん…などと呼び方を自分なりに気に掛けながら書いていましたが、いまは「安倍」とか「安倍晋三」と呼び捨てにしかできない「気分」です。いやもっと侮辱的な修飾語をつけて呼びたいくらいです。▼これは明らかに私の感情がそうさせるのに違いありません。昨年末の特定秘密保護法の強行採決、今回の集団的自衛権の閣議決定、憲法の解釈改憲、さらに武器輸出3原則を骨抜きにして、その結果近い将来日本の武器がイスラエルに渡り、パレスチナの子どもたちを殺戮することになる・・・などということが現実に進行するのを見ていると、「国民軽視もいい加減にしろ」「戦争が怖い」「私の家族が人を殺したり殺されたりするのではないか」「この国はどうなっていくのか」などと、自然に感情が高まってきます。一方で、外国人投資家の投機で乱高下する株価で一喜一憂する脆弱なアベノミクスの経済政策、格差の拡大、介護保険制度の改悪、TPP・・・なども考えれば、ますますこの国の将来に対する不安が募るばかりです。▼私は、感情は大切な自己表現だと思っています。ただ書く媒体や誌面の性格によって書き方を変えていることも確かです。その意味では、FBでは、私は自分の感情も含めて書くようにしています。▼次に、「国会の質疑を聞いて」と言われていますが、私も7月14日の国会中継で公明党北川一雄議員の質問と、法制局長官の答弁を聞きましたが、(冷静に聞いていたつもりですが)どう見ても武力行使の「歯止め」になる答弁を引き出したとは聞き取れませんでした。その後の民主党岡田克也議員の質問に対する首相答弁では、明らかに公明党への答弁と食い違うものがありました。▼結局総理大臣の「解釈」、否「安倍晋三の解釈」によって「歯止め」の意味も、「限定」の意味も決められることになってしまっているのです。もとをただせば、集団的自衛権行使容認の閣議決定で、「解釈改憲」を許してしまったところに、その原因があるのではないでしょうか。そこを戻さない限り、限定や歯止めの論議は砂上の楼閣の議論にしかならないと私は考えています。▼最後に、「感情的で飛躍した論理構成ではないかと心配する」と書かれていますが、これまで述べてきたように、人が感情を持ち時には激しく表出することもあるのは当たり前のことですし、個人的な問題であったり、政治的な問題であっても、感情を持って表現することはむしろ必要なことだと思っています。また、その書き方も「飛躍的な表現」が必要な時もあれば、「ち密な表現」が必要な時もあります。様々にあるということです。反対に、感情を介在させないように押し殺しすかのような「論理的な文章」を目にすることがありますが、かえって本質や核心を見落としている場合があるように思います。あるいは、むしろ問題の「本質や核心」をそらすために、隠すために、論理を構成するという、ある種の信条や信念、政治思想に裏打ちされた「使命感」をその背後に読み取れたりします。▼それゆえ、私は松阪市長の「たかが総理大臣、総理大臣ごときが」という言葉づかいのある会見を何のためらいもなく、その内容に賛成することが出来ます。私も、これからもFBで感情的な表現も含めて「友達」の皆さんに発信し、また大いにこのように語り合いたいと思っています。


◇(Nさん) 松森さんあんたの言う通りだ。このコメントコピペシェア。

◇(Hさん) おっしゃる意味はよくわかりました。感情的表現のもつインパクト、そして使い分け、さらにそうならざるを得ない状況。よくわかります。
ただ私は感情が行動のエネルギーであることは認めつつも、政治自体が折り合いの技術であり、白黒つける事を願ったところで、完全勝利はあり得ないと思うのです。感情での連帯がそうした折り合いの中で持続出来るのか、調整を弱腰と非難されることを恐れる政治家はひたすら妥協を拒む。そして決裂。事態の更なる悪化。こうしたシナリオは考えられませんか。

安倍首相の拡大解釈については、今回の閣議決定全文から逸れることは許されないはずです。ホルムズ海峡で機雷掃海ができると発言した時、質問者は、だから歯止めが効かないと言いたかったのかもしれませんが、ピントがずれていました。そうではなく、閣議決定全文からすれば、佐藤優氏が指摘した通り、戦地には行けないはずだと追及すべきでした。法治国家では、人の判断よりも法が優先すると、強く迫るべきでした。
私は閣議決定全文を、物語文のように想像逞しく読むのではなく、説明文として論理的に読み解くならば、多様な解釈が生まれる余地は少ないだろうと考えております。
これから法整備が始まります。ここからが重要です。攻防戦の第2ラウンドです。日本の国際的な評価や期待とも無縁でいられるわけもなく、その中で専守防衛を貫く法整備にしなくてはなりません。ここは感情ではなく、冷静な分析を必要とするのではないでしょうか。
長文、失礼いたしました。

◆(松森) H様 私の長たらしい文章に対して丁寧なお返事をいただきありがとうございました。▼「法治国家では、人の判断よりも法が優先する」、だから「安倍首相の拡大解釈については、今回の閣議決定全文から逸れることは許されない」し、できないだろうとHさんは考えておられて、一方私は、その民主主義国家としてあたりまえのことを平然と飛び越えたのが、安倍晋三であると考えています。なにしろ自民党歴代政権の見解も、司法の判決すらも、白を黒と読み換え、憲法も自分の解釈で変えてしまおうとするのですから。そこにHさんと私の距離が
あるのではないかと思っています。▼しかし否応なく法整備という「攻防戦の第2ラウンド」が始まりました。「ちょっと待ってくれよ」と声を上げる間もなく、いきなり法案づくりのステージが政権の都合に合わせてしつらえられています。法案を一括審議、強行採決のシナリオまで見え隠れしています。状況のとらえ方がちがっても、考え方に距離があっても、「戦争に反対する」「武力行使をさせない」ために、お互い意見も交流しながら、幅広い行動を起こして行けないものかと私は考えています。


(Hさん) 松森様「幅広い行動を」というご意見に賛成です。私は、安倍首相と自民党右派が繰り広げる強引な国家主義的施策に強い警戒感を持っております。一方で、平和勢力を自認する方々から、感情的に相手を罵倒するのを聞くと、その方々の「平和」の質に疑問を抱かざるを得ませんでした。あまりに単純な善悪二元論の行く末は、果てしない対立と決裂というマスコミ好みの状況しかもたらさないわけで、私としては、そんなマスコミの演出には乗りたくないのです。というわけで、今後ともよろしくお願いしたします。

◆(松森) 
こちらこそよろしくお願いします。